2018年8月5日日曜日

日蓮と禅①

 ※ 今回は日蓮遺文に加えて、栄西の『興禅護国論』、道元の『正法眼蔵』も引用する。

 日蓮は、禅宗を「天魔の所為」と非難した。彼が名指しで非難している禅僧としては、
大日房能忍と蘭渓道隆が挙げられるが、様々な理由から、この両者を一括りにして論じる
訳にはいかない。今回は、大日房能忍について論じたい。

1.大日房能忍について

 大日房能忍は、達磨宗と称する一派を立てた僧である。達磨宗が廃れたこともあって、
その事績については不明な点が多く、生没年すら不詳であるが、日蓮よりも数十年ほど前、
法然と同時代に活躍したのは確かなようである。


>  然るに後鳥羽院の御宇・建仁年中に法然・大日とて二人の増上慢の者有り悪鬼其の
> 身に入つて国中の上下を誑惑し代を挙げて念仏者と成り人毎に禅宗に趣く、存の外に
> 山門の御帰依浅薄なり国中の法華真言の学者棄て置かれ了んぬ、故に叡山守護の天照
> 太神・正八幡宮・山王七社・国中守護の諸大善神法味を飱わずして威光を失い国土を
> 捨て去り了んぬ、悪鬼便りを得て災難を致し結句他国より此の国を破る可き先相勘う
> る所なり
 (『安国論御勘由来』〔真蹟 中山法華経寺〕より引用)


>  建仁年中に、法然・大日の二人出来して、念仏宗・禅宗を興行す。法然云はく「法
> 華経は末法に入っては、未有一人得者・千中無一」等云云。大日云はく「教外別伝」
> 等云云。此の両義、国土に充満せり。天台・真言の学者等、念仏・禅の檀那をへつら
> いをそるる事、犬の主にををふり、ねづみの猫ををそるるがごとし。国王、将軍にみ
> やつかひ、破仏法の因縁、破国の因縁を能く説き能くかたるなり。
 (『開目抄』〔真蹟 身延曾存〕より引用)


 日蓮は、法然と能忍を「二人の増上慢の者」として、一緒に批判している。日蓮が存命
中の頃は、法然と能忍の影響が双方とも大きく残っており、日蓮は両者を正法である法華
経の敵として論難したのであろう。

 法然が開いた浄土宗は現在も残っており、また法然の弟子・親鸞が開いた浄土真宗、法
然の孫弟子のさらに弟子にあたる一遍が開いた時宗も、現在に伝わっている。

 だから日蓮が法然を非難したことに基づいて、創価学会員や日蓮正宗の法華講員が、浄
土系伝統宗派を批判することは、まったく故なきことではない(私としては前々回前回
述べたとおり、日蓮の主張には賛成できないが)。

 だが、先に述べたとおり、大日房能忍が開いた達磨宗は現存しない。日蓮が能忍の宗旨
を天魔呼ばわりしたからといって、それをそのまま現存する禅宗である臨済宗・曹洞宗へ
適用するのは無理筋というものである。

 なぜなら、臨済宗・曹洞宗とも法華経を重視する宗派だし、しかも、その祖師である栄
西・道元ともに、能忍に対しては批判的だったからである。
 栄西は主著『興禅護国論』で、達磨宗について以下のような批判を加えている。


【書き下し文】
>  問うて曰く、「或人、妄りに禅宗を称して名づけて達磨宗と曰ふ。而して自ら云ふ、
> 無行無修、本より煩悩無く、元より是れ菩提、是の故に事戒を用ひず、事行を用ひず、
> 只応に偃臥を用ふべし。何ぞ念仏を修し、舎利に供し、長斎節食することを労せんや、
> と云云。是の義は如何」。
>  答へて曰く、「其の人は悪として造らざること無きの類なり。聖教の中、空見と言
> ふ者の如き是れなり。此の人と共に語り同座すべからず。応に百由旬を避くべし。
 (中略)
>  是れ即ち淮北河北に昔、狂人有りて、僅に禅法の殊勝なるを聞くを、其の作法を知
> らず、只自恣に坐禅して事理の行を廃し、以て邪見の網に繫るの人なり。此の人を号
> し悪取空の師と為す。是は仏法中の死屍なり。
>  宗鏡録に一百二十見を破する中に云く、「或いは無礙に傚ひて修行を放捨し、或い
> は結使随つて本性空なるを恃む。並に是れ宗に迷ひ旨を失ひ、湛に背き真に乖き、氷
> を敲いて火を索め、木に縁つて以て魚を求むる者なり」と。
>  此は即ち無行の人を悪むなり。況や禅戒を捐て真智を非とするの人をや。

【現代語訳】
>  問うていう、「ある人が妄りに禅宗を称し名づけて達磨宗という。そうしてその者
> は自らいうのに、この宗は仏行をなすことも学修をなすこともせず、もとより煩悩は
> なく、もともと菩提を得ているものである、であるから行動をいましめる制戒を用い
> ることがなく、なさなくてはならぬ行為をなすことがなく、ただ身を横たえて眠って
> いればよい。どうして念仏を修したり、仏舎利の供養をしたり、長く持斎をし、食量
> を節することにつとめたりしようか云云。
>  答えていう、「その人は悪として造らざることのない類のものである。聖教のうち
> に空見にとらわれたものといっているものの如きがこれである。このようなことをい
> うものと共に語り、共に座すべきではない。まさに百由旬も間を隔て避けるべきであ
> る。
 (中略)
>  これすなわち河南、河北に昔、無知のものがあり、わずかばかりの禅法の殊勝なこ
> とを聞くには聞いたが、その修行の教えを知らず、ただ勝手に坐禅し、事としてのあ
> るいは理としての修行をすることがなかった。このものはもって邪見の網にひっかか
> った人である。この人を名づけて悪取空の邪師となすのである。このような人は死屍
> でしかなく、正法海にとどめるべきものではない。
>  宗鏡録に百二十種の見解を破している文のうちにいう、「あるいは無礙自在という
> ことにならって修行を投げやりにし、あるいは煩悩をそのままに認めてそれで本来空
> といったりする。これらすべて根本の教えに迷い、教えの旨を失い、心に安らかな落
> ちつきを得ず、真実にそむき、あたかもそのしていることは、氷をたたいて火をもと
> め、木にのぼって魚をもとめるような愚かしいことである」と。
>  このようにいっていることの意味は、すなわち修行をゆるがせにする人をにくむこ
> とであり、まして禅戒をすてて守らず、真実の智恵を非とする人においてをやである。
 (古田紹欽著『禅入門1 栄西』より引用)


 栄西の記述を信じるならば、達磨宗は書物で得た禅の知識と、当時、比叡山にはびこっ
ていた本覚思想――人は誰しも仏性を備えており、元から悟っているのだから、修行した
り戒律を守ったりする必要などないという思想――を混ぜこぜにしたようなものだったよ
うである。

 本格的な禅を日本に導入することを志していた栄西にとって、このような堕落した宗旨
は、許すことのできないものだったのであろう。

 道元も達磨宗を批判しているが、栄西のような歯に衣を着せない激しいものではなく、
間接的なものである。道元の主張を理解するには、まずその背景を知る必要がある。

 大日房能忍については、ウィキペディアにも記事があるので、まずそれをご覧いただき
たい。


>  能忍の禅は独修によるものであり嗣法(禅宗での法統を受けること)すべき師僧を
> 持たなかった。この事は釈尊以来の嗣法を重視する禅宗においては極めて異例であり、
> 能忍の禅が紛い物であるとする非難や中傷に悩まされた。このため文治5年(1189年)、
> 練中、勝弁の二人の弟子を宋に派遣し阿育王寺の拙庵徳光に自分の禅行が誤っていな
> いか文書で問いあわせた。徳光は禅門未開の地で独修した能忍の努力に同情し、練中
> らに達磨像、自讃頂相などを与え印可の証とした。これを根拠に能忍の教えは臨済宗
> 大慧派に連なる正統な禅と認められ名望は一気に高まった。


 能忍亡き後、その弟子の多くは曹洞宗を伝えた道元に入門した。曹洞宗第二祖・孤雲懐
奘も道元門下になる前は達磨宗の僧侶だった。

 先に引用したウィキペディアの記事に、能忍が弟子を宋に派遣し、拙庵徳光から印可の
証を授けられたとあるが、それを踏まえて以下をお読みいただきたい。


>  某甲そのかみ径山に掛錫するに、光仏照そのときの粥飯頭なりき。上堂していはく、
> 「仏法禅道かならずしも他人の言句をもとむべからず。たゞ各自理会」。かくのごと
> くいひて、僧堂裏都不管なりき。雲来兄弟也都不管なり。祇管与官客相見追尋《祇管
> に官客と相見追尋》するのみなり。仏照、ことに仏法の機関をしらず。ひとへに貪名
> 愛利のみなり。仏法もし各自理会ならば、いかでか尋師訪道の老古錘あらん。真箇是
> 光仏照、不曾参禅也《真箇是れ光仏照、曾て参禅せざるなり》。
 (岩波文庫『正法眼蔵(一)』より引用)

 ※ 文中の「光仏照」とは、拙庵徳光のことである。

〈大意〉
 私がかつて径山に錫杖を掛け(雲水として仏道修行のために一時的に逗留し)た時、拙
庵徳光が住持職だった。彼が上堂していうには「仏法禅道には必ずしも他人の言葉を求め
る必要はない。ただ各自で理解すればよい」このように言って、坐禅修行の場である僧堂
のことには一切関与しない。雲水たちとも関わりを持たない。ひたすら官吏の客の相手ば
かりする。拙庵徳光は仏法において大切なことを知らない。ひたすらに功名心と利を求め
るばかりである。仏法がもし各自で理解すればよいものなら、すぐれた師を尋ねる必要が
あるだろうか。拙庵徳光はかつて参禅したことがないのだ。


 この一節は道元が宋で修行した折に、師であった如浄から聞かされた言葉である。如浄
がこの言葉を述べた時、その場には拙庵徳光の弟子も多くいたが、恨むものはいなかった
という。

 道元がこの文章を書いた時期は、達磨宗の僧たちが多く入門してきたしばらく後のこと
である。

 道元が言わんとするところは、「拙庵徳光は坐禅もしないし、仏法などわかっていない
人物だった。その拙庵徳光から印可を受けた大日房能忍の禅も正統な禅ではない。自分が
如浄から学び伝えた禅こそが正統なのだ」ということなのである。

 本稿で述べた事情を踏まえずに、日蓮の禅批判を単純に臨済宗や曹洞宗に適用すること
は、例えていうなら、「顕正会はいかがわしい本尊を拝んでいるくせに、他人の迷惑にな
る強引な折伏をしてけしからん。従って創価学会は邪教である」というようなものである。

 以上をお読みいただければ、日蓮が大日房能忍を批判しているからと言って、その批判
を他の禅宗の宗派にそのまま当てはまることは不適切であることを、お分かりいただける
ことと思う。

 ただ、日蓮が批判する「教外別伝」については、臨済宗の教義でもあるし、日蓮が批判
したもう一人の禅僧・蘭渓道隆は、その臨済宗の僧侶だった。こうした点については、次
回に論じたい。