2019年6月16日日曜日

肩書と成果主義

 創価学会の活動家としてある程度の経験を積むと、たいていの場合、何らかの役職につ
くことになる。

 数人の男子部員・女子部員を束ねる者をニューリーダーと呼び、その後、地区リーダー
等を経て、順次、地位が上がっていく。

 折伏や聖教新聞の拡販等で成果を上げれば、30代で地区部長や白ゆり長になり、数十人
の学会員を統括する立場になれる。

 これらの肩書を得たからといって、手当てが支給されることはない。創価学会の活動家
は無給である。

 しかし、実社会では何の肩書もない人間でも、活動家として頑張れば、「リーダー」と
か「長」などと呼ばれる立場になれるのも事実だ(創価学会の中でだけだが)。

 このことに魅力を感じ、学会活動にのめり込む者も少なくないらしい。一円の報酬も得
られないし、創価学会には、役職が高い者ほど財務やマイ聖教でも貢献しなければ示しが
つかないという組織文化があるにもかかわらず……。

 学歴がないなどの理由で実社会で評価を得られない者にとって、学会活動における肩書
は「補償」――劣等感を埋め合わせるために、別のことで埋め合わせをしようとする心の
働き――なのだろう。

 より上位の肩書を得ることや、配下の学会員に指示を出したりノルマを課したりできる
ことが生きがいになってしまった者が地域の幹部として君臨した場合、その指揮下にある
学会員は、聖教新聞の拡販や折伏などのノルマでつらい思いをする羽目になる。

 学会員・元学会員のブログを見ると、そのような幹部は少なくないようだ。
 それだけでなく、学会活動により実利を得ようとする者が幹部となった場合も、成果主
義の悪弊により、その下の学会員が苦しむこともある。

 創価学会の本部や地方会館に勤務する者は、職員と活動家、二つの立場を兼ねている。
 本部の職員として△△部長である者が、居住地域の活動家としては□□分県長であった
りするわけだ(繰り返すが、□□分県長としての立場からは報酬は得られない)。

 以前、当ブログでも言及したが、池田大作は幹部ごとに担当する地域を決め、金集めの
競争をさせ、それで昇進・降格を決めていた(「学会幹部に良心はないのか?」参照)。

 現在の創価学会でも、地域の活動家としての実績――聖教新聞拡販や広布部員(財務を
する人)の数など――が、職員としての出世とも関係している可能性は高そうである。

 つまり、自分が出世してより多くの収入を得るために、地元の学会員に無理なノルマを
強いる者がいてもおかしくない。

 また、無報酬の一般の活動家であっても、地位が高い者であれば、公明党の地方議員に
なれる可能性はある。議員報酬を得られる身分になれるのである。
 このような野心家も、実績を上げるために無理をする場合があるだろう。

 以上、見てきたように創価学会の活動家の中には、様々な動機から強引なやり方で聖教
新聞の拡販等で成果を上げようとする連中がいる。

 その結果として、前回取り上げた「マイ聖教」――聖教新聞を一家庭で複数部購読する
こと――などの搾取的な愚行が為されているのだ。

 このような実態があるから、創価学会は常識的な人々からは疎んじられているわけだが、
多くの学会員は「この信心をすれば絶対に幸せになれる」と信じ切っており、欲得ずくで
動いている野心家に利用されていることに気づいていない。

 創価学会の組織内で上手く立ち回って実利を得ている者を見れば、一般人なら「宗教を
金儲けや立身出世に利用している」と思うだろうが、熱心な学会員は「信心が立派だから、
あのような境涯になれたのだ」と受け止める。

 カルトにより深くマインドコントロールされた者は、常識ではなくカルトの論理に基づ
いて思考する。常識で考えておかしいことを、そう気づけなくなるのだ。

 創価学会員が、虚名に過ぎない肩書やありもしない功徳やバチで、奸智に長けた幹部た
ちに踊らされるのは勝手だが、このカルトは規模が大きいために、国政から日常生活にい
たるまで、様々なレベルで一般の人々を翻弄し、迷惑をかけ続けている。

 いつの日か、すべての学会員に常識を取り戻してもらい、これまでの迷惑行為を反省し
てほしいものである。

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