2018年5月27日日曜日

創価学会の「大勝利」

 創価学会はカルトの通例に漏れず、訴訟沙汰が極めて多いことで知られている。
 当ブログでこれまで取り上げてきた雑誌記事の中にも、創価学会から名誉棄損で告訴さ
れてきたものがある。

 『週刊文春』1980年7月17日号に掲載された「創価学会最高幹部七人の内部告発」第5回
である。この号が発売された同年7月10日、創価学会は刑事告訴に踏み切った。タイトル
があまりにセンセーショナルだったために、もしこれを看過すれば、末端会員が動揺する
のではないかと恐れたのであろう。

(『週刊文春』1980年7月17日号)

 ※ この記事の内容は、当ブログでもこれまでに取り上げてきた池田大作専用の豪華施
  設や強引な金集めについてが主である。

 『週刊文春』は、全国紙や電車の中吊りに広告を掲載している。「特別財務六百億円で
全国各地につくられた池田大作専用〝ラブホテル〟」という文言は、週刊誌を読まない人
を含め、日本中が目にしたのである。無論、多数の創価学会員も見たことであろう。

 この連載は同年6月19日号から開始されており、創価学会も『聖教新聞』に「事実無根」
との反論を掲載するなどの対応をとっていた。

 しかし、学会側が告訴の対象としたのは、この回の「ラブホテル」というタイトルにつ
いてだけだった。この連載の他の記事については、裁判で争いたくなかったということで
ある。

 これは推測だが、創価学会の幹部はこの連載に元教学部長・原島嵩氏や元顧問弁護士・
山崎正友氏らが関与しているであろうことに気づいていたと思われる。

 どんな証拠を握っているかわからない原島氏や山崎氏を相手に、刑事告訴という手段を
とることはヤブ蛇になりかねない。できれば訴訟は避けたかったであろうが、弱腰の対応
をとれば、「やはり連載の内容は本当なのでは」という疑念を招くことになる。

 「池田大作専用〝ラブホテル〟」は虚偽の事実だとして、名誉棄損で告訴したのは苦肉
の策だったのであろう。
 告訴から三年後、『週刊文春』1983年6月16日号は、以下のような「謹告」を掲載した。

(『週刊文春』1983年6月16日号)

 巻末近くの目立たない小さな囲みではあったが、一応は非があったことを認めている記
述である。

 創価学会が「特別財務」と称して信者から集めた金を使って、キングサイズのベッドや
豪華な浴槽などをしつらえた池田大作専用施設を建造し、池田がそこでお気に入りの女性
たちと色事に耽っていたのは事実である。そのような施設を「ラブホテルのような」と形
容するのであれば、正鵠を得た表現だと言えよう。

 だが、池田はそれらの施設の利用に際して、宿泊料などの対価を支払っていたわけでは
ない。そして、当該記事のタイトルは「池田大作専用〝ラブホテル〟」と断定調だった。

 『週刊文春』が「一部不適切」と認めざるを得なかったのは、こうした理由からではな
いかと思われる。
 「謹告」の掲載を受けて『聖教新聞』は、「『週刊文春』が学会に謝罪」と書き立てた。

(『聖教新聞』昭和58年〔1983年〕6月8日付)

 この記事の一部を引用する。


>  もとより、各地の文化会館(会館)は会員の尊い浄財で建設された信仰活動の聖域
> ともいえる拠点であり、虚偽の事実をもって、意図的に中傷、冒とくすることは断じ
> て許されるべきではない。そのため、学会としては全学会員並び名誉会長の名誉を著
> しく棄損するものだとして刑事責任を追及して告訴し、併せて謝罪広告等を求める民
> 事訴訟を起こしていたものである。告訴に当たっては、捜査当局に対し法的責任の追
> 及だけが必ずしも本意ではなく、文芸春秋側が心からその非を認めて謝ってくるので
> あれば考慮の余地あることは表明していたが、文春側の対応に十分なる反省の色が見
> られないため、今日に至っていたものである。
>  その間、「最高幹部七人」ということで氏名不詳者数名として学会側が告訴してい
> たが、捜査当局の調べによって、氏名不詳者数名とは山崎正友並びに堤尭(当時「週
> 刊文春」の副編集長)の二名であることも判明したが、このほど文芸春秋側が問題の
> 記事及びその広告文に関して非を認めて反省し、全面的に謝罪してきたため、刑事告
> 訴を取り下げることにしたものである。


 しかし、真相は創価学会の主張とは大きく異なるものだった。『週刊文春』は、上記の
記事について「事実をねじまげた報道」だとし、事実関係を詳らかにした記事を同年6月
23日号に掲載した。

 この記事によれば、先の「謹告」は東京地検の勧告を受けて和解が成立したことにより
掲載されたものだという。『週刊文春』の記事は和解の成立過程、双方の弁護士が出席し
ての交渉の模様などを丁寧に説明し、示談書まで掲載しており、十分な説得力と信憑性を
備えたものであった。一部引用する。


>  繰返しになって恐縮だが、小社は『週刊文春』五十五年七月十七日号の一部の不適
> 切な表現――端的にいえば〝ラブホテル〟というタイトルに遺憾の意を表しているだ
> けであって、記事内容全体について遺憾に思っているわけではないし、また「謝罪」
> という表記は、いっさいしていない。
 (中略)
>  学会が言うように小社が謝罪していたのなら、「謹告」ではなく「お詫び」に、当
> 該記事は「遺憾」どころか「取消し」ないしは「削除」されていなければならないは
> ずである。
 (『週刊文春』1983年6月23日号より引用)


 確かに「一部不適切な表現がありましたことにつき遺憾の意を表します」という文言を、
「全面的に謝罪してきた」というのは誇大表現であり、『聖教新聞』よりも『週刊文春』
の主張の方に理があるのは明らかである。

 文春の記事の内容が本当に事実無根であり、それを書いたのが池田大作の天敵・山崎正
友氏だったのなら、創価学会が検察の勧告を受け入れて和解したとは思えない。

 裁判で争って、山崎正友氏や原島嵩氏に記事の内容を証明する証拠を持ち出されたり、
証言をされたりすることを、学会幹部は恐れたのではないか。もしそうなら、和解は創価
学会にとって渡りに船だったことになる。

 この件は実際には裁判では争われず、和解に至ったものであったが、創価学会は他の訴
訟沙汰でも同様に事実をねじまげ、「勝利宣言」を『聖教新聞』などに掲載しているのだ
という。


> 〈学会は今、旭日の勢いだ。裁判でも連戦連勝。『正義』と『真実』を堂々と証明し
> ている〉
> 〈創価の正義はすべて証明 全裁判で連続勝利〉
> 〈学会が当事者となっている裁判は、ただの一つの例外もなく、全て学会の勝利だ〉
>  創価学会の機関紙・聖教新聞には、絶え間なくこんな勝利の宣言が登場してくる。
> ある時は大見出しで、ある時は最高幹部による座談会で、これらの文言は繰り返され、
> 学会員の頭の中に刷り込まれている。
> 「わが創価学会は、裁判所でその〝正義〟を揺るぎなく認められている」
>  創価学会員にとって、これは絶対的な拠り所の一つといっていいだろう。創価学会
> は、司法=裁判という俗世の権力を利用して、その〝権威〟を保っているのである。
>  しかし、創価学会側が裁判で連戦連勝というのは、本当だろうか。
>  答えを先に言って申し訳ないが、実はこれはまったくの虚報である。例えば不倶戴
> 天の敵である宗門(日蓮正宗)との訴訟結果を見ると、連戦連勝どころか、勝率は二
> 割ほどで、八割近くが敗北を喫している。
 (山田直樹著『創価学会とは何か』より引用)


 裁判に負けた時は『聖教新聞』には何も載せず、勝った時だけ盛大に書き立てる。本当
のことを知らない学会員たちは、「創価学会は裁判では常勝無敗」と信じ込んでいるので
あろう。

 実際に裁判で勝訴した例があるにしても、「末法の御本仏・日蓮大聖人」という至高の
存在にまでさかのぼるという「信心の血脈」を継いでいると自称する創価学会が、世俗の
権威から正しさの承認を受けて喜ぶというのも奇妙な話である。

 創価学会が裁判沙汰を好むのは、相手を訴訟疲れに追い込むという戦術なのだろうが、
一面では自信のなさの現れなのだろう。

 創価学会は「日蓮大聖人直結」を称しているが、彼らは実際には、日蓮の「聖遺物」―
―真蹟の遺文や十界曼荼羅――を何一つとして保有していない(それらのほとんどは、彼
らが「邪宗」と呼ぶ日蓮宗寺院が保有している)。

 創価学会にとって裁判での勝利は、信仰の正統性を証明するものを持たないことの「補
償」なのかも知れない。インチキ新興宗教の悲哀といったところであろうか。

 さて、創価学会の裁判沙汰については、他にも論ずるべきことは少なくない(信平レイ
プ裁判や東村山市議の不審死など)。いずれ資料を集めて取り上げたいと思っている。

2018年5月20日日曜日

本部職員の待遇と創価学会の財力

 前回も述べたように、かつては創価学会の本部職員はかなりの薄給で、幹部でも社宅住
まいを強いられていた。本部職員たちは池田大作に逆らえば、仕事ばかりではなく、住む
家までも即座に失うという、みじめな状況に留められていたのである。

 しかし、このやり方では本部職員によるマスコミへのリークや、内部告発を防ぐことは
できなかった。

 昭和55年(1980年)に『週刊文春』に連載された「創価学会最高幹部七人の内部告発」
や、昭和59年(1984年)に『週刊サンケイ』に連載された「小説 聖教新聞」は、その代表
例と言えるだろう。

 代表的な創価学会ウォッチャーだった内藤国夫氏は、昭和44年(1969年)に『公明党の
素顔』を出版したことがきっかけとなって、池田独裁の改革を望む本部職員からの情報提
供が相次ぐようになったと述べている。

 内部告発に踏み切った本部職員の気持ちを代弁するものとして、元顧問弁護士・山崎正
友氏の述懐を引く。


>  遠くから見上げていた時の池田大作は、実に立派に見えた。池田大作に言葉をかけ
> られただけで感激に身の震える思いがしたし、事実、池田の前で感涙を流す人達を数
> 限りなく見て来た。
>  だが、創価学会の中枢に入り、池田大作を舞台裏から見るようになってから、尊敬
> の念は日々うすれた。まして、〝ボロ隠し〟の数々を請け負うようになってからは幻
> 滅感を味わうことの方が多くなった。一方で、何も知らぬ善良な会員をだまし続ける
> ことに手を貸すことが、次第に空しくなってきた。私が求めていた宗教とは、実態は
> まるでかけ離れていた。
 (山崎正友著『懺悔の告発』より引用)


 尊敬していた「池田先生」は虚像に過ぎず、実際の池田大作は、これまでに当ブログで
縷々述べてきたようなペテン師・色情狂だという実態を、本部で働けば嫌でも目にしたり
耳にしたりせざるを得ないのだから、山崎氏のように感じる方が普通だろう。

 しかも、池田の独裁体制は強固なもので、声を上げようものなら追放される。教学部長
だった原島嵩氏や、副会長だった福島源次郎氏が長時間の直談判で池田を諫め、行動を改
めるように強く求めたこともあったが、池田はいっこうに反省せず、原島氏や福島氏の方
が学会にいられなくなってしまった。

 こうした絶望的な状況から、外部のマスコミを利用して池田の行動を制約しようと考え
る者が次々と現れたのであろう。

 さんざんマスコミからバッシングを受けて、さすがの池田大作も本部職員に対しては、
「ムチ」だけではなく「アメ」も必要だと気づいたのであろう。本部職員の待遇は次第に
改善され、昨今では平均的な給与所得者より恵まれたものになっているという。


>  創価学会職員らを被保険者とする創聖健康保険組合のデータによると、七四年の平
> 均年齢は二十九・二歳、標準月額報酬の平均は八万六千円。
>  標準月額報酬は、三カ月間の税込み給与の平均で、ほぼ給与水準を反映する。若い
> 組織だけに、全国平均より十五パーセント低い。
>  ところが、急激に膨張した組織は、年々高齢化が進んだ。
>  二十一年後の九五年三月には、平均年齢が四二・一歳に上がり、標準月額報酬は四
> 十三万六千円。全国平均を年齢で三・八歳、報酬で八万六千円上回る。
>  ちなみに、年齢や男女比の影響がないように、年齢と扶養家族数がほぼ同じ企業を
> 探すと、都内では新日鉄がある。同社の標準月額報酬は四十万六千円。学会の給与水
> 準は結構恵まれている。
> 「言論出版妨害問題や池田会長の退任、元幹部の造反、といった逆風が吹くたびに、
> 内部固めのために給料が上がった」
>  と、元職員は振り返る。
 (朝日新聞アエラ編集部『創価学会解剖』より引用)


 やや古い記述だが、現在の創価学会本部職員は一流企業並みの給与を得ているとみてよ
いだろう。

 そして、約300人いるという副会長の所得は、当然のことながら一般的な職員よりも恵
まれている。副会長になると、その年収は約一千万円だという(古川利明著『システムと
しての創価学会=公明党』による)。主任副会長などの上位の者になると、その数倍はも
らっているはずである。

 創価学会の専従職員は三千人弱いるらしいが、その人件費の総額は年間数百億円に達し、
予算に占める割合は決して小さなものではないだろう。

 学会員の中には、公明党議員の口利きで生活保護を受けて「功徳があった」とのたまっ
ている連中や、わずかな報酬で聖教新聞の配達を請け負っている者――「無冠の友」と呼
ばれる――も多い。

 貧しい者が少なくない末端学会員たちが供出した財務や新聞購読料から高給を受け取る
本部職員は、貴族的な特権階級といっても過言ではない。

 週刊誌等における創価学会への告発記事は、かつてと比べて減っている。その理由は数
々のスキャンダルを引き起してきた池田大作が、死に体となっていることもあるだろうが、
本部職員の待遇が改善されたこと、いわば搾取の受益者、池田大作の共犯者となったこと
で、マスコミへ情報をリークしようとする者が減ったことも大きいのではないだろうか。


 以前、「創価学会の財力」について当ブログに書いたが、準拠した情報がやや古いもの
であったので、今回はその点についても併せて取り上げる。

 今年一月の『週刊新潮』に「出し抜けの『サラリーマン大増税』を嗤う人々」と題した
特集記事が掲載された。その内容は宗教法人への財政面での優遇措置の再考を求めるもの
で、創価学会についても言及されており、ジャーナリスト・乙骨正生氏のコメントが載せ
られていた。当該コメントは以下のとおり。


> 「収益の柱としては、主に『お布施』『出版事業』『墓苑事業』があります。お布施
> の中心は、毎年12月に実施される〝財務〟で、1口1万円で上限なし。かつては4000
> 億~5000億円集まったといいますが、現在は1000億~2000億円とみられている。財務
> のほか、正月や大規模会合で集める『広布基金』もあり、こちらは年間100億円~200
> 億円が集まるとされます。出版事業は、主に公称550万部の機関紙『聖教新聞』の収
> 益で、年160億円ほどになります」
>  そして、墓苑事業。
> 「現在は1基100万円。全国14カ所の墓苑に3万基ずつとすると42万基で、収入は4200
> 億円になる。墓石などの例外を除き、永代使用料も非課税で、学会にとってはまさに
> 打ち出の小槌です。日蓮宗の年間予算が100億~200億円と言われており、学会は聖教
> 新聞だけで同程度の所得を得ているのです」
 (『週刊新潮』2018年1月4・11日号より引用)


 墓苑事業の収益は、42万基を一年で販売するわけではないので、これまでの累計額と今
後十数年の売り上げの総額として、4200億円が見込まれるということなのであろうが、そ
れでも年間百億円は下らないのではないか。

 また、往時と比べれば減ったとはいえ、財務や広布基金などの元手はほとんどかからず、
課税もされない「お布施」で、1000億円以上もの巨額を集める創価学会の集金力はやはり
侮れない。

 先に引用した『創価学会解剖』は、朝日新聞出版が発行する週刊誌『アエラ』の連載を
単行本化したものだが、その中に創価学会をやめた元本部職員が、「顔なじみの学会員に
三年あまりにわたって尾行や張り込みをされた」との記述がある。

 系列出版社の週刊誌には書けても、朝日新聞本紙にはこのような記事が載ることはない。
創価学会の持つ財力や組織力の前には、大新聞であっても沈黙せざるを得ないのだろう。

 何度でも言うが、創価学会は今なお悪質な人権侵害団体である。金や権力を背景に、力
なき人々を屈服させることを当たり前のように考えている危険なカルトである。

 残念ながらテレビや新聞が書かないからといって、創価学会の反社会性を甘くみている
人も少なくない。私も力なき草莽の一人に過ぎないが、それでも警鐘を鳴らし続けるつも
りである。

2018年5月13日日曜日

幹部の本音

 これまでに見てきたように、末端の創価学会員たちは『聖教新聞』や『人間革命』『新・
人間革命』などの学会出版物によって作りだされた「池田先生」の虚像を、本当の姿と信
じて池田大作会を尊崇してきた。

 しかし、側近の幹部たちは、実際の池田の姿は美化された虚像とはまったく違うことを
知っていたはずである。

 現会長の原田稔氏や先代の秋谷栄之助氏をはじめとする幹部たちも、公的な場では池田
のことを「偉大な師」などと呼び、最大限の敬意を払ってきたが、本音はどうだったのだ
ろうか。脱会した元幹部の証言から、それを読み解いて見たい。

 池田大作が「オレの弟子第一号」と呼んでいた元教学部長・原島嵩氏は、脱会する直前
の昭和55年(1980年)2月頃、原田氏と以下のような会話を交わしたと述べている。


>  当時、原田稔氏ともいろいろな話をしました。私が「池田先生には生理的嫌悪感を
> 感ずる」と話すと、原田氏も「私も同じく生理的に嫌悪感を感ずる」と同意しており
> ました。私は、第一庶務室長として中西氏と同様、池田の本性を知っている原田氏に
> 後事を託す気持ちでいました。その人が平成十八年十一月九日に秋谷氏に代わって新
> 会長に就任したことに、大きな関心をいだいています。
 (原島嵩著『絶望の淵より甦る』より引用)


 また、秋谷前会長の本音についても、元公明党都議・藤原行正氏が内藤国夫氏との対談
で言及している。


> 内藤 (前略)会長である秋谷栄之助氏にも「おい、秋谷っ」と子供扱いの呼び捨て
> ですね。
> 藤原 そうですよ。そしたら秋谷さんが「はいっ」と返事する。秋谷さんも完全に芯
> をへし折られた感じです。もっとも、秋谷さんと親しい人によると彼の口から「池田
> は女たらしでしょうがないし、早く死んでもらわないと困る」と池田批判が飛び出し
> ているんです。
 (『週刊現代』1988年7月2日号より引用)


 幹部たちが池田から受けていた受けていた屈辱な仕打ちについては、元顧問弁護士・山
崎正友氏も言及している。


>  池田氏の、発作的なサディズムは、北条浩氏、和泉覚氏、秋谷栄之助氏といった最
> 高幹部ですら、その対象となることを免れられない。
 (中略)
>  本部長会、理事会あるいは本部幹部会などで、首脳が、きまじめに演説をぶってい
> るとき、
>  「ヤアヤア」
>  と入ってきた池田氏が、演説を中止させ、北条氏ら首脳に、「春が来た」の童謡に
> 合わせて踊らせたりすることがよくあった。特に、タコおどりのような和泉覚氏のお
> どりに人気があった。
>  これが、日頃、池田氏から虫ずが走るほどきらわれている小川元代議士、藤原都議
> らになると総括は、こんなものではすまない。ことあるごとにいやみをいわれ、どな
> りつけられ、そしてワビ状や誓約書をとられる。
>  かくいう私も、わけのわからぬことで、何度もワビ状を書かされた。
 (山崎正友著『闇の帝王、池田大作を暴く』より引用)


 山崎氏や藤原氏は、こうした処遇に嫌気がさしたからこそ公然と反旗を翻し、反創価学
会の活動家となったのであろうが、他の幹部たちは先に引用したような本音を持ちながら、
なぜ造反しなかったのだろうか。

 理由としては「池田の人間性はどうあれ、創価学会の会長を支えることが信仰上は大切
なのだ」という狂信に、一部の幹部も毒されていたことなどが考えられるが、創価学会幹
部という職には色々とメリットがある一方で、その地位をなくせば、全てを失うことにな
るからということが大きかったのではないだろうか。藤原氏は上述の対談で、次のように
も述べている。


> 内藤 殺されるわけでもないのになぜ盲従するのだろう?
 (中略)
> 藤原 彼らは一生、学会で暮らしてきた人ばかりだから、学会を離れたら〝村八分〟
> どころか〝村十分〟です。大橋さんがそうでしょう。秘書の学会員が圧力受けて「辞
> めさせてほしいと」と離れていくし、何万、何十万の学会員から毎日、「お前はゴキ
> ブリだ」「ドブネズミだ」と攻撃されている。その恐ろしさは、受けてみなきゃわか
> りません。

 ※ 文中の「大橋さん」とは元公明党衆院議員・大橋敏雄氏のこと。大橋氏は議員在職
  中に、「池田大作への宣戦布告」と題した手記を『文藝春秋』(昭和63年〔1988年〕
  6月号)に発表した。その後、公明党は大橋氏を口実をつけて除名した。

> 内藤 批判されているの池田大作氏が、いま、どこで何をしているのか、さっぱりわ
> からない。
> 藤原 彼は自分では絶対出てこないで、側近幹部に反撃をさせるんです。彼は大勢の
> 幹部を長い間かかって、そのように訓練し、支配してきた。本部の幹部級はほとんど
> みんな、学会周辺の社宅に住まわせ、自宅を作らせない。公明党の幹部でさえ、家を
> 買うときは池田氏に報告書を出す。
 (中略)
> 内藤 なぜ、こんな閉鎖組織ができあがったんですかね。
> 藤原 池田という男は、日蓮正宗の御本尊に対する絶対性を、自分に対する絶対性に
> すり替えたんです。宗教を徹底的に利用した結果です。


 日蓮正宗の教義では、日蓮が「末法の御本仏」であり、その日蓮が「出生の本懐」とし
て作った特別な本尊である、大石寺の大御本尊に帰依しなけば救われないことになってい
る(この教義は本来の日蓮の教えとは異なるし、大御本尊も後世の贋作である)。

 藤原氏が述べているように、池田大作は『聖教新聞』や『人間革命』等を使って学会員
たちに、「池田先生を信じることが、日蓮大聖人の仏法を唯一正しく実践することであり、
それを疑えば地獄に堕ちる」と信じ込ませることに成功した。

 もちろん、池田の欲望まみれの本性を知る幹部たち――特に原田氏や秋谷氏――は、そ
んなことを本気では信じてはいないだろうが、骨がらみの人間関係で創価学会にとらわれ
ている上、池田大作への個人崇拝が、それなしでは組織が成り立たないほど浸透している
実態がある以上、池田に逆らうことは、創価学会そのものを敵に回すことと同義にまでな
ってしまっている。

 造反すれば地位や収入を失うだけでなく、広宣部や教宣部という非公然活動部隊につけ
狙われる危険まであるのだから、本音では「池田大作には生理的嫌悪を感じる」「早く死
んでほしい」と思っていても、逆らえなかったのは当然だろう。

 現在の池田大作は健康を失っており、判断能力を有しているかも疑わしい。近年に池田
の名で出された提言等は、幹部による創作だろう。

 創価学会の内部では「池田先生」の権威は、今なお絶対的なものである。原田会長らの
現執行部は、その権威を使って何をするつもりなのであろうか。

 創価学会の反社会的体質は現在も変わっていない以上、池田大作という意思なき神輿が、
ロクでもない目的のために悪用される懸念はあるのではないか。

 池田の余命はそう長くはないかも知れないが、「池田先生の御遺命」を振りかざす者が、
創価学会の集票力と公明党の政治力を利用することは有りうるだろう。

 「戸田先生の御遺命」を、都合のいいように利用してきた池田大作のやり方を模倣する
者が、創価学会の幹部の中から現れたとしても何の不思議もないと思う。

 池田大作を嫌悪する本音を隠して、「池田教」の幹部になりおおせた連中が何を考えて
いるか、分かったものではない。私としては、有権者の一人として今後ともこのカルトの
動向を注視していきたいと考えている。
 


補足

 幹部の間にも池田大作への個人崇拝の度合いには、個人差があったようである。元副会
長の福島源次郎氏は、「先輩たちに教わるままに、先生こそ仏法広宣に出現した不世出の
指導者であり、希有の師であり、不思議な方と仰ぎ、信じて疑うことを知りませんでした」
と述べている(『蘇生への選択』所収「誠諫の書」による)。彼は幹部だった頃には、本
当に池田に心酔していたのだろう。

 福島氏は『人間革命』の記述に基づき、「師への帰命」(「池田本仏論について②」参
照)という概念を創価学会内部で広めたが、そのことについて秋谷氏と次のようなやり取
りがあったという。


>  後日談になりますが、この「帰命論」が宗門で問題になっていた昭和五十年秋頃、
> 現会長の秋谷氏が「〝師への帰命〟というのが『人間革命』にあるというが、本当に
> あるのかね。どこにあるんだ」と私に尋ねてきた時には、開いた口がふさがらないく
> らいに驚きました。第三巻を開けてその箇所を示したところ、「なるほど、ちゃんと
> あるな」と、しげしげと読んでいましたが、改めて、最高幹部でも表面の姿と違い、
> 「人間革命」への取り組み方がいかにいい加減なものであったかと、思い知らされた
> ものでした。逆に私の真剣さが、当時の学会では異常だったのかもしれません。これ
> では「帰命」の解説・指導がなされなかったのも当然でした。
 (福島源次郎著『蘇生への選択』より引用)


 『人間革命』を「現代の御書」と宣揚していた福島氏と違って、秋谷氏は『人間革命』
の実際の執筆者は池田大作ではなく篠原善太郎氏であることを知っており、しかも彼は戸
田城聖の門下として、『人間革命』に書かれていることの多くを実際に経験していたので、
その内容が池田大作への個人崇拝を正当化するための欺瞞に満ちていることなど、百も承
知のことだった。だから、真剣に読む気にならなかったのであろう。

 ※ 福島氏が創価学会に入会したのは、戸田城聖が死んで2年後の昭和35年(1960年)
  のことなので、彼は『人間革命』に描かれた出来事を実体験していない。
   それに対して、秋谷氏の創価学会入会は昭和26年(1951年)であり、『人間革命』
  にも「秋月英介」として登場する。

 秋谷氏などの古参の幹部は、池田への個人崇拝が創価学会内部に浸透していく一方で、
その池田が引き起した女性問題等の騒動に自らも翻弄されざれるを得なくなった醜態を、
苦々しい思いで見ていたのではないだろうか。

2018年5月6日日曜日

池田崇拝の何が問題か

 池田大作という男は、人妻に性接待を強要したり、女子高生に手をつけて妊娠させたり、
挙げ句の果ては、実の息子に妻としてお手つきの女をあてがって悶死させるなど、やりた
い放題やってきた頭がおかしい色ボケ爺である。

 そんな人物を「永遠の師匠」と呼んで、生き仏のように崇め奉ることがおかしなことで
あることは、普通の人間にとっては考えるまでもないことだが、池田を師として崇めるこ
とが「仏法」で、それを疑うと地獄に堕ちると洗脳され、常識や道徳を「世法」といって
「仏法」よりも軽んじる創価学会員には、池田崇拝の異常さがわからないらしい。

 そこで今回は、池田大作は尊敬するに値しない人物であることを、学会員の皆さんにも
ご理解いただけるように論じてみたい。

 平成14年(2002年)6月28日付の『聖教新聞』は、池田大作への顕彰が1500に達したこ
とを記念し、「池田SGI会長の功績は世紀の大思想家に並ぶ!!」と題した特集記事を掲載
した。


 この記事によると池田大作は、アインシュタイン、トルストイ、ガンジー等の世界史に
名を残した偉人に匹敵する大人物なのだという。

 だが、こんな記事を真に受けて「池田先生は立派な人」と思うのは、創価学会員だけで
ある。世間の大部分の人は『聖教新聞』など読まないし、たとえこの記事を見たとしても、
バカにして嘲笑するだけだろう。

 考えてもみるがいい。池田大作にいったい何の業績があるというのか。はっきり言って
池田には、一般社会から評価されるような実績は皆無である。ただ、世界各国の著名人と
面会して、その余光で自分を偉く見せようとしてきただけの〝虎の威を借る狐〟に過ぎな
い。

 池田が独自に発案したものといえば、「護符」と称するマジナイくらいであろう。以前
にも述べたが、護符とは「池田先生がいつも拝んでいる板本尊を拭いた紙を小さく刻んだ
もの」で、それを飲むと、病気が治るとか、選挙で当選するだとかの「ご利益」があるの
だという。

 そんなものは、仏法とも日蓮の教えともまったく何の関係もない、インチキなマジナイ
に過ぎない。このような非科学的な呪術を20世紀も後半になってから考え出した池田大作
が、なぜアインシュタインに比肩する偉人だと言えるのか。噴飯ものではないか。

 また、暴力的な折伏や脱会者・批判者への嫌がらせ等の悪質な人権侵害を扇動してきた
池田大作が、非暴力によって植民地支配や人種差別に立ち向かったマハトマ・ガンジーや
キング牧師の名を自らを権威づけるために利用するなど、あまりにも冒涜的で許しがたい。

 それに、「特別書籍」というゴーストライター集団に書かせた本を、自分名義で世に出
してきただけの池田が、トルストイ、ヴィクトル・ユゴー、魯迅などの本物の文豪と、同
格のわけがないではないか。

 創価学会員以外の、世の中の大部分の人は私の見解に同意するはずである。『聖教新聞』
が上記のようなバカげた池田宣揚記事ばかり載せていることも、創価学会が世間から胡乱
な目で見られ、頭がおかしいカルトとして敬遠される大きな理由になっていることを、学
会員の皆さんも少しは考えた方がいいと思う。

 これだけ言ってもマインドコントロールされたカルト信者は、「池田先生があまりにも
偉大なので、嫉妬して悪口を言っている」という見方に固執するだろう。

 そこで、創価学会が標榜する御書を根本とする日蓮仏法の論理に即して、池田への個人
崇拝が間違っていることを示す。

 創価学会版『日蓮大聖人御書全集』の一番最初に収録されている『唱法華題目抄』に、
以下の記述がある。


>  仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき
> 人なりとも御信用あるべからず


 「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」とは涅槃経にある教えで、「法燈明自燈明」
とも言い表され、日蓮系のみならず仏教では宗派を問わず重視されている言葉である。

 ※ 日蓮は天台教学の「五時八教の教判」を踏襲し法華経を最高の経典としたが、五時
  八教の教判では涅槃経を法華経を補完する経典と位置づけているので、日蓮も涅槃経
  を重視した。

 池田大作が「いみじき人」かどうかはさておき、彼は「経の如く」教えを説いてきたと
言えるだろうか。検証するために池田語録を引く。


> 「クリントン、元気かしら。あのように口をうまく、うんとうんと人を誤魔化して、
> しかし、警察には捕まらないように! クリントンは口がうまくて大統領になった。
> 口ベタなんてのは時代に遅れてます。クリントン以上に口をうまく、折伏やって、指
> 導して下さい。あとで奥さんに叱られるけど、お喋りクリントンは。彼は政治家だか
> らいてもいなくてもいいけれど、我々は彼よりも真実のうえで口がうまく……」
 (『週刊新潮』1993年7月15日号より引用)

 ※ この発言は1993年1月28日、サンタモニカで開催された第2回アメリカSGI総会に
  おいてのもの。池田が「マハロー、バカヤロー」と叫んでいる動画をご覧になったこ
  とがある方も多いであろうが、その発言もこの時なされた。


>  一、学会における本当の師弟は、戸田先生と私の関係にある。
>  子弟を観念論にしてしまっては、自分自身が永遠に損をする。子弟に生き抜く中に
> しか、本当の人生の向上、達成、勝利はありません。
>  ゆえに、師匠に対する裏切り者を、絶対に許さない。弟子が団結し、師匠を永遠に
> 守る。師に反逆した者、師をいじめた者を断じて倒す。私は、この学会精神を忘れて
> はならないと、強く申し上げておきたい。
 (『聖教新聞』平成19年〔2007年〕9月25日付より引用)


 池田センセイは、口をうまくして人を誤魔化せ、自分を永遠に守れ、裏切った者を絶対
に許すな、とのたまっておられるが、このような反社会的で利己的な教えを説いた仏教経
典がはたして存在するものだろうか。

 私は大蔵経を通読したことがあるわけではないが、池田の主張は極めて非仏教的だと思
う。少なくとも法華経には、そんなことは書かれていない。

 また、在家信者が最低限守るべきとされる五戒の中には、不妄語戒――「ウソをつくな」
という教え――があるので「うんと人を誤魔化して」というのは、仏教に反することは明
白である。

 つまり、池田大作は「経の如く」説いているとは言えず、彼のような人物を信用するこ
とは日蓮の教えに違背することになる。

 『聖教新聞』の紙面を見ればわかるように、現在の創価学会は池田大作を崇める「池田
教」になっているが、このような信仰のあり方は、仏法とも日蓮の教えとも相容れないこ
とは明白である。

 創価学会は「唯一正統な仏法」などではあり得ない。池田大作という化け物じみた俗物
を崇める、インチキ新興宗教に過ぎないのだ。

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