これまでに見てきたように、末端の創価学会員たちは『聖教新聞』や『人間革命』『新・
人間革命』などの学会出版物によって作りだされた「池田先生」の虚像を、本当の姿と信
じて池田大作会を尊崇してきた。
しかし、側近の幹部たちは、実際の池田の姿は美化された虚像とはまったく違うことを
知っていたはずである。
現会長の原田稔氏や先代の秋谷栄之助氏をはじめとする幹部たちも、公的な場では池田
のことを「偉大な師」などと呼び、最大限の敬意を払ってきたが、本音はどうだったのだ
ろうか。脱会した元幹部の証言から、それを読み解いて見たい。
池田大作が「オレの弟子第一号」と呼んでいた元教学部長・原島嵩氏は、脱会する直前
の昭和55年(1980年)2月頃、原田氏と以下のような会話を交わしたと述べている。
> 当時、原田稔氏ともいろいろな話をしました。私が「池田先生には生理的嫌悪感を
> 感ずる」と話すと、原田氏も「私も同じく生理的に嫌悪感を感ずる」と同意しており
> ました。私は、第一庶務室長として中西氏と同様、池田の本性を知っている原田氏に
> 後事を託す気持ちでいました。その人が平成十八年十一月九日に秋谷氏に代わって新
> 会長に就任したことに、大きな関心をいだいています。
(原島嵩著『絶望の淵より甦る』より引用)
また、秋谷前会長の本音についても、元公明党都議・藤原行正氏が内藤国夫氏との対談
で言及している。
> 内藤 (前略)会長である秋谷栄之助氏にも「おい、秋谷っ」と子供扱いの呼び捨て
> ですね。
> 藤原 そうですよ。そしたら秋谷さんが「はいっ」と返事する。秋谷さんも完全に芯
> をへし折られた感じです。もっとも、秋谷さんと親しい人によると彼の口から「池田
> は女たらしでしょうがないし、早く死んでもらわないと困る」と池田批判が飛び出し
> ているんです。
(『週刊現代』1988年7月2日号より引用)
幹部たちが池田から受けていた受けていた屈辱な仕打ちについては、元顧問弁護士・山
崎正友氏も言及している。
> 池田氏の、発作的なサディズムは、北条浩氏、和泉覚氏、秋谷栄之助氏といった最
> 高幹部ですら、その対象となることを免れられない。
(中略)
> 本部長会、理事会あるいは本部幹部会などで、首脳が、きまじめに演説をぶってい
> るとき、
> 「ヤアヤア」
> と入ってきた池田氏が、演説を中止させ、北条氏ら首脳に、「春が来た」の童謡に
> 合わせて踊らせたりすることがよくあった。特に、タコおどりのような和泉覚氏のお
> どりに人気があった。
> これが、日頃、池田氏から虫ずが走るほどきらわれている小川元代議士、藤原都議
> らになると総括は、こんなものではすまない。ことあるごとにいやみをいわれ、どな
> りつけられ、そしてワビ状や誓約書をとられる。
> かくいう私も、わけのわからぬことで、何度もワビ状を書かされた。
(山崎正友著『闇の帝王、池田大作を暴く』より引用)
山崎氏や藤原氏は、こうした処遇に嫌気がさしたからこそ公然と反旗を翻し、反創価学
会の活動家となったのであろうが、他の幹部たちは先に引用したような本音を持ちながら、
なぜ造反しなかったのだろうか。
理由としては「池田の人間性はどうあれ、創価学会の会長を支えることが信仰上は大切
なのだ」という狂信に、一部の幹部も毒されていたことなどが考えられるが、創価学会幹
部という職には色々とメリットがある一方で、その地位をなくせば、全てを失うことにな
るからということが大きかったのではないだろうか。藤原氏は上述の対談で、次のように
も述べている。
> 内藤 殺されるわけでもないのになぜ盲従するのだろう?
(中略)
> 藤原 彼らは一生、学会で暮らしてきた人ばかりだから、学会を離れたら〝村八分〟
> どころか〝村十分〟です。大橋さんがそうでしょう。秘書の学会員が圧力受けて「辞
> めさせてほしいと」と離れていくし、何万、何十万の学会員から毎日、「お前はゴキ
> ブリだ」「ドブネズミだ」と攻撃されている。その恐ろしさは、受けてみなきゃわか
> りません。
※ 文中の「大橋さん」とは元公明党衆院議員・大橋敏雄氏のこと。大橋氏は議員在職
中に、「池田大作への宣戦布告」と題した手記を『文藝春秋』(昭和63年〔1988年〕
6月号)に発表した。その後、公明党は大橋氏を口実をつけて除名した。
> 内藤 批判されているの池田大作氏が、いま、どこで何をしているのか、さっぱりわ
> からない。
> 藤原 彼は自分では絶対出てこないで、側近幹部に反撃をさせるんです。彼は大勢の
> 幹部を長い間かかって、そのように訓練し、支配してきた。本部の幹部級はほとんど
> みんな、学会周辺の社宅に住まわせ、自宅を作らせない。公明党の幹部でさえ、家を
> 買うときは池田氏に報告書を出す。
(中略)
> 内藤 なぜ、こんな閉鎖組織ができあがったんですかね。
> 藤原 池田という男は、日蓮正宗の御本尊に対する絶対性を、自分に対する絶対性に
> すり替えたんです。宗教を徹底的に利用した結果です。
日蓮正宗の教義では、日蓮が「末法の御本仏」であり、その日蓮が「出生の本懐」とし
て作った特別な本尊である、大石寺の大御本尊に帰依しなけば救われないことになってい
る(この教義は本来の日蓮の教えとは異なるし、大御本尊も後世の贋作である)。
藤原氏が述べているように、池田大作は『聖教新聞』や『人間革命』等を使って学会員
たちに、「池田先生を信じることが、日蓮大聖人の仏法を唯一正しく実践することであり、
それを疑えば地獄に堕ちる」と信じ込ませることに成功した。
もちろん、池田の欲望まみれの本性を知る幹部たち――特に原田氏や秋谷氏――は、そ
んなことを本気では信じてはいないだろうが、骨がらみの人間関係で創価学会にとらわれ
ている上、池田大作への個人崇拝が、それなしでは組織が成り立たないほど浸透している
実態がある以上、池田に逆らうことは、創価学会そのものを敵に回すことと同義にまでな
ってしまっている。
造反すれば地位や収入を失うだけでなく、広宣部や教宣部という非公然活動部隊につけ
狙われる危険まであるのだから、本音では「池田大作には生理的嫌悪を感じる」「早く死
んでほしい」と思っていても、逆らえなかったのは当然だろう。
現在の池田大作は健康を失っており、判断能力を有しているかも疑わしい。近年に池田
の名で出された提言等は、幹部による創作だろう。
創価学会の内部では「池田先生」の権威は、今なお絶対的なものである。原田会長らの
現執行部は、その権威を使って何をするつもりなのであろうか。
創価学会の反社会的体質は現在も変わっていない以上、池田大作という意思なき神輿が、
ロクでもない目的のために悪用される懸念はあるのではないか。
池田の余命はそう長くはないかも知れないが、「池田先生の御遺命」を振りかざす者が、
創価学会の集票力と公明党の政治力を利用することは有りうるだろう。
「戸田先生の御遺命」を、都合のいいように利用してきた池田大作のやり方を模倣する
者が、創価学会の幹部の中から現れたとしても何の不思議もないと思う。
池田大作を嫌悪する本音を隠して、「池田教」の幹部になりおおせた連中が何を考えて
いるか、分かったものではない。私としては、有権者の一人として今後ともこのカルトの
動向を注視していきたいと考えている。
補足
幹部の間にも池田大作への個人崇拝の度合いには、個人差があったようである。元副会
長の福島源次郎氏は、「先輩たちに教わるままに、先生こそ仏法広宣に出現した不世出の
指導者であり、希有の師であり、不思議な方と仰ぎ、信じて疑うことを知りませんでした」
と述べている(『蘇生への選択』所収「誠諫の書」による)。彼は幹部だった頃には、本
当に池田に心酔していたのだろう。
福島氏は『人間革命』の記述に基づき、「師への帰命」(「池田本仏論について②」参
照)という概念を創価学会内部で広めたが、そのことについて秋谷氏と次のようなやり取
りがあったという。
> 後日談になりますが、この「帰命論」が宗門で問題になっていた昭和五十年秋頃、
> 現会長の秋谷氏が「〝師への帰命〟というのが『人間革命』にあるというが、本当に
> あるのかね。どこにあるんだ」と私に尋ねてきた時には、開いた口がふさがらないく
> らいに驚きました。第三巻を開けてその箇所を示したところ、「なるほど、ちゃんと
> あるな」と、しげしげと読んでいましたが、改めて、最高幹部でも表面の姿と違い、
> 「人間革命」への取り組み方がいかにいい加減なものであったかと、思い知らされた
> ものでした。逆に私の真剣さが、当時の学会では異常だったのかもしれません。これ
> では「帰命」の解説・指導がなされなかったのも当然でした。
(福島源次郎著『蘇生への選択』より引用)
『人間革命』を「現代の御書」と宣揚していた福島氏と違って、秋谷氏は『人間革命』
の実際の執筆者は池田大作ではなく篠原善太郎氏であることを知っており、しかも彼は戸
田城聖の門下として、『人間革命』に書かれていることの多くを実際に経験していたので、
その内容が池田大作への個人崇拝を正当化するための欺瞞に満ちていることなど、百も承
知のことだった。だから、真剣に読む気にならなかったのであろう。
※ 福島氏が創価学会に入会したのは、戸田城聖が死んで2年後の昭和35年(1960年)
のことなので、彼は『人間革命』に描かれた出来事を実体験していない。
それに対して、秋谷氏の創価学会入会は昭和26年(1951年)であり、『人間革命』
にも「秋月英介」として登場する。
秋谷氏などの古参の幹部は、池田への個人崇拝が創価学会内部に浸透していく一方で、
その池田が引き起した女性問題等の騒動に自らも翻弄されざれるを得なくなった醜態を、
苦々しい思いで見ていたのではないだろうか。