2019年5月12日日曜日

功徳とバチ

 創価学会員から何度もしつこい投票依頼を受け、迷惑しているのでやめて欲しい旨を伝
えたのに、それでも同じことを繰り返され、困ったことがある人は現在でも多い。

 直接に学会員から被害を受けた経験がなくても、インターネットや書籍で創価学会が貧
しい会員からも、財務などの金集めを行っていることを知り、その理不尽さに義憤をおぼ
えた方もいらっしゃるはずである。

 創価学会員が非常識な行動を取ったり、道義にもとる振る舞いをしたりする理由は何だ
ろうか。

 結論から述べると、カルト信者はマインドコントロールを受けているため、常識的な判
断力が麻痺してしまっているのである。

 創価学会員について言えば、「正しい信仰――すなわち創価学会――は功徳(ご利益)
をもたらし、誤った信仰をしたり信心をサボったりすればバチがある」という思い込みが、
彼らの行動を制約している。以下、具体例を挙げて検証する。

 創価学会は、公明党議員の口利きで、学会員による生活保護の申請がとおり易いように
図らっている一方で、生活保護を受給している者からも財務やマイ聖教で収奪してきた。

 当然のことながら、そうした実態はマスコミ等から強い批判を受けた(「公明党による
口利きの代価」参照)。

 さすがの創価学会も行動を改め、近年は「生活保護の受給者には財務をさせないように」
との指導を本部がするようになったという。

 だが、この指導は実際には形骸化しているとの告発もある。
 かつて婦人部の活動家だったというMeさんのブログ「創価と引寄せと私」に、彼女が
学会活動をやめるきっかけとなった出来事が記されている(脱会したわけではないとのこ
と)。

 それによると、広布部員(財務をする人)を増やすようにとの目標を、上層部から示さ
れた際、ノルマを達成するために幹部が働きかけて、生活保護を受給している学会員にも
財務の申し込みをさせた。

 この出来事にMeさんは衝撃を受け、非活になることを決意したそうである。
 創価学会は、良識ある人間にとって耐えがたい組織なのだ。

 「生活保護を受けている人には財務をさせるな」という指示が本部からあったにもかか
わらず、地域レベルの幹部がそれを守らなかったのは、なぜだろうか。

 無理をしなければ達成できないようなノルマを提示した上層部にも問題があると言える
が、より根本的なのは、多くの学会員、特に幹部たちが、「生活が苦しい人にお金を出さ
せるのは気の毒だ」という、常識的な判断が出来なくなっていることにある。

 学会員は「創価学会のためにお金を出せば功徳になり、福運がつく」と、本気で信じて
いる。だから「生活保護受給者はお金に困っているかもしれないけれど、財務をすれば功
徳があり、そういう境涯から抜け出せるはず」と考える。良心の呵責など感じないのだ。

 もし、財務をした人に具体的なご利益がなくても、それは「当人の信心が足りないから」
であり、財務をさせた幹部が責任を感じることはない。

 常識的・道徳的な思考よりも、功徳やバチに基づいた判断の方が、創価学会では尊重さ
れるのである(信仰の論理よりも常識を優先させる者は、「世法に流されている」という
批判を受け、信仰心が薄い人とみなされる)。

 創価学会はその創成期から、聖教新聞や幹部の指導等を通じて「功徳とバチ」を優先す
る考え方を、学会員たちに刷り込んできた。一例を示す。

(『聖教新聞』昭和30年〔1955年〕12月18日付)

 このように創価学会の出版物では、「財務をすれば功徳がある」と強調されていたが、
当然ながら外部の観察者はより冷静な見方をしていた。

 『宗教と信仰の心理学』(小口偉一 編著 初版:昭和31年〔1956年〕)には、当時、世
間を騒がせていた新興宗教の幹部や一般信者に対する、宗教学者による聞き取り調査がま
とめられている。この本には、創価学会員の証言も収録されている。

 証言しているのは、生活費を稼ぐために日雇い労働者をしているという43歳の未亡人で、
十分な教育を受けておらず、決して豊かとは言えない人物である。
 創価学会は、こうした信者にも金を出させていた。以下、引用。


 (前略)
>  昨年も寄付いってきて五〇円だしましたが、今度もまたあったんです。出しません
> でした。女の細腕一つではできませんからねえ。昨年はお山へ行くと泊るところを建
> てるというので、二〇〇円いってきたんです。五〇円でかんにんしてもらったんです。
> 最初から五〇円といってくれればいいですね。困る人ほど多く出して貰わねばならな
> いとその時いわれたんです。その時不満を感じるとバチが当るというんですねえ。怨
> 羨をするとバチがあたるといいます。テキメンに来ることがあります。弁当箱忘れて
> なくしたり。
 (中略)
>  本買って読まなきゃいかんといわれるんですけどねえ。買えないし、つかれて読め
> ないし、わたしどうしたらよいかわからないんです。


 この女性の証言は以上である。
 「困る人ほど多く出して貰わねばならない」という指導には、「創価学会のために多く
の金を出せば、それが功徳になって宿命転換できる(今の貧しい境涯から抜け出せる)」
という含意があったと考えられる。

 『宗教と信仰の心理学』の著者は、証言に続けて次のような感想を述べている。


>  教団の幹部にこのような実状を話すと、末端の行きすぎであると答えられるだろう
> が、バチにおののく気の毒な女性が第三者の胸をうつにちがいない。案外こういった
> 信仰によって教団の支えられている点が大きいのではないだろうか。創価学会の会長
> はいっている「もうからない御利益のない信仰なんかやめたらよい。もうかるから、
> 病気が治るから信仰するんですよ」「バチはテキメンですね」と。


 創価学会は、誰の人生にも起こり得る様々な出来事を「功徳とバチ」で説明し、信者に
「創価学会の信仰だけが功徳をもたらす」と吹き込んできた。

 「功徳とバチ」の実体は、たいていの場合、ただの思い込みである。この一円の元手も
かからないアメとムチにより、創価学会は信者を支配してきた(時として、人為的な嫌が
らせを「仏罰」だと言い張ることもあるが……)。

 創価学会員は強引な勧誘等の迷惑行為を、組織を挙げて行っているが、常識に基づいて
そのようなことをやめるように説得しても、冒頭でも述べたとおり、たいていの場合、功
を奏しない。

 日常の些細なことまで「功徳とバチ」のせいにする学会員にとって、学会員でない者が
困ったり苦しんだりすることは、「正しい信仰をしていないことによるバチ」であり、自
らの信仰の正しさを実証することとして目に映る。

 また、他人の苦境につけ込んで勧誘したり、聖教新聞を何部も取らせたり、財務で金を
出させたりすることは、「功徳を積ませて宿命転換させ、救ってあげるため」なのである。

 学会員に常識を取り戻させ、迷惑行為をやめさせるには、まずマインドコントロールを
解くことが必要なのだ。

 当ブログを閲覧されている方の中にも、創価学会に疑問を持った学会員もいらっしゃる
ことと思う。そのような方には、インターネットや書籍等で多くの情報に触れ、何が正し
いかを自分自身で考えることをお勧めしたい。

 思考停止に陥っていることに気づき、理性的な判断を取り戻すことが、カルトの支配か
ら逃れ、真っ当な人生を始める第一歩となるはずである。


補足

 当ブログも開設して2年が経過し、投稿の数もとうに100を超えた。それらの記事の中で
最も多く閲覧されているのは「池田城久の死」である。

 この記事がかくも注目された理由は、創価学会において信心の師匠とされ、「私には福
運がある」「私が祈って死んだ人はいない」と豪語していた池田大作が、後継者候補とし
て期待をかけていた実の息子を救えなかったという事実が、多くの創価学会員にとって衝
撃的だったからではないかと愚考する。

 外部の一般人にとっては当然のことだが、創価学会の信仰には、超自然的な病気の治癒
をひき起こすような「功徳」などない。

 ありもしない「功徳」への期待をエサに、財務やマイ聖教で信者たちから金を巻き上げ
る創価学会が、インチキ宗教でなくて何であろう。

 絶対に正しいと信じ、心の支えとしてきた信仰がマヤカシだという事実を直視すること
は苦痛だと思う。でもそれを避けていては、地に足をつけて生きることはできない。

 一人でも多くの学会員が、真実を直視することでマインドコントロールから解放され、
より健全な人生を歩めるようになってほしいと思う。当ブログがその一助となれば幸甚で
ある。

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