2018年11月25日日曜日

創価批判コピペ集‐⑪(「創価学会の『学会活動』」他)

◇◆◇ 創価学会の「学会活動」 ◇◆◇

創価学会では「学会活動」と称して、各種の集会等の行事を毎日のように実施している。
活動に熱心な学会員を「活動家」といい、逆に不熱心な者は「未活・非活」と呼ばれる。

・座談会・・・地域の学会員が集合して、信心により得られたご利益について報告する。
 一般人を誘い込み、集団で取り囲んで「地獄に堕ちる」と脅し入信を迫ることもある。

・唱題会・・・大勢で集まり「南無妙法蓮華経」を唱える。一人より効果があるらしい。
・勉強会・・・『人間革命』や『日蓮大聖人御書全集』を参照して、教義の勉強をする。

・新聞啓蒙・・・聖教新聞の拡販活動。ノルマを達成できず、自腹で複数とる者も多い。
・家庭訪問・・・未活・非活の学会員宅を訪問し、学会活動に参加するよう執拗に促す。

選挙前は、選挙運動にも動員される。学会活動の主な担い手は婦人部だが、家事や育児
そこのけで活動に没頭する者もおり、学会員の家庭に問題児童が多い原因となっている。



創価学会の非公然活動部隊

創価学会には「教宣部」「広宣部」という、脱会者への尾行・監視などの、非公然活動を
行う組織が存在する。これらは表向き以下のような活動に従事していることになっている。

教宣部・・・脱会を希望する学会員や、脱会して日蓮正宗へ移った元学会員への説得工作
広宣部・・・顕正会や日蓮正宗との法論(創価学会・顕正会は元々、日蓮正宗の信者団体)

※ 日蓮正宗や顕正会と創価学会とは教義が似ているので、互いに信者を奪い合っている。
教宣部・広宣部とも表向きの顔とは異なる裏の顔があり、そちらが本当の存在理由である。

教宣部・・・日蓮正宗の情報収集、仏敵への軽微な嫌がらせ(法に触れない程度のもの)
広宣部・・・顕正会・共産党の情報収集、仏敵への嫌がらせ(時として違法行為も行う)

創価学会は批判的なジャーナリスト、一般市民、脱会者などを「仏敵」認定し、上記組織
に所属する信者を動員し、陰湿な嫌がらせを行なっている。これは明白な人権侵害である。



解説

 信教の自由は、憲法が保障する基本的人権であり、すべての人に認められている権利で
ある。当然、創価学会員にも認められている。

 だから、学会員が第三者の迷惑にならない唱題会や勉強会を、「学会活動」の一環とし
て行っているだけならば、それを非難することは適切ではないだろう。

 しかしながら、上述したように「学会活動」の主要な担い手である専業主婦が、それに
忙殺され、家事や育児をおざなりにしがちなことが、学会員の家庭に問題児童が多い一因
となっているとの指摘もある(この点については、別の機会に論じる予定である)。

 「学会活動」には他にも問題点がある。「学会活動」の中には、強引な折伏やしつこい
投票依頼も含まれており、そうした行為の標的とされた人のほとんどが迷惑に感じている。

 創価学会員は「唯一の正しい宗教」を標榜しているだけあって、独善的な態度を取る者
が多く、他者の信教の自由・投票の自由を尊重しようとする姿勢が希薄と言わざるを得な
い。創価学会が嫌われるのは、故なきことではないのである。

 はた迷惑な「学会活動」の中でも、特に問題なのが広宣部・教宣部という非公然活動部
隊が行っているスパイまがいの行動である。

 広宣部・教宣部については、創価学会が厳重に秘匿しているため、不明な点が多いが、
批判本や学会員が開設したブログ等によって、その実態は少しづつだが明らかになってき
ている。そうした記述の一部を引用する。


>  フリージャーナリストの乙骨正生氏が創価学会と同青年部幹部を名誉棄損で訴えた
> 裁判(乙骨氏勝訴、2011年)ではこんなことがあった。青年部は日常的に乙骨氏ら学
> 会に批判的な人の経歴や動静を調査・把握し部員に周知させているのかという原告側
> 弁護士の質問に、証人として出廷した聖教新聞記者は「原告に限らずやっている」と
> 胸を張って証言をしたのだ。世間ではこれを「スパイ行為」と呼ぶ。
 (柿田睦夫著『創価学会の〝変貌〟』より引用)


 他の批判本から得た情報によると、実際に批判的なジャーナリストに対する監視等を行
っているのは、青年部――成年かつ学生を除く40歳未満の学会員をいう――の中から選抜
された広宣部らしいが、一般の学会員の中にはそのような組織があることじたい知らず、
「創価学会がスパイやストーカーのようなことをするはずない」と信じている者もいる。

 創価学会で地区婦人部長を務めていたという、まあちさんのブログ「創価学会やめたる
ぞー!」によると、「創価学会はストーカー組織」と言われていることに対し、まあちさ
んは「んなわけないじゃん! そんな暇ないわ!」と思っていたが、実際に自分の夫が男
子部の活動として、日蓮正宗寺院の監視をさせられていることを知り、「この男子部の行
為は日蓮正宗側からしたらストーカーですわ」と認識を改めたという。

 たいていの学会員は「たとえ何があろうとも、創価学会は絶対に正しい」とマインドコ
ントロールされ、思考停止に陥っているため、創価学会の反社会的実態について知っても、
無理に「そんなのウソ」と思い込もうとするか、「創価学会に敵対する奴は懲らしめられ
て当然」と考えるかのどちらかである。

 残念ながら、まあちさんのような方は少数派であろう。創価学会とは、まともな神経を
持った人間にとっては、耐えがたい組織なのである。 

 創価学会員であっても常識のある人は、その異常性に気づいて活動を止めたり、脱会し
たりする一方、創価学会の中だけで純粋培養され、一般社会からどのように見られている
か意に介しない者ほど学会活動にのめり込み、当人も組織もより非常識になってゆく。ま
さに悪循環である。

 だからといって、この循環を断ち切ろうとすれば、組織そのものが成り立たなくなるだ
ろう。創価学会の非常識さは、かくも根深いものなのである。

 すべての創価学会員が、マインドコントロールから覚醒し、自らの迷惑行為を反省する
日が来ることがあり得るのだろうか。そう考えると暗澹とせざるを得ない……。


 ※ 広宣部・教宣部については、批判本から知り得た情報を以前まとめている。興味が
  ある方は以下もご覧いただきたい。

  広宣部と教宣部

  広宣部・教宣部が連携した嫌がらせの手口

  教宣部創設の経緯

  広宣部の実態

2018年11月18日日曜日

創価学会の創立記念日

 創価学会は11月18日を創立記念日としている。学会員はこうした記念日には、学会施設
に集まり、「広布基金」と称する寄付金を納め、唱題勤行を行う。

 来月には「財務」という大規模な金集めがあり、再来月の新年勤行会でも広布基金は徴
収される。まったくもって、金のかかる宗教である。

 さて、11月18日が創立記念日とされている所以は、創価学会の初代会長・牧口常三郎と
後に第二代会長となる戸田城聖とが、昭和5年(1930年)のこの日に『創価教育学体系』第一
巻を出版したことによるという。


(出所:秋谷栄之助編『旭日の創価学会70年』)

 しかし、この本が出版された日付については異説もある。高橋篤史著『創価学会秘史』
に掲載されている、『創価教育学体系』第一巻の奥付では、発行日は昭和5年11月23日と
なっている。

(出所:高橋篤史著『創価学会秘史』)

 その理由として高橋氏は、当時は検閲があったことを挙げている。
 『創価学会秘史』に収録されている『創価教育学体系』奥付写真は、国立国会図書館の
所蔵本のものである。

 戦前、本を出版する者は、その本を内務省に納本し、検閲を受けることになっていた。
現在、国会図書館が所蔵している『創価教育学体系』も、元をたどれば検閲のために内務
省に納本されたものだという。

 高橋氏は、『創価教育学体系』の出版は当初11月18日を予定していたが、何らかの理由
によりスケジュールに後れが生じ、内務省に提出するもの、即ち現在、国会図書館が所蔵
しているものについては、正確な日付に修正したのであろうと推測し、「今日、創価学会
が創立日に関し唯一の拠り所とする『創価教育学体系』第一巻だが、十一月十八日の時点
ではまだこの世に存在していなかったのかもしれない」と述べている。

 のっけから胡散臭くなってきたが、首をかしげたくなる話はまだ続く。
 何らかの組織を創立する場合、構成員が集まって設立総会等のイベントを行うのが通例
であるが、牧口・戸田が昭和5年(1930年)にやったことは、「創価教育学会」を名乗っ
て本を出版したことだけで、その頃は組織としての活動実態はほぼなかった。

 ようやく総会等が開かれるようになったのは、昭和11年(1936年)以降だという。


>  一九三六年四月三十日、創価教育学会は一ツ橋の教育会館で総会を開いている。史
> 料に明確に記されたものでは、これは組織としておこなった初の総会と位置づけてよ
> い。
 (高橋篤史著『創価学会秘史』より引用)


>  昭和十二年(一九三七)には、創価教育学会の正式の発会式が麻布の菊水亭という
> 料亭であげられた。あつまった会員は約六十名、古島一雄、秋月左都夫が顧問となり、
> 牧口が会長、戸田が理事長である。
 (日隈威徳著『戸田城聖 ―創価学会ー』より引用)


 また、戦後に戸田城聖が中心となって再建された創価学会においても、当初は昭和5年
に創立されたという認識は持っていなかった。

 創価学会が出版している月刊誌『大白蓮華』創刊号(昭和24年7月号)の巻末に掲載さ
れている「誌上問答」には、以下の記述がある。


> 【問】―創価学会とはどんな会ですか。
> 【答】―日蓮正宗(総本山富士大石寺)の信者が中心となって、自然発生的にできた
>   会です。
> 【問】―何時頃出来たのですか。
> 【答】昭和十年頃牧口常三郎先生が創価教育学研究会を結成され、戦時中には官憲の
>   弾圧によって自然消滅のような状態になりましたが、敗戦とともに出獄された戸
>   田城聖先生が中心となって再発足し現在に到っています。

『大白蓮華』創刊号 巻末
※ 発行人は当時、理事だった
矢島周平氏となっている。

同上 拡大

 戦後間もない頃は「昭和10年頃に結成された」と自称していた創価学会が、いつから発
足時期を5年サバ読みするようになったのかは、今回確認できなかったが、その理由につい
ては、『創価学会秘史』で明らかにされているので、以下、同書に基づいて概説する。

 創価学会は、強引きわまりない折伏で規模を急拡大させてきた。かつては、不幸にして
標的とされた人の家に押し入って、神棚や仏壇を破壊するといった狼藉までまで働いてい
た(「折伏大行進の実態」参照)。

 それに加えて、昭和44年(1969年)には言論出版妨害事件まで引き起こし、世間から厳
しい批判を受けることになった。

 「暴力的で反社会的な新興宗教」というイメージを払拭するために、創価学会が打ち出
したのが、現在まで続いている「反戦平和」で外面を飾る、上辺だけのソフト路線だった。

 そのために利用されたのが、初代会長・牧口常三郎だった。牧口は、治安維持法違反で
逮捕され、昭和19年(1944年)11月18日、つまり『創価教育学体系』第一巻の発行日と
同じ日に死去した。

 牧口の主著が出版され、そして彼が獄死した日を創立記念日としたことは、創価学会が
最初から平和を志向していたという、虚偽の宣伝を広める上で役に立ったのだろう。

 事実、言論問題で批判を浴びた翌年の昭和45年(1970年)11月18日付の聖教新聞は、
前年までとは大きく様相が変わっている。

『聖教新聞』昭和44年(1969年)11月18日付 一面
※ 創立記念日にも牧口にも、まったく触れられていない。

『聖教新聞』昭和45年(1970年)11月18日付 一面

 昭和45年(1970年)11月18日の聖教新聞は、前年とは打って変わって「創立40周年」
をうたい、牧口常三郎の功績を讃える記事を一面トップに載せている。

 しかし、その内容は牧口が反戦平和の闘士であったかのように描く、欺瞞に満ちたもの
である。一部引用する。


>  学会の誕生は、昭和維新の不気味な鳴動が背後にしのびより、日本の軍国主義への
> 傾斜が著しくなっていた暗黒の時と符節する。以来戦前は、エスカレートの一途を辿
> る、この軍国ファッショの狂気の嵐のなかで、それと正面から対決し、牧口初代会長
> は、その壮図の途上、獄死した。


 実際の牧口常三郎は、「日本の軍国主義への傾斜が著しくなっていた暗黒の時」を、折
伏の好機ととらえ、ある時期まで特高警察とも協力していたことは、『創価学会秘史』に
より暴かれており、軍国ファッショと「正面から対決」したなどというのは、ウソ八百に
過ぎない。

 以上に挙げた11月18日の創立記念日に関わる事実もまた、他の多くの事例と同様に、創
価学会がインチキ宗教、エセ平和団体であることを雄弁に示していると言えるだろう。


 ※ 読めばわかる通り、本稿は高橋篤史氏の『創価学会秘史』に大きく依拠している。
   この本は創価学会の創立記念日に際して、初代会長・牧口常三郎の事績や人となり
  を偲ぶのに格好の内容と思う。この機会に学会員の皆さんにも、是非手に取っていた
  だきたい一冊である。

2018年11月11日日曜日

創価批判コピペ集‐⑩(「創価学会の『折伏(しゃくぶく)』」他)

創価学会の「折伏(しゃくぶく)」

創価学会員は、その強引な勧誘(彼らの言葉では「折伏」)に際し、「存在を証明できない
神仏を信仰するのは間違い」「科学的根拠がないことは認めない」と、他の宗教を批判する。

そして、相手がそれに答えられないと「負けを認めて創価学会に入れ」と強要する。しかし、
存在を証明できないもの、科学的根拠がないことを信仰しているのは創価学会も同じである。

創価学会は日蓮を「末法の御本仏」とするが、七百年前に没した日蓮が、現在も「御本仏」
として存在していることなど証明できないし、創価の量産品の本尊に「南無妙法蓮華経」と
唱えれば「祈りとして叶わざるなし」という教義にも、科学的根拠など一切存在していない。

「信教の自由」は憲法が保障する基本的人権であり、強引な宗教勧誘は、これを侵す行為で
ある。脅迫や暴行を伴う場合には、刑法が規定する強要罪(三年以下の懲役)にも該当する。

※ 創価学会は人権侵害団体であり、現在なお、強引な勧誘を続ける反社会的カルトである。



◇◆◇ 創価学会の「護符」 ◇◆◇

創価学会は現世利益を重視する宗教であり、病気平癒などの様々な効果があると称する
マジナイが行われている。池田大作名誉会長の発案になるという「護符」がそれである。

「護符」とは「池田先生が日頃拝んでいる板本尊を拭いた和紙を小さく刻んだもの」と
され、それを飲むことで、病気が治ったり選挙で当選したりのご利益があるのだという。

池田大作の代表作『人間革命』には、「われわれの哲学は、〈略〉世界の一切の科学を
指導する、最高にして、しかも未来の哲学であります」(第七巻)という記述がある。

池田は、上記のような大言壮語をしておきながら、ただの紙切れに過ぎない「護符」を
飲めば病気が治るとかぬかす非科学的な呪術を、20世紀後半にもなって考え出したのだ。

創価学会は他の宗教を「科学的根拠がない」といって否定する一方で、「護符」のよう
なインチキなマジナイを、21世紀の今日もなお続けている、頭がおかしいカルトである。



解説

 当ブログをご覧の方の中にも、創価学会員から折伏を受けた経験のある方は、少なから
ずいらっしゃることと思う。かく言う私も、何回か折伏を受けたことがある。

 折伏に際して学会員は、あの手この手で入信させようと色々なことを言ってくるが、そ
の多くについて言えることは、卑怯卑劣だということである。

 宗教には多かれ少なかれ非合理的、非科学的な面があるものだが、上述のように、創価
学会員の論法は、他の宗教は非科学的だの迷信だのと言い立て、その一方で創価学会の非
科学的な面には頬かむりするという、ダブルスタンダードそのものである。

 創価学会の非科学性を表す典型例が「護符」である。その原型は、創価学会がかつて属
していた日蓮正宗の「御秘符」――総本山大石寺法主の祈念が込められた食紅を飲むとい
うもの――であり、「護符」はその劣化コピーといっても差し支えないだろう。

 ※ 御秘符は『人間革命』にも「護秘符」という呼称で登場していたが、現在市販され
  ている『人間革命』第二版からは、護秘符の記述は削除されている。

 「護符」の発案者は、創価学会員にとっての永遠の師匠・池田センセイであり、かつて
は彼の身内が「製造」していたという話もある。


>  これはある行事の折に、猊下が化儀にのっとって大御本尊様を和紙を用いてお掃除
> し奉ったその紙をたまたま登山していた池田前会長が猊下から戴いて帰ったことがあ
> ります。
>  それからしばらくして学会内に「護符」と称するものが出回り始めたのです。ちな
> みに正宗には「御秘符」はありますが護符などというものは存在しません。(中略)
> あたかも秘薬の如き錯覚をさせる指導をしていたのです。(中略)ある時など前会長
> (池田氏)の身内のK・S氏が一日中ハサミを持って「製造」していたことも確認さ
> れているのです。
 (創価学会脱会者の会 編著『私はこうして創価学会をヤメた』より引用)

 ※ 「猊下」とは大石寺法主のことである。


 池田大作の妻かねの旧姓は「白木」である。K・S氏とは、池田の妻の親族と考えてよ
いだろう。

 かつての創価学会では、大きなイベントの際には、しばしば「護符」が配られたという。
学会員たちは、それを有難がって飲んでいたのである。

 現在の創価学会では、大々的に「護符」を配布することはなくなったようだが、それで
も希望する者には、信濃町の本部で「池田先生が日頃拝んでいる板本尊を拭いた和紙を小
さく刻んだもの」という触れ込みの、「護符」を渡しているそうである。

 私個人は本来、「護符」のような紙切れを飲みたいとは思わないが、毒にも薬にもなら
ない程度のマジナイに目くじらを立てようとも思わない方である。他人に迷惑をかけない
のであれば、誰が何を信じようと勝手なのだから。

 だが、自分たちがやってきたタワけたマジナイを棚に上げて、他の宗教を「科学的な根
拠がない」などと批判し、強引かつ人権侵害そのものの勧誘を行ってきた創価学会は、厳
しく指弾されるべきであろう。

2018年11月4日日曜日

創価批判コピペ集‐⑨(「創価学会と平和主義」他)

創価学会と平和主義

創価学会は初代牧口会長以来、反戦平和団体だったと自称しているが、それは事実だろうか?
戦時中、幹部が治安維持法違反で逮捕されたのは事実だが、その理由は反戦平和を訴えたか
らではなく、日蓮を仏として戦勝祈願すべきと主張し神札の受け取りを拒否したからだった。

第二代会長・戸田城聖は「戦争では勝ちたかった。負けるとは思っていなかった。初代会長
は勝つといっていた」と語っている。彼らの集会では、昭和30年代まで軍歌をうたっていた。

第三代会長・池田大作は、暴力団と癒着した地上げで墓苑開発を進めた。日蓮正宗から破門
され脱会者が相次いだ際、幹部は「脱会者は自殺に追い込め」と末端学会員に指示していた。

「青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は厳罰で野たれ死ぬまで攻め抜け」(『聖教新
聞』平成16年11月18日付)このアジテーションが、創価学会の真の姿を雄弁に物語っている。

※ 創価学会の「平和主義」は口先だけ見せかけだけで、池田大作はエセ平和主義者である。



創価学会の「仏敵撲滅唱題会」

創価学会は、彼らにとって都合の悪い人間を「仏敵」と呼び、様々な嫌がらせを行って
きた。元顧問弁護士で批判者に転じた山崎正友氏、創価学会を破門した日蓮正宗前法主
の阿部日顕氏、元公明党委員長の竹入義勝氏、矢野絢也氏などが「仏敵」とされてきた。

創価学会は「仏敵」に対して、聖教新聞などで悪口雑言の限りを尽くしてきたが、それ
だけでなく、学会員を動員して呪いの儀式のようなことまでやっていた。それが「仏敵
撲滅唱題会」である(「唱題」とは南無妙法蓮華経という、題目を唱えることである)。

「仏敵撲滅唱題会」の実態は、創価学会の会館等に多数の学会員を集め、仏敵の名を記
した「撲滅祈念表」を仏壇に貼り、「憎しみをこめて」題目を唱えるというものである。
「仏敵撲滅唱題会」は何回も行われた。多くの学会員が呪いの儀式に熱狂してきたのだ。

※ 創価学会は信者達に憎悪を植え付けてきた。彼らのいう「平和」は偽りに過ぎない。



解説

 御多分にもれず、創価学会も「平和」とか「人権」とかのキレイな言葉で自らを飾るこ
とを好み、そうしたイメージを世間に根づかせようと試みてはいるが、それにも関わらず
世間の良識ある人々から胡乱な目で見られ続けているのは、彼らが歴史を改竄して、最初
から平和団体であったかのように偽ったり、学会員が時折り、独善的で敵愾心に満ちた素
顔を見せたりするからであろう。

 「創価学会と平和主義」で引用した戸田城聖の言葉は、宗教学者・小口偉一氏の『宗教
と信仰の心理学』が出典である。

 『宗教と信仰の心理学』の初版は昭和31年(1956年)で、当時、世間を騒がせていた新
興宗教の教祖や信者へのインタビューが収録されており、戸田城聖や池田大作の発言も含
まれている。その中で戸田は、戦争について次のように述べている。


> 「戦争では勝ちたかった。負けるとは思っていなかった。私の今もっている信念は、
> 当時はなかった。私には教学もなかったし、勉強もしていなかったからなんだ。初代
> 会長は勝つと言っていた。教線が延びたのは日本の戦勝と一致していたし、学会の弾
> 圧と敗戦への方向が一致し、初代会長の獄死と共に本土空襲がはじまったので、その
> 結びつきは考えた。」


 牧口にしろ、戸田にしろ、戦時中は当時の多くの日本人と同じように、素朴に祖国の勝
利を願っていたのである。私はこの点について批判しようとは思わない。

 だが、「永遠の師匠」であるはずの牧口・戸田の言行を、不都合になったからといって、
無かったことにしようとする創価学会の姿勢は、不誠実そのものと言わねばならない。

 創価学会は、脱会しようとする者を「地獄に堕ちる」などと脅したり、彼らの独善的な
体質を批判する者を「仏敵」と呼んで嫌がらせしたりと、会員に対して裏切り者や批判者
に対する敵意や、自分が裏切り者と見られるようになることへの恐怖心を植え付けること
で、求心力を維持してきた。

 そうした敵意が表出したものこそ、「仏敵撲滅唱題会」であろう。
 元公明党委員長・矢野絢也氏が自著の、自身が創価学会内部で吊し上げを受ける立場に
なったいきさつを述べている一節で、この仏敵撲滅唱題について言及している。


>  青年部から吊るし上げられている最中、過去に創価学会から糾弾された人々の顔と
> 彼らに対する学会の執拗で激しい攻撃が脳裏を掠めた。
>  とりわけ竹入義勝・元公明党委員長、山崎正友・元創価学会顧問弁護士、阿部日顕・
> 日蓮正宗前管長、藤原行正・元公明党都議への凄まじいバッシングは、忘れようにも
> 忘れられなかった。聖教新聞などで連載記事、特集記事を組んで批判を長期にわたっ
> て展開し、とくに紙面での幹部座談会記事では、およそ宗教団体、宗教人の言葉とは
> 思えない汚い口調の誹謗を掲載していた。
 (中略)
>  学会会合の会場の入り口には、それらの人の名を書いた色紙様の紙を置き、会員た
> ちにあたかも踏み絵のように土足で踏み躙らせた。こうすることによって会員の憎悪
> 心を掻き立てただけでなく、躊躇する者は異心ありとして学会への忠誠心を確かめた
> のだった。
>  また、会合では仏壇に彼らの名を記した色紙様の紙を置き、呪い殺さんかのように
> 会員に指導した。
 (『黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録』より引用)


 矢野氏は、彼が裁判で創価学会と争うようになって以降、撲滅唱題は取りやめになった
との伝聞も記してはいるが、そう遠くない過去に、踏み絵や呪詛の儀式のようなことを組
織を挙げて行っていた創価学会が、人権や平和を標榜している欺瞞には、唖然とするほか
ない。

 創価学会と軍国主義との関わりや、仏敵撲滅唱題会については、より詳細に論じる意義
があると思うので、いずれ機会を見て再度取り上げるつもりである

 ※ 池田大作は「平和主義者」ということになっているが、彼がそのように振る舞った
  のは海外で政治家や著名人と面会したり、顕彰を受けたりするために、「宗教団体の
  指導者で平和主義者」という肩書が便利だったからであろう。池田が本心からの絶対
  平和主義者だったとは、とても思えない。この点については以前論じたので、興味が
  ある方は以下をご覧いただきたい。

  池田大作は本当に平和主義者か?