2018年8月12日日曜日

日蓮と禅②

 ※ 今回も日蓮遺文に加えて、栄西の『興禅護国論』を引用する。

2.蘭渓道隆について

 蘭渓道隆は、寛元4年(1246年)に南宋から渡来した臨済宗楊岐派の僧である。その後、
当時の鎌倉幕府執権・北条時頼の招きにより、建長寺の開山となった。

 文永5年(1268年)、蒙古からの使者が来日し通好を求めると、日蓮はこれを『立正安
国論』の予言が的中したものと考え、北条時宗や鎌倉の有力寺院に手紙を送った。建長寺
の蘭渓道隆に送ったとされる書状の一部を引く。


>  夫れ仏閣軒を並べ法門屋に拒る仏法の繁栄は身毒支那に超過し僧宝の形儀は六通の
> 羅漢の如し、然りと雖も一代諸経に於て未だ勝劣・浅深を知らず併がら禽獣に同じ忽
> ち三徳の釈迦如来を抛つて、他方の仏・菩薩を信ず是豈逆路伽耶陀の者に非ずや、念
> 仏は無間地獄の業・禅宗は天魔の所為・真言は亡国の悪法・律宗は国賊の妄説と云云、
> 爰に日蓮去ぬる文応元年の比勘えたるの書を立正安国論と名け宿屋入道を以て故最明
> 寺殿に奉りぬ、此の書の所詮は念仏・真言・禅・律等の悪法を信ずる故に天下に災難
> 頻りに起り剰え他国より此の国責めらる可きの由之を勘えたり、然るに去ぬる正月十
> 八日牒状到来すと日蓮が勘えたる所に少しも違わず普合せしむ
 (『建長寺道隆への御状』より引用)


〈大意〉
 寺院は軒を連ね、仏法はインド・中国に負けないほど反映し、僧侶の行儀は六神通力を
備えた阿羅漢の如きである。しかしながら釈尊一代の諸経の優劣を知らない。禽獣と同じ
ように主・師・親の三徳を備えた釈迦如来をなげうって、他方の仏・菩薩を信じているの
は、世間に背く外道と何ら変わらないのではないか。念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の
所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊の妄説である。
 日蓮は文応元年(1260年)ころ考えた書を『立正安国論』と名づけ、宿屋入道を通して
故最明寺殿(北条時頼)に奉った。この書は、念仏・真言・禅・律等の悪法を信ずる故に
天下に災難がしきりに起こり、あまつさえ外国からこの国が攻められるであろうことの理
由を考えたものである。しかるに去る正月18日、蒙古からの牒状が到来した。日蓮が考え
たことと少しも違わず符合している。

 道隆がこの手紙を読んで、どのように対応したかは定かではない。後で述べるように、
日蓮が本当にこの文面の手紙を送ったかも断定できない。

 道隆は一人で来日したのではなく、少なからぬ宋人を伴ってきており、彼らも建長寺に
住まったので、その雰囲気は異国的なものだったらしい。

 元寇という未曾有の国難もあって、道隆は元のスパイなのではないかと疑われ、一時期
甲斐に流されたが、疑いが晴れた後、建長寺に戻りそこで没した。

 荼毘に付された道隆が舎利を残したと身延山で伝え聞いた日蓮は、本当の舎利ならば金
剛の金づちでも砕けないはずなので、「一くだきして見よかし、あらやすし、あらやすし」
と弟子への手紙で述べている(『弥源太入道殿御消息』。

 ※ 「舎利」とは本来、釈尊の遺骨のことであるが、当時は徳の高い僧も死後、舎利を
  残すと信じられていた。

 また、同じ手紙で、道隆が「弘通するところの説法は共に本権教より起りて候しを、今
は教外別伝と申して物にくるひて我と外道の法と云うか」などと悪しざまに言ってもいる。

 ただし、上に挙げた遺文は両方とも真蹟・古写本ともに現存しない。つまり、偽書であ
る可能性も排除できない。

 特に『建長寺道隆への御状』に、『立正安国論』で「念仏・真言・禅・律等の悪法を信
ずる故に天下に災難頻りに起り」と書かれているのは不審である(『立正安国論』には念
仏への批判は書かれているが、真言・禅・律には触れられていない)。

 蘭渓道隆は鎌倉幕府から帰依を受け、高僧として尊敬されていた。仏法の上で正しいの
は己ひとりだと自負していた日蓮にとっては、それが気に入らなかったのであろう。

 上記引用の通りの手紙を送りつけたとは言い切れないが、挑発的言動を繰り返すことに
よって、道隆との公の場での法論に持ちこもうとしていたのは確かである。

 日蓮の過激な言動に憤った僧侶たちは、「故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を無間地獄に
堕ちたりと申し、建長寺・寿福寺・極楽寺・長楽寺・大仏寺等をやきはらへと申し、道隆
上人・良観上人等を頸をはねよと申す。御評定になにとなくとも日蓮が罪禍まぬがれがた
し」と訴えた(『種種御振舞御書』真蹟 身延曾存)。

 ※ 「極楽寺入道殿」とは北条重時のこと。熱心な念仏信者だった。

 評定所に召し出された日蓮は、尋問に対し「上件の事一言もたがはず申す。但し最明寺
殿・極楽寺殿を地獄といふ事はそらごとなり。此の法門は最明寺殿・極楽寺殿御存生の時
より申せし詮ずるところ、上件の事どもは此の国ををもひて申す事なれば、世を安穏にた
もたんとをぼさば、彼の法師ばらを召し合はせてきこしめせ」と答えたという(同上)。

 「彼の法師ばらを召し合はせてきこしめせ」つまり、蘭渓道隆らとの公場対決に持ち込
むことが日蓮の狙いだったわけだが、それは実現しなかった。

 日蓮が禅宗を批判した理由は、「教外別伝」を唱えて経典、特に法華経を軽視している
ところにあったことは、『開目抄』等の真蹟遺文からも明白である。

 「日蓮大聖人直結」を称して、現在も四箇格言に基づいた強引な布教活動を続ける創価
学会だが、はたして彼らに「教外別伝を掲げる禅宗は天魔」などという資格があるのだろ
うか。


3.臨済宗は法華経を否定しているか?

 臨済宗の教義は「不立文字、教外別伝」であり、特定の経典に最高の教えが説かれてい
るという立場を取らない。だが、経典を否定しているわけではない。
 臨済宗を伝えた栄西は、『興禅護国論』において以下のように述べている。


【書き下し文】
>  法華経に云く、「後の悪世に於て乃至、閑処に在つて其の心を修摂し、一切法は空
> なり、如実相なりと観ぜよ、乃至、常に楽(ねご)うて是の如き法相を観じ、安住不
> 動にして須弥山の如くせよ」と。
 (中略)
>  此の四行の文は皆後の末世の時と言ふなり。
>  然れば、即ち般若・法華・涅槃の三経を案ずるに、皆末世の坐禅観行の法要を説く。
> 若し末代に機縁無く可くば、仏は此等を説くべからざるなり。

【現代語訳】
>  法華経にいう、「後の悪世において、この経を説こうというのであれば、閑かなと
> ころにあって心を統一して動揺しないようにし、すべての存在は空であり、如実の相
> であると観ぜよ。またつねにねがってこのようにすべてのありとあらゆる存在の相を
> 観じ、心安らかにして動かないこと須弥山の如くせよ」と。
 (中略)
>  この身・口・意・誓願の四安楽行の文は、いずれも仏が入滅して後の末法の時の世
> にといっている。
>  よって、前引の般若・法華・涅槃の三経を思うに、すべての末法の世の坐禅観行の
> 法要を説かせ給うているのである。もし末代にあって人々の機根に因縁のない教えで
> あるというのであるならば、仏がこれらの教えを説かれるはずはない。
 (古田紹欽著『禅入門1 栄西』より引用)


 栄西は、法華経を根拠として「坐禅は末法にふさわしい法要である」と主張している。
 また、臨済宗中興の祖と呼ばれる白隠も、法華経を読んで大悟したという。

 現在の臨済宗も法事の際には法華経を読経している。「教外別伝」を掲げているからと
言って、法華経を否定しているわけではない。

 もちろん、日蓮と臨済宗の法華経に対する考え方は同じではない。
 だが、現代において、仏法を称しながら法華経をはじめとする経典を否定している教団
があるとすれば、それは創価学会ではないのか。

 創価学会がかつて教義書として出版していた『折伏教典』には、以下の文言がある。


>  しかし、上野殿御返事(御書一五四六ページ)に「今末法に入りぬれば余経も法華
> 経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」と仰せのように、釈尊出世の本懐である
> 法華経でさえも、末法の今日にはまったく力がなく、三大秘法の御本尊を受持するよ
> りほかに、幸せになる道はないのである。
 (『折伏教典』改訂29版〔昭和43年発行〕より引用)


 現在の創価学会も、以下のように主張している。


>  日蓮大聖人は、釈尊の法華経28品、天台大師が説いた『摩訶止観』、大聖人御自身
> の南無妙法蓮華経を、いずれも成仏の根本法を示すものであると捉えられています。
>  戸田先生は、それぞれ、釈尊の法華経28品を「正法時代の法華経」、『摩訶止観』
> を「像法時代の法華経」、南無妙法蓮華経を「末法の法華経」と位置づけて、「三種
> の法華経」と呼んでいました。
 (創価学会教学部編『教学入門』より引用)


 法華経には、仏像を拝めば仏道を成じる、修行すれば来世に阿弥陀仏の浄土に生れる、
といった記述がある。そして創価学会は、こうした教えを否定している。

 戸田城聖は、日蓮が『上野殿御返事』で「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、
但南無妙法蓮華経なるべし」と述べていることに基づき、それを正当化した。

 だが、日蓮は以下のようにも述べているのである。
 「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」(『開目抄』)

 日蓮の主張には矛盾があるようにも見えるが、どう判断すべきだろうか。
 『開目抄』は真蹟曾存で、しかも三大部として古来重視されてきた。
 『上野殿御返事』の真蹟は現存しないが、日興写本が残っている。

 私には、日蓮の真意がどこにあるかを論じるだけの見識はないが、法華経の教えを否定
する宗教が邪教であるというならば、創価学会こそがそう呼ばれるべきであろう。

2018年8月5日日曜日

日蓮と禅①

 ※ 今回は日蓮遺文に加えて、栄西の『興禅護国論』、道元の『正法眼蔵』も引用する。

 日蓮は、禅宗を「天魔の所為」と非難した。彼が名指しで非難している禅僧としては、
大日房能忍と蘭渓道隆が挙げられるが、様々な理由から、この両者を一括りにして論じる
訳にはいかない。今回は、大日房能忍について論じたい。

1.大日房能忍について

 大日房能忍は、達磨宗と称する一派を立てた僧であるが、達磨宗が廃れたこともあって
その事績については不明な点が多く、生没年すら不詳であるが、日蓮よりも数十年ほど前、
法然と同時代に活躍したのは確かなようである。


>  然るに後鳥羽院の御宇・建仁年中に法然・大日とて二人の増上慢の者有り悪鬼其の
> 身に入つて国中の上下を誑惑し代を挙げて念仏者と成り人毎に禅宗に趣く、存の外に
> 山門の御帰依浅薄なり国中の法華真言の学者棄て置かれ了んぬ、故に叡山守護の天照
> 太神・正八幡宮・山王七社・国中守護の諸大善神法味を飱わずして威光を失い国土を
> 捨て去り了んぬ、悪鬼便りを得て災難を致し結句他国より此の国を破る可き先相勘う
> る所なり
 (『安国論御勘由来』〔真蹟 中山法華経寺〕より引用)


>  建仁年中に、法然・大日の二人出来して、念仏宗・禅宗を興行す。法然云はく「法
> 華経は末法に入っては、未有一人得者・千中無一」等云云。大日云はく「教外別伝」
> 等云云。此の両義、国土に充満せり。天台・真言の学者等、念仏・禅の檀那をへつら
> いをそるる事、犬の主にををふり、ねづみの猫ををそるるがごとし。国王、将軍にみ
> やつかひ、破仏法の因縁、破国の因縁を能く説き能くかたるなり。
 (『開目抄』〔真蹟 身延曾存〕より引用)


 日蓮は、法然と能忍を「二人の増上慢の者」として、一緒に批判している。日蓮が存命
中の頃は、法然と能忍の影響が双方とも大きく残っており、日蓮は両者を正法である法華
経の敵として論難したのであろう。

 法然が開いた浄土宗は現在も残っており、また法然の弟子・親鸞が開いた浄土真宗、法
然の孫弟子のさらに弟子にあたる一遍が開いた時宗も、現在に伝わっている。

 だから日蓮が法然を非難したことに基づいて、創価学会員や日蓮正宗の法華講員が、浄
土系伝統宗派を批判することは、まったく故なきことではない(私としては前々回前回
述べたとおり、日蓮の主張には賛成できないが)。

 だが、先に述べたとおり、大日房能忍が開いた達磨宗は現存しない。日蓮が能忍の宗旨
を天魔呼ばわりしたからといって、それをそのまま現存する禅宗である臨済宗・曹洞宗へ
適用するのは無理筋というものである。

 なぜなら、臨済宗・曹洞宗とも法華経を重視する宗派だし、しかも、その祖師である栄
西・道元ともに、能忍に対しては批判的だったからである。
 栄西は主著『興禅護国論』で、達磨宗について以下のような批判を加えている。


【書き下し文】
>  問うて曰く、「或人、妄りに禅宗を称して名づけて達磨宗と曰ふ。而して自ら云ふ、
> 無行無修、本より煩悩無く、元より是れ菩提、是の故に事戒を用ひず、事行を用ひず、
> 只応に偃臥を用ふべし。何ぞ念仏を修し、舎利に供し、長斎節食することを労せんや、
> と云云。是の義は如何」。
>  答へて曰く、「其の人は悪として造らざること無きの類なり。聖教の中、空見と言
> ふ者の如き是れなり。此の人と共に語り同座すべからず。応に百由旬を避くべし。
 (中略)
>  是れ即ち淮北河北に昔、狂人有りて、僅に禅法の殊勝なるを聞くを、其の作法を知
> らず、只自恣に坐禅して事理の行を廃し、以て邪見の網に繫るの人なり。此の人を号
> し悪取空の師と為す。是は仏法中の死屍なり。
>  宗鏡録に一百二十見を破する中に云く、「或いは無礙に傚ひて修行を放捨し、或い
> は結使随つて本性空なるを恃む。並に是れ宗に迷ひ旨を失ひ、湛に背き真に乖き、氷
> を敲いて火を索め、木に縁つて以て魚を求むる者なり」と。
>  此は即ち無行の人を悪むなり。況や禅戒を捐て真智を非とするの人をや。

【現代語訳】
>  問うていう、「ある人が妄りに禅宗を称し名づけて達磨宗という。そうしてその者
> は自らいうのに、この宗は仏行をなすことも学修をなすこともせず、もとより煩悩は
> なく、もともと菩提を得ているものである、であるから行動をいましめる制戒を用い
> ることがなく、なさなくてはならぬ行為をなすことがなく、ただ身を横たえて眠って
> いればよい。どうして念仏を修したり、仏舎利の供養をしたり、長く持斎をし、食量
> を節することにつとめたりしようか云云。
>  答えていう、「その人は悪として造らざることのない類のものである。聖教のうち
> に空見にとらわれたものといっているものの如きがこれである。このようなことをい
> うものと共に語り、共に座すべきではない。まさに百由旬も間を隔て避けるべきであ
> る。
 (中略)
>  これすなわち河南、河北に昔、無知のものがあり、わずかばかりの禅法の殊勝なこ
> とを聞くには聞いたが、その修行の教えを知らず、ただ勝手に坐禅し、事としてのあ
> るいは理としての修行をすることがなかった。このものはもって邪見の網にひっかか
> った人である。この人を名づけて悪取空の邪師となすのである。このような人は死屍
> でしかなく、正法海にとどめるべきものではない。
>  宗鏡録に百二十種の見解を破している文のうちにいう、「あるいは無礙自在という
> ことにならって修行を投げやりにし、あるいは煩悩をそのままに認めてそれで本来空
> といったりする。これらすべて根本の教えに迷い、教えの旨を失い、心に安らかな落
> ちつきを得ず、真実にそむき、あたかもそのしていることは、氷をたたいて火をもと
> め、木にのぼって魚をもとめるような愚かしいことである」と。
>  このようにいっていることの意味は、すなわち修行をゆるがせにする人をにくむこ
> とであり、まして禅戒をすてて守らず、真実の智恵を非とする人においてをやである。
 (古田紹欽著『禅入門1 栄西』より引用)


 栄西の記述を信じるならば、達磨宗は書物で得た禅の知識と、当時、比叡山にはびこっ
ていた本覚思想――人は誰しも仏性を備えており、元から悟っているのだから、修行した
り戒律を守ったりする必要などないという思想――を混ぜこぜにしたようなものだったよ
うである。

 本格的な禅を日本に導入することを志していた栄西にとって、このような堕落した宗旨
は、許すことのできないものだったのであろう。

 道元も達磨宗を批判しているが、栄西のような歯に衣を着せない激しいものではなく、
間接的なものである。道元の主張を理解するには、まずその背景を知る必要がある。

 大日房能忍については、ウィキペディアにも記事があるので、まずそれをご覧いただき
たい。


>  能忍の禅は独修によるものであり嗣法(禅宗での法統を受けること)すべき師僧を
> 持たなかった。この事は釈尊以来の嗣法を重視する禅宗においては極めて異例であり、
> 能忍の禅が紛い物であるとする非難や中傷に悩まされた。このため文治5年(1189年)、
> 練中、勝弁の二人の弟子を宋に派遣し阿育王寺の拙庵徳光に自分の禅行が誤っていな
> いか文書で問いあわせた。徳光は禅門未開の地で独修した能忍の努力に同情し、練中
> らに達磨像、自讃頂相などを与え印可の証とした。これを根拠に能忍の教えは臨済宗
> 大慧派に連なる正統な禅と認められ名望は一気に高まった。


 能忍亡き後、その弟子の多くは曹洞宗を伝えた道元に入門した。曹洞宗第二祖・孤雲懐
奘も道元門下になる前は達磨宗の僧侶だった。

 先に引用したウィキペディアの記事に、能忍が弟子を宋に派遣し、拙庵徳光から印可の
証を授けられたとあるが、それを踏まえて以下をお読みいただきたい。


>  某甲そのかみ径山に掛錫するに、光仏照そのときの粥飯頭なりき。上堂していはく、
> 「仏法禅道かならずしも他人の言句をもとむべからず。たゞ各自理会」。かくのごと
> くいひて、僧堂裏都不管なりき。雲来兄弟也都不管なり。祇管与官客相見追尋《祇管
> に官客と相見追尋》するのみなり。仏照、ことに仏法の機関をしらず。ひとへに貪名
> 愛利のみなり。仏法もし各自理会ならば、いかでか尋師訪道の老古錘あらん。真箇是
> 光仏照、不曾参禅也《真箇是れ光仏照、曾て参禅せざるなり》。
 (岩波文庫『正法眼蔵(一)』より引用)

 ※ 文中の「光仏照」とは、拙庵徳光のことである。

〈大意〉
 私がかつて径山に錫杖を掛け(雲水として仏道修行のために一時的に逗留し)た時、拙
庵徳光が住持職だった。彼が上堂していうには「仏法禅道には必ずしも他人の言葉を求め
る必要はない。ただ各自で理解すればよい」このように言って、坐禅修行の場である僧堂
のことには一切関与しない。雲水たちとも関わりを持たない。ひたすら官吏の客の相手ば
かりする。拙庵徳光は仏法において大切なことを知らない。ひたすらに功名心と利を求め
るばかりである。仏法がもし各自で理解すればよいものなら、すぐれた師を尋ねる必要が
あるだろうか。拙庵徳光はかつて参禅したことがないのだ。


 この一節は道元が宋で修行した折に、師であった如浄から聞かされた言葉である。如浄
がこの言葉を述べた時、その場には拙庵徳光の弟子も多くいたが、恨むものはいなかった
という。

 道元がこの文章を書いた時期は、達磨宗の僧たちが多く入門してきたしばらく後のこと
である。

 道元が言わんとするところは、「拙庵徳光は坐禅もしないし、仏法などわかっていない
人物だった。その拙庵徳光から印可を受けた大日房能忍の禅も正統な禅ではない。自分が
如浄から学び伝えた禅こそが正統なのだ」ということなのである。

 本稿で述べた事情を踏まえずに、日蓮の禅批判を単純に臨済宗や曹洞宗に適用すること
は、例えていうなら、「顕正会はいかがわしい本尊を拝んでいるくせに、他人の迷惑にな
る強引な折伏をしてけしからん。従って創価学会は邪教である」というようなものである。

 以上をお読みいただければ、日蓮が大日房能忍を批判しているからと言って、その批判
を他の禅宗の宗派にそのまま当てはまることは不適切であることを、お分かりいただける
ことと思う。

 ただ、日蓮が批判する「教外別伝」については、臨済宗の教義でもあるし、日蓮が批判
したもう一人の禅僧・蘭渓道隆は、その臨済宗の僧侶だった。こうした点については、次
回に論じたい。

2018年7月29日日曜日

日蓮と念仏②

 ※ 今回は日蓮遺文だけでなく、法然の『選択本願念仏集』等も引用する。

2.法然の独創、日蓮の模倣

 歴史学者・家永三郎氏は「親鸞と日蓮」と題した小論で、法然・親鸞と比較した上で、
日蓮について以下のような評価を下している。


>  日蓮もまた、親鸞と同様に東国でその新しい宗教を創造した。しかし、あえて率直
> に私見を言わせてもらうが、日蓮は、法然や親鸞のようにきっぱりと古い仏教の因襲
> のキズナを断ち切ろうとしなかったし、人間本質の自省においても、親鸞ほどの深刻
> さを欠いていた。何よりもその宗教が、法然の浄土教との対抗意識に駆られての所産
> であったから。法然・親鸞に見られない積極的・戦闘的態度などにおいて、独自の特
> 色を発揮しているとはいうものの、大局的にみて二番せんじのうらみを免れるもので
> ない。
 (日本古典文学大系『親鸞集 日蓮集』より引用)


 「古い仏教の因襲のキズナを断ち切ろうとしなかった」というのは、日蓮が「五時八教
の教判」等の天台教学をそのまま踏襲したことを指すと思われる。

 だが、家永氏は日蓮のどこが二番煎じであったのか、この小論で具体的に指摘している
わけではない。

 家永氏が日蓮を二番煎じ呼ばわりした理由を知るためには、日蓮が対抗意識に駆られた
という、法然の独創性を理解する必要がある。

 歴史の授業で、鎌倉新仏教について習ったことを覚えておいでの方も多いことと思う。
法然はその鎌倉新仏教の嚆矢とされているが、法然の主張のどこが新しかったのだろうか。

 法然が「南無阿弥陀仏」と唱えると救われるという念仏信仰を説いたことは、ほとんど
の方がご存知であろうが、念仏は別に法然が始めた訳ではない。
 また、本来、念仏というのは「南無阿弥陀仏」を唱えることだけをいうのではない。

 単に「南無阿弥陀仏」を唱えることを称名念仏というが、それ以外にも阿弥陀仏像の周
りを歩きながら仏を念じる修行や、極楽浄土と阿弥陀如来の姿を心に念じる観想念仏など、
念仏に含まれる仏道修行はいくつもあった。

 観想念仏の修行法を説いた経典が『観無量寿経』だが、現在のような視覚的イメージを
喚起する映像技術などない時代に、経典の文言だけによって極楽浄土の姿を想いうかべる
のは困難だったはずである。

 それ故に極楽浄土に似せた寺院まで作られた。十円青銅貨の表に刻まれている平等院鳳
凰堂がそれである。

 念仏の修行法としては、観想念仏こそが優れた方法であり、称名念仏は「劣機のための
劣行」としか見なされていなかった。「劣機」とは機根――悟りを開く資質――に劣る者
を意味する。称名念仏は、救いに遠い者のための劣った修行法でしかなかったのである。

 法然の革新性は、その称名念仏を「極善最上の法」と言い切ったところにある。法然の
主要な主張は『選択本願念仏集』にまとめられているので、当該部分を引用する。


>  故に極悪最下の人の為に極善最上の法を説く所、例せば彼の無明淵源の病は、中道
> 府蔵の薬に非ざれば、すなわち治すること能わざるがごとし。今この五逆は重病の淵
> 源なり。またこの念仏は、霊薬府蔵なり。この薬に非ざれば、何ぞこの病を治せん。


 ここでいう「極悪最下の人」とは五逆――父母を殺すことなど、仏教で最も重い罪とさ
れる五つの悪行――を犯した人のことである。念仏はそのような極悪人でも救う「霊薬」
だというのである。

 法然はこの記述の次の章で、『観無量寿経』が説く観想念仏について触れた上で「念仏
とは、専ら弥陀仏の名を称するこれなり」とし、称名念仏こそが本来あるべき念仏である
としている。

 『選択本願念仏集』には、称名念仏の一行を選び取る理由として、「仏像を作ったり、
智慧に優れていたり、厳しい戒律を守ったりしなければ救われないというのであれば、貧
しい者、愚かな者、戒律を守れない者は救いの望みを絶たれることになる。それは一切衆
生を平等に救済しようという、阿弥陀如来の慈悲に反する。誰にでもできる称名念仏こそ
が、阿弥陀如来の本願である」との趣旨が述べられている(原文は補足1で引用)。

 日蓮は『守護国家論』の中で、「中昔邪智の上人有りて末代の愚人の為に一切の宗義を
破して選択集一巻を造る」と述べているが、それはこの一節を踏まえての記述であろう。

 『選択本願念仏集』は法然の死後、弟子たちによって出版された。その結果、多くの批
判がなされることとなった。

 修行して悟りを得ようとする本来の仏教を軽視するものだというものや、念仏の修行は
『観無量寿経』が説くとおり観想念仏を重視すべきだというものが、批判の主なものだっ
た。

 また、どんな悪人であっても救われるという教えをいいことに悪事を働く者も現れた。
法然はそれを懸念していたからこそ、『選択本願念仏集』の末尾を以下の言葉で締めくく
っていたのであるが。


>  庶幾(こいねが)わくは一たび高覧を経てのち、壁底に埋めて窓前に遺すこと莫れ。
> 恐らくは破法の人をして、悪道に堕せしめんことを。

 ※ 『選択本願念仏集』は、前関白・九条兼実の要請により執筆された。この言葉は九
  条公に宛てたものだったのだろうが、法然の弟子たちは、師が没するとすぐに出版に
  踏み切り、前述のように批判を招くことになった。


 念仏のせいで世が乱れているという日蓮の指摘は、まったく根拠がなかったとは言えな
いのである。

 念仏者の狼藉が、ある種の社会問題になっていたことを日蓮は指摘しており、『撰時抄』
などには、当時、寺院に寄進されていた荘園を奪い取り、念仏堂に寄進する者が後を絶た
なかったとの記述がある(当該の記述は補足2で引用)。

 鎌倉時代当時、大寺院は広大な寺領を有する荘園領主であり、僧侶はその統治者だった。
漢文で書かれた経典を読みこなすなどの高度な識字能力を備え、厳しい修行を実践し、そ
の他にも様々な専門技能――医療や建築など――を有する僧侶の社会的地位は現在よりも
ずっと高かった。

 要するに「お坊さんはエラい。だから支配者になる資格がある」と、思われていたので
ある。

 だが法然は、誰にでも実践できる称名念仏を「極善最上の法」とした。そうなると、難
しい修行をする僧侶が「エラい」とは言えなくなってしまう。

 この権威破壊性が、新興の武士階級にとって都合がよかったのであろう。日本の中世は、
武士階級が貴族や寺院等の旧勢力の荘園を蚕食する過程でもあった。念仏信仰の隆盛は、
そうした傾向と軌を一にする面もあったのである。

 「念仏信仰の流行が世を乱している」という日蓮の指摘は、一面で的を得ていた。だが
その理由は、日蓮が主張するように「念仏を唱えることが正法である法華経を誹謗するこ
とになるから」ではない。繰返しになるが、称名念仏の易行性には、僧侶や寺院の権威を
否定する面があったからである。

 そして日蓮は、称名念仏の易行性をそのまま模倣した。
 『観心本尊抄』の末尾には、こう書かれている。


>  一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起こし、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚
> の頸に懸けさしめたまふ。

 ※ 「五字」とは無論「妙法蓮華経」のことである。


 「南無妙法蓮華経」を唱えることは、称名念仏と同じく誰にでもできる。日蓮没後に増
えたその教えを奉じる人々が法華一揆を引き起し、一向一揆と同様の社会的混乱をもたら
したのは当然の成り行きだった。

 法然や日蓮をどう評価するかは、人によって違うであろう。誰にでも実践できる平易な
教えを説き、宗教的救済を万人に開かれたものとし、貧しく虐げられていた人々の結束を
促したと肯定的に評価することもできるし、仏教を堕落させ、社会秩序を乱したという批
判的な評価もあるだろう。

 だが、誰でも実践できる易行をもって「極善最上の法」とする革新性・独創性は、法然
一人に帰せられるものである。

 そして、現在もその教えを奉じると称する連中――創価学会や顕正会――が社会を乱し
ているのは、日本の伝統宗派の祖師の中では日蓮だけである(この点については、戸田城
聖や池田大作のようなエセ宗教家の責任が大きく、日蓮はその教えを悪用された面もある
が、日蓮の思想が本来的に独善性・戦闘性を内包していたことは否定できない)。

 さて、日蓮の教えは法然の模倣に留まるものではなかった。その点も指摘しなければ不
公平だろう。

 法然は現世利益については否定的で、「神仏に祈って病気が治るのならば、誰か病気で
死ぬ人がいるだろうか」と述べている。


>  又宿業かぎりありて、うくべからん病は、いかなるもろもろのほとけかみにいのる
> とも、それによるまじき事也。いのるによりて病もやみ、いのちものぶる事あらば、
> たれかは一人として病み死ぬる人あらん。
 (『浄土宗略抄』より引用)


 それに対して日蓮は、現世利益肯定派である。前回も引用した元念仏信者・南条兵衛七
郎に宛てた手紙で、「法華経は念仏と違って今生の祈りともなる」と述べている(原文は
補足3で引用)。

 ※ もっと端的に「南無妙法蓮華経は師子吼の如し。いかなる病さはりをなすべきや」
  と述べている遺文もある(『経王殿御返事』)。この遺文は「日蓮がたましひをすみ
  にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ」の一文でも知られているが、真蹟・古写
  本ともに現存していない。

 私個人の考え方は法然に近いが、効果的な医療が存在しなかった鎌倉時代の人々が、日
蓮の教えに惹かれたのは自然なことだったとも思う。

 また「病は気から」ということもあるので、適切な医療を受けた上で信仰を心の支えに
するのは、現在でも悪いことではないだろう。

 だが、「科学的な根拠がない」と言って他の宗教を批判しながら、「護符」のようなイ
ンチキなマジナイや、「仏敵撲滅唱題」を行ってきた創価学会に弁護の余地はない。彼ら
と比べれば、鎌倉時代の法然の方がまだずっと合理的である。

 これは蛇足かも知れないが、日蓮が61歳で没したのに対し、法然は78歳、その弟子の親
鸞は90歳まで生きた。題目の方が念仏よりも優れていると主張したい方には、この史実も
ご一考いただきたいものである。



補足1

>  もしそれ造像起塔を以て、本願としたまわば、すなわち貧窮困乏の類は定んで往生
> の望を絶たん。然るに富貴の者は少なく、貧賤の者ははなはだ多し。もし智慧高才を
> 以て本願としたまわば、愚鈍下智の者は定んで往生の望を絶たん。然るに智慧ある者
> は少なく、愚癡なる者ははなはだ多し。もし多聞多見を以て本願としたまわば、少聞
> 少見の輩は定んで往生の望を絶たん。然るに多聞の者は少なく、少聞の者ははなはだ
> 多し。もし持戒持律を以て本願としたまわば、破戒無戒の人は定んで往生の望を絶た
> ん。然るに持戒の者は少なく、破戒の者ははなはだ多し。自余の諸行これに准じてま
> さに知るべし。まさに知るべし、上の諸行等を以て本願としたまわば、往生を得る者
> は少なく、往生せざる者は多からん。然ればすなわち弥陀如来、法蔵比丘の昔、平等
> の慈悲に催され、普く一切を摂せんが為に、造像起塔等の諸行を以て、往生の本願と
> したまわず。ただ称名念仏の一行を 以て、その本願としたまえる。
 (『選択本願念仏集』第三章段より引用)

 ※ 『選択本願念仏集』は浄土宗のサイトで全文を閲覧可能。
   ちなみに「選択」は浄土宗では「せんちゃく」、浄土真宗では「せんぢゃく」と読
  む慣例となっている。


補足2

>  日本国の法然が料簡して云はく、今日本国に流布する法華経・華厳経並びに大日経・
> 諸の小乗経、天台・真言・律等の諸宗は、大集経の記文の正像二千年の白法なり。末
> 法に入っては彼等の白法は皆滅尽すべし。設ひ行ずる人ありとも一人も生死をはなる
> べからず。十住毘婆沙論と曇鸞法師の難行道、道綽の未有一人得者、善導の千中無一
> これなり。彼等の白法隠没の次には浄土の三部経・弥陀称名の一行計り大白法として
> 出現すべし。此を行ぜん人々はいかなる悪人愚人なりとも、十即十生・百即百生、唯
> 浄土の一門のみ有って通入すべき路なりとはこれなり。されば後世を願はん人々は叡
> 山・東寺・園城・七大寺等の日本一州の諸寺諸山の御帰依をとどめて、彼の寺山によ
> せをける田畠郡郷を奪いとて念仏堂につけば、決定往生南無阿弥陀仏とすすめければ、
> 我が朝一同に其の義になりて今に五十余年なり。
(『撰時抄』より引用)


 法然の説いた易行で救われるという信仰には、結果として既存の寺院・僧侶の権威を否
定する面があったことは、本文で述べたとおりである。

 だが、「大寺院の寺領を奪って念仏堂に寄進すれば、『決定往生南無阿弥陀仏』と法然
が勧めた」などという史実はなく、この一節は日蓮による誹謗中傷であるが、法然の意図
に反して念仏信仰を寺領侵略の正当化に用いる輩は、実際にいたのであろうと思われる。


補足3

>  もしさきにたたせ給はば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給ふべし。
> 日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ。よもはうしんなき事は候
> はじ。但一度は念仏、一度は法華経となへつ、二心ましまし、人の聞にはばかりなん
> どだにも候はば、よも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ。後にうらみさせ給ふな。
> 但し又法華経は今生のいのりとも成り候なれば、もしやとしていきさせ給ひ候はば、
> あはれとくとく見参して、みづから申しひらかばや。
(『南条兵衛七郎殿御書』より引用)

2018年7月22日日曜日

日蓮と念仏①

 ※ 今回は日蓮遺文だけでなく、親鸞の『教行信証』も引用する。

1.念仏批判の根拠

 「南無阿弥陀仏」という念仏を唱える浄土系宗派の檀信徒は、日本の伝統宗派の中でも
最も多く、創価学会員から折伏を受けた際に「念仏無間」と言われて、宗教的感情を害さ
れた経験をお持ちの方も多いことと思う(伝統宗派の中では浄土真宗が最大である)。

 実際、学会員の中には、念仏を一度でも唱えると地獄に堕ちると思い込んでいる者も少
なくない。
 だが、実は日蓮遺文には、若かりし頃の日蓮も念仏を唱えていたとの記述もある。


>  日蓮も過去の種子已に謗法の者なれば今生に念仏者にて数年が間法華経の行者を見
> ては未有一人得者千中無一等と笑しなり今謗法の酔さめて見れば酒に酔る者父母を打
> て悦しが酔さめて後歎しが如し歎けども甲斐なし此罪消がたし、何に況や過去の謗法
> の心中にそみけんをや
 (『佐渡御書』より引用)


>  而るに日蓮は日本国安房の国と申す国に生れて候しが、民の家より出でて頭をそり
> 袈裟をきたり、此の度いかにもして仏種をもうへ生死を離るる身とならんと思いて候
> し程に、皆人の願わせ給う事なれば阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え候し程
> に、いささかの事ありて、此の事を疑いし故に一の願をおこす
 (『妙法比丘尼御返事』より引用)


 日蓮は周りの人が皆そうしていたので、「阿弥陀仏をたのみ奉り幼少より名号を唱え」
ていたが、やがてそれを疑うようになったのだと述べている(『妙法比丘尼御返事』には
その後の日蓮が、正しい仏法を求めて比叡山や高野山等を巡ったことが記されている)。

 幼少時は念仏を唱えてた日蓮が、なぜ「念仏無間」などと主張するようになったのだろ
うか。「南無阿弥陀仏」と唱えることが、無間地獄に堕ちなければならないほどの悪行だ
という根拠は何なのだろうか。

 日蓮は『立正安国論』で、法然の『選択本願念仏集』の問題点を指摘し、経文を引いて
「念仏無間」の理由を説明している。


>  之に就いて之を見るに、曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道浄土・難行易行の旨
> を建て、法華・真言総じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻、一切の諸仏菩
> 薩及び諸の世天等を以て、皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て、或は閉じ、或
> は閣き、或は抛つ。此の四字を以て多く一切を迷はし、剰へ三国の聖僧・十方の仏弟
> を以て皆群賊と号し、併せて罵詈せしむ。近くは所依の浄土の三部経の「唯五逆と誹
> 謗正法を除く」の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の「若し人信
> ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」の誡文に迷ふ者な
> り。


 「之に就いて之を見るに」から始まる一文は、『選択本願念仏集』への批判である。法
然が法華・真言等の教えを、「皆聖道・難行・雑行等」に含め、それらの教えについて、
あるいは捨て、あるいは閉じ、あるいは閣(さしお)き、あるいは抛(なげう)つべきだ
と主張していることを指摘している。

 そして、それが経文に違背しているとし、法然が所依としている浄土三部経の「唯五逆
と誹謗正法を除く」と、法華経の第二の「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の
人命終して阿鼻獄に入らん」を挙げている。

 「唯五逆と誹謗正法を除く」の一節は、無量寿経にある阿弥陀四十八願の中でも最も有
名な第十八願による。無量寿経の当該部分について、書き下し文を引用する。


>  たとい、われ仏となるをえんとき、十方の衆生、至心に信楽して、わが国に生れん
> と欲して、乃至十念せん。もし、生れずんば、正覚を取らじ。ただ、五逆(の罪を犯
> すもの)と正法を誹謗するものを除かん。
 (岩波文庫『浄土三部経(上)』より引用)


 「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」とは、法
華経の譬喩品にある言葉で、「阿鼻獄」とは無間地獄のことである。

 日蓮は法華経こそが正法であると考え、それを誹謗する者は、たとえ念仏を唱えたとし
ても阿弥陀如来の救済から漏れ、それだけなく無間地獄に堕ちるのだと主張しているので
ある。

 法華経こそが正法とした根拠は、「一代五時の肝心たる法華経」という言葉から明らか
なように、天台教学の「五時八教の教判」である。

 日蓮が在家信者に宛てた手紙の中には、念仏が救済とならない理由について、末法思想
に基づき、もう少し丁寧な説明をしているものがある。

 日蓮の在家の弟子に、南条兵衛七郎という者がいた。この人はもとは念仏信仰をしてい
た。この南条兵衛七郎に宛てた手紙で、日蓮は念仏の非を説明している。


>  仏入滅の次の日より千年をば正法と申す、持戒の人多く又得道の人これあり。正法
> 千年の後は像法千年なり、破戒者は多く得道すくなし。像法千年の後は末法万年、持
> 戒もなし破戒もなし、無戒者のみ国に充満せん。而も濁世と申してみだれたる世なり。
 (中略)
>  今の世は末法のはじめなり、小乗経の機・権大乗経の機みなうせはててただ実大乗
> 経の機のみあり。小船には大石をのせず。悪人愚者は大石のごとし。小乗経並びに権
> 大乗経念仏等は小船なり。大悪瘡の湯治等は病大なれば小治およばず。末代濁世の我
> 等には念仏等はたとへば冬田を作れるが如し。時があはざるなり。
 (『南条兵衛七郎殿御書』〔真蹟 若狭長源寺外〕より引用)

〈大意〉
 今の世は末法であり、小乗経や権大乗経――大乗経典の中でも方便の教え――で救われ
る資質の者はおらず、最も優れた教えである実大乗経、つまり法華経でなければ救われな
い。末法濁世を生きる我々にとって、念仏を唱えるのは冬に田を作るようなもので、時が
合わないのである。


>  而るを此の五十余年に法然といふ大謗法の者いできたりて、一切衆生をすかして、
> 珠に似たる石をのべて珠を投げさせ石をとらせたるなり。止観の五に云はく「瓦礫を
> 貴んで明珠なりとす」と申すは是なり。一切衆生石をにぎりて珠とおもふ。念仏を申
> して法華経をすてたる是なり。此の事をば申せば還ってはらをたち、法華経の行者を
> のりて、ことに無間の業をますなり。
 (同上)

〈大意〉
 それなのにこの五十余年に法然という大謗法の者が現れて、一切衆生を騙して、宝石に
似た石を差し出して、宝石を投げ捨てさせ石を取らせた。一切衆生は石を握りしめて宝石
だと思っている。念仏を唱えて法華経を捨てたのはこれである。このことを指摘すると、
かえって腹を立て、法華経の行者を罵って、ことに無間地獄の業を増している。


 日蓮が「念仏無間」と主張する根拠は以上である。
 以前にも述べたが、日蓮が自説の根拠としているのは、法華経を最も優れた経典とする
天台教学の「五時八教の教判」と、末法思想であることが見て取れる。

 なお「五時八教の教判」については、以前その概略を説明したので、興味がある方はそ
ちらもご覧いただきたい(「私説〝五重相対〟(創価学会の矛盾)③」参照)。

 上記はあくまでも日蓮の見解である。当然のことながら、当時の念仏者たちは、念仏が
無間地獄に堕ちる因となるとは考えていなかった。日蓮が手ひどく論難している法然の弟
子であった親鸞が、興味深い主張をしているので引用する。


>  このゆえに『涅槃経』に云わく、「仏、迦葉菩薩に告げたまわく、もし善男子・善
> 女人ありて、常によく心を至し専ら念仏する者は、もしは山林にもあれ、もしは聚落
> にもあれ、もしは昼・もしは夜、もしは座・もしは臥、諸仏世尊、常にこの人を見そ
> なわすこと、目の前に現ぜるがごとし、恒にこの人のためにして受施を作さん」と。
 (『教行信証』信巻より引用)


 親鸞も日蓮と同じく比叡山で修行した天台僧であり、天台教学を修めていた。「五時八
教の教判」の教判では、涅槃経を法華経と同じく、釈尊が人生の最後の時期に説いた最も
優れた経典と考える。

 親鸞は念仏を唱えることが、正法を誹謗することになるとは考えなかったのである。
 さらに親鸞は、天台教学の大成者である智顗の故事も引いている。


>  律宗の元照師の云わく、ああ、教観に明らかなること、熟か智者に如かんや。終わ
> りに臨みて『観経』を挙し、浄土を讃じて長く逝きんき。
 (同上)


 「智者」とは、天台智者大師と敬われた智顗のことである。天台宗の祖が臨終に際して
『観無量寿経』を手にし、浄土を讃えたという故事を親鸞が引いたのは、念仏信仰が天台
教学に反するものではないと訴えんがためであろう。

 ※ 『観無量寿経』は念仏信仰の依経である浄土三部経の一つ。『観経』とも呼ばれる。
  法然の『選択本願念仏集』における主張の多くは、その注釈書である『観経疏』に依
  っている。

 誤解のないように申し添えるが、『教行信証』における親鸞の主張は、日蓮への反論と
してなされたものではない(日蓮と親鸞は同時代人ではあるが、お互いのことは知らなか
った)。

 日蓮と親鸞の主張のどちらに説得力を感じるかは、人によって違うだろうが、創価学会
のように他人に迷惑をかけないのであれば、信教は自由なのだから、自分が正しいと思う
ことを信じればよいはずである。

 私の個人的見解を述べさせてもらえば、現在の仏教学では、法華経や浄土三部経を含む
大乗経典のすべては、釈尊滅後、数百年も後の創作だと判明しているので、その大乗経典
の中のどれが真実の教えかなどという論争には意味がないと思う。

 その上で、先祖代々「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」を唱えてきた人が、そうし
た信仰を受け継ぎたいと思うのは、自然な感情だと思うし、尊重されるべきだと考える。

 もちろん、「南無大師遍照金剛」や祝詞を唱える信仰、それ以外の信仰も他人に迷惑を
かけず、社会の害にならない限り尊重されるべきである。

 日蓮と念仏については、まだ論じるべき点があるので、次回も引き続きこの主題で投稿
する予定である。



補足

 冒頭で引用した『佐渡御書』『妙法比丘尼御返事』には、日蓮真蹟も古写本も存在しな
い。よって確実に日蓮が書いたものだとは断定できない。

 だが、多くの日蓮伝記がこれらの記述に依っているのも事実である。
 専門家が信頼できると見做しているので、敢えて偽書として排斥する必要はないのかも
しれない。


蛇足

 本文で、大乗経典の中でどの経典が正しいか論じることは、現在では意味がないと書い
たが、敢えて鎌倉時代の状況であったなら、私ならどう考えるかを述べてみる。

 法華経の方便品には、「南無仏」と唱える者は仏道を成じるという記述がある。
 また、薬王菩薩本事品には、この経に説かれているように修行すれば、来世には阿弥陀
仏の浄土に生まれるとの記述もある。

 ここでいう「この経」とは、もちろん法華経のことだが、その法華経に「『南無仏』と
唱える者は仏道を成じる」と書かれているのだから、念仏を唱えることが法華経を誹謗し
たことになり、無間地獄に堕ちる業だというのは、少々無理のある主張ではないかと思わ
ないでもない。

2018年7月15日日曜日

「南無妙法蓮華経」の根拠

 ※ 今回も日蓮遺文(古文)の引用多め。


 日蓮は天台教学の「五時八教の教判」を踏襲して、法華経を最も優れた経典と考えたが、
具体的な実践としては、よく知られているように、ひたすらに「南無妙法蓮華経」という
題目を唱えよ、という専修唱題を説いた。

 専修唱題は天台教学の踏襲ではなく、日蓮の独創であるが、彼はその根拠として、いく
つかの著述で法華経の一節を引いている。一例を示す。


>  第二に但法華経の題目計りを唱へて三悪道を離るべきことを明かさば、法華経の第
> 五に云はく「文殊師利、是の法華経は無量の国の中に於て乃至名字をも聞くことを得
> べからず」と。第八に云はく「汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら福量
> るべからず」と。
 (『守護国家論』〔真蹟 身延曾存〕より引用)

 ※ 上記文中の「第五」は、法華経の巻第五 安楽行品、「第八」は巻第八 陀羅尼品か
  らの引用である。


 だが法華経には、「南無妙法蓮華経」と唱えることで救われると明示している箇所はな
い(「南無釈迦牟尼仏」「南無観世音菩薩」という記述ならある)。上述は日蓮の解釈で
しかないのである。

 自説の根拠が薄弱であることは、日蓮も自覚していたのか、唱題を正当化するために様
々なことを述べている。


>  問うて云はく、法華経一部八巻二十八品の中に何物か肝心なる。答へて云はく、華
> 厳経の肝心は大方広仏華厳経、阿含経の肝心は仏説中阿含経、大集経の肝心は大方等
> 大集経、般若経の肝心は摩訶般若波羅蜜経、双観経の肝心は仏説無量寿経、観経の肝
> 心は仏説観無量寿経、阿弥陀経の肝心は仏説阿弥陀経、涅槃経の肝心は大般涅槃経。
> かくのごとくの一切経は皆如是我聞の上の題目、其の経の肝心なり。大は大につけ小
> は小につけて題目をもて肝心とす。大日経・金剛頂経・蘇悉地経等亦復かくのごとし。
> 仏も又かくのごとし。大日如来・日月灯明仏・燃灯仏・大通仏・雲雷音王仏、是等も
> 又名の内に其の仏の種々の徳をそなへたり。今の法華経も亦もってかくのごとし。如
> 是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心、亦復一切経の肝心、一切の諸仏・
> 菩薩・二乗・天人・修羅・竜神等の頂上の正法なり。
 (『報恩抄』〔真蹟 身延曾存〕より引用)


 日蓮に言わせると、各経典の肝心はその題目(題名)であり、最も優れた経典である法
華経の題目は、「一切経の肝心」「頂上の正法」ということになるのだという。
 別の遺文では、法華経のサンスクリット語の原題を示して題目の意義を説いている。


>  妙法蓮華経と申すは漢語なり。月支には薩達磨分陀利伽蘇多攬と申す。善無畏三蔵
> の法華経の肝心真言に云はく「ノウマクサマンダボダナン オン アアアンナク サル
> バボダ キノウ サキシュビヤ ギャギャノウババ アラキシャニ サツリダルマ フンダリ
> キャ ソタラン ジャ ウン バン コク バザラ アラキシャマン ウン ソワカ」と。此の真
> 言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり。此の真言の中に薩哩達磨(サツリ
> ダルマ)と申すは正法なり。薩と申すは正なり。正は妙なり。妙は正なり。正法華、
> 妙法華是なり。又妙法蓮華経の上に、南無の二字ををけり。南無妙法蓮華経これなり。
 (『開目抄』〔真蹟 身延曾存〕より引用)

 ※ 「ノウマクサマンダ~」はサンスクリット語の音写である。原文では漢字で書かれ
  ているが、環境依存文字が多いため、やむなく片仮名で記した。正確に知りたい方は、
  『開目抄』の原文をご覧いただきたい。創価学会版『日蓮大聖人御書全集』をお持ち
  の方は、209ページに当該部分がある。


 日蓮は「妙法蓮華経というのは漢語である。月支(インド)では薩達磨(サッダルマ)
分陀利(プンダリキャ)伽蘇多攬(ソタラン)という」と述べた上で、法華肝心真言を引
用し、南無妙法蓮華経は法華肝心真言と同じようなものなのだと主張している(法華肝心
真言については補足で説明するので、そちらをご覧いただきたい)。

 この一節については、何を言っているのか分からないという方も多いと思うで、私の能
力の及ぶ範囲でだが、簡単に説明する。

 大乗仏教の経典はインドで作られたものなので、元来はサンスクリット語(梵語)で書
かれていた。もちろん法華経もそうであり、日蓮が言うように「サッダルマ=プンダリー
カ」がサンスクリット語での題名である。

 密教ではサンスクリット語を重視する。仏の姿を真似て手に印を結び、仏の言葉である
サンスクリット語の真言・陀羅尼を唱え、仏の世界を図顕した曼荼羅(マンダラ)を観想
することで、その人が本来持っている仏性が現れ、即身成仏できるというのが、真言密教
の基本的な考え方である。

 日蓮は「真言亡国」と主張したが、法華経の世界観を図顕した曼荼羅を本尊とし、南無
妙法蓮華経――法華肝心真言の近似――を唱えることで成仏できるという主張からも明ら
かなように、実際には相当に強く密教の影響を受けているのである。

 別の遺文からは、日蓮が激しく攻撃したもう一つの宗旨である、念仏の影響を窺い知る
ことができる。


>  漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度々ありしかども、いまだ日蓮ほど法
> 華経のかたうどして、国土に強敵多くまうけたる者なきなり。まづ眼前の事をもって
> 日蓮は閻浮第一の者としるべし。仏法日本にわたて七百余年、一切経は五千七千、宗
> は八宗十宗、智人は稲麻のごとし、弘通は竹葦ににたり。しかれども仏には阿弥陀仏、
> 諸仏の名号には弥陀の名号ほどひろまりてをはするは候はず。此の名号を弘通する人
> は、慧心は往生要集をつくる、日本国三分が一は一同の弥陀念仏者。永観は十因と往
> 生講の式をつくる、扶桑三分が二分は一同の念仏者。法然はせんちゃくをつくる、本
> 朝一同の念仏者。而かれば今の弥陀の名号を唱ふる人々は一人が弟子にはあらず。此
> の念仏と申すは双観経・観経・阿弥陀経の題名なり。権大乗経の題目の広宣流布する
> は、実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや。心あらん人は此をすいしぬべし。
> 権経流布せば実経流布すべし。権経の題目流布せば実経の題目又流布すべし。
 (『撰時抄』〔真蹟 玉沢妙法華寺〕より引用)


 南無阿弥陀仏という権経――方便の教え――の題目が広がったことは、実教――真実の
教え――である法華経の題目が「流布せんずる序」だというのである。

 念仏や真言を激しく批判しておきながら、題目を正当化するために、法華肝心真言を引
用したり、南無阿弥陀仏は南無妙法蓮華経が広がる前触れだと主張したりする日蓮の論法
に、違和感というか、手前勝手さを感じる方もいるのではないだろうか。

 日蓮は以下のようなことも言ってはいるのだが……。


>  一代の聖教いづれもいづれもをろかなる事は候はず、皆我等が親父・大聖教主釈尊
> の金言なり皆真実なり皆実語なり、其の中にをいて又小乗・大乗・顕教・密教・権大
> 乗・実大乗あいわかれて候、仏説と申すは二天・三仙・外道・道士の経経にたいし候
> へば・此等は妄語・仏説は実語にて候、此の実語の中に妄語あり実語あり綺語もあり
> 悪口もあり、其の中に法華経は実語の中の実語なり・真実の中の真実なり、真言宗と
> 華厳宗と三論と法相と倶舎・成実と律宗と念仏宗と禅宗等は実語の中の妄語より立て
> 出だせる宗宗なり、法華宗は此れ等の宗宗には・にるべくもなき実語なり、法華経の
> 実語なるのみならず一代妄語の経経すら法華経の大海に入りぬれば法華経の御力にせ
> められて実語となり候、いわうや法華経の題目をや、白粉の力は漆を変じて雪のごと
> く白くなす・須弥山に近づく衆色は皆金色なり、法華経の名号を持つ人は一生乃至過
> 去遠遠劫の黒業の漆変じて白業の大善となる、いわうや無始の善根皆変じて金色とな
> り候なり。
 (『妙法尼御前御返事』〔真蹟 池上本門寺〕より引用)


 一代の聖教は皆、教主釈尊の金言であり実語であるが、真言宗や念仏宗等は実語の中の
妄語から出た宗派である。だが法華経の大海に入れば、それらの教えも法華経の力で実語
になるのだという。

 他の宗派はすべて誤りだが、南無妙法蓮華経を正当化するためなら、それらの宗派の教
えを利用して構わないのだと主張しているようにも受け取れる。

 仏教には様々な宗派があり、多くの教説があるが、日蓮はそれらの正邪を決するに際し
ての基準として、次のようなことも言っている。


>  天台大師の専ら経文を師として一代の勝劣をかんがへしがごとく一切経を開きみる
> に、涅槃経と申す経に云はく「法に依って人に依らざれ」等云云。依法と申すは一切
> 経、不依人と申すは仏を除き奉りて外の普賢菩薩・文殊師利菩薩乃至上にあぐるとこ
> ろの諸の人師なり。此の経に又云はく「了義経に依って不了義経に依らざれ」等云云。
> 此の経に指すところ了義経と申すは法華経、不了義経と申すは華厳経・大日経・涅槃
> 経等の已今当の一切経なり。されば仏の遺言を信ずるならば専ら法華経を明鏡として
> 一切経の心をばしるべきか。
 (『報恩抄』より引用)

 ※ もっと端的に、「論師・訳者・人師等にはよるべからず、専ら経文を詮とせん」
  (『破良観等御書』)と述べている著述も存在するが、この遺文には真蹟・古写本と
  もに存在せず、確実に日蓮の教えと断定できるわけではない。


 日蓮は「法華経を明鏡として一切経の心をばしるべき」と述べているが、その法華経に
は、経典の題名がその経の肝心なのだから題目を唱えよとか、南無阿弥陀仏は南無妙法蓮
華経が広がる前触れだとかいう教えは説かれていない。

 今回取り上げた日蓮の主張は、いずれも彼の思いつきに過ぎず、経典に忠実なものとは
言い難い。どちらかというと、「人師・論師の釈」の域を出るものではないように思える。

 日蓮の主張に説得力を感じる人もいるだろう。そういう人が題目を唱えるのは自由だし、
個人の信仰としてなら尊重されるべきだが、日蓮の教えが万人が納得できる普遍的な仏法
だとは、私には思えない。

 そして、創価学会の言っていることは、その日蓮の教えとも違っているのである。
 私はこれまでの人生で、学会員から折伏を受けた事が何回かあるが、今回示したような
日蓮の教えに基づいた主張をした者はいなかった。「南無妙法蓮華経は宇宙の法則」とか
いう、バカげた与太話をする者ならばいたが(創価学会員のほとんどは、御書など読んで
いないのである)。

 日蓮の主張は確かに偏頗なものではあるが、それでも創価学会が主張しているような疑
似科学めいた珍説よりは余程マシだし、「唯一正統な」という言葉で形容するのは不適切
だとしても、日蓮宗等の日蓮系宗派は他の伝統仏教と同様、いま現在、社会に迷惑をかけ
ているわけではない(ただし日蓮正宗はカルトなので除く)。

 また、日蓮だけを批判するのはフェアではないとも思う。例えば法然は『選択本願念仏
集』の中で、空海の『弁顕密二教論』を引用して「念仏にも陀羅尼と同様の功徳がある」
と主張しながら、真言密教を聖道門として退けている。

 法然の主張にも、日蓮と同様の独善性があったと言える。
 一方で法然は、弟子たちに問題行動を起こさないようにと戒めていたし、『選択本願念
仏集』も法然在世の間は、一部の弟子にしか閲覧を許さなかった。

 念仏者等から度重なる襲撃を受けたこともあって、武装までして戦闘的姿勢を取り続け
た日蓮と、まったく同じというわけではない。

 独善的に見える思想を説きながらも、弟子たちには過激な行動を禁じた法然の生き方は
矛盾しているようにも見えるが、先駆者であるが故に慎重にならざるを得なかったのであ
ろう。それでも一部の先鋭化した弟子の暴走を防ぐことはできなかったのだが(この点に
ついては、日蓮にも同様のことがあったのかもしれない)。

 日蓮と念仏の関係については、次回も引き続き論じる予定である。



補足1 法華肝心真言について

 法華経の中にこの真言を説いた箇所があるわけではない。調べてはみたのだが、残念な
がら大したことは分からなかった。
 『日本佛教語辞典』(岩本裕著)に、以下の説明があるのを見つけた。


>  善無畏(六三七~七三五)が南天竺の鉄塔の中より得たと伝えられる陀羅尼で、
> 『法華経』の中心思想を表明するものといわれる。
 (中略)
>  真言は伝承の原語音で誦されるが、その伝承に誤りがあり、原語に還元しがたい部
> 分がある。しかし、『法華経』の原題名 サッダルマ=プンダリーカ に該当する文字
> もあり、『法華経』に関連のあることは明らかであるが、何故に「肝心」であるのか
> 知り難い。


補足2 「南無妙法蓮華経は宇宙の法則」

 創価学会教学部編『教学入門』には、「南無妙法蓮華経は、宇宙と生命を貫く根源の法
です」との記述がある。

 創価学会の教義のほとんどは、彼らがかつて属していた日蓮正宗から受け継いだものだ
が、宇宙云々は日蓮正宗の教義ではなく、創価学会独自のものである。
 日蓮正宗が創価学会に対して発した「破門通告書」には、以下の記述がある。


>  本宗の三宝中、仏宝及び法宝の意義内容たる人法一箇の御本尊について、池田大作
> 氏は、「宇宙根源の法をそのまま御図顕あそばされた大御本尊」などという、御本仏
> 大聖人の己証から外れた法偏重の謬義を繰り返し述べております。これは、まさに本
> 宗の教義を破壊する大謗法であります。

 ※ 日蓮正宗の本尊は、他の日蓮系宗派で用いているのと同じく、真ん中に「南無妙法
  蓮華経」と大書し、その周囲に釈迦如来・多宝如来・諸天善神を配した文字曼荼羅で
  ある。こうした独自の曼荼羅は日蓮が創始したものだが、日蓮正宗の教義ではその総
  本山大石寺の大御本尊を、日蓮が「出世の本懐」として作った特別なものだとしてい
  る(これまでに何度も述べたが、大石寺の大御本尊は後世に作られた贋作である)。


 ここではこれ以上掘り下げないが、創価学会独自の妙な教義についても、いずれ当ブロ
グで考察を加えたいと考えている。

2018年7月8日日曜日

「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」

 ※ 今回は日蓮遺文を引用するが、読みにくいものには大意を記すので古文が煩雑な方
  は読み飛ばしても可。


 日蓮の主張の中で最もよく知られているものといえば、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、
律国賊」という「四箇格言」であろう。

 『人間革命』第六巻には、日蓮の幼少時から、諸国での遊学を経て故郷の清澄寺に戻り、
そこで念仏を批判する説法をしたため、地元の地頭に追われることなるまでの略伝が記さ
れている。

 その記述では、建長五年(1253年)、日蓮が32歳で立教開宗した際に、この「四箇格言」
を主張したことになっていた。過去形で記したのは、現在市販されている『人間革命』第
二版には、「念仏無間」は書かれているが、その他については削除されているからである。

 『人間革命』第二版における記述変更の理由は、第一巻の巻頭にある「文庫版発刊にあ
たって」に記されている。


>  『人間革命』は、創価学会の精神の正史である。文庫版発刊に先立ち、『池田大作
> 全集』への収録・発刊にあたって、全集刊行委員会から問題提起がなされた。
>  ――それは、この二十年ほどの間で宗開両祖に違背し、腐敗・堕落してしまった宗
> 門が、仏意仏勅の創価学会の崩壊を企て、仏法破壊の元凶となり果てた今、『人間革
> 命』を全集に収録する際にも、その点を考慮すべきではないか、ということであった。
>  そうした経緯から全集刊行委員会が名誉会長に宗門関係の記述について再考を願い
> 出たところ、名誉会長は熟慮の末に、「皆の要請ならば」と、その意見を尊重し、推
> 敲を承諾してくれた。
>  また、歴史の記述についても、原稿執筆後にあらたな資料が発見、公開されている
> ことなどから、再度、精察し、「五十年後の若い読者が読んでもよくわかるように、
> 表現や表記等も、一部改めたい」との意向であった。そして、それが、小説『人間革
> 命』第二版として、『池田大作全集』(第144巻~第149巻)に収録、刊行の運びとな
> ったのである。
>  聖教ワイド文庫には、この第二版を収め、新たな装丁で、順次、全十二巻が発刊さ
> れることになった。
 (聖教ワイド文庫『人間革命』第一巻より引用)


 第二版で歴史の記述が変更されたのは「原稿執筆後にあらたな資料が発見、公開されて
いることなどから」だそうだが、本当だろうか。

 検証するために、日蓮の著述の中でも最も有名なものである『立正安国論』の一部を引
用する。


>  旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く
> 天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大
> 半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し。然る間、或は利剣即是の文を専ら
> にして西土教主の名を唱へ、或は衆病悉除の願を恃みて東方如来の経を誦し、或は病
> 即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は七難即滅七福即生の句を信
> じて百座百講の儀を調へ、有るは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ、有るは坐禅
> 入定の儀を全うして空観の月を澄まし、若しくは七鬼神の号を書して千門に押し、若
> しくは五大力の形を図して万戸に懸け、若しくは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を
> 企て、若しくは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行なふ。然りと雖も唯肝胆を摧
> くのみにして弥飢疫に逼り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。臥せる屍を観と為し、並
> べる尸を橋と作す。観れば夫二離璧を合はせ、五緯珠を連ぬ。三宝世に在し、百王未
> だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。是何なる禍に依り、是何
> なる誤りに由るや。


 『立正安国論』は、旅客と主人との問答という形式をとっている。上記は冒頭の一節だ
が、その大意を記すと「『西土教主の名を唱へ(南無阿弥陀仏を唱え)』たり、『東方如
来(薬師如来)の経を誦し』たり、『法華真実の妙文を崇め』たり、『秘密真言の教に』
よったり、『坐禅入定の儀を全う』したり、等々と仏道修行をする者は多いのに、なぜ疫
病などの災いが絶えないのだろうか、いかなる誤りが原因なのだろうか」と、旅客が主人
に問うている。


>  主人の曰く、御鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。則ち一代の聖
> 教を破し遍く十方の衆生を迷はす。
 (中略)
>  而るを法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、付嘱を抛ちて東
> 方の如来を閣き、唯四巻三部の経典を専らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。是を
> 以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐ひを忘
> る。故に仏堂は零落して瓦松の煙老い、僧房は荒廃して庭草の露深し。然りと雖も各
> 護惜の心を捨てて、並びに建立の思ひを廃す。是を以て住持の聖僧行きて帰らず、守
> 護の善神去りて来たること無し。是偏に法然の選択に依るなり。悲しいかな数十年の
> 間、百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷へり。謗を好んで正を忘る、善神怒り
> を成さざらんや。円を捨てて偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。如かず彼の万祈を修
> せんよりは此の一凶を禁ぜんには。


 旅客の質問に対する主人の答えは、「法然の『選択本願念仏集』に迷わされた人々が正
しい教えを捨てたために、守護の善神が去り、悪鬼にとっては都合がよくなった。『彼の
万祈』を修行するよりも、『此の一凶(法然の専修念仏)』を禁じるべきである」という
ものだった。以上が『立正安国論』における日蓮の主張の概略である。

 『立正安国論』は、日蓮が39歳の時に著された。その中では真言密教や禅にも言及され
ているが、それらについて批判的な記述はない。日蓮が『立正安国論』において批判して
いるのは、法然の専修念仏だけである。

 『立正安国論』の記述から推すと、32歳の時点での日蓮が、「念仏無間」はともかく、
「禅天魔、真言亡国」などと主張したとは考えにくい。

 また『守護国家論』――『立正安国論』の前年の著述――には、「大乗に就いて又四十
余年の諸経は不了義経、法華・涅槃・大日経等は了義経なり」とあり、代表的な密教経典
である大日経を、法華経・涅槃経と並んで、了義経――真実の教えが解き明かされた経典
――とする見解が示されており、それ以前の日蓮が真言密教を批判したとは考えられない。

 もっとも『清澄寺大衆中』――日蓮が身延隠棲後に故郷へ送った手紙――には、以下の
記述があるので、禅宗への批判は行ったのかもしれない。


>  禅宗・浄土宗なんどと申すは又いうばかりなき僻見の者なり、此れを申さば必ず日
> 蓮が命と成るべしと存知せしかども虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために建長五年四
> 月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並び
> に少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間・退転なく申す


 『人間革命』第六巻の初版は、昭和46年(1971年)2月11日である。「四箇格言」につ
いての記述が変更された第二版の方の『人間革命』第六巻は、平成25年(2013年)6月6日
に刊行されている。

 つまり、『人間革命』は日蓮の最も代表的な主張である「四箇格言」について、史実と
異なる説明をし、しかもそれを四十年以上も訂正することなく放置していたのである。

 『立正安国論』は、近年になって新発見された歴史資料ではない。日蓮が在家の弟子で
あった富木常忍に委ね、日蓮没後に出家した彼が開山した中山法華経寺に、今にいたるま
で保管されてきた。現在は国宝に指定されている。

 『守護国家論』や『清澄寺大衆中』(双方とも真蹟は身延曾存)にしても、古くから重
視されてきた遺文であり、新たに見出されたものではない。

 「原稿執筆後にあらたな資料が発見、公開されていることなどから」歴史についての記
述を改めたというのは、ウソ八百である。

 創価学会がのたまう「日蓮大聖人直結」とか「御書根本」というのは、所詮はこの程度
なのである。まあ、インチキ宗教なのだから、言っても詮無きことだが。

 『人間革命』の欺瞞を見ても明らかなように、創価学会の出版物を読んでも、日蓮の思
想を正しく理解することなどできない。

 もちろん浅学非才の私にも、日蓮の教えを正しく伝える能力などないが、それでも創価
学会のウソや、過剰な神格化等の欺瞞を暴くことならばできるつもりである。

 今回から数回にわたって、日蓮を含めた鎌倉仏教の祖師たちの思想を紹介し、創価学会
がエセ仏教に過ぎないことを示したいと思う。

 日蓮の主張は、彼が様々な経験をし、思索を重ねることによって変遷していった。『立
正安国論』についても、真言宗等への批判を加筆した「広本」を後に著わしている(ちな
みに創価学会版『日蓮大聖人御書全集』には、広本の方の『立正安国論』は収録されてい
ない)。

 晩年の著述である『諌暁八幡抄』(真蹟 富士大石寺)には、「四箇格言」についての
記述もある。


>  我が弟子等が愚案にをもわく、我が師は法華経を弘通し給ふとてひろまらざる上、
> 大難の来たれるは、真言は国をほろぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は
> 国賊との給ふゆへなり。例せば道理有る問注に悪口のまじわれるがごとしと云云。


 日蓮は、なかなか良い弟子に恵まれていたようである。
 日蓮のこうした主張については、5ch(旧2ch)で以下のアスキーアートを目にしたこと
がある方も多いと思う。



 分かりやすく、なかなかよくできているが、いくつか不正確というか、誤解を招く部分
があるので、その点について解説したい。

 まず、時代背景として、当時の仏教勢力は単に幕府から、庇護や統制を受けるだけの存
在ではなかったことを理解する必要がある。延暦寺や興福寺などの旧仏教勢力は、広大な
寺領と僧兵団を擁しており、幕府から一方的に支配されていたわけではない。

 また、真言宗と天台宗を密教としているのは正しいが、鎌倉幕府が臨済宗を庇護した理
由も、臨済宗が相当に密教的だったからである。

 臨済宗を伝えた栄西は密教僧でもあった。栄西には「千光法師」という尊称があるが、
それは彼が請雨の祈祷をした際に、全身から光を放って祈祷を成功させたとの伝説がある
ことに由来する。

 真言宗・天台宗は、貴族との関係が深かった。それに対して臨済宗は、新興の武士階級
のために加持祈祷をしてくれる宗派として、幕府から歓迎されたのである。

 加えて、この図の中に浄土真宗が入っているのは正確とは言い難い。浄土真宗の宗祖・
親鸞は、日蓮と同時代人であるが、浄土真宗が独立した宗派として成立したのは、室町時
代の蓮如の代になってからである。

 最後に日蓮についてだが、上述したように彼が他宗を批判したのは事実である。しかし、
道元・栄西・親鸞・一遍について名指しで批判したことはない。

 日蓮が名指しで攻撃したのは、先述した法然の他に、蘭渓道隆と大日房能忍――現存し
ない禅宗の一派「達磨宗」の祖――と、真言律宗の良観房忍性などである。

 日蓮は何の根拠もなく、独善的な主張をしたわけではなかった。法華経を最高の経典と
する天台教学と末法思想――いずれも当時は権威があった――に基づいていた。

 だが、他の宗派の祖師にも、信仰の正当性を主張する根拠はあったのだし、法華経を重
視したのも日蓮だけではない。道元は主著である『正法眼蔵』で、何回も法華経について
言及している。

 次回以降、日蓮の思想を他の祖師と比較しながら論じていく予定である。



補足1 『人間革命』第二版における変更点

 旧『人間革命』第六巻には、「四箇格言」についての解説も記されていた。その記述も
欺瞞に満ちたものだったが、第二版では削除されている(「創価学会は本当に『御書根本』
か?①」参照)。

 また、旧『人間革命』には、日蓮がそう名乗る前、「是生房」と呼ばれていたとの誤っ
た記述があったが、それも第二版では改められている(「『日蓮』を名乗る前の日蓮」参
照)。

 新旧の『人間革命』を読み比べ、精査すれば、他にもウソやゴマカシはたくさん出てき
そうだが、それは別の機会に論じたい。


補足2 旧『人間革命』第六巻の典拠

 旧『人間革命』第六巻において、日蓮が立教開宗と同時に「四箇格言」を主張したとの
記述は、日蓮遺文とされてきた『本門宗要抄』によっている。

 だが、この遺文は古くから偽書と見なされており、創価学会版『日蓮大聖人御書全集』
にも収録されていない。

 日蓮遺文の中でも、『立正安国論』は三大部、『守護国家論』は十大部の一つに位置づ
けられ、特に重視されてきた。学会版『御書』にも収録されている。

 旧『人間革命』が、なぜそれらの真蹟遺文ではなく、偽書とされる『本門宗要抄』に基
づいて日蓮について記述したのかはよくわからないが、「偽書根本」といわれる創価学会
の体質の一端が表れたのだと解してよいのではないかと思う。

2018年7月1日日曜日

これまでのまとめ

◎ 広宣部・教宣部と嫌がらせの実態

  広宣部と教宣部

  広宣部・教宣部が連携した嫌がらせの手口

  教宣部創設の経緯

  広宣部の実態

  「脱会者は自殺に追い込め」①

  「脱会者は自殺に追い込め」②


◎ 池田本仏論

  池田本仏論について①

  池田本仏論について②

  「会長先生はお父様のような存在」

  「700年ぶりだねぇ」の真偽

  池田大作の食べ残しを食うと「福運」がつく!?

  数珠さすりと弟子分帳

  池田大作への個人崇拝の実態

  虚仏への供物

  「娘に仏様の手がついた」


◎ 池田大作の人となり

  憧れの池田センセイ

  池田大作在日説について

  ピアノと写真、そして執筆活動

  池田センセイの話術

  池田大作 唱題伝説

  池田センセイのご指導

  清貧の人? 池田大作

  金満家・池田大作

  池田大作のぜいたく

  名誉学位・名誉市民等について

  池田センセイの「ご友人」

  池田大作は本当に平和主義者か?

  創価学会員はなぜ池田大作を崇拝するのか?

  池田崇拝の何が問題か

  創価学会の「大勝利」

  懲りない男・池田大作

  池田大作はバカではない


◎ 創価学会 金満教団への道

  創価学会の金集め①

  金庫事件(金集め①-補足)

  創価学会の金集め②

  「牛乳ビンの念珠」とは?(金集め②-補足)

  創価学会の金集め③


◎ 収奪的な金集めの手口

  財務督促あるいは〝創価学会仏〟の金口直説

  財務をすれば万札が降ってくる?

  財務に苦しめられる末端学会員

  学会幹部に良心はないのか?

  創価学会・公明党と生活保護

  公明党による口利きの代価


◎ 『人間革命』の欺瞞

  創価学会の信心の現証について

  そもそも『人間革命』とは

  『人間革命』と結核

  紙を飲む宗教①

  紙を飲む宗教②

  紙を飲む宗教③

  〝狸祭り事件〟について

  セックス&バイオレンス

  創価学会常住の本尊について

  「日蓮」を名乗る前の日蓮

  『人間革命』の執筆体制と長期休載

  大阪事件

  「長男はツギオで、次男はダイサク」

  エレベーター相承のウソ

  池田大作と戸田城聖の〝遺品の刀〟


◎ 人物

  戸田城聖のビジネス(戦前・戦中編)

  戸田城聖のビジネス(戦後編‐①)

  戸田城聖のビジネス(戦後編‐②)

  戸田城聖のビジネス(戦後編‐③)

  アル中・戸田城聖

  池田城久の死

  福島源次郎氏について

  藤原行正氏について

  藤井富雄氏について

  第四代会長・北条浩氏について

  幹部の本音

  幹部の役得


◎ 教義の矛盾(折伏の被害にあっている方はお役立てください)

  私説〝五重相対〟(創価学会の矛盾)①

  私説〝五重相対〟(創価学会の矛盾)②

  私説〝五重相対〟(創価学会の矛盾)③

  私説〝五重相対〟(創価学会の矛盾)④

  仏像を拝むのは謗法か?

  蔵の財、心の財

  創価学会は仏教ではない①

  創価学会は仏教ではない②

  創価学会は本当に「御書根本」か? ①

  創価学会は本当に「御書根本」か? ②

  日蓮と真言宗と池田大作


◎ 創価学会 基礎知識

  5chスレ立て用テンプレ1~5(創価学会がカルトである理由①)

  5chスレ立て用テンプレ6~9(創価学会がカルトである理由②)

  創価用語の基礎知識①

  創価用語の基礎知識②

  創価学会の財力

  折伏大行進の実態

  折伏成果の水増しについて

  創価学会の実世帯数

  本部職員の待遇と創価学会の財力


◎ その他

  「はじめに」および2ch過去スレ

  創価学会とオウム真理教

  創価学会が社会から受け入れられない理由

  変わらない創価学会

  〝福子〟として育てられるということ

  誰が公明党に投票しているか?

  都議会選挙の結果について

  衆議院総選挙の結果について

  書評『内側から見る創価学会と公明党』

  書評『「人間革命」の読み方』

  平成29年をふりかえって

  書評『創価学会秘史』

  おすすめの本



当面のテーマについて

 池田大作の人物像を一通り描いた後、何を書くかについてはいろいろと考えていました。
創価学会の問題点については、まだまだ書くべきことは多いのですが、興味を持ってもら
えるように書くのは、私にとってはなかなかに難しいことであり、次のテーマを決めるの
にも知恵を絞らざるを得ないのです。

 月刊『第三文明』での佐藤優氏の連載「希望の源泉・池田思想を読み解く」に触発され、
「狂気の妄言・キンマンコ思想を読み解く」と題して、池田の思想について考察しようと
か、前回少し言及した『旭日の創価学会70年』のような創価学会の出版物に焦点をあてて
みようとか、いくつかのアイデアを思いついたのですが、それらの企画を実現するために
は、相当量の池駄本を購入して読み込むという、気が滅入るような作業が必要なため、当
面は見送ることにしました。

 次回からは、数回にわたって日蓮の思想について論じたいと思います。日本史や仏教に
ついての専門的な教育を受けたことがない私にとって、荷が重いテーマではありますが、
創価学会について考察する上では、避けられない論点であり、勇を鼓して挑戦することに
しました。今後ともよろしくお願いします。