2019年10月13日日曜日

日蓮正宗はカルトです

 前回、日蓮正宗の教義を示すために引用した『正しい宗教と信仰』(日蓮正宗布教研修
会編)には、「折伏弘教の手びき」という副題がつけられている。このことからも明らか
なように、同書は布教用のマニュアルとして執筆されている。

 その中には「日蓮正宗以外の宗教は、人間を苦悩の底につき落とす悪法」といった記述
もあり、さすが創価学会・顕正会の母体になっただけはあると感心させられる。

 また、他の宗教について「一見してインチキとわかるような宗教がたくさんあります」
と述べ、その例として「煙に触れるだけで無病息災になると説く宗教など」を挙げている
箇所もある。

 このようなマジナイには科学的な根拠がなく、効果など期待できないことについては、
私にも異論はない。だが、日蓮正宗にそのような批判をする資格があるのだろうか。

 当ブログでも以前ふれたが、日蓮正宗には「御秘符」と称するマジナイがある。これは
「法主の祈念が込められている」という食紅を飲むことで、病気が治る等のご利益がある
というものである。

 日蓮正宗に言わせると、煙に触れることで無病息災を祈ることは、「一見してインチキ」
だが、食紅を飲んで病気が治ると称するマジナイはそうではないらしい。

 多くの宗教は科学が未発達の前近代に起源を持っており、その中には現在では非科学的
と見られるような要素も少なからずある。しかしそれには致し方のない面もあり、特に害
のないものであれば、それらを「非科学的な迷信」としてあげつらう必要があるとは、少
なくとも私は思わない(積極的に宣揚しようとも思わないが)。

 だが日蓮正宗のように、自分たちがやっていることを棚に上げて、他の宗教を批判する
独善的な連中には強い嫌悪を感じる。

 そう遠くない過去に、「護符」と称して紙切れを飲むマジナイを大々的にやっていたに
もかかわらず、「他の宗教は非科学的」と言っている創価学会と日蓮正宗とは、似たり寄
ったりのカルトだと言えよう(そもそも両者は同根なのだから当然ではあるが)。

 日蓮正宗も、一応は伝統ある宗派の一つである。それにもかかわらず、他の伝統宗教と
比較して、首を傾げたくなる点が少なくない(創価学会や顕正会との関係を別にしてもそ
うである)。

 どの伝統宗派にも宗学というものがあり、宗祖の本来の教えがどのようなものだったか
を研究し、その伝統を守ろうとしている。

 例えば日蓮宗であれば、立正大学を設立して日蓮の思想について研究したり、その成果
として『昭和定本日蓮聖人遺文』等、学術的にも権威を認められている書籍を出版したり
している。

 しかし日蓮正宗は、『産湯相承事』をはじめとする後世に作られた偽書を核として「日
蓮本仏論」のような本来の日蓮の教えから乖離した教義を構築し、他の日蓮系宗派までも
邪教呼ばわりし続けているのである。

 日蓮正宗は他の伝統宗派よりも、いかがわしい新興宗教の方により近しい存在であると
言わざるを得ない。こういう胡散臭さが同類を招き寄せ、創価学会や顕正会を生む下地と
なったのではないかと思われる。


 以上、辛辣な見方を示しはしたものの、私は日蓮正宗が創価学会とまったく同じ程度に
危険で反社会的なカルトとまでは思わない(今のところは、ややマシだと思う)。

 創価学会員が「鳥居をくぐると地獄に堕ちる」と称して、神社に近づこうとしないこと
はよく知られた話であり、彼らの独善性を証明する事実でもある。

 学会員が神社を敵視する背景には、日蓮正宗から受け継いだ教義があるが、古くから日
蓮正宗の檀徒だった家系には、実際には神社に参拝する者も少なくないという。

 こうした事実から、日蓮正宗が独善的な傾向を強めたのは、創価学会から影響を受けた
結果ではないかとも考えられるのである。そのことを示す事例を以下に述べる。

 日本の伝統仏教には、地蔵信仰や観音信仰など、完全に土着化して習俗の一部となって
いる一面もある。

 現在の日蓮正宗の教義ではこうした信仰は「謗法」とされているが、日蓮正宗の信者が
地蔵信仰等について、昔から一貫して否定していたというわけではない。

 福島県会津坂下町にある日蓮正宗寺院・妙福寺には古くから地蔵堂があり、地元の人々
から篤く信仰されていた。

 ところが昭和28年(1953年)、妙福寺住職であった久保川法章氏が、この地蔵を謗法で
あるとして取り除こうとしたことから、信徒との間で争いが起こった。この際、創価学会
が久保川氏を支持したことから、問題が大きくなったという。

 この事件は、地蔵堂を妙福寺から切り離すことで決着したが、地蔵信仰を守ろうとした
古くからの妙福寺檀徒も、日蓮正宗から離れることになった。

 この出来事は『人間革命』第七巻にも描かれている(『人間革命』では、久保川法章氏
は「久川源章」として登場する)。

 『人間革命』によれば、久保川氏が昭和28年になって教義を厳格に解釈し、古くからの
地蔵信仰を敵視するようになったのは、創価学会員に影響されてのことのようである。

 このエピソードは「正しい信仰に目覚めた僧侶が、創価学会と協力して謗法に立ち向か
う美談」といった調子で『人間革命』には書かれていたが、現在市販されている聖教ワイ
ド文庫版『人間革命』からは削除されている。

 久保川氏が、後に創価学会に対して批判的な正信会に移ったことから、「美談」ではな
くなったということなのだろう。


 日蓮正宗の在家信者団体は「法華講」と呼ばれる。創価学会や顕正会も、かつては法華
講の一つだった。

 法華講の中でも、特に折伏を熱心に行っているのが妙観講である。元学会員も多く所属
していることから、創価学会と同様の体質を持っているらしい。

 昨今、創価学会を脱会して日蓮正宗の法華講員になる者も多いという。創価学会が弱体
化するのは結構なことだが、その結果として日蓮正宗のカルト的傾向が助長され、創価学
会と大差ない集団になってしまっては困りものである。

 実際、『正しい宗教と信仰』(日蓮正宗布教研修会編)は、その構成・内容が創価学会
がかつて出版していた『折伏教典』と類似しており、参照して執筆されたと見られる。

 創価学会は、カルトの害悪を日本社会に振りまいてきた。現在、彼らは衰退しつつある
が、その過程で別の問題を引き起こす可能性も否定できない。

 幸福の科学に入信した元学会員が、カルトの手口を伝授したのではないかという疑いも
あるのだ(「憧れの池田センセイ」参照)。

 こうしたことを踏まえて考えると、創価学会だけでなく、日蓮正宗や顕正会など、他の
カルトの動向もあわせて警戒する必要があるのかもしれない。 

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2019年10月6日日曜日

信心の血脈

 去る9月20日、日蓮正宗の第67世法主を務めた阿部日顕氏が逝去した(享年96歳)。

 ※ 誤解している方も少なくないが、日蓮正宗(総本山:富士大石寺)と日蓮宗(総本
  山:身延山久遠寺)は別の宗教法人であり、教義も大きく違う。日蓮正宗は、日蓮系
  宗派の中でも特に独善的な教義を持つ。創価学会はかつて日蓮正宗の傘下にあった。

 阿部氏は法主就任直後、創価学会に対して批判的な僧侶を大量に除名処分するなど、あ
たかも池田大作の傀儡であるかのごとく振舞っていたが、後に面従腹背し続ける池田に見
切りをつけ、破門処分を下した。

 それ以来、創価学会は、破門される前には「法主上人猊下」と呼んで表面的には敬って
いた阿部氏について、「先代から相承を受けていないニセ法主」と言いはじめ、「仏敵」
「天魔」などと罵り、撲滅唱題と称する呪詛まで行ってきた。

 年齢から言えば、阿部氏は大往生だったと言っていいと思われる。当然のことではある
が、多数の学会員による撲滅唱題は何の効き目もなかった。私は日蓮正宗から直接被害を
受けたわけではないので、一応は「ご冥福をお祈りします」と述べて置く。

 とはいうものの日蓮正宗が、創価学会・顕正会というカルトを2つも生み出したことは
否定できない事実である。両カルトが一般市民に迷惑をかけ続ける原因となっている独善
的な教義も、日蓮正宗に由来するものである。そこで今回は、日蓮正宗の教義、中でも彼
らの言う「信心の血脈」について検証したい。

 日蓮正宗は、「末法の御本仏」である日蓮の教えを正しく継承しているのは、自派のみ
だと主張し、それを以下のように説明している。


>  日蓮大聖人は入滅に先立って、門弟のなかから日興上人を選んで、本門戒壇の大御
> 本尊をはじめとする法門のすべてを相承し付属されました。
>  大聖人の精神と法義を固く守られた日興上人は、時あたかも地頭の不法によって謗
> 法の地になりつつあった身延の地を去る決意をされ、〈中略〉日本第一の名山富士山
> の麓に一切の重宝を捧持して弟子たちと共に移られ、そこに大石寺を建立されたので
> す。
>  その後、大聖人の仏法は第三祖日目上人、第四世日道上人と、一器の水を一器に移
> すように代々の法主上人によって受けつがれ厳護されて、現在御当代上人に正しく伝
> えられているのです。
 (日蓮正宗布教研修会編『正しい宗教と信仰』)

 ※ これはあくまでも日蓮正宗の主張であり、他の日蓮系宗派は引用の主張を認めては
  いない。


 日蓮正宗や創価学会では、日蓮以来の法統が相承を経て受け継がれていくことを「血脈」
という(あくまでも比喩であり、特定の家系のみが法主になれるというわけではない)。

 先に少しふれたが、現在の創価学会は、第67世法主を務めた阿部日顕氏は先代から相承
を受けていないので、信心の血脈は日蓮正宗から創価学会に移ったと主張している。

 そもそも、日蓮の教えが正統な仏法と呼べるかについては、これまでに論じてきたので
繰り返さない。また、阿部氏が相承を受けたか否かについても、今回は措く。

 日蓮正宗が主張する「血脈」は、果たしてどこまで史実の裏付けがあるのだろうか。
 結論から言って、極めて胡散臭いものだと言わざるを得ない。

 まず、日蓮正宗が第二祖と仰ぐ日興が、日蓮が指名した六老僧と呼ばれる高弟の一人だ
ったことは事実である。

 だが、日興だけが後継者として指名されたという主張に、他の日蓮系宗派が同意してい
るわけではない(日蓮宗は、同じく六老僧であった日向を第二祖としている)。
 
 また、日蓮正宗が教義上重視している古文書、『産湯相承事』『御義口伝』『百六箇抄』
『本因妙抄』は、後世に作られた偽書である(いずれも日蓮の口述を日興が筆記したもの
とされているが、日興直筆のものは存在しない)。

 日興が日蓮正宗総本山大石寺を開いたことは事実だが、現在の日蓮正宗の教義が日蓮・
日興に忠実だとは信じがたいのである(当然、創価学会・顕正会も同様である)。

 それに、日興が開山となった寺は大石寺だけではない。彼は北山本門寺(現在、日蓮宗
大本山)も開き、大石寺を日目に譲った後、晩年をそこで過ごした。「大石寺だけに日興
の法統が受け継がれている」という主張もまた信じがたい。

 日興には数多くの弟子がいたが、その一人、日尊は京都に要法寺(現在、日蓮本宗本山)
を開いた。

 実は江戸時代の大石寺法主には、要法寺から招かれた僧侶が少なくない。
 第18世日精、第19世日舜、第20世日典、第21世日忍、第22世日俊、第23世日啓はいずれ
も要法寺で出家し、その後、大石寺に移っている(日精を第17世とする説もある)。

 こうした経緯を見ると、要法寺に受け継がれた法統の支流が、大石寺にも伝わっている
と言った方がいいようにも思える。
 明治以降には、さらに異常な出来事が起こっている。

 先に引用したように、大石寺の法統は「一器の水を一器に移すように代々の法主上人に
よって受けつがれ」て来たものだという。要するに、先代法主が後継者を指名し、それを
相承の儀式によって宗内に周知してきたのである。これが守られてきたならば、後継争い
など生じようがないはずだ。

 だが実際には、次期法主を誰にするかについて争いが生じ、選挙で選ぶ事態が二度も起
こったという。

 大正15年(1926年)、第58世日柱を排斥する動きが宗内に起こり、後継者を選挙で選ぶ
ことになった。この時、堀日亨が選ばれている(堀氏は創価学会版『日蓮大聖人御書全集』
の編者ということになっている)。

 第59世日亨の後任を決める際にも混乱が起き、昭和3年(1928年)、またしても選挙に
より阿部日開――阿部日顕氏の実父――が第60世法主に選ばれたという。

 以上、述べてきたように、日蓮正宗の「信心の血脈」なるものは、相当にいい加減なも
のである。到底、唯一正統なものだとは言えない。

 そして、こうした胡散臭さを「地涌」などの怪文書であげつらってきたのが、他ならぬ
創価学会である。

 しかしそれは、天に向かって唾するが如き愚行ではないのか。
 日蓮正宗の法統がマガイモノだというなら、そこから派生した創価学会も当然にマガイ
モノであろう。

 阿部日顕氏に相承があろうとあるまいと、日蓮正宗は日蓮の仏法を正統に継承している
とは言えない。創価学会もまた然りである。

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2019年9月29日日曜日

創価批判コピペ集‐⑮(「創価学会員や顕正会員が強引な勧誘をする理由」他)

◇◆◇ 創価学会員や顕正会員が強引な勧誘をする理由 ◇◆◇

創価学会と顕正会は、何人もの信者を動員し、一人の標的を取り囲んで入信を迫るなど
の強引な勧誘を行ってきた。どちらとも日蓮正宗の信徒団体だったが、破門されている。

強引な勧誘を行うのも、両教団に共通した教義に理由がある。どちらとも「自分たちだ
けが唯一の正しい仏法なので、それを広めることは功徳になり、ご利益をもたらす」と
信者に教えている。両教団とも以下の宗教用語を用い、独善的な布教を正当化している。

聞法下種・・・信仰のない人に「正しい仏法」を説き聞かせること。平たく言えば勧誘。
発心下種・・・勧誘を受けた人が発心する(信仰に目覚める)こと。平たく言えば入信。

勧誘だけでも功徳になるが、入信させると更に大きなご利益があるとされる。要するに、
学会員も顕正会員も自分が得をすると信じ込んでいるから、強引な勧誘を行うのである。

※ どちらも独善的で相手の迷惑や常識に配慮することはない、超危険なカルトである。



◇◆◇ 創価学会の独善性 ◇◆◇

創価学会の教義では、「創価学会だけが正しい宗教で、ほかの宗教はすべて邪教であり、
その信者や無宗教の人は地獄に落ちる。救済されるのは創価学会員だけ」とされている。

そして学会員は「自分たちは唯一の正しい宗教を信じているから、そうでない人よりも
高い境涯にある。創価学会以外の考え方はすべて無価値で間違っている」と信じている。

だから彼らは、学会員でない者に対して「地獄に落ちるとも知らずに、間違ったことを
信じていて、何が正しいかも分からない愚かで哀れな連中」と考え、見下す態度をとる。

創価学会の幹部は、こうした教義で信者を洗脳して「唯一の正しい宗教を広めるために
勧誘すればご利益があるし、相手を救うことにもなる。感謝されて当然」と教えている。

学会員が相手の迷惑を顧みることなく強引な勧誘をするのには、このような背景がある。
洗脳を受けた者が覚醒することは少ない。カルトとは関わらないのが無難な対応である。



解説

 顕正会の正式な名称は「冨士大石寺顕正会」である。かつては創価学会と同じく、日蓮
正宗の在家信者団体であり、当時は「妙信講」と称した。

 創価学会も妙信講も、ともに国会の議決を得て国立戒壇を設置することを目指していた。
 国立戒壇が実現した暁には、日蓮正宗総本山大石寺の大御本尊がそこに安置される予定
になっていた。

 しかし、創価学会は世間のバッシングを受けたために、国立戒壇の設置を目指すという
教義を取り下げ、日蓮正宗も最大の信徒団体であった創価学会を支持する見解を出した。

 妙信講はこれに異議を唱え、あくまでも国立戒壇の実現を目指すべきだと主張し続けた
ために、昭和49年(1974年)、日蓮正宗から信徒除名処分を受けた。

 その後、妙信講は顕正会と名を改めた。彼らは現在も国立戒壇の実現を主張している。
 顕正会から見れば、創価学会は当初の理想を捨てた裏切り者であるため、激しく憎悪し
ている。創価学会も顕正会を敵視している。

 一般市民にとっては、どちらも大差ない、迷惑千万なカルトである。
 顕正会員も「創価学会の独善性」で述べた学会員の特徴とまったく同じように、独善的
な教義を信奉している。

 国立戒壇以外の両者の違いとしては、創価学会は池田大作、顕正会は浅井昭衛を「先生」
と呼ぶこと、創価学会員は全国に分布しているのに対して、顕正会員は関東地方に集中し
ていることくらいである(公明党を擁して公権力に食いこんでいる分だけ、創価学会の方
がより有害ではある)。

 笑止なことに、学会員には「顕正会はカルトだけど、自分たちはそうではない」と主張
する者が少なくない。両者は鏡写しのようにそっくりであるにもかかわらず……。

 上述したように、創価学会員や顕正会員は自分たちだけが正しいと信じ、強引な勧誘を
行う連中である。不愉快な目に遭いたくないのであれば、どちらとも関わりにならない方
がよい。平穏無事な人生には、カルトは不必要な存在である。

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2019年9月22日日曜日

「言論部」と「ネットリスク対策室」

 当ブログでもこれまで何回か言及してきたが、昭和55年(1980年)、池田大作の側近中
の側近だった原島嵩氏が造反し、創価学会の実態について週刊誌等での告発を開始した。

 それらの暴露の中に、聖教新聞の紙面には、池田大作による「作り記事」が頻繁に掲載
され、時には1面から7面までが池田が指示したとおりの記事で埋められることもあった
というものがあった。それに加えて原島氏は、こうも述べている。


> 「作り記事」はそれだけではありません。『寸鉄』などを使って池田氏が言いたいこ
> とを書くのはまだいい方です。問題は「声」の欄です。本当は、読者(会員)の声の
> すべてがそのまま反映されるべきページですが、ここには多くの作り記事があるので
> す。
 (中略)
>  池田氏自身が“読者の投書”を作ったこともありますし、多くの作り投書も、池田氏
> の指示でなされます。池田氏自身の“投書”で、私が最も印象に残っているのは、昭和
> 四十五年の、あの言論出版妨害事件で創価学会が社会の批判を受けていた当時のもの
> です。それは、他宗派(確か真言宗だったと記憶しています)の僧侶と名乗って書か
> れたもので、内容は、
> 「これだけ社会から学会員がいじめられている中で、創価学会が前進していることに
> 敬意を表する」
>  という趣旨のものでした。
 (『週刊サンケイ』1980年10月30日号)


 この記事で原島氏は、池田が聖教新聞に力を注いだ理由として「最大の関心事は自己の
“本仏化”と部数の伸びにあったように思います」とも述べている。

 私は原島氏が述べている「池田大作による投稿の自作自演」に興味を引かれ、当時の聖
教新聞を確認してみたところ、該当すると思われる記事を見つけた。

(『聖教新聞』昭和45年〔1970年〕3月2日付)

 ※ 池田センセイが真言宗の僧侶を名乗られたのは、以前にも述べたように「真言はい
  みじかりけり」との、日蓮大聖人の御金言に信服されていたからであろう(「日蓮と
  真言宗と池田大作」参照)。

 これは推測だが、池田大作は平成22年(2010年)に脳梗塞で倒れるまで、聖教新聞の編
集方針に口を出し続けたのではないかと思われる(独裁者が自らのパブリックイメージを
コントロールしようとするのは当然のことだ)。

 前置きが長くなったが、池田センセイを「師匠」として仰ぐ学会員たちが、彼を模範と
して行っていた活動として「言論部」というものがあった。


>  この昭和四十四年の言論妨害時には組織内に言論部という部門があり、学会批判者
> などへひどいイヤガラセをする担当者まで準備されていた。全国の各地域から一定の
> 役職以上の婦人部幹部、あるいは筆の立つ一般学会員を抜擢して言論部員に任命して
> おき、何か問題が生じるたびに各地の創価学会会館などへ招集をかけるのだ。なにし
> ろ七百万世帯を数える巨大集団だから、その言論部員は五人や十人ではない。本部か
> ら指示が出るたびに各地の部員たちは葉書を持ち寄り、多い場所では一ヵ所百人、百
> 五十人単位で集まった。
>  現場の一室では言論部担当の学会幹部から部員一人ひとりに具体的なテーマ、宛先
> までがふり分けられる。それぞれがせっせとイヤガラセの手紙や投書を書き、その場
> で書き上げるまで帰宅させない。これを全国数十ヵ所、数百ヵ所の各支部、各会館で
> いっせいにやるわけだから、標的にされた相手はたまらない。文字どおり、イヤガラ
> セの手紙が洪水のように流れこんでくることになる。
>  たとえばこの出版妨害事件の際、学会側から相手の弘達氏の自宅に投げ込まれたイ
> ヤガラセの投書類は優にミカン箱十箱分はあったろう。
>  この投書作戦のほかに電話作戦も強烈だった。やはり本部が学会員を総動員して、
> 学会批判をやったテレビ局やラジオ局、雑誌編集部をめがけどんどん電話をかけさせ
> た。個人宅にも「家に火をつけるゾ」「夜道に気をつけろ」といった脅迫電話が殺到
> したり、散々なイヤガラセ戦術が展開されたものである。
 (藤原行正著『池田大作の素顔』)

 ※ ここで言及されているのは、評論家の藤原弘達氏が『創価学会を斬る』を出版した
  際、創価学会が引き起こした騒動についてである。


 藤原弘達氏が平成11年(1999年)に逝去した際にも、「おめでとうございます」という
嫌がらせの電話がひっきりなしにかかってきたという。

 近年ではさすがにこれほどひどい話は聞かないが、創価学会の体質は本当に変わったの
だろうか。

 私見を述べると、彼らの体質が変わったのではなく、今のご時世にそんなことをすれば、
すぐにインターネットにさらされてしまうから、やらなくなっただけだと思う。

 「取り囲み折伏」のような迷惑行為を続けていることからも明らかなように、創価学会
の独善的で他者への思いやりに欠ける在り方は、現在でも昭和40年代と変わらないが、自
分の首を絞めるような愚行は避けるようになったということではないだろうか。

 また、どこまで組織的なものかは判断し難いのだが、5ch等ネット上の匿名掲示板では
創価学会への批判者を中傷する書き込みは珍しくない。

 「『創価学会員から嫌がらせをされた』と言っているのは、被害妄想に陥った統合失調
症患者」などと決めつける書き込みまである(「集団ストーカー」被害を訴えている人の
中には、実際に精神疾患のため被害妄想に陥っている人も、一定数いると推測されるのが
厄介ではあるが)。

 池田センセイの精神を受け継ぎ、匿名掲示板でかつての「言論部」と同様の活動を続け
ている学会員が少なからずいると考えられる。

 信濃町の学会本部にも、インターネット対策を専門とする部署があるとの情報もある。
 創価学会から除名処分を受けた元本部職員3人組が開設しているブログに、「私たちが
職員に在籍していた時にはすでに、青年職員が10数名ほど配属された“ネットリスク対
策室”のようなプロジェクトがあった」との記述がある。

 残念ながら情報が乏しいため、信濃町の「ネットリスク対策室」の活動実態には不明な
点が多い(この名称が正式なものかさえも分からない)。

 だが、3人組のブログにある「反学会的なツイッターやブログへの監視、荒らし行為な
どを行っているのではないか」という推測には説得力がある。

 ネットリスク対策室は、その他にも「検索エンジン最適化」なども手掛けていると考え
られる。「検索エンジン最適化」とは、Google等で検索した際、上位に表示されるように
ウェブサイトを最適化することで、主としてマーケティングを目的として行われる。

 創価学会は、学会員に見られたくないサイト――創価学会に対して批判的なブログ等―
―が、検索結果の上位に表示されないように工作しているのではないかと疑われる。

 一例を挙げると、しばらく前までは「創価学会」で検索すると、最も代表的な批判ブロ
グである「対話を求めて」が10位以内に表示されていたが、現在では「創価学会」で検索
しただけでは、このブログを見つけることは困難になっている(「対話を求めて」は、個
人運営にもかかわらず、900万以上という驚異的なアクセス数を達成したブログである)。
 
 繰り返しになるが、創価学会の反社会的体質は現在でもほとんど変わっていない。より
狡猾で目立ちにくい手法を取るようになっただけである。

 創価学会に関するマスコミの報道が減ってしまったため、現状についての情報を得るこ
とも難しくなった面もあるが、彼らが過去に何をやってきたかを知ることで、現在の在り
方についても推測することはできる。

 「言論部」が行ってきた嫌がらせ行為を、何十年も昔の問題として片づけるのではなく、
過去にそのような反社会行為に手を染め、現在も同様の体質を濃厚に受け継いでいる創価
学会が、今後も何らかのトラブルを起こすリスクは小さくないことを鑑み、警戒し続ける
べきだと私は考える。


お知らせ

 来週日曜日にかけて多忙なため、次回の更新は簡略な内容とさせていただきます。

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2019年9月15日日曜日

婦人部と「無冠の友」

 創価学会の活動において、中核的な役割を担っているのが婦人部である。
 婦人部の活動家は、座談会などの頻繁に開かれる創価学会の会合に参加し、会合がない
日も未活・非活――活動家ではない学会員――への家庭訪問や、聖教新聞の拡販活動など
に飛び回っている(「学会活動できるじゃない!」参照)。

 彼女たちは、敬愛する池田センセイの著書は必ず購入するが、学会活動があまりにも忙
しいため、それらの本を読む暇もないほどだという(婦人部に限らず、創価学会の活動家
の大部分には読書をする習慣はない)。

 学会員の中には、聖教新聞を一家で何部も取っているにもかかわらず、その紙面にはほ
とんど目を通さない者までいる。そんな人でも、数日に一度、必ず一面トップで掲載され
る、池田大作が海外から顕彰を受けたという記事は、ほぼ確実に目にしているはずである。

 聖教新聞しか購読していない学会員は、「池田先生は世界中から称賛されている。それ
は新聞でもよく取り上げられている、間違いのない事実」信じるようになるのだ。

 また、創価学会の会合でも、幹部は「池田先生は素晴しい方」「池田先生は学会員の幸
せのために、毎日、祈ってくださっている」と話す。学会員はそれを聞いて、「責任ある
立場の人も池田先生を称えている。先生はやっぱりすごい! そんな先生からご指導いた
だける私たちは幸せだ」などと、ますます思い込む。

 このようなマインドコントロールの結果、少なくない数の学会員が「池田先生は世界的
な偉人であり、その指導に従うことが正しい生き方だ」と盲信するようになっている。

 特に婦人部には、池田への崇拝がはなはだしい者が多く、創価学会の教義では表向きは
日蓮が「本仏」とされているものの、「現在では、日蓮大聖人の生まれ変わりである、池
田先生が末法の御本仏」とまで信じている者も少なくない(男性の学会員だと、そこまで
池田を崇める者は、婦人部と比較すると少ないようである)。

 池田センセイが健在だった頃は、彼と「特別な関係になりたい」と願う婦人部員も多か
ったそうである。


>  元青年部(男子部)の学会員は言う。
>  「そもそも創価学会という組織が内側で閉じているので、世界が狭いのだが、それ
> に輪をかけるように婦人部のメンバーは専業主婦が多い。まあ、学会サイドとしては、
> 毎日、会合だ何だって動き回るわけだから、もちろん外で仕事をしていない方が都合
> がいいわけだが、そういう女性たちは、現実の社会を知らないから、さらにもっと世
> 界が狭い。そんなんで『池田先生のためなら……』と邁進している人たちだからね。
> そういう人たちに、もし、『池田先生だって、間違うことだってある』なんて言った
> 日には、総スカンですよ。まあ、婦人部の十人中九人は池田の“お手つき”になりたい
> と思っている連中ですから」
>  ちなみに、この「十人中九人」という割合について、別の元学会幹部にぶつけたと
> ころ、「ちょっとその数字はオーバーですが、まあ、そういう女性が婦人部には多い
> ことは間違いありません」とのことだった。
 (古川利明 著『システムとしての創価学会=公明党』)


>  その一方で女性会員の中には、池田崇拝が高じて、池田と握手をすればその手を洗
> わないとか、池田が死んだら自分の命もないんだと思い込んでいる人さえ実際にいる
> のである。婦人部幹部などでも、とくに、創価学会が絶頂期へ向かっていた昭和四十
> 年前後は滅茶苦茶だった。池田大作を宗教上の師匠として尊敬すると同時に魅力あふ
> れる男という視線で凝視し心ときめかせるタイプが少なくなかったのである。
>  彼女たちは池田の目にとまりたいと願い、池田との親しさを競いあい誇示する。
> 「お手付きになりたい」との声まで出る始末だった。あげくに、その念願をはたした
> 当人たちは池田会長との特別の関係をほのめかして他に威張り、周りは「いいですね
> え」と羨ましがった。いってみれば人気スターと熱狂的ファンの関係、世間流にいう
> とそうなる。
 (藤原行正 著『池田大作の素顔』)


 池田センセイは身長160センチ足らずで、贅沢三昧の結果として、でっぷりと肥え太っ
ていた。お世辞にも女性からモテそうではないが、文字どおりの狂信で目が曇っていた婦
人部員にとっては、魅力的だったのである。

 当ブログでも何度も取り上げてきたように、池田大作は週刊誌等で何度も女性スキャン
ダルを報じられたが、池田と直に接する機会のない、末端の婦人部員たちは「池田先生が
ふしだらなことをするはずがない。週刊詩に書いてあることは全部デマ」として、一顧だ
にしなかった。

 「池田先生のお手つきになりたい」と願いながら、同時に「池田先生がふしだらなこと
をするはずがない」と信じるのは矛盾しているようだが、藤原氏が述べているように、婦
人部員にとって池田センセイは偶像(アイドル)だったのだろう。

 聖教新聞の配達員を創価学会では「無冠の友」と呼ぶが、その多くは婦人部員である。
 池田を崇拝する彼女たちは、「池田先生のお手紙」である聖教新聞を配達することこそ、
何よりも功徳になると信じているのだ。


> 「私はずっと無給で聖教新聞の配達をしてきました。会長先生の御手紙を配達させて
> いただいているんだ、むしろ感謝しなさい、朝日新聞を撲滅しようといわれ、すっか
> りその気になっていました」
>  聖教新聞の配達員を十五年間余り続け、地区幹部でもあった東京都内の元学会員M・
> Eさんはそう話し始めた。
> 「でも、妊娠したので辞めさせてくれと申し出たら、当時の販売店主に『とんでもな
> い、そんなことしたら功徳がなくなる、続けることがたいせつだ』といわれ、ついに
> 流産してしまったときはつらかった。罰があたったといわれました。何かまずいこと
> があると、それは全部こちらの罰。いいことは全部、池田先生のおかげ……集金でき
> ない場合は、不信心扱いされるので自腹を切るのがあたりまえ。引っ越す人が出たら、
> そのぶんを、広宣流布に役立つと思い自分が引き受けます。だから、トータルの販売
> 部数も収益も絶対に減らない、そんなしくみになっているんです。
>  配達料が出ても、みんな広布(広布基金)へまわしてしまう。みんなもっていかれ
> てしまう。以前は新聞を廃品回収に出せばいくらかの金をくれましたが、その金すら
> カンパへまわします。また、選挙になればF闘争(賛同者の獲得運動、Fはフレンド
> の略)の費用は自分持ち、おまけに候補者へもカンパ。いつも金、金、金の世界です、
> あそこは。私は聖教新聞を三~五部とっていたし、それに公明新聞、創価新報(隔週
> 刊)、大白蓮華(月刊)聖教グラフ(現・グラフSGI)なども随時とっていたので、
> 一か月の持ち出し金額は万単位にのぼっていました。私は幸せになりたかった、でも、
> 逆にどんどん吸収されてしまい、池田だけ幸せになった……いまでもにえくり返る思
> いがしますが、脱会して本当の心底からの喜びを知りました」
 (野田峯雄 著『増補新版 池田大作 金脈の研究』)


 引用した実態を表現するのに、「搾取」以上に適切な言葉を私は思い浮かべることがで
きない。妊娠した女性に対して「やめたら功徳がなくなる」と脅して働き続けさせ、それ
で流産すれば、今度は「罰があたった」と貶す。あまりにもひど過ぎる話である。

 女子高生を妊娠させたりレイプ事件を起こしたりと、下劣なスキャンダルに事欠かない
池田大作を、「末法の御本仏」として崇拝する創価学会の信仰は、滑稽としか言いようが
ない(「個人崇拝の実態」参照)。

 だが、愚劣な個人崇拝を利用して「無冠の友」と称する搾取的な労働を押しつけ、さら
にわずかばかりの配達料までも広布基金等で吸い上げるという創価学会のやり方は、あま
りにも悪辣であり、先の引用のような目に遭った人までいる事実を笑うわけにはいかない。

 池田大作がいなくなれば、マインドコントロールから覚醒する学会員も増えるであろう
が、創価学会側もそれを阻止しようと池田の神格化を図ると予想される。

 バカげたカルトの被害者を減らすためにも、創価学会の悪質な実態を広め続けることに
は意義がある。私としても、今後とも微力ながら社会貢献できるよう努めたいと思う。

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2019年9月8日日曜日

「集団ストーカー」は実在するか? 2 ― 町内会・PTA等への浸透 ―

 前々回、創価学会のF取りにおいて、標的とされた人の情報を関係する学会員の間で共
有する場合があると述べた。

 こうした情報の共有は、折伏に際しても行われている。「取り囲み折伏」の場合、事前
準備としての情報共有は当然なされるだろうが、一対一の折伏の場合でも、標的の情報を
他の学会員にも教えることが多いようである。


>  学会員のメイン活動の一つは折伏(非学会員を、正しき法である日蓮仏法を実践し
> ている創価学会に入信させること)だが、実際に折伏する前、入信させたい人の名前
> を書いた紙を仏壇に備えて祈りまくる。地域のメンバーが拠点の家にきて、一緒に仏
> 壇に向き合い、折伏が決まることを祈るのは日常茶飯事。勧誘された人が、いろんな
> 学会のメンバーを紹介されると、なぜかすでに自分の名前をばっちり覚えられている。
> それは事前に祈り込みされているからだ。とはいえ、勧誘される人が学会員宅にきて、
> 仏壇に自分の名前が書かれた紙が供えられているとさすがにビックリするだろうから、
> 訪問前に仏壇から取り外すことが多い。
 (創価学会ルール研究所 著『創価学会あるある』)


 知らない間に、自分の名前を書いた紙を創価学会の仏壇に供えられ、しかも折伏の成功
を願って祈られるというのは、かなり薄気味悪い話である。

 実を言うと、私も折伏を受けた際に、相手の学会員から「お前が創価学会に入るように、
みんなで祈ったんだぞ」と言われたことがある。

 以前も述べたとおり、私はこれまでに何度も学会員から折伏を受けたことがあるが、す
べて退けてきた。言うまでもなく、その時も断った。

 私を折伏しようとした学会員は、久しぶりに会った学生時代の知人だったが、数日後、
同じ職場で働いてはいるが、部署が違うために一度も話したことがない人から唐突に話し
かけられて、「あなたは何故、創価学会に入らないのか」となじるように言われ、驚いた
経験がある(その人が学会員であることも、それで知った)。

 おそらく創価学会では、折伏について祈願する際に、氏名等の標的の個人情報を共有す
るだけでなく、作戦会議のようなことも行っているのであろう。

 創価学会では、折伏により新たな信者を獲得することは何よりの功徳であり、ご利益を
もたらすと信じられている。ご利益ほしさに相手の迷惑を顧みず、強引な折伏をする学会
員も少なくない。

 そうした学会員は、「創価学会だけが正しい信仰であり、他の宗教の人は地獄に堕ちて
当然なのだから、折伏を受けた人は感謝して創価学会に入るべきなのだ」などという、自
己中心的な考え方をしている。

 このような妄念を持った連中が、折伏を断られた時、どんな反応をするかは想像に難く
ない。

 創価学会において信仰の指針とされている聖教新聞には、数年ほど前まで、他の宗教や
脱会して批判者に転じた元学会員に対する口汚い誹謗中傷が、ほとんど毎日のように掲載
されていた。学会員にとって、敵対者に罵詈雑言をぶつけることは信仰なのである。

 折伏を拒んだ者は、即ち創価学会を認めない者であり、学会員がそのような人をよく言
うわけがないのだ(折伏の成功を祈願をしていた場合、「何時間も祈ってやったのに!」
という憤りもあって、なおさらのことそうだろう)。

 学会員たちが彼らの間だけで、勧誘を断った人を悪しざまに言うのであれば、さしたる
実害はないかもしれないが、「仏敵撲滅唱題」などという呪詛を喜々として行う連中が、
そんなに甘いわけがない。外部の人にも悪口を言いふらすだろう。

 もちろん、一般の人に対して「誰それは創価学会への入信を断ったから悪人だ」などと
は言わないだろう。「素行に問題がある」等の外部の人間にも聞き入れられ易い言い方を
するはずである。

 厄介なことに学会員は、自治会・町内会やPTAなどの地域コミュニティーにも浸透し
ている。

 創価学会は平成11年(1999年)、「地域本部」を設置し地域社会への「友好活動」を重
視することとした。


>  「友好活動」を広範囲にという「地域本部」設立の目的は、布教と同時に選挙活動
> の拡充にほかならない。その地域本部・地域部が、各方面区地域幹部を対象に配布し
> たのが、以下の内部文書である。
>  「今後の地域部のあり方
>  地域部員は以下の地域役職を有する人で、圏(区)地域部長が認定した人とする。
>  (1)地光会 町会・自治会(これに準ずる地域組織)の三役クラス
>  (2)盛光会 商店街の三役クラス
>  (3)寿光会 老人会の三役以上
>  (4)福光会 民生委員・保護司
>  (5)学光会 PTAの三役クラス
>  (6)勇光会 消防団
>  (7)慈光会 青少年委員、交通安全委員、体育委員など公的ボランティア
>   ★原則として現職。OBについては人によって可。」
>  商店会、老人会、民生委員、PTA,消防団、青少年委員会、交通安全委員会、体
> 育委員……いずれも地域住民の快適な生活をサポートする、公共組織としての色が濃
> い機関である。そうした地域のリーダー格である各機関の三役クラスを、学会は、
> 「地域部員」として認定しようという内部文書だ。
>  全国地域の公共機関をここまで細分化、浸透させ、「友好活動」を推進しようとす
> る創価学会の緻密な地方戦略には、目を見張るものがある。
 (乙骨正生+フォーラム21 編『公明党=創価学会の深層「自・創」野合政権を撃つⅢ』
  所収 段勲 著「集票に貢献する『地域本部』と『芸術部』」)


 町内会・自治会やPTA等は地域にとって重要なものではあるが、その役員になると活
動のために少なからぬ時間と労力を割かなければならない。そのため、こうした地域活動
の役職に就くことを忌避する人も多い。

 このような背景につけ込んで、創価学会員は地域活動の役職等を積極的に引き受け、折
伏やF取りに利用しようとしているのだ。

 地域にもよるだろうが、創価学会の座談会に町内会やPTAの役員が勢揃いしていると
いう、笑えない状況になっているところもあるのではないかと思われる。

 そうした地位にある者たちが結託して悪い噂を流せば、その標的にされた人の評判を、
極めて効果的に失墜せしめることが可能だろう。

 創価学会員は「仏法(=創価学会)は、国法や世法(常識・道徳)に優先する」という
教義を信奉している連中である(「反社会的な教義」参照)。

 地域のために責任を負うべき立場にあったとしても、その者が学会員であった場合、信
仰の論理を優先させ、立場を悪用して折伏に応じなかった者を貶めようとすることは、大
いにあり得ることなのだ。

 心を病んだ人が「特に悪いことをしたわけでもないのに、周りの人が自分の悪口を言っ
ている」という被害妄想を抱くことがあるが、創価学会から敵視されてしまった人の場合、
妄想でも何でもなく、実際にそのような苦境に立たされかねないのである。

 これまでの人生で、創価学会員からF取りや折伏を受けた経験がないという幸運な方に
は想像できないかもしれないが、学会員は常識では考えられないような言動をする連中で
ある。

 何度でも繰り返すが、創価学会は邪悪なカルトである。しかも、学会員は今なお数百万
人もいる。事実上、日本中いたるところにいるのだ。その危険性に対しては、他のカルト
以上の警戒が必要であろう。


追記

 評論家の佐高信氏とテリー伊藤氏との共著『お笑い創価学会 信じる者は救われない』
が出版された際、版元には多数の読者からの手紙が寄せられたという(七割が賛同で、三
割が批判だったとのこと)。

 同書は後に文庫化されたが、佐高氏は文庫版あとがきで読者からの手紙のいくつかを紹
介している。その中に、次のようなものがあった。

>  また都の教員をやっている人は、「勇気ある著書、ありがとうございました」とい
> う書き出しで、学会員の教員の比率が着実に増えていることに言い知れない恐怖を抱
> いてきた、と訴えてきた。
>  同じ職場に必ず数名の学会員職員がおり、軽く話したことでも、あっという間に、
> 地域の学会員保護者を巻き込んでそれが広がるという実感があるとか。
 (佐高信・テリー伊藤 著『お笑い創価学会 信じる者は救われない』文庫版)

 地域社会の中に創価学会員だけのコミュニティーが別にあり、それを介して様々な情報
が共有されていることに不安を感じている人が、それなりの数いるのだと思われる。

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2019年9月1日日曜日

エア本MADについて

 表題については既にほとんどの方がご存知のため、説明は不要かもしれないが、簡単に
述べると「エア本」とは、創価学会の外郭企業・シナノ企画が作成した信者勧誘用のビデ
オ『すばらしきわが人生』『Future』等を元ネタとしたMAD動画のことである。

 2007年(平成19年)11月30日、「久本雅美の頭がカービィのBGMに合わせて爆発し
たようです」がニコニコ動画に投稿されたことをきっかけとして、創価学会をネタにした
動画が次々に公開された。

 しかし、2012年(平成24年)、創価学会員である星野康二氏がニコニコ動画を運営する
株式会社ドワンゴの社外取締役に就任して以降、創価学会側の著作権に基づく要請により、
こうした動画が大量に削除された(エアコースト事件)。

 エアコースト以後、削除を避けるために、シナノ企画の動画をモチーフとした手書きの
イラスト等を用いてMAD動画を作る動きが広まり、現在に至っている。

 以下、エア本MADについての私見を述べる。
 端的に言って、これらの動画は創価学会への批判的意図に基づいて作成されたものであ
り、私としてはその心意気を高く評価している。

 ニコニコ動画やYouTubeの登場により、権力や財力を持たない普通の人々でも、自分の
主張を動画という形で発信出来るようになった。

 創価学会を揶揄するMAD動画には、それまで押さえつけられていた市井の人々による
巨大教団への異議申し立てという意義もあったと思う。

 しかしながら、批判のために作成されたものだったとしても、著作権を侵害していれば、
権利者の申し立てにより削除されてしまうことがあるのは、致し方ないことである。

 模範的な批判とは、明晰な論理により対象の輪郭・限界を描き出しすことで、その本質
や問題点を鋭く指摘しつつ、しかも法的にも道義的にも瑕疵のないものであるべきなのだ
ろう。

 だが、そのようなインテリ然とした非の打ち所がない批判は、ともすれば高踏的なもの
となり、「大衆の原像」から乖離したものとなってしまうきらいがあるのではないか。

 様々な欠点を内包しつつも、一面では正鵠を射ている、大衆の声とは本来そのようなも
のであるはずである。

 池田大作名誉会長は公明党の創立にあたり、その理念を「大衆とともに語り、大衆とと
もに戦い、大衆の中に死んでいく」と語ったという。

 正当な権利の行使とはいえ、権柄ずくで大衆の声を封じ込めようとするやり方を創価学
会が取るようになったことは、彼らが池田センセイから離れ、当初の志を失ってしまった
ことの現れなのかもしれない……。


動画紹介

 代表的なエア本MADをいくつか紹介する。
 未視聴の方は、この機会に是非一度ご覧いただきたい。

 ※ 最初の二つ「マチャリョシカ」「創価100%狂気」にはメッセージ性の強い歌詞が
  付されているので、予備知識がなくても楽しめるが、他は元ネタの知識がないと分か
  りにくいかも……。

マチャリョシカ
 今や国民的アーティストとなったハチ氏の初期の楽曲「マトリョシカ」の替え歌。

創価100%狂気
 人気アニメ「忍たま乱太郎」主題歌の替え歌(この作品はエア本MADではない)。

決戦!サルーイン Parn Battle With SGI All Stars
 人気RPG『ロマンシング サガ』を元ネタにした作品。

Q.Q.T.T.Q.T.T.
「すばらしきわが人生part4」に登場する杉並区の婦人部員、斉藤ふさ子さんの名言「ク
ンツォ!」をモチーフとした作品。

運営に消されてすぐ増える ~ 狂気の必須アモト酸
 人気STG『東方プロジェクト』を元ネタにした作品。「東方頭破七分」というジャンル
に分類される。

D.S池田先生は完成しているのか?最終鬼畜カルト教団・SGI
 東方頭破七分の一つ。

hrhr
 深遠より呼び覚まされし真なる恐怖。その正体は、南太平洋の海底都市に眠る邪神の眷
属とも、南極大陸狂気山脈に跋扈する不定形生物とも言われるが、実は「月のウサギ」な
のだとか……。

池田が膣から生えて来るんだw
 エアコーストを諷刺した作品。


補足
 リンク以外にも優れたエア本作品は多いので、興味のある方は検索していただきたい。
 また、エア本についてより詳しく知りたい方は、以下が参考になると思う。

 頭がパーン@wiki

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2019年8月25日日曜日

「集団ストーカー」は実在するか? 1 ― 「張りつき」と「取り囲み折伏」 ―

 「集団ストーカー」という言葉から、胡散臭い印象を受ける方も少なくないことと思う。
 それには致し方ない面もある。ネット上で見られる「集団ストーカーの被害を受けた」
という主張の中には、心を病んだ者の被害妄想ではないかと疑われるものも少なくない。

 しかしながら、創価学会について言えば、彼らが何人もの学会員を動員し、一般人に心
理的圧迫を加える行為を組織的に行っていることは、間違いのない事実である。

 例えば前回まで論じてきた「F取り」では、一人の標的に対して、複数の学会員で繰り
返し投票依頼を行う場合がある。


>  例えば、もし支援を依頼したFが「家族や知人にも公明党に投票するよう頼んでみ
> るよ」と言ってくれれば、活動家は目を輝かせて歓喜するに違いない。それは、Fか
> らより確実な投票が期待できるマルFへの“昇格”を意味するからだ。
>  また、Fに対し複数の活動家が支援依頼を行えば、「Fが重なれば票が固まる」と
> の理由から投票してくれる可能性が高まると考えられているという。
 (『週刊ダイヤモンド』2018年10月13日号)


 これは仮定の話だが、あなたが近所に住む学会員A――自宅にも公明党のポスターを掲
げる熱心な活動家――から「今度の選挙で公明党に投票してほしい」と依頼され、承諾し
たとしよう。

 その数日後に、職場の同僚Bから「公明党に投票してくれるんだってね。忘れずにね」
と念押しされたとする。

 Aが学会員であることは以前より知っていたが、Bまでもが学会員だったことをこの件
で始めて知った場合、居住地と職場という別の場所での知人が、実は創価学会を通じてつ
ながっていたことになり、たいていの人は驚くことだろう。

 それだけでなく、公明党への投票依頼に応じたという、自分に関する情報が共有されて
いたということでもあり、薄気味悪くも感じるのではないか。他にどんな話をされている
かと、不安に思う人もいるはずである。

 また、創価学会員は標的とした相手に対し、常識では考えられないような執着を見せる
ことがある(経験したことのない人には分からないかもしれないが、連中はとにかくしつ
こい)。


>  F作戦に絡んだ言葉に「張りつき」がある。会社から帰宅する友だちをFにするた
> めに、家の前で待つことをいう。
> 「定時に帰る人ばかりではありませんからね。二、三時間車の中で、Fにしたい人が
> 家に戻るのをじっと待つ。F取りがうまくいかないと、幹部は“張りつけ”って言いま
> すよ」
>  選挙期間中の学会員は、張り込みが得意の刑事さんに早変わりするというわけだ。
 (別冊宝島『となりの創価学会』所収 
  村山和雄・原田信一 著「これが学会選挙の舞台裏だ!」)


 選挙のためにここまでする者は、創価学会員以外にはそうはいないだろうし、こんなこ
とをされる側にとっては、とんだ迷惑である。

 学会員による迷惑行為は、「F取り」だけではない。
 実際に公明党に投票するなどし、創価学会に対して理解があると思われた場合、入信の
勧誘、つまり「折伏」の標的にされることもある(F取りに協力しなくても、折伏の標的
にされることもあるので要注意)。

 当ブログをご覧の方の中にも、複数の学会員に取り囲まれて折伏され、不愉快な思いを
したことのある人もいらっしゃることと思う。

 学会員は口実をつけて標的を呼び出し、何人もで取り囲んで入信を迫ることがある。こ
れを「取り囲み折伏」という。逃げられにくい状況を作るのと、数をたのんで圧伏しよう
という意図があるものと考えられる。
 
 呼び出す際の口実は「是非、話を聞いてほしい人がいる」とか、「芸能人が出演してい
るビデオの鑑賞会がある」と、折伏であることを隠すことが多い。「趣味のサークル」な
どと、ウソをつく場合もある。

 取り囲み折伏ではいきなり本題に入る場合もあれば、久本雅美などの学会員の芸能人が
出演しているビデオを鑑賞してから、入信を迫る場合もある。

 折伏経験が豊富な学会員が中心になって喋り、創価学会独自の宗教用語を連発して自分
のペースに巻き込み、議論になれば「ああ言えばこう言う」を地でいく屁理屈を弄する。

 標的が頑として応じなければ、周りの学会員も一緒になって「創価学会に入らないと地
獄に堕ちる」などと脅したりもする。

 入信を拒む人の方が多いだろうが、長時間の折伏に根負けして、入会手続きに同意して
しまう人もいる。

 いずれにせよ、標的とされた人のほとんどは、口車に乗せられてその場に来てしまった
ことを後悔することだろう。

 創価学会は、このような行為を組織的に行っているのだ。こんな目に遭った人が「創価
学会員につきまとわれて、怖い思いをした。集団ストーカーの被害を受けた」と言い出す
のは当然である。

 ことによると、迷惑行為で一般市民を苦しめている当の本人が「私たちはF取りや折伏
などの学会活動で忙しい。一般人にストーカーとかするわけない。『創価学会が集団スト
ーカーをしている』などと言っているのは、被害妄想に取りつかれた統合失調症患者に決
まってる」と、本気で思い込んでいるかもしれない(学会員の身勝手さを考えると、あり
得ないことではない)。

 創価学会は日本最大のカルトであり、その信者はいたるところにいる。今まで被害にあ
ったことのない人も、十分に注意していただきたい。


補足1 「集団ストーカー」という言葉について

 私はこれまで「集団ストーカー」という表現を用いることを避けてきた。
 その理由は、この言葉に手垢がつき過ぎているからである。

 本文でも述べたが、ネット上での「集団ストーカー」被害の訴えの中には、統合失調症
などの精神疾患を病んだ者による被害妄想でないかと思われるものが少なくない。

 その一方で、「集団ストーカー」という言葉は、一人の標的を大勢でつきまとって苦し
めることを、的確に言い表してもいることから、悩んだ末、今回はこの言葉を用いること
にした。

 上述のように、創価学会は組織的な迷惑行為を現在も続けている。
 「集団ストーカーは統合失調症患者の被害妄想」という主張の中には、創価学会員によ
る隠蔽工作もあるのではないかと疑われる。この件については、稿を改めて論じたい。


補足2 「取り囲み折伏」の実態

 元学会員や活動家をやめ非活になった方のブログの中には、取り囲み折伏の経験を述べ
ているものもある。興味のある方は、以下をご覧いただきたい。

  創価学会を卒業します!

  創価学会は本当に正しいのか?

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2019年8月18日日曜日

F取りの実態3 ― 公明党の票田 ―

 これまで見てきたように、創価学会員は時として戸別訪問のような違法行為に手を染め
てでも、公明党の得票を増やすために活動してきた。

 だが、学会員から依頼されたからといって、言われるままに公明党の候補者に投票する
一般人が、それほど多くいるとは考えにくい。

 学会員でもないのに公明党に投票するのは、どのような人たちなのだろうか。今回はこ
の疑問について考える。
 まず、前回に引き続き、信平信子氏の証言を引用する。


>  F取りと不在者投票での作戦が渾然一体となった作戦にはこんなものがあります。
>  例えば病院の票というのは馬鹿になりません。
>  大きな病院になると、そこだけで何十、何百という票になるのです。
>  五十ベッド以上の病院に入院している患者には不在者投票がおこなわれます。選管
> の人間がついて来て、ある日、不在者投票をおこなうのです。しかし、これは一斉で
> はなく、それぞれの病院で日程が違います。
>  学会では各病院に学会員の看護婦を送り込んでいますから、その日程が逐一、情報
> として入ってくるんです。
>  幹部はその日程を表にして壁に貼り、その日に向けて対策を立てていく。
>  二、三カ月前から、婦人部は徹底した見舞い作戦を始めます。学会員が入院してい
> る部屋を足場にして、一つ一つの病室を固めていくんです。
>  お見舞いの際に果物や菓子をお裾分けして入院患者と親しくなり、選挙前になって
> 初めて投票依頼をするんです。
>  中には教えても、すぐ候補者の名前を忘れる老人だっていますから、そんな人には、
> 手のひらに候補者の名前をマジックで書いたりもします。もちろん、担当の部屋は婦
> 人部で決め、見舞いの品など全て個人の持出しです。自分の功徳のためにやるんです
> からそれは当然なんです。
>  だから、婦人部の会合では、病院で知合いの老人が死んだりすると、
> 「ああ、これで一票減ってしまった」
>  なんて、不謹慎な話が飛び交ったりもするんです。
 (『週刊新潮』1996年3月7日号)


 病院に入院している患者の中には、高齢により正常な判断力を失っている者も少なくな
い。創価学会はそのような人を標的とし、「手のひらに候補者の名前をマジックで書いた
り」して、公明党の得票を増やしていたのである。

 創価学会婦人部の活動家の中には、一人でF票を百以上も集める猛者もいるというが、
それにはこのようなカラクリがあったのだ。

 公明党のもう一つの票田は、創価学会から仕事をもらっている企業の社員だ。
 創価学会は、信濃町本部や地方会館に勤務する職員、民主音楽協会やシナノ企画などの
傘下の団体・企業を合算すると、約5000人もの職員を擁する巨大組織である。

 また、聖教新聞の売り上げだけでも年間1000億円以上あり、財務等の「お布施」でも巨
額の資金を集める超金満教団でもある。

 様々な物品の購入や役務の提供など、創価学会との取引で潤っている民間企業は少なく
ない。創価学会はそのような企業に対して、公明党の票の取りまとめを依頼している。


> 〈特定団体への協力依頼について〉
>  こう題された社内メールを受け取った大手旅行代理店「JTB」グループの中堅男
> 性社員が明かす。
> 「任意の協力とはいえ、特定の候補者の応援署名を集めろというのは入社してから初
> めて。しかも、それが創価学会からの要請で公明党を応援するというんだから驚きま
> した」
>  文書は11月27日付で、JTB取締役旅行事業本部長の名前で社員向けに送られた。
> 文書にはこうある。
> 〈国内研修会をはじめとした各種需要を頂戴している創価学会様より、支援政党であ
> る公明党への支援要請がJTBグループにあり、営業政策上の観点から各事業会社に
> おいても可能な範囲での協力を求められております。
>  まず東京・神奈川・千葉に住む社員には比例代表向けに〈公明党の政治活動を支援
> します〉と題した用紙への署名集めを、太田昭宏国交相と前職の上田勇氏がそれぞれ
> 出馬した東京12区と神奈川6区の居住者には各候補の支援者名簿を作るための署名集
> めを要請している。
 (『週刊ポスト』2014年12月19日号)


 上記は平成26年(2014年)12月14日に投開票が実施された、衆議院総選挙を特集した記
事の一部である。

 JTB社員が求められたのは「任意の協力」だったとはいえ、取締役営業部長名で送ら
れ、「営業政策上の観点から」求められた要請を退けるのは、心理的な抵抗があったので
はないかと思われる(サラリーマンなら、出世への影響が脳裏をよぎるだろう)。

 創価学会によるJTBへの要請を週刊ポストが記事にしたのは、社員がリークしたから
であろうが、同様の要請が他の取引先に対してもなされた可能性は高い。

 創価学会が行っている取引の中でも特に金銭的に大きいのは、何と言っても会館等の建
設である。彼らは日本のどこかで、恒常的に新しい施設を建設中である。

 そうした背景もあって、会館建設を請け負うゼネコン各社は、公明党の票集めに非常に
協力的だという。F票の大半は建設業界によるものとの報道もある。


> 「選挙で勝つことは、信仰そのもの」――学会員の多くはそう語る。“池田教”とも言
> われる今の学会にとって、選挙こそが最も高揚感を抱くことのできる“宗教行事”だ。
>  そうやって獲得されるのが、全国七百万以上の学会票だ。ただ、近年は「F(フレ
> ンド)票」でかさ上げされているのが実態だという。その大半は建設業界から回され
> てくる票だ。全国で会館をつくり続ける学会はゼネコンにとって大の得意先である。
> 「建設関係にお願いすれば、名簿出しから投票の連れ出し(=学会で『Z』と呼ぶ活
> 動)までしてくれましたね」――。選挙活動について元本部職員はそう振り返る。
 (『文藝春秋』2015年1月号)


 創価学会は、直接、票を金で買っている訳ではないし、要請に応じなければ取引を切る
と脅したといった報道があった訳でもない。だから、こうした行為を犯罪だと断定するこ
とはできない。

 しかし、金銭の授受を伴う取引関係を利用して票の取りまとめを依頼するのは、問題の
あるやり方である。グレーゾーンの中でも、黒に近い方と言ってもいいのではないか。

 創価学会員による公明党の選挙運動の実態は、「公明選挙」よりも「金権選挙」の方に
ずっと近いと思う。

 買収などの経済的な利益に理由づけられた選挙違反は、許されない犯罪ではあるものの、
動機だけならば理解できなくもない。

 だが、「選挙で勝つことが信仰」だとか、「公明党に投票する人を増やすと功徳がある」
だとかいう理由で身銭を切ったり、法に触れるリスクを冒して選挙運動を行うというのは、
常軌を逸していると言わざるを得ない。

 もちろん、創価学会員の中には、公明党議員の口利きで生活保護を受給するなど、選挙
で公明党候補が当選することから利益を得ている者もいる。

 そういう人にとっては、選挙運動には経済的見返りがあることになるが、多くの学会員
は、そのような目に見える利害関係ではなく、信仰(=公明党の選挙運動)が、超自然的
な力で「ご利益」をもたらすと純粋に信じている。

 このような常人には理解できない理由で選挙運動に入れ込む学会員たちの愚かさを嘲る
のは簡単だが、その愚昧さを利用して操る本当にごく一部の幹部が、日本の国政を左右で
きる力を持っている現状は笑えない。

 原田会長をはじめとする信濃町の宗教官僚たちは、日本国民に対し、一切の説明責任を
負ってはいない。それどころか学会員に対してでさえ、池田大作の現状や財務の使い道な
どを正直に説明したことは、ただの一度もない。

 彼らは一体、何を目指しているのだろうか。
 誰にも何も説明しない連中が、国政に大きな影響力を持っていることに、私は空恐ろし
さを感じる。本稿をお読みになった皆さんは、どのように思われただろうか……。

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2019年8月11日日曜日

F取りの実態2 ― 戸別訪問 ―

 創価学会は建て前としては宗教団体であるが、実態としては政治団体といっても過言で
はない。唱題や勤行などの普通の意味での宗教活動以上に、選挙運動に力を入れている。

 前回述べたように、創価学会は選挙運動に宗教的な意味づけを行っており、学会員はご
利益があると信じて、公明党を応援してきた。

 また、当ブログで以前取り上げたように、創価学会には法律や道徳を軽視する教義が存
在する(『反社会的な教義』参照)。

 こうしたことが背景となり、創価学会は組織を挙げて悪質な選挙違反を行ってきた。
 創価学会の選挙の実態について、本部の副婦人部長を務めた経験がある信平信子氏が証
言している(信平氏は、池田大作のレイプを告発したことで知られている)。


>  私は昭和四十六年以降、学会本部の副婦人部長を平成四年まで二十一年間、務めま
> した。そして、北海道の副総合婦人部長を昭和六十年以降、同じく平成四年まで務め
> ました。
>  その中で、婦人部が中心となる学会選挙を指導し続けたのです。
>  その経験からひと言でいえば、創価学会は「選挙のために」存在するのです。
> 「権力には権力。金力には金力」
> 「数こそ力。王仏冥合の戦いに勝ち抜け」
>  これが池田の口癖です。池田はことあるごとに選挙に勝つために幹部たちを叱咤し
> ていました。
>  つまり、創価学会は池田が国政を牛耳る野望のために存在する組織なのです。宗教
> の仮面を被った選挙マシーンといった方が正確でしょうか。
 (『週刊新潮』1996年3月7日号)


 信平氏は「折伏の鬼」と呼ばれるほどの実績を上げ、昭和63年(1988年)には広布功労
賞を受けている。F取りでも大きな成果を上げ、選挙の際、他の地域から招聘されたこと
もあるという。

 信平氏はF取りにおいて、公職選挙法違反に該当する行為であるにもかかわらず、それ
を「違反にならない」とする、ウソの指導が行われていたとも証言している。


>  しかし、どんなひどいことでも法律に違反しない活動ならまだましです。でも、創
> 価学会は平気で選挙違反をおこなっているんです。
>  例えば、戸別訪問。これを学会では、
> 「一軒ごとに飛ばして訪問すれば、公選法に抵触しない」
>  と教え込んでいるんです。
>  そのために、学会員はそれを信じて、精力的に戸別訪問を展開している。
>  しかも、哀れなことに、選挙違反で捕まったら、各個人で責任を取れ――というこ
> とが徹底されているんです。
 (同上)


 週刊新潮編集部は、戸別訪問について自治省選挙課へ照会しており、その回答も記事に
付されている。


>  大竹邦実・自治省行政局選挙部選挙課長の話。
> 「公選法一三八条が禁じている戸別訪問の定義は、たとえ一軒でも個別に家を訪問し、
> 投票を勧誘したり、候補者や政党の宣伝をしてはならない、ということです。一軒ず
> つ飛ばしていけば抵触しないなどというのはとんでもありません。もちろん特定の宗
> 教団体がある候補者に投票してもらうよう個別に働きかけることも許されません」
 (同上)


 創価学会による組織的な選挙違反については、別の証言もある。
 自民党の平沢勝栄代議士は、平成8年(1996年)と平成12年(2000年)の2回、公明党の
山口那津男氏と衆議院東京17区の議席を争った(平成8年は、山口氏は新進党から立候補)。

 平沢氏は平成12年(2000年)の衆議院総選挙に際しての、創価学会による悪質な選挙違
反の実態を著書に記している。

 
>  具体的に、彼らから私がどんな妨害を受けたか。
>  なにしろ公明党の得意技といえば、名にしおう人海戦術である。二、三人の組にな
> り、まず私に対する謀略・中傷ビラを、パーッと一晩で全戸にまいていく。しかし面
> 白いことに、私の熱烈な支持者のところは避けている。
>  この動員力は怖い。人通りのない夜間とはいえ、わずか一、二時間のうちに十万戸
> を超える家庭にまくには、どう考えても、千人以上動員していないとやり遂げられる
> はずがない。
 (中略)
>  ともかく、私はどれだけ、怪文書の類を流されたか、わからない。
>  そのうち、六月十三日の公示日の早朝、中傷ビラをまいていた男たちを、私の陣営
> の運動員が見つけ、警察に突き出したことがある。
>  亀有署に七人、小岩署に三人、連れていった。すると男たちから連絡を受けて、さ
> っそく身元を引き受けにきた人間がいる。公明党の都議と区議だ。
>  公明党と創価学会が中傷文書を流している、なによりの証拠だ。自分たちでやって
> いる汚いことを、堂々と公明党が認めたようなものである。
 (平沢勝栄著『明快!「国会議員」白書』)


 選挙期間中に頒布できる文書については、公職選挙法で規制されており、それ以外の怪
文書等をポスティングすることは選挙違反である。

 こうしたことを行っているのは創価学会・公明党だけに限らないが、千人以上も動員し
て、大々的に違法行為を遂行できる組織は、彼らくらいのものだろう。

 平沢氏は同書で、戸別訪問についても言及している。


>  相手の陣営がやったことのなかには、こんなこともあった。漬物を一軒一軒持って
> 回って歩く。漬物を配りながら、平沢はダメだ、ウチの候補をお願いしますといって
> 歩くのである。
>  これと同じことを、もし、わが陣営がやったら、これはもう大変な騒ぎになる。す
> ぐに警察に突き出されたにちがいない。
>  ところが、私の応援団というか、自民党の応援団は、人がいい。相手が漬物を配っ
> たからといって、すぐに警察に届けるような人はいない。ちなみにポスターでも相手
> の応援団は、私のポスターは一切貼らせてくれない。逆に私の応援団は、相手方から
> 「自公連立ですので」といわれると、すぐに相手のポスターを貼らせてしまう。
 (中略)
>  このほかにも、地方公務員でありながら相手候補への投票を呼びかけるといった、
> 明らかに地方公務員法違反の情報もいくつかあった。いろいろな違反を目撃した人は
> いるが、警察に通報しようなどという人はいない。まったくもって、自民党の応援団
> は人がいい。
 (同上)


 引用のような数々の選挙違反まで行ったにもかかわらず、衆議院選挙で平沢氏に2連敗
し、浪人生活を余儀なくされた山口氏だが、その後、参議院に鞍替えし、平成21年(2009
年)からは党首を務めている。

 山口代表が創価学会員が行ってきた違法行為について、どの程度認識しているかは分か
らない。

 だが、東大卒の弁護士という華麗な経歴を持ち、早くから公明党のプリンスとして期待
されていた山口氏の選挙戦からして、この体たらくだったのである。他の公明党議員につ
いても、その実態は推して知るべしであろう。

 すねに傷を持つ公明党代表は、山口氏ひとりだけではない。
 山口氏の先々代の神崎武法氏は、検事時代に創価学会による共産党への盗聴事件に関与
していたことが問題視され、職を辞している。

 辞書で「公明」という言葉を引くと「ごまかしたり、不正な事をしたりするなどの、人
目をはばかるようなことが少しもない様子」(『新明解国語辞典』)とある。

 ご立派な党名を麗々しく掲げてはいるものの、選挙違反といい、政教一体で池田大作の
支配下にあった実態といい、実際には「人目をはばかる」ことばかりだったのが、公明党
の立党以来の在り方ではないのか。

 そもそも「公明党」という党名は、「クリーンな選挙」を実現することを標榜して名づ
けられたものだったという。


>  ちなみに「公明」の名の由来は、直接的には、池田愛読の『三国志』に出てくる
> 「蜀」の将軍・諸葛孔明の「公明」の音から来ている。また、当時「違反しない、ク
> リーンな選挙を」という意味で、自治省は「公明選挙」と言っていたが、この「公明」
> という言葉も換骨奪胎する形で取り入れた(そのため、自治省は公明党結成後、「公
> 明選挙」という言葉を使えなくなったのである)。
 (古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』)


 先月の参議院選挙でも、自民党は単独過半数の議席を獲得できず、公明党がキャスティ
ングボートを握る形となった。

 私としては非常に不愉快であり、社会にとっても好ましくないことだと確信するが、弱
小勢力が大局に影響力を行使するための策として、孔明が立案した「天下三分の計」を地
でいく形には、一応なっている。

 しかしながら、創価学会・公明党が実際に行ってきたことを見るならば、彼らは『三国
志』の孔明ではなく、『史記』の「鶏鳴狗盗」の故事の方に範を仰いでいると言うべきで
あろう。

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2019年8月4日日曜日

F取りの実態1 ― 人脈台帳 ―

 選挙の際にどのような理由で投票先を選ぶかは、原則として個人の自由だが、ほとんど
の有権者は、政党が掲げる理念や政策、候補者の人格や識見、実行力などを判断基準とし
て、自らの票を投じるのではないだろうか。

 社会の構成員が、合理的な判断に基づいて投票することで、税金の使い道、実現すべき
政策、制定されるべき法律等についての、社会的合意の形成に関与できるということが、
選挙の重要な意義のはずだ。

 しかし、多くの創価学会員の投票行動は「公明党は池田先生が設立された党だから、そ
の党の候補者に投票すると功徳がある」という、個人崇拝と結びついた呪術的信仰に基づ
いてなされており、民主主義の理念からあまりにも逸脱していると言わざるを得ない。

 宗教と政治を一体化させていることは、創価学会問題の核心でもある。
 そこで今回から数回にわたって、学会員が行っている選挙運動、すなわち「F取り」に
ついて論じる。

 先に述べたとおり、創価学会は信仰上の重要な意義があるとして、公明党の選挙運動を
行っている。選挙は「法戦」と呼ばれ、公明党の候補者を当選させるために活動すること
で、「功徳(ご利益)」が得られると信じて、婦人部を中心とする学会員の活動家たちは、
猛烈な選挙運動を行う。

 創価学会では、投票日の一年ほど前から選挙準備が始まり、公明党の立候補予定者は、
挨拶回りのために座談会に足を運んだり、学会施設で講演したりしなければならない。

 元公明党参院議員の福本潤一氏は、1日で数十か所もの座談会を回ったこともあったと
述べている(『創価学会・公明党「金と品位」』による)。

 また、各地域の幹部も、地元の学会員を「選挙運動でどの程度使えるか」を基準として、
ランク付けするなどの準備を行う。


>  学会選挙は極めて精緻なシステムとして確立されている。
>  まず、選挙がある一年以上前に、県内の各本部で運営会議を開き、強化するポイン
> トやテコ入れ場所の分析を行い、それを幹部が自分の受け持ちの地域に持ち帰る。
>  このとき、学会組織におけるタテ軸の最小単位であるブロック(約十世帯)ごとに、
> そのリーダーであるブロック長(男性)とブロック担(女性)が、自分の指導してい
> るブロック内の学会員をA、B、C、マル外の四段階に分けた名簿(ブロック台帳)
> を作る。
>  ここで、Aは「F票を取る活動家」、Bは「とにかく自分だけは一票は入れる人」、
> Cは「投票所にも行かない不良信者」、マル外は「学会員ではないが、自分以外にも
> 票を取ってくれるシンパ」である。
>  このブロック台帳が選挙が終わるまでの、あらゆる活動の基準になる。これを各レ
> ベルの組織(ブロック、地区、支部)の責任者が絶えずチェックするわけだが、学会
> の選挙活動の根幹は、この「B」や「C」の人たちを、いかに「A」ランクの活動家
> に仕立てあげ、F票を積み上げていくかなのである。そして、この末端の情勢分析、
> 票固めの進展具合といった情報が、アッという間に県へ、さらには「信濃町中央」に
> 吸い上がるシステムになっているわけだ。
 (古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』)


 一般の学会員が本格的に選挙体制にシフトするのは、投票日の3カ月ほど前からである。
 選挙に向けた決起集会の意味で活動者会が開かれ、そこで幹部から目標が示され、集票
活動の事前準備として、「人脈台帳」を作るようにとの指示が出される。

(出典:創価学会問題研究会編『創価学会婦人部』)

 人脈台帳や中学・高校の卒業生名簿等に基づき、電話などで投票依頼を行うのが、「F
取り」である。

 Fとはフレンドの略であり、投票依頼を行った相手は、返答の如何を問わずF票にカウ
ントされる。そのため、国政選挙では学会本部に報告されるF票の合計が、日本の総人口
を超えることもあるという。

 当然のことながら、F票の集計数は実際の公明党の得票とは乖離しており、票読みには
使えないが、活動家たちの士気を高める上では意味があるのだろう。

 確実な投票が見込める人を、「マルF」という。実際の票読みには使うのは、当然「マ
ルF」である(創価学会の票読みの正確さには定評がある)。

 創価学会は、近年では期日前投票を重視しており、公明党への投票を約束した人を投票
所に連れ出すことも行っている。


>  期日前投票へ非活やFを連れ出す行為は「Z]と呼ばれる。中には「足が悪い高齢
> の有権者を背負って期日前投票まで連れ出したこともある」という豪傑もいた。
>  総務省によると、「投票所に連れていく行為自体が直ちに法に触れるわけではない」
> (選挙課)。だがもちろん、その道中で投票先に介入したりする行為はご法度だ。
 (『週刊ダイヤモンド』2018年10月13日号)


 創価学会には悪質な選挙違反を行ってきた実態があり、「ご法度」に当たることが本当
にないといえるのか、懸念せざるを得ない。

 創価学会員による選挙違反と言えば、戸別訪問が代表的である。こうした問題点につい
ては、次回、取り上げたい。

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2019年7月28日日曜日

第25回参議院議員通常選挙の結果について

 先週日曜日(7月21日)、参議院通常選挙が実施された。その結果、自民党・公明党の
与党で改選議席の過半数を獲得したことは、周知のとおりである。
 今回は、この選挙における公明党の得票数等について論じる。

 今回の選挙戦では、山本太郎氏が立ち上げたれいわ新選組から、沖縄の創価学会員、野
原善正氏が、公明党の山口代表と同じ東京選挙区から立候補したことが話題となった。

 野原氏は、自身が創価学会員であることを前面に打ち出した。そして、自民党に追随し
て池田大作の平和主義から離れてしまっているとして、公明党を批判した。

 6年前、東京選挙区から立候補して66万票以上を獲得して当選した山本太郎氏が、今回
は比例で立候補したことから、野原氏が山本氏の票をどの程度取り込めるか、また、創価
学会票を切り崩すことができるかが注目された。

(総務省公表資料に基づき作成)

NHK選挙WEBに基づき作成)

 今回と前々回の東京選挙区の開票結果を比較してみると、公明党の山口代表は、1万7千
以上も票を上積みして当選しており、6年前と同様、創価学会票を手堅く獲得したものと
思われる。

 一方、野原氏の得票数は21万4千票あまりで、落選という結果になった。
 この結果は、健闘したと言えなくもないだろうが、彼が創価学会員であることを公言し
ていたために、6年前は山本氏に投票した有権者の大部分からは敬遠されたのではないか
と思われる。創価学会票の切り崩しも、大きな成果を上げたとは言い難い。

 野原氏の立候補が契機となり、与党であるが故に、安全保障などで現実主義的政策を追
認せざるを得ない公明党に反旗を翻す創価学会員が、もっと多く出るのではないかという
淡い期待を、私個人としては抱いていたのだが、残念ながらそれは空振りに終わったよう
である。

 だが、比例区の開票結果は、公明党の集票力が目に見えて落ちていることを示すものと
なった。

参議院選挙における公明党得票数等の推移
※ 絶対得票率(%)= 得票数 ÷ 有権者総数

(総務省公表資料に基づき作成)

 今回、公明党は比例区では、約654万票しか獲得できなかった。これは前回よりも100万
以上も少ない数字である。過去最多得票だった平成16年(2004年)と比較すると、200万
以上の減少となる。

 この減少は、今回の参院選の投票率が低迷したことだけでは説明できない。
 平成19年から平成28年までの4回の参議院選挙では、投票率の増減にかかわらず、公明
党の得票数・絶対得票率は、さほど大きく変動していない。

 平成22年と平成25年を比較すると、全体の投票率は5%以上も落ち込んでいるにもかか
わらず、公明党の絶対得票率は0.07%減少しただけだった。

 それが今回、公明党の絶対得票率は、前回から0.96%の減少となった。
 最強の集票マシーンと呼ばれてきた創価学会だが、近年、活動家の高齢化が進んでいる
ともいわれる。

 また、インターネット上での創価学会の悪評は、根強いものがある。学会員の家庭に生
まれ育った者でも、創価学会・公明党を避ける傾向が広まっているのかもしれない。
 こうした背景から、F票を獲得する力が落ちてきているのではないだろうか。

 議席の上では、公明党は今回の選挙では勝ったと言えるだろう。
 だが、比例での公明党得票数の減少は、遠からぬ将来、国会で現在の勢力を維持できな
くなる未来を暗示しているのかもしれない……。

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2019年7月21日日曜日

公明党の選挙運動について

 日本は自由な社会であり、誰がどの政党を支持するかは個人の問題である。自由な意思
に基づく投票は、憲法によって保証された権利である。

 創価学会においても、表向きは「どの政党を支持するかは各会員の自由」とされてはい
るものの、それは実態を伴わないキレイゴトに過ぎない。

 創価学会が組織を挙げて、「F取り」と称する公明党の選挙運動に邁進していることは
周知の事実である(「F」とはフレンドの略)。


> 「学会員個人個人の政党支持は、自由であることを再確認しておきたい」(一九九四
> 年一一月一〇日、創価学会・総務会での決定事項)
>  というのが、政治にかかわる創価学会の建て前である。総務会という同会の最高議
> 決機関で決定しているものだが、実態はそうではない。
 (中略)
>  創価学会の会合に呼び出されて、宗教の話ではなく、F票の目標数を聞かれ、投票
> 日には投票までチェックされる。こうした組織活動の雰囲気の中で、
> 「私は自民党を応援しますので、同党のF取りをやります」
>  とか、
> 「公明党を支持しませんので、会合では信仰の話が終わったら帰宅します」
>  あるいは、
> 「日本共産党に投票しました」
>  などの姿勢を見せたら、まず、学会の組織にはいられなくなる。「信心が足りない」
> とか、「池田先生を裏切るの!」等、批判され、反逆者のレッテルをはられ、最悪、
> ほかの理由を付けて組織除名は免れない。組織に選挙の自由はないのだ。
 (創価学会問題研究会 著『創価学会婦人部』)


 『創価学会婦人部』は平成13年(2001年)に出版されたもので、情報がやや古いことは
否めない。

 現在は自民党・公明党の選挙協力がかなり進んでおり、国政選挙で公明党が候補者を立
てない選挙区では、創価学会は自民党の候補を支援しているはずである。

 とはいっても、創価学会においては、公明党の応援が最優先されることに変わりはない。
 公明党が集団的自衛権行使を容認したことについて、異議を唱えた学会員が除名された
との報道もある。


> 「創価学会から除名する」――。埼玉県坂戸市の会社員、篠澤脇司氏(52歳)の自宅
> に、学会からその「通知書」が届いたのは、昨年12月末のことだった。
 (中略)
>  そこに書かれていた処分の理由は、要するに篠澤氏が「執行部批判の言動を続けた」
> というものだ。
 (中略)
>  だが、そもそも、なぜ篠澤氏は批判を始めるに至ったか。きっかけは2014年の安倍
> 政権による集団的自衛権行使容認の閣議決定だったという。
 (中略)
> 「公明党を支援できません」16年夏の参議院議員選挙を前に上位役職の本部長らに告
> げたところ、すぐに地区部長解任となった。
>  翌17年には残っていた副支部長の肩書も外され、一般会員に。すると座談会などの
> 連絡は途絶え、会員と道で擦れ違っても無視される“村八分”となった。
>  学会本部の監正審査会に不服を申し立てたが、処分が覆ることはなく今年8月に除
> 名が確定。
 (『週刊ダイヤモンド』2018年10月13日号)


 創価学会においては、公明党がどのように政策を変更しようとも、それについて意見を
述べたりせず、唯々諾々と選挙支援をするべきだとされているのである。

 また、大部分の学会員もそれをおかしいと思わない。彼らが公明党の選挙運動を行うの
は、それが「功徳(ご利益)」をもたらすと信じているからだ。度し難いほど愚昧で、民
主主義の理念から逸脱した態度である。

 活動熱心な学会員になると、自分の地元だけでなく、他の選挙区の応援にも出向く。
 昨年の沖縄県知事選で、自民党・公明党から推薦を受けるも落選した佐喜眞淳氏を応援
するために、各地から5千人もの学会員活動家が結集したと報道されたことは、記憶に新
しい。

 創価学会では、東京都議会議員選挙を重視しているため、その際にも各地から学会員が
応援に駆けつけるという。

 こうした場合の交通費・宿泊費は、各学会員の自腹である。
 学生時代の同級生等、旧知の学会員から投票依頼の電話を受けた経験がある方も多いだ
ろうが、電話料金も当然、本人の負担である。

 選挙では多くのマンパワーが必要になる。公明党以外の政党からの立候補者は、アルバ
イト等でそれを賄っているが、公明党の場合は、創価学会員が無償で奉仕している。

 創価学会員であるということは、本来、自由であるべき投票に制約を課され、選挙運動
でタダ働き――しかも旅費等の経費は持ち出し――までしなければならない、ということ
でもあるのだ。

 彼らは、公明党の候補者は池田先生のお眼鏡にかなった人物であり、そういう人を応援
することは仏道修行になり、平和にも貢献することなのだと本気で信じている。

 しかし、当ブログで論じてきたように、池田大作が本心からの平和主義者とは信じがた
い。池田は、そのように振る舞う方が何かと都合がいいから、平和主義者のフリをしてき
ただけに過ぎない。

 国際社会には対立する様々な利害が錯綜しており、各地の紛争にも、それぞれに複雑な
背景がある。世界平和のために、どのように振る舞うことが日本にとって最適なのかは、
簡単に答えが出せる問題ではない。

 だから私は、憲法9条の擁護を主張し、集団的自衛権や軍事基地には絶対に反対という
人々について、理想を掲げることの意義は認めるものの、本当にそれだけで平和が実現す
るほど、現実は甘くはないだろうとの懐疑的な見方も持っている。

 だが、創価学会員という連中は、「池田大作を崇めることが平和主義だ」と信じている
のと同じであり、その愚劣さには嫌悪しか感じない。

 何も考えずに「創価学会・公明党は絶対に正しい」と信じ続けられる人は、ある意味で
幸せなのかもしれないが、そういう連中が国政選挙の結果まで左右してしまう現状は、日
本にとって、たいへん不幸なことだと思う。


補足 

 池田大作が行ってきた「平和運動」の内容は、金を積んで各国の著名人と会談し、ゴー
ストライターを使って美辞麗句を連ねた本を書かせてきたというだけである。

 また彼は、軍事独裁者で麻薬ビジネスを営んでいたノリエガ将軍と親交を結んでいた。
 そんな人物が、本心からの平和主義者かどうかなど、考えるまでもないことであろう。

  池田センセイの「ご友人」

  池田大作は本当に平和主義者か?

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2019年7月14日日曜日

仏敵撲滅唱題について

 平成3年(1991年)11月28日、当時の日蓮正宗法主・阿部日顕氏は、創価学会に対して
破門通告書を発した。

 この件に関して創価学会は、自らの立場を弁明すべく『宗教はだれのものか』と題した
書籍を出版している。同書は「破門」について、以下のように述べている。


>  一一月二八日、ついに日顕は、創価学会に対して「破門通告書」を出した。
 (中略)
>  同じ頃、全国の創価学会の会館では、記念幹部会が開催された。
>  一〇〇〇を超す各地の会館には、この日ばかりは手に手に鳴り物やポンポンを持っ
> た会員たちが、笑顔を抑えきれない様子で続々と集まった。まるで、贔屓のチームの
> 優勝決定戦に出かけるサポーターのような、文字どおりの嬉々とした顔だった。
>  日顕が、どうしても理解できていなかったのは、この庶民の逞しさと賢さなのだ。
>  時代錯誤甚だしい“破門通告”なるものを受けた直後の記念幹部会は、そのまま「魂
> の独立記念日」祝賀の幹部会となった。破門の一件が語られると、どの会場も場内は
> 爆笑と歓声の渦になり、人々は鳴り物を鳴らして喜び合った。
 (青山樹人著『最新版 宗教はだれのものか』)


 この記述を信ずるならば、創価学会にとって、日蓮正宗から破門されたことは「魂の独
立」であり、歓喜して受け入れたということになる。

 それが事実ならば、破門を決定した阿部日顕氏に対しては、全学会員が報恩感謝の気持
ちを抱いたことであろう。

 だがしかし、実際に創価学会がやったことは、阿部氏を「仏敵」に認定し、組織を挙げ
て呪詛の題目を上げることだった。


>  周知のように創価学会は、1991年11月に創価学会を破門した日蓮正宗を「邪教・日
> 顕宗」と呼び、これを撲滅するとして熾烈な攻撃を繰り広げている。
>  そうした攻撃の一環として、創価学会が学会員に強いているのが、阿部日顕日蓮正
> 宗法主の「撲滅」「打倒」を目的とした祈念、すなわち呪詛である。
>  そうしたいくつかの事例を紹介しよう。
>  まずは「日顕撲滅唱題表」である。92年頃から創価学会は、全国の支部・地区・ブ
> ロック組織に「日顕撲滅対策委員会」なるものを設置。日蓮正宗に対する激しい攻撃
> を開始したが、そうした過程で作成されたのが、この「日顕撲滅唱題表」である。
 (乙骨正生 編著『公明党=創価学会の深層「自・創」野合政権を撃つⅢ』)

(出典:同上)

 ※ 「1マス20分です。塗り潰す色は黒がいいでしょう。100万編あげれば日顕は真っ
  黒になり消えてなくなります。憎しみをこめて塗り潰しましょう!」とある。


 創価学会は組織を挙げて呪詛を行っておきながら、一方では「他の宗教は非科学的だ」
とか「破門など時代錯誤甚だしい」と他者を批判してきた。そんなことを言う資格が彼ら
にあるのだろうか……。

 さて、「仏敵」に認定されたのは、阿部日顕氏だけではなかった。創価学会は、自分た
ちにとって不都合だったり気に入らなかったりする存在を、それまでの経緯や事情を斟酌
することなく「仏敵」呼ばわりし、呪詛の対象としてきた。


>  ここに一通の投書がある。創価学会員が、仏壇の中に入れ、毎朝晩、ご本尊と共に
> 拝んでいるという紙である。これを毎日拝まされていることに耐え切れなくなったあ
> る学会員が、週刊新潮編集部宛に送ってきたものだ。
 (山田直樹著『創価学会とは何か』)

(出典:同上)

 ※ 『創価学会とは何か』は、平成15年(2003年)に週刊新潮に連載された「新・創価
  学会を斬る」を単行本化したもの。
   「山友」は元顧問弁護士・山崎正友氏、竹入は元公明党委員長・竹入義勝氏。


 阿部日顕氏は、法主に就任した後、創価学会を批判することを宗内において禁止し、そ
れでも批判を止めなかった僧侶を大量に除名処分までした(除名された僧侶たちは「正信
会」を結成)。

 そうまでして創価学会との宥和を目指した阿部氏だったが、その後の紆余曲折を経て、
表向きは下手に出つつも、その実、あくまでも宗門を自分の支配下に置こうと画策する池
田大作に見切りをつけ、最後の手段として破門に踏み切ったのである。

 また、山崎正友氏や竹入義勝氏も、様々な不正に手を染めてまで、創価学会と池田を守
ってきた人物である。

 これらの人々が創価学会と敵対する側に身を置くことになったのは、諫言にはいっさい
耳を傾けずに問題を起こしまくり、何かあれば隠蔽やもみ消し工作だけで乗り切ろうとし、
その上、何も知らない末端の学会員たちに、自身への個人崇拝を植え付けようとしてきた
池田大作を見限ったからに他ならない。

 そして、学会員たちに「仏敵」を憎悪して戦うことが、成仏への道だと指導してきたの
も、彼らが敬愛してやまない池田センセイだった。以下に池田語録を引く。


 「邪悪と戦うことが『信心』である。『師子王の心』で、仏敵と戦ってこそ『仏』とな
 る。間断なく謗法を責めてこそ、『仏罰の現証』も相手に厳然と現れる」

 「釈尊も絶えず魔と戦った。『魔と戦い続ける』ことと『仏である』こととは、実は同
 じことと言っても過言ではない」

 「勝つか負けるかである。最後まで、悪には、とどめを刺さなければいけない」

 ※ すべて『御書をひもとく要文123選』(創価学会 男子部教学室 編)による。


 創価学会員という連中は、上記のような池田大作の指導を信じ、仏道修行の一環として
「仏敵」への呪詛を行ってきたのである。

 こうした事実がある以上、創価学会員であるということは、反社会的な人格を涵養して
いることと同義だと言わざるを得ない。

 このようなカルトを「唯一絶対に正しい信仰」と信じる輩が、日本には数百万人もいる
のだ。空恐ろしい現実である。

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2019年7月7日日曜日

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 創価学会員から入信勧誘等を受け、彼らのあまりの話の通じなさ加減に辟易した経験が
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より成り立っているのだろうか?

「南無妙法蓮華経」の根拠(古文からの引用多め)
 日蓮の教えの核心は、題目をひたすらに唱えることで救われるという、専修唱題である。
創価学会はその理由を「南無妙法蓮華経は宇宙と生命を貫く根源の法」と説明しているが、
日蓮はそんなことを書き残してはいない。御書をひもとき、題目の根拠を探る。


これまでのまとめ


◎ 広宣部・教宣部と嫌がらせの実態

  広宣部と教宣部

  広宣部・教宣部が連携した嫌がらせの手口

  教宣部創設の経緯

  広宣部の実態

  「脱会者は自殺に追い込め」①

  「脱会者は自殺に追い込め」②


◎ 創価学会は反日団体か

  池田大作在日説について

  外国人労働者受け入れ拡大と創価学会・公明党

  創価学会と韓国


◎ 池田本仏論

  池田本仏論について①

  池田本仏論について②

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  「700年ぶりだねぇ」の真偽

  池田大作の食べ残しを食うと「福運」がつく!?

  数珠さすりと弟子分帳

  池田大作への個人崇拝の実態

  虚仏への供物

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◎ 池田大作の人となり

  憧れの池田センセイ

  ピアノと写真、そして執筆活動

  池田センセイの話術

  池田大作 唱題伝説

  池田センセイのご指導

  清貧の人? 池田大作

  金満家・池田大作

  池田大作のぜいたく

  名誉学位・名誉市民等について

  池田センセイの「ご友人」

  池田大作は本当に平和主義者か?

  創価学会員はなぜ池田大作を崇拝するのか?

  池田崇拝の何が問題か

  創価学会の「大勝利」

  懲りない男・池田大作

  池田大作はバカではない


◎ 創価学会員とはいかなる人々か

  「福子」として育てられるということ

  創価学会の二枚舌

  折伏(しゃくぶく)について

  創価学会員の選民思想

  反社会的な教義

  創価学会員のルサンチマン

  創価学会の光と影

  功徳とバチ

  狂信者の心理

  「学会活動できるじゃない!」

  統監と家庭訪問

  新聞啓蒙とマイ聖教

  肩書と成果主義

  御書講義について


◎ 創価学会 金満教団への道

  創価学会の金集め①

  金庫事件(金集め①-補足)

  創価学会の金集め②

  「牛乳ビンの念珠」とは?(金集め②-補足)

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  「日蓮」を名乗る前の日蓮

  『人間革命』の執筆体制と長期休載

  大阪事件

  「長男はツギオで、次男はダイサク」

  エレベーター相承のウソ

  池田大作と戸田城聖の〝遺品の刀〟


◎ 人物

  戸田城聖のビジネス(戦前・戦中編)

  戸田城聖のビジネス(戦後編‐①)

  戸田城聖のビジネス(戦後編‐②)

  戸田城聖のビジネス(戦後編‐③)

  アル中・戸田城聖

  池田城久の死

  福島源次郎氏について

  藤原行正氏について

  藤井富雄氏について

  第四代会長・北条浩氏について

  幹部の本音

  幹部の役得


◎ 教義の矛盾(折伏の被害にあっている方はお役立てください)

  私説「五重相対」(創価学会の矛盾)①

  私説「五重相対」(創価学会の矛盾)②

  私説「五重相対」(創価学会の矛盾)③

  私説「五重相対」(創価学会の矛盾)④

  仏像を拝むのは謗法か?

  蔵の財、心の財

  創価学会は仏教ではない①

  創価学会は仏教ではない②

  創価学会は本当に「御書根本」か? ①

  創価学会は本当に「御書根本」か? ②

  日蓮と真言宗と池田大作


◎ 日蓮と鎌倉仏教

  「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」

  「南無妙法蓮華経」の根拠

  日蓮と念仏①

  日蓮と念仏②

  日蓮と禅①

  日蓮と禅②

  日蓮と禅③

  日蓮と真言

  日蓮と律

  日蓮と良観房忍性

  日蓮と神祇信仰

  日蓮遺文の真偽問題

  佐前・佐後

  「日蓮本仏論」について


◎ 創価学会 基礎知識

  5chスレ立て用テンプレ1~5(創価学会がカルトである理由①)

  5chスレ立て用テンプレ6~9(創価学会がカルトである理由②)

  創価用語の基礎知識①

  創価用語の基礎知識②

  創価学会の財力

  折伏大行進の実態

  折伏成果の水増しについて

  創価学会の実世帯数

  本部職員の待遇と創価学会の財力


◎ 書評

  書評『内側から見る創価学会と公明党』

  書評『「人間革命」の読み方』

  書評『創価学会秘史』

  書評『創価学会』(田原総一朗著)

  書評『親が創価学会』(島田裕巳著)

  おすすめの本


◎ 創価批判コピペ集

  ①(「創価学会とはどんな宗教か」他)

  ②(「創価学会が嫌われる理由」他)

  ③(「創価学会の教え」他)

  ④(「池田大作ってどんな人?」他)

  ⑤(「創価学会の『人間革命』」他)

  ⑥(「創価学会の『財務』」他)

  ⑦(「創価学会と法華経」他)

  ⑧(「創価学会の『不都合な真実』」他)

  ⑨(「創価学会と平和主義」他)

  ⑩(「創価学会の『折伏(しゃくぶく)』」他)

  ⑪(「創価学会の『学会活動』」他)

  ⑫(「創価学会の『総体革命』」他)

  ⑬(「創価学会の迷惑行為」他)

  ⑭(「池田大作の女性スキャンダル」他)


◎ その他

  「はじめに」および5ch(旧2ch)過去スレ

  創価学会とオウム真理教

  創価学会が社会から受け入れられない理由

  変わらない創価学会

  誰が公明党に投票しているか?

  都議会選挙(2017年)の結果について

  衆議院総選挙(2017年)の結果について

  平成29年をふりかえって

  創価学会の創立記念日

  平成30年をふりかえって

  統一地方選挙(平成31年4月)の結果について

  創価学会の行く末



 当ブログを開設してから3年目に入り、創価学会がカルトであることを論証するという
ことに関しては、所期の目的をほぼ達成できたのではないかと考えています。

 しかしながら、創価学会・公明党はいまだ健在、池田大作を崇める学会員も多数おり、
彼らはカルトの害悪をまき散らし続けています。

 一個人のブログの影響力など、微々たるものに過ぎないことは百も承知していますが、
それでも私にできること、即ちブログの更新は続けるつもりです。引き続き、よろしくお
願いします。


 さて、今月21日は参議院選挙の投票日です。
 マスコミの報道等でご存知の方も多いと思いますが、山本太郎氏が代表を務めるれいわ
新選組が、東京選挙区に創価学会員の野原善正氏を擁立しました。東京選挙区からは、公
明党の山口代表も立候補しています。

 野原氏は昨年の沖縄知事選挙で、公明党が支援する候補ではなく、対立候補の玉城氏を
応援しました。

 彼が公明党に反旗を翻したのは、「池田名誉会長が唱えた平和思想のとおり、基地なき
沖縄を実現することこそ、創価学会・公明党のあるべき姿なのに、今の公明党は自民党の
言いなりになって基地建設を推進している」との思いがあったからとのことです。

 確かに、池田の代表作ということになっている『新・人間革命』には、以下の記述があ
ります。


>  核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になってこそ本土復帰である――それが、沖
> 縄の人びとの思いであり、また、伸一の信念であった。「本土復帰」という住民の悲
> 願の実現を盾に、核兵器や基地を沖縄に背負わせるとするならば、かつて沖縄を本土
> 決戦の“捨て石”にしたことと同様の裏切りを、政府は重ねることになる。
 (『新・人間革命』第13巻)
 
 ※ 文中の「伸一」とは、池田大作のこと。


 創価学会員の中には「公明党は平和の党であるべき」と考え、自公連立政権に不満を募
らせている者も少数ながらいるとのことなので、そうした人たちの票が野原氏に流れるだ
ろうと予想されます。

 とは言え、大多数の学会員は「公明党に投票すると功徳(ご利益)がある」と、信じて
いるからそうしているのであり、候補者の政策や主義主張にはほとんど関心がないので、
大番狂わせがあるとは考えにくいと思います。選挙は水物とも言いますので、断定はでき
ませんが。

 東京選挙区も気になりますが、参議院比例区における公明党得票数は、現在の創価学会
の力をはかる上で重要ですので、どんな結果になるか、当日の選挙特番を楽しみにしたい
と思います。

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2019年6月30日日曜日

御書講義について

 「日蓮大聖人の仏法を唯一正統に受け継ぐ団体」を自称しているだけあって、創価学会
は日蓮遺文――創価学会では「御書」と呼ぶ――の学習に力を入れている。

 創価学会では、年1回、教学試験を実施しており、合格した者には「教授」等の肩書が
与えられる(これも創価学会の中だけでしか通用しない肩書である)。
 そうした肩書を持つ各地域の幹部が講師となって、御書講義が行われている。

 日蓮遺文にはかなり長文のものもあるが、創価学会の御書講義では、1つの文書を最初
から最後まで読み通すのではなく、一部の引用とその説明だけで済ますことが多いようで
ある。

 以下、御書講義の教材用として出版されている『御書をひもとく 要文123選』(創価学
会 男子部教学室 編)を参照し、その問題点を論じる。

 本書は、日蓮遺文からの数行程度の引用と、その解説とで構成されている。ほとんどの
解説に、池田大作の言葉が引用されている。

 また、創価学会版『日蓮大聖人御書全集』に依拠しているため、その瑕疵も引き継いで
いる。つまり、偽書と判明している文書からの引用も含まれている。例を挙げる。


>  師とは師匠授くる所の妙法 子とは弟子受くる所の妙法・吼とは師弟共に唱うる所
> の音声なり 作とはおこすと読むなり、末法にして南無妙法蓮華経を作すなり
>                            (御義口伝、748ページ)

>  日蓮大聖人は、身延で法華経の要文を講義された。その内容を日興上人が綴り残さ
> れ、大聖人の御許可を得て「御義口伝」が完成したと伝えられている。
 (中略)
>  師匠がえ、そして弟子が吼える。師と弟子が共に吼えてこそ、「師子吼」となる
> ことを教えられている。「どこまでも師匠と共に」「どこまでも師匠のために」と、
> 弟子が決然と立ち上がり、広宣流布への闘争を貫くところに、師弟は脈打つのである。
 (中略)
>  池田先生は、「師匠は吼えている。あとは、弟子が吼えるかどうかです。それを師
> 匠はじっと見つめて待っている」と語られている。
>  広宣流布の未来を決めるのは、弟子の戦いである。師匠と同じ心で師子吼し、勝利
> の結果を残すことが、真の弟子の証なのである。

 ※ 「748ページ」は、創価学会版『日蓮大聖人御書全集』の該当ページ。


 引用にもあるとおり『御義口伝』は、「日蓮による法華経講義を弟子の日興が筆記し、
それを日蓮が閲して印可したもの」ということになっている。

 それが史実であるならば、日蓮の思想を論じる上で極めて重要な意義を持つ文書という
ことになるが、結論から言うと偽書である。

 立正大学の教授を務め、日蓮宗の僧侶でもあった執行海秀氏の論文「日蓮教学上に於け
る御義口伝の地位」に、以下の記述がある。


>  ところで本書は古来より真偽の論がある。聖人門下初期の古記録を初めとして、聖
> 人滅後百二・三十年の頃編輯された録内遺文にも漏れて居り、また聖人滅後百八十年
> の頃に出来た八品日隆の本門弘経抄にも周知せられてないものであつて、その後、や
> ゝ降つて聖人滅後二百十年頃完成された円明日澄の法華啓運鈔に至つて初めて引用せ
> られてゐるところである。古写本には聖人滅後二百五十七年の天文八年(一五三九年)
> の奥書を有する隆門の日経本があるに過ぎない。かやうに本書の伝承については根拠
> が明瞭でない憾みがある。
>  のみならず本書には、日蓮聖人滅後十三年、元の元貞元年に成立した徐氏の科註が
> 引用されてゐるが如き、また本書の口伝形態や文体が、南北朝の頃出来た等海口伝等
> に類似する点から見て本書の成立は聖人滅後のものと思はれる。
 (執行海秀著『御義口伝の研究』)

 ※ この論文の初出は、昭和29年(1954年)発行の『印度学仏教学研究』三巻一号。


 『御義口伝』には、日蓮没後、13年経って元代の中国で著わされた法華経の注釈書『科
註』が引用されているというのである。偽書であると断定するには、これだけで十分であ
ろう。

 そして『御書をひもとく』において、最も多く引用されているのが、この『御義口伝』
なのである(真蹟遺文からの引用もある)。

 創価学会は、偽書と判明している文書から都合のいい箇所を抜き出し、それを池田大作
への個人崇拝を正当化するために利用しているのだ。

 『御書をひもとく』には、他にも問題のある記述が多くある。もう一例を示す。


>  第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同
> 居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・を
> こして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし
>                        (辧殿尼御前御書、1224ページ)

>  文永10年(1273年)9月19日、佐渡の一谷から辧殿(日昭)及び、辧殿に縁のある
> 門下の尼御前に与えられた御手紙。
 (中略)
>  仏道修行は、常に「仏」と「魔」との闘争である。
 (中略)
>  こうした「仏と魔との大闘争」は、生命の内面で常に起きている。成仏のためには、
> 「内なる悪」に勝たねばならない。これを観念のみではなく具体的に実践するには、
> 「外なる悪」と戦い、勝つことだ。
>  悪との闘争が、わが生命を鍛え、浄め、成仏の大道を開く。極悪と戦ってこそ極善
> になるのだ。
 (中略)
>  池田先生は指導された。「広宣流布」は『公転』です。人間革命は『自転』です。
> 両者は一体です。学会は『仏の軍勢』です。ゆえに魔が襲うのは当然だ。『仏と提婆
> とは身と影とのごとし生生にはなれず』(開目抄、230ページ)です。魔は、狩り出
> し、叩き出し、打ち破るものです。折伏精神です」
> 「日蓮一度もしりぞく心なし」との御本仏の仰せを現実のものとしたのが、創価三代
> の師弟の歴史である。強靭な一念を貫く「退く心なき挑戦」こそ、真の仏弟子の道で
> ある。

 ※ 『辧殿尼御前御書』には、日蓮真蹟が現存している(中山法華経寺蔵)。


 仏教でいう「魔」とは、本来は自身の煩悩のことを指す。ところが、創価学会では「外
なる悪」と戦い、勝つことが「真の仏弟子の道」だと教えているのである。

 創価学会の言う「魔」「極悪」とは、彼らの反社会行為を批判したり、池田大作のスキ
ャンダルを暴いたりした、外部のジャーナリストや脱会して批判者に転じた元学会員のこ
とである。

 池田大作は、自分にとって不都合な存在を「魔」と決めつけ、「狩り出し、叩き出し、
打ち破る」べきだと指導したのだ。

 そして、創価学会員たちは、この池田の言葉に従うことが「成仏の大道」だと信じてい
るのである。これがカルトでなくて、何であろうか。


 日蓮はかなりの量の文書を遺しており、その中には「真言はいみじかりけり」と述べて
いるものや、念仏を唱えることを容認しているものまである(補足2 参照)。

 そうした遺文に基づいて、他の宗教とも宥和的な教義を構築することも可能だったはず
だが、創価学会は、それとまったく逆のことを行ってきた。

 日蓮遺文を真摯に学ぶのであれば、それ自体は何ら批判されるべきことではないと思う。
 だが、創価学会は「御書の学習」と称しながら、その実、偽書を根本として、池田大作
への個人崇拝や自分たちとは意見を異にする人びとへの敵愾心を、信者に植え付けている。

 このような反社会思想を繰り返し学習し、「唯一絶対に正しい教え」と信じ込んでいる
のが、創価学会員という連中である。彼らが問題のある行動をとるのは、当然のことと言
えよう。


補足1 御義口伝について

 本文で引用した執行海秀著『御義口伝の研究』の第四章は、「本書の文献学的考察」と
題されており、『科註』引用についてより詳しい説明がなされている。以下に引用する。

>  宝塔品の御義第十条の「如却関鑰開大城門」を釈する下「科註四云」として、『科
> 註』の文が引用せられている。『科註』には新古両本があって、古本は訶山守倫の
> 『科註』であり、新本は平磵必昇の『科註』である。
>  而してこの『御義口伝』に引用せられてゐる『科註』の文は、新本の必昇の『科註』
> である。このことは新古両本の文を対照することによつて明らかである。
 (中略)
>  さて必昇『科註』の修正校訂年月については其の序に、
>   元貞改元乙未弥勒生辰書之
> とあるのである。ところでこの年号は我朝の永仁三年に当たり、聖滅後十三年のこと
> で、『御義口伝』講述年代と伝へられてゐる弘安元年よりは十九年後にあたるのであ
> る。
>  そこでこの必昇の『科註』が我が国に伝来したのは、恐らく足利初期ではなからう
> かと思はれる。而してかやうに聖滅後数十年の後伝来した『科註』の文が、『御義口
> 伝』に引用せられてゐることは年代上の矛盾である。

 日蓮は弘安5年(1282年)に没している。その13年後の永仁3年(1295年)、元代の
中国で執筆され、日本への伝来は室町時代と推測される『科註』が引用されているのだか
ら、『御義口伝』は後世の偽作としか考えられない。

 日蓮正宗では『御義口伝』を教義上、極めて重視してきた。創価学会も破門されたとは
いえ、現在でも日蓮正宗の教義の多くを継承している。

 問題の『科註』からの引用は、創価学会版『日蓮大聖人御書全集』では、741ページに
記されている。

> 第十如却関鑰開大城門の事 補註の四に云く此の開塔見仏は蓋し所表有るなり、何と
>  なれば即ち開塔は即開権なり見仏は即顕実なり是れ亦前を証し復将さに後を起さん
>  とするのみ、如却関鑰とは却は除なり障除こり機動くことを表す謂く法身の大士惑
>  を破し理を顕し道を増し生を損ずるなりと。

 ※ 創価学会版御書では『補註』となっているが、これは誤りで『科註』が正。


補足2 念仏を容認している日蓮遺文について

>  南無妙法蓮華経と一日に六万・十万・千万等も唱えて後に暇あらば時時阿弥陀等の
> 諸仏の名号をも口ずさみ・なるやうに申し給はんこそ法華経を信ずる女人にてはある
> べき
 (『法華題目抄』真蹟断片 水戸久唱寺 外11ヶ所)

 ※ 創価学会版『日蓮大聖人御書全集』948ページ

 あくまでも南無妙法蓮華経を唱えることを優先すべきだが、時々は「阿弥陀等の諸仏の
名号」を口ずさんでよいと、日蓮は述べている。

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2019年6月23日日曜日

創価批判コピペ集‐⑭(「池田大作の女性スキャンダル」他)

◇◆◇ 池田大作の女性スキャンダル ◇◆◇

創価学会の名誉会長・池田大作は、健康な頃はたびたび女性スキャンダルをひき起こし、
週刊誌等で報じられた。創価学会本部には第一庶務という部署があり、池田の身の回り
の世話などを担当していたが、そこには池田に「奉仕」する女性たちも所属していた。

池田は女子部の会合などで気に入った女性がいると、本部職員に取り立てて性奉仕させ、
飽きると幹部の妻にさせた。そして、気がむくと再び呼び出し奉仕させることもあった。

また、お気に入りの愛人を公明党の国会議員に取り立てたこともあった。かつては創価
学会の婦人部には「池田先生のお手つきになりたい」と熱望する女性も多かったという。

池田の守備範囲は広く、創価大の女子大生に手をつけたり、創価高校の女子高生を妊娠
させたりしたが、地方に出むいた際には現地の幹部の妻に性奉仕させることまであった。

※ 池田はレイプ騒動まで起こしたが、学会員はそんな彼を生き仏のように崇めている。



◇◆◇ 創価学会と『月刊ペン』事件◇◆◇

昭和51年(1976年)、『月刊ペン』が創価学会の池田大作会長(当時)の女性スキャン
ダルを報じた。その内容は、公明党の女性国会議員二名が池田大作の愛人だというもの。
創価学会はこれに激怒、公明党を通じて警察を動かし『月刊ペン』編集長を逮捕させた。

『月刊ペン』編集長・隈部大蔵氏は名誉棄損罪で告訴された。この裁判は最高裁まで争
われ、その結果「池田大作は公人に準じる存在なので、そのスキャンダルを報じること
は、事実であるならば名誉毀損罪には該当しない」との判決がなされ、差戻しになった。

隈部氏が差戻し審中に死去したため裁判の決着はつかなかったが、先の最高裁の判決は
名誉毀損の重要判例となり、その後、雑誌等が池田大作のスキャンダルを次々に報じた。
『月刊ペン』の記事についても愛人とされた女性の親族が手記を公表、事実と証言した。

※ 創価学会は、現在も『月刊ペン』裁判は自分たちの「大勝利」だと言い張っている。



解説

 よく知られているように、池田大作は数多くの女性スキャンダルを起こしてきた。
 その中でも特に有名なのが『月刊ペン』事件である。上述のように、この事件について
最高裁の出した判決は、現在でも名誉毀損の重要判例とされている。

 『月刊ペン』で池田の愛人と報じられた渡部通子氏の実姉・藤原郁子氏が、週刊新潮に
手記を発表し、記事の内容は事実だったと証言している。

 姉妹の実家である松島家は、戸田城聖が経営していた大蔵商事(高利貸し)に出資して
おり、その縁で昭和28年(1953年)に池田とも知り合ったという。
 郁子氏が、妹が池田とできていることに気づいたのは、昭和30年のことだった。


>  私は主人とは、昭和三〇年十二月に結婚しました。北条浩さん(後の四代会長)の
> 媒酌で、同じ第七部隊の部隊長だった主人と結婚したのです。
>  親と別れることが辛かった私は家を出る時、通子に、
> 「あとのことは頼むわね」
>  と、くれぐれも頼みました。
> 通子は、気軽に、
> 「いいわよ」
>  と言ったのに、なんと私が松島の家を出てすぐ、私に黙って家を出てしまっていた
> のです。
>  私は、アパートの住所すら教えない通子を探しあて、問い質しました。
>  のらりくらりと言い逃れていた通子は、最後に、
> 「(アパートを借りるのは)池田さんのご意見ですもの」
>  と、白状したのです。
>  その時、二人はそういう関係だったのか、と初めて知りました。
 (『週刊新潮』1996年3月14日号)


 通子氏は、創価学会青年部の幹部だった渡部一郎氏と昭和34年に結婚したが、池田との
関係はその後も続いていたという。


>  その通子は昭和三十七年に長男を出産しました。
>  母から頼まれた私は、当時、巣鴨にあった石川病院へ飛んで行きました。
>  部屋には、池田の次男と同じ名前「城久」という命名の紙がかけられていました。
>  しかし、通子は無言で私の顔を見て涙ぐむのです。
>  そして、やっと、
> 「渡部の所に行ってみて」
>  と、私に言いました。
>  もちろん、私には通子の気持ちがわかっていました。
>  子供が生れたというのに、主人がやってこないのです。
>  生れた子はいったい誰の子なのか――女にとって出産を主人に喜んでもらえない、
> これほど悲しいことが他にあるでしょうか。
 (同上)


 この後、夫妻の住居に向かった郁子氏は渡部氏と対面するが、彼の「もの凄い形相」を
見て恐怖心を抱き、逃げ帰ったと記している。

 渡部一郎氏は、当初、内心の忸怩たる思いを態度に表していたものの、池田に屈服させ
られ、従順になったという。


>  たとえば、剛気と暴勇では人後に落ちない渡部一郎元代議士が、妻の通子と池田大
> 作の関係にむくれかえって、仕事をさぼったりふてぶてしい態度を示したとき、池田
> 大作は、本部広間での理事会の席で渡部一郎をどやしつけた。万座のなかで、雷のよ
> うな声で、
> 「貴様は何様だと思っているのだ!!」
> と怒鳴りつけられ、渡部一郎は失神して倒れてしまった。
(山崎正友著『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』)


 山崎氏は『続々「月刊ペン」事件』で再度このエピソードを取り上げ、渡部氏はこの件
があって以降、「借りてきた猫のようにおとなしくなった」とつけ加えている。

 渡部夫妻はその後も生涯を通じて創価学会にとどまり、両名とも公明党の国会議員を務
めたが、姉の郁子氏は夫の藤原行正氏と共に脱会し、池田大作への批判に踏み切った(藤
原夫妻が脱会したのは、元『月刊ペン』編集長・隈部大蔵氏の死後だったので、裁判では
証言できなかった)。

 池田大作は、自分の欲望を満たすために、多くの人々の幸せを踏みにじってきた。
 その池田を創価学会員は「永遠の師匠」と呼び、彼の言葉を生きる指針にしているので
ある。学会員に平気で他人に迷惑をかけたり、苦しめたりする者が多いのも当然であろう。

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2019年6月16日日曜日

肩書と成果主義

 創価学会の活動家としてある程度の経験を積むと、たいていの場合、何らかの役職につ
くことになる。

 数人の男子部員・女子部員を束ねる者をニューリーダーと呼び、その後、地区リーダー
等を経て、順次、地位が上がっていく。

 折伏や聖教新聞の拡販等で成果を上げれば、30代で地区部長や白ゆり長になり、数十人
の学会員を統括する立場になれる。

 これらの肩書を得たからといって、手当てが支給されることはない。創価学会の活動家
は無給である。

 しかし、実社会では何の肩書もない人間でも、活動家として頑張れば、「リーダー」と
か「長」などと呼ばれる立場になれるのも事実だ(創価学会の中でだけだが)。

 このことに魅力を感じ、学会活動にのめり込む者も少なくないらしい。一円の報酬も得
られないし、創価学会には、役職が高い者ほど財務やマイ聖教でも貢献しなければ示しが
つかないという組織文化があるにもかかわらず……。

 学歴がないなどの理由で実社会で評価を得られない者にとって、学会活動における肩書
は「補償」――劣等感を埋め合わせるために、別のことで埋め合わせをしようとする心の
働き――なのだろう。

 より上位の肩書を得ることや、配下の学会員に指示を出したりノルマを課したりできる
ことが生きがいになってしまった者が地域の幹部として君臨した場合、その指揮下にある
学会員は、聖教新聞の拡販や折伏などのノルマでつらい思いをする羽目になる。

 学会員・元学会員のブログを見ると、そのような幹部は少なくないようだ。
 それだけでなく、学会活動により実利を得ようとする者が幹部となった場合も、成果主
義の悪弊により、その下の学会員が苦しむこともある。

 創価学会の本部や地方会館に勤務する者は、職員と活動家、二つの立場を兼ねている。
 本部の職員として△△部長である者が、居住地域の活動家としては□□分県長であった
りするわけだ(繰り返すが、□□分県長としての立場からは報酬は得られない)。

 以前、当ブログでも言及したが、池田大作は幹部ごとに担当する地域を決め、金集めの
競争をさせ、それで昇進・降格を決めていた(「学会幹部に良心はないのか?」参照)。

 現在の創価学会でも、地域の活動家としての実績――聖教新聞拡販や広布部員(財務を
する人)の数など――が、職員としての出世とも関係している可能性は高そうである。

 つまり、自分が出世してより多くの収入を得るために、地元の学会員に無理なノルマを
強いる者がいてもおかしくない。

 また、無報酬の一般の活動家であっても、地位が高い者であれば、公明党の地方議員に
なれる可能性はある。議員報酬を得られる身分になれるのである。
 このような野心家も、実績を上げるために無理をする場合があるだろう。

 以上、見てきたように創価学会の活動家の中には、様々な動機から強引なやり方で聖教
新聞の拡販等で成果を上げようとする連中がいる。

 その結果として、前回取り上げた「マイ聖教」――聖教新聞を一家庭で複数部購読する
こと――などの搾取的な愚行が為されているのだ。

 このような実態があるから、創価学会は常識的な人々からは疎んじられているわけだが、
多くの学会員は「この信心をすれば絶対に幸せになれる」と信じ切っており、欲得ずくで
動いている野心家に利用されていることに気づいていない。

 創価学会の組織内で上手く立ち回って実利を得ている者を見れば、一般人なら「宗教を
金儲けや立身出世に利用している」と思うだろうが、熱心な学会員は「信心が立派だから、
あのような境涯になれたのだ」と受け止める。

 カルトにより深くマインドコントロールされた者は、常識ではなくカルトの論理に基づ
いて思考する。常識で考えておかしいことを、そう気づけなくなるのだ。

 創価学会員が、虚名に過ぎない肩書やありもしない功徳やバチで、奸智に長けた幹部た
ちに踊らされるのは勝手だが、このカルトは規模が大きいために、国政から日常生活にい
たるまで、様々なレベルで一般の人々を翻弄し、迷惑をかけ続けている。

 いつの日か、すべての学会員に常識を取り戻してもらい、これまでの迷惑行為を反省し
てほしいものである。

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2019年6月9日日曜日

新聞啓蒙とマイ聖教

 池田大作は聖教新聞を「広宣流布のミサイル」と呼んだ。このことからも明らかなよう
に、創価学会は機関紙である聖教新聞の購読者を増やすことを、布教の手段として重視し
てきた。

 一方で聖教新聞は、宗教法人創価学会の収益事業の中核でもある。公称発行部数の550
万部が事実ならば、月一部1,934円の購読料の1年間の累計は、1,276億円にもなる。

 ※ 誤解している人も多いが、宗教法人であっても収益事業に対しては、一般企業より
  は低い税率ではあるが法人税が課される。

 また、聖教新聞の印刷は毎日新聞をはじめとする一般紙が請け負っており、それらの新
聞社にとっては、重要な収益源となっている。創価学会から見れば、マスコミを懐柔する
手段でもあるのだ。

 こうした事情から、学会員たちは聖教新聞の拡販運動に駆り立てられてきた(創価学会
では拡販とは呼ばず「新聞啓蒙」という)。

 聖教新聞販売店を経営するのは、多くの場合、地元の学会幹部であり、配達員のほとん
どは、池田大作が「無冠の友」と呼ぶ末端の学会員である。

 かつては配達員は無給だったが、現在ではわずかだが報酬が支払われている。
 一方、新聞啓蒙は、創価学会の活動家たちが現在でも無報酬で行っている。

 創価学会では、聖教新聞の配達と啓蒙も功徳になる仏道修行とされており、多くの学会
員はご利益があると信じて、そうした活動を行っているのである。

 新聞啓蒙の本来の目的は、外部の人に新たに聖教新聞の読者になってもらい、それをき
っかけとして入信させることだった。

 しかしながら、実際のところ、一般人にカルトの新聞を購読するメリットはない(聖教
新聞は購読者に景品を贈呈するなどの方法で、拡販を行うことはない)。

 商売上のつながり等から、購読に応じざるを得ない例も少なからずあったであろうが、
それにも限りがあり、外部を標的とした新聞啓蒙は、成果を上げにくくなっていった。

 そうした背景から、創価学会の内部を標的として、新聞啓蒙が行われるようになった。
 それが「マイ聖教運動」である。


>  『聖教新聞』の公称部数が多いのは、一家で2部以上購入するよう暗黙のルールが
> あるわけではなく、活動家一人ひとりが信仰を学ぶために「自分用の聖教新聞」を1
> 部購読する「マイ聖教運動」というものがあるからだと思います。実際、私が実家に
> 住んでいた時には家族4人が一人1部購読し、それ以外に友人への贈呈用として1部
> 取っていたので、あわせて5部購入していました。
>  また知り合いの学会員の中には、『新・人間革命』や池田先生の指導を切り抜いて
> スクラップにして研鑚するために一人で2部以上購読している人もいました。
 (野口裕介 他著『実名告発 創価学会』)

 ※ ご存知の方も多いと思うが、『実名告発 創価学会』の著者らはいずれも創価学会の
  元本部職員だったが、どこの民間企業・官公庁であっても「組織人として問題あり」
  と見なされるような騒動をひき起こし、解雇・除名された。
   にもかかわらず、創価学会を擁護しているのである。いじらしいことである。


 創価学会を擁護する側の論理では、「マイ聖教」は教義の勉強用に家族の一人ひとりが
聖教新聞を購読する必要があるためということだが、外部の人間に言わせてもらえば、過
大なノルマを達成するために、組織内に負担を強いているようにしか見えない。

 言ってしまえば「自爆営業」と何ら変わらない。
 実際、「一人で1部」どころか、10部以上を購読している例もあったという。


>  さらに、こういう依頼を受けることもあります。ある地方議員から、
> 「『一般の学会員でも聖教新聞を10部とる人がいるのだから、あなたたち、選挙も応
> 援してあげたんだし、議員は50部とるのは当たり前よ』と学会婦人部から言われて困
> っているんだ。私は特定の新聞を大量に購入すると、それは政治家の寄付行為を禁止
> する公職選挙法に違反するおそれもあるので、と説明しても婦人部は納得してくれな
> い。福本さん、中央の創価学会幹部にも実情を訴えてくれませんか」
>  という、公明党ならではの陳情も何度か受けました。
>  国会議員の場合は、地元の創価学会組織から、「聖教新聞をとりなさい」という陳
> 情はありません。しかし、その議員秘書の多くが創価学会幹部クラスなため、「事務
> 所で聖教新聞を多数とるべきですよ。啓蒙(拡販)期間なので」
>  と、言ってくることもしばしばありました。こういうことで、聖教新聞の販売ノル
> マを達成しているわけです。
 (福本潤一著『創価学会・公明党「金と品位」』)

 ※ 著者の福本氏は、元公明党参議院議員である。


 ノルマ達成のため、聖教新聞の拡販期間だけ幹部が多部数購読し、期間が終わるとまた
購読部数を減らすということも行われているらしい。

 現在、聖教新聞社の新社屋「世界聖教会館」が、今年の創立記念日(11月18日)での落
成を目指して工事中だが、そのためか、今年は聖教新聞の拡販に特に力を入れるそうであ
る。創価学会のサイトにも、今年の目標として以下の記述がある。


> 「世界聖教会館」の完成を目指して、皆で聖教新聞の拡大に挑戦しよう。特に下半期
> は、聖教拡大に挑戦するメンバーを増やしながら、「新規購読」「長期購読」の輪を
> 広げていこう。


 わざわざ「長期購読」を目標にしているのは、短期間しか購読しない者、すなわちノル
マ達成のために、一時的に購読部数を増やすだけの者が少なくないからであろう。

 どう見ても「マイ聖教」は搾取でしかないし、過剰な拡販ノルマも末端組織を疲弊させ
ているようである。

 だいたい、同じ新聞を一家庭で何部も購読するなど、考えるまでもなく金の無駄だ。
 こういうバカげた慣行があるから、創価学会は頭がおかしいカルトだと世間から思われ
ているのである。

 当初、一応はもっともらしい理屈をつけられていた「マイ聖教」だが、さほど時を経ず
して「聖教新聞は池田先生からのお手紙なので、多くとるとそれだけ功徳になり福運がつ
く(つまり現世利益がある)」と、池田大作への個人崇拝で正当化されるようになったと
いう。

 池田大作を「末法の御本仏」と崇拝する者が多い創価学会の活動家に対しては、この方
が効果的なのかもしれないが、外部の一般人が聞けば、ほぼ確実に異様な印象を受けるは
ずである。

 熱心に折伏を行う学会員は現在でも多いが、創価学会のようなカルトに入って、人生を
無駄にしたい一般人などまずいない。普通の人の理解を得たいのなら、まず学会員が常識
を取り戻すことが先決であろう。

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