2018年10月28日日曜日

創価批判コピペ集‐⑧(「創価学会の『不都合な真実』」他)

◇◆◇ 創価学会の「不都合な真実」 ◇◆◇

十数年ほど前、創価学会は外資系のコンサルティング会社・アクセンチュアと契約して、
今後の布教活動の方針等について助言を求めた(高橋篤史著『創価学会秘史』による)。

それに対するアクセンチュアの提案は、「三代の会長」即ち、初代・牧口常三郎、第二
代・戸田城聖、第三代・池田大作への個人崇拝を教義の中核とし、創価学会にとって不
都合な過去を「無かったこと」にすることで、教団の正統性を訴えるというものだった。

創価学会が無かったことにしたい過去とは、牧口常三郎が戦争に賛成し、特高警察とも
協力していたこと、戸田城聖の詐欺まがいのビジネス、池田大作が高利貸しだったこと
や女性スキャンダル、「護符」と称するマジナイを大々的に行っていたことなどである。

こうした過去を封印するため、創価学会は「精神の正史」と位置づけている『人間革命』
を改訂したり、戦時中に発行していた機関誌を『牧口常三郎全集』から削除したりした。
不都合な真実を隠すことで正統性を偽装する宗教が「正しい信仰」と呼べるのだろうか?



創価学会と「大蔵商事」

大蔵商事とは、創価学会第二代会長・戸田城聖が作った金融会社である。この会社は経
済力のある学会員から資金を集め、貧しい会員に貸し付けていた。要は高利貸しである。

池田大作はこの会社の稼ぎ頭で、20代で取締役営業部長を務めたほどだった。池田の取
り立てには容赦がなく、債権回収のために病人が寝ている布団をはぎ取ることまでした。
ここでの働きが認められたことが、彼が後に第三代会長に上り詰めるきっかけとなった。

その後、創価学会は金を貸して利ザヤを稼ぐような回りくどいことはやめた。宗教のお
布施ならば、元手はほとんどかからず、しかも税金までかからないのだから当然である。
しかし、高利貸しの経験はお布施の集金にも役立った(創価学会では「財務」という)。

かつては「身ぐるみはいで御供養しなさい、金とケチると仏罰を受けます」が財務納金
を呼びかける際、学会幹部の決まり文句だった。また「貧しいものほど、宿命転換する
ために多く金を出すべき」とも指導していた。金貸し根性は相変わらずだったのである。



解説

 高橋篤史氏は、創価学会がアクセンチュアから受けた提案について、『創価学会秘史』
以外でも述べている。『文藝春秋』2018年4月号に掲載された「創価学会『極秘資料』が
暴く負の歴史」から、当該箇所を引く。


>  創価学会はもともと日蓮正宗の在家信徒団体だったが、1990年代に宗門と決別した
> ため、その信仰を学会員の求心力とすることはもはやない。それにかわるものを学会
> が何に求めようとしているのか知ることができる格好の内部資料がある。08年6月に
> 外資系コンサルティング会社のアクセンチュアが学会の内部組織「ビジョン会議」に
> 宛てた提案資料がそれだ。
 (中略)
>  アクセンチュアの提案資料はそうした3代会長の事績を新聞・雑誌やインターネット、
> 展示イベントなど様々な経路を通じて学会員や社会に送り届けることを現代の広宣流
> 布と位置づけていた。そして、そのためのアーカイブ事業を確立することが取り組む
> べき大きな眼目とされた。ただ、そこには巧妙な仕掛けも用意される。「永遠の規範」
> や「歴史の証明」となるアーカイブ資料は「正当性を担保する仕組み」として認定委
> 員会の承認を経なければならず、そこでは「歴史を歪める資料」は却下されるのであ
> る。要は都合の悪いものは闇に葬るわけだ。

 ※ 「創価学会『極秘資料』が暴く負の歴史」は、『創価学会秘史』の要約にもなって
  いる。インターネットで全文を閲覧できる。


 高橋氏のレポートは興味深い内容だが、アクセンチュアの提案により、具体的にどうよ
うな歴史の改竄や、運営方針の転換を創価学会が行ったか、そのすべてが記されているわ
けではない。

 また、創価学会が都合の悪い歴史をなかったことにするのは昔からのことで、何もアク
センチュアから指南を受けたことで、はじめて悪知恵を身につけた訳ではない。

 だが、創価学会が平成25年(2013年)に、日蓮正宗を賛美する記述が削除された『人間
革命』第二版を刊行し、その翌年に日蓮正宗総本山大石寺の大御本尊を神聖視する教義を
取り下げ、さらに平成27年(2015年)、「三代の会長」を「永遠の師匠」とする会則変更
を行った件や、近年テレビで目にすることが増えた「ヒューマンな」イメージを前面に押
し出した聖教新聞のテレビCM等に、アクセンチュアの影響があったのではないかという
ことは、十分に考えられる。

 改訂前の『人間革命』にも事実を歪める記述が多数あったことは、当ブログで指摘して
きたとおりであるが、外資系コンサルタントの助言により、それがより洗練されたものに
なったということはありそうである。


 戸田城聖は、戦時下にあっても醤油を塩水で薄めたり、酒に水を混ぜたりして売るとい
った阿漕なやり方で利ザヤを稼ぎ、ビジネスを拡大していた。

 その戸田が戦後になって設立した高利貸し・大蔵商事で頭角を現したことで、創価学会
内部での地位を固め、若くして第三代会長に上り詰めたのが池田大作である。

 創価学会の不都合な過去については、高橋氏の『創価学会秘史』以外にも、『池田大作
「権力者」の構造』(溝口敦著)や、『戸田城聖―創価学会― 復刻版』(日隈威徳著)
など、優れた内容の本が入手可能なので、創価学会員の皆さんも『人間革命』の内容をよ
り深く理解するためのサブテキストとして、手に取って見られてはいかがだろうか。


 ※ 戸田城聖のインチキ商法や、池田大作がそのノウハウを創価学会の運営に持ち込ん
  だことについては、当ブログでも記事にしている。興味がある方はそちらもご覧いた
  だきたい。






2018年10月21日日曜日

創価批判コピペ集‐⑦(「創価学会と法華経」他)

創価学会と法華経

鎌倉時代の僧侶・日蓮は、法華経こそが仏教のすべての経典の中で最も優れたものと考え、
「南無妙法蓮華経」と唱えれば救われると説いた(法華経の正式名称は「妙法蓮華経」)。

創価学会は、日蓮の教えを正しく受け継ぐ唯一の教団と自称し、その教義では、学会員は
法華経を広める「地涌の菩薩」とされている(これが学会員の選民意識の根拠でもある)。

しかし、ほとんどの創価学会員は、法華経の内容について知らない(興味も持ってない)。
法華経は大乗仏教の重要経典であり、日蓮系だけでなく多くの伝統宗派で重視されている。

その教えも、仏像を供養すると仏道を成じる、修行すれば来世で阿弥陀仏の浄土に生れる、
観音菩薩を拝むとご利益があるといった、多くの仏教徒にとって、なじみ深いものである。

創価学会は、上に挙げた法華経の教えをすべて否定している。日蓮は「善に付け悪につけ
法華経をすつるは地獄の業」と説いた。日蓮が正しいなら、学会員の堕地獄は確定である。

 ※ 「善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業」の出典は『開目抄』(創価学会版
  『日蓮大聖人御書全集』232ページに当該の記述あり)。



創価学会の「御書」

創価学会では『日蓮大聖人御書全集』を出版し、聖典としている(単に「御書」と呼ぶ
ことが多い)。その一番最初に収録されている『唱法華題目抄』に、以下の記述がある。

「仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば 経の如くに説かざるをば 何にいみじき
人なりとも御信用あるべからず」(『日蓮大聖人御書全集』9ページ)

「依法不依人(法に依って人に依らざれ)」とは、涅槃経にある教えで、仏教であれば、
国・宗派を問わず重視されている(日本の伝統宗派だけでなく、上座部仏教でも同様)。

創価学会では、名誉会長の池田大作を生き仏のように崇めているが、池田は搾取的な金
集めを実施して贅沢三昧の生活をし、女性学会員に手をつけまくった醜悪な俗物である。

池田は「うんと人を誤魔化して、警察に捕まらないように」と述べたが、そんな反社会
思想を説いた経典など存在せず、池田への個人崇拝は日蓮の教えに明白に違背している。

 ※ 「創価学会の『御書』」は「池田崇拝の何が問題か」後半部分の要約。



解説

 たいていの創価学会員は、「法華経こそが唯一の正しい経典であり、法華経のとおりに
信仰を実践しているのは、創価学会だけだ」と思い込んでいながら、法華経にどのような
教えが説かれているか知らないという、奇妙な人々である。

 当ブログで何度も取り上げてきたが、創価学会の教義は法華経の教えと大きく違うし、
日蓮の教えに忠実だとも言い難い(創価学会が日蓮正宗から受け継いだ日蓮本仏論は、大
石寺26世法主・日寛が体系化したもので、本来の日蓮の教えではない)。

 法華経についての知識は、創価学会員のマインドコントロールを説くためにも、しつこ
く折伏されて迷惑している方にも有用ではないかと思われる。
 法華経は岩波文庫に収録されており、誰でも気軽に読むことができる。

 岩波文庫版法華経には、漢訳(白文)とその書き下し文だけでなく、サンスクリット原
典からの翻訳も収録されているほか、注解も充実しており、予備知識がない読者にも配慮
されている。

 「創価学会と法華経」で挙げた創価学会の教義との矛盾点が、岩波文庫版法華経のどこ
に該当するかを参考までに以下に記す。


 ・仏像について
  仏像を礼拝供養すると仏道を成じるという記述は方便品にある。
  岩波文庫『法華経(上)』114~117ページが該当する。
  なお、当ブログでも「仏像を拝むのは謗法か?」で、一部を引用した。


 ・阿弥陀如来の浄土について
  法華経では薬王菩薩本事品に説かれている。 
  岩波文庫『法華経(下)』204~205ページが該当する。

  漢訳法華経では「極楽浄土」ではなく、「安楽世界」と訳されているが、どちらも原
 語はサンスクリット語の「スカーヴァティー」である。


 ・観音菩薩について
  東アジアの仏教の特色とも言える観音信仰であるが、その根拠となったの経典は法華
 経である。観音菩薩の功徳を説いたお経といえば観音経だと思っておられる方もいらっ
 しゃるであろうが、観音経は独立した経典ではなく、法華経の観世音菩薩普門品の通称
 である。

  観世音菩薩普門品は、岩波文庫『法華経(下)』242~271ページに収められている。
  観音菩薩は、勢至菩薩とともに阿弥陀如来の脇侍とされ、法華経サンスクリット原典
 の観世音菩薩普門品にも極楽浄土についての記述がある。


 「創価学会の『御書』」で引いた『唱法華題目抄』の一節、「仏の遺言に依法不依人と
説かせ給いて候へば 経の如くに説かざるをば 何にいみじき人なりとも御信用あるべから
ず」と、上述の法華経の記述とを組み合わせれば、ほとんどの創価学会員は論破できるの
ではないだろうか。

 ただし、学会員の中には議論に負けると嫌がらせしてくる者も少なくない。創価学会は
危険なカルトであり、学会員とは最初から関わりにならない方が無難であることは、十分
に留意していただきたい。


追記

 創価学会員の中には、宗教の論理で言い負かされそうになると、今度は「科学的根拠を
示せ」と言いだす者もいる。

 「創価学会は法華経に基づいているから正しい宗教だ」と主張しておきながら、創価学
会の教義と法華経の記述とが矛盾していることを指摘されると、「(法華経の教えには)
科学的根拠がないから認められない」と言うのは、ダブルスタンダード以外の何ものでも
ない。創価学会員というのは本来、卑怯な連中なのである。

 結局のところ、創価学会にとっては、日蓮にしろ法華経にしろ、宗教としての正統性を
粉飾するためのアクセサリーに過ぎず、「勝つためなら手段を選ばない」という常軌を逸
した勝他思想こそが本質なのであろう。

 さて、実際に学会員から「科学的根拠うんぬん」言われた場合、どう切り返すべきかだ
が、これが存外に難しい。

 もちろん「南無妙法蓮華経と書いてあるビニールシート製のインチキ本尊に、南無妙法
蓮華経と唱えれば『願いとして叶わざるなし』という、おまエラの教義の一体どこに科学
的根拠があるのか」等の指摘をするのは簡単なことだが、そうした場合、連中は高確率で
嫌がらせをしてくるので、それは避けた方がいい。

 「科学的根拠がないことは認められないという、あなたの言い分はよく分かった。また
法華経、つまり妙法蓮華経の教えに科学的根拠がないということも認めざるを得ない。だ
から、南無妙法蓮華経と唱えるような宗教には、たとえ何があろうと絶対に入らない」と
いった言い方で、言いくるめた方がいいかもしれない。

 しつこいようだが、創価学会の教義は矛盾しているので、ある程度の知識がある者にと
って、それを指摘するのは簡単なことだが、学会員には常識など通じないことが多いので、
関わりにならないのがベストである。

 たとえ勝てる自信があったとしても、学会員との議論に応じるのは、ほかに選択肢がな
い場合に限るべきだと思う。

2018年10月14日日曜日

創価批判コピペ集‐⑥(「創価学会の『財務』」他)

創価学会の「財務」

創価学会は様々な名目で信者から金を集めているが、特に金額が大きいのが年末に実施
される「財務」である。その総額は毎年一千億円~二千億円以上に及ぶとの推定もある。

その金額は一口一万円からで上限はない。十万円以上の財務を「二ケタ」、百万円以上
を「三ケタ」、千万円以上を「四ケタ」と言い、高額ほど功徳も大きいとされている。

財務に向けては決起集会が開かれ、地元の幹部が「財務をすると倍になって福をもたら
す」「財務の金額が少ないと罰を受ける」などと煽り、高額財務をするように仕向ける。
一方、本部に勤務する職業幹部の財務は、二万円程度でいいという慣例になっている。

本部職員が少額の財務でいいのは、「池田先生の近くにいる福運」だと説明されている。
多くの末端学会員は「財務が福をもたらす」と信じて大金を供出し続け、疲弊している。

※ 末端信者から搾取した金から職業幹部が高給を得る、これが創価学会の実態である。



創価学会の特権階級

創価学会の本部には約3000人強の専従職員が在職している。公明党や民主音楽協会等
の関連団体を含めると、約5000人の職員が創価学会から給与を得てメシを食っている。

かつての本部職員は薄給だったが、それに耐えかねてマスコミに内部情報をリークする
者が相次いだこともあり、次第に改善されて現在では一流企業並みになっているという。

中でも約三百人いる副会長になると、その年収は少なくて一千万円、主任副会長などの
上席の者になるとその数倍にもなる。本部職員の総人件費は、年間数百億円にも達する。

創価学会員の中には、生活保護受給者など貧しい者も少なくないが、そうした会員であ
っても聖教新聞を何部もとり、「財務」と称するお布施を無理してすることはままある。

経済的に苦しい者が少なくない末端学会員たちが供出した新聞購読料や財務から、高給
を受け取る創価学会の本部職員は、貴族的な特権階級といっても過言ではないだろう。



解説

 創価学会員にとっては毎年恒例となっている年末の金集め、それが「財務」である。上
記の財務に向けた決起集会とは、正しくは「広布部員会」という。

 広布部員とは財務納金する学会員のことであるが、だいぶ前から、ほとんどすべての学
会員が広布部員になるようになっている(もっとも入信一年目は、財務は免除されるらし
い)。

 広布部員になった学会員は、財務の目標金額を各地域の幹部に報告させられる。例えば
「今年はボーナスから20万円を財務します」といった具合である。

 しかし、勤務先の経営状況が悪く、あてにしていたボーナスが大幅に減額されたり、出
なかったりすることもある。かつての創価学会では、それでも財務が免除になることはな
かった。

 そのような場合、たいていの地域幹部は当該学会員に対して、サラ金等から借金してで
も目標額どおり納金するよう指導していたという。

 最近の財務の取り立ては、かつてほどではないらしいが、それでも生活保護受給者にも
財務をさせることは多いそうである。その背景には、地域レベルの幹部に多い年金生活者
よりも、生活保護受給世帯の方が経済的余力があることがままあるからであろう。

 創価学会の熱心な活動家の中には、「財務をすれば何倍にもなって福をもたらす。金を
ケチると仏罰を受ける」という幹部の指導を信じ、老後の生活設計のことなど何も考えず、
まともな経済感覚の持ち主であれば貯蓄に回す資金を、すべて財務などの創価学会への寄
付につぎ込んでしまった者も少なくない。

 自分の頭で先々のことを考えず、カルトの言いなりなってきたことが苦境を招いたのだ
から自業自得の面もあるが、騙されやすい人々をマインドコントロールしてきた池田大作
をはじめとする幹部たちの悪辣さは、許しがたいものがある。

 愚昧な末端信者を搾取してきた職業幹部は、少しはその罪深さを自覚するべきだが、高
給を受け取る本部職員たちの多くは、自分たちが厚遇を受けられるのは「信心による福運」
と言って憚らないらしい。カルトの構成員というのは、上から下まで度し難い連中という
ほかない。 

 「創価学会の特権階級」で述べた本部職員の中でも特に恵まれている、副会長等の上位
役職者の「年収は少なくて一千万円」という記述は、『システムとしての創価学会=公明
党』(古川利明著)によったものだが、この本の初版は平成11年(1999年)で、やや古い
情報であることは否めない。

 近年の創価学会本部では、副会長等の役職者でなくとも40代で年収一千万円に届くらし
い。『週刊東洋経済』(9月1日号)の特集記事「宗教 カネと権力」から、本部職員の実
情について言及した箇所を引用する。


>  そして彼らは好待遇だ。前出報告書は平均標準報酬月額を男性で46万9020円(賞与
> は不明)としているが、元本部職員は「40代後半で大抵、年収1000万円を超える」と
> 打ち明ける。退職後の保障も手厚い。

 ※ 「前出報告書」とは、創価学会の本部職員が加入する創聖健康保険組合の2016年度
  事業報告書。


 創価学会の本部職員は、給与所得者の中でも恵まれた部類に入るのは間違いないだろう。
そして彼らが享受している厚遇が、末端学会員が供出した財務や広布基金、聖教新聞の購
読料によっていることもまた、間違いのない事実である。

2018年10月7日日曜日

創価批判コピペ集‐⑤(「創価学会の『人間革命』」他)

◇◆◇ 創価学会の『人間革命』◇◆◇

・『人間革命』とは、創価学会名誉会長池田大作の小説である。創価学会では、日蓮遺文を
 「御書」と呼び聖典としているが、『人間革命』も「現代の御書」とされ重視されている。

・創価学会は平成3年(1991年)に破門されるまでは日蓮正宗の信徒団体だった。日蓮正宗
 ではその総本山大石寺の大御本尊を唯一絶対とし、創価学会も大御本尊を神聖視していた。

・『人間革命』のほとんどは、破門前に執筆されたため、現在の信仰とは齟齬が生じている。
 「時代の進展によって変更しなければならない教義や、矛盾に満ちた宗教は、誤れる宗教
 と断定すべきである」(『人間革命』第二巻)
 「なにがどうあろうと、なにがどう起きようと、日蓮正宗の信仰だけは、絶対に疑っては
 ならぬ」(『人間革命』第六巻)

・創価学会は平成26年(2014年)11月18日、大石寺の大御本尊は〈謗法の地にあるので受持
 の対象にしない〉と聖教新聞で宣言した。教義を変更し日蓮正宗の信仰を全否定したのだ。
 このような、「矛盾に満ちた宗教は、誤れる宗教と断定すべき」ではないのだろうか。


創価学会の教義には根拠がない

創価学会は平成三年に破門されるまでは、日蓮正宗という日蓮系宗教の在家信者団体だった。
破門の理由は、池田大作名誉会長が暴言を吐いたり、僧侶を軽視したりしたことなどである。

日蓮正宗の教義では、その総本山大石寺の大御本尊を、日蓮が「出世の本懐」として作った、
唯一の正統な本尊と主張し、この大御本尊及びその写しのみを正しい信仰の対象としている。

創価学会もかつては、「大御本尊を拝まない者は地獄に堕ちる」と言って信者を集めていた。
現在、学会が信仰の対象としている本尊も、大石寺の大御本尊の写しを量産したものである。

しかし、大石寺の大御本尊は、実は日蓮がその弟子、日禅に与えた紙の本尊をもとに、後世、
木彫された贋作だと判明している(大石寺の前法主、阿部日顕氏もこの事実を認めている)。

つまり、日蓮正宗はニセ本尊を「唯一正しい」と主張してきたのであり、学会もニセ本尊の
複製品を拝んでいるにすぎない。創価学会の正統性の根拠は、最初からウソだったのである。



解説

 上記のコピペの内容についてだが、ある程度の予備知識がないと分かりにくいと思われ
るので、創価学会員であったことのない方のために、簡単にだが解説を添える。

 創価学会の代名詞といっても過言ではないほど、題名だけはよく知られている『人間革
命』だが、実際に読んだことがある方は少ないのではないだろうか。

 そんな方のために、大まかな説明を以前当ブログに掲載しているので、興味がある方は、
そちらをご覧いただきたい(「そもそも『人間革命』とは」参照)。

 なお、『人間革命』を「現代の御書」――「御書」とは日蓮遺文を指す――と喧伝した
のは元副会長の福島源次郎氏だったが、彼の失脚以後、創価学会は日蓮正宗から「現代の
御書という表現は、日蓮と池田大作を同格視するものであり問題だ」と批判されたことも
あり、そうした表現を使わなくなった。

 近年の創価学会は、『人間革命』を「精神の正史」「信心の教科書」と位置づけている。
とはいえ、末端の学会員には今でも「『人間革命』は現代の御書」という者も多い。

 日蓮正宗(ニチレンショウシュウ)については、一般にはご存知ない方も多く、日蓮宗
と混同している向きも少なくないので、少し詳しく説明したい。

 日蓮正宗とは、富士大石寺を総本山とする日蓮系の小宗派である。身延山久遠寺を総本
山とする日蓮宗とは、同じ日蓮系と言っても教義がだいぶ違う。

 例えば、日蓮宗では仏像を礼拝するし神社にも参拝するが、日蓮正宗の教義では、どち
らも禁じられている。

 日蓮正宗では、宗祖日蓮を「末法の御本仏」という至高の存在にまで祭り上げ、大石寺
に安置されている「大御本尊」を、日蓮が「出世の本懐」として作った特別な本尊だとし
ている(日蓮宗の教義では「本仏」は釈迦如来である。当然だが、大石寺の大御本尊を特
別視することもない)。

 そして、「大御本尊」と大石寺の法主によるその複製だけが、正しい信仰の対象であり、
それ以外を拝むのは謗法(ホウボウ)――正法誹謗の略語だが、誤った信仰という意味だ
と理解してよい――とされている。

 創価学会も日蓮正宗から破門される前は、「富士大石寺の大御本尊を拝まない者はすべ
て謗法である」と主張しており、「登山会」と称して大石寺に参詣し、大御本尊を拝むこ
とが定例行事になっていた。

 大石寺の大御本尊については、実際には日蓮が作ったものではなく、後世に複製された
ものと見られている。この点については、犀角独歩氏をはじめとして、説得力ある論考が
少なくないことから、当ブログではこれ以上は立ち入らない。

 私の個人的な印象では、日蓮宗はいくらか排他的なところがあるとはいえ、他の日本の
伝統宗派と、それほど大きな違いはないという感じを受ける。

 対して日蓮正宗は、仏教というよりも一神教に近く、大石寺法主に特別な権威を認める
教義も、ローマ法王を「神の代理人」と見做すカトリックに似ているとも言える。

 さて、創価学会は平成3年(1991年)にその日蓮正宗から破門され、大石寺の大御本尊を
拝むことはできなくなったわけだが、教義を変更して「大御本尊を拝む必要はない」とし
たのは、ようやく平成26年(2014年)になってのことだった。

 それに合わせるため、『人間革命』の記述も書き改められた。「精神の正史」の内容を
都合が悪くなったからといって変更するのは、歴史の改竄ではないかと思われるが、創価
学会の幹部連中は、そんなことに頓着するようなタマではない。

 インチキ宗教の面目躍如といったところであろうか。参考までにコピペで引用した部分
がどう変わったかを示すので、比較していただきたい。


『人間革命』第二巻 初版:昭和41年(1966年)4月15日
>  戸田はまた、こう考えていた。
 (中略)
>  仏教といえば、往々にして高遠で霧に包まれたような、難解なものとされてきた。
> しかし、正法である妙法の眼をひらいて見れば、最も身近な、絶対の幸福確立法であ
> ることが、はっきりとわかる。時代の進展によって変更しなければならない教義や、
> 矛盾に満ちた宗教は、誤れる宗教と断定すべきである。


『人間革命』第2巻(第二版)初版:2013年2月11日
 彼はまた、こう考えていた。
(中略)
>  仏教といえば、往々にして高遠で霧に包まれたような、難解なものとされてきた。
> しかし、正法である妙法の眼をひらいて見れば、最も身近な、絶対の幸福確立法であ
> ることが、はっきりとわかる。


 現在、新刊で入手できる『人間革命』は、聖教ワイド文庫に収録されている第二版であ
る。そちらの方では、「時代の進展によって変更しなければならない教義や、矛盾に満ち
た宗教は、誤れる宗教と断定すべきである」という文章が削除されている。


『人間革命』第六巻 初版:昭和46年(1971年)2月11日
>  私が今、願うことは、なにがどうあろうと、なにがどう起きようと、日蓮正宗の信
> 仰だけは、絶対に疑ってはならぬということであります。

 ※ この一節は、昭和27年(1952年)7月8日の臨時幹部会における、戸田城聖の講演の一
  部である。


『人間革命』第6巻(第二版)初版:2013年6月6日
>  私が、今、願うことは、何がどうあろうと、なにがどう起きようと、この信心だけ
> は、絶対に疑ってはならぬということであります。


 第二版では、「日蓮正宗の信仰」が「この信心」に変更されている。
 『人間革命』第二版の変更点は、ここに挙げただけにとどまらない。はっきり言って、
キリがないほどある。

 『人間革命』の改変を見ても明らかなように、創価学会は、都合の悪い過去をなかった
ことにすることで、正統性を偽装してきたのであり、そうした誤魔化しなしでは成り立た
ない宗教である。

 「教義を変更するのは誤った宗教」と主張しておきながら、都合が悪くなると教義を変
更するなど、まともな思考力を持つ者から見れば、誰がどう考えてもインチキであろう。