「川邊メモ」とは、日蓮正宗の高僧だった川邊慈篤氏がつけていたメモである。
川邊氏は阿部日顕氏と親しく、法主に就任する以前からの阿部氏の言動について、詳細
なメモを残していた。
このメモが流出し、阿部氏が大石寺の大御本尊を偽物だと断定していたことが判明した。
それを日蓮正宗から離脱した僧侶たち――「憂宗護法同盟」と称した――が発行してい
た『同盟通信』(平成11年〔1999年〕7月7日付)が報じたことから騒動が起こった。
問題のメモの内容は、以下のようなものである。
> S53・2・7、A面談 帝国H
> 一、戒旦之御本尊之件
> 戒旦の御本尊のは偽物である。
> 種々方法の筆跡鑑定の結果解った。(字画判定)
> 多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の
> 題目と花押を模写し、その他は時師か有師の
> 頃の筆だ。
> 日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている
> 一、Gは話にならない
> 人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の
> 事ではGでは不可能だ。
> 一、Gは学会と手を切っても又二三年したら元に戻
> るだらうと云う安易な考へを持っている
> ※日禅授与の本尊は、初めは北山にあったが北山の
> 誰かが売に出し、それを応師が何処で発見して
> 購入したもの。(弘安三年の御本尊)
(憂宗護法同盟 著『法主詐称』)
※ Aとは阿部氏、Gとは猊下(当時の法主・細井日達氏)を指す。
日蓮正宗にとって、大石寺の大御本尊は教義の根幹である。法主に就任する1年前、当
時、教学部長だった阿部氏がこれを偽物呼ばわりしていたことが事実であれば、宗教とし
ての正統性が根本から崩れることになる。
当然のことながら、阿部氏と川邊氏は釈明の必要に迫られた。
時を置かずして、同年7月9日付の宗務院通達に、阿部氏の言い分が掲載された。
> この度、御法主上人猊下には、川辺メモ中の記載事項と、実際の面談とには、内容
> に大きな差異がある旨を仰せになられました。
> 即ち、二十年以上も以前のことであり、その発言内容の全てを正確に御記憶されて
> いるわけではありませんが、当時は裁判も含め、以前より外部からの「戒壇の大御本
> 尊」に対する疑難が多く来ていたこともあり、御法主上人猊下におかれては、教学部
> 長として、それらの疑難について川辺師に対して説明されたものであります。
(平成11年7月9日付 日蓮正宗宗務院通達)
次いで翌7月10日付の通達に、川邊氏による「お詫びと証言」が掲載された。川邊氏も
当時、阿部氏から「外部から大御本尊について、こういった批判がある」との説明を受け、
それをメモに書き記したのであり、阿部氏が自らの意見として「大御本尊は偽物」と述べ
たわけではないという旨の弁解している。
大石寺の大御本尊については、古くから偽作説があった。
昭和53年(1978年)の時点でも、元民音職員の松本勝弥氏らが「大御本尊は偽物なので、
正本堂建立にあたっての寄付金の返還を求める」と訴え、裁判で係争中だったのも事実で
ある。
しかし、松本氏らは「大御本尊を筆跡鑑定して偽物と判明した」などと、主張していた
わけではない。
また、「大御本尊は、弘安三年に日蓮が弟子の日禅に与えた本尊の模刻である」と主張
する者が、当時いたわけでもない(犀角独歩氏がこのような主張をしておられるが、彼が
大御本尊を検証したのは、川邊メモが明らかになった後のことである)。
阿部氏と川邊氏の弁解には、難があると言わざるを得ない。
阿部氏は、日蓮正宗の内部では本尊鑑定の専門家と見られていたという。
大御本尊と日禅授与本尊を比較して筆跡鑑定することも、大石寺の教学部長だった阿部
氏ならば、その機会はいくらでもあっただろう。
川邊メモの内容は、大御本尊が偽物だということも、阿部日顕氏がそれを承知していた
ということも、両方ともが事実だったと考えてよさそうである。
創価学会はこの件について、聖教新聞や創価新報で「日顕の発言は宗旨破壊の大謗法で
あり、そのような人物に法主の資格はない」といった旨の批判を繰り返し行った。
その一例として、聖教新聞から秋谷会長(当時)の談話を引く。
> 一、極悪・日顕が、“大御本尊偽物”という大邪説を唱えていたことが“川辺メモ”に
> よって七月に発覚し、宗内に大激震が走ったことは、すでにご承知の通りであります。
(中略)
> 一、宗旨(しゅうし)の根幹である戒壇の大御本尊を、一宗の法主が「偽物である」
> と断じたなどは、前代未聞の出来事であります。この大謗法は、未来永劫(えいごう)
> の歴史に残る大汚点であり、滅亡の因となることは、疑う余地がありません。
(『聖教新聞』1999年〔平成11年〕9月12日付)
大御本尊は偽物だという事実を指摘したことが、日蓮正宗の「滅亡の因」となるのなら、
「受持の対象にしない」と宣言した創価学会はどうなるのだろうか……。
さて、前回述べた通り、この騒動から15年後の平成26年(2014年)、創価学会は会則を
改正し、大石寺の大御本尊を信仰の対象から外した。
この教義変更については、推進派の首脳部――原田会長、秋谷前会長、八尋顧問弁護士、
谷川事務総長――と、反対派の教学部との間で確執があった。
結果は見えていたであろうが、教学部側が敗北し教義変更は強行された。
反対を主張し続けた遠藤総合教学部長は更迭されたが、彼らも一矢報いたかったのか、
教義変更に関する内部事情を記した文書を2回にわたって流出させた。
それが、「教学部レポート」と「遠藤文書」である。
既にご覧になった方も多いと思われるが、両文書を読んで私が関心を持った箇所につい
て要約を記す。
・ 「戒壇の大御本尊は、謗法の宗門の本尊であり、学会とは何の関わりもない」と教義
を変更し、それを池田が存命中に池田の意志として発表するという方針は、首脳部が決
定しており、教学部にはそれを正当化する役割が求められた。
> この一連の計画を主導しているのは、A議長、H会長、T事務総長、Y弁護士の4人です。
> 信仰の根本の問題なのだから、もっと皆の意見を聞いて、もっと時間をかけて、慎重
> に進めるべきだ」と心配の声が上がっています。
> にもかかわらず、A、H、T、Yの4人は、
> 「池田先生の強い意向」と「教義の裁定権は会長にあるという会則」
> を盾に、独断専行に近い状態で強行突破を企てています。
(教学部レポート)
※ A、H、T、Yとは、それぞれ秋谷前会長、原田会長、谷川事務総長、八尋顧問弁護
士のことである。
・ 上記の方針が本当に池田の了承を得たものか疑問に感じた遠藤氏らが、第一庶務室長
に確認したところ、「池田先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそうした
指導は受けていない」との回答だった。
> 「先生のご意向のもと、大御本尊との決別を今この時に宣言する」
> という、先生のご指導は、全くの作り話だったのです。
(教学部レポート)
・ 教学部としては、創価学会の本尊はすべて大御本尊を書写したもので「之を書写し奉
る」と明記されていることから、大御本尊を否定すれば信仰の根拠が不安定となり、学
会員が動揺することになると懸念していた。
・ 教義変更に必要な調査に、女性問題で失脚した弓谷元男子部長が従事していた。
> 先月、宮地の方から、弓谷の言動に関してお伝えいたしました。弓谷は、前代未聞
> の女性問題を起こして男子部長を頚になった人間です。池田先生が、弓谷の不祥事で、
> 大変に苦しまれたとうかがっています。先生御自身、「あいつは将来、絶対に叛逆す
> る。絶対に使うな」と断じられたと聞き及んでおります。その弓谷が、大御本尊とい
> う学会にとって最重要の事項について、どういう資格、どういう立場で調査に当たっ
> たのでしょうか。
(遠藤文書)
また、教学部レポートに記された幹部の発言からは、外部の人間には容易にはうかがい
知れない学会本部の体質を垣間見ることができ、興味深く感じた。
> 教学部以外の5人は、論理として完全に破綻していました。率直に申せば、素人談義
> の域を出ず、これが学会の最高首脳の教義理解かと別の意味で衝撃を受けました。
> 例えば、A議長は
> 「弘安二年の御本尊については、南無妙法蓮華経の法体を文字曼荼羅に図顕された御
> 本尊であるが、唯一絶対の御本尊と大聖人が定められた証拠はない。
> 日寛上人より『究竟中の究竟』等宗派の確立のために確立されたとも推察される」
> 「弘安二年の御本尊も何の徳用も働かない。・‥
> 他宗の身延派や、中山系、京都系が保持している真筆の御本尊と同じ事になる」
> と主張していました。
(教学部レポート)
秋谷前会長が述べているとおり、現在の日蓮正宗の教義は、第26世法主・日寛が自派の
正当性を訴えるためにデッチ上げたものだというのは史実である。
だが、これを一般の学会員の前で言うことができるのだろうか。
> また聖人御難事の「余は二十七年なり」という大聖人の「出世の本懐」の表明につい
> ても、T総長は
> 「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えて
> もいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいい
> んじゃないか」
> と述べていました。
(中略)
> 「過去との整合性などどうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
> 完全に独立した教団として出発するんだから。
> 結論は決まっているんだ。
> 教義なんて、それを後付けすればいいんだ」
> と、T総長は何度も繰り返していました。
> “何でも自分たちで決められる”という全能感がにじみ出ていて、何を言っても取り
> 付く島がありません。支離滅裂な不毛な会議となりました。
(教学部レポート)
『聖人御難事』にある「出世の本懐」という言葉の意味を、「特別な本尊として大御本
尊を作ったこと」と解釈する日蓮正宗の教義は、確かにこじつけでしかないので、それを
「変えてもいい」という谷川氏の主張は理解できなくもない。
だからといって「過去との整合性などどうでもいい」「教義なんて後付けでいい」とい
うのは、宗教団体の幹部としてがいかがなものであろうか。
秋谷氏・谷川氏の発言は現実主義的ではある。その一方で、誠実な信仰者というよりは、
信者を操る権力者としての相貌が色濃く表れてもいる。
ご両名とも選挙の指揮において実績を積んで来られたとのことなので、教義のことなど
本音ではあまり関心を持っておられないのだろう。
創価学会の幹部にとっては、教義など学会員を操るためのツールに過ぎないのである。
失脚した遠藤氏は、実直に信仰し、池田センセイを尊敬していたのかもしれない。だが、
彼をセンセイとの「師弟不二」の実践者と呼ぶわけにはいかない。
池田センセイは金と権力、そして女性が大好きな方だった。秋谷氏や谷川氏、弓谷氏の
方こそが、真の「師弟不二」の実践者ではないかと思うのは私だけだろうか。
大石寺の大御本尊を中核とする日蓮正宗の教義は、第67世法主・阿部日顕上人がいみじ
くもご指摘なされたとおりデタラメだし、その日蓮正宗から破門されて都合が悪くなった
点について取り繕った、創価学会の現在の教義もインチキである。
所詮、どちらもカルトに過ぎないのだ。
追記
秋谷氏や谷川氏をはじめとする学会幹部が、「日蓮正宗の教義は誤りだった」と気づい
たのならば、それは大いに結構なことである。
しかし、「だから教義を変更するのだ」というのであれば、まず、その誤った教義を広
めるために強引な折伏を行い、多く人を傷つけ苦しめてきたことについて反省し、謝罪す
るべきではなかったのか。
実際には、創価学会は平成28年(2016年)、会則前文に「創価学会仏」なる言葉を加
え、自己神格化を進めることを選んだ。つくづく度し難い連中である。
補足
創価学会の教義変更と、教学部レポート・遠藤文書の関係については、以下のサイトの
解説が分かりやすい。
よくわかる創価学会
また、教学部レポートのほぼ全文が、樋田昌志氏が開設されているサイトで閲覧できる。
樋田氏のサイト・toyoda.tv
※ 「創価教学部からの流出資料か」と題されたファイル
遠藤文書については以下のサイトで閲覧できる。
顕正会の崩壊は近い