2018年5月6日日曜日

池田崇拝の何が問題か

 池田大作という男は、人妻に性接待を強要したり、女子高生に手をつけて妊娠させたり、
挙げ句の果ては、実の息子に妻としてお手つきの女をあてがって悶死させるなど、やりた
い放題やってきた頭がおかしい色ボケ爺である。

 そんな人物を「永遠の師匠」と呼んで、生き仏のように崇め奉ることがおかしなことで
あることは、普通の人間にとっては考えるまでもないことだが、池田を師として崇めるこ
とが「仏法」で、それを疑うと地獄に堕ちると洗脳され、常識や道徳を「世法」といって
「仏法」よりも軽んじる創価学会員には、池田崇拝の異常さがわからないらしい。

 そこで今回は、池田大作は尊敬するに値しない人物であることを、学会員の皆さんにも
ご理解いただけるように論じてみたい。

 平成14年(2002年)6月28日付の『聖教新聞』は、池田大作への顕彰が1500に達したこ
とを記念し、「池田SGI会長の功績は世紀の大思想家に並ぶ!!」と題した特集記事を掲載
した。


 この記事によると池田大作は、アインシュタイン、トルストイ、ガンジー等の世界史に
名を残した偉人に匹敵する大人物なのだという。

 だが、こんな記事を真に受けて「池田先生は立派な人」と思うのは、創価学会員だけで
ある。世間の大部分の人は『聖教新聞』など読まないし、たとえこの記事を見たとしても、
バカにして嘲笑するだけだろう。

 考えてもみるがいい。池田大作にいったい何の業績があるというのか。はっきり言って
池田には、一般社会から評価されるような実績は皆無である。ただ、世界各国の著名人と
面会して、その余光で自分を偉く見せようとしてきただけの〝虎の威を借る狐〟に過ぎな
い。

 池田が独自に発案したものといえば、「護符」と称するマジナイくらいであろう。以前
にも述べたが、護符とは「池田先生がいつも拝んでいる板本尊を拭いた紙を小さく刻んだ
もの」で、それを飲むと、病気が治るとか、選挙で当選するだとかの「ご利益」があるの
だという。

 そんなものは、仏法とも日蓮の教えともまったく何の関係もない、インチキなマジナイ
に過ぎない。このような非科学的な呪術を20世紀も後半になってから考え出した池田大作
が、なぜアインシュタインに比肩する偉人だと言えるのか。噴飯ものではないか。

 また、暴力的な折伏や脱会者・批判者への嫌がらせ等の悪質な人権侵害を扇動してきた
池田大作が、非暴力によって植民地支配や人種差別に立ち向かったマハトマ・ガンジーや
キング牧師の名を自らを権威づけるために利用するなど、あまりにも冒涜的で許しがたい。

 それに、「特別書籍」というゴーストライター集団に書かせた本を、自分名義で世に出
してきただけの池田が、トルストイ、ヴィクトル・ユゴー、魯迅などの本物の文豪と、同
格のわけがないではないか。

 創価学会員以外の、世の中の大部分の人は私の見解に同意するはずである。『聖教新聞』
が上記のようなバカげた池田宣揚記事ばかり載せていることも、創価学会が世間から胡乱
な目で見られ、頭がおかしいカルトとして敬遠される大きな理由になっていることを、学
会員の皆さんも少しは考えた方がいいと思う。

 これだけ言ってもマインドコントロールされたカルト信者は、「池田先生があまりにも
偉大なので、嫉妬して悪口を言っている」という見方に固執するだろう。

 そこで、創価学会が標榜する御書を根本とする日蓮仏法の論理に即して、池田への個人
崇拝が間違っていることを示す。

 創価学会版『日蓮大聖人御書全集』の一番最初に収録されている『唱法華題目抄』に、
以下の記述がある。


>  仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき
> 人なりとも御信用あるべからず


 「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」とは涅槃経にある教えで、「法燈明自燈明」
とも言い表され、日蓮系のみならず仏教では宗派を問わず重視されている言葉である。

 ※ 日蓮は天台教学の「五時八教の教判」を踏襲し法華経を最高の経典としたが、五時
  八教の教判では涅槃経を法華経を補完する経典と位置づけているので、日蓮も涅槃経
  を重視した。

 池田大作が「いみじき人」かどうかはさておき、彼は「経の如く」教えを説いてきたと
言えるだろうか。検証するために池田語録を引く。


> 「クリントン、元気かしら。あのように口をうまく、うんとうんと人を誤魔化して、
> しかし、警察には捕まらないように! クリントンは口がうまくて大統領になった。
> 口ベタなんてのは時代に遅れてます。クリントン以上に口をうまく、折伏やって、指
> 導して下さい。あとで奥さんに叱られるけど、お喋りクリントンは。彼は政治家だか
> らいてもいなくてもいいけれど、我々は彼よりも真実のうえで口がうまく……」
 (『週刊新潮』1993年7月15日号より引用)

 ※ この発言は1993年1月28日、サンタモニカで開催された第2回アメリカSGI総会に
  おいてのもの。池田が「マハロー、バカヤロー」と叫んでいる動画をご覧になったこ
  とがある方も多いであろうが、その発言もこの時なされた。


>  一、学会における本当の師弟は、戸田先生と私の関係にある。
>  子弟を観念論にしてしまっては、自分自身が永遠に損をする。子弟に生き抜く中に
> しか、本当の人生の向上、達成、勝利はありません。
>  ゆえに、師匠に対する裏切り者を、絶対に許さない。弟子が団結し、師匠を永遠に
> 守る。師に反逆した者、師をいじめた者を断じて倒す。私は、この学会精神を忘れて
> はならないと、強く申し上げておきたい。
 (『聖教新聞』平成19年〔2007年〕9月25日付より引用)


 池田センセイは、口をうまくして人を誤魔化せ、自分を永遠に守れ、裏切った者を絶対
に許すな、とのたまっておられるが、このような反社会的で利己的な教えを説いた仏教経
典がはたして存在するものだろうか。

 私は大蔵経を通読したことがあるわけではないが、池田の主張は極めて非仏教的だと思
う。少なくとも法華経には、そんなことは書かれていない。

 また、在家信者が最低限守るべきとされる五戒の中には、不妄語戒――「ウソをつくな」
という教え――があるので「うんと人を誤魔化して」というのは、仏教に反することは明
白である。

 つまり、池田大作は「経の如く」説いているとは言えず、彼のような人物を信用するこ
とは日蓮の教えに違背することになる。

 『聖教新聞』の紙面を見ればわかるように、現在の創価学会は池田大作を崇める「池田
教」になっているが、このような信仰のあり方は、仏法とも日蓮の教えとも相容れないこ
とは明白である。

 創価学会は「唯一正統な仏法」などではあり得ない。池田大作という化け物じみた俗物
を崇める、インチキ新興宗教に過ぎないのだ。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ