2019年5月5日日曜日

創価学会の行く末

 令和に改元されて最初の記事となる本稿では、創価学会の今後について考える。
 ありのままの実態を物語るエピソードのほぼすべてが根深い反社会性を示し、嫌悪や冷
笑を呼び起こすものばかりのカルトが、これからも生き残ることができるのだろうか。

 創価学会の公称世帯数は、過去十数年間、827万世帯から変化していない。この数字は
入信者に配布した本尊の累計らしいが、明らかに過大な数字であり、そのまま受け取るこ
とはできない。創価学会がこの十数年間、まったく衰えていないとは信じがたい。

 先に統一地方選挙でも、公明党候補者のほぼ全員を当選させていることから、信濃町の
本部は、学会員の実数をかなり正確に把握していると考えられるが、彼らがそれを公表す
ることも期待できない。

 だが、多くの学会員・元学会員のブログを読む限り、最盛期の頃と比較して、座談会等
の会合の出席者は減少し、男子部や女子部の活動家も少なくなっているようである。社会
全体の趨勢を上回るペースで高齢化が進んでいるのは確かだろう。

 したがって、創価学会の今後についての予想も、衰退は確実であることを前提とするこ
とが妥当であろう。

 考えられるシナリオは、衰退のスピードが急激か、緩やかなものとなるか、あるいはそ
れらの中間ということになる。 

 そこで、旧ソビエト連邦と日本共産党の事例を参照して、創価学会の今後について考察
してみたい(中間については、様々なバリエーションがあり得るので割愛する)。

 旧ソ連邦は東西冷戦の一方の雄であり、米国と並ぶ超大国でもあった。そのソ連が簡単
に瓦解することになるとは、大部分の人は予想していなかった。

 1989年に東欧諸国で民主化革命が相次ぎ、ベルリンの壁も崩壊した。90年には東西ドイ
ツが統一し、そして91年にはソ連も脆くも崩壊した。

 創価学会も何らかの出来事――おそらくは池田大作の死――をきっかけに、学会員のモ
チベーションが低下、選挙で公明党議員の落選が相次ぎ、それが更なる信仰離れを招くと
いう循環に陥ることも考えられる。

 一度、衰退が始まると、坂を転がり落ちるように組織のタガが緩み、不祥事や組織の分
裂などの混乱が連鎖し、雪崩をうって瓦解することもあり得るかもしれない(個人的には
そうなってほしいと思う)。

 もう一つの可能性は、日本共産党のように、しぶとく存続し続けるというシナリオであ
る。日共はソ連消滅という、共産主義の敗北を証明する決定的な出来事があったにもかか
わらず、現在もなお一定の支持を集め、当面のところ崩壊しそうにはない。

 左翼の活動家も沖縄の基地反対運動などで、それなりの存在感を示している。かつては
左翼の活動家と言えば大学生という時代もあったそうだが、現在の主力は、定年退職した
かつての学生活動家だという。

 創価学会の活動家も現在は壮年部・婦人部の高齢者がほとんどで、どこの組織も若手の
不足に頭を悩ましている状況らしい。

 しかしながら、高齢化した活動家が病に倒れたり、世を去ったりしても、左翼と同様に
定年退職後に創価学会の活動家になる者により補充され、学会活動も当分は存続可能とい
うことも考えられる。


 創価学会は、ソ連と日共のどちらに類似した運命をたどることになるだろうか。
 旧共産圏諸国の体制が動揺したのは、「資本家に搾取されているはずの西側の労働者の
方が、共産圏の労働者よりも物質的な豊かさを享受している」という情報が広まったこと
が大きかった。

 それに対し、日本共産党の党員やシンパたちには、共産主義の矛盾を示す情報に触れて
も、支持を変えない者が少なくなかった。

 旧共産圏は社会全体を包摂する国家だったので、国民の大多数を占める常識的な人びと
が外部の情報に触れ、共産主義の妥当性を疑うようになった結果、体制を維持できなくな
った。

 一方、日本共産党は社会全体からすれば、ごく一部に過ぎない支持者に支えられている。
狂信的な信奉者の忠誠心をつなぎ止めさえすれば、組織を維持できるのである。この点は
創価学会もまったく同じである。

 こうした観点から考えると、創価学会も日本共産党と同様に急激な崩壊を免れ、相当の
期間、組織を存続させる可能性の方が高そうである。

 だが、その道筋が穏やかな余生のような、波風の少ないものになり得るだろうか。
 かつて一世を風靡した新興宗教のなかには、創価学会が敵視してきた天理教や立正佼成
会のように、緩やかに衰退している団体もある。

 しかしながら、数々のトラブルを引き起こしてきた創価学会には、静かに衰えゆくなど
似つかわしくない。

 新興宗教はいずれも、多かれ少なかれ、騒動や問題を引き起こしてきた過去を持つが、
創価学会のトラブルの多さは別格である。

 折伏大行進、集団替え玉投票事件、投票所襲撃事件、言論出版妨害事件、顕正会との抗
争、日蓮正宗との衝突とその後の破門、池田大作が引き起こした数々のスキャンダルとそ
れを報じたジャーナリズムとの訴訟沙汰等々、世間を騒がせた事例は数多い。

 創価学会は衰退の過程でも、多くの騒動をひき起こし、毒をまき散らしながら自壊して
いくことになると考えた方がよさそうである。

 また、彼らはこれまで多くの敵を作り、恨みを買ってきた。創価学会がはっきりと目に
見える形で力を落とせば、鬱積した憎悪が噴出することになるだろう。

 池田大作というカリスマを失った創価学会が、そうした敵意に耐え、会員たちをつなぎ
止める求心力をどこまで維持し続けられるだろうか……。

 インターネット等で発信されている否定的な情報から目を背け、創価学会だけを盲信し
しがみつく少数の学会員に支えられ、細々と存続していくのかもしれない。

 社会にとってはよいことだが、創価学会には、どう転んでも明るい未来の可能性はなさ
そうである。ましてや、彼らの言う「広宣流布」の実現など、夢物語だろう。

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