2018年11月4日日曜日

創価批判コピペ集‐⑨(「創価学会と平和主義」他)

創価学会と平和主義

創価学会は初代牧口会長以来、反戦平和団体だったと自称しているが、それは事実だろうか?
戦時中、幹部が治安維持法違反で逮捕されたのは事実だが、その理由は反戦平和を訴えたか
らではなく、日蓮を仏として戦勝祈願すべきと主張し神札の受け取りを拒否したからだった。

第二代会長・戸田城聖は「戦争では勝ちたかった。負けるとは思っていなかった。初代会長
は勝つといっていた」と語っている。彼らの集会では、昭和30年代まで軍歌をうたっていた。

第三代会長・池田大作は、暴力団と癒着した地上げで墓苑開発を進めた。日蓮正宗から破門
され脱会者が相次いだ際、幹部は「脱会者は自殺に追い込め」と末端学会員に指示していた。

「青年よ、仏敵を打ち砕け。学会迫害の悪人は厳罰で野たれ死ぬまで攻め抜け」(『聖教新
聞』平成16年11月18日付)このアジテーションが、創価学会の真の姿を雄弁に物語っている。

※ 創価学会の「平和主義」は口先だけ見せかけだけで、池田大作はエセ平和主義者である。



創価学会の「仏敵撲滅唱題会」

創価学会は、彼らにとって都合の悪い人間を「仏敵」と呼び、様々な嫌がらせを行って
きた。元顧問弁護士で批判者に転じた山崎正友氏、創価学会を破門した日蓮正宗前法主
の阿部日顕氏、元公明党委員長の竹入義勝氏、矢野絢也氏などが「仏敵」とされてきた。

創価学会は「仏敵」に対して、聖教新聞などで悪口雑言の限りを尽くしてきたが、それ
だけでなく、学会員を動員して呪いの儀式のようなことまでやっていた。それが「仏敵
撲滅唱題会」である(「唱題」とは南無妙法蓮華経という、題目を唱えることである)。

「仏敵撲滅唱題会」の実態は、創価学会の会館等に多数の学会員を集め、仏敵の名を記
した「撲滅祈念表」を仏壇に貼り、「憎しみをこめて」題目を唱えるというものである。
「仏敵撲滅唱題会」は何回も行われた。多くの学会員が呪いの儀式に熱狂してきたのだ。

※ 創価学会は信者達に憎悪を植え付けてきた。彼らのいう「平和」は偽りに過ぎない。



解説

 御多分にもれず、創価学会も「平和」とか「人権」とかのキレイな言葉で自らを飾るこ
とを好み、そうしたイメージを世間に根づかせようと試みてはいるが、それにも関わらず
世間の良識ある人々から胡乱な目で見られ続けているのは、彼らが歴史を改竄して、最初
から平和団体であったかのように偽ったり、学会員が時折り、独善的で敵愾心に満ちた素
顔を見せたりするからであろう。

 「創価学会と平和主義」で引用した戸田城聖の言葉は、宗教学者・小口偉一氏の『宗教
と信仰の心理学』が出典である。

 『宗教と信仰の心理学』の初版は昭和31年(1956年)で、当時、世間を騒がせていた新
興宗教の教祖や信者へのインタビューが収録されており、戸田城聖や池田大作の発言も含
まれている。その中で戸田は、戦争について次のように述べている。


> 「戦争では勝ちたかった。負けるとは思っていなかった。私の今もっている信念は、
> 当時はなかった。私には教学もなかったし、勉強もしていなかったからなんだ。初代
> 会長は勝つと言っていた。教線が延びたのは日本の戦勝と一致していたし、学会の弾
> 圧と敗戦への方向が一致し、初代会長の獄死と共に本土空襲がはじまったので、その
> 結びつきは考えた。」


 牧口にしろ、戸田にしろ、戦時中は当時の多くの日本人と同じように、素朴に祖国の勝
利を願っていたのである。私はこの点について批判しようとは思わない。

 だが、「永遠の師匠」であるはずの牧口・戸田の言行を、不都合になったからといって、
無かったことにしようとする創価学会の姿勢は、不誠実そのものと言わねばならない。

 創価学会は、脱会しようとする者を「地獄に堕ちる」などと脅したり、彼らの独善的な
体質を批判する者を「仏敵」と呼んで嫌がらせしたりと、会員に対して裏切り者や批判者
に対する敵意や、自分が裏切り者と見られるようになることへの恐怖心を植え付けること
で、求心力を維持してきた。

 そうした敵意が表出したものこそ、「仏敵撲滅唱題会」であろう。
 元公明党委員長・矢野絢也氏が自著の、自身が創価学会内部で吊し上げを受ける立場に
なったいきさつを述べている一節で、この仏敵撲滅唱題について言及している。


>  青年部から吊るし上げられている最中、過去に創価学会から糾弾された人々の顔と
> 彼らに対する学会の執拗で激しい攻撃が脳裏を掠めた。
>  とりわけ竹入義勝・元公明党委員長、山崎正友・元創価学会顧問弁護士、阿部日顕・
> 日蓮正宗前管長、藤原行正・元公明党都議への凄まじいバッシングは、忘れようにも
> 忘れられなかった。聖教新聞などで連載記事、特集記事を組んで批判を長期にわたっ
> て展開し、とくに紙面での幹部座談会記事では、およそ宗教団体、宗教人の言葉とは
> 思えない汚い口調の誹謗を掲載していた。
 (中略)
>  学会会合の会場の入り口には、それらの人の名を書いた色紙様の紙を置き、会員た
> ちにあたかも踏み絵のように土足で踏み躙らせた。こうすることによって会員の憎悪
> 心を掻き立てただけでなく、躊躇する者は異心ありとして学会への忠誠心を確かめた
> のだった。
>  また、会合では仏壇に彼らの名を記した色紙様の紙を置き、呪い殺さんかのように
> 会員に指導した。
 (『黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録』より引用)


 矢野氏は、彼が裁判で創価学会と争うようになって以降、撲滅唱題は取りやめになった
との伝聞も記してはいるが、そう遠くない過去に、踏み絵や呪詛の儀式のようなことを組
織を挙げて行っていた創価学会が、人権や平和を標榜している欺瞞には、唖然とするほか
ない。

 創価学会と軍国主義との関わりや、仏敵撲滅唱題会については、より詳細に論じる意義
があると思うので、いずれ機会を見て再度取り上げるつもりである

 ※ 池田大作は「平和主義者」ということになっているが、彼がそのように振る舞った
  のは海外で政治家や著名人と面会したり、顕彰を受けたりするために、「宗教団体の
  指導者で平和主義者」という肩書が便利だったからであろう。池田が本心からの絶対
  平和主義者だったとは、とても思えない。この点については以前論じたので、興味が
  ある方は以下をご覧いただきたい。

  池田大作は本当に平和主義者か?