2018年5月27日日曜日

創価学会の「大勝利」

 創価学会はカルトの通例に漏れず、訴訟沙汰が極めて多いことで知られている。
 当ブログでこれまで取り上げてきた雑誌記事の中にも、創価学会から名誉棄損で告訴さ
れてきたものがある。

 『週刊文春』1980年7月17日号に掲載された「創価学会最高幹部七人の内部告発」第5回
である。この号が発売された同年7月10日、創価学会は刑事告訴に踏み切った。タイトル
があまりにセンセーショナルだったために、もしこれを看過すれば、末端会員が動揺する
のではないかと恐れたのであろう。

(『週刊文春』1980年7月17日号)

 ※ この記事の内容は、当ブログでもこれまでに取り上げてきた池田大作専用の豪華施
  設や強引な金集めについてが主である。

 『週刊文春』は、全国紙や電車の中吊りに広告を掲載している。「特別財務六百億円で
全国各地につくられた池田大作専用〝ラブホテル〟」という文言は、週刊誌を読まない人
を含め、日本中が目にしたのである。無論、多数の創価学会員も見たことであろう。

 この連載は同年6月19日号から開始されており、創価学会も『聖教新聞』に「事実無根」
との反論を掲載するなどの対応をとっていた。

 しかし、学会側が告訴の対象としたのは、この回の「ラブホテル」というタイトルにつ
いてだけだった。この連載の他の記事については、裁判で争いたくなかったということで
ある。

 これは推測だが、創価学会の幹部はこの連載に元教学部長・原島嵩氏や元顧問弁護士・
山崎正友氏らが関与しているであろうことに気づいていたと思われる。

 どんな証拠を握っているかわからない原島氏や山崎氏を相手に、刑事告訴という手段を
とることはヤブ蛇になりかねない。できれば訴訟は避けたかったであろうが、弱腰の対応
をとれば、「やはり連載の内容は本当なのでは」という疑念を招くことになる。

 「池田大作専用〝ラブホテル〟」は虚偽の事実だとして、名誉棄損で告訴したのは苦肉
の策だったのであろう。
 告訴から三年後、『週刊文春』1983年6月16日号は、以下のような「謹告」を掲載した。

(『週刊文春』1983年6月16日号)

 巻末近くの目立たない小さな囲みではあったが、一応は非があったことを認めている記
述である。

 創価学会が「特別財務」と称して信者から集めた金を使って、キングサイズのベッドや
豪華な浴槽などをしつらえた池田大作専用施設を建造し、池田がそこでお気に入りの女性
たちと色事に耽っていたのは事実である。そのような施設を「ラブホテルのような」と形
容するのであれば、正鵠を得た表現だと言えよう。

 だが、池田はそれらの施設の利用に際して、宿泊料などの対価を支払っていたわけでは
ない。そして、当該記事のタイトルは「池田大作専用〝ラブホテル〟」と断定調だった。

 『週刊文春』が「一部不適切」と認めざるを得なかったのは、こうした理由からではな
いかと思われる。
 「謹告」の掲載を受けて『聖教新聞』は、「『週刊文春』が学会に謝罪」と書き立てた。

(『聖教新聞』昭和58年〔1983年〕6月8日付)

 この記事の一部を引用する。


>  もとより、各地の文化会館(会館)は会員の尊い浄財で建設された信仰活動の聖域
> ともいえる拠点であり、虚偽の事実をもって、意図的に中傷、冒とくすることは断じ
> て許されるべきではない。そのため、学会としては全学会員並び名誉会長の名誉を著
> しく棄損するものだとして刑事責任を追及して告訴し、併せて謝罪広告等を求める民
> 事訴訟を起こしていたものである。告訴に当たっては、捜査当局に対し法的責任の追
> 及だけが必ずしも本意ではなく、文芸春秋側が心からその非を認めて謝ってくるので
> あれば考慮の余地あることは表明していたが、文春側の対応に十分なる反省の色が見
> られないため、今日に至っていたものである。
>  その間、「最高幹部七人」ということで氏名不詳者数名として学会側が告訴してい
> たが、捜査当局の調べによって、氏名不詳者数名とは山崎正友並びに堤尭(当時「週
> 刊文春」の副編集長)の二名であることも判明したが、このほど文芸春秋側が問題の
> 記事及びその広告文に関して非を認めて反省し、全面的に謝罪してきたため、刑事告
> 訴を取り下げることにしたものである。


 しかし、真相は創価学会の主張とは大きく異なるものだった。『週刊文春』は、上記の
記事について「事実をねじまげた報道」だとし、事実関係を詳らかにした記事を同年6月
23日号に掲載した。

 この記事によれば、先の「謹告」は東京地検の勧告を受けて和解が成立したことにより
掲載されたものだという。『週刊文春』の記事は和解の成立過程、双方の弁護士が出席し
ての交渉の模様などを丁寧に説明し、示談書まで掲載しており、十分な説得力と信憑性を
備えたものであった。一部引用する。


>  繰返しになって恐縮だが、小社は『週刊文春』五十五年七月十七日号の一部の不適
> 切な表現――端的にいえば〝ラブホテル〟というタイトルに遺憾の意を表しているだ
> けであって、記事内容全体について遺憾に思っているわけではないし、また「謝罪」
> という表記は、いっさいしていない。
 (中略)
>  学会が言うように小社が謝罪していたのなら、「謹告」ではなく「お詫び」に、当
> 該記事は「遺憾」どころか「取消し」ないしは「削除」されていなければならないは
> ずである。
 (『週刊文春』1983年6月23日号より引用)


 確かに「一部不適切な表現がありましたことにつき遺憾の意を表します」という文言を、
「全面的に謝罪してきた」というのは誇大表現であり、『聖教新聞』よりも『週刊文春』
の主張の方に理があるのは明らかである。

 文春の記事の内容が本当に事実無根であり、それを書いたのが池田大作の天敵・山崎正
友氏だったのなら、創価学会が検察の勧告を受け入れて和解したとは思えない。

 裁判で争って、山崎正友氏や原島嵩氏に記事の内容を証明する証拠を持ち出されたり、
証言をされたりすることを、学会幹部は恐れたのではないか。もしそうなら、和解は創価
学会にとって渡りに船だったことになる。

 この件は実際には裁判では争われず、和解に至ったものであったが、創価学会は他の訴
訟沙汰でも同様に事実をねじまげ、「勝利宣言」を『聖教新聞』などに掲載しているのだ
という。


> 〈学会は今、旭日の勢いだ。裁判でも連戦連勝。『正義』と『真実』を堂々と証明し
> ている〉
> 〈創価の正義はすべて証明 全裁判で連続勝利〉
> 〈学会が当事者となっている裁判は、ただの一つの例外もなく、全て学会の勝利だ〉
>  創価学会の機関紙・聖教新聞には、絶え間なくこんな勝利の宣言が登場してくる。
> ある時は大見出しで、ある時は最高幹部による座談会で、これらの文言は繰り返され、
> 学会員の頭の中に刷り込まれている。
> 「わが創価学会は、裁判所でその〝正義〟を揺るぎなく認められている」
>  創価学会員にとって、これは絶対的な拠り所の一つといっていいだろう。創価学会
> は、司法=裁判という俗世の権力を利用して、その〝権威〟を保っているのである。
>  しかし、創価学会側が裁判で連戦連勝というのは、本当だろうか。
>  答えを先に言って申し訳ないが、実はこれはまったくの虚報である。例えば不倶戴
> 天の敵である宗門(日蓮正宗)との訴訟結果を見ると、連戦連勝どころか、勝率は二
> 割ほどで、八割近くが敗北を喫している。
 (山田直樹著『創価学会とは何か』より引用)


 裁判に負けた時は『聖教新聞』には何も載せず、勝った時だけ盛大に書き立てる。本当
のことを知らない学会員たちは、「創価学会は裁判では常勝無敗」と信じ込んでいるので
あろう。

 実際に裁判で勝訴した例があるにしても、「末法の御本仏・日蓮大聖人」という至高の
存在にまでさかのぼるという「信心の血脈」を継いでいると自称する創価学会が、世俗の
権威から正しさの承認を受けて喜ぶというのも奇妙な話である。

 創価学会が裁判沙汰を好むのは、相手を訴訟疲れに追い込むという戦術なのだろうが、
一面では自信のなさの現れなのだろう。

 創価学会は「日蓮大聖人直結」を称しているが、彼らは実際には、日蓮の「聖遺物」―
―真蹟の遺文や十界曼荼羅――を何一つとして保有していない(それらのほとんどは、彼
らが「邪宗」と呼ぶ日蓮宗寺院が保有している)。

 創価学会にとって裁判での勝利は、信仰の正統性を証明するものを持たないことの「補
償」なのかも知れない。インチキ新興宗教の悲哀といったところであろうか。

 さて、創価学会の裁判沙汰については、他にも論ずるべきことは少なくない(信平レイ
プ裁判や東村山市議の不審死など)。いずれ資料を集めて取り上げたいと思っている。