2019年3月31日日曜日

反社会的な教義


 創価学会は数百万人の信者を擁する巨大教団であり、学会員の人間性も多種多様なはず
である。社会に出て学会員でない人たちとも協力しながら仕事で成果を上げ、それなりの
社会的地位を築いている人もいることだろう。

 地位を利用して折伏等の迷惑行為を行う者も中にはいるだろうが、分別をわきまえ、勤
務先や地域では、他人に迷惑をかけるようなことはしない学会員も、現在では多いはずで
ある。

 しかしながら、創価学会員の中には依然として非常識な者が少なからずいる。
 学会員に対して、「できることなら関わりになりたくない人たち」という印象を抱いて
いる人は少なくないのである。

 戸別訪問や集団替え玉投票などの悪質な選挙違反や、日蓮正宗との泥沼の抗争をひき起
こし、折伏や投票依頼などの迷惑行為を今なお組織ぐるみで推進している創価学会のイメ
ージが悪いのは当然のことではあるが。

 学会員に他人に迷惑をかける者が多いのには、創価学会の教義が影響していると考えら
れる。

 創価学会で「信心の教科書」とされている『人間革命』には、第2代会長・戸田城聖が
詐欺罪で有罪になった学会員に対し、以下のような指導を行ったと記されている。


>  世間法、国法、仏法を三法律というのだが、世間法より国法が強く、国法より仏法
> が強いのです。だからといって、信心していれば国法を犯しても構わぬということは
> 絶対にない。国法を犯せば国法によって裁かれるのは当然である。
 (『人間革命』第七巻)

 ※ 何度も述べてきたが、創価学会のいう「仏法」とは、創価学会の教えだけをいい、
  日本の伝統宗派や、東南アジアの上座部仏教などは「邪教」とされている。


 仏法=創価学会は、国法(法律)や世間法(道徳・常識)に優先するというのが、彼ら
の考え方である。

 戸田城聖は「信心していれば国法を犯しても構わぬということは絶対にない」と言った
ことになっているが、実際の彼の行動はどうだったのだろうか。

 前述のように、学会員が選挙違反を頻繁に行ってきたことはよく知られている。
 昭和31年(1956年)の参議院選挙に、柏原ヤスをはじめとする学会幹部が立候補した
が、この際も戸別訪問等の選挙違反で多数の学会員が逮捕された。

 強引な折伏や選挙違反などの、創価学会員の問題行動を新聞記者に質された際、戸田は
以下のように回答している。


>  いずれにせよ強引に信者をふやして選挙運動に利用しようとしたのではないか。
> 戸田氏 (強引な折伏は)選挙とは全く関係がない。単なる個人的な問題だ。選挙と
> いえば、戸別訪問などで選挙違反に問われた会員がかなりあるが、私は全然違反とは
> 思っていない。信者の知人、親類に頼むのは当り前じゃないか。それだって私が指令
> したのではなく信者が熱心の余りやっているのだ。選挙違反の形式犯はいわば立小便
> などの軽犯罪みたいなものだ。捕まえる方がおかしい。
 (『朝日新聞』昭和31年7月11日付)


 選挙違反で多数の逮捕者を出し、全国紙で何度も大きく報じられたというのに、責任者
の戸田は、言うに事を欠いて「捕まえる方がおかしい」とのたまったのだ。

 法令や社会秩序を軽視する正体を現した妄言である。
 戸田の後を継いだ池田大作は、選挙違反で逮捕された学会員に対し「法難賞」を与えた
という。こういう困ったところは、確かに「師弟不二」である。

 現代社会において、宗教には「よき規範」としての役割が求められている。
 しかし、創価学会は「よき規範」などではあり得ない。彼らの実態は、法律や常識とい
った規範を軽視する反社会的カルトでしかないのだ。


補足1

 冒頭の画像は5chで見つけた拾い物。規範を軽視する創価学会の体質を、的確に表現して
いると思う。


補足2 外米獲得文化運動

 昭和31年(1956年)の参院選挙に、創価学会は6人の幹部を立候補させ、うち3人が当選
した(公明党はまだ結成されていなかった)。

 この頃はまだ「F取り」という呼び方はなかったようである。選挙違反容疑で、創価学
会が家宅捜索を受けたことを報じる新聞記事には、以下のように書かれている。

>  同学会では信者以外の支持者を「外米」とよび、外米獲得文化運動と称して信者
> (「内地米」とよぶ)に二十票から三十票ずつの票集めをさせている疑いもあると
> いう。
 (『朝日新聞』昭和31年6月30日付)

 言葉は違えど、やっていることは現在も60年前から変わっていないようである。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 創価学会 批判・告発へ