2018年6月17日日曜日

池田大作はバカではない

 当ブログでは池田大作について、散々その破廉恥な言動や笑止な逸話をあげつらってき
たが、池田という男は決してただのバカではない。

 創価学会の教義は支離滅裂で、どのような巧言を弄したところで取り繕い様がない程に
破綻しており、知的水準を疑いたくなる連中なのも確かだが、だからといって決して侮っ
ていい組織ではない。

 池田に関するバカげた話だけに目を奪われ、創価学会を甘くみると痛い目に遭うことに
なりかねないのである。

 当ブログをお読みになった方が、創価学会の危険性、狡猾さ、邪悪さを過小評価するこ
とのないように、今回は警戒を促したい。

 創価学会の表も裏も知り尽くしていた元顧問弁護士・山崎正友氏は、造反後の人生を創
価学会と戦うために費やすことを強いられた。山崎氏は次のように述べている。


>  池田大作のことを〝バカ殿〟扱いして嘲笑する風潮が、一部マスコミにあった。
>  池田大作は、決してバカ殿なんかではない。現在の自民党の首脳など、束になって
> もかなわぬほど〝やり手〟であり、凄みを持った怪物なのだ。東大出身のエリートが、
> 赤子の手をひねるようにあしらわれ魂を喰らわれてしまう〝魔力〟の持ち主なのだ。
> 創価学会は、決してただの宗教団体ではない。
>  政治の世界で、経済の世界で、その他あらゆる面に手をのばし、世界に類を見ない
> 巨大で強力なコングロマリットなのだ。
>  強大な権力と、ずばぬけた財力を持ち、又東大、京大等の卒業者等で固めたエリー
> トの官僚機構を持っているのだ。
>  その上、自前の情報機関を持ち、更に、合法、非合法にわたって〝特殊活動〟を任
> 務とする師団をかかえているのだ。
>  百名をこえる弁護団を擁し、その多くは、小・中・高校生の頃から、「ハイル池田」
> を骨のずいまでたたき込まれ、英才教育を受けて法曹界に入ったメンバーである。
>  彼らは、国法の秩序より、創価学会の利益を優先させる。
>  とりわけ、池田大作を守る、ということになれば、自分の生命をも捨ててこれに当
> たる。
 (山崎正友著『信平裁判の攻防―続々・「月刊ペン」事件』より引用)


 上記引用は、信平レイプ裁判において、原告側(信平夫妻)の訴えが裁判で退けられた
理由を分析した記述の一部である。山崎氏は、信平氏側の弁護士が池田大作と創価学会を
侮り、十分な訴訟準備を怠ったことが敗因であるとし、警鐘を鳴らしているのである。

 創価学会が頭がおかしいとしか思えない妙な集団なのは事実だが、山崎氏が指摘するよ
うに他に類を見ないほど、危険で反社会的なカルトであることも忘れるべきではない。

 そして、創価学会をそのような集団として作り上げたのは、池田大作である。創価学会
は設立当初から、宗教を金集めに利用する組織だったが、信仰を追求しようとする人々が
皆無だったわけではない。

 現在の創価学会の基礎を築いたのは第二代会長の戸田城聖だが、戸田は日蓮正宗の信仰
を金儲けに利用する一方で、狂信的な信仰も持っていた。ノンフィクション作家・溝口敦
氏は、彼を「投機的強信者」と評している(『池田大作「権力者」の構造』による)。

 創価学会の教義は、極端なまでに現世利益を肯定するものなので、彼らの内面では信仰
と金儲けは相克するものではないが、敢えて言うならば、戸田の信仰面での後継者は石田
次男氏、事業面での後継者が池田大作であったと言えるだろう。

 創価学会が宗教団体として健全とまではいかないまでも、よりマシな方向に発展するた
めには、石田氏の方が後継者として適任だっただろうが、池田は石田氏を追い落として第
三代会長におさまり、その後、長きにわたり権力を保ち続けた。

 池田大作の独裁支配は、日蓮正宗との抗争や数々のスキャンダルなど、多くの問題を引
き起こしたので、学会内部でも比較的良識的な人々が池田独裁に抗おうとしたり、権力に
制約を課そうと試みたりしたが、池田は病魔に倒れるまでそのすべてを退け続けた。

 自分名義で世に出した書籍のほとんどをゴーストライターに書かせていた池田に、そん
な能力があるのかと訝る向きもあろうかと思う。側近の一人として池田に長年仕えた元副
会長・福島源次郎氏は、池田の能力について以下のように評している。


>  名誉会長の能力は、いったい何なのでありましょうか。私達有志の結論は次の二つ
> です。
>  一つは、ずば抜けた人心収攬術です。恐らく当代随一かもしれません。歴史的にも
> 有数の部類に入るでしょう。各人の機微を知り、弱点・性癖・嗜好を察知し、その人・
> その時に応じて、その人の心をとらえていく能力と技は、他の追随を許さぬもので、
> 天才的ともいえます(勿論この術が通用しない人もいます。反感や軽べつで接してく
> る人には、当初から修羅界の気分で、下し軽しめる行為に出るため)。理想を求め憧
> れる青年や女性に対しては特にこの収攬術は威力を発揮します。
>  もう一つは、自らを偉大に見せていく演出力と演技力が抜群です。修羅界の強い人
> は、誰しもそれなりにこの能力を持ち合わせていますが、名誉会長のこの能力は、こ
> れも天才的といえるほどみごとであります。これを巧まずして生地のように行なう迫
> 真の演技力がすばらしいのです。私も心からすばらしいと感激したことが数知れぬほ
> どありました。相当の目利きのジャーナリストやわが国有数の一流経営者さえ、生地
> そのものと信用するくらいですから、やはりたいしたものです。
 (福島源次郎著『蘇生への選択』より引用)


 池田の人心掌握と自己演出の見事さを、福島氏は称賛している。それらについての具体
的なエピソードを、別の書籍から引く。


>  池田が主宰する会食会で池田と同席したことがある非学会員の創価大OBは「これ
> だけ神格化された存在の人からプレゼントされたり、『お母さんを大事にね』と気さ
> くに声を掛けられたりすれば、コロッと落ちてしまう。希代の人たらしだ」と話す。
>  慶應義塾大学名誉教授の小林節は20年ほど前に池田を訪問した際、出迎えた池田か
> ら「あなたは戦っている男の顔をしています。私も戦っている男なんです」と声を掛
> けられ、「ハートをつかまれた気持ちになった」と振り返る。
 (週刊ダイヤモンド編集部編『創価学会と共産党』より引用)


 こうした能力に加えて、権力への飽くなき野望を持ち続け、そのためには労を惜しまず、
策を弄し続けたことが、池田が影響力を維持し続けられた理由であろう。

 以前述べたように、池田は『聖教新聞』の記事、とくに自分に関する記事には必ず目を
通し、手を入れていた。また、金や人事については絶対に部下まかせにはしなかった。


>  組織権力の最たるものは、人事権(特に首脳人事)・資金運用権・最高戦略決定権
> の三つです。この三権、特に人事権を握っている人が、その組織体の権力者であり、
> 最高実力者であって、名目や役職とは無関係です。
>  名誉会長はこの三つをがっちりと握り続けてきました。「名誉会長」に退いても、
> この点はいささかも変わらず、むしろ北條会長逝去後は、「会長」時代よりも権力行
> 使は格段と強化されました。
 (福島源次郎著『蘇生への選択』より引用)


 それだけでなく、部下が結束して自分に刃向かうことがないように、お互いに忠誠心を
競わせ、出世競争をさせていがみ合うように仕向けることで、トップである池田が調停者・
裁定者として、常に存在感を示せる状況を維持し続けた。

 元公明党代表・太田昭宏氏は、池田大作について「信仰心はゼロだけど政治家の資質は
百パーセント」と評したことがあるという。

 山崎正友氏も、月刊誌で連載していた『昨日の師・池田大作への手紙』の中で、「どん
なすぐれた弁護士よりも貴方(注:池田)の方が事件処理は上手だと思ったことが、何回
もあります」(『諸君』1982年11月号)と述べている。
 池田大作の権謀術数の手腕は、学会幹部の他の誰よりも抜きんでていたのである。

 権力への強い執念と優れた手腕を抜きにして、池田大作が絶対的な指導者として創価学
会に君臨し続ることなどなかったであろうし、その池田がトップであり続けたからこそ、
一介の新興宗教でしかない創価学会が、宗教法人の中でも段違いに多い信者数を誇り、公
明党を擁して国政を動かすまでになったのである。

 池田大作に「金と権力の亡者」として、抜きんでた資質があったのは事実であるが、彼
が普通の団体であれば――それが仮に企業であれ、政治団体であれ、宗教法人であれ――
とうの昔に失脚して当然のスキャンダルに何度も見舞われたこともまた事実である。

 池田が権力を維持し続けられたもう一つの理由として、末端の創価学会員たちの性質を
見逃すことはできない。

 創価学会員という連中は、「財務をすれば倍になって福をもたらす」「創価学会のため
につかったお金は、必ず戻ってくる」という何の根拠もない煽り文句に乗せられて、無理
してでも金を出し、「公明党に投票する人を増やせばご利益になる」と信じて、「F取り」
と称する選挙運動に邁進する人々である。

 どう考えても、あまり頭の良い人たちではない。創価学会員の大半が愚昧な連中ばかり
だったからこそ、何人もの造反者によって醜聞が暴かれ、週刊誌等であれだけ叩かれたに
もかかわらず、池田大作は創価学会に君臨し続けられたのである。

 池田大作は権力亡者ではあっても、決してバカではない。彼が欲望のおもむくままに愚
劣な騒動をひき起こし続けたのは、大半の創価学会員が愚かな連中だと見抜き、『聖教新
聞』等でのプロパガンダで容易に操ることができると見切っていたからであろう。そして、
これまでは池田の思惑通りだった。

 だが、インターネットの普及は、情報の収集を格段に容易なものとした。限られた情報
源に依存するように仕向けることで、無知な連中を操作できる時代は、もう終わりを告げ
るべきなのだ。

 何度でもいうが、学会員の皆さんもそろそろ目を覚ましてもいいのではないか。創価学
会のような異常なカルトのために人生を浪費するのは、もう止めにすべきだ。



お知らせ

 池田大作を焦点とした記事は、本稿をもって一区切りとします。
 もちろん、創価学会の実態が池田大作を崇める「池田教」である以上、今後も池田の人
となりについては言及せざるを得ないでしょうが、当面は別のテーマで書くつもりです。