2018年6月17日日曜日

池田大作はバカではない

 当ブログでは池田大作について、散々その破廉恥な言動や笑止な逸話をあげつらってき
たが、池田という男は決してただのバカではない。

 創価学会の教義は支離滅裂で、どのような巧言を弄したところで取り繕い様がない程に
破綻しており、知的水準を疑いたくなる連中なのも確かだが、だからといって決して侮っ
ていい組織ではない。

 池田に関するバカげた話だけに目を奪われ、創価学会を甘くみると痛い目に遭うことに
なりかねないのである。

 当ブログをお読みになった方が、創価学会の危険性、狡猾さ、邪悪さを過小評価するこ
とのないように、今回は警戒を促したい。

 創価学会の表も裏も知り尽くしていた元顧問弁護士・山崎正友氏は、造反後の人生を創
価学会と戦うために費やすことを強いられた。山崎氏は次のように述べている。


>  池田大作のことを〝バカ殿〟扱いして嘲笑する風潮が、一部マスコミにあった。
>  池田大作は、決してバカ殿なんかではない。現在の自民党の首脳など、束になって
> もかなわぬほど〝やり手〟であり、凄みを持った怪物なのだ。東大出身のエリートが、
> 赤子の手をひねるようにあしらわれ魂を喰らわれてしまう〝魔力〟の持ち主なのだ。
> 創価学会は、決してただの宗教団体ではない。
>  政治の世界で、経済の世界で、その他あらゆる面に手をのばし、世界に類を見ない
> 巨大で強力なコングロマリットなのだ。
>  強大な権力と、ずばぬけた財力を持ち、又東大、京大等の卒業者等で固めたエリー
> トの官僚機構を持っているのだ。
>  その上、自前の情報機関を持ち、更に、合法、非合法にわたって〝特殊活動〟を任
> 務とする師団をかかえているのだ。
>  百名をこえる弁護団を擁し、その多くは、小・中・高校生の頃から、「ハイル池田」
> を骨のずいまでたたき込まれ、英才教育を受けて法曹界に入ったメンバーである。
>  彼らは、国法の秩序より、創価学会の利益を優先させる。
>  とりわけ、池田大作を守る、ということになれば、自分の生命をも捨ててこれに当
> たる。
 (山崎正友著『信平裁判の攻防―続々・「月刊ペン」事件』より引用)


 上記引用は、信平レイプ裁判において、原告側(信平夫妻)の訴えが裁判で退けられた
理由を分析した記述の一部である。山崎氏は、信平氏側の弁護士が池田大作と創価学会を
侮り、十分な訴訟準備を怠ったことが敗因であるとし、警鐘を鳴らしているのである。

 創価学会が頭がおかしいとしか思えない妙な集団なのは事実だが、山崎氏が指摘するよ
うに他に類を見ないほど、危険で反社会的なカルトであることも忘れるべきではない。

 そして、創価学会をそのような集団として作り上げたのは、池田大作である。創価学会
は設立当初から、宗教を金集めに利用する組織だったが、信仰を追求しようとする人々が
皆無だったわけではない。

 現在の創価学会の基礎を築いたのは第二代会長の戸田城聖だが、戸田は日蓮正宗の信仰
を金儲けに利用する一方で、狂信的な信仰も持っていた。ノンフィクション作家・溝口敦
氏は、彼を「投機的強信者」と評している(『池田大作「権力者」の構造』による)。

 創価学会の教義は、極端なまでに現世利益を肯定するものなので、彼らの内面では信仰
と金儲けは相克するものではないが、敢えて言うならば、戸田の信仰面での後継者は石田
次男氏、事業面での後継者が池田大作であったと言えるだろう。

 創価学会が宗教団体として健全とまではいかないまでも、よりマシな方向に発展するた
めには、石田氏の方が後継者として適任だっただろうが、池田は石田氏を追い落として第
三代会長におさまり、その後、長きにわたり権力を保ち続けた。

 池田大作の独裁支配は、日蓮正宗との抗争や数々のスキャンダルなど、多くの問題を引
き起こしたので、学会内部でも比較的良識的な人々が池田独裁に抗おうとしたり、権力に
制約を課そうと試みたりしたが、池田は病魔に倒れるまでそのすべてを退け続けた。

 自分名義で世に出した書籍のほとんどをゴーストライターに書かせていた池田に、そん
な能力があるのかと訝る向きもあろうかと思う。側近の一人として池田に長年仕えた元副
会長・福島源次郎氏は、池田の能力について以下のように評している。


>  名誉会長の能力は、いったい何なのでありましょうか。私達有志の結論は次の二つ
> です。
>  一つは、ずば抜けた人心収攬術です。恐らく当代随一かもしれません。歴史的にも
> 有数の部類に入るでしょう。各人の機微を知り、弱点・性癖・嗜好を察知し、その人・
> その時に応じて、その人の心をとらえていく能力と技は、他の追随を許さぬもので、
> 天才的ともいえます(勿論この術が通用しない人もいます。反感や軽べつで接してく
> る人には、当初から修羅界の気分で、下し軽しめる行為に出るため)。理想を求め憧
> れる青年や女性に対しては特にこの収攬術は威力を発揮します。
>  もう一つは、自らを偉大に見せていく演出力と演技力が抜群です。修羅界の強い人
> は、誰しもそれなりにこの能力を持ち合わせていますが、名誉会長のこの能力は、こ
> れも天才的といえるほどみごとであります。これを巧まずして生地のように行なう迫
> 真の演技力がすばらしいのです。私も心からすばらしいと感激したことが数知れぬほ
> どありました。相当の目利きのジャーナリストやわが国有数の一流経営者さえ、生地
> そのものと信用するくらいですから、やはりたいしたものです。
 (福島源次郎著『蘇生への選択』より引用)


 池田の人心掌握と自己演出の見事さを、福島氏は称賛している。それらについての具体
的なエピソードを、別の書籍から引く。


>  池田が主宰する会食会で池田と同席したことがある非学会員の創価大OBは「これ
> だけ神格化された存在の人からプレゼントされたり、『お母さんを大事にね』と気さ
> くに声を掛けられたりすれば、コロッと落ちてしまう。希代の人たらしだ」と話す。
>  慶應義塾大学名誉教授の小林節は20年ほど前に池田を訪問した際、出迎えた池田か
> ら「あなたは戦っている男の顔をしています。私も戦っている男なんです」と声を掛
> けられ、「ハートをつかまれた気持ちになった」と振り返る。
 (週刊ダイヤモンド編集部編『創価学会と共産党』より引用)


 こうした能力に加えて、権力への飽くなき野望を持ち続け、そのためには労を惜しまず、
策を弄し続けたことが、池田が影響力を維持し続けられた理由であろう。

 以前述べたように、池田は『聖教新聞』の記事、とくに自分に関する記事には必ず目を
通し、手を入れていた。また、金や人事については絶対に部下まかせにはしなかった。


>  組織権力の最たるものは、人事権(特に首脳人事)・資金運用権・最高戦略決定権
> の三つです。この三権、特に人事権を握っている人が、その組織体の権力者であり、
> 最高実力者であって、名目や役職とは無関係です。
>  名誉会長はこの三つをがっちりと握り続けてきました。「名誉会長」に退いても、
> この点はいささかも変わらず、むしろ北條会長逝去後は、「会長」時代よりも権力行
> 使は格段と強化されました。
 (福島源次郎著『蘇生への選択』より引用)


 それだけでなく、部下が結束して自分に刃向かうことがないように、お互いに忠誠心を
競わせ、出世競争をさせていがみ合うように仕向けることで、トップである池田が調停者・
裁定者として、常に存在感を示せる状況を維持し続けた。

 元公明党代表・太田昭宏氏は、池田大作について「信仰心はゼロだけど政治家の資質は
百パーセント」と評したことがあるという。

 山崎正友氏も、月刊誌で連載していた『昨日の師・池田大作への手紙』の中で、「どん
なすぐれた弁護士よりも貴方(注:池田)の方が事件処理は上手だと思ったことが、何回
もあります」(『諸君』1982年11月号)と述べている。
 池田大作の権謀術数の手腕は、学会幹部の他の誰よりも抜きんでていたのである。

 権力への強い執念と優れた手腕を抜きにして、池田大作が絶対的な指導者として創価学
会に君臨し続ることなどなかったであろうし、その池田がトップであり続けたからこそ、
一介の新興宗教でしかない創価学会が、宗教法人の中でも段違いに多い信者数を誇り、公
明党を擁して国政を動かすまでになったのである。

 池田大作に「金と権力の亡者」として、抜きんでた資質があったのは事実であるが、彼
が普通の団体であれば――それが仮に企業であれ、政治団体であれ、宗教法人であれ――
とうの昔に失脚して当然のスキャンダルに何度も見舞われたこともまた事実である。

 池田が権力を維持し続けられたもう一つの理由として、末端の創価学会員たちの性質を
見逃すことはできない。

 創価学会員という連中は、「財務をすれば倍になって福をもたらす」「創価学会のため
につかったお金は、必ず戻ってくる」という何の根拠もない煽り文句に乗せられて、無理
してでも金を出し、「公明党に投票する人を増やせばご利益になる」と信じて、「F取り」
と称する選挙運動に邁進する人々である。

 どう考えても、あまり頭の良い人たちではない。創価学会員の大半が愚昧な連中ばかり
だったからこそ、何人もの造反者によって醜聞が暴かれ、週刊誌等であれだけ叩かれたに
もかかわらず、池田大作は創価学会に君臨し続けられたのである。

 池田大作は権力亡者ではあっても、決してバカではない。彼が欲望のおもむくままに愚
劣な騒動をひき起こし続けたのは、大半の創価学会員が愚かな連中だと見抜き、『聖教新
聞』等でのプロパガンダで容易に操ることができると見切っていたからであろう。そして、
これまでは池田の思惑通りだった。

 だが、インターネットの普及は、情報の収集を格段に容易なものとした。限られた情報
源に依存するように仕向けることで、無知な連中を操作できる時代は、もう終わりを告げ
るべきなのだ。

 何度でもいうが、学会員の皆さんもそろそろ目を覚ましてもいいのではないか。創価学
会のような異常なカルトのために人生を浪費するのは、もう止めにすべきだ。



お知らせ

 池田大作を焦点とした記事は、本稿をもって一区切りとします。
 もちろん、創価学会の実態が池田大作を崇める「池田教」である以上、今後も池田の人
となりについては言及せざるを得ないでしょうが、当面は別のテーマで書くつもりです。

2018年6月10日日曜日

幹部の役得

 これまで当ブログで取り上げてきたように、創価学会については何人もの脱会した元幹
部が、金にまつわる問題や、池田大作のスキャンダルなどの内情を暴いてきたが、学会側
もそれらの告発に対して『聖教新聞』などで反論を行ってきた。その一例を以下に示す。

(『聖教新聞』平成19年〔2007年〕1月22日付)

 この記事は原田稔会長らが出席した座談会を収録したもので、山崎正友氏、原島嵩氏、
竹入義勝氏、竜年光氏、大橋敏雄氏、藤原行正氏らを「忘恩の退転者」と呼び、金・酒・
異性に狂って転落したと一方的に決めつけ、断罪している。一部引用する。


>  正木 退転し、清浄な学会にいられなくなった連中は、必ず「金」と「酒」と「異
> 性」で狂う。「転落の方程式」だ。
>  西口 まったくだ。坊主を誑しこんで金儲けを狙った山崎。その山崎に、まんまと
> 金漬け、酒漬けにされて、ますます狂った原島。
>  竹内 それにまた忘恩の悪党議員ども! 竹入、竜、藤原、大橋等々。全部が全部、
> 金、酒、女で破滅じゃないか。
>  原田 学会は清浄無比の団体だ。戸田先生が「戸田の命よりも大事な学会の組織」
> とまでおっしゃった、仏意仏勅の広宣流布の団体だ。
>  正木 その尊い、偉大な学会の組織を利用して遊ぶ! 儲ける!
>  異性問題を起こす!
>  言語道断中の道断だ。そんなやつは見つけ次第、手厳しく断罪する。断固、追放す
> る!


 「学会の組織を利用して儲けるやつは、断固、追放する!」と息巻いておられるのは、
先年、理事長職を解かれ、参議会副議長に降格された正木正明氏である。

 降格の本当の理由は何だったのかも気になるところだが、それよりも「広宣流布のため」
といって集めた財務により、莫大な資産を築いたと噂される某センセイは追放しなくてよ
いのだろうか。いろいろとツッコミどころの多い座談会である。

 さて、原田会長らは池田センセイが乱脈の限りを尽くしてきた創価学会を、「清浄無比
の団体」だと主張しておられるが、この言葉は何らかの実質を伴うものなのであろうか。

 前回に引き続き『聖教新聞』記者による内部告発、『小説 聖教新聞』から学会幹部の行
状を描いた一節を引用する。

 ※ 前回も述べたとおり『小説 聖教新聞』の内容は実話がもとになっており、池田大作
  が「沼田太作」として描かれるように、実在の幹部たちが本名とそう違わない仮名で
  描かれている。


>  原本実は、沼田のおぼえがよく、そのため若くして出世したエリート中のエリート
> なのだが、虚栄心が強く、沼田と同じように下の者にいばりちらす。そのため職員に
> も一般会員にも人気がなかった。
>  こんな男だから、原本には職権や地位を利用しての女性関係も少なくなかった。
>  七、八年前に北海道担当の責任者だったときの話だが、原本は、東京の港区に住む
> 元宝石商と手を組んで、学会関係の利権をあさり、大いにうまい汁を吸っていた。そ
> して、その宝石商から利権の見返りとして女性を世話され、札幌のすすきのに囲った。
> また、函館でも、学会員の女性と深い仲になり、その女性との間で子どもを「堕ろせ」
> 「生む」の大騒ぎになったことがあった。
 (中略)
>  「結局、あの連中はみんな、みごとにPのコピーなんだ。小型の沼田太作……いや、
> 小作ってわけさ。考えてみれば、Pの側近はみんなそうだよ。いまや沼田、夏目に次
> ぐナンバー3にのしあがった広報担当副会長の川崎久美、北海道担当の丸山一郎副会
> 長、野川勇総合青年部長、関西の西目昭蔵副会長、日蓮正宗国際センターの市村直平
> 国際局長……。われわれ職員の間で、とかく後ろ指をさされながら、Pの側近として
> 大手をふっている連中は、そろいもそろってP好みの〝沼田コピー〟だもんな」

 ※ 「P」とはプレジデントの略で、池田大作のことである。


 創価学会の幹部におさまっているお歴々は、池田大作を矮小化したコピーのような連中
ばかりであるらしい。

 引用中の「原本実」が誰のことを指すかは推して知るべしだが、原田会長が池田名誉会
長との「師弟不二」の忠実な実践者であったのは事実なのであろう。

 「広宣流布のため」と称して貧しい者が少なくない末端信者から集めた金で、自分専用
の豪華施設をつくらせ、数多くの女性と関係を持つなどの乱脈を重ねていた池田大作の行
状を間近で見聞きし、しかも、その彼を師と仰いできた連中が、同じように教団組織を私
物化し、私腹を肥やしたり女性問題を起こしたりしたのは、当然の成り行きと言えよう。

 以前述べたように、創価学会の成り立ちには戸田城聖が経営していた高利貸し・大蔵商
事が大きく関係している(「戸田城聖のビジネス(戦後編‐③)」参照)。

 池田大作が第三代会長に就任できたのも、大蔵商事で営業部長として辣腕を振るい、創
価学会の金の流れを掌握していたからだと言われる。

 創価学会幹部に金にまつわる醜聞が多いのは、彼らの行動原理が信仰者のものというよ
り、高利貸しのものに近いからではないか。


>  例えば、金融業にとっては、未回収金の取り立てが生命線であるが、その際にカネ
> の取り分というのは、取り立てた人間がその一部を、その割合が7対3か、6対4か、
> 5対5か、比率はそのときどきによってまちまちであろうが、回収したカネの一部を
> フトコロに入れるというのは、よくある話である。
>  つまり、現場の人間は、取り立てたカネすべてを会社に入れるわけではない。一部
> をマージンとしてこっそりピンハネできるわけである。それゆえ、多くの金額を回収
> し、営業実績のある社員に対しては、こうしたピンハネを大目に見る。このピンハネ
> のシステムをそのまま学会内部でのカネの流れにも応用したのが、池田だった。
 (古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』より引用)


 『小説 聖教新聞』にも、金にまつわる不始末を雑誌記者にかぎつけられた幹部に対して、
池田大作が激怒したという話が出ているが、池田の怒りは不祥事を起こしたことではなく、
雑誌記者にそれをつかまれたことに対して向けられたのだという。

 池田は側近幹部たちが、地位を利用してピンハネをするのを大目に見ていたのである。
もっとも、池田の表に出せない悪事の共犯者である彼らに対しては、裏切られないように
相応の見返りを与える必要があったのであろうが。

 創価学会は、信仰を利用して金儲けをする組織として戸田城聖がつくり、池田大作がそ
れをさらに阿漕なものとし、集金ビジネスを拡大してきた。

 そのような汚濁に塗れた体質に骨の髄まで染まり、しかもそれを恬然として、「清浄無
比」と言ってのけられる人々が、幹部として創価学会を動かしているのである。

 池田大作と比べれば小物ぞろいには見えるが、それでも彼らの厚顔無恥さ腹黒さは、冒
頭で引用した『聖教新聞』を読めば明らかなように、相当なものである。

 池田大作がいなくなれば、創価学会の悪しき体質も少しはマシになるのではないか、な
どと楽観するわけにはいかない。

 学会幹部の良心・良識にはまったく期待できない以上、創価学会という巨大なカルトが、
国政をも左右する力を持っているという現状を変えるためには、一人でも多くの学会員に
目を覚ましてもらうよりほかに道はない。

 本稿をお読みなった学会員がいらっしゃるのであれば、財務、特別財務、広布基金の他
にも、マイ聖教、民音のチケット、『新・人間革命』などの池田本購入など、何かにつけ
て金がかかる創価学会が、本当に「清浄無比」と言えるかどうか、是非ご自分の頭で考え
ていただきたいと思う。

2018年6月3日日曜日

懲りない男・池田大作

 創価学会の幹部だった山崎正友氏・原島嵩氏が造反し、告発を開始した昭和55年(1980
年)からの数年間は、池田大作にとって守勢を余儀なくされた期間だった。

 搾取的な金集めや教団組織を私物化して贅沢三昧の生活を送っていること、異常な個人
崇拝などについて、山崎氏や原島氏らが週刊誌や月刊誌に書き立てたので、創価学会に対
しては、それまで以上に冷笑的な好奇の目が世間から向けられることになった。

 山崎氏らの告発は以上にとどまらず、共産党への盗聴や集団替え玉投票などの旧悪の暴
露にまで及び、池田大作の国会への証人喚問を求める署名運動まで展開された(残念なが
ら、この喚問は実現しなかったが)。

 週刊誌等での暴露が一通り出尽くし、創価学会に対する世間の注目が薄らぎ始めていた
昭和59年(1984年)、『週刊サンケイ』に「内部告発実録ノベル 小説 聖教新聞」と題し
た連載が開始された。執筆者は「グループS」を名乗る匿名の聖教新聞記者複数名で、連
載終了後に単行本化された。

 この連載は小説の体裁をとってはいたが、その内容はほぼ事実であり、登場人物にも実
在のモデルが存在している。例えば池田大作は「沼田太作」として登場する。

 この内部告発により、あきれた事実が明らかになった。池田大作がまたしても、という
だけでなく、それまで以上に豪華な専用施設をつくらせたというのである。当該箇所を単
行本から引用する。


>  学会本部とともに、この〝学会村〟の中核をなす聖教ビルの最上階七階が、聖教新
> 聞社社主でもある沼田太作専用の〝貴賓室〟として生まれ変わったのは五十八年八月
> のことだった。
 (中略)
>  わざわざイタリアから取り寄せて、壁一面に張りめぐらした大理石は、重厚な光沢
> をたたえている。
>  欧風の執務室と大会議室には、壮大なシャンデリア。フロア全体には、思わず体が
> 沈みこんでしまうような感触をおぼえる、ぶ厚いペルシャ製のシャギーとジュウタン
> がしきつめられている。
>  特注のテーブル、椅子、サイドボード、記帳台……すべてが〝一流〟好みの沼田の
> 趣向によるものばかりだ。
>  記帳台ひとつとってみても、皇居で天皇がお使いになっているものを「はるかにし
> のぐもの」というふれこみの、一千万円もしたという高価なものだ。
 (中略)
>  当初、この改装工事の見積もりは七億一千六百万円だったが、沼田好みの贅をつく
> すうちに、追加追加で二億円もオーバーし、たった一フロアを改装するために総額九
> 億円が投じられたのである。
>  いつか、週刊誌が、全国各地の学会の会館にあった沼田太作専用室のことを、「ラ
> ブホテルのようだ」と表現したことがあったが、此のフロアの威容を週刊誌記者が見
> たら、いったいなんと表現するだろうか。「迎賓館なみ」とでもいうのだろうか。


 池田大作は、あれだけ痛烈な批判を加えられたにもかかわらず、まったく懲りていなか
ったのである。

 また、実際に記事の執筆や編集に携わっている記者が執筆しただけあって、この小説に
は、聖教の記事がどのようにつくられているかも述べられている。

 それによると池田大作は、自分に関する記事の原稿には必ず目を通し、手を入れるのだ
という。

 『小説 聖教新聞』には、その具体例として、聖教新聞に掲載された婦人部座談会の一
部が挙げられている。当該記事は以下のとおり。


>  原田 そうでしたね。この数年間、山崎や原島や、御法主上人猊下に逆らう正信会
> やそれにつながる週刊誌の影響で、何が何だかさっぱり分からなかった(笑い)。魔
> 力というものが、こんなに恐ろしいものかを、これほど痛感したことはありません。
>  田口 その皆が、なんとなく心の奥でモヤモヤしていた時に、決然と名誉会長が疾
> 風のごとく来てくださり、それから全国に飛んでくださった。そして、御法主上人猊
> 下の御もとに、宗門も学会も、大きく信心と広宣流布の目的が明確になり、力強く転
> 換されていきましたね。
>  柴田 先生に、また私達を、学会を守ってもらったわけです。私達が先生を守るな
> どと大それたことをいってきたがとんでもない。大事な時はつねに、先生お一人が、
> 犠牲となって私達一人一人を守ってくださっていますね。
 (『聖教新聞』昭和57年〔1982年〕11月11日付より引用)

 ※ 上記引用中の「御法主上人猊下」とは、現在の創価学会が「天魔」「ニセ法主」と
  呼んで罵倒し続けている阿部日顕氏のことである。


 『小説 聖教新聞』でこの記事を示した一節には婦人部担当記者が登場し、以下のよう
な池田批判を繰り広げる。


> 「僕も婦人部担当ですから、この座談会にも出ていましたがね。これなんかも、やっ
> ぱり先生が自分で全面的に書きかえた部分ですよ。よく自分で自分のことをこういう
> ふうに表現できますよね。恥ずかしいという感情が先生にはないのかなぁ。〝決然と
> 疾風のごとく来てくださり〟なんて、まるで鞍馬天狗か月光仮面みたいだ」
> 「……」
> 「それに、〝信心と広宣流布の目的が明確になり〟とはどういうことですか。裏を返
> せば、それまでは明確じゃなかったということじゃないですか。要するに先生は〝自
> 分が表舞台からひっこんでいた間は、学会は目的を見失っていた。自分が復権して目
> 的も明確になり、学会員を守った〟といいたいわけでしょうけど、これじゃ東條さん
> は浮かばれませんよ。それに、山村弁護士らの批判から必死に先生のことを守ってき
> たわれわれのことだって全否定してることになる」

 ※ 「東條さん」とは北条浩氏、「山村弁護士」とは山崎正友氏のことである。


 この批判は、『小説 聖教新聞』を執筆した聖教記者の心の叫びでもあるのだろう。
 『聖教新聞』紙上にたびたび掲載される池田名誉会長礼賛記事が、実際には池田本人に
よる自画自賛であることをバラされた上、子飼いの部下からこれほど辛辣な言葉を投げつ
けられたのでは、さしもの池田センセイといえども赤面し、以後、同様の愚行は自重され
たのではないかと思われる方もおられるかもしれない。

 だが、池田大作という男は、この程度のことを気に病むような神経など持ち合わせてい
ない。「心臓に毛が生えている」とか「厚顔無恥」といった言葉は、彼のためにあるよう
なものである。

 『小説 聖教新聞』の出版から15年後にあたる平成11年、聖教新聞に「旭日の創立70周
年を迎えて 創価学会の歴史と展望を語る」と銘打った幹部座談会が連載された。その第
一回の冒頭を引用する。


>  和泉最高指導会議議長 わが創価学会も、ついに来年は、創立七十周年を迎えるこ
> とになったね。
>  辻参議会議長 今日の大発展は、牧口先生の当時は、まったく考えもつかなかった。
>  牧口先生も、戸田先生も、心から喜んでおられるでしょう。
>  秋谷会長 何といっても、池田先生の大功績は、我々は感謝しても感謝しきれませ
> ん。ただ一人、嵐の中、陣頭に立って、あらゆる三障四魔、三類の強敵、敢然と戦い、
> 私たちを守り、大道を開いてくださった。
>  谷川総合青年部長 池田先生の弟子として、私たちは立派に後継の退任を果たした
> い。
>  池田先生こそ、御聖訓のままに「死身弘法」「不惜身命」の方であられた。
 (『聖教新聞』平成11年〔1999年〕10月7日付より引用)


 和泉氏や辻氏は初代牧口会長以来の重鎮幹部でありながら、池田大作に屈従を強いられ、
本部幹部会で童謡に合わせてタコ踊りをさせられるなどの屈辱的な扱いを受けていた。

 秋谷氏も、池田が引き起こす騒動の尻拭いをさせられてきた。「池田には早く死んでほ
しい」という本音を漏らしていたことは以前述べた(「幹部の本音」参照)。

 その彼らが、本心から上記のようなことを言うとは思えない。ありがちな賛辞から推測
するに、この座談会の記事も池田本人の意向によるものであろう。

 創価学会という組織は、池田大作が何かやらかす度に幹部が造反して告発し、世間が注
目する騒動になるというパターンを繰り返してきたように見える。

 元公明党委員長・矢野絢也氏が、池田の脱税などの創価学会の不正を暴いた『乱脈経理』
を世に出したのは、池田大作が脳梗塞で倒れたとされる平成22年(2010年)の翌年だった。

 池田は病に倒れるまで、学ぶことなく同じような失敗を繰り返し続けた。愚昧な学会員
たちの信仰心を利用して自身の天下取りを実現するという池田の野望は、彼自身の愚かさ
によって潰えたのである。

 池田大作が最高権力者になるという悪夢が実現することはないであろうが、彼が野望実
現のために作り上げた反社会組織――創価学会――は当面の間は惰性で動き続け、罪なき
人々を苦しめ続けるだろう。

 だから、私も繰り返し主張し続けなければならない、池田大作は邪悪な俗物であり、彼
のような人物を「永遠の師匠」として仰ぐことは間違ったことなのだと。

2018年5月27日日曜日

創価学会の「大勝利」

 創価学会はカルトの通例に漏れず、訴訟沙汰が極めて多いことで知られている。
 当ブログでこれまで取り上げてきた雑誌記事の中にも、創価学会から名誉棄損で告訴さ
れてきたものがある。

 『週刊文春』1980年7月17日号に掲載された「創価学会最高幹部七人の内部告発」第5回
である。この号が発売された同年7月10日、創価学会は刑事告訴に踏み切った。タイトル
があまりにセンセーショナルだったために、もしこれを看過すれば、末端会員が動揺する
のではないかと恐れたのであろう。

(『週刊文春』1980年7月17日号)

 ※ この記事の内容は、当ブログでもこれまでに取り上げてきた池田大作専用の豪華施
  設や強引な金集めについてが主である。

 『週刊文春』は、全国紙や電車の中吊りに広告を掲載している。「特別財務六百億円で
全国各地につくられた池田大作専用〝ラブホテル〟」という文言は、週刊誌を読まない人
を含め、日本中が目にしたのである。無論、多数の創価学会員も見たことであろう。

 この連載は同年6月19日号から開始されており、創価学会も『聖教新聞』に「事実無根」
との反論を掲載するなどの対応をとっていた。

 しかし、学会側が告訴の対象としたのは、この回の「ラブホテル」というタイトルにつ
いてだけだった。この連載の他の記事については、裁判で争いたくなかったということで
ある。

 これは推測だが、創価学会の幹部はこの連載に元教学部長・原島嵩氏や元顧問弁護士・
山崎正友氏らが関与しているであろうことに気づいていたと思われる。

 どんな証拠を握っているかわからない原島氏や山崎氏を相手に、刑事告訴という手段を
とることはヤブ蛇になりかねない。できれば訴訟は避けたかったであろうが、弱腰の対応
をとれば、「やはり連載の内容は本当なのでは」という疑念を招くことになる。

 「池田大作専用〝ラブホテル〟」は虚偽の事実だとして、名誉棄損で告訴したのは苦肉
の策だったのであろう。
 告訴から三年後、『週刊文春』1983年6月16日号は、以下のような「謹告」を掲載した。

(『週刊文春』1983年6月16日号)

 巻末近くの目立たない小さな囲みではあったが、一応は非があったことを認めている記
述である。

 創価学会が「特別財務」と称して信者から集めた金を使って、キングサイズのベッドや
豪華な浴槽などをしつらえた池田大作専用施設を建造し、池田がそこでお気に入りの女性
たちと色事に耽っていたのは事実である。そのような施設を「ラブホテルのような」と形
容するのであれば、正鵠を得た表現だと言えよう。

 だが、池田はそれらの施設の利用に際して、宿泊料などの対価を支払っていたわけでは
ない。そして、当該記事のタイトルは「池田大作専用〝ラブホテル〟」と断定調だった。

 『週刊文春』が「一部不適切」と認めざるを得なかったのは、こうした理由からではな
いかと思われる。
 「謹告」の掲載を受けて『聖教新聞』は、「『週刊文春』が学会に謝罪」と書き立てた。

(『聖教新聞』昭和58年〔1983年〕6月8日付)

 この記事の一部を引用する。


>  もとより、各地の文化会館(会館)は会員の尊い浄財で建設された信仰活動の聖域
> ともいえる拠点であり、虚偽の事実をもって、意図的に中傷、冒とくすることは断じ
> て許されるべきではない。そのため、学会としては全学会員並び名誉会長の名誉を著
> しく棄損するものだとして刑事責任を追及して告訴し、併せて謝罪広告等を求める民
> 事訴訟を起こしていたものである。告訴に当たっては、捜査当局に対し法的責任の追
> 及だけが必ずしも本意ではなく、文芸春秋側が心からその非を認めて謝ってくるので
> あれば考慮の余地あることは表明していたが、文春側の対応に十分なる反省の色が見
> られないため、今日に至っていたものである。
>  その間、「最高幹部七人」ということで氏名不詳者数名として学会側が告訴してい
> たが、捜査当局の調べによって、氏名不詳者数名とは山崎正友並びに堤尭(当時「週
> 刊文春」の副編集長)の二名であることも判明したが、このほど文芸春秋側が問題の
> 記事及びその広告文に関して非を認めて反省し、全面的に謝罪してきたため、刑事告
> 訴を取り下げることにしたものである。


 しかし、真相は創価学会の主張とは大きく異なるものだった。『週刊文春』は、上記の
記事について「事実をねじまげた報道」だとし、事実関係を詳らかにした記事を同年6月
23日号に掲載した。

 この記事によれば、先の「謹告」は東京地検の勧告を受けて和解が成立したことにより
掲載されたものだという。『週刊文春』の記事は和解の成立過程、双方の弁護士が出席し
ての交渉の模様などを丁寧に説明し、示談書まで掲載しており、十分な説得力と信憑性を
備えたものであった。一部引用する。


>  繰返しになって恐縮だが、小社は『週刊文春』五十五年七月十七日号の一部の不適
> 切な表現――端的にいえば〝ラブホテル〟というタイトルに遺憾の意を表しているだ
> けであって、記事内容全体について遺憾に思っているわけではないし、また「謝罪」
> という表記は、いっさいしていない。
 (中略)
>  学会が言うように小社が謝罪していたのなら、「謹告」ではなく「お詫び」に、当
> 該記事は「遺憾」どころか「取消し」ないしは「削除」されていなければならないは
> ずである。
 (『週刊文春』1983年6月23日号より引用)


 確かに「一部不適切な表現がありましたことにつき遺憾の意を表します」という文言を、
「全面的に謝罪してきた」というのは誇大表現であり、『聖教新聞』よりも『週刊文春』
の主張の方に理があるのは明らかである。

 文春の記事の内容が本当に事実無根であり、それを書いたのが池田大作の天敵・山崎正
友氏だったのなら、創価学会が検察の勧告を受け入れて和解したとは思えない。

 裁判で争って、山崎正友氏や原島嵩氏に記事の内容を証明する証拠を持ち出されたり、
証言をされたりすることを、学会幹部は恐れたのではないか。もしそうなら、和解は創価
学会にとって渡りに船だったことになる。

 この件は実際には裁判では争われず、和解に至ったものであったが、創価学会は他の訴
訟沙汰でも同様に事実をねじまげ、「勝利宣言」を『聖教新聞』などに掲載しているのだ
という。


> 〈学会は今、旭日の勢いだ。裁判でも連戦連勝。『正義』と『真実』を堂々と証明し
> ている〉
> 〈創価の正義はすべて証明 全裁判で連続勝利〉
> 〈学会が当事者となっている裁判は、ただの一つの例外もなく、全て学会の勝利だ〉
>  創価学会の機関紙・聖教新聞には、絶え間なくこんな勝利の宣言が登場してくる。
> ある時は大見出しで、ある時は最高幹部による座談会で、これらの文言は繰り返され、
> 学会員の頭の中に刷り込まれている。
> 「わが創価学会は、裁判所でその〝正義〟を揺るぎなく認められている」
>  創価学会員にとって、これは絶対的な拠り所の一つといっていいだろう。創価学会
> は、司法=裁判という俗世の権力を利用して、その〝権威〟を保っているのである。
>  しかし、創価学会側が裁判で連戦連勝というのは、本当だろうか。
>  答えを先に言って申し訳ないが、実はこれはまったくの虚報である。例えば不倶戴
> 天の敵である宗門(日蓮正宗)との訴訟結果を見ると、連戦連勝どころか、勝率は二
> 割ほどで、八割近くが敗北を喫している。
 (山田直樹著『創価学会とは何か』より引用)


 裁判に負けた時は『聖教新聞』には何も載せず、勝った時だけ盛大に書き立てる。本当
のことを知らない学会員たちは、「創価学会は裁判では常勝無敗」と信じ込んでいるので
あろう。

 実際に裁判で勝訴した例があるにしても、「末法の御本仏・日蓮大聖人」という至高の
存在にまでさかのぼるという「信心の血脈」を継いでいると自称する創価学会が、世俗の
権威から正しさの承認を受けて喜ぶというのも奇妙な話である。

 創価学会が裁判沙汰を好むのは、相手を訴訟疲れに追い込むという戦術なのだろうが、
一面では自信のなさの現れなのだろう。

 創価学会は「日蓮大聖人直結」を称しているが、彼らは実際には、日蓮の「聖遺物」―
―真蹟の遺文や十界曼荼羅――を何一つとして保有していない(それらのほとんどは、彼
らが「邪宗」と呼ぶ日蓮宗寺院が保有している)。

 創価学会にとって裁判での勝利は、信仰の正統性を証明するものを持たないことの「補
償」なのかも知れない。インチキ新興宗教の悲哀といったところであろうか。

 さて、創価学会の裁判沙汰については、他にも論ずるべきことは少なくない(信平レイ
プ裁判や東村山市議の不審死など)。いずれ資料を集めて取り上げたいと思っている。

2018年5月20日日曜日

本部職員の待遇と創価学会の財力

 前回も述べたように、かつては創価学会の本部職員はかなりの薄給で、幹部でも社宅住
まいを強いられていた。本部職員たちは池田大作に逆らえば、仕事ばかりではなく、住む
家までも即座に失うという、みじめな状況に留められていたのである。

 しかし、このやり方では本部職員によるマスコミへのリークや、内部告発を防ぐことは
できなかった。

 昭和55年(1980年)に『週刊文春』に連載された「創価学会最高幹部七人の内部告発」
や、昭和59年(1984年)に『週刊サンケイ』に連載された「小説 聖教新聞」は、その代表
例と言えるだろう。

 代表的な創価学会ウォッチャーだった内藤国夫氏は、昭和44年(1969年)に『公明党の
素顔』を出版したことがきっかけとなって、池田独裁の改革を望む本部職員からの情報提
供が相次ぐようになったと述べている。

 内部告発に踏み切った本部職員の気持ちを代弁するものとして、元顧問弁護士・山崎正
友氏の述懐を引く。


>  遠くから見上げていた時の池田大作は、実に立派に見えた。池田大作に言葉をかけ
> られただけで感激に身の震える思いがしたし、事実、池田の前で感涙を流す人達を数
> 限りなく見て来た。
>  だが、創価学会の中枢に入り、池田大作を舞台裏から見るようになってから、尊敬
> の念は日々うすれた。まして、〝ボロ隠し〟の数々を請け負うようになってからは幻
> 滅感を味わうことの方が多くなった。一方で、何も知らぬ善良な会員をだまし続ける
> ことに手を貸すことが、次第に空しくなってきた。私が求めていた宗教とは、実態は
> まるでかけ離れていた。
 (山崎正友著『懺悔の告発』より引用)


 尊敬していた「池田先生」は虚像に過ぎず、実際の池田大作は、これまでに当ブログで
縷々述べてきたようなペテン師・色情狂だという実態を、本部で働けば嫌でも目にしたり
耳にしたりせざるを得ないのだから、山崎氏のように感じる方が普通だろう。

 しかも、池田の独裁体制は強固なもので、声を上げようものなら追放される。教学部長
だった原島嵩氏や、副会長だった福島源次郎氏が長時間の直談判で池田を諫め、行動を改
めるように強く求めたこともあったが、池田はいっこうに反省せず、原島氏や福島氏の方
が学会にいられなくなってしまった。

 こうした絶望的な状況から、外部のマスコミを利用して池田の行動を制約しようと考え
る者が次々と現れたのであろう。

 さんざんマスコミからバッシングを受けて、さすがの池田大作も本部職員に対しては、
「ムチ」だけではなく「アメ」も必要だと気づいたのであろう。本部職員の待遇は次第に
改善され、昨今では平均的な給与所得者より恵まれたものになっているという。


>  創価学会職員らを被保険者とする創聖健康保険組合のデータによると、七四年の平
> 均年齢は二十九・二歳、標準月額報酬の平均は八万六千円。
>  標準月額報酬は、三カ月間の税込み給与の平均で、ほぼ給与水準を反映する。若い
> 組織だけに、全国平均より十五パーセント低い。
>  ところが、急激に膨張した組織は、年々高齢化が進んだ。
>  二十一年後の九五年三月には、平均年齢が四二・一歳に上がり、標準月額報酬は四
> 十三万六千円。全国平均を年齢で三・八歳、報酬で八万六千円上回る。
>  ちなみに、年齢や男女比の影響がないように、年齢と扶養家族数がほぼ同じ企業を
> 探すと、都内では新日鉄がある。同社の標準月額報酬は四十万六千円。学会の給与水
> 準は結構恵まれている。
> 「言論出版妨害問題や池田会長の退任、元幹部の造反、といった逆風が吹くたびに、
> 内部固めのために給料が上がった」
>  と、元職員は振り返る。
 (朝日新聞アエラ編集部『創価学会解剖』より引用)


 やや古い記述だが、現在の創価学会本部職員は一流企業並みの給与を得ているとみてよ
いだろう。

 そして、約300人いるという副会長の所得は、当然のことながら一般的な職員よりも恵
まれている。副会長になると、その年収は約一千万円だという(古川利明著『システムと
しての創価学会=公明党』による)。主任副会長などの上位の者になると、その数倍はも
らっているはずである。

 創価学会の専従職員は三千人弱いるらしいが、その人件費の総額は年間数百億円に達し、
予算に占める割合は決して小さなものではないだろう。

 学会員の中には、公明党議員の口利きで生活保護を受けて「功徳があった」とのたまっ
ている連中や、わずかな報酬で聖教新聞の配達を請け負っている者――「無冠の友」と呼
ばれる――も多い。

 貧しい者が少なくない末端学会員たちが供出した財務や新聞購読料から高給を受け取る
本部職員は、貴族的な特権階級といっても過言ではない。

 週刊誌等における創価学会への告発記事は、かつてと比べて減っている。その理由は数
々のスキャンダルを引き起してきた池田大作が、死に体となっていることもあるだろうが、
本部職員の待遇が改善されたこと、いわば搾取の受益者、池田大作の共犯者となったこと
で、マスコミへ情報をリークしようとする者が減ったことも大きいのではないだろうか。


 以前、「創価学会の財力」について当ブログに書いたが、準拠した情報がやや古いもの
であったので、今回はその点についても併せて取り上げる。

 今年一月の『週刊新潮』に「出し抜けの『サラリーマン大増税』を嗤う人々」と題した
特集記事が掲載された。その内容は宗教法人への財政面での優遇措置の再考を求めるもの
で、創価学会についても言及されており、ジャーナリスト・乙骨正生氏のコメントが載せ
られていた。当該コメントは以下のとおり。


> 「収益の柱としては、主に『お布施』『出版事業』『墓苑事業』があります。お布施
> の中心は、毎年12月に実施される〝財務〟で、1口1万円で上限なし。かつては4000
> 億~5000億円集まったといいますが、現在は1000億~2000億円とみられている。財務
> のほか、正月や大規模会合で集める『広布基金』もあり、こちらは年間100億円~200
> 億円が集まるとされます。出版事業は、主に公称550万部の機関紙『聖教新聞』の収
> 益で、年160億円ほどになります」
>  そして、墓苑事業。
> 「現在は1基100万円。全国14カ所の墓苑に3万基ずつとすると42万基で、収入は4200
> 億円になる。墓石などの例外を除き、永代使用料も非課税で、学会にとってはまさに
> 打ち出の小槌です。日蓮宗の年間予算が100億~200億円と言われており、学会は聖教
> 新聞だけで同程度の所得を得ているのです」
 (『週刊新潮』2018年1月4・11日号より引用)


 墓苑事業の収益は、42万基を一年で販売するわけではないので、これまでの累計額と今
後十数年の売り上げの総額として、4200億円が見込まれるということなのであろうが、そ
れでも年間百億円は下らないのではないか。

 また、往時と比べれば減ったとはいえ、財務や広布基金などの元手はほとんどかからず、
課税もされない「お布施」で、1000億円以上もの巨額を集める創価学会の集金力はやはり
侮れない。

 先に引用した『創価学会解剖』は、朝日新聞出版が発行する週刊誌『アエラ』の連載を
単行本化したものだが、その中に創価学会をやめた元本部職員が、「顔なじみの学会員に
三年あまりにわたって尾行や張り込みをされた」との記述がある。

 系列出版社の週刊誌には書けても、朝日新聞本紙にはこのような記事が載ることはない。
創価学会の持つ財力や組織力の前には、大新聞であっても沈黙せざるを得ないのだろう。

 何度でも言うが、創価学会は今なお悪質な人権侵害団体である。金や権力を背景に、力
なき人々を屈服させることを当たり前のように考えている危険なカルトである。

 残念ながらテレビや新聞が書かないからといって、創価学会の反社会性を甘くみている
人も少なくない。私も力なき草莽の一人に過ぎないが、それでも警鐘を鳴らし続けるつも
りである。

2018年5月13日日曜日

幹部の本音

 これまでに見てきたように、末端の創価学会員たちは『聖教新聞』や『人間革命』『新・
人間革命』などの学会出版物によって作りだされた「池田先生」の虚像を、本当の姿と信
じて池田大作会を尊崇してきた。

 しかし、側近の幹部たちは、実際の池田の姿は美化された虚像とはまったく違うことを
知っていたはずである。

 現会長の原田稔氏や先代の秋谷栄之助氏をはじめとする幹部たちも、公的な場では池田
のことを「偉大な師」などと呼び、最大限の敬意を払ってきたが、本音はどうだったのだ
ろうか。脱会した元幹部の証言から、それを読み解いて見たい。

 池田大作が「オレの弟子第一号」と呼んでいた元教学部長・原島嵩氏は、脱会する直前
の昭和55年(1980年)2月頃、原田氏と以下のような会話を交わしたと述べている。


>  当時、原田稔氏ともいろいろな話をしました。私が「池田先生には生理的嫌悪感を
> 感ずる」と話すと、原田氏も「私も同じく生理的に嫌悪感を感ずる」と同意しており
> ました。私は、第一庶務室長として中西氏と同様、池田の本性を知っている原田氏に
> 後事を託す気持ちでいました。その人が平成十八年十一月九日に秋谷氏に代わって新
> 会長に就任したことに、大きな関心をいだいています。
 (原島嵩著『絶望の淵より甦る』より引用)


 また、秋谷前会長の本音についても、元公明党都議・藤原行正氏が内藤国夫氏との対談
で言及している。


> 内藤 (前略)会長である秋谷栄之助氏にも「おい、秋谷っ」と子供扱いの呼び捨て
> ですね。
> 藤原 そうですよ。そしたら秋谷さんが「はいっ」と返事する。秋谷さんも完全に芯
> をへし折られた感じです。もっとも、秋谷さんと親しい人によると彼の口から「池田
> は女たらしでしょうがないし、早く死んでもらわないと困る」と池田批判が飛び出し
> ているんです。
 (『週刊現代』1988年7月2日号より引用)


 幹部たちが池田から受けていた受けていた屈辱な仕打ちについては、元顧問弁護士・山
崎正友氏も言及している。


>  池田氏の、発作的なサディズムは、北条浩氏、和泉覚氏、秋谷栄之助氏といった最
> 高幹部ですら、その対象となることを免れられない。
 (中略)
>  本部長会、理事会あるいは本部幹部会などで、首脳が、きまじめに演説をぶってい
> るとき、
>  「ヤアヤア」
>  と入ってきた池田氏が、演説を中止させ、北条氏ら首脳に、「春が来た」の童謡に
> 合わせて踊らせたりすることがよくあった。特に、タコおどりのような和泉覚氏のお
> どりに人気があった。
>  これが、日頃、池田氏から虫ずが走るほどきらわれている小川元代議士、藤原都議
> らになると総括は、こんなものではすまない。ことあるごとにいやみをいわれ、どな
> りつけられ、そしてワビ状や誓約書をとられる。
>  かくいう私も、わけのわからぬことで、何度もワビ状を書かされた。
 (山崎正友著『闇の帝王、池田大作を暴く』より引用)


 山崎氏や藤原氏は、こうした処遇に嫌気がさしたからこそ公然と反旗を翻し、反創価学
会の活動家となったのであろうが、他の幹部たちは先に引用したような本音を持ちながら、
なぜ造反しなかったのだろうか。

 理由としては「池田の人間性はどうあれ、創価学会の会長を支えることが信仰上は大切
なのだ」という狂信に、一部の幹部も毒されていたことなどが考えられるが、創価学会幹
部という職には色々とメリットがある一方で、その地位をなくせば、全てを失うことにな
るからということが大きかったのではないだろうか。藤原氏は上述の対談で、次のように
も述べている。


> 内藤 殺されるわけでもないのになぜ盲従するのだろう?
 (中略)
> 藤原 彼らは一生、学会で暮らしてきた人ばかりだから、学会を離れたら〝村八分〟
> どころか〝村十分〟です。大橋さんがそうでしょう。秘書の学会員が圧力受けて「辞
> めさせてほしいと」と離れていくし、何万、何十万の学会員から毎日、「お前はゴキ
> ブリだ」「ドブネズミだ」と攻撃されている。その恐ろしさは、受けてみなきゃわか
> りません。

 ※ 文中の「大橋さん」とは元公明党衆院議員・大橋敏雄氏のこと。大橋氏は議員在職
  中に、「池田大作への宣戦布告」と題した手記を『文藝春秋』(昭和63年〔1988年〕
  6月号)に発表した。その後、公明党は大橋氏を口実をつけて除名した。

> 内藤 批判されているの池田大作氏が、いま、どこで何をしているのか、さっぱりわ
> からない。
> 藤原 彼は自分では絶対出てこないで、側近幹部に反撃をさせるんです。彼は大勢の
> 幹部を長い間かかって、そのように訓練し、支配してきた。本部の幹部級はほとんど
> みんな、学会周辺の社宅に住まわせ、自宅を作らせない。公明党の幹部でさえ、家を
> 買うときは池田氏に報告書を出す。
 (中略)
> 内藤 なぜ、こんな閉鎖組織ができあがったんですかね。
> 藤原 池田という男は、日蓮正宗の御本尊に対する絶対性を、自分に対する絶対性に
> すり替えたんです。宗教を徹底的に利用した結果です。


 日蓮正宗の教義では、日蓮が「末法の御本仏」であり、その日蓮が「出生の本懐」とし
て作った特別な本尊である、大石寺の大御本尊に帰依しなけば救われないことになってい
る(この教義は本来の日蓮の教えとは異なるし、大御本尊も後世の贋作である)。

 藤原氏が述べているように、池田大作は『聖教新聞』や『人間革命』等を使って学会員
たちに、「池田先生を信じることが、日蓮大聖人の仏法を唯一正しく実践することであり、
それを疑えば地獄に堕ちる」と信じ込ませることに成功した。

 もちろん、池田の欲望まみれの本性を知る幹部たち――特に原田氏や秋谷氏――は、そ
んなことを本気では信じてはいないだろうが、骨がらみの人間関係で創価学会にとらわれ
ている上、池田大作への個人崇拝が、それなしでは組織が成り立たないほど浸透している
実態がある以上、池田に逆らうことは、創価学会そのものを敵に回すことと同義にまでな
ってしまっている。

 造反すれば地位や収入を失うだけでなく、広宣部や教宣部という非公然活動部隊につけ
狙われる危険まであるのだから、本音では「池田大作には生理的嫌悪を感じる」「早く死
んでほしい」と思っていても、逆らえなかったのは当然だろう。

 現在の池田大作は健康を失っており、判断能力を有しているかも疑わしい。近年に池田
の名で出された提言等は、幹部による創作だろう。

 創価学会の内部では「池田先生」の権威は、今なお絶対的なものである。原田会長らの
現執行部は、その権威を使って何をするつもりなのであろうか。

 創価学会の反社会的体質は現在も変わっていない以上、池田大作という意思なき神輿が、
ロクでもない目的のために悪用される懸念はあるのではないか。

 池田の余命はそう長くはないかも知れないが、「池田先生の御遺命」を振りかざす者が、
創価学会の集票力と公明党の政治力を利用することは有りうるだろう。

 「戸田先生の御遺命」を、都合のいいように利用してきた池田大作のやり方を模倣する
者が、創価学会の幹部の中から現れたとしても何の不思議もないと思う。

 池田大作を嫌悪する本音を隠して、「池田教」の幹部になりおおせた連中が何を考えて
いるか、分かったものではない。私としては、有権者の一人として今後ともこのカルトの
動向を注視していきたいと考えている。
 


補足

 幹部の間にも池田大作への個人崇拝の度合いには、個人差があったようである。元副会
長の福島源次郎氏は、「先輩たちに教わるままに、先生こそ仏法広宣に出現した不世出の
指導者であり、希有の師であり、不思議な方と仰ぎ、信じて疑うことを知りませんでした」
と述べている(『蘇生への選択』所収「誠諫の書」による)。彼は幹部だった頃には、本
当に池田に心酔していたのだろう。

 福島氏は『人間革命』の記述に基づき、「師への帰命」(「池田本仏論について②」参
照)という概念を創価学会内部で広めたが、そのことについて秋谷氏と次のようなやり取
りがあったという。


>  後日談になりますが、この「帰命論」が宗門で問題になっていた昭和五十年秋頃、
> 現会長の秋谷氏が「〝師への帰命〟というのが『人間革命』にあるというが、本当に
> あるのかね。どこにあるんだ」と私に尋ねてきた時には、開いた口がふさがらないく
> らいに驚きました。第三巻を開けてその箇所を示したところ、「なるほど、ちゃんと
> あるな」と、しげしげと読んでいましたが、改めて、最高幹部でも表面の姿と違い、
> 「人間革命」への取り組み方がいかにいい加減なものであったかと、思い知らされた
> ものでした。逆に私の真剣さが、当時の学会では異常だったのかもしれません。これ
> では「帰命」の解説・指導がなされなかったのも当然でした。
 (福島源次郎著『蘇生への選択』より引用)


 『人間革命』を「現代の御書」と宣揚していた福島氏と違って、秋谷氏は『人間革命』
の実際の執筆者は池田大作ではなく篠原善太郎氏であることを知っており、しかも彼は戸
田城聖の門下として、『人間革命』に書かれていることの多くを実際に経験していたので、
その内容が池田大作への個人崇拝を正当化するための欺瞞に満ちていることなど、百も承
知のことだった。だから、真剣に読む気にならなかったのであろう。

 ※ 福島氏が創価学会に入会したのは、戸田城聖が死んで2年後の昭和35年(1960年)
  のことなので、彼は『人間革命』に描かれた出来事を実体験していない。
   それに対して、秋谷氏の創価学会入会は昭和26年(1951年)であり、『人間革命』
  にも「秋月英介」として登場する。

 秋谷氏などの古参の幹部は、池田への個人崇拝が創価学会内部に浸透していく一方で、
その池田が引き起した女性問題等の騒動に自らも翻弄されざれるを得なくなった醜態を、
苦々しい思いで見ていたのではないだろうか。

2018年5月6日日曜日

池田崇拝の何が問題か

 池田大作という男は、人妻に性接待を強要したり、女子高生に手をつけて妊娠させたり、
挙げ句の果ては、実の息子に妻としてお手つきの女をあてがって悶死させるなど、やりた
い放題やってきた頭がおかしい色ボケ爺である。

 そんな人物を「永遠の師匠」と呼んで、生き仏のように崇め奉ることがおかしなことで
あることは、普通の人間にとっては考えるまでもないことだが、池田を師として崇めるこ
とが「仏法」で、それを疑うと地獄に堕ちると洗脳され、常識や道徳を「世法」といって
「仏法」よりも軽んじる創価学会員には、池田崇拝の異常さがわからないらしい。

 そこで今回は、池田大作は尊敬するに値しない人物であることを、学会員の皆さんにも
ご理解いただけるように論じてみたい。

 平成14年(2002年)6月28日付の『聖教新聞』は、池田大作への顕彰が1500に達したこ
とを記念し、「池田SGI会長の功績は世紀の大思想家に並ぶ!!」と題した特集記事を掲載
した。


 この記事によると池田大作は、アインシュタイン、トルストイ、ガンジー等の世界史に
名を残した偉人に匹敵する大人物なのだという。

 だが、こんな記事を真に受けて「池田先生は立派な人」と思うのは、創価学会員だけで
ある。世間の大部分の人は『聖教新聞』など読まないし、たとえこの記事を見たとしても、
バカにして嘲笑するだけだろう。

 考えてもみるがいい。池田大作にいったい何の業績があるというのか。はっきり言って
池田には、一般社会から評価されるような実績は皆無である。ただ、世界各国の著名人と
面会して、その余光で自分を偉く見せようとしてきただけの〝虎の威を借る狐〟に過ぎな
い。

 池田が独自に発案したものといえば、「護符」と称するマジナイくらいであろう。以前
にも述べたが、護符とは「池田先生がいつも拝んでいる板本尊を拭いた紙を小さく刻んだ
もの」で、それを飲むと、病気が治るとか、選挙で当選するだとかの「ご利益」があるの
だという。

 こんなものは、仏法とも日蓮の教えともまったく何の関係もない、インチキなマジナイ
に過ぎない。このような非科学的な呪術を20世紀も後半になってから考え出した池田大作
が、なぜアインシュタインに比肩する偉人だと言えるのか。噴飯ものではないか。

 また、暴力的な折伏や脱会者・批判者への嫌がらせ等の悪質な人権侵害を扇動してきた
池田大作が、非暴力によって植民地支配や人種差別に立ち向かったマハトマ・ガンジーや
キング牧師の名を自らを権威づけるために利用するなど、あまりにも冒涜的で許しがたい。

 それに、「特別書籍」というゴーストライター集団に書かせた本を、自分名義で世に出
してきただけの池田が、トルストイ、ヴィクトル・ユゴー、魯迅などの本物の文豪と、同
格のわけがないではないか。

 創価学会員以外の、世の中の大部分の人は私の見解に同意するはずである。『聖教新聞』
が上記のようなバカげた池田宣揚記事ばかり載せていることも、創価学会が世間から胡乱
な目で見られ、頭がおかしいカルトとして敬遠される大きな理由になっていることを、学
会員の皆さんも少しは考えた方がいいと思う。

 これだけ言ってもマインドコントロールされたカルト信者は、「池田先生があまりにも
偉大なので、嫉妬して悪口を言っている」という見方に固執するだろう。

 そこで、創価学会が標榜する御書を根本とする日蓮仏法の論理に即して、池田への個人
崇拝が間違っていることを示す。

 創価学会版『日蓮大聖人御書全集』の一番最初に収録されている『唱法華題目抄』に、
以下の記述がある。


>  仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば経の如くに説かざるをば何にいみじき
> 人なりとも御信用あるべからず


 「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」とは涅槃経にある教えで、「法燈明自燈明」
とも言い表され、日蓮系のみならず仏教では宗派を問わず重視されている言葉である。

 ※ 日蓮は天台教学の「五時八教の教判」を踏襲し法華経を最高の経典としたが、五時
  八教の教判では涅槃経を法華経を補完する経典と位置づけているので、日蓮も涅槃経
  を重視した。

 池田大作が「いみじき人」かどうかはさておき、彼は「経の如く」教えを説いてきたと
言えるだろうか。検証するために池田語録を引く。


> 「クリントン、元気かしら。あのように口をうまく、うんとうんと人を誤魔化して、
> しかし、警察には捕まらないように! クリントンは口がうまくて大統領になった。
> 口ベタなんてのは時代に遅れてます。クリントン以上に口をうまく、折伏やって、指
> 導して下さい。あとで奥さんに叱られるけど、お喋りクリントンは。彼は政治家だか
> らいてもいなくてもいいけれど、我々は彼よりも真実のうえで口がうまく……」
 (『週刊新潮』1993年7月15日号より引用)

 ※ この発言は1993年1月28日、サンタモニカで開催された第2回アメリカSGI総会に
  おいてのもの。池田が「マハロー、バカヤロー」と叫んでいる動画をご覧になったこ
  とがある方も多いであろうが、その発言もこの時なされた。


>  一、学会における本当の師弟は、戸田先生と私の関係にある。
>  子弟を観念論にしてしまっては、自分自身が永遠に損をする。子弟に生き抜く中に
> しか、本当の人生の向上、達成、勝利はありません。
>  ゆえに、師匠に対する裏切り者を、絶対に許さない。弟子が団結し、師匠を永遠に
> 守る。師に反逆した者、師をいじめた者を断じて倒す。私は、この学会精神を忘れて
> はならないと、強く申し上げておきたい。
 (『聖教新聞』平成19年〔2007年〕9月25日付より引用)


 池田センセイは、口をうまくして人を誤魔化せ、自分を永遠に守れ、裏切った者を絶対
に許すな、とのたまっておられるが、このような反社会的で利己的な教えを説いた仏教経
典がはたして存在するものだろうか。

 私は大蔵経を通読したことがあるわけではないが、池田の主張は極めて非仏教的だと思
う。少なくとも法華経には、そんなことは書かれていない。

 また、在家信者が最低限守るべきとされる五戒の中には、不妄語戒――「ウソをつくな」
という教え――があるので「うんと人を誤魔化して」というのは、仏教に反することは明
白である。

 つまり、池田大作は「経の如く」説いているとは言えず、彼のような人物を信用するこ
とは日蓮の教えに違背することになる。

 『聖教新聞』の紙面を見ればわかるように、現在の創価学会は池田大作を崇める「池田
教」になっているが、このような信仰のあり方は、仏法とも日蓮の教えとも相容れないこ
とは明白である。

 創価学会は「唯一正統な仏法」などではあり得ない。池田大作という化け物じみた俗物
を崇める、インチキ新興宗教に過ぎないのだ。