2019年6月23日日曜日

創価批判コピペ集‐⑭(「池田大作の女性スキャンダル」他)

◇◆◇ 池田大作の女性スキャンダル ◇◆◇

創価学会の名誉会長・池田大作は、健康な頃はたびたび女性スキャンダルをひき起こし、
週刊誌等で報じられた。創価学会本部には第一庶務という部署があり、池田の身の回り
の世話などを担当していたが、そこには池田に「奉仕」する女性たちも所属していた。

池田は女子部の会合などで気に入った女性がいると、本部職員に取り立てて性奉仕させ、
飽きると幹部の妻にさせた。そして、気がむくと再び呼び出し奉仕させることもあった。

また、お気に入りの愛人を公明党の国会議員に取り立てたこともあった。かつては創価
学会の婦人部には「池田先生のお手つきになりたい」と熱望する女性も多かったという。

池田の守備範囲は広く、創価大の女子大生に手をつけたり、創価高校の女子高生を妊娠
させたりしたが、地方に出むいた際には現地の幹部の妻に性奉仕させることまであった。

※ 池田はレイプ騒動まで起こしたが、学会員はそんな彼を生き仏のように崇めている。



◇◆◇ 創価学会と『月刊ペン』事件◇◆◇

昭和51年(1976年)、『月刊ペン』が創価学会の池田大作会長(当時)の女性スキャン
ダルを報じた。その内容は、公明党の女性国会議員二名が池田大作の愛人だというもの。
創価学会はこれに激怒、公明党を通じて警察を動かし『月刊ペン』編集長を逮捕させた。

『月刊ペン』編集長・隈部大蔵氏は名誉棄損罪で告訴された。この裁判は最高裁まで争
われ、その結果「池田大作は公人に準じる存在なので、そのスキャンダルを報じること
は、事実であるならば名誉毀損罪には該当しない」との判決がなされ、差戻しになった。

隈部氏が差戻し審中に死去したため裁判の決着はつかなかったが、先の最高裁の判決は
名誉毀損の重要判例となり、その後、雑誌等が池田大作のスキャンダルを次々に報じた。
『月刊ペン』の記事についても愛人とされた女性の親族が手記を公表、事実と証言した。

※ 創価学会は、現在も『月刊ペン』裁判は自分たちの「大勝利」だと言い張っている。



解説

 よく知られているように、池田大作は数多くの女性スキャンダルを起こしてきた。
 その中でも特に有名なのが『月刊ペン』事件である。上述のように、この事件について
最高裁の出した判決は、現在でも名誉毀損の重要判例とされている。

 『月刊ペン』で池田の愛人と報じられた渡部通子氏の実姉・藤原郁子氏が、週刊新潮に
手記を発表し、記事の内容は事実だったと証言している。

 姉妹の実家である松島家は、戸田城聖が経営していた大蔵商事(高利貸し)に出資して
おり、その縁で昭和28年(1953年)に池田とも知り合ったという。
 郁子氏が、妹が池田とできていることに気づいたのは、昭和30年のことだった。


>  私は主人とは、昭和三〇年十二月に結婚しました。北条浩さん(後の四代会長)の
> 媒酌で、同じ第七部隊の部隊長だった主人と結婚したのです。
>  親と別れることが辛かった私は家を出る時、通子に、
> 「あとのことは頼むわね」
>  と、くれぐれも頼みました。
> 通子は、気軽に、
> 「いいわよ」
>  と言ったのに、なんと私が松島の家を出てすぐ、私に黙って家を出てしまっていた
> のです。
>  私は、アパートの住所すら教えない通子を探しあて、問い質しました。
>  のらりくらりと言い逃れていた通子は、最後に、
> 「(アパートを借りるのは)池田さんのご意見ですもの」
>  と、白状したのです。
>  その時、二人はそういう関係だったのか、と初めて知りました。
 (『週刊新潮』1996年3月14日号)


 通子氏は、創価学会青年部の幹部だった渡部一郎氏と昭和34年に結婚したが、池田との
関係はその後も続いていたという。


>  その通子は昭和三十七年に長男を出産しました。
>  母から頼まれた私は、当時、巣鴨にあった石川病院へ飛んで行きました。
>  部屋には、池田の次男と同じ名前「城久」という命名の紙がかけられていました。
>  しかし、通子は無言で私の顔を見て涙ぐむのです。
>  そして、やっと、
> 「渡部の所に行ってみて」
>  と、私に言いました。
>  もちろん、私には通子の気持ちがわかっていました。
>  子供が生れたというのに、主人がやってこないのです。
>  生れた子はいったい誰の子なのか――女にとって出産を主人に喜んでもらえない、
> これほど悲しいことが他にあるでしょうか。
 (同上)


 この後、夫妻の住居に向かった郁子氏は渡部氏と対面するが、彼の「もの凄い形相」を
見て恐怖心を抱き、逃げ帰ったと記している。

 渡部一郎氏は、当初、内心の忸怩たる思いを態度に表していたものの、池田に屈服させ
られ、従順になったという。


>  たとえば、剛気と暴勇では人後に落ちない渡部一郎元代議士が、妻の通子と池田大
> 作の関係にむくれかえって、仕事をさぼったりふてぶてしい態度を示したとき、池田
> 大作は、本部広間での理事会の席で渡部一郎をどやしつけた。万座のなかで、雷のよ
> うな声で、
> 「貴様は何様だと思っているのだ!!」
> と怒鳴りつけられ、渡部一郎は失神して倒れてしまった。
(山崎正友著『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』)


 山崎氏は『続々「月刊ペン」事件』で再度このエピソードを取り上げ、渡部氏はこの件
があって以降、「借りてきた猫のようにおとなしくなった」とつけ加えている。

 渡部夫妻はその後も生涯を通じて創価学会にとどまり、両名とも公明党の国会議員を務
めたが、姉の郁子氏は夫の藤原行正氏と共に脱会し、池田大作への批判に踏み切った(藤
原夫妻が脱会したのは、元『月刊ペン』編集長・隈部大蔵氏の死後だったので、裁判では
証言できなかった)。

 池田大作は、自分の欲望を満たすために、多くの人々の幸せを踏みにじってきた。
 その池田を創価学会員は「永遠の師匠」と呼び、彼の言葉を生きる指針にしているので
ある。学会員に平気で他人に迷惑をかけたり、苦しめたりする者が多いのも当然であろう。

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