2018年7月29日日曜日

日蓮と念仏②

 ※ 今回は日蓮遺文だけでなく、法然の『選択本願念仏集』等も引用する。

2.法然の独創、日蓮の模倣

 歴史学者・家永三郎氏は「親鸞と日蓮」と題した小論で、法然・親鸞と比較した上で、
日蓮について以下のような評価を下している。


>  日蓮もまた、親鸞と同様に東国でその新しい宗教を創造した。しかし、あえて率直
> に私見を言わせてもらうが、日蓮は、法然や親鸞のようにきっぱりと古い仏教の因襲
> のキズナを断ち切ろうとしなかったし、人間本質の自省においても、親鸞ほどの深刻
> さを欠いていた。何よりもその宗教が、法然の浄土教との対抗意識に駆られての所産
> であったから。法然・親鸞に見られない積極的・戦闘的態度などにおいて、独自の特
> 色を発揮しているとはいうものの、大局的にみて二番せんじのうらみを免れるもので
> ない。
 (日本古典文学大系『親鸞集 日蓮集』より引用)


 「古い仏教の因襲のキズナを断ち切ろうとしなかった」というのは、日蓮が「五時八教
の教判」等の天台教学をそのまま踏襲したことを指すと思われる。

 だが、家永氏は日蓮のどこが二番煎じであったのか、この小論で具体的に指摘している
わけではない。

 家永氏が日蓮を二番煎じ呼ばわりした理由を知るためには、日蓮が対抗意識に駆られた
という、法然の独創性を理解する必要がある。

 歴史の授業で、鎌倉新仏教について習ったことを覚えておいでの方も多いことと思う。
法然はその鎌倉新仏教の嚆矢とされているが、法然の主張のどこが新しかったのだろうか。

 法然が「南無阿弥陀仏」と唱えると救われるという念仏信仰を説いたことは、ほとんど
の方がご存知であろうが、念仏は別に法然が始めた訳ではない。
 また、本来、念仏というのは「南無阿弥陀仏」を唱えることだけをいうのではない。

 単に「南無阿弥陀仏」を唱えることを称名念仏というが、それ以外にも阿弥陀仏像の周
りを歩きながら仏を念じる修行や、極楽浄土と阿弥陀如来の姿を心に念じる観想念仏など、
念仏に含まれる仏道修行はいくつもあった。

 観想念仏の修行法を説いた経典が『観無量寿経』だが、現在のような視覚的イメージを
喚起する映像技術などない時代に、経典の文言だけによって極楽浄土の姿を想いうかべる
のは困難だったはずである。

 それ故に極楽浄土に似せた寺院まで作られた。十円青銅貨の表に刻まれている平等院鳳
凰堂がそれである。

 念仏の修行法としては、観想念仏こそが優れた方法であり、称名念仏は「劣機のための
劣行」としか見なされていなかった。「劣機」とは機根――悟りを開く資質――に劣る者
を意味する。称名念仏は、救いに遠い者のための劣った修行法でしかなかったのである。

 法然の革新性は、その称名念仏を「極善最上の法」と言い切ったところにある。法然の
主要な主張は『選択本願念仏集』にまとめられているので、当該部分を引用する。


>  故に極悪最下の人の為に極善最上の法を説く所、例せば彼の無明淵源の病は、中道
> 府蔵の薬に非ざれば、すなわち治すること能わざるがごとし。今この五逆は重病の淵
> 源なり。またこの念仏は、霊薬府蔵なり。この薬に非ざれば、何ぞこの病を治せん。


 ここでいう「極悪最下の人」とは五逆――父母を殺すことなど、仏教で最も重い罪とさ
れる五つの悪行――を犯した人のことである。念仏はそのような極悪人でも救う「霊薬」
だというのである。

 法然はこの記述の次の章で、『観無量寿経』が説く観想念仏について触れた上で「念仏
とは、専ら弥陀仏の名を称するこれなり」とし、称名念仏こそが本来あるべき念仏である
としている。

 『選択本願念仏集』には、称名念仏の一行を選び取る理由として、「仏像を作ったり、
智慧に優れていたり、厳しい戒律を守ったりしなければ救われないというのであれば、貧
しい者、愚かな者、戒律を守れない者は救いの望みを絶たれることになる。それは一切衆
生を平等に救済しようという、阿弥陀如来の慈悲に反する。誰にでもできる称名念仏こそ
が、阿弥陀如来の本願である」との趣旨が述べられている(原文は補足1で引用)。

 日蓮は『守護国家論』の中で、「中昔邪智の上人有りて末代の愚人の為に一切の宗義を
破して選択集一巻を造る」と述べているが、それはこの一節を踏まえての記述であろう。

 『選択本願念仏集』は法然の死後、弟子たちによって出版された。その結果、多くの批
判がなされることとなった。

 修行して悟りを得ようとする本来の仏教を軽視するものだというものや、念仏の修行は
『観無量寿経』が説くとおり観想念仏を重視すべきだというものが、批判の主なものだっ
た。

 また、どんな悪人であっても救われるという教えをいいことに悪事を働く者も現れた。
法然はそれを懸念していたからこそ、『選択本願念仏集』の末尾を以下の言葉で締めくく
っていたのであるが。


>  庶幾(こいねが)わくは一たび高覧を経てのち、壁底に埋めて窓前に遺すこと莫れ。
> 恐らくは破法の人をして、悪道に堕せしめんことを。

 ※ 『選択本願念仏集』は、前関白・九条兼実の要請により執筆された。この言葉は九
  条公に宛てたものだったのだろうが、法然の弟子たちは、師が没するとすぐに出版に
  踏み切り、前述のように批判を招くことになった。


 念仏のせいで世が乱れているという日蓮の指摘は、まったく根拠がなかったとは言えな
いのである。

 念仏者の狼藉が、ある種の社会問題になっていたことを日蓮は指摘しており、『撰時抄』
などには、当時、寺院に寄進されていた荘園を奪い取り、念仏堂に寄進する者が後を絶た
なかったとの記述がある(当該の記述は補足2で引用)。

 鎌倉時代当時、大寺院は広大な寺領を有する荘園領主であり、僧侶はその統治者だった。
漢文で書かれた経典を読みこなすなどの高度な識字能力を備え、厳しい修行を実践し、そ
の他にも様々な専門技能――医療や建築など――を有する僧侶の社会的地位は現在よりも
ずっと高かった。

 要するに「お坊さんはエラい。だから支配者になる資格がある」と、思われていたので
ある。

 だが法然は、誰にでも実践できる称名念仏を「極善最上の法」とした。そうなると、難
しい修行をする僧侶が「エラい」とは言えなくなってしまう。

 この権威破壊性が、新興の武士階級にとって都合がよかったのであろう。日本の中世は、
武士階級が貴族や寺院等の旧勢力の荘園を蚕食する過程でもあった。念仏信仰の隆盛は、
そうした傾向と軌を一にする面もあったのである。

 「念仏信仰の流行が世を乱している」という日蓮の指摘は、一面で的を得ていた。だが
その理由は、日蓮が主張するように「念仏を唱えることが正法である法華経を誹謗するこ
とになるから」ではない。繰返しになるが、称名念仏の易行性には、僧侶や寺院の権威を
否定する面があったからである。

 そして日蓮は、称名念仏の易行性をそのまま模倣した。
 『観心本尊抄』の末尾には、こう書かれている。


>  一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚
> の頸に懸けさしめたまふ。

 ※ 「五字」とは無論「妙法蓮華経」のことである。


 「南無妙法蓮華経」を唱えることは、称名念仏と同じく誰にでもできる。日蓮没後に増
えたその教えを奉じる人々が法華一揆を引き起し、一向一揆と同様の社会的混乱をもたら
したのは当然の成り行きだった。

 法然や日蓮をどう評価するかは、人によって違うであろう。誰にでも実践できる平易な
教えを説き、宗教的救済を万人に開かれたものとし、貧しく虐げられていた人々の結束を
促したと肯定的に評価することもできるし、仏教を堕落させ、社会秩序を乱したという批
判的な評価もあるだろう。

 だが、誰でも実践できる易行をもって「極善最上の法」とする革新性・独創性は、法然
一人に帰せられるものである。

 そして、現在もその教えを奉じると称する連中――創価学会や顕正会――が社会を乱し
ているのは、日本の伝統宗派の祖師の中では日蓮だけである(この点については、戸田城
聖や池田大作のようなエセ宗教家の責任が大きく、日蓮はその教えを悪用された面もある
が、日蓮の思想が本来的に独善性・戦闘性を内包していたことは否定できない)。

 さて、日蓮の教えは法然の模倣に留まるものではなかった。その点も指摘しなければ不
公平だろう。

 法然は現世利益については否定的で、「神仏に祈って病気が治るのならば、誰か病気で
死ぬ人がいるだろうか」と述べている。


>  又宿業かぎりありて、うくべからん病は、いかなるもろもろのほとけかみにいのる
> とも、それによるまじき事也。いのるによりて病もやみ、いのちものぶる事あらば、
> たれかは一人として病み死ぬる人あらん。
 (『浄土宗略抄』より引用)


 それに対して日蓮は、現世利益肯定派である。前回も引用した元念仏信者・南条兵衛七
郎に宛てた手紙で、「法華経は念仏と違って今生の祈りともなる」と述べている(原文は
補足3で引用)。

 ※ もっと端的に「南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや」
  と述べている遺文もある(『経王殿御返事』)。この遺文は「日蓮がたましひをすみ
  にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」の一文でも知られているが、真蹟・古写
  本ともに現存していない。

 私個人の考え方は法然に近いが、効果的な医療が存在しなかった鎌倉時代の人々が、日
蓮の教えに惹かれたのは自然なことだったとも思う。

 また「病は気から」ということもあるので、適切な医療を受けた上で信仰を心の支えに
するのは、現在でも悪いことではないだろう。

 だが、「科学的な根拠がない」と言って他の宗教を批判しながら、「護符」のようなイ
ンチキなマジナイや、「仏敵撲滅唱題」を行ってきた創価学会に弁護の余地はない。彼ら
と比べれば、鎌倉時代の法然の方がまだずっと合理的である。

 これは蛇足かも知れないが、日蓮が61歳で没したのに対し、法然は78歳、その弟子の親
鸞は90歳まで生きた。題目の方が念仏よりも優れていると主張したい方には、この史実も
ご一考いただきたいものである。



補足1

>  もしそれ造像起塔を以て、本願としたまわば、すなわち貧窮困乏の類は定んで往生
> の望を絶たん。然るに富貴の者は少なく、貧賤の者ははなはだ多し。もし智慧高才を
> 以て本願としたまわば、愚鈍下智の者は定んで往生の望を絶たん。然るに智慧ある者
> は少なく、愚癡なる者ははなはだ多し。もし多聞多見を以て本願としたまわば、少聞
> 少見の輩は定んで往生の望を絶たん。然るに多聞の者は少なく、少聞の者ははなはだ
> 多し。もし持戒持律を以て本願としたまわば、破戒無戒の人は定んで往生の望を絶た
> ん。然るに持戒の者は少なく、破戒の者ははなはだ多し。自余の諸行これに准じてま
> さに知るべし。まさに知るべし、上の諸行等を以て本願としたまわば、往生を得る者
> は少なく、往生せざる者は多からん。然ればすなわち弥陀如来、法蔵比丘の昔、平等
> の慈悲に催され、普く一切を摂せんが為に、造像起塔等の諸行を以て、往生の本願と
> したまわず。ただ称名念仏の一行を 以て、その本願としたまえる。
 (『選択本願念仏集』第三章段より引用)

 ※ 『選択本願念仏集』は浄土宗のサイトで全文を閲覧可能。
   ちなみに「選択」は浄土宗では「せんちゃく」、浄土真宗では「せんぢゃく」と読
  む慣例となっている。


補足2

>  日本国の法然が料簡して云はく、今日本国に流布する法華経・華厳経並びに大日経・
> 諸の小乗経、天台・真言・律等の諸宗は、大集経の記文の正像二千年の白法なり。末
> 法に入っては彼等の白法は皆滅尽すべし。設ひ行ずる人ありとも一人も生死をはなる
> べからず。十住毘婆沙論と曇鸞法師の難行道、道綽の未有一人得者、善導の千中無一
> これなり。彼等の白法隠没の次には浄土の三部経・弥陀称名の一行計り大白法として
> 出現すべし。此を行ぜん人々はいかなる悪人愚人なりとも、十即十生・百即百生、唯
> 浄土の一門のみ有って通入すべき路なりとはこれなり。されば後世を願はん人々は叡
> 山・東寺・園城・七大寺等の日本一州の諸寺諸山の御帰依をとどめて、彼の寺山によ
> せをける田畠郡郷を奪いとて念仏堂につけば、決定往生南無阿弥陀仏とすすめければ、
> 我が朝一同に其の義になりて今に五十余年なり。
(『撰時抄』より引用)


 法然の説いた易行で救われるという信仰には、結果として既存の寺院・僧侶の権威を否
定する面があったことは、本文で述べたとおりである。

 だが、「大寺院の寺領を奪って念仏堂に寄進すれば、『決定往生南無阿弥陀仏』と法然
が勧めた」などという史実はなく、この一節は日蓮による誹謗中傷であるが、法然の意図
に反して念仏信仰を寺領侵略の正当化に用いる輩は、実際にいたのであろうと思われる。


補足3

>  もしさきにたたせ給はば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給ふべし。
> 日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ。よもはうしんなき事は候
> はじ。但一度は念仏、一度は法華経となへつ、二心ましまし、人の聞にはばかりなん
> どだにも候はば、よも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ。後にうらみさせ給ふな。
> 但し又法華経は今生のいのりとも成り候なれば、もしやとしていきさせ給ひ候はば、
> あはれとくとく見参して、みづから申しひらかばや。
(『南条兵衛七郎殿御書』より引用)