2023年11月25日土曜日

追悼 池田大作センセイ

  創価学会の発表によると、去る11月15日、池田大作名誉会長が老衰のため死去したとい

う。享年95歳。


 創価学会では初代から第三代までの会長は「永遠の師匠」とされ、教義上、特別な地位

を与えられているが、中でも池田センセイは別格の存在であった。


 しかしながら、池田センセイが晩年の十数年間、公の場にいっさい姿を見せなかったこ

とから、年若い学会員の中には、ご健在な頃のセンセイの活躍を知らない方も少なくない

ようである。


 そこで本稿では、故人の人柄を物語るもっとも代表的なエピソードをいくつか紹介し、

池田センセイへの手向けとしたい。


 センセイは、第二代戸田会長が立ち上げた高利貸し、大蔵商事で営業部長を務めていた

ことで知られる。この頃、彼が債権回収のために病人の布団をはぎ取ることまでした、と

いう有名な逸話がある。


「直前まで病人が使っていた布団を換金できるのか?」という疑問を持つ向きもあろうが、

当時、大蔵商事に出入りしていた古参学会員による、この伝説的エピソードが事実である

との証言があるので、週刊新潮の記事から引用する。


>  仮に10万円を借りたいという人が来ても担保は取らず、保証人を立てさせる。月々

> 1万円ずつ12回返済させ、返済が滞ると保証人から取り立てる――それが大蔵商事の

> 商法だった。

> 「まだ戦後の復興期で、当時は綿が大変な貴重品だった。ある時、返済が滞った人の

> もとへ取り立てに行った池田さんは、寝ている相手のフトンから綿を抜き、それを売

> り払った。カバーは汚れていたので中綿だけ取り出して売った、と聞きました。モー

> レツ営業マンとはあのことで、戸田先生はそんな池田さんをことのほか可愛がり、自

> 分の右腕のようにしていた」

(『週刊新潮』2002年1月17日号)


 統一教会の信者による高額献金が大きな社会問題になったことに関連して、創価学会に

も同様の問題があることがマスコミでも再び取り上げられるようになっているが、彼らの

創成期からの体質、そして、池田センセイの人となりがこの問題の遠因となっているのは

否定できないだろう。



 さて、池田センセイは艶福家としても大活躍され、たびたび雑誌の紙面を賑わせてこら

れた。その中でも最も有名でありながら、当ブログでは取り上げたことがない事件を、こ

の機会に紹介したい。


 この事件の当事者である信平信子さんは、昭和31年(1956年)に創価学会に入信し、事

件が起こった昭和48年(1973年)当時は函館圏の婦人部長を務めていたことから、この年、

函館を訪問した池田大作の接遇の責任者を務めた。


 問題の出来事は池田来訪の三日目、宿舎として利用されていた創価学会の大沼研修道場

に信平さんが訪れた際に起こった。


>  夜九時に私は、池田の布団を敷きに三階に上がっていったんです。

>  すると、初日も二日目も、布団を敷く時いなかった池田が、執務室に居て、何か物

> を書いていたのです。私は、

> 「失礼します」

>  と言って、執務室と寝室の間の障子を閉めようとしました。すると池田は、

> 「そのままでいいよ」

>  と言う。

>  私は、池田に背を向けて、さっさと布団を敷き、シーツのばそうとしました。

>  その時です。

>  いきなり池田が背後からのしかかってきたのです。

>  そして、肩の方から手を伸ばして、ぐっと私の襟とスリップのひもを一緒に引っ張

> りました。

>  夏ですから、私も薄着で、作業のしやすい恰好をしていましたから、ひとたまりも

> ありません。

>  バラバラとボタンがちぎれ飛びました。

>  ハッ、ハッという息づかいで、池田が、

> 「下着は一枚だね」

>  と言ったのが、耳に残っています。

>  うしろ向きのまま、池田は私の身体をまさぐり、そしてもの凄い力で私を押しつけ

> ました。

>  着ているものははぎ取られ、私は声を上げることもできませんでした。そして、池

> 田はさらに後ろから突いてきました。私は俯せになったまま貧血を起し、気を失って

> しまいました。

>  どれほど時間が経ったでしょうか。気を失った時は、俯せだったのに、気がつくと

> 私は仰向けで天井をむいていました。

 (略)

>  私は、自分のどこに隙があったのか、と布団に入って泣きました。自分が情けなく

> なって朝まで一睡もできず泣いたんです。

>  でも翌朝、池田がいった言葉に私は愕然としてしまいました。

>  私を見つけるなり、池田は、

> 「ゆうべはよく眠れたかい。ちょっと目が赤いね」

>  と、平然と言い放ったんです。

>  私は、その場に立ちすくんでしまいました。

>  この人は一体、何なんでしょう。人間じゃない。そう思いました。

(『週刊新潮』1996年2月22日号)


 信平さんは、この事件の後、昭和58年と平成3年にも池田からレイプされたという。


 彼女がこのような被害にあいながらも、それを告発することもなく創価学会にとどまり

続けたのは、夫を傷つけたくなかったことと「私が告白することによって、御本尊様を外

護する立場にある学会が打撃を受け、結果的に私自身が御本尊様から離れなければならな

いことになるかも知れないという恐怖、不安感があった」からだという。


 私のような外部の人間にとっては理解しがたい心情だが、元学会員が書いた文章を読む

と、「創価学会や池田大作を批判すると仏罰を受ける」と、本気で怯えていた者も珍しく

ないようである。


 裁判沙汰が多いことで知られ、出版社を訴えた事例も少なくない創価学会だが、この件

に関しては、週刊新潮や信平さんに対して訴訟を起こしてはいない。


 週刊新潮の告発記事の後、信平夫妻は池田大作を訴えたが、裁判では時効の成立を理由

として、池田に責任が負わされることはなかった。


 ※ 信平夫妻側は、「創価学会からのマインドコントロールが解けた時点をもって時効

  の起算点とすべき」と主張したが、創価学会が金にモノを言わせてやり手の弁護士を

  集め、巧みな法廷戦術を駆使したこともあって、残念ながら本件の裁判では認められ

  なかった(宗教的マインドコントロールを受けていた期間については、時効は進行し

  ない、とする判決が出された例もある)。


 一連の経緯を見る限り、真相が奈辺にあるかは自ずと明らかであろう。



 池田大作には、上述だけでなく女性関係の醜聞がほかにも数多くあるが、奴の悪事はそ

れらにとどまらない。


 創価学会が日蓮正宗から破門され、脱会者が相次いだ際には「脱会者は自殺に追い込め」

と学会員たちを扇動した。


 「公明党の選挙運動が功徳になる」などというバカげた妄想で学会員を洗脳し、投票所

襲撃事件や集団替え玉投票事件など、民主主義を根底から否定するに等しい悪質な選挙犯

罪に駆り立てた。


 独善的で他人の迷惑を顧みない強引な布教活動を学会員に指導し、現在に至るまで多く

の一般人を苦しめ続けている。


 麻薬王としても知られる軍事独裁者・ノリエガ将軍と親交を結び、麻薬ビジネスにも関

与していたという話もある。


 ヤクザと結託して地上げをやってもいた。

 公明党の政治力を私物化し、自身の脱税のもみ消し工作に利用した。


 搾取的な金集めによって贅沢に耽り、多くの信者たちやその家族を不幸にしてきたこと

は言うまでもない。


 これほどまでに、強欲で、淫恣で、高慢で、狡猾で、厚顔で、下劣で、卑怯で、醜悪な

俗物でありながら、池田大作は創価学会・公明党の力に守られ、何の責任も取ることなく

生涯を終えた。


 創価学会員は、この邪悪なこと極まりない池田大作を師匠と呼び、「師弟不二」の信心

とやらを理想としている、本当に度し難い連中である。


 何度でもいうが、創価学会はカルトである。それも、これ以下は考えられないというく

らいに最低最悪の。


 このような邪教には、一日も早く滅んでほしいと、改めて切に願うものである。


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2020年7月26日日曜日

鳥居をくぐると地獄に堕ちる!? ― 創価学会員が神社を避けるわけ ―

 創価学会員に神社を忌避する習性があることは、よく知られた事実である。これは、日
蓮正宗の「神天上の法門」という教義に由来している。

 現在の創価学会は、公明党が自民党と連立を組んでいるためか、日本の伝統を過度に敵
視することは控えているようだが、かつては非常に過激な主張を行っていた。


>  前に述べた様に聖徳太子以後、民族が清浄を尊ぶことと行いを清らかに保つという
> 儒教の道徳と仏法の三世の思想の三つを結びつけて作った教義で本尊を作って人を迷
> わす邪宗となり下った神道は現在多数派に別れ、神札を発行し、時折祈祷を行って宗
> 教らしく形はととのって居るが、元々何の教義も無いのであるから真に幸福を得られ
> るという道理の立つわけが無く、更に悪いことには神社には正しい神が居ないのみな
> らず、神社が発行する神札には文字が書いてある故に独自の働き、一つの力を持って
> 居るのである。即ち何々の神と書いた文字がこれを祭る人人へ働きかけ、その人の魔
> 性と感応して不幸な現象を起させる事実がこれである。
(中略)
>  前に示した様に神道は正しい仏法の流布をさまたげる故に神社及び神札には悪鬼神
> の働きが躍動して、個人と社会を毒するものであり、撲滅しなければならぬ邪宗教で
> ある。
 (『折伏教典』昭和29年版)

 ※1 旧字体は改めた。
 ※2 『折伏教典』とは、創価学会がかつて教義書および布教のマニュアルとして発行
   していた書籍。昭和26年~40年代にかけて出版され、その間、何度も改訂された。
   古いものの方が、より過激な内容だったようである。


 以前にも述べたが、日蓮は日本古来の神祇もまた、法華経を守護する護法神であると考
えていた(「日蓮と神祇信仰」参照)。

 「神道は撲滅しなければならぬ邪宗教」という主張は、当時の創価学会が勝手に行った
ものであり、本来の日蓮の教えではない。

 日蓮正宗の檀信徒の大部分も、これほどまで過激ではなかったようである(日蓮正宗の
信者の中でも「妙観講」に属する者には元創価学会員が多く、現在もかつての創価学会と
同様の極端な独善性を維持しているので注意されたい)。

 さて、『折伏教典』の排他的な主張を真に受けた学会員たちが、それをどのように実践
したかも見ておくべきだろう。

 創成期からの学会員を家族に持ったことから、彼らの行動を間近で観察する機会を得た
人物の証言を、宗教学者・玉野和志氏が著書に記している。


>  この人は家族が古くからの会員だったので、かつての創価学会のことをよく知って
> いる。むかしの学会員といえば、社会的には後ろ指をさされるような場合が多かった。
> 「会員になると、謗法払いといってみんなでよってたかって仏壇や神棚を撤去してし
> まうので、過激な集団だと見られていたし、会員は病人と貧乏人ばかりで、立派なお
> 屋敷に住んでいる人なんかいませんでしたよ。自分が若いときによく目にした学会員
> はめちゃくちゃで、やれ今日はいくつ神棚を焼いてきたとか、何人折伏できたとか、
> そんなことばかり言って、いわば闘士のようなもので、おとなしく信心しているとい
> う感じではありませんでしたね」
 (玉野和志著『創価学会の研究』)


 およそ普通の日本人とは信じがたい言動である。日本の伝統的な文化・慣習に対して、
何か言い知れない憎悪を抱いていた人々が、初期の創価学会の信者になったのではないか
と思わせられる……。

 昨今の創価学会は、かつてのような過激な主張を前面には出さなくなった。神社に初詣
に行ったり、地域の祭りに参加したりするなど、神社をことさらに避けない学会員もそれ
なりにいるようである。彼らはこれを、「随方毘尼(ずいほうびに)」という教えで正当
化している。


>  日蓮大聖人は「随方毘尼」という教えを示されています。「随方」とは、地域の風
> 習に随うこと、「毘尼」とは、戒律の意味です。
>  随方毘尼は、随方随時毘尼ともいい、仏法の根本の法理に違わない限り、各国・各
> 地域の風俗や習慣、時代の風習を尊重し、随うべきであるとした教えです。
 (創価学会教学部編『教学入門』)

 ※ 『教学入門』の初版は、2015年(平成27年)6月6日。


 先にも述べたが、自公連立を維持するためには、創価学会としても保守的な人々の心情
に配慮する必要がある、ということなのだろう。

 とは言っても、現在でも頑なに神社には近づこうとはせず、表題のように「鳥居をくぐ
ると地獄に堕ちる」と言い張る学会員も多い。

 創価学会員がかつてより丸くなったように見えたとしても、やはりそれは表面的なもの
であり、カルト特有の狂信的な独善性・排他性を内に秘めた者も、今なお少なくないのだ。

 本稿をお読みになった皆さまにも、学会員に対しては警戒するにしくはないことを、ゆ
めゆめお忘れなきようお願いしたい。


お詫び 言論出版妨害事件について

 今年の初め、できるだけ早くに言論出版妨害事件について論じたい旨を述べましたが、
現在に至るまで実現できずにいます。

 その理由は、コロナウィルス禍の影響で資料収集に支障をきたしたこと、個人的な事情
で少なからず忙しかったこと――この点は当分の間続きそう――などです。

 このテーマは、創価学会の反社会的体質を考える上で避けて通れないものですので、き
ちんと論じるべきだと、私は今も考えています。

 ですが、前述の事情もあり、現状、それがいつになるか確約できません。
 あしからず、ご了承いただければ幸いです。

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2020年6月14日日曜日

創価批判コピペ集‐⑱(「創価学会はストーカー集団か?」他)

◇◆◇ 創価学会はストーカー集団か? ◇◆◇

創価学会員は一般人に対して、様々な名目で執拗につきまとう等の迷惑行為をしている。
彼らがこうした行動を取るのは、そうすることでご利益があると信じているからである。

・新聞啓蒙・・・聖教新聞の押し売り。商売上の関係を盾に取り購読を迫ることが多い。

・F取り・・・公明党の選挙運動。投票の見込みがありそうな知り合いに、片っ端から
 連絡を取って依頼する学会員も珍しくない。承諾すると実際に投票するまで、複数の
 学会員が入れ替わり立ち替わり念押しに現れ、投票所まで連れ出されることまである。

・折伏(シャクブク)・・・入信勧誘のこと。別の口実(飲み会、趣味のサークル等)
 で標的を呼び出し、複数の学会員で取り囲んで入信を迫るという、騙し討ちのような
 ことをする場合もある。断ると後日、中傷などの嫌がらせを受けることも少なくない。

※ 学会員の多くはこうした迷惑行為を、感謝されて当然の善行だと本気で信じている。


◇◆◇ 創価学会の聖教新聞 ◇◆◇

聖教新聞とは、創価学会の機関紙である(公称発行部数:550万部)。聖教新聞には名誉
会長の池田大作を称える記事が頻繁に掲載され、学会員に池田への個人崇拝を植え付け
る役割を担っている。創価学会には聖教新聞に関する、奇妙な慣行がいくつか存在する。

・新聞啓蒙・・・聖教新聞の拡販活動。販売店だけでなく、一般の学会員も動員される。
・無冠の友・・・聖教新聞の配達員。何よりも「功徳になる」とされているが、低報酬
 (月1~2万円程度)のため、誰が引き受けるかを学会員の間で押し付け合っている。

・マイ聖教・・・創価学会では聖教新聞は「池田先生からのお手紙」なので、多部数を
 購読すれば功徳になるとされている。そのため、一世帯で何部も取る者も多い。これ
 がマイ聖教である。学会員が一般人に、「タダでいいから聖教を取ってくれ」という
 ことがあるのは、布教を目的としてだが、余った聖教新聞をさばきたいからでもある。

※ 学会員をマインドコントロールする道具にして搾取の手段、それが聖教新聞である。


解説

 創価学会は巨大教団なので、その信者にも多様性が存在する。貧しい者もいれば、裕福
な者もいるし、外部からも有能と認められる者もいれば、そうでない者もいるだろう。

 しかしながら、学会員の中には「自分は必要とされない人間なのではないか?」という
コンプレックスを抱えた者が多く、典型的な一類型といってもいいくらいである。

 創価学会はそのような者に対して、「創価学会は至高の存在である末法の御本仏・日蓮
大聖人の仏法を広める使命を帯びた唯一の正しい宗教であり、学会員は地涌の菩薩である」
と説き、彼らはこれをアイデンティティーの拠り所としてきた。

 だが、「本当は学会員こそが価値のある存在、選ばれた特別な人間なのだ」という主張
には、客観的な立場からも妥当と認められる根拠がまったくない。創価学会は、マガイモ
ノの救いで学会員を誑かし、搾取しているに過ぎない。

 そして、彼らの信仰に根拠がないからこそ、創価学会員たちは他者を否定し貶めたり、
強引な折伏等で屈服させたりすることでしか、自らの「正しさ」を示せないのだ。

 選挙で公明党の候補を当選させることは、比較的軋轢の少ない形で彼らが「勝利」でき
る機会ではあるが、それとて時として選挙違反までやらかす、はた迷惑なF取りに支えら
れている。


 誰しもが多かれ少なかれ、短所や欠点を抱えているものであり、コンプレックスと無縁
の人間などそうそういないだろう。大抵の人は等身大の自分を認め、折り合いをつけなが
ら生きていくしかない。

 現実の自分を直視できない「心の弱い人」が、「本当はあなたこそが特別な存在なので
す」と甘い言葉をささやく、創価学会のようなカルトに引き寄せられるのだろう。

 創価学会には、このような歪な心の持ち主を再生産する図式がある。
 学会員の家庭に育つと、子供の頃から「学会員は地涌の菩薩で、そうでない人より高い
境涯にある特別な存在なのだ」と教えられて育つ。

 残念ながら、創価学会員であろうと大部分は特別な才能などない、普通の人間である。
 しかし、幼少時から「自分は特別な存在」とマインドコントロールされて育ち、分不相
応に自我を肥大させてきた者は、等身大の自分とうまく折り合いをつけられない。

 「特別であるべきなのに平凡でしかない」というコンプレックスに苛まれたり、「地涌
の菩薩である自分を差し置いて、外部の者が学業や仕事で優れた結果を出しているのは不
当だ」といった、理不尽な憤りをたぎらせたりする学会員も少なくないだろう。

 「自分たちは特別」と思い込んでコンプレックスを糊塗し、「特別な存在」であるはず
の自分より優れた外部の人間を折伏で屈服させようとしたり、それが叶わなければ誹謗中
傷したりするわけである。

 創価学会が、かつてより多少は大人しくなったにせよ、現在も迷惑行為を続けている理
由の一つは、この根拠なき選民思想にあると考えられる。

 創価学会への批判を耳にしても「学会が唯一の正しい宗教で、池田先生があまりにも偉
大なので、嫉妬したほかの宗教の人が悪口を言っているだけ」と、目と耳をふさぎ続ける
学会員もいるが、この言い分は抑圧されたコンプレックスの外部への投影でしかない。

 この構図は強固なものであり、変えることは容易ではないことから、創価学会は今後も
反社会的なカルトであり続けるのではないかと懸念される。


追記 「無冠の友」の報酬について

 「無冠の友」と呼ばれる聖教新聞の配達員が、実際にどの程度の報酬を受け取っている
かについては、ネット上にも様々な数字が挙げられており、その額は一定していない。

 おそらく配達件数や実動日数に応じて、報酬が支払われているのであろう(週一回だけ
配達を引き受けている者であれば、月に数千円程度にしかならないのではないか)。

 いずれにせよ、時間給に換算すれば最低賃金にも届かない、搾取的な雇用条件であるこ
とに変わりはない。創価学会員といえども、引き受けたがる者が少ないのは当然だろう。

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2020年5月10日日曜日

ユースビオ社の怪

 既にご存知の方も多いであろうが、新型コロナウィルス対策の一環として、国が全世帯
に向けて配布するマスクのうち、妊婦向けのマスクを納品した「株式会社ユースビオ」が
ネット上で話題になっている。

 他の受注業者は、総合商社の伊藤忠商事や医療用品の製造販売を手掛ける興和など、実
績ある企業であるのに対し、ユースビオは設立されてまだ3年目の全く無名の会社で、医
療用品の取り扱い実績もないことから、受注の経緯を疑問視する声が上がった。

 しかも、同社の所在地をGoogleストリートビューで確認すると、公明党および同党所属
の参議院議員・若松謙維氏のポスターが掲示されていたことから、「癒着があるのでは?」
との批判を浴びることとなった。


 同社の桶山社長が、若松議員に12万円の寄付をしていたことも明らかになった。 
 このことについて樋山社長は、マスコミからの取材に以下のように答えている。


> 「若松さんは議員になる前からの知り合い。僕は創価学会の3代目でもともと学会員
> だから、その関係で知り合いだった。いつからかは覚えていないけど、どこかの会合
> で会って、選挙に出るとき『手伝って』と言われて、行ったこともある。公明党は献
> 金を要求しないが、寄付は個人として出した。癒着といっても、どう癒着するのか。
> 県会議員や国会議員の関わりも言われていますが、彼らが僕が受注したと知ったのは、
> 決まったときですから。事前に彼らにお願いします、と言ったわけじゃない。こうい
> うビジネスは、彼らが入るよりも自分でやったほうが早いですから。公明党を除いて、
> 安倍総理とか、麻生財務相とか、一切付き合いはないですよ」
 (『週刊朝日』オンライン限定記事 2020/04/28)


 桶山社長はビジネスに関して政治家の力を借りたことはない旨を主張しているが、彼の
言い分とは異なる報道もある。

 桶山氏は「株式会社樋山ユースポット」なる会社の代表も務めているが、この会社が消
費税を脱税した嫌疑で平成29年(2017年)12月に告発され、翌年6月、福島地裁から懲役
1年6カ月、執行猶予3年、罰金400万円の判決を受けている(つまり現在も執行猶予中)。


>  事情を知る関係者は「当時、樋山は政治家の名前をうたって、ブローカー気取りだ
> った。ほぼ実態のない会社を複数持ち、そこを利用して脱税していた。手口を見る限
> り、指南役がいたと思われる」と明かす。
 (『東スポWeb』 2020/04/28)


 また、今回、ユースビオがマスクを受注した経緯についても、行政関係者の以下のよう
な発言が報じられている。


>  東日本大震災のときから交流のある福島県庁の幹部に、ユースビオ社について聞い
> たところ、こんな答えが返ってきた。
> 「今回の報道で初めて知った。地元でも無名の会社。通常は実績のまったくない専門
> 外の業者を、県が国に紹介するなどありえない。だが、今回は緊急事態という建前が
> あるので、政治力で決まった可能性はある」
 (『東洋経済オンライン』 2020/04/30)


 マスク受注業者の選定に関して、菅官房長官は「議員の口利きはなかった」と述べてお
り、桶山社長も「偶然が重なった結果」と言っているが、この件については、いささか出
来過ぎた「偶然」があるようにも見える。

 桶山社長の自宅は裁判所に差し押さえられ、4月9日に競売の公告がなされ、5月には入
札の予定になっていた。

 しかし、4月24日に債権者が競売を取り下げたという。
 桶山氏がマスクで得た大金の一部で、債務を返済したのであろう。

 事業に失敗し、自宅まで差し押さえられて競売にかけられていた人物が、降って湧いた
ようなビジネスチャンスで大金を手にしたわけである。

 今回のマスク調達は、随意契約によってなされている。
 国や地方公共団体が、億単位に及ぶような契約をする場合、競争入札を行うことが一般
的だが、コロナウィルス禍への対応という急を要する事業であったために、随意契約にな
ったのであろう。

 国の事業の入札に参加する場合、資格審査があり、直近の財務諸表や納税証明書等の提
出を求められる。

 マスク納品業者が入札で選ばれていた場合、ユースビオ社は資格審査の段階ではねられ
ていた可能性が高い。

 同社の経営は事実上、破綻していたと見られるし、それのみならず、先に述べたように
樋山社長は消費税法違反で有罪となり、現在、執行猶予中の身である。

 脱税で有罪になって執行猶予中の人物が、税金を原資とする国の事業で何億円もの金を
得るなど、納税者の理解を得られるとはとうてい思えない。

 この件に関しては不審な点が多すぎる、そう思うのは私だけではないはずだ。
 是非とも、国会の審議で真実を明らかにしてほしいものである。


参考サイト
スポニチ
週刊朝日オンライン
東洋経済オンライン
レイバーネット


追記

 社民党の福島瑞穂議員が、この件について厚生労働省マスク班に照会して得られた回答
をツイッターで公表している。

https://twitter.com/mizuhofukushima/status/1260548928627372032

 それによると、ユースビオとシマトレーディング合わせて5億円の契約は、昨年度予算
の予備費によるものだったとのことである。

 そして、今年度予算でユースビオは約29億7千万円の契約を、国と結んだという。
 これだけ巨額の契約が不透明な経緯で決まっているのは、どう考えても好ましいことで
はない。

 にもかかわらず、民放各局をはじめとするマスコミが、この件を積極的に追及している
ようには見えない。創価学会に関する報道は、やはり現在もタブーなのだろうか……。

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2020年3月30日月曜日

創価批判コピペ集‐⑰(「創価学会の信心で病気が治る!?」他)

◇◆◇ 創価学会の信心で病気が治る!? ◇◆◇

創価学会は入信すれば病気が治ると宣伝してきた。第二代会長・戸田城聖は、昭和30年
前後の数年間、「この本尊に南無妙法蓮華経と唱えれば祈りとして叶わざるなし。創価
学会に入って信心すれば、手術せずともガンも結核も治る」と説き多くの信者を集めた。

戸田の弟子・池田大作も「護符」と称するマジナイを考案、さらに多くの信者を集めた。
このマジナイはただの紙切れを飲めば病気が治るというもので、何の根拠も効果もない。
戸田や池田のデタラメを信じたために適切な医療を受けられず、寿命を縮めた者は多い。

創価学会は今年2月、新型コロナウィルス禍に際して、当面の間、座談会などの会合を
中止するとの方針を打ち出した。21世紀に入って20年目にして、信心では病魔には対抗
できないと認めたのである。過去に主張してきた世迷言はウソだったと認めたに等しい。

※ 創価学会とは、非科学的なたわ言で多くの人を不幸にしてきたインチキ宗教である。


◇◆◇ 日蓮と法然 ◇◆◇

両者ともに鎌倉時代の僧侶だが、その教えは大きく違う。法然が来世での救済を説いた
のに対し、日蓮は現世利益を説いた。病と信仰の関係についての主張もまったく異なる。

日蓮「此の曼茶羅能く能く信じさせ給ふべし。南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかな
  る病さはりをなすべきや」(『経王殿御返事』)

法然「宿業かぎりありて、うくべからん病は、いかなるもろもろのほとけかみに祈ると
  も、それによるまじき事也。祈るによりて病もやみ、命ものぶる事あらば、たれか
  は一人として病み死ぬる人あらん」(『浄土宗略抄』)

今般のコロナウィルス禍にあたって、創価学会の本部は、唱題会を含む会合を中止した。
日蓮の教えに従い南無妙法蓮華経を唱えても、病魔に勝つことはできないと認めたのだ。

※ 現在の創価学会本部は、病気に関する限り日蓮よりも法然に近い考えを取っている。


解説

 創価学会は今般の新型コロナウィルス禍への対応として、座談会・唱題会等の会合を中
止する措置をとっている。

 韓国で宗教団体の会合が原因となって、感染拡大が起こった事例があることから、創価
学会の決定が時宜にかなった適切なものであることは、私も否定しない。

 しかし、彼らが「信心で病気が治る」と主張して、適切な医療を受ける機会を学会員た
ちから奪い、その結果、死なずに済んだはずの人びとの寿命を縮めてきた過去がある以上、
創価学会を手放しで称賛するわけにはいかない。

 ※ こうした悪弊の犠牲になった者の中には、池田大作の次男も含まれていることは以
  前に述べた(「池田城久の死」参照)。

 創価学会の第二代会長・戸田城聖は、医学的根拠など何もない無責任きわまる指導を行
っていた。その一例を以下に示す。

(『聖教新聞』昭和29年〔1954年〕11月28日付掲載の質問会の一部)

 ※ 「護秘符」とは日蓮正宗に伝わるマジナイで、大石寺法主の祈念が込められた食紅
  を飲むものである。池田大作はこれに着想を得て、後に「護符」というマジナイを独
  自に作り出した。

 言うまでもないことだが、ガン治療においては再発や転移をいかに防ぐかが重視される。
 「再発する度に軽くなり完全に治る」などという論外のデタラメを、宗教団体の指導者
として行った戸田も、それをそのまま掲載した聖教新聞も、常軌を逸していると言わざる
を得ない。

 また、この当時の聖教新聞には、「信心で病気が治った」という特集記事が頻繁に掲載
されていた。

(『聖教新聞』昭和29年〔1954年〕12月5日付)

 こうした記事にどれ程の真実が含まれているかは不明だが、戸田センセイの与太話を大
真面目に取り上げていたことから考えると、「手術せずに胃ガンが治った」等の体験談は
相当に胡散臭い。

 戸田の弟子である池田大作もこうした非科学的な体質を受け継ぎ、「護符」と称する紙
切れを飲むマジナイを考案し、学会員たちはそれを有難がって飲んでいた(護符について
は、これまでに何度か取り上げているので今回は詳述しない)。

 創価学会は「科学的な宗教」を自称し、「他の宗教は非科学的だ」と主張しているが、
彼らにそんなことを言う資格など、あろうはずがないのだ。


補足 「日蓮と法然」について

 誤解のないように申し添えるが、私の目的は創価学会の悪質な実態を一人でも多くの方
に知ってもらうことであり、特定の宗教を布教したり、宣揚したりすることではない。

 しかし、創価学会が日蓮仏法を標榜し、その日蓮が法然への批判を原点としていた史実
がある以上、両者の思想を比較することには意義がある。

 学会員の皆さんも、この際に合理主義と信仰との適切な関係を、考えてみられてはいか
がだろうか。

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2020年3月1日日曜日

職員による内部告発

 既にご存知の方も多いでしょうが、創価学会の職員による内部告発が、YOUTUBEに投稿
されています。興味深い内容でしたので、リンクを貼っておきます。


 ※ 現在、この動画は非公開になっている。

 この告発が事実か否かについては、私は断定できる立場にありませんので、視聴した方
それぞれに判断していただくしかありません。本稿では、一応、事実であると仮定の上で
論じます。

 告発者は説明があまり得意ではないようです。また、チャンネル開設者のシバター氏も、
創価学会についての知識が乏しいため、適切な質問ができていません。

 そこで、告発の背景にある事情について、私なりに推測したことを含めて、簡単にです
が解説を加えたいと思います。


解説

主な登場人物

Sさん
 動画に出演している告発者。某支部の職員とのことなので、地域の拠点である会館に勤
務しているものと考えられる。

上司
 Sさんの上司。Sさんいわく「神様のような人」。不祥事を起こした張本人。


告発1
 Sさんは上司から命令により、一月あたり35~40人というノルマを課され、折伏を強要
されていた。明らかに実現できない目標であり、立場を悪用したパワハラである。

告発2
 職員がお布施を横領している。お布施の金額は各会員の自由であることから、経理担当
者が不正をはたらいても発覚しにくい。Sさんの上司は、実際に横領していた。

 ※ 創価学会には教団に対する寄付として、「財務」と「広布基金」の2つがある。

 財務・・・年一回、年末に実施。金融機関での振込。金額は一万円以上が原則。
 広布基金・・・地域の会館で年に数回、行事の際に現金で徴収。金額の指定はない。

 財務は振込なので、末端の職員は手を出せない。一方で広布基金は、創価学会の会館で
現金を集めるものなので、Sさんの上司のような立場にある者ならば、不正を働くことも
できるのだろう。
 
 女優で元学会員の杉田かおる氏も、個人で不審な金集めをしたり、「会のお金を騙し取
ったり」する学会員がいたことを、著書で暴露している(「創価学会の金集め③」参照)。

 創価学会の体質から言って、現在でも同じようなことが起こっても不自然ではないと考
えられる。


追記

 シバター氏が別の動画で、告発動画を非公開にした理由を明らかにしている。

裁判沙汰になり、動画を非公開にしました

 これによると職員による横領を暴露した男性――つまりSさん――が、動画を公開して
からひどい嫌がらせを受けるようになったため、シバター氏に動画を非公開にしてほしい
と依頼したとのこと。

 動画のタイトルに「訴訟沙汰」とあるのは、Sさんが嫌がらせを行った相手に対して民
事訴訟を準備中であることを指しているようである。Sさんやシバター氏が、創価学会側
から名誉毀損で訴えられたわけではないようだ。

 不都合な告発に対して正々堂々と反論するのではなく、卑劣な嫌がらせで沈黙を強いる。
これが創価学会のやり方なのだ。まさにカルトの所業である。

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2020年2月16日日曜日

書評『創価学会よ、大改革を断行せよ!』

 本書を執筆したのは「創価学会の明日を考える有志の会」を自称する、耳慣れない団体
である。本書の書きぶりでは複数の学会員が所属しているようであるが、実際のところは
不明(本稿では複数の著者がいる前提で論じる)。

 著者らは池田大作を不世出の偉人として尊敬し、創価学会は世界平和を実現して人類を
救う偉大な使命を帯びた宗教団体だと信じる、末端ではあるが熱心な学会員らしい。

 その著者らが本書を世に問うことにしたのは、創価学会の組織が疲弊している現状を憂
い、改革の必要性を痛感しているものの、本部にそれを訴えるツテがないことから、一念
発起したからだという。

 本書によると、現在の創価学会では以下のような問題が顕在化しているらしい。

1 末端組織である「地区」の運営マニュアルが存在しないことから、責任者である地区
 部長・婦人部長の資質によって、組織がうまく機能するか否かが大きく左右される。
  リーダーシップに欠ける地区部長のために、機能不全に陥っている例もある。

2 学会員の個人情報の把握が不十分であるために、それぞれの個性や悩みに合わせた指
 導を実施できていない。

3 勤行・唱題を行っていない学会員が多い。著者らの調査によると、ある地区では勤行・
 唱題を行っていない者が70%余りもいた。こうした学会員は座談会にも出席しないこと
 が多いものの、選挙の際、公明党に投票する割合はある程度に達していることから、こ
 れまで問題が表面化していなかっただけなのだという。

4 親から子への信仰の継承が必ずしも上手くいっていない。子供の頃は勤行・唱題して
 いた者でも、自立するとやらなくなることが多い。

5 折伏で成果を上げるた者は脚光を浴びるが、その後の教育は重視されていないため、
 せっかくの新規入会者が人材として育ちにくい。

 その他にも、創価学会内部での人間関係のトラブルが非常に多いとの指摘もあった(私
個人としては、この点に非常に興味をひかれるのだが、残念ながら本書では詳述されてい
ない)。

 上記の問題に対して本書で提示されている処方箋の一つは、折伏を強力に推し進めるこ
とである。

 著者らは〈幹部たちが広宣流布の使命を忘れてしまったために、組織全体が無気力にな
ってしまった。もう一度、戦後間もない頃の折伏精神を取り戻すべきだ〉(大意)と、訴
える。


>  無駄な会合をしないで、折伏を推進したり、折伏法を学ぶ勉強会を数多く開催して、
> 朝起きても「折伏」、夜寝る時も「折伏」と、明けても暮れても「折伏」一辺倒の流
> れを作ります。折伏は青年部を中心に推進し、若者をターゲットにして、三〇〇万人
> ~四〇〇万人の折伏の目標を立て、積極的に推進していきます。


 この目標を実現するために、本部に折伏のサポートを専門に行う部署を立ち上げ、ノウ
ハウの開発や学会員への教育を行うべきだとも提言している。

 昭和20~30年代の折伏大行進を、もう一度やるべきだと言わんばかりである。熱意は伝
わってくるが、学会員から何回も折伏を受け、さんざん迷惑をかけられた経験がある私と
しては、このようなカルト信者の悪しき目論見は、断固として粉砕すべきだと考える。

 著者らのもう一つの提案は、「外部のコンサルティング会社に依頼すること」である。


>  現在の実態からは、間違いなく、創価学会には最新の経営理論と組織論を学び、経
> 験した人材は皆無に等しいことが見てとれます。
>  創価学会の経営層は、時代遅れのままで大きな組織を運営していることに気づかな
> ければなりません。創価学会の経営層は最新の経営理論をマスターしておかなければ
> ならないのです。(中略)一刻も早く最新の経営理論に精通した人材を多数採用し、
> 然るべき専門のコンサルティング会社などに依頼して、広宣流布と世界平和への戦略
> を作り、最新の経営戦略を導入することをお勧めします。


 創価学会がかつて、外資系コンサルのアクセンチュアに依頼して機構改革を行ったこと
は著者らも承知しているものの、彼らの考えではその時の改革は不十分であり、外部から
の助言を得て、より徹底した改革を実施すべきなのだという。

 具体的には、多国籍企業が行っているようなマーケティングや顧客管理、ガバナンスの
ノウハウを、包括的に創価学会に導入すべきだと主張している。

 巨大組織を効率的に運営するために、大企業を参照して先端の経営ノウハウを取り入れ
るという案は、一理あるようではあるが、違和感を感じないでもない。

 著者らは「信者を増やすことは、顧客を増やして売上を伸ばすことと同じ」とまで言い
切っている。確かに創価学会の本部職員にとってはそうなのかもしれない。

 だが、本書の著者らは末端の信者であり、信濃町の本部職員と違って、創価学会から給
料をもらっているわけではない。

 信仰上の問題の解決策を営利企業の経営ノウハウに短絡的に求める著者らの姿勢には、
信心による功徳(ご利益)を、企業が営業活動で収益を得ることと同じように見なす、創
価学会員に特有の思考様式が影を落としているものと考えられる。

 さて、斯界では世界最大手のアクセンチュアでは不足だというのなら、著者らはどのコ
ンサルティングファームを見込んでいるのであろうか。

 「改革への具体的な提案」と題された本書の最終章で、著者らは学会本部の幹部に向け
て以下のように訴える。


>  まずは日本最大の広告代理店の「電通」に相談してみてください。そして私たちの
> 書いた本を提示して、この本の主張が正しいか否かを調べてもらってください。そし
> て私たちの指摘事項について、具体的にどのように進めたら良いか提案してもらって
> みてください。


 電通といえば、数年前、長時間残業に追いつめられた女性社員が過労自殺し、大きな社
会問題になったことは記憶に新しい。

 その後、改革はなされたであろうが、それでも著者らがいうような「最新の経営理論」
を実践しているエクセレントカンパニーと世間から見做されているとは言い難く、旧態依
然とした体質を残した企業というイメージは拭い難い。

 学会員たちを寝ても覚めても折伏一辺倒の人間に仕立てて、折伏大行進のような暴挙を
再びやらかそうと考える著者らのことだから、「鬼十則」でも学会員たちに仕込むつもり
なのかもしれないが……。

 創価学会は宗教法人であって株式会社ではない。だからこそ、学会本部は財務の使途等
の経営情報の公開を、頑なに拒み続けることができるのだ。

 上場企業が株主に対して負っているような説明責任を回避している創価学会に、著者ら
が主張するような経営ノウハウを導入したところで、その効果を検証することはできない。

 本気で学会本部に改革を促したいのであれば、まず財務の使途を公表することを迫るべ
きではないかと、私には思われる。

 本書は創価学会員を対象として執筆されているものの、創価学会の衰退と信仰の形骸化
の実態について、内部の観察者の視点で語られているという点で、私のような外部の批判
者にとっても興味深い内容であった(提案されている改革案は、首をかしげたくなるもの
ばかりだったが)。

 創価学会になど興味のない大部分の方にとっては無用の本であろうが、カルト信者の奇
妙な思考形態に関心がある方ならば、手に取ってみるのもアリかもしれない。

 ※ 『創価学会よ、大改革を断行せよ!』は、2020年2月4日付で発行された。


追記

 ヤフオクに『支部活動のために―組織実務の手引き―』なる、創価学会の組織運営用マ
ニュアルが出品されていたようである(おそらくは本物)。

 創価学会で「支部」とは、「地区」より一段階上の組織単位である。支部長以上の役職
に就くためには、こうしたマニュアルを理解し、下の者に適切な指示を出せる能力が求め
られるのだろう。


 「『地区』の運営マニュアルがない」と本書の著者らは主張しているが、マニュアルに
準拠した組織運営ができない者でも、地区部長にまでならなれるということだと思われる。

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2020年1月5日日曜日

おすすめの記事&これまでのまとめ

おすすめの記事


ピアノと写真、そして執筆活動
 平成22年(2010年)に脳梗塞で倒れたにもかかわらず、まるで何事もなかったかのよう
に、旺盛な執筆活動を続けられている池田センセイ。天が彼に与えたものは文才だけでは
なかった。ピアノ・写真の腕もプロ級なのだ。池田センセイの多芸多才の秘密とは……!?

池田城久の死
 「信心すれば病気が治る」をうたい文句に信者を集めてきた創価学会。だが、池田大作
名誉会長の御令息・池田城久氏は、29歳の若さで胃穿孔で死去していた。文字どおり「胃
に穴が開く」ほどの城久氏の苦悩とは……!?

第四代会長・北条浩氏について
 戦国大名北条氏の末裔にして、旧華族でありながらも創価学会に入会し、第四代会長に
まで上り詰めた北条浩氏。池田名誉会長との「師弟不二」を貫いた彼の生涯は、池田セン
セイのお人柄を物語る数々のエピソードで彩られていた。

日蓮と真言宗と池田大作
 創価学会では、入信すると次は家族を折伏することが求められる。しかし、信心の師匠
であるはずの池田センセイは、親族の折伏に失敗していた。師としてふがいないようにも
思えるこの件だが、その真相は、池田センセイが真実の日蓮大聖人の仏法を貫こうとされ
たことにあった。センセイが悟った日蓮仏法の真髄とは……!?

本部職員の待遇と創価学会の財力
池田大作のぜいたく
 毎年、年末に実施される財務だけでも一千億円以上を集めるといわれる創価学会。集め
た金の使途については、一貫して非公開とされている。巨額の金は、いったい何に使われ
ているのだろうか?

狂信者の心理
 創価学会員から入信勧誘等を受け、彼らのあまりの話の通じなさ加減に辟易した経験が
ある人は現在でも少なくない。創価学会をはじめとするカルトの狂信は、いかなる心理に
より成り立っているのだろうか?

「南無妙法蓮華経」の根拠(古文からの引用多め)
 日蓮の教えの核心は、題目をひたすらに唱えることで救われるという、専修唱題である。
創価学会はその理由を「南無妙法蓮華経は宇宙と生命を貫く根源の法」と説明しているが、
日蓮はそんなことを書き残してはいない。御書をひもとき、題目の根拠を探る。


これまでのまとめ


◎ 広宣部・教宣部と嫌がらせの実態

  広宣部と教宣部

  広宣部・教宣部が連携した嫌がらせの手口

  教宣部創設の経緯

  広宣部の実態

  「脱会者は自殺に追い込め」①

  「脱会者は自殺に追い込め」②

  「集団ストーカー」は実在するか? 1 ― 「張りつき」と「取り囲み折伏」 ―

  「集団ストーカー」は実在するか? 2 ― 町内会・PTA等への浸透 ―

  「言論部」と「ネットリスク対策室」


◎ 創価学会は反日団体か

  池田大作在日説について

  外国人労働者受け入れ拡大と創価学会・公明党

  創価学会と韓国


◎ 池田本仏論

  池田本仏論について①

  池田本仏論について②

  「会長先生はお父様のような存在」

  「700年ぶりだねぇ」の真偽

  池田大作の食べ残しを食うと「福運」がつく!?

  数珠さすりと弟子分帳

  池田大作への個人崇拝の実態

  虚仏への供物

  「娘に仏様の手がついた」


◎ 池田大作の人となり

  ピアノと写真、そして執筆活動

  池田センセイの話術

  池田大作 唱題伝説

  池田センセイのご指導

  清貧の人? 池田大作

  金満家・池田大作

  池田大作のぜいたく

  名誉学位・名誉市民等について

  池田センセイの「ご友人」

  池田大作は本当に平和主義者か?

  創価学会員はなぜ池田大作を崇拝するのか?

  池田崇拝の何が問題か

  創価学会の「大勝利」

  懲りない男・池田大作

  池田大作はバカではない


◎ 創価学会員とはどのような人々か

  「福子」として育てられるということ

  創価学会の二枚舌

  折伏(しゃくぶく)について

  創価学会員の選民思想

  反社会的な教義

  創価学会員のルサンチマン

  創価学会の光と影

  功徳とバチ

  狂信者の心理

  「学会活動できるじゃない!」

  統監と家庭訪問

  新聞啓蒙とマイ聖教

  肩書と成果主義

  仏敵撲滅唱題について

  婦人部と「無冠の友」

  創価学会員の話術

  どのような人々が創価学会に引き寄せられたのか?

  創価学会と軍国主義


◎ 収奪的な金集めの手口

  創価学会の金集め①

  金庫事件(金集め①-補足)

  創価学会の金集め②

  「牛乳ビンの念珠」とは?(金集め②-補足)

  創価学会の金集め③

  財務督促あるいは「創価学会仏」の金口直説

  財務をすれば万札が降ってくる?

  財務に苦しめられる末端学会員

  学会幹部に良心はないのか?

  ふたたび「財務」について

  三たび「財務」について


◎ 創価学会と公明党

  創価学会・公明党と生活保護

  公明党による口利きの代価

  誰が公明党に投票しているか?

  公明党の選挙運動について

  F取りの実態1 ― 人脈台帳 ―

  F取りの実態2 ― 戸別訪問 ―

  F取りの実態3 ― 公明党の票田 ―


◎ 『人間革命』の欺瞞

  創価学会の信心の現証について

  そもそも『人間革命』とは

  『人間革命』と結核

  紙を飲む宗教①

  紙を飲む宗教②

  紙を飲む宗教③

  「狸祭り事件」について

  セックス&バイオレンス

  創価学会常住の本尊について

  「日蓮」を名乗る前の日蓮

  『人間革命』の執筆体制と長期休載

  大阪事件

  「長男はツギオで、次男はダイサク」

  エレベーター相承のウソ

  池田大作と戸田城聖の〝遺品の刀〟


◎ 人物

  戸田城聖のビジネス(戦前・戦中編)

  戸田城聖のビジネス(戦後編‐①)

  戸田城聖のビジネス(戦後編‐②)

  戸田城聖のビジネス(戦後編‐③)

  アル中・戸田城聖

  池田城久の死

  福島源次郎氏について

  藤原行正氏について

  藤井富雄氏について

  第四代会長・北条浩氏について

  幹部の本音

  幹部の役得


◎ 創価学会と他のカルトとの関係

  憧れの池田センセイ

  創価学会とオウム真理教

  信心の血脈

  日蓮正宗はカルトです

  大石寺について

  相承疑惑について

  大御本尊と池田大作(近年の教義変更について)

  川邊メモ・教学部レポート・遠藤文書


◎ 教義の矛盾(折伏の被害にあっている方はお役立てください)

  私説「五重相対」(創価学会の矛盾)①

  私説「五重相対」(創価学会の矛盾)②

  私説「五重相対」(創価学会の矛盾)③

  私説「五重相対」(創価学会の矛盾)④

  仏像を拝むのは謗法か?

  蔵の財、心の財

  創価学会は仏教ではない①

  創価学会は仏教ではない②

  創価学会は本当に「御書根本」か? ①

  創価学会は本当に「御書根本」か? ②

  日蓮と真言宗と池田大作

  御書講義について(偽書『御義口伝』)


◎ 日蓮と鎌倉仏教

  「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」

  「南無妙法蓮華経」の根拠

  日蓮と念仏①

  日蓮と念仏②

  日蓮と禅①

  日蓮と禅②

  日蓮と禅③

  日蓮と真言

  日蓮と律

  日蓮と良観房忍性

  日蓮と神祇信仰

  日蓮遺文の真偽問題

  佐前・佐後

  「日蓮本仏論」について


◎ 創価学会 基礎知識

  5chスレ立て用テンプレ1~5(創価学会がカルトである理由①)

  5chスレ立て用テンプレ6~9(創価学会がカルトである理由②)

  創価用語の基礎知識①

  創価用語の基礎知識②

  創価学会の財力

  折伏大行進の実態

  折伏成果の水増しについて

  創価学会の実世帯数

  本部職員の待遇と創価学会の財力

  創価学会はなぜ会館建設を続けるのか?


◎ 書評

  書評『内側から見る創価学会と公明党』

  書評『「人間革命」の読み方』

  書評『創価学会秘史』

  書評『創価学会』(田原総一朗著)

  書評『親が創価学会』(島田裕巳著)

  おすすめの本


◎ 創価批判コピペ集

  ①(「創価学会とはどんな宗教か」他)

  ②(「創価学会が嫌われる理由」他)

  ③(「創価学会の教え」他)

  ④(「池田大作ってどんな人?」他)

  ⑤(「創価学会の『人間革命』」他)

  ⑥(「創価学会の『財務』」他)

  ⑦(「創価学会と法華経」他)

  ⑧(「創価学会の『不都合な真実』」他)

  ⑨(「創価学会と平和主義」他)

  ⑩(「創価学会の『折伏(しゃくぶく)』」他)

  ⑪(「創価学会の『学会活動』」他)

  ⑫(「創価学会の『総体革命』」他)

  ⑬(「創価学会の迷惑行為」他)

  ⑭(「池田大作の女性スキャンダル」他)

  ⑮(「創価学会員や顕正会員が強引な勧誘をする理由」他)

  ⑯(「創価学会と韓国」他)


◎ その他

  「はじめに」および5ch(旧2ch)過去スレ

  創価学会が社会から受け入れられない理由

  変わらない創価学会

  都議会選挙(2017年)の結果について

  衆議院総選挙(2017年)の結果について

  平成29年をふりかえって

  創価学会の創立記念日

  平成30年をふりかえって

  統一地方選挙(平成31年4月)の結果について

  創価学会の行く末

  第25回参議院議員通常選挙(令和元年)の結果について

  エア本MADについて

  令和元年をふりかえって


お知らせ

 明けましておめでとうございます。
 今年は年初から何かと忙しく、毎週定期的にブログを更新することができません。

 昨年末に次回のテーマとして予告した「言論出版妨害事件について」も、来週の投稿は
難しい状況です。今年のできるだけ早い時期に掲載したいとは思っていますが、いつとは
断言できません。

 恐縮ですが、当面はブログの更新は不定期といたします。
 悪しからず、ご了承ください。

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2019年12月29日日曜日

令和元年をふりかえって

 創価学会・公明党をめぐっては、今年一年の間にも様々な出来事があった。
 4月の統一地方選、7月の参議院選という大きな選挙もあり、多くの学会員がF取りに
励んだことだろう(獲得議席だけを見れば、公明党はおおむね健闘した)。

 9月には創価学会を破門した日蓮正宗の先代法主・阿部日顕氏が逝去した。
 11月には、原田会長の再任が決まった(下馬評では次期会長との噂もあった、谷川氏が
任命されることはなかった)。

 こうした出来事の中で、私が最も重要だと考えるのは、参議院選挙の比例区で公明党の
獲得票数が約654万票と、前回より100万以上も減少したことである。創価学会の組織力の
低下を、議論の余地なく示した結果である。

 この選挙にはもう一点、関心をひかれたことがある。それは選挙前の6月5日、公明党が
東京ドームで決起集会を開催し、昼夜2回で10万人を集めたことだ。

 「公明フォーラム」と称するこの集会は、ネット上では事前に何の情報もなかった。
 にもかかわらず、1日で10万人を集め、最寄り駅は大根混雑となり、事情を知らない多
くの利用客を困惑させたのである。

 そして、東京選挙区から立候補した公明党の山口代表は、前回よりも得票を増やして当
選した。

 この事実を見ると、創価学会は全体としては退潮傾向にあるものの、大都市部では依然
として侮れない組織力を保っていると言わざるを得ない。

 どう受け止めるかは人それぞれだろうが、私にとっては、創価学会の反社会性を訴え続
けることの意義を再確認させられた出来事だった(一個人の影響力など微々たるもの過ぎ
ないことは、百も承知しているが)。

 閑話休題。

 話は飛ぶが、当ブログの方針についても併せて述べさせていただく。
 このブログでは、『人間革命』などの創価学会による出版物や、創価学会ウォッチャー
と称される批判的なジャーナリストの書籍に依拠することが多い。

 それらの出版物の多くは20年以上も前に世に出たものであり、もっと新しい情報や、現
在の創価学会について取り上げるべきではないか、という方も少なくないかと思う。

 私もできることなら、そうしたいと思うのだが、それは困難だというのが正直なところ
である。

 私は過去に学会員であったことがないので、自分の経験を参照することができない。
 情報提供してくれる親しい学会員がいるわけでもない(まさか、過去に私を折伏しよう
とした学会員に「創価学会を批判するために必要なので、内情を教えてくれ」と頼むわけ
にもいかない)。

 もちろん、元学会員による批判ブログの中には、近年の創価学会の実情を物語る内容の
ものもあるが、人様のブログの引き写しばかりの記事を投稿するのは、流石に躊躇われる。

 ブログ以外にも、ネット上には興味深い情報もあるにはある。
 例えば、先日、5chの創価・公明板を閲覧していて、以下の書き込みを見つけた。


> 財務は強要「と感じる」のではなく、現場では完全に「強要している」のは、活動家
> 2世3世や元活動家なら知ってるはずだよ。

> 広布部員の申し込み書が提出されていなければ、昼夜問わず訪問攻撃、訪問者も一人
> が2人、3人と増え、来る人の役職が上がっていき、長時間一方的に説得、その場で書
> かせ、書くまで居座る。

> 申し込み書を出して振り込まないと、また訪問攻撃で、銀行まで同行される。
> 居留守なんてしようものなら、近所で待ち伏せされる。

> これは「強要」だよ。嫌ならしない選択肢はなく、この嫌がらせに屈して渋々財務が、
> ずいぶんたくさんいるよ。
 (5ch 創価・公明板「創価学会員の皆さん、今年の「財務」どうしますか?」)


 具体的な記述であり、それなりの信憑性があるように思える。
 近年は財務の総額もかつてよりは減っていると伝えられてはいるが、依然として強制を
伴う搾取的な実態が、創価学会にはあるのだと思いたくなる。

 だが、匿名掲示板の書き込みを、信用できる確たる証言というわけにはいかない。
 裏を取るべきだが、私は残念ながらジャーナリストとしての訓練を受けたことはない。

 私にできることは、図書館で文献をあさることくらいだ。
 なので、忸怩たる思いはあるが、これからも現在の創価学会がなかったことにしようと
している、後ろ暗い過去に光をあて続けたいと思う。


お知らせ

 本文でも書いた通り、当ブログでは今後も創価学会の過去を取り上げるつもりです。
 次々回からは、言論出版妨害事件について書く予定です。

 そして、その後は思うところがあり、しばらくブログを休もうと考えています。
 活動を止めるわけではなく、あり方を検討する必要があると考えたからです。

 悪しからず、ご了承ください。

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2019年12月22日日曜日

創価学会と軍国主義

 創価学会が急速に拡大できた理由の一つとして多くの論者が指摘していることに、第二
代会長・戸田城聖が軍隊式の組織運営を導入した点が挙げられる。

 入信してさほど日を経ずして聖教新聞の編集主幹に抜擢されるなど、戸田から何かと目
を掛けられてきた石田次男氏を押しのけて、池田大作が第三代会長に就任できたのも、池
田が「参謀室長」という役職についており、青年部を掌握していたことが大きかった。

 参謀室長に就任した際、池田は以下のように語っている。


>(前略)参謀室の任務はあくまでも広宣流布成就の青年部の立法機関であり、十五部隊
> は行政機関である、又参謀室は大本営であり、各部隊長は武将であり将軍である。新
> しき闘争は民衆を相手とするものであり、広宣流布遂行途上に起る大衆性の問題政治
> 経済等あらゆる一切の源泉の命令は参謀室より発せられる。

(『聖教新聞』昭和29年4月11日付)

 また、創価学会は昭和30年代まで、軍歌を学会歌として用いていた。昭和32年(1957年)、
10歳の時に母親と同時に入信した女性の証言を引く。


>  そのころ夜には座談会に一時間位歩いて会場に行き、ついたら寝て学会歌が始まる
> と起きるという子供時代でした。今では覚えている人も少ないですが、当時の学会歌
> は軍歌で、“貴様と俺とは同期の桜”で壮年部が扇子を振って指揮を執るものでした。
 (創価学会・公明党を糾すOB有志の会 編著『サヨナラ私の池田大作』)


 それだけでなく、創価学会が多数の青年部員を「部隊」と称する組織に編成し、大挙し
て大石寺に結集して閲兵式もどきの大集会を行ったりしたことから、当時のマスコミから
も「新手の右翼団体か?」と警戒された。

 『週刊読売』(昭和30年10月30日号)に掲載された「“軍旗”のある新興宗教」という特
集記事は、創価学会の強引な折伏の事例とともに、その組織が軍隊と酷似していることや、
「部隊旗」と称して軍旗に似た旗を用いていることなどを伝えている。

 創価学会のこうした体質については、前述のように多くの方が論じているが、それらの
中で私がもっとも的確だと感じたのは、哲学者・鶴見俊輔氏の以下の論考である。


>  敗戦によって日本の文化に欠落が生じた。軍隊がない。天皇が人間宣言を出したの
> で、戦前の現人神信仰を、もはや支えとすることができない。教育勅語がなくなって、
> それまでの倫理的背骨とされたものが失われた。子供のしつけをどうするか。親が年
> 老いてから子供をたよりにできるか。あふれるエネルギーを持つ少年少女を、どのよ
> うに調教できるか。金の価値がなくなったり、たのみにしていた会社がつぶれたり、
> そういう不安定な状況の中で、しかも、戦争中まで残っていた親類や隣近所の助け合
> いの慣習が薄れた。こうした不安に悩む人びとのあいだに、創価学会は急速にのびて
> いった。それは仲間の助け合いの習慣をつくり、青少年を訓練する道場をつくった。
> 天皇が戦前スタイルの観兵式をやめているその時期に、戸田城聖は白馬にまたがって、
> 青年団男女の観兵式をおこなった。そこにあったのは、自衛隊にも増して戦力なき軍
> 隊であった。目標は平和日本の建設であるとされたが、この団体訓練でとられた方式
> は、旧軍隊でとられたものと瓜ふたつである。軍人勅諭のかわりに、与えられたお経
> のテキストの暗誦。そのテキストの文句についての問答。たえず要求される集団への
> 参加。規則的な昇進。かつて軍隊において身分や学歴にかかわらず、軍務そのものに
> よる公平な競争をとおして昇進がおこなわれたとおなじように、ここでも、身分や富
> や学歴にかかわらず、努力と才能に対して公平な昇進が約束された。まさにおなじ時
> に、外の社会においては資本の独占化が進み、会社は系列化され、学歴なく一流会社
> から外れた人びとにとっては公平な昇進の希望は失われつつあった。
>  独占資本主義下に安定した社会において、不安的な状態にさらされるのは、中小企
> 業、農業、炭鉱労働に属する人びとである。それらの階層が、創価学会信者の急速に
> 膨張する部分だった。
>  今日の創価学会は、戦前日本の軍隊、在郷軍人会、青年団、少年団、さらにそれら
> を最終的に一本に編みあげた体制翼賛運動の思想から多くのものをゆずり受けた。そ
> の共同体信仰。行動力。論争形式。それらは、戦後直後、誰もゆずり受けて住もうと
> しない廃屋として、誰も利用しようとはしないが、しかし依然として存在する国民的
> 慣性としてそこにあった。その国民的遺産をそっくりそのまま、創価学会がゆずり受
> けたのである。
 (『鶴見俊輔著作集』第三巻所収 「牧口常三郎と戸田城聖」)

 ※ 引用にある「戸田城聖は白馬にまたがって、青年団男女の観兵式をおこなった」と
  は、昭和29年(1954年)10月31日、創価学会が1万人を結集して、大石寺への登山を
  行った時のことを指す(この出来事は『人間革命』第八巻にも描かれている)。


 現在でも大半の人は軍国主義には反対だろうが、 昭和20年代から30年代にかけての日
本では、戦争の傷跡がまだ生々しかったことや、新憲法のもとで民主的な社会を築こうと
いう機運が強かったことから、軍国主義との決別はより切実な問題だった(軍閥の復活を
策動する者もいたという)。

 こうした時勢にあったにもかかわらず、創価学会は軍隊式の組織運営を行い、大規模な
集会でそれを誇示しさえしたのだ。

 世間の反感を買った面もあるにせよ、それを意に介さず創価学会に入信した者が多数い
たこともまた事実である。軍隊方式の何が人を惹きつけたのだろうか。

 軍隊には厳しい規律があり、上官の命令には絶対に服従しなければならない。窮屈な組
織なのは確かである。

 一方で軍隊においては、何が正しいか、いかに生きるべきかを自分で考える必要はない。
上官の指示に従い、敵と戦うことが正しいのだ(士官には作戦立案能力が求められるが、
一兵卒にはそんな能力は必要ない)。

 戦後の日本は自由な社会になった。
 しかし、何が正しいか、いかに生きるべきかを各人が自己責任で考え、実践しなければ
ならなくなった。

 この自由を重荷に感じる人にとって、「絶対に正しい」生きる指針や、同じ目標を共有
する同志を与えてくれる創価学会は、魅力的に見えたのかもしれない。

 軍隊からの復員者の中には、従うべき命令が何もない状況で、与えられた自由を前にし
て途方に暮れていた人もいただろう。そんな人にとっては、なおさらのことそうだったの
ではないか。

 自分から進んで自由を投げ出し、盲信を選ぶ人はいつの時代にもいた。
 そして、「自分には大衆を導く使命がある」と自称する、ペテン師のような連中も……。

 多くの学会員にとって、そして日本にとって不幸だったことは、長年にわたって創価学
会の意思を担ってきたのが、池田大作という邪悪な俗物だったことである。

 公明党の政策に異を唱える学会員を軍法会議さながらの査問にかけ、恭順しない者には
除名処分を下していることから明らかなように、池田が表舞台から去った現在も、創価学
会の体質は変わっていない。自分の頭で考えることは、末端の学会員には期待されていな
いのだ。

 今でも学会員の大部分は、何も考えずに上意下達に従い、「自分たちは地涌の菩薩で、
学会員でない人より格上の存在なのだ」という選民思想に酔い痴れて、満足しているのだ
ろう。

 そのような学会員たちによる組織的な投票が、現在でも日本の国政に小さくない影響を
与えているのである(良識あるマスコミはなぜ問題視しないのだろう)。

 学会員から折伏などで迷惑をかけられた経験のある人なら、こうしたことは許しがたい
と思うだろうし、そうでない人でもおかしいと感じている方は少なくないはずである。

 そうした人々が一斉に声を上げれば、現状を少しでも変えられるのではないかと私は考
えるのだが、いかがだろうか……。


補足 『週刊読売』(昭和30年10月30日号)の創価学会特集記事について

 本文でも触れたとおり、週刊読売はこの号で創価学会についての特集記事を掲載した。
その概略を述べる。

 まず冒頭で、強引な勧誘の事例として、静岡県沼津市に住む仏立宗――日蓮系宗派の一
つ――の信者である女性のもとに、二人組の学会員が折伏に訪れ、女性が創価学会への入
信を拒んだところ、学会員たちが仏壇に祭られていた日蓮像を奪い去り、ドブ川に投げ捨
てたという事件が報じられている。

 また、別の事例として、福島県相馬郡で地元の人から信仰されていた観音堂を複数の学
会員が打ちこわし、安置されていた観音菩薩像を焼き払ったことも伝えられている。

 創価学会の実態にも言及されており、「会費を取らない」と言いながら新聞購読料や書
籍の購入代金などで、かなり稼いでいるとも述べられている。

 その後、青年部の組織と軍隊との類似性が論じられ、各部隊が「部隊歌」と称して軍歌
の替え歌を用いていることを述べ、そのことについて後に第五代会長となる秋谷城栄(栄
之助)が記者の質問に答えている。

>  部隊長クラスになると戦後、大学を出た若いインテリが主だが、第五部隊長秋谷城
> 栄君(二五)(早大仏文卒)はこういう。
>  「私どもの教えの中に“依義判文”というのがある。例えば戦陣訓の歌でも、日本男
> 子と生れきて戦の場にたつならば――とあるのは、邪宗との戦いの場と解釈する。散
> るべきとき清く散れ――は、弾圧にひるむなであれ、御国にかおれ桜花――は日蓮正
> 宗はサクラのようにかおれであると解釈するから、少しも右翼とは思わない」
>  教義のためには、宗教戦争も辞せずといった表情である。

 現在の創価学会は、外面を取り繕う知恵を身につけはしたものの、実態としてはこの記
事で述べられている折伏大行進の頃と、そう変わらない体質を少なからず残していると見
てもよいのではないかと思われる。


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2019年12月15日日曜日

どのような人々が創価学会に引き寄せられたのか?

 退潮傾向にあるとはいえ、創価学会は現在でも日本最大の新興宗教である。それのみな
らず、公明党の支持母体として、多くの票を集める力を持っている。

 創価学会がこれほど発展できた理由は、宗教学・社会学の研究対象となっており、戦後
の高度経済成長と関係づけて論じられることが多い。

 宗教学者・島田裕巳氏は、「なぜ創価学会が高度経済成長の時代に成長したのかという
謎を解く鍵」となるとして、昭和37年(1962年)に福岡市在住の創価学会員を対象として
実施された調査研究を参照し、以下のように述べている。


>  調査によれば、福岡市の学会員は、学歴が低く、高卒以上は全体の三割を占めるに
> すぎない。多くは小学校や中学校しか出ていない。職業の面では、「零細商業・サー
> ビス業の業主・従業員と、零細工場・建設業の工員・単純労働者など」が中心である。
> つかり、創価学会はたんに都市型組織であるというだけでなく、論文の副題にもあっ
> たように、都市下層のための宗教組織なのである。
 (中略)
>  つまり、学会員となった人間たちは、福岡市に生まれ育ったわけではなく、最近に
> なって、農村や漁村、山村から福岡市に出てきたばかりの人間たちであった。彼らは、
> 学歴が低く、そのため、大企業に就職することもできない。労働者ではあっても、労
> 働組合の恩恵にあずかることができず、未組織の労働者として不安定な生活を送らざ
> るを得ない境遇にあった。
 (島田裕巳著『創価学会』)

 ※ 島田氏は社会学者・鈴木広氏の論文「都市下層の宗教集団――福岡市における創価
  学会」に準拠している。


 戦後の日本での都市部への人口集中が、創価学会発展の下地となった。都市は新たな産
業の労働力を求めていた。一方で地方においては、重要な産業が衰退しつつあった。

 近代以前の日本社会では、燃料と言えば木炭であった。山村において炭焼きは、現金収
入を得られる重要な産業だった。

 しかし、昭和30年代になると電気や化石燃料が普及したことにより、燃料としての木炭
需要は急速に減少していった。

 地方では収入を得られる仕事が失われていく一方、都市部では製造業やサービス業での
労働需要が急速に伸びていたのだから、地方の過疎化、都市部の過密化が同時並行して進
むことになったのは当然である。

 創価学会は、こうして新たに都市住民となった人々を信者として取り込んでいった。
 これらの人々の多くは、誇るべき家柄も学歴もなく、専門的な技能を身につけていたわ
けでもなかった。

 故郷にいても家計の足しになる収入を得ることは難しく、生家にとどまったところで、
厄介者あつかいされかねない者も少なくなかっただろう。

 故郷から離れ、頼るべきものも心の支えも持たなかった人々が、創価学会の信仰に拠り
所を見出したのはなぜだろうか。

 その理由としては、創価学会が相互扶助的で密度の濃い人間関係を構築していたこと、
御書講義などの教学重視の在り方に、教育を補完する作用があったこと等が挙げられるだ
ろうが、創価学会の教義にも、ある種の人々を引き付ける要素があったと考えられる。

 創価学会の教義の特色は、その極端な独善性・排他性にある。


>  実際に、神道にはなんら教えらしいものはなく、神主の家など、決して幸福な生活
> をしていない。代々、浄土宗、浄土真宗、禅宗、真言宗の家の檀家総代をしている家
> は、家族に病人が絶えなかったり、不幸が続いたり、どんな財産家も三、四代すると
> つぶれるのが多い。仏教各派が釈尊の教えと違ったことを教えていることや、いわゆ
> る日蓮宗が日蓮大聖人の教義と違反していることは、別の項で説き尽くされているか
> ら、ここでは、教義のことは省略するが、俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に
> 不具者ができたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては発狂する者ができたり
> して、四代法華、五代法華と誇っている家ほど悲惨な生活をしているのである。この
> ようにして、先祖代々の宗教は皆、人を不幸にする力をもっているゆえに捨てなけれ
> ばならないのである。
 (創価学会教学部 編『折伏経典』改訂29版)

 ※ 「いわゆる日蓮宗が日蓮大聖人の教義と違反していること」とは、日蓮宗が日蓮正
  宗総本山大石寺の大御本尊の権威を認めていないこと等を指す(「大御本尊と池田大
  作」参照)。


 常軌を逸していると言っていいほど、一方的で差別的な記述である。
 世の中の大部分の人は、その信仰心の程度によらず、先祖代々のやり方で葬式等を行う
が、創価学会はそれを「人を不幸にする力をもっているゆえに捨てなければならない」と
いうのだ。

 もちろん『折伏教典』の独善的な主張のほとんどは、根拠がなかったり矛盾していたり
するたわ言ばかりである(「創価学会の信心の現証について」参照。)

 人間は誰しも、自分の存在を肯定できる根拠を求めるものだ。創価学会の荒っぽい主張
が一部の人の心をつかんだのは、粗雑ながらも心をひかれる要素があったからだろう。

 「自分には何もない」と感じざるを得なかった人にとっては、「自分たち以外は間違っ
ている」という根拠のない独善性が、心地よかったのではないか。

 世間の成功している人、権威ある家柄の人、それ以外の平凡ではあってもそれなりに幸
福な生活を送っている人、そうした人々の信仰はすべて間違っているのであり、正しいの
は自分たちだけなのだ、という創価学会の主張が、渇いた土地が水を吸い込むように劣等
感に苛まれた心にしみ入ったのである。

 私はこれまでに何回も折伏を受けたことがあるが、現在でも学会員の中には、「創価学
会は絶対に正しい。これは決まっていることだ」と言い張るだけで、その根拠など示せな
い者が少なくない。

 根拠がないことを信じることに不安を感じないのかという疑問を、かつては私も抱いた
ものだが、実は彼らは根拠など必要としていないのだ。

 正当性の根拠を追求することは、それなりの知的能力を必要とする。知性が欠如した者
は、そんな面倒なことなど御免蒙りたいのである(「狂信者の心理」参照)。

 つまるところ、おツムの出来があまりいいとは言い難い人々が創価学会に入り、その後、
強引な勧誘や悪質な選挙違反等を行って、社会に迷惑をかけたのである。

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2019年12月8日日曜日

川邊メモ・教学部レポート・遠藤文書

 「川邊メモ」とは、日蓮正宗の高僧だった川邊慈篤氏がつけていたメモである。
 川邊氏は阿部日顕氏と親しく、法主に就任する以前からの阿部氏の言動について、詳細
なメモを残していた。

 このメモが流出し、阿部氏が大石寺の大御本尊を偽物だと断定していたことが判明した。
 それを日蓮正宗から離脱した僧侶たち――「憂宗護法同盟」と称した――が発行してい
た『同盟通信』(平成11年〔1999年〕7月7日付)が報じたことから騒動が起こった。
 問題のメモの内容は、以下のようなものである。


> S53・2・7、A面談 帝国H
> 一、戒旦之御本尊之件
>   戒旦の御本尊のは偽物である。
>   種々方法の筆跡鑑定の結果解った。(字画判定)
>   多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の
>   題目と花押を模写し、その他は時師か有師の
>   頃の筆だ。
>   日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている
> 一、Gは話にならない
>   人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の
>   事ではGでは不可能だ。
> 一、Gは学会と手を切っても又二三年したら元に戻
>   るだらうと云う安易な考へを持っている
>   ※日禅授与の本尊は、初めは北山にあったが北山の
>   誰かが売に出し、それを応師が何処で発見して
>   購入したもの。(弘安三年の御本尊)
 (憂宗護法同盟 著『法主詐称』)

 ※ Aとは阿部氏、Gとは猊下(当時の法主・細井日達氏)を指す。


 日蓮正宗にとって、大石寺の大御本尊は教義の根幹である。法主に就任する1年前、当
時、教学部長だった阿部氏がこれを偽物呼ばわりしていたことが事実であれば、宗教とし
ての正統性が根本から崩れることになる。

 当然のことながら、阿部氏と川邊氏は釈明の必要に迫られた。
 時を置かずして、同年7月9日付の宗務院通達に、阿部氏の言い分が掲載された。


>  この度、御法主上人猊下には、川辺メモ中の記載事項と、実際の面談とには、内容
> に大きな差異がある旨を仰せになられました。
>  即ち、二十年以上も以前のことであり、その発言内容の全てを正確に御記憶されて
> いるわけではありませんが、当時は裁判も含め、以前より外部からの「戒壇の大御本
> 尊」に対する疑難が多く来ていたこともあり、御法主上人猊下におかれては、教学部
> 長として、それらの疑難について川辺師に対して説明されたものであります。
 (平成11年7月9日付 日蓮正宗宗務院通達)


 次いで翌7月10日付の通達に、川邊氏による「お詫びと証言」が掲載された。川邊氏も
当時、阿部氏から「外部から大御本尊について、こういった批判がある」との説明を受け、
それをメモに書き記したのであり、阿部氏が自らの意見として「大御本尊は偽物」と述べ
たわけではないという旨の弁解している。

 大石寺の大御本尊については、古くから偽作説があった。
 昭和53年(1978年)の時点でも、元民音職員の松本勝弥氏らが「大御本尊は偽物なので、
正本堂建立にあたっての寄付金の返還を求める」と訴え、裁判で係争中だったのも事実で
ある。

 しかし、松本氏らは「大御本尊を筆跡鑑定して偽物と判明した」などと、主張していた
わけではない。

 また、「大御本尊は、弘安三年に日蓮が弟子の日禅に与えた本尊の模刻である」と主張
する者が、当時いたわけでもない(犀角独歩氏がこのような主張をしておられるが、彼が
大御本尊を検証したのは、川邊メモが明らかになった後のことである)。

 阿部氏と川邊氏の弁解には、難があると言わざるを得ない。
 阿部氏は、日蓮正宗の内部では本尊鑑定の専門家と見られていたという。

 大御本尊と日禅授与本尊を比較して筆跡鑑定することも、大石寺の教学部長だった阿部
氏ならば、その機会はいくらでもあっただろう。

 川邊メモの内容は、大御本尊が偽物だということも、阿部日顕氏がそれを承知していた
ということも、両方ともが事実だったと考えてよさそうである。

 創価学会はこの件について、聖教新聞や創価新報で「日顕の発言は宗旨破壊の大謗法で
あり、そのような人物に法主の資格はない」といった旨の批判を繰り返し行った。
 その一例として、聖教新聞から秋谷会長(当時)の談話を引く。


>  一、極悪・日顕が、“大御本尊偽物”という大邪説を唱えていたことが“川辺メモ”に
> よって七月に発覚し、宗内に大激震が走ったことは、すでにご承知の通りであります。
 (中略)
>  一、宗旨(しゅうし)の根幹である戒壇の大御本尊を、一宗の法主が「偽物である」
> と断じたなどは、前代未聞の出来事であります。この大謗法は、未来永劫(えいごう)
> の歴史に残る大汚点であり、滅亡の因となることは、疑う余地がありません。
 (『聖教新聞』1999年〔平成11年〕9月12日付)


 大御本尊は偽物だという事実を指摘したことが、日蓮正宗の「滅亡の因」となるのなら、
「受持の対象にしない」と宣言した創価学会はどうなるのだろうか……。


 さて、前回述べた通り、この騒動から15年後の平成26年(2014年)、創価学会は会則を
改正し、大石寺の大御本尊を信仰の対象から外した。

 この教義変更については、推進派の首脳部――原田会長、秋谷前会長、八尋顧問弁護士、
谷川事務総長――と、反対派の教学部との間で確執があった。

 結果は見えていたであろうが、教学部側が敗北し教義変更は強行された。
 反対を主張し続けた遠藤総合教学部長は更迭されたが、彼らも一矢報いたかったのか、
教義変更に関する内部事情を記した文書を2回にわたって流出させた。

 それが、「教学部レポート」と「遠藤文書」である。
 既にご覧になった方も多いと思われるが、両文書を読んで私が関心を持った箇所につい
て要約を記す。

・ 「戒壇の大御本尊は、謗法の宗門の本尊であり、学会とは何の関わりもない」と教義
 を変更し、それを池田が存命中に池田の意志として発表するという方針は、首脳部が決
 定しており、教学部にはそれを正当化する役割が求められた。

> この一連の計画を主導しているのは、A議長、H会長、T事務総長、Y弁護士の4人です。
> 信仰の根本の問題なのだから、もっと皆の意見を聞いて、もっと時間をかけて、慎重
> に進めるべきだ」と心配の声が上がっています。
> にもかかわらず、A、H、T、Yの4人は、
> 「池田先生の強い意向」と「教義の裁定権は会長にあるという会則」
> を盾に、独断専行に近い状態で強行突破を企てています。
 (教学部レポート)

 ※ A、H、T、Yとは、それぞれ秋谷前会長、原田会長、谷川事務総長、八尋顧問弁護
  士のことである。


・ 上記の方針が本当に池田の了承を得たものか疑問に感じた遠藤氏らが、第一庶務室長
 に確認したところ、「池田先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそうした
 指導は受けていない」との回答だった。

> 「先生のご意向のもと、大御本尊との決別を今この時に宣言する」
> という、先生のご指導は、全くの作り話だったのです。
 (教学部レポート)


・ 教学部としては、創価学会の本尊はすべて大御本尊を書写したもので「之を書写し奉
 る」と明記されていることから、大御本尊を否定すれば信仰の根拠が不安定となり、学
 会員が動揺することになると懸念していた。


・ 教義変更に必要な調査に、女性問題で失脚した弓谷元男子部長が従事していた。

>  先月、宮地の方から、弓谷の言動に関してお伝えいたしました。弓谷は、前代未聞
> の女性問題を起こして男子部長を頚になった人間です。池田先生が、弓谷の不祥事で、
> 大変に苦しまれたとうかがっています。先生御自身、「あいつは将来、絶対に叛逆す
> る。絶対に使うな」と断じられたと聞き及んでおります。その弓谷が、大御本尊とい
> う学会にとって最重要の事項について、どういう資格、どういう立場で調査に当たっ
> たのでしょうか。
 (遠藤文書)


 また、教学部レポートに記された幹部の発言からは、外部の人間には容易にはうかがい
知れない学会本部の体質を垣間見ることができ、興味深く感じた。

> 教学部以外の5人は、論理として完全に破綻していました。率直に申せば、素人談義
> の域を出ず、これが学会の最高首脳の教義理解かと別の意味で衝撃を受けました。
> 例えば、A議長は
> 「弘安二年の御本尊については、南無妙法蓮華経の法体を文字曼荼羅に図顕された御
> 本尊であるが、唯一絶対の御本尊と大聖人が定められた証拠はない。 
> 日寛上人より『究竟中の究竟』等宗派の確立のために確立されたとも推察される」
> 「弘安二年の御本尊も何の徳用も働かない。・‥
> 他宗の身延派や、中山系、京都系が保持している真筆の御本尊と同じ事になる」
> と主張していました。
 (教学部レポート)

 秋谷前会長が述べているとおり、現在の日蓮正宗の教義は、第26世法主・日寛が自派の
正当性を訴えるためにデッチ上げたものだというのは史実である。
 だが、これを一般の学会員の前で言うことができるのだろうか。


> また聖人御難事の「余は二十七年なり」という大聖人の「出世の本懐」の表明につい
> ても、T総長は
> 「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えて
> もいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいい
> んじゃないか」
> と述べていました。
 (中略)
> 「過去との整合性などどうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
> 完全に独立した教団として出発するんだから。
> 結論は決まっているんだ。
> 教義なんて、それを後付けすればいいんだ」
> と、T総長は何度も繰り返していました。
> “何でも自分たちで決められる”という全能感がにじみ出ていて、何を言っても取り
> 付く島がありません。支離滅裂な不毛な会議となりました。
 (教学部レポート)

 『聖人御難事』にある「出世の本懐」という言葉の意味を、「特別な本尊として大御本
尊を作ったこと」と解釈する日蓮正宗の教義は、確かにこじつけでしかないので、それを
「変えてもいい」という谷川氏の主張は理解できなくもない。

 だからといって「過去との整合性などどうでもいい」「教義なんて後付けでいい」とい
うのは、宗教団体の幹部としてがいかがなものであろうか。

 秋谷氏・谷川氏の発言は現実主義的ではある。その一方で、誠実な信仰者というよりは、
信者を操る権力者としての相貌が色濃く表れてもいる。

 ご両名とも選挙の指揮において実績を積んで来られたとのことなので、教義のことなど
本音ではあまり関心を持っておられないのだろう。

 創価学会の幹部にとっては、教義など学会員を操るためのツールに過ぎないのである。
 失脚した遠藤氏は、実直に信仰し、池田センセイを尊敬していたのかもしれない。だが、
彼をセンセイとの「師弟不二」の実践者と呼ぶわけにはいかない。

 池田センセイは金と権力、そして女性が大好きな方だった。秋谷氏や谷川氏、弓谷氏の
方こそが、真の「師弟不二」の実践者ではないかと思うのは私だけだろうか。

 大石寺の大御本尊を中核とする日蓮正宗の教義は、第67世法主・阿部日顕上人がいみじ
くもご指摘なされたとおりデタラメだし、その日蓮正宗から破門されて都合が悪くなった
点について取り繕った、創価学会の現在の教義もインチキである。

 所詮、どちらもカルトに過ぎないのだ。


追記

 秋谷氏や谷川氏をはじめとする学会幹部が、「日蓮正宗の教義は誤りだった」と気づい
たのならば、それは大いに結構なことである。

 しかし、「だから教義を変更するのだ」というのであれば、まず、その誤った教義を広
めるために強引な折伏を行い、多く人を傷つけ苦しめてきたことについて反省し、謝罪す
るべきではなかったのか。

 実際には、創価学会は平成28年(2016年)、会則前文に「創価学会仏」なる言葉を加
え、自己神格化を進めることを選んだ。つくづく度し難い連中である。


補足

 創価学会の教義変更と、教学部レポート・遠藤文書の関係については、以下のサイトの
解説が分かりやすい。

 よくわかる創価学会

 また、教学部レポートのほぼ全文が、樋田昌志氏が開設されているサイトで閲覧できる。

 樋田氏のサイト・toyoda.tv

 ※ 「創価教学部からの流出資料か」と題されたファイル

 遠藤文書については以下のサイトで閲覧できる。

 顕正会の崩壊は近い

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2019年12月1日日曜日

大御本尊と池田大作

 創価学会は元々、富士大石寺を総本山とする日蓮正宗の在家信者団体として発足した。
 そして、その信仰の核心にあったのは、まぎれもなく大石寺の大御本尊だった。

 創価学会が教義書として出版していた『折伏教典』には、大石寺の大御本尊だけが正し
い信仰の対象である旨が、繰り返し説かれている。


 P-89
>  しかして根本の本尊たる一閻浮提総与の大御本尊に向かって、南無妙法蓮華経と唱
> 題することによって、末法の一切衆生は救われるのである。この一閻浮提総与の大御
> 本尊は弘安二年十月十二日に顕わされ、この大御本尊を拝む以外に末法の衆生は根本
> 的に幸福にはなれないのである。
 (中略)
>  日蓮大聖人の出世のご本懐は、末法の一切衆生に一閻浮提総与の御本尊をお与えく
> ださることであり、この御本尊が、すなわち弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本
> 尊であり、今日、厳然として日蓮正宗富士大石寺に厳護され、学会員は登山して御開
> 扉をうけ、拝することができるのである。

 P-238
>  日蓮大聖人のご本懐は一閻浮提総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあることに間
> 違いなく、日蓮正宗はこれを本尊として日蓮大聖人のご遺志を継ぎ、一切民衆を救わ
> んとするものである。したがってこれは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にし
> て唯一の宗教である。

 P-339
>  御本尊が大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もない
> のである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。

 P-340
>  また信仰の対象として一切をささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山
> においてはご相伝により、代々の御法主猊下お一人が、おしたためあそばされるもの
> であり、三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊
> を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。

 ※ 創価学会教学部 編『折伏経典』改訂29版(昭和43年発行)から引用。『折伏教典』
  は何度も改訂されており、それぞれ内容が少しずつ異なっている。


 日蓮正宗の教義では、大御本尊は「末法の御本仏」である日蓮と「南無妙法蓮華経」と
を合わせた存在とされている(これを「人法一箇」という)。

 「大御本尊を拝まないものはすべて謗法」とされ、一方ではどんな願いでも叶える力が
あるとも宣伝されたことから、かつての創価学会では「登山会」と称して、大石寺の大御
本尊を参拝することが定例行事となっていた。往時は、そのために特別列車が仕立てられ
るほどの盛況だったという。

 創価学会は日蓮正宗の信徒団体でありながらも別の宗教法人でもあり、ある程度、独立
した行動を取り得る立場にあったが、絶対的な信仰の対象である大御本尊が富士大石寺に
あり、学会員たちの心がそちらを向いている以上、教義の解釈等については日蓮正宗に従
うしかなかったし、幹部であっても好き勝手なことはしにくかった。

 これが面白くなかった池田大作は、『人間革命』等を通じて「創価学会の会長は『御本
仏』と同等の存在である」という会長本仏論・池田本仏論を創価学会内に定着させること
で、学会員たちに対して日蓮正宗以上の影響力・支配力を持とうと画策した。

 また、出版物だけでなく、創価学会の会合でも幹部の指導により、池田に対する個人崇
拝が教えられた。元婦人部員が以下のような証言をしている。


>  私が結婚して、あるヤングミセスの集まりでのことです。「ご本尊様と池田先生と
> は、どちらが上か」という話になりました。手を挙げさせられたんです。ご本尊様と
> 思う人――ほとんどの人が「はい!」って手を挙げます。ところが、それは違う――
> 私たちは池田門下生だから、池田先生を通じてご本尊様の偉大さを教えていただくわ
> けだから、池田先生の方が上だ、ということを学会最高幹部が言うわけです。昭和四
> 十九、五十年ぐらいの幹部指導での話です。
 (創価学会・公明党を糾すOB有志の会 編著『サヨナラ私の池田大作』)


 こんなことを幹部が一般信者に指導していたのだから、日蓮正宗が創価学会を破門した
のは当然ではないかと思われる。

 学会幹部たちの指導が成果を上げたためか、婦人部員を中心に熱狂的に池田を崇拝する
学会員も増えていった(「婦人部と『無冠の友』」参照)。

 こうして創価学会には信仰上の求心力を持つ存在として、大石寺の大御本尊と池田大作
とが並立する状況が生じた。

 創価学会が破門を受けた平成3年(1991年)の時点で、学会員たちはどちらかを選ぶこ
とを突きつけられた訳だが、創価学会は破門を決定した大石寺法主の阿部日顕氏を非難す
る一方で、大御本尊の権威は尊重するという対応を取った。

 脱会者を増やさないためにも、学会員の動揺をできるだけ避けたかったのであろう。
 もっとも、当の池田センセイは破門されてからさほど時を置かずして、次のようにのた
まわれている。


> 「本門戒壇、板御本尊、何だ。ただの物です。一応の機械です。幸福製造機だから」
>  九三年九月七日の創価学会幹部会。池田は唯物論者顔負けのスピーチをしている。
 (野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』)


 御大は早々に「覚醒」されたようだが、こと信仰に関することだけに、普通の人間はそ
う急に頭を切り換えることはできない。創価学会もすぐには教義を変更しなかった。
 創価学会の会則では、教義について以下のように規定していた。


>  この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗
> 総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本と
> する。


 創価学会がこの教義を変更したのは、破門されて11年後の平成14年(2002年)のことで
ある。この時、日蓮正宗に関する記述が削られ、以下のように会則が変更された。


>  この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊
> を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流
> 布を実現することを大願とする。


 創価学会はさらに11年後の平成25年(2013年)、彼らが「精神の正史」と呼び、池田セ
ンセイが「恩師の真実の伝記」と自賛されるところの『人間革命』から、「教義を変更す
るのは誤った宗教」(第二巻)等の不都合な記述を削除したり、「大御本尊」という記述
をただの「御本尊」に変更したりといった改変を加えた第二版を発行するという小細工を
弄した後、翌平成26年(2014年)、ついに大御本尊を信仰の対象から外す教義改正を行っ
た。現在の会則は以下のとおり。


>  この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具
> 現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人
> が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願
> とする。


 新たな会則が規定する「御本尊」が具体的にどのようなものかは、聖教新聞に掲載され
た原田会長の談話で明らかにされた。


>  末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを
> 書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等し
> く「本門の本尊」であります。
 (中略)
>  したがって、会則の教義条項にいう「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認
> 定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしま
> せん。
 (『聖教新聞』平成26年11月8日付)


 過去に「大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もない。富
士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法」と主張してきたことと、まったく整合
しない教義の変更である。

 さらに平成27年(2015年)には、初代牧口常三郎、第二代戸田城聖、第三代池田大作の
三代の会長を「永遠の師匠」とする会則変更がなされた(それ以前は「永遠の指導者」と
規定されていた)。

 平成28年(2016年)、三代会長の規定に第2項が加えられ、「『三代会長』の敬称は、
『先生』とする」とされた。これにより、創価学会内において「先生」という敬称で呼ば
れるのは、牧口、戸田、池田の三代会長のみに限られることになった。

 こうした教義改正がなされた背景には、創価学会がいつまでも大石寺の大御本尊に執着
する姿勢を見せていることが、脱会して日蓮正宗の信徒になる者が出る一因となっている
ことや、池田大作への個人崇拝をより強固なものとする以外に、組織への忠誠心を維持す
る術がなくなったことがあると考えられる。

 聖教新聞では、毎日のように池田センセイの偉大さを称える記事が掲載されて続けてい
るが、9年前に病に倒れ人前に姿を見せなくなった池田が、カリスマ性を維持し続けるの
は難しいだろう。

 創価学会が創立記念日に合わせて打ち出した来年の方針では、『人間革命』『新・人間
革命』の熟読に取り組むことを学会員に求めている。

 『人間革命』には池田センセイが恩師・戸田センセイにいかに忠実に仕えたかが描かれ、
『新・人間革命』では創価学会会長に就任した池田センセイがいかに偉大だったかが自賛
されている。どちらもセンセイの代表作である(実際はゴーストライターが書いた)。

 一方で、創価学会から脱会して日蓮正宗に移る者も、毎年、それなりにいるらしい。
 大御本尊と池田大作という2つの求心力の間での綱引きは、現在も続いているのだ。両
方ともインチキの塊なので、私には度し難いとしか言いようがないが……。

 池田に残された時間は長くはないし、大御本尊もいずれは腐朽するであろうが、どちら
が長持ちするかと言えば、それは大御本尊の方であろう。

 日蓮正宗もカルトなのであまり肩入れしたくはなくないが、創価学会よりはマシなので、
法華講の皆さんには学会員相手に折伏に励んでいただきたいと思う(個人的には、一般人
を巻き込まずに、カルト同士で潰しあってほしいと強く希望したい)。

参考文献
柿田睦夫著『創価学会の“変貌”』


補足1 創価学会の来年の活動方針

 本文に記した創価学会の活動方針では、その第1に「折伏・弘教」が掲げられ、第2は
「励ましの拡大」と題し、内部での活動家育成を訴えている。

 そして第3には「前進・人材の要諦は小説『新・人間革命』」と銘打って、次のように
主張している。

>  ◇小説『人間革命』(全12巻)『新・人間革命』(全30巻)の研さん・熟読に取り
> 組もう。「聖教電子版」や「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」なども
> 活用し、師弟の道を学び、自ら実践しながら、自分自身の人間革命に挑戦していこう。
 (『聖教新聞』2019〔令和元年〕11月19日付)

 『人間革命』『新・人間革命』の学習を通じて、池田大作に対する個人崇拝を強化する
狙いがあると考えられる。


補足2 日蓮正宗に供養する学会員

 前回引用した聖教新聞の教学特集には、日蓮正宗への供養を戒める記述もあった。

>  人々を間違った方向に導いてしまう日顕宗などに供養することは、利益するどころ
> か、かえって衆生を悪道に導いてしまうことにほかなりません。
 (『聖教新聞』2019年〔令和元年〕11月12日付)

 ※ 創価学会は破門されて以来、日蓮正宗を「日顕宗」と呼び続けている。

 学会員の中にも、葬儀等に際して日蓮正宗の僧侶に導師を依頼し、その際にお布施する
者がそれなりにいることから、こうして釘を刺す必要があるのだろう。

 池田大作が高齢のために姿を見せなくなり、求心力も低下しつつあることが、学会員の
日蓮正宗への回帰を促しているのかもしれない。

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2019年11月24日日曜日

三たび「財務」について

 創価学会の毎年恒例の金集め、財務が今月末から始まる。すでに多く学会員が振込用紙
を兼ねた広布部員証を受け取っていることであろう。

 学会員の財務への意欲を盛り上げるため、聖教新聞でもその意義が強調されている。今
月12日付には「御書に学ぶ御供養の精神」と題された、教学の特集記事が掲載された。


 〈一部抜粋〉
>  広宣流布のために供養する真心は、必ず大きな福徳となって、自分自身だけでなく、
> 三世にわたって一家一族をも包み込んでいくことは間違いありません。
>  世界広布が進む今、一閻浮提広宣流布を現実のものとする学会への真心の供養は、
> 平和と幸福の光を世界に広げていくことになるのです。
 (『聖教新聞』2019年〔令和元年〕11月12日付)


 この記事には「池田先生の指導から」として、『新・人間革命』第四巻から、供養の意
義を説いた箇所が引用されていた。


>  学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のための
> ものである。大聖人の立てられた大願を成就するために行う供養は、御本仏への供養
> に通じよう。ならば、これに勝る供養もなければ、大善もない。ゆえに、これに勝る
> 大功徳もないはずである。


 創価学会の財務を、唯一の正法である日蓮仏法を世界に広めるためのものと純真に信じ
ている学会員も、もちろんいるのであろう。

 しかし、多額の金が動くこの機会に乗じて、良からぬことを企てる輩もいるようである。
 今月20日付に掲載された原田会長の指導の一部に、過去に問題があったことを示唆する
記述があった。当該箇所を以下に引く。


>  一、いよいよ今月28日からは、財務納金が始まります。御聖訓に「供養し給ういづ
> れも・いづれも功徳に・ならざるはなし」(御書1098ページ)と仰せの通り、総本部
> が着々と整備され、創立90周年、さらには100周年へと、世界広布が勢いを増す中で、
> それを支える財務の功徳は計り知れません。
>  世間では、架空請求のハガキやSNS・メールが届くなど、年々、詐欺事件が巧妙
> になっています。改めて確認すれば、振込用紙に記載された振込先が変わることはあ
> りませんし、財務を誰かが預かるようなことも決してありません。
>  絶対無事故で、福徳あふれる財務となるよう真剣に祈りながら、本年の総仕上げを
> 飾っていきたい。
 (『聖教新聞』2019年〔令和元年〕11月20日付)


 原田会長の言葉からは、「振込用紙に記載された振込先が変わった」と偽って金を騙し
取ろうとしたり、高齢者等に「代わりに振り込んでおく」などと言って金を預かり、その
まま着服しようとしたりした者が、過去にいたのであろうことが読み取れる。

 30年ほど前まで、財務は振り込みではなく現金で集められていたそうだが、その当時は
どれほどの不正がはびこっていたのだろうか……。

 仮に財務に便乗した詐欺がなかったとしても、私のような不信心者からすれば、そもそ
も創価学会の財務は職業幹部の高給やゼネコンから票を買って権力を維持することを目的
としたもので、それに崇高な宗教的意義があるように説くこと自体、インチキである。

 財務から高給を受け取っている原田会長をはじめとする本部職員には、「功徳」は間違
いなくあるのだろうが、金を貢ぐ一方の末端信者には「功徳」も「福徳」もありはしない
のだ。ただの搾取とどう違うと言うのだろう。

 財務の欺瞞については、これまでに多くの批判者が言及している。
 前回、創価学会の会館建設には、裏金作りという隠された役割があることを述べたが、
財務で集められた莫大な金も、その一部は裏金になっていたという。


>  ある現役の学会幹部が絶対匿名を条件に明かす。
>  「会員から集まった財務などは最終的には三菱銀行(現・東京三菱銀行)の学会
> 本部の口座に入るわけですが、そのうち、オモテの金となる一般会計にいくら入れ
> るかは、池田のツルの一声で決まる。で、池田の指示を受けた学会本部の経理局長
> が三菱銀行のお偉いさんのところに行って、最終的に『じゃあ、今回は○億円を一
> 般会計に入れます』と話をつけてくるわけです」
 (古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』)


 裏金にはこの他にも公明党議員からの上納金である「P献金」などがあり、その使途
は池田大作の個人的な蓄財――税務申告などしていない不正な蓄財――や、池田が海外
の要人と会ったり名誉学位等を手に入れたりするための工作費用だったという。

 池田が健在だったころは、彼が創価学会の金も人事もすべてを掌握していたというが、
現在はどうなのだろう。

 今年、原田会長の任期が満了するのにあわせて、新たな会長として谷川佳樹氏が選ば
れるのではないかとの予想もあったが、実際には全会一致で原田氏が再任された。

 ことが巨額の金と権力が関係する重要人事である以上、水面下で闘争があったのではな
いかと考えたくなるが、実情は杳として知れない。

 こうしたことは往時であれば週刊誌等の格好のネタだったはずだが、かつては薄給だ
った本部職員が高給取りになり、情報をリークする者が少なくなった事や、出版産業が
斜陽化する中で無視できないスポンサーとなった創価学会への忖度が背景となって、創
価学会の内部事情に関する報道は、以前より確実に少なくなっている。

 公明党が政権与党に入り込み、しかも自民党との政策のすり合わせは公明党の頭越し
に創価学会首脳部が行っていると言われる現在、創価学会の動向が持つ意味はかつてよ
り大きくなっているにもかかわらず……。

 創価学会のような得体の知れないカルトが、一般国民のあずかり知らないところで国
政に影響力を行使することが好ましいことのはずがない。

 このカルトの影響力の源泉は、その集票力と資金力にある。財務に疑問を持つ学会員
が増えることは、間違いなく創価学会の力を削ぎ、社会を健全化する一助になる。

 学会員の皆さんには、「真心の供養」だと信じてきた財務が、実は犯罪の温床になっ
たり裏金作りや不正蓄財に利用されたりしてきた現実を直視し、そんなものが本当に功
徳や福運をもたらすかどうか、是非とも自分の頭で考えていただきたいと思う。

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2019年11月17日日曜日

創価学会はなぜ会館建設を続けるのか?

 これまでの人生を創価学会との関わりをほとんど持たずに送ってこられたという、幸運
な方であっても、その他を圧する巨大な会館を目にして驚いた経験ならばある方は、多い
のではないだろうか。

 創価学会は全国各地に「○×会館」等の施設を建てているが、中でも地域の中心となる
施設ともなると、前述のように周囲の建造物よりもひときわ大きいことも珍しくなく、学
会員でない者にとっては、異様な存在として目に映ることだろう。

 そうした学会施設が特に密集しているのが、彼らの本部が所在する信濃町(東京都新宿
区)である。

 信濃町には先ごろ、聖教新聞社の新社屋となる「世界聖教会館」が竣工し、創立記念日
の11月18日に開館する予定となっている。

 世界聖教会館の敷地には、以前、東京電力病院があったが、東京電力が経営合理化に迫
られて手放し、創価学会が購入した。世界聖教会館は、地上5階、地下2階、延床面積1万
4500㎡の規模だという。

 創価学会はこの他にも、今年9月に牧口記念墓地公園を開園させている。これは66万㎡
の敷地に墓石2万基が並ぶという巨大墓園で、創価学会の初代会長・牧口常三郎の出生地
である新潟県柏崎市に建設された。

 創価学会がこのような巨大施設を作り続けているのは、学会員たちに対して目に見える
成果を示す必要があるからだという。

 このことについて、ジャーナリスト・野田峯雄氏が創価学会の元最高幹部の述懐を著書
に記している。


> 「こんなサイクルを描いています――学会員数の増加と彼らの心の吸引→より豪華な
> 施設づくり→大量の建設活動資金の確保→新学会員の獲得もしくは現学会員に対する
> 献金とか布施(財務や広布基金)の要求→より豪華な施設づくり。そうしたサイクル
> のどこかがひとつでも崩れるとたちまち組織は危殆に瀕してしまう。けっしておおげ
> さにいっているわけじゃありません。施設づくりが学会の死命を制しているのです。
> 最高の『売り』になっている。ややこしい抽象的な用語、観念用語で金の集まる時代
> じゃない。『心』なんて、目にみえない。施設づくりは一般学会員たちを結集させ金
> を出させるまさに具体的な、目にみえる材料。じつにわかりやすい材料です。だから、
> それは見栄えのするものであればあるほどいい。利用価値があるのかどうかはたいし
> て重要ではない。同じようなものがいくつあったってかまわない、『そこに私たちの
> 会館がある』『いま私たちの会館をつくっている』、それで十分なのです。彼らにと
> っては施設をつくること自体が目的なのです。たとえば信濃町の異常膨張は、このコ
> ンテクストでみないと理解することができません。彼らは施設づくりを目的化してし
> まっている。いや、『彼らは』というより『彼は』といったほうが正確ですね」
>  このような組織経営による利益を最大限享受している「彼」こそ、そのしくみをも
> っともよく知っていると元最高幹部の一人はつけ加えた。
 (野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』)

 ※ 「彼」とは、言うまでもなく池田大作のことである。


 本書は平成9年(1997年)に原著が出版され、その後、平成12年(2000年)に増補版が
出ている。

 引用中の「学会員数の増加」は、現状では「学会員数の維持」もしくは「減少に歯止め
をかけること」に変わっていると言うべきだが、それ以外の学会員の心理についての考察
は、現在でもおおむね妥当だと見てよいだろう。

 加えて、学会員活動家の高齢化と減少が進んだ昨今では、選挙で公明党候補を当選させ
るために必要なゼネコン票の重みが増しているため、学会施設を作り続けることの意味は
より大きくなっているものと考えられる。

 また、学会施設の建設は、もっと直接的な利益をも池田大作にもたらしていた。
 それは、キックバックによる裏金づくりである。ジャーナリスト・古川利明氏が著書に
現役の学会幹部による証言を記している。


>  前出の現役学会幹部は言う。
>  「私が直接、間組(現・ハザマ)の幹部から聞いたことがありますが、そのキック・
> バックの額はズバリ、工事費の二〇%です」
>  仮に会館建設に五十億円がかかった場合、その五十億円は学会本部から「オモテの
> 金」としてゼネコンに支払われるわけだが、逆に、同時にその二〇%にあたる十億円
> がキック・バックとして池田の手元に「裏金」になって戻ってくるわけだ。
 (古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』)

 ※ 現在のハザマは安藤建設と合併して「安藤ハザマ」になっている。


 この本が出版されたのは平成11年(1999年)、今から20年も前の話である。
 当時は健在だった池田大作も、現在では表に姿を見せることはなくなった。

 毎年のように大規模な施設を作り続けている創価学会の建設費の20%となると、数十億
円、あるいはそれ以上あっても不自然ではない。

 巨額の裏金は、その後、どうなったのであろうか。
 利権をめぐる暗闘があったではないかと想像できるが、確たる情報はない……。

 創価学会は、今後も学会施設の建設を続けるという。
 信濃町では現在、創価宝光会館(新接遇センター)が建設中であり、来年4月には城北
池田記念講堂(東京都北区)の着工が予定されている。全国各地でも、より小規模であろ
うが、会館の新築や建替えが続けられてゆくのだろう。

 真心からの信心を形にする機会とされる「財務」が今月末から始まるが、学会員の真心
が実は「裏金」に化けていたことを知ったら、彼らはどう思うだろうか。

 真心からだろうが何だろうが、カルトに金を貢いでもロクなことに使われはしないのだ。
 一人でも多くの学会員に、一日も早く目を覚ましてもらいたいものである。

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2019年11月10日日曜日

創価批判コピペ集‐⑯(「創価学会と韓国」他)

◇◆◇ 創価学会と韓国 ◇◆◇

創価学会には在日韓国人の信者が多い。近年、創価学会は海外布教に力を入れているが、
日本以外で最も多くの信者がいる国も韓国である。そのため、韓国には気を遣ってきた。

創価学会の福岡研修道場にある「韓日友好の碑」には、日本を「小国」とし韓国を「師
恩の国」と述べる池田大作名誉会長の詩が刻まれている。また、日本と韓国の創価学会
の代表者が出席した「韓日友好代表者会議」で、池田は以下のようなスピーチを行った。

>  韓国は、日本にとって「文化大恩」の「兄の国」である。「師匠の国」なのであ
> る。その大恩を踏みにじり、貴国を侵略したのが日本であった。ゆえに私は、永遠
> に貴国に罪滅ぼしをしていく決心である。最大限の礼をもって、永遠に貴国と友情
> を結び、貴国の発展に尽くしていく決心である。(『聖教新聞』2000年5月22日付)

創価学会は言葉で韓国に媚びへつらうだけでなく、公明党を通じて在日参政権の実現を
目指しており、日本人信者に対しても、韓国を「兄の国」として敬うよう洗脳している。



◇◆◇ 創価学会員が神社を敵視する理由 ◇◆◇

創価学会の初代会長、牧口常三郎は戦時中、治安維持法違反で投獄され、栄養失調で獄死した。
現在の学会では牧口は国家神道と戦った殉教者で、「神道は初代会長のかたき」とされている。

牧口逮捕の理由は、当時、全戸に配布されていた神札の受け取りを、ある時期までは拒否して
いたことだが、捜査の端緒は学会員の強引な折伏を受けた被害者が、警察に訴えたことだった。

その後、当時の理事長、戸田城聖は「神札を粗末に扱わないように」との文書を会内に発した。
牧口も以前より靖国神社に参拝し神道と折り合いをつけており、全否定していたとは言い難い。

戦時中、創価学会が国家神道と戦い抜いたという事実でない説明が現在の学会でされる一因と
して、戦後、朝鮮戦争等を背景として、多くの人々が朝鮮半島から日本に流入したことがある。

創価学会はこうした人々を新たな信者としたが、日本の伝統に拒否感を持つ彼らが、学会員と
なるのに際して、代表的な日本文化である神道を全否定する姿勢を示したことが有利に働いた。
これが「鳥居をくぐると地獄に堕ちる」と、神社に近づかない学会員が多い背景となっている。



 ※ 「創価学会と韓国」は以前の投稿の要約。

解説

 よく知られているように、聖教新聞などの創価学会のメディアでは「日本と韓国」につ
いて言及する際、「日韓」ではなく「韓日」と略することが多かった。

 近年では、池田大作が韓国の自治体等から顕彰を受けたこと等を報じる記事で、韓国側
の発言を引用する形で「韓日」を使うことが多い(そうした文脈で用いるにしても、不自
然に「韓日」が強調されていることが少なくない)。

 現在では、こうした表現が韓国への過剰な配慮と見られないように、一応は工夫してい
るわけだが、数年ほど前までは、聖教新聞等では「韓日」という表現が普通に用いられて
いた。

 創価学会がそこまで韓国に気を遣ってきたのは、学会員の中に在日韓国人が占める割合
が大きいからだと考えられる。

 一般の日本人よりも、外国人の方を優先するかのような姿勢を見せてきた創価学会が、
公明党を介して与党に入り込んでいる現状には、もっと多くの国民が危機感を持つべきで
ないかと思うのは、私一人だけではないはずである。

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2019年11月3日日曜日

創価学会員の話術

 創価学会員の中には、折伏等に際して独特の話術を用いる者がいる。議論の旗色が悪く
なるとすぐに話題を変え、負けを認めないことなどがその特色である。

 個人的なことで恐縮だが、私が折伏を受けた際にも、創価学会の教義と法華経の教えが
矛盾していることを指摘したところ、相手の学会員がすぐさま話を反らし、「科学的根拠
を示せ」などと言い始めたことがある(「創価学会と法華経」参照)。

 このような話術は折伏のみならず、その他の機会にも用いられる。例えば、マイ聖教の
ノルマを他の学会員に押しつける時などである。

 こうした行為は、創価学会での役職が上の者が目下の立場の相手に対して行うことが多
いようである。以下に、そのおおよその特徴を記す。

 まず、どちらの立場が上かを誇示するために、あからさまに上から目線の態度を取る。
最初から気迫で呑んでかかるのである。

 次に話の内容が要領を得ず、聴いている側には何を言いたいのかさっぱり分からないこ
とが挙げられる。聴き手が「もっと分かりやすく話してほしい」と頼んだり、何か質問し
たりしても、上述のようにすぐに話を反らし、言語明瞭、意味不明を地でいく話を続ける。

 このような話し方をするのは、そもそも何かを伝えることが目的ではなく、相手を屈服
させるために長話をしているからである。

 活動家の中には、こうした無駄話を1時間以上も続けられる者も少なくない。
 そして聴き手が根負けした頃を見計らって、本題であるマイ聖教の話を切り出すのだ。

 「私がこんなにも時間をかけて話をしてあげたというのに、あなたはまったく理解でき
ていない。それはあなたの境涯が低いから。
 では、境涯を開くにはどうすればいいか……。聖教新聞をもう一部取りなさい。聖教新
聞は池田先生からのお手紙だから、間違いなく功徳があるし、境涯が開けるから」

 こうして、マイ聖教のノルマを押しつけるのだ。 
 説得や要請よりも、吊し上げに近いやり方である。

 普通の人が何か話をする際は、相手に何かを伝えたり共感を求めたりするものだが、創
価学会員は相手に理解できない話をすることで、自分の方が格上だと認めさせ、要求を飲
ませることを目的として、意味不明な長話をするのである。

 このようなやり方で目下の者に面倒なことを押しつける幹部は、創価学会では「生命力
が強い」などと言われ、信心が立派な証として高く評価されるのだという……。


 創価学会の内部でどんな話をしようと彼らの勝手であり、外部の一般人には関係のない
ことだと思われる方もいらっしゃるであろうが、学会員の中には上述の話術を一般社会で
も用いる者が時としている。

 取引先へのプレゼン、上司への報告、人事異動に際しての引き継ぎなど、説明をしなけ
ればならない機会はビジネスシーンにおいても多い。

 そのような場合に求められるのは、簡潔にして要を得た説明である。話をする目的が、
相手に必要な情報を伝達することにあることは言うまでもない。

 そのような状況で、長時間にわたって要領を得ない話をすることで、聴き手を屈服させ
ることを目的とした話術を披露することが、どれほど場違いなことかは言われなくても分
かりそうなものだが、学会員の中には「世の中で本当に価値のあることをしているのは、
私たち創価学会だけ。だから学会のやり方は、世界中どこでも通用するはず」と、信じて
いる者も少なくない。

 想像して欲しい。仕事の引き継ぎの際に要領を得ない話を長時間続け、こちらが困惑し
ているのを見て「どうだ! どっちが格上か思い知ったか!」と、言わんばかりの勝ち誇
った態度を取る前任者に遭遇したら、あなたならどう思うだろうか。

 たいていの人は「こいつは頭がおかしいんじゃないか」とか、「無能」と感じることだ
ろう。

 創価学会の教義では「学会員は正しい仏法を広める使命を帯びた菩薩であり、普通の人
より高い境涯にある」ということになっている。

 そのため、一般人は自分たちに対して敬意を払って然るべきと考え、学会員でない者を
見下す者までいる。

 しかし、当然のことながら、一般社会で創価学会員が無条件に尊敬されることなどない。
むしろ、カルト信者として胡乱な目で見られることの方が多いだろう。

 選民思想に毒された学会員がこうした認識のギャップに不満を持ち、他人に何かを説明
しなければならない状況を「自分たち学会員の境涯の高さを示してやる好機」と見なして、
上述のような履き違えた態度をとるのではないかと考えられる。

 あるいは「仏法は勝負」という、池田センセイの教えを実践する機会とでも思っている
のかもしれない。

 もちろん、すべての学会員がこのような態度をとるわけではない。時と場所をわきまえ、
創価学会での行動様式を外部には持ち出さない者も少なからずいる。

 だが、「創価学会の中で高く評価されているやり方を、境涯の低い一般の奴らが受け入
れないのなら、それは世間の方が間違っている」と言わんばかりに、創価学会流の非常識
を一般人に押しつけようとする学会員が一定数いることもまた、否定できない事実である。

 一般人に対して上述のような話術を用いる者は、学会員の中でも特に狂信的な部類であ
ろうから、そのような者に遭遇した場合、危険なカルト信者である可能性が高いと考え、
敬して遠ざけるのが無難であろう。

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2019年10月27日日曜日

相承疑惑について

 日蓮正宗の第67世法主を務めた故・阿部日顕氏について、創価学会は過去20年間、「先
代の細井日達氏から相承を受けていないニセ法主である」と、主張してきた。

 この相承についての疑惑を最初に公の場で述べたのは、創価学会の元顧問弁護士だった
山崎正友氏である。山崎氏は週刊文春に掲載された手記で、以下のように述べている。


>  日達上人は、事実上の“指名”なり、心づもりなりを周囲の人人に話されたことはあ
> るが、“御相伝”そのものは、なされていた形が、どこにも見当らない。見た人は、だ
> れもいなかった。
 (『週刊文春』1980年11月20日号)

>  阿部日顕は、昭和五十三年四月当時、「大僧都」の位だったから、相伝を受ける資
> 格は“緊急止むを得ざるとき”以外にない。当時の状況からみて、緊急止むを得ぬとは
> まったく云えないし、もし本当にゆずり受けたのなら、そのとき少なくとも能化にな
> っているか、宗規に従って「学頭職」についていなくてはならないのである。
>  あらゆる状況――前後を通じて――から見て、阿部日顕は、相伝を受けているとは
> 考えられず、また、宗規に照らしても、違法である。
 (『週刊文春』1981年2月12日号)


 こうした見方をしていたのは山崎氏だけではなく、日蓮正宗の僧侶の中にも、阿部日顕
氏の相承を疑う者は少なくなかった。

 当時の日蓮正宗内部には、創価学会が事実上、池田大作への個人崇拝を信仰の核とする
集団になっていること等について、教義からの逸脱であるとして憤りを隠さない僧侶も多
かった。

 法主になる前から創価学会に対して宥和的だった阿部氏は、就任後、学会への批判を禁
止した。反学会派の僧侶たちがそれに抗議して大規模な集会を開くなどしたため、阿部氏
は罷免や降格などの強硬な対応をとった。

 処分を受けた僧たちは、日蓮正宗から離脱して新たに正信会を結成。昭和56年(1981年)
1月には、阿部氏を相手どって、日蓮正宗管長としての地位不存在確認を求める訴訟を起
こした。

 この裁判の第一審判決は、昭和58年(1983年)3月30日に出され、原告側(正信会)の訴
えが退けられる結果となった。翌日の聖教新聞は以下のように伝えている。

(『聖教新聞』昭和58年〔1983年〕3月31日付)

 〈一部抜粋〉
>  御法主日顕上人猊下の血脈を否定する者(岩瀬正山ほか一七五人)が、日顕上人猊
> 下等を相手どって日蓮正宗の管長、代表役員の地位不存在確認の本訴と、それらの職
> 務執行停止を求める仮処分の裁判を起こしていたが、静岡地裁(高瀬秀雄裁判長)は
> 三十日、宗門側の主張を全面的に認め、岩瀬らの訴えをしりぞけた。
>  日顕上人猊下を訴えていたのは「正信会」を称する一派で、彼らは全員、日顕上人
> の血脈を否定し、異議異端の徒としてすでに擯斥処分(僧籍はく脱)に付されている。
 (中略)
>  当然、予測された判決とはいえ、信教の自由を守る基本精神のうえからも、高く評
> 価されてよい。


 裁判所が正信会の主張を退けた理由は、「宗教上の教義ないし信仰の内容にかかわる事
項についてまで裁判所の審判権が及ぶものではない」との判断による。

 つまり、教義上の問題について判断するのは裁判所の役割ではない、ということである。
 この裁判はその後、最高裁まで争われたが、そこでも一審と同じ理由で正信会側が敗訴
している(この事件は「審判権の限界」に関する代表的な判例の一つとされている)。

 この件は、創価学会の幹部にも感銘を与えたものと見え、副会長だった野崎勲氏がサン
デー毎日に寄港した「学会批判者たちの終焉」で論評を加えている。


>  この裁判は、山崎が昭和五十五年十一月に「週刊文春」の手記で、日蓮正宗の現法
> 主である日顕上人猊下の血脈相承についてうんぬんしたのをキッカケとして、山崎を
> “軍師”と仰ぐ元日蓮正宗僧侶グループ「正信会」が現法主を“身分詐称”呼ばわりして
> 五十六年一月に提訴したものである。しかし、この血脈論議の奇妙なところは、日顕
> 上人が先代日達上人の後を継がれて法主の座につかれた五十四年の七月時点はもちろ
> んのこと、それから一年すぎても当の「正信会」はおろか、山崎自身も含め、宗内の
> 何人も何らの異議も唱えていなかったということである。
 (中略)
>  もとより、こうしたおかしな経過に、明らかなように、この訴訟自体、到底まとも
> なものでないことはいうまでもないが、本年三月三十日、静岡地裁は、宗門側の主張
> を全面的に認め、「正信会」側訴えを却下する判決を言い渡したのである。
 (『サンデー毎日』1983年5月29日号)


 野崎氏は京大卒の俊英として、若くして池田センセイから重用された逸材というだけあ
って、その主張は一応もっともなもののように思える。少なくとも私ごときには、反論す
るスキを見つけられそうにない……。

 しかし、この野崎副会長のご高見に対し、真っ向から異議を申し立てる者が、時を隔て
ること十数年後に現われたのである。何という身の程知らずであろうか。

(『創価新報』平成11年〔1999年〕6月2日付)

 創価学会は平成3年(1991年)に日蓮正宗から破門されて以来、その決定を下した阿部
日顕氏を悪罵し続けていたが、彼の法主としての地位そのものに疑問を呈する主張をした
のは、この創価新報の記事が初めてだった。

 ※ 創価新報は平成11年5月5日付で「日顕10の大罪」と題した特集記事を掲載し、阿部
  氏を「仏法史上、最大の破壊魔」「人類の敵」などと中傷しているが、その際に挙げ
  られた10の罪過の中に、相承に関するものはなかった。

 これ以降、創価学会による阿部日顕氏への罵詈雑言に、新たに「ニセ法主」が加わった
のである。

(『聖教新聞』平成11年〔1999年〕8月10日付)

 彼ら自身が、過去に「阿部氏が法主に就任した直後に異議を唱えなかった者が、何年も
経ってから疑いの声を上げるのはおかしい」と主張していたことを忘れたのであろうか。

 私には「一目で分かる偽法主を、『御法主日顕上人猊下』と呼び奉っていた新聞がある
らしい(爆笑)」としか、言いようがない。

 学会員に言わせると「たとえ何があろうと、創価学会は絶対に正しい」らしいのだが、
実際に彼らが主張してきたことの多くは、まったく一貫性がなく、その時々で都合のいい
ことを言い張っているだけにしか見えない。

 創価学会の主張のほとんどは、何の正当性もない世迷言に過ぎないのだ。阿部日顕氏の
相承についての彼らの言い分の変遷は、それを証明する好例である。


蛇足

 阿部日顕氏が実際に相承を受けたか否かについては、私には判断のしようがない。
 創価学会は「相承はなかった」と言い張っているし、日蓮正宗は「相承はあった」と言
い続けている。部外者にとっては、不毛な水かけ論でしかない。

 当ブログで述べてきたように、私は日蓮の教えが「唯一の正統な仏法」だとは考えてい
ないし、一歩譲って日蓮の教えに何らかの意義があると認めたとしても、日蓮正宗や創価
学会がその正統な継承者だとは言えない。

 繰返しになるが、阿部日顕氏に相承があろうとあるまいと、創価学会や日蓮正宗がカル
トであることに何に変わりもないのである。


補足 山崎正友氏について

 阿部日顕氏の相承に関する疑惑について最初に口火を切った山崎正友氏は、後に前言を
翻して阿部氏を正統な法主と認め、日蓮正宗に帰服した。

 山崎氏が法主就任直後の阿部氏を敵視したのは、阿部氏が創価学会に対して過度に肩入
れしたためだと思われる。

 当時の山崎氏は、既に創価学会と激しく対立していたため、池田大作の傀儡のように振
る舞う阿部氏も許せなかったのであろう。

 しかし、後年、池田に愛想をつかした阿部氏が創価学会を破門したことを見て、評価を
改めた。山崎氏は創価学会の破門を知った感慨を、以下のように述べている。

>  平成三年暮、池田大作が日蓮正宗から破門されたニュースが新聞に掲載され、テレ
> ビで放映された。週刊誌の報道が続いた。
 (中略)
>  創価学会にかかわってから、三十五年になる。私の人生の働きざかりのすべての期
> 間である。初めの二十年はひたすら池田大作に忠節をつくし、創価学会を大きくし守
> ることに尽くした。あとの十五年は、池田大作の野望を阻止し、創価学会を倒すこと
> に全力を傾注した。創価学会にふりまわされた人生だった。それとも、いよいよお別
> れである。三十五年ぶりの、心の解放感だった。それにしても日蓮正宗の首脳は、よ
> くぞ決断されたものだと思った。
 (山崎正友著『平成獄中見聞録』)

 ※ 当時、山崎氏は創価学会に対しての恐喝事件で有罪判決を受け、黒羽刑務所に服役
  中だった。有罪になったことについて山崎氏は、「創価学会側の集団偽証のため」と
  主張していた。

 山崎氏が誠実な信仰者であったとは言い難いのも事実である。彼が阿部氏に前非を詫び
て関係修復を図ったのは、創価学会との敵対関係が抜き差しならないものになっていたた
め、日蓮正宗とも敵対し続けるのは賢明ではないという打算もあったのではないかと思わ
れる。

 信仰を人生における最重要事項とみなす人々の中には、山崎氏の変節を許せない方もい
るのだろう。創価学会に批判的な方の中にも、山崎氏には辛口の評価を下す向きも少なく
ない。

 しかし、私から見れば山崎氏は、創価学会と池田大作の反社会性を暴いた最大の功労者
の一人である。山崎氏の功罪についても、折を見て論じたいと思う。

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