2018年6月3日日曜日

懲りない男・池田大作

 創価学会の幹部だった山崎正友氏・原島嵩氏が造反し、告発を開始した昭和55年(1980
年)からの数年間は、池田大作にとって守勢を余儀なくされた期間だった。

 搾取的な金集めや教団組織を私物化して贅沢三昧の生活を送っていること、異常な個人
崇拝などについて、山崎氏や原島氏らが週刊誌や月刊誌に書き立てたので、創価学会に対
しては、それまで以上に冷笑的な好奇の目が世間から向けられることになった。

 山崎氏らの告発は以上にとどまらず、共産党への盗聴や集団替え玉投票などの旧悪の暴
露にまで及び、池田大作の国会への証人喚問を求める署名運動まで展開された(残念なが
ら、この喚問は実現しなかったが)。

 週刊誌等での暴露が一通り出尽くし、創価学会に対する世間の注目が薄らぎ始めていた
昭和59年(1984年)、『週刊サンケイ』に「内部告発実録ノベル 小説 聖教新聞」と題し
た連載が開始された。執筆者は「グループS」を名乗る匿名の聖教新聞記者複数名で、連
載終了後に単行本化された。

 この連載は小説の体裁をとってはいたが、その内容はほぼ事実であり、登場人物にも実
在のモデルが存在している。例えば池田大作は「沼田太作」として登場する。

 この内部告発により、あきれた事実が明らかになった。池田大作がまたしても、という
だけでなく、それまで以上に豪華な専用施設をつくらせたというのである。当該箇所を単
行本から引用する。


>  学会本部とともに、この〝学会村〟の中核をなす聖教ビルの最上階七階が、聖教新
> 聞社社主でもある沼田太作専用の〝貴賓室〟として生まれ変わったのは五十八年八月
> のことだった。
 (中略)
>  わざわざイタリアから取り寄せて、壁一面に張りめぐらした大理石は、重厚な光沢
> をたたえている。
>  欧風の執務室と大会議室には、壮大なシャンデリア。フロア全体には、思わず体が
> 沈みこんでしまうような感触をおぼえる、ぶ厚いペルシャ製のシャギーとジュウタン
> がしきつめられている。
>  特注のテーブル、椅子、サイドボード、記帳台……すべてが〝一流〟好みの沼田の
> 趣向によるものばかりだ。
>  記帳台ひとつとってみても、皇居で天皇がお使いになっているものを「はるかにし
> のぐもの」というふれこみの、一千万円もしたという高価なものだ。
 (中略)
>  当初、この改装工事の見積もりは七億一千六百万円だったが、沼田好みの贅をつく
> すうちに、追加追加で二億円もオーバーし、たった一フロアを改装するために総額九
> 億円が投じられたのである。
>  いつか、週刊誌が、全国各地の学会の会館にあった沼田太作専用室のことを、「ラ
> ブホテルのようだ」と表現したことがあったが、此のフロアの威容を週刊誌記者が見
> たら、いったいなんと表現するだろうか。「迎賓館なみ」とでもいうのだろうか。


 池田大作は、あれだけ痛烈な批判を加えられたにもかかわらず、まったく懲りていなか
ったのである。

 また、実際に記事の執筆や編集に携わっている記者が執筆しただけあって、この小説に
は、聖教の記事がどのようにつくられているかも述べられている。

 それによると池田大作は、自分に関する記事の原稿には必ず目を通し、手を入れるのだ
という。

 『小説 聖教新聞』には、その具体例として、聖教新聞に掲載された婦人部座談会の一
部が挙げられている。当該記事は以下のとおり。


>  原田 そうでしたね。この数年間、山崎や原島や、御法主上人猊下に逆らう正信会
> やそれにつながる週刊誌の影響で、何が何だかさっぱり分からなかった(笑い)。魔
> 力というものが、こんなに恐ろしいものかを、これほど痛感したことはありません。
>  田口 その皆が、なんとなく心の奥でモヤモヤしていた時に、決然と名誉会長が疾
> 風のごとく来てくださり、それから全国に飛んでくださった。そして、御法主上人猊
> 下の御もとに、宗門も学会も、大きく信心と広宣流布の目的が明確になり、力強く転
> 換されていきましたね。
>  柴田 先生に、また私達を、学会を守ってもらったわけです。私達が先生を守るな
> どと大それたことをいってきたがとんでもない。大事な時はつねに、先生お一人が、
> 犠牲となって私達一人一人を守ってくださっていますね。
 (『聖教新聞』昭和57年〔1982年〕11月11日付より引用)

 ※ 上記引用中の「御法主上人猊下」とは、現在の創価学会が「天魔」「ニセ法主」と
  呼んで罵倒し続けている阿部日顕氏のことである。


 『小説 聖教新聞』でこの記事を示した一節には婦人部担当記者が登場し、以下のよう
な池田批判を繰り広げる。


> 「僕も婦人部担当ですから、この座談会にも出ていましたがね。これなんかも、やっ
> ぱり先生が自分で全面的に書きかえた部分ですよ。よく自分で自分のことをこういう
> ふうに表現できますよね。恥ずかしいという感情が先生にはないのかなぁ。〝決然と
> 疾風のごとく来てくださり〟なんて、まるで鞍馬天狗か月光仮面みたいだ」
> 「……」
> 「それに、〝信心と広宣流布の目的が明確になり〟とはどういうことですか。裏を返
> せば、それまでは明確じゃなかったということじゃないですか。要するに先生は〝自
> 分が表舞台からひっこんでいた間は、学会は目的を見失っていた。自分が復権して目
> 的も明確になり、学会員を守った〟といいたいわけでしょうけど、これじゃ東條さん
> は浮かばれませんよ。それに、山村弁護士らの批判から必死に先生のことを守ってき
> たわれわれのことだって全否定してることになる」

 ※ 「東條さん」とは北条浩氏、「山村弁護士」とは山崎正友氏のことである。


 この批判は、『小説 聖教新聞』を執筆した聖教記者の心の叫びでもあるのだろう。
 『聖教新聞』紙上にたびたび掲載される池田名誉会長礼賛記事が、実際には池田本人に
よる自画自賛であることをバラされた上、子飼いの部下からこれほど辛辣な言葉を投げつ
けられたのでは、さしもの池田センセイといえども赤面し、以後、同様の愚行は自重され
たのではないかと思われる方もおられるかもしれない。

 だが、池田大作という男は、この程度のことを気に病むような神経など持ち合わせてい
ない。「心臓に毛が生えている」とか「厚顔無恥」といった言葉は、彼のためにあるよう
なものである。

 『小説 聖教新聞』の出版から15年後にあたる平成11年、聖教新聞に「旭日の創立70周
年を迎えて 創価学会の歴史と展望を語る」と銘打った幹部座談会が連載された。その第
一回の冒頭を引用する。


>  和泉最高指導会議議長 わが創価学会も、ついに来年は、創立七十周年を迎えるこ
> とになったね。
>  辻参議会議長 今日の大発展は、牧口先生の当時は、まったく考えもつかなかった。
>  牧口先生も、戸田先生も、心から喜んでおられるでしょう。
>  秋谷会長 何といっても、池田先生の大功績は、我々は感謝しても感謝しきれませ
> ん。ただ一人、嵐の中、陣頭に立って、あらゆる三障四魔、三類の強敵、敢然と戦い、
> 私たちを守り、大道を開いてくださった。
>  谷川総合青年部長 池田先生の弟子として、私たちは立派に後継の退任を果たした
> い。
>  池田先生こそ、御聖訓のままに「死身弘法」「不惜身命」の方であられた。
 (『聖教新聞』平成11年〔1999年〕10月7日付より引用)


 和泉氏や辻氏は初代牧口会長以来の重鎮幹部でありながら、池田大作に屈従を強いられ、
本部幹部会で童謡に合わせてタコ踊りをさせられるなどの屈辱的な扱いを受けていた。

 秋谷氏も、池田が引き起こす騒動の尻拭いをさせられてきた。「池田には早く死んでほ
しい」という本音を漏らしていたことは以前述べた(「幹部の本音」参照)。

 その彼らが、本心から上記のようなことを言うとは思えない。ありがちな賛辞から推測
するに、この座談会の記事も池田本人の意向によるものであろう。

 創価学会という組織は、池田大作が何かやらかす度に幹部が造反して告発し、世間が注
目する騒動になるというパターンを繰り返してきたように見える。

 元公明党委員長・矢野絢也氏が、池田の脱税などの創価学会の不正を暴いた『乱脈経理』
を世に出したのは、池田大作が脳梗塞で倒れたとされる平成22年(2010年)の翌年だった。

 池田は病に倒れるまで、学ぶことなく同じような失敗を繰り返し続けた。愚昧な学会員
たちの信仰心を利用して自身の天下取りを実現するという池田の野望は、彼自身の愚かさ
によって潰えたのである。

 池田大作が最高権力者になるという悪夢が実現することはないであろうが、彼が野望実
現のために作り上げた反社会組織――創価学会――は当面の間は惰性で動き続け、罪なき
人々を苦しめ続けるだろう。

 だから、私も繰り返し主張し続けなければならない、池田大作は邪悪な俗物であり、彼
のような人物を「永遠の師匠」として仰ぐことは間違ったことなのだと。