2018年3月31日土曜日

池田大作のぜいたく

 前々回、「池田大作個人のための支出は、創価学会の総支出額の二割強に上るとの説が
あるが、肝心の総支出額が不明なので、具体的な金額は算出できない」という趣旨を述べ
た(「清貧の人? 池田大作」参照)。

 先日、創価批判本を読み返していたところ、池田のために使われる金額について具体的
に言及した箇所を見つけた。


>  その一方で、実質的な権限はがっしりと独占して離さず、池田一人が使う年間経費
> が百億円から二百億円。四十人以上もの個人秘書を手足のごとく使い、全国六百ヵ所
> を数える創価学会会館に自分専用の豪華な私部屋がある。毎年池田が出かける外国旅
> 行は医師団や警備陣まで随行させてまるで王侯貴族なみ。数年前のタイ訪問時、何を
> 思ったか、金ピカの専用椅子を飛行機で現地へ運び込みヒンシュクを買ったこともあ
> る。
 (藤原行正著『池田大作の素顔』より引用)

 ※ 「その一方」とあるのは、この記述の前に、池田大作が名目上は名誉職に過ぎない
  立場である「名誉会長」になったことで、組織運営上の責任を負わなくてよくなった
  ことが述べられていることを受けたもの。


 これまでに使った金額の累計が、百億円から二百億円なのではない――それでも十分に
巨額だが――池田は一人で一年間にその金額を使っていたというのである。

 『池田大作の素顔』が出版されたのは平成元年(1989年)で、当時の日本はバブル絶頂
期だったとはいえ、このような巨額を一人で使っていたのは、さすがに池田大作くらいだ
ったのではないだろうか。

 さて、いったい何をどうすれば、一人で年に百億円以上も使うことができるのか、創価
学会の元顧問弁護士・山崎正友氏らの著書に基づいて述べたい。


1、豪華専用施設

>  全国の約一千か所の会館・研修道場には、いずれも池田専用施設がある。
>  例えば本部横の白雲寮(第二別館)。約二十年前、都心の一等地に建築費約五億円
> をかけて造られた和風総ヒノキ造り、庭園つきの邸宅。池田が東京にいる時は、たい
> ていここにいる。渋谷研修所も豪勢だ。また、創価大学近くの加住研修所はやはり十
> 数年前、三、四億をかけた専用施設。熱海研修所に至っては、数万坪もある池田の別
> 荘である。東北墓園、鎌倉、渋谷区等々の会館一覧にも載っていない秘密の池田専用
> 施設はまだ他にたくさんある。さらに、池田が役員にもなっていない「学校法人創価
> 大学」や「学校法人創価学園」内にも専用施設がある。そのうえ、一九八九年、伊豆
> の温泉地にも、約一万坪の池田専用別荘が建てられた。
 (山崎正友著『懺悔の告発』より引用)


 創価学会の他を圧するような大きさの会館等を見たことがある方も多いだろうが、そう
した建物には、いずれも池田専用施設があるのだ。

 しかも池田専用施設は、その調度品も贅を尽くした高級品ばかりだった。くるぶしまで
埋まる分厚い絨毯を敷き詰め、壮麗なシャンデリアや高価な絵画が飾られていたという。

 山崎氏は、別の著書でこうした施設を建設するために、どの程度の金が費やされていた
かも述べている。


>  余談だが、創価学会の施設の建設を請け負う業者は、まず、
> 「仏間に三分の一、一般施設に三分の一、そして池田大作専用施設に三分の一」
>  という割合で建設費が配分されるということを知らされる。
>  調度品となると、一対三の割合で専用施設に金が注ぎ込まれる。
>  総工費三億円とすると、結局、そのうち一億二千万円くらいが、池田大作一人のた
> めに費やされるのである。
>  その池田大作は、一年のうち数日しか利用しない。
 (中略)
>  これらの施設も、飽きると使用しなくなる。また、惜し気もなく大金をかけて改築
> する。あとからあとからより豪華な施設が作られ、古いものは〝お下げ渡し〟したり、
> 一、二回使っただけで取り壊され、改築される。
 (山崎正友著『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』より引用)


 巨費を投じて建設した施設を、たった数回使っただけで作り直していたのでは、金がい
くらあっても足りないのは当然である。しかも、そんな施設が日本各地に何カ所もあるの
だから、常人の想像を超えている。

 こうした施設を、池田は家賃などを払うことなく使っていた。完全な組織の私物化であ
る。ただ、創価学会に税務調査が入った際には、池田は白雲寮の家賃について過去に遡っ
て支払い、体裁を繕ったという(矢野絢也著『乱脈経理』による)。


2、海外旅行

 健康な頃の池田大作は、毎年のように海外に出かけていた。お気に入りの女性をはじめ
とする大勢の取り巻きを引き連れての大名旅行で、これにも相当な金がかかっていたはず
である。


>  池田氏の外遊については、これは贅沢三昧。専用のコック同伴とか、宿泊先もホテ
> ルは一流のスイートルームで、一フロアをまるごと借りることもある。いつも莫大な
> 費用で、元幹部の証言によると、
> 「池田氏に随行して海外に行ったとき、日本から出国する際に、なぜか現金を分散し
> て持たされた」
>  と言う。
 (「学会マネー」研究会著『創価学会財務部の内幕』より引用)


 池田が海外旅行の際に、現金を持ち出していた件についてだが、スイス等の銀行に秘密
口座をつくり、蓄財していたのではないか、との疑惑も持たれている。

 池田の大名旅行は、現地の人にも奇異な印象を与えたようである。フランス在住のジャ
ーナリスト・広岡裕児氏が以下のように述べている。


>  80年代中ごろのある晩、パリ中心部の最高級ホテル「リッツ」の前で、通りがかり
> のフランス人から「あれは日本の大統領か?」と聞かれたことがある。指をさす方向
> を見上げると、2階にある最高級のスイートルームのベランダで、手を振っている池
> 田大作の姿があった。
 (別冊宝島『池田大作と暴力団』より引用)


 池田の態度が、尊大そのものに見えたから「あれは日本の大統領か?」と、通りすがり
の人が驚いたのであろう。一日本人としては、あまり有難くない話である。

 創価学会員の独善的で、他人の迷惑を顧みない独りよがりの姿勢はつとに知られている
ところだが、そうした態度を海外でもとって、日本人の評判を悪くしていたのではないか
と懸念される。

 バブルの頃の日本人は、金にモノを言わせる思い上がった態度で、海外から顰蹙を買う
こともあったが、そのうちのいくらかは、池田大作及び創価学会によるものだったのかも
しれない。


3、美術品購入

 池田大作は、美術品の収集も趣味としていたが、これにも創価学会の資金をつぎ込んで
いた。まさに公私混同である。


>  池田氏は自分好みの絵画などの高価な美術品を世界中から買い集めていた。個人の
> 趣味なら本来、池田氏が自分の財布から払い、個人資産として所有するのが筋だ。と
> ころが池田氏の絵画購入費用はほぼすべて学会持ちだった。美術品は学会系の美術館
> や学会の関連施設などに飾られたり、倉庫に保管されたりしていたが、飾られた絵に
> ついて池田氏は「どうだ。いい絵だろう。俺の絵だ」と、私に自慢した。こうした絵
> が、いつの間にか池田氏の自宅に飾られていたことも私は目撃した。
 (矢野絢也著『乱脈経理』より引用)

 池田センセイは、創価学会の金で買った絵を「俺の絵だ」とのたまっていたとのことだ
が、創価学会そのものを「俺のもの」と思っていたからこそ出てくるセリフであろう。

 残念ながら、池田センセイご自慢の美術品の中には、費やした金額に見合わない物も相
当数含まれていたらしい。


>  最近、各地に富士美術館を開設し、会員の教養を高める、というのが財務の趣旨に
> 加えられている。
>  ところが、富士宮市と八王子市にある富士美術館の所蔵品の七五%はニセ物だとい
> うのである。池田は、自分では鑑識眼に絶対の自信を持っているらしく、外国旅行の
> 際など、よくギャラリーや骨董店をのぞくのであるが、壁面にかかっている絵の端か
> ら端まで全部買ってしまうといったやり方をする。後で美術館の方に荷物がどっさり
> と届き、「支払いは館の方でやっておけ」と命ぜられる。ところが、これを専門家に
> こっそり見てもらうと「全部が全部ニセ物、でなければ二、三流品。かといって処分
> もできず、池田センセイに面と向かって報告もできず……」(富士美術館元館員)と
> いうていたらく。池田には美術品に対する鑑識眼はない。
 (山崎正友著『懺悔の告発』より引用)


 海外の画廊で、展示されている絵画を端から端まで〝大人買い〟するというのは、いか
にもな成金趣味というか、バブリーな話だが、大部分が偽物か二、三流品というのは、困
りものである。

 大金を投じて偽物を摑まされていたのでは、「会員の教養を高める」どころの話ではあ
るまい。ただの無駄遣いである。

 池田センセイは、まずご自分の鑑定眼を鍛えられるか、その道のプロを頼られるべきだ
ったのだろうが、センセイに意見できる者など創価学会の中にいるはずもなく、このよう
な「裸の王様」を地でいく醜態を晒してしまったのであろう。


 末端の創価学会員の大部分は、上述の実態を何も知らず「池田先生が広宣流布のために
ご自分の印税収入等を寄付してくださり、海外での布教もしてくださっているのだから、
その池田先生に使っていただくために財務をするのは当然だ」と信じ込まされてきた。

 しかし実際には、豪華施設を作っては壊す、偽物の美術品に大枚をつぎ込む等の無意味
な贅沢に、池田大作は莫大な金を使ってきたのだ。真実を知った者が、詐欺呼ばわりする
のは当然である。

 池田の個人的な奢侈は、創価学会の巨大な資金の使途の一部でしかない。他にもロクで
もないことに金を使ってきたであろうことは、容易に想像できる。

 創価学会の資金とその使い道については、今後も折に触れて、当ブログで言及していき
たいと考えている。

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2018年3月25日日曜日

金満家・池田大作

 国税庁は平成17年(2005年)まで、前年の高額納税者を公表していた(いわゆる「長者
番付」)。

 池田大作は、毎年そこに名を連ねていた。昭和50年(1975年)から平成16年(2004年)
までの、池田の納税額(昭和58年以前は所得額)は、以下のとおりである。

(山田直樹著 別冊宝島『「新宗教」興亡史』より引用)


 『「新宗教」興亡史』には、納税額から推定される所得について、次のように述べられ
ている。


>  1984年度以降の数字は納税額なので、普通はその2.5倍~3.5倍程度の数字が「推定
> 年収」と考えられる。ただ、税制上の利点を考慮すれば、実質的には4倍から5倍の
> 金額でもおかしくない。


 これに基づけば、池田大作は平成に入ってからは、毎年、数億円の年収を得ていたこと
になる。

 もちろん、まっとうな方法で稼ぎ、それに応じた納税をすることは、立派な社会貢献で
あり、何ら非難されるようなことではない。

 しかし池田大作は、その高額の所得を「まっとうな方法」で稼いでいたといえるだろう
か。池田の所得の大部分は、著書から得られる印税収入だったと考えられる。

 そして、当ブログでこれまで見てきたように、池田名義の著作のほとんどは、実際は学
会本部の「特別書籍」に所属するゴーストライターたちが執筆したものだった。

 しかも、創価学会では『人間革命』等の池田の著作を購入すれば、それだけで「功徳に
なる」とされ、事実上、学会員にノルマを課して買わせていた。

 池田の印税収入は、違法な手段で得られたとはいえないが、お世辞にも誉められた方法
で稼いだものではない。

 池田の収入に関する問題点は、これだけにとどまらない。
 創価学会の元顧問弁護士・山崎正友氏は、池田には無申告の所得が相当額あったのでは
ないか、との疑惑を著書で述べている。


>  池田は、各地の地域の代表と頻繁に会食する。参加者はプレゼントを持参したうえ、
> 食事代として一人三千円ないし五千円が徴収される。一か所で九十万円から百五十万
> 円になる。しかし、会場は学会の施設、料理は本部職員がつくる。材料費は聖教新聞
> の食堂会計で落とされ、まるまる一回の食事代・百五十万円は池田のフトコロに入る
> 仕組になっている。池田は、ほとんど一年中といっていいほど、各地域の代表と会食
> を行なっている。それだけでも、年間数億円の個人収入になるはず。いってみれば、
> 池田の「会食」は集金旅行なのである。その他、これらの贈物を本部職員に売りつけ
> るバーゲンもバカにならない。
>  一方、池田が四谷税務署に申告しているのは、聖教新聞社の社主としての給料、著
> 作物の印税、原稿料であり、昭和五十年代以降、三千万円~八千万円台にとどまって
> いる。池田は、P代、会食費など、贈与税は払っているのだろうか。加えて池田は、
> 海外に隠し資産をもっているといわれる。今後の調査を待たなければならないが、事
> 実とすれば、外為法違反などの刑事事件に問われる可能性もある。
 (山崎正友著『懺悔の告発』より引用)


 上記引用中の「P代」とは、いわゆるP献金のことである。ご存じの方も多いだろうが、
P献金とは、公明党議員が池田大作に納める上納金のことをいう。

 P献金については、元公明党参議院議員・福本潤一氏が、公明党では当選時に参院議員
は6百万円、衆院議員は3百万円を上納することになっていたこと、創価学会の記念日には
高額な贈り物をすることが求められたことなどを明かしている(『創価学会・公明党「金
と品位」』による)。

 また、池田の脱税疑惑については、元公明党委員長・矢野絢也氏が著書『乱脈経理』で、
国税の調査が学会本部に入った際、当時、公明党の顧問になっていた矢野氏が窓口になっ
て、国税当局や竹下元首相と折衝し、事なきを得たいきさつを詳しく述べている。

 山崎氏も矢野氏も、池田大作の尻拭いに奔走させられた挙げ句、その後「仏敵」に認定
され、広宣部などの創価学会の非公然活動部隊の手により、陰湿な嫌がらせを受ける破目
になったことがきっかけとなり、批判活動に転じた。

 池田大作以上に金に意地汚く、しかも恩知らずな人間は、そうそういるものではない。
このような邪悪な人物を、生き仏のように崇めている連中も異常だと思う。

 池田大作及び創価学会の不透明な金についての疑惑は、現在も払拭されていない。
 当然のことだが、税は公平が大原則である。宗教団体を隠れ蓑にしたり、政権与党の政
治力を利用して税務当局に圧力をかけたり、といった手法で脱税を図るなど許されない。

 前回の衆院選挙の結果からも明らかなように、創価学会・公明党の力は衰え始めている。
そういつまでも、権力を利用して不正を隠蔽することなどできない。

 池田大作が生きている間に、その悪行の報いを受けさせることは難しいだろうが、池田
の死がきっかけとなって、マインドコントロールから解放された学会員たちが、これまで
の搾取について怒りの声を上げ始めた場合、現在の学会幹部たちが、その矛先をかわすの
は難しいだろう。

 もちろん、創価学会の不正は金に関することにとどまらないが、金の恨みが彼らの鉄壁
の守りを突き崩し、広宣部等による人権侵害など、他の問題点も暴く端緒になるかもしれ
ない。私としては、そうなってほしいと願っている。

2018年3月18日日曜日

清貧の人? 池田大作

 創価学会は、財務や広布基金などの名目で莫大な金を信者から集めている他、聖教新聞
や大白蓮華などの定期刊行物、『人間革命』『新・人間革命』に代表される池田大作名義
の書籍でも多額の売上金を得ている。

 創価学会を長年にわたり取り仕切ってきた池田大作は、いったいどれほどの収入を得、
どのような暮らしぶりをしてきたのだろうか。
 このことについて、池田本人はかつて週刊誌の取材に対して以下のように答えていた。


> 「私の月収は、聖教新聞社主としての月給ですが、昨年の三月まで十五万円(手取り
> 約十二万円)で、家には八万円を渡しておりました。
>  多少きゅうくつでしたが、昨年の四月から月給二十万円(手取り十五万七千円)を
> もらうようになり、家には十万円を渡すようにしております。
>  金と人事の面が乱れるのは間違いのもとだと私は考えていますから、金銭について
> はもっとも潔癖にしています。
>  このほかの私の収入は原稿料だけで、昨年は五冊の単行本を出して印税六百万円を
> いただきました。
>  しかし、この六百万円の使いみちは、①公明党への寄付、②海外旅行の費用、③遺
> 族の生活保護(注・幹部や理事室遺族への仕送りと、会員の交通事故死などの場合の
> 見舞金)などでございます。
>  これで、いっぱいでございます……。忘れておりましたが、たとえばインドの救ラ
> イ援助の五十万円、北海道の丹頂ヅルに十万円(注・天然記念物の保護資金)の寄付
> ……といったものもございます」
 (『週刊現代』1965年9月30日号より引用)


 引用が事実ならば、当時の池田は手取り十数万円で、妻と三人の息子を養っていたこと
になる。この記事から15年後、池田大作は当時はまだ毎日新聞の記者だった内藤国夫氏の
インタビューに応じ、同様の質問を受けている。


> 内藤 (前略)ただ、学会の現状をきびしく批判している宗門僧侶の中には、「創価
> 学会は宗教団体ではない。ネズミ講と同じ金集め集団である」と極言する人もいるの
> ですよ。池田大作さんは宗教人ではなく、金儲けの上手な人だ、とまで酷評して。も
> っともそういうご僧侶も、創価学会のご供養をなんらかの形で受けているのを思えば、
> 矛盾も感じますけど。どうですか。反論があれば、どうぞ反論を。
 (中略)
> 池田 それから金儲けということですけれども、私個人の財産としては、家が一軒あ
> るのみです。創価学会のお金を私的に使った覚えはまったくございません。学会員か
> らいただいた、寄せられたお金は、すべて学会員のため広宣流布のために使わせてい
> ただきました。ネズミ講と同じといわれようとは思ってもみませんでした。無念です。
> もし、本当にそうであるといわれるなら、どこに根拠があるのか、むしろお教えいた
> だきたいくらいです。
 (月刊『現代』1980年4月号より引用)


 また、同じインタビューで内藤氏から著作の印税について訪ねられた際、池田はこう答
えている。


> 池田 計算してみないとわかりませんが、相当な額にはなると思います。これは私の
> 力で、というよりみなさんが買ってくださるおかげですから。したがって聖教新聞社
> からの出版物の印税は、いっさいいただいておりません。それ以外の出版社の場合は、
> いちおういただきますが、税金を払った残りは大学や学園に寄付しております。


 こうした池田の述懐がすべて事実なのであれば、まさに清貧の指導者として称賛される
べきであろう。

 だが、これまで当ブログでみてきたように、池田大作という男は、何から何までウソと
インチキで塗り固めたような化け物じみた俗物である。

 著作による収入について「私の力で、というよりみなさんが買ってくださるおかげ」な
どと殊勝げなことを言っているが、そもそも他人に書いてもらったものを自分の名前で世
に出しているのであり、池田の力で書いたものではないのだから、白々しいにも程がある。

 しかも池田は元々、戸田城聖が経営していた高利貸しの営業部長として実績を上げたこ
とから成りあがってきた男である。そんな人間が、金銭についてだけは潔癖ということな
ど、あろうはずがない。

 池田大作は「みんなは公私混同、公私混同と言うが、私は公私混同で全部公だよ。仏法
に私はないよ」と、語ったことがある。

 これは無論、池田が悟りを開いて無我の境地に至ったという意味ではない。その言わん
とするところは、創価学会という「公」はすべて池田の「私」と一体のものだ、という意
味なのである。

 実際、池田大作による教団の私物化は、相当ひどいものだったらしい。上記のインタビ
ューについても、内藤氏は続報で以下のように書いている。


>  池田大作氏自身は、私のインタビューで「個人の財産としては、家が一軒あるのみ。
> 創価学会のお金を私的に使った覚えはまったくない」と強調した。私は裁く立場にな
> く、答弁のありのままを原稿にした。しかし、内情を知る学会幹部から「ウソ八百も
> いいところ」と、新たな極秘情報が、多数寄せられるのである。
>  創価学会は宗教法人として税制面でかずかずの優遇措置を享受している。その有利
> な立場を最大限に利用して、用地の取得、墓地造成や会館建設、施設拡充と、巨万の
> 富を成しもした。しかし、免税などの優遇措置だけではあきたらず、税務署の摘発を
> 免れるため、会計帳簿や財産台帳のつくり直し、改ざんが、しばしば行なわれてとい
> う。それも千億円を超す巨大なやりくりとか。池田大作氏にしても、美術品そのほか
> の創価学会財産の私物化は目に余るものがあるそうな。
 (月刊『現代』1980年7月号より引用)


 内藤氏が池田にインタビューを行った昭和55年(1980年)は、創価学会の元教学部長・
原島嵩氏と元顧問弁護士・山崎正友氏という二人の大物幹部が造反して、池田大作への批
判を開始した年だった。

 原島氏は他の6人の同志とともに、『週刊文春』1980年6月19日号から「創価学会最高
幹部七人の内部告発」と題した連載を開始した。

 この連載は当初、執筆者全員が匿名だったが、創価学会が名誉毀損で告訴したことを受
けて、代表者の原島氏が名乗り出たのである。

 原島氏は、他の6人が匿名のままである理由について、内藤国夫氏との対談で「残念な
がら学会は非民主的体質。累が家族や親族、友人に及ぶので」と答えている(『週刊文春』
1980年7月24日号)。

 その内部告発の第2回は、「池田大作はこれだけ学会財産を私物化している!」と題さ
れたが、その中に先に引用した『月刊現代』での内藤氏によるインタビューでの、池田
の受け答えを意識して書かれたと思しき記述がある。


>  学会出版物の印税は、全額聖教新聞社に寄付され、外部の出版社から出した書籍の
> 印税は、池田名誉会長の個人収入になる、とのことである。しかし、池田名誉会長は、
> 人に会った折りに、
> 「今日は、私が印税でおごってあげる」
>  といわれる。しかし、〝おごってあげる〟といわれた折りのツケの大部分は、聖教
> 新聞社に、たまには外部会社の交際費にまわされていることを私達は知っている。
 (『週刊文春』1980年6月26日号より引用)


 聖教新聞社は、独立した法人でなく創価学会の一部門である。宗教法人でも、出版事業
のような収益事業は法人税の課税対象になる。

 池田大作の個人的な支出を経費に計上し、会計上の利益を少なくすることで、法人税の
納税額を減らしていたのであれば脱税である。

 また、このような池田個人への金銭的な便宜供与は、本来所得税の課税対象となるべき
「所得」とみなされるべきであろう。

 この記事には、池田大作個人のために使われている金額は「実質的には支出の二割強で
はないか」と、学会本部の経理担当者が分析したとの記述もある。

 多額の「財務」で潤う創価学会は、間違いなく日本一の金満教団である。その支出の二
割とは、いったいどれほどの金額になるのであろうか。

 残念ながら創価学会は、経理に関する情報を一切公表していないので、「支出の二割」
を算定することはできないが、常人の理解を超えた巨額であろうことは想像がつく。

 冒頭で引用したような池田の清貧ぶりを強調する話は、創価学会内部での口コミでも広
められ、多くの学会員は「池田先生がたくさんのお金を広宣流布のために寄付してくださ
っているのだから、自分たちも当然、できる限りのお金を出さなければならない」と思い
込まされている。

 末端の学会員たちが、生活を切り詰めて貯蓄した金を差し出した財務や、「マイ聖教」
と称して新聞を一世帯で何部も取ることにより実現されている聖教新聞社の売り上げは、
実際には、池田大作をはじめとする本部の幹部たちの贅沢な暮らしの原資になっているの
にである。

 外部の人間には理解しがたいことだが、学会員の中には、無理してでも多額の財務をす
ることにやりがいを感じる者もいるという。他の学会員と金額を競いあって、勝つことを
目指す者もまでいるらしい。財務で潤っている本部職員の思う壺ではないのだろうか。

 誰がどう考えてもインチキ宗教だと思うのだが……。
 信教は自由なので、当人が幸せなのであれば、私が口出しすべきことではないのかもし
れない。だが、このような銭ゲバカルトに私は入りたくないので、くれぐれも勧誘だけは
しないでいただきたい。


補足

 創価学会が、外郭出版社の一つ鳳書院から出版した書籍に『宗教はだれのものか』とい
うものがある。

 この本の主な内容は、週刊誌等による報道や山崎正友氏らの脱会者による批判に対して
の自己弁護であるが、その中に本文中で触れた『週刊文春』での連載「創価学会最高幹部
七人の内部告発」について言及した箇所がある。


>  告訴された山崎は、学会を牽制するため同年六月から九月にかけて、週刊誌上に
> 「創価学会最高幹部七人の内部告発」と題する〝覆面手記〟を装う記事を連載させた。
> むろん、現実に七人の最高幹部が存在するわけではなく、山崎がひとり芝居を演じた
> のである。

 ※ 「告訴された山崎」とは山崎正友氏のこと。山崎氏は、創価学会を脅迫して金を脅
  し取ったとして恐喝罪で告訴されていた。後に実刑判決を受け、服役している。
   なお山崎氏は、この件について「創価学会の集団偽証による冤罪」と主張していた。


 本文中でも述べたが、当該連載は当初は覆面手記という形をとっていたが、連載中に執
筆陣の代表者である原島嵩氏が名乗り出ており、『宗教はだれのものか』の記述は嘘であ
る(原島氏の同志であった匿名の六人の中に、山崎氏が含まれていた可能性は高いと思わ
れる)。

 このように、創価学会による自己弁護には欺瞞が多い。裁判で勝った時だけ聖教新聞で
大きく書き立て、負けた時は一切その記事を載せないインチキ団体なのだから、当然のこ
とではあるが。

2018年3月11日日曜日

池田センセイのご指導

 マハトマ・ガンジー、キング牧師と並び称される偉大な宗教家である池田センセイ。今
回はその池田センセイがなされてきた、数々のご指導の一端を紹介したい。

 学会員から「永遠の師匠」「末法の御本仏」と崇拝されるセンセイが発せられた、珠玉
の名言ばかりである。刮目してご覧いただきたい。


1、センセイご自身のこと

 「私の話が高尚で、そしてわかりやすくて、そいで哲学的で、そいで文学調で、そいで
 詩的で、そいで会話的である。頭が相当聡明でないと追っついていけないんです!」
                    (『週刊現代』2000年5月27日号より引用)

 「私は人が喜ぶことしか考えていない。文化財のような人間だ」
                   (松本勝弥 編著『池田大作言行録』より引用)


 世間広しといえども、ここまで臆面もない自画自賛を言ってのけられる人間はなかなか
いない。さすがは池田センセイというべきか。


2、池田流師弟論

 「師匠は絶対なのだ。戸田先生、牧口先生もそういう関係であった。バカだろうがなん
 であろうが師匠は絶対だ」

 「師匠というのは弟子を煮ても焼いても食ってもいいのだ」
                (いずれも『週刊現代』1988年9月24日号より引用)

 自分が手をつけて飽きた女性を、幹部の妻として下げ渡したり、あるいは既婚女性に性
接待を強いたりしていた池田センセイらしい発言である。

 それにしても「バカだろうがなんであろうが」とおっしゃっているあたり、少しはご自
覚がおありだったのだろうか。


3、女性

 「ある学者が言うには、男の健康には処女の入った後の風呂がいいらしい」

 「処女と関係すると寿命が延びる」
      (いずれも小多仁伯・小川頼宣 共著『池田大作の品格 PARTⅡ』より引用)

 往時の池田大作は、多くの女性学会員にかしずかれる生活を送っていた。お気に入りの
女性に膝枕をしてもらいながら、部下の報告を聞くこともしばしばあった。

 池田は、気にいった若い女性を新たにハーレムに加える際に、上記のようなことを取り
巻きの女性たちに言っていた。「指導」というよりは「言い訳」である。

 はっきり言って酔っ払いのたわ言以下だが、取り巻きの女性たちは神妙に拝聴するだけ
で、非難がましいことをいう者は誰もいなかったらしい。まったく、結構なご身分である。


4、仏法は勝負

 「仏法には敵がなければ本物でないし伸びない。ある新聞記者が公明新聞に書かれるの
 はまだいい。読者に理性がある。しかし聖教は恐ろしい。気違いだからと言った」
                   (松本勝弥 編著『池田大作言行録』より引用)

 「『仏法は勝負』にどれほど深い意義があるのか、皆わかっていない。物事は正邪では
 ない。勝つか負けるかなんだ。全員が『勝つ』と強く決めていけ。勝つか負けるか。や
 られたらやりかえせ。世間などなんだ。私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。私だけ
 戦っている。強気、強気、強気、でいこう。どこまでもしぶとくいくんだ。(中略)な
 んでもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴って
 いけばいいんだ。(中略)反逆者には、この野郎、馬鹿野郎でいいんだ」
       (言論の自由を守る会 編『「創価学会を斬る」41年目の検証』より引用)


 池田大作の考える「仏法」は、敵をつくってそれを打ち倒すことでしか、正当性を示す
ことができないものらしい。

 創価学会員という連中は、こうした異常な勝他思想で洗脳され切っているから、勝つた
めならば何でもやるのだろう。


5、護符

 「しばらく体の具合が悪かったが護符をいただいて元気になった。護符は本当に威力が
 あるね」

 「創価高校でも風邪が多い護符をいただかせて休ませなさい。熱は下がる。完全に直る
 には自然の時間が必要だが熱は必ず下がるよ」

 「肺病を癒すのは護符を戴き、夫婦生活をやめて、十一時以内に帰る。これをやれば癒
 るよ、やりすぎだ。諸法実相で姿を見ればわかるよ」
                     (いずれも『池田大作言行録』より引用)

 「護符」とは創価学会で用いられるマジナイのことで、日蓮正宗から破門される以前は
「大石寺の大御本尊を拭った和紙を切り刻んだもの」という触れ込みだったが、破門後は
「池田先生が拝んでいる御本尊を拭った紙を切り刻んだもの」に変更されている。

 『池田大作言行録』に収録されている発言は、昭和42年から44年までのものなので、こ
こで池田が言及しているのは、「大御本尊を拭った和紙」についてであろう。

 このマジナイは由緒あるものでも何でもなく、創価学会が勝手にデッチ上げたインチキ
なものだが、上記の発言を見ると、どうも池田本人はこの護符に効果があると信じていた
らしい。

 言うまでもないことだが、風邪であれ肺病であれ、病を得たのなら良い医者にかかって
静養するのが適切であろう。

 創価学会は、21世紀に入った現在もなお、こういう非科学的なマジナイを続けているよ
うだが、他の宗教を「科学的根拠がない」などと批判する前に、我が身を振り返って見た
方がよいのではあるまいか。

 ※ 護符についての詳細は「紙を飲む宗教①」参照。


6、弔電=祝電!?

>  大阪ではね、昭和五十一年の区会議員選挙のとき、今は転任してしまいましたが、
> 当時、創価女子学園の牧野校長先生の奥さんが、配下の婦人部長三人と選挙の応援
> にきて、帰りに交通事故に遭ったんです。牧野さんの奥さんともう一人が即死、一
> 人は入院後一週間で死んで、運転していた一人は今も半身不随で寝たきりです。
>  このとき、池田会長の素晴らしい指導が出た。
> 「牧野家というのはもともとクリスチャンの出である。この法戦のさ中に交通事故
> で死んだということは、宿命転換の兆である。非常に福運の瑞相として喜ぶべきこ
> とであります。牧野家の奥さんのご冥福を祈ります」
>  という〝祝電〟が池田会長先生から入ってきた。それを、京阪圏の婦人部は歓喜
> の涙を流してその指導を喜んだんですよ。
                  (『週刊サンケイ』1980年2月28日号より引用)


 何とも言いようがないというか、交通事故で死んでしまったのでは、宿命転換も福運
の瑞相もへったくれもないのではないか、と私は思うのだが、創価学会員の皆さんの受
け取り方は違うらしい。

 こんな弔電だか祝電だか分からない、人をバカにしているとしか思えないような「ご
指導」を聞いて、歓喜の涙を流すというのは、いったいどういう精神構造をしているの
だろう。それこそ「頭破作七分」ではないのか。


 気をつけなければならないのは、創価学会員という連中は、池田大作を「理想的な人
格者であり、見習うべき模範」と、本気で信じ込んでいる点である。

 普通の人間が「人格破綻者の所業」と感じるようなことを、「立派な振る舞い」だと
考えるのが創価学会員なのだ。

 困ったことに、彼らは現在の日本に数百万人も存在している。「君子危うきに近寄ら
ず」を実践したくても、完全に接触を避けることは難しい。

 しかも公明党が政権与党でいる間は、創価学会にとって不利な法律――例えばカルト
宗教への規制を可能にするような法律――の制定は不可能だろう。

 一般人にできることは、創価学会がいかに異常なカルトかを正しく認識し、非学会員
どうしでの連携や情報共有を図り、適切に身を処すことくらいなのかもしれない。

2018年3月4日日曜日

書評『創価学会秘史』

 著者の高橋篤史氏は、フリーのジャーナリスト。本書の「あとがき」によれば、高橋氏
が創価学会について継続的な取材を始めたのは、平成24年(2012年)に宝島社のムック本
にライターの一人として加わったのがきっかけとのこと。

 高橋氏はその本の題名を「あとがき」では明かしていないが、当該のムック本は『池田
大作と暴力団』をさすと思われる(同書には、高橋氏が執筆した記事が掲載されている)。

 本書のプロローグには「まったく感心できないことだが、創価学会は過去の歴史を正し
く伝えていない。それは対外的な宣伝だけでなく組織内の学会員各層に向けたものでも同
じである」とある。

 高橋氏はそれを、戦前・戦中に創価学会――当時は「創価教育学会」――が発行してい
た機関誌『新教』『価値創造』などの史料を読み解き、丹念に調査を重ねて実証している。

 創価学会は長年にわたり、「戦前・戦中から一貫して反戦平和団体だった」というパブ
リックイメージを作りだそうとしてきた。その欺瞞を徹底的に暴き、打ち砕いているのが
本書『創価学会秘史』である。

 戦時下の日本では、言論統制・思想統制が布かれ、共産主義や反戦的な言動は、取り締
まりの対象となっていた。

 当時、大卒者は現在よりもずっと少なく、地方では学校教員などのごく限られた人しか
いなかった。そして、体制や経済情勢への不満を正当化する理論を提供していた共産党は、
教員等のインテリを介して、地方への浸透を企てていた。

 政府は、共産主義に感化された教員を取り締まったが、それだけでなく共産主義から転
向させた彼らが、再び共産主義に向かうことがないように、別の思想で再教育することも
目指した。

 その時局に迎合したのが、当時の創価教育学会であった。初代会長・牧口常三郎は、持
論の「創価教育学」と日蓮正宗への信仰により、「赤化青年の完全転向」を実現できると
検察や内務省に働きかけたのである。

 牧口は「赤化青年の完全転向は如何にして可能なるか」と題した論文を、創価教育学会
の機関誌『新教』(1935年12月号別冊)に発表していた。この論文について『創価学会秘
史』には、以下のように言及されている。


>  牧口の論文のなかで特に興味をそそられるのは、長野行きにあたりあらかじめ内務
> 省から長野の警察部に電話をかけてもらっていたという記述だ。牧口の論文タイトル
> がまさにそうであるように、このことは当時、国がとっていた転向政策と創価教育学
> 会が乗り出した折伏による会員拡大とが軌を一にしており、そのため連絡を密にして
> いたことを意味する。当局からすれば左翼思想にかぶれた本来優秀な元教員たちを転
> 向させてくれる団体は好ましい存在であり、牧口らからすれば弾圧で心に傷を負った
> そうした元教員たちは折伏するのに格好の相手だった。


 牧口ら創価教育学会は、戦争反対を叫んでた共産主義者を取り締まる側の、官憲の尖兵
として活動していたのである。

 ただ、こうして折伏を受けて創価教育学会の会員となった元教員たちのほとんどは、そ
の後信仰から離れ、残ったのは矢島周平氏――戦後、戸田城聖が事業に失敗して身を隠し
ていた一時期、理事長を務めた――くらいだったという。

 牧口をはじめとする創価教育学会の会員たちも、当時の一般の日本人と同じく、太平洋
戦争での日本の戦勝を願っていた。再び『創価学会秘史』から引用する。


>  一九四二年八月に出た『大善生活実証録』のなかには牧口常三郎による「大善生活
> 法実験証明の指導要領」という一文が載っている。その書き出しはこう始まっていた。
> 「『皮を切らして肉を切り、肉を切らして骨を切る』といふ剣道の真髄を、実戦に現
> はして国民を安堵せしめられるのが、今回の日支事変及び大東亜戦争に於て百戦百勝
> の所以である。それは銃後に於けるすべての生活の理想の要諦でもある」
>  これは一例だが、この頃の牧口の文章から反戦思想を読み取ることは不可能で、や
> はり浮かびあがってくるのは庶民が抱いていたごく平均的な戦争観である。


 牧口・戸田らは、反戦平和を訴えたから逮捕されたのではない。創価学会が、設立当初
から平和を志向する団体だった、というのは大ウソである。

 当時の創価教育学会もやはり、現在と同じように問題を引き起こしていた。
 折伏の標的とした者を、軟禁してまで入信を強いたり、日蓮正宗の僧侶に対し、集団で
吊し上げを行ったりしていたのだという。こういうところは、戦後とあまり変わらない。

 このような無茶なことを続けていれば、社会秩序を乱す存在として、当局から目をつけ
られるのも当然であろう。

 当時は全家庭に伊勢神宮の神札が配られていたが、牧口らはこれも「謗法払い」の対象
として焼き払っていた。そして無体な折伏や謗法払いに遭った被害者が、警視庁に訴えた
ため、牧口・戸田らは治安維持法違反容疑で逮捕されたのである。

 本書で取り上げられている出来事の大部分は、戦前の創価教育学会創成期から、戦後の
昭和20年代にかけて起こったことである。しかし、現在の創価学会について理解する上で
も重要である。

 なぜなら創価学会が、不都合な歴史をなかったことにして、自分たちをあたかも無謬の
存在であるかのごとくみせようとする歴史の捏造・改竄を、いま現在も行っているという
証拠だからである。

 本書は創価学会の本質を理解する上で、重要な文献だと思う。
 創価学会という悪質なカルトの欺瞞を暴く、労作をものした高橋氏に敬意を表したい。
 

 ※ 『創価学会秘史』(講談社)は、2018年2月27日付で発行された。