2019年7月21日日曜日

公明党の選挙運動について

 日本は自由な社会であり、誰がどの政党を支持するかは個人の問題である。自由な意思
に基づく投票は、憲法によって保証された権利である。

 創価学会においても、表向きは「どの政党を支持するかは各会員の自由」とされてはい
るものの、それは実態を伴わないキレイゴトに過ぎない。

 創価学会が組織を挙げて、「F取り」と称する公明党の選挙運動に邁進していることは
周知の事実である(「F」とはフレンドの略)。


> 「学会員個人個人の政党支持は、自由であることを再確認しておきたい」(一九九四
> 年一一月一〇日、創価学会・総務会での決定事項)
>  というのが、政治にかかわる創価学会の建て前である。総務会という同会の最高議
> 決機関で決定しているものだが、実態はそうではない。
 (中略)
>  創価学会の会合に呼び出されて、宗教の話ではなく、F票の目標数を聞かれ、投票
> 日には投票までチェックされる。こうした組織活動の雰囲気の中で、
> 「私は自民党を応援しますので、同党のF取りをやります」
>  とか、
> 「公明党を支持しませんので、会合では信仰の話が終わったら帰宅します」
>  あるいは、
> 「日本共産党に投票しました」
>  などの姿勢を見せたら、まず、学会の組織にはいられなくなる。「信心が足りない」
> とか、「池田先生を裏切るの!」等、批判され、反逆者のレッテルをはられ、最悪、
> ほかの理由を付けて組織除名は免れない。組織に選挙の自由はないのだ。
 (創価学会問題研究会 著『創価学会婦人部』)


 『創価学会婦人部』は平成13年(2001年)に出版されたもので、情報がやや古いことは
否めない。

 現在は自民党・公明党の選挙協力がかなり進んでおり、国政選挙で公明党が候補者を立
てない選挙区では、創価学会は自民党の候補を支援しているはずである。

 とはいっても、創価学会においては、公明党の応援が最優先されることに変わりはない。
 公明党が集団的自衛権行使を容認したことについて、異議を唱えた学会員が除名された
との報道もある。


> 「創価学会から除名する」――。埼玉県坂戸市の会社員、篠澤脇司氏(52歳)の自宅
> に、学会からその「通知書」が届いたのは、昨年12月末のことだった。
 (中略)
>  そこに書かれていた処分の理由は、要するに篠澤氏が「執行部批判の言動を続けた」
> というものだ。
 (中略)
>  だが、そもそも、なぜ篠澤氏は批判を始めるに至ったか。きっかけは2014年の安倍
> 政権による集団的自衛権行使容認の閣議決定だったという。
 (中略)
> 「公明党を支援できません」16年夏の参議院議員選挙を前に上位役職の本部長らに告
> げたところ、すぐに地区部長解任となった。
>  翌17年には残っていた副支部長の肩書も外され、一般会員に。すると座談会などの
> 連絡は途絶え、会員と道で擦れ違っても無視される“村八分”となった。
>  学会本部の監正審査会に不服を申し立てたが、処分が覆ることはなく今年8月に除
> 名が確定。
 (『週刊ダイヤモンド』2018年10月13日号)


 創価学会においては、公明党がどのように政策を変更しようとも、それについて意見を
述べたりせず、唯々諾々と選挙支援をするべきだとされているのである。

 また、大部分の学会員もそれをおかしいと思わない。彼らが公明党の選挙運動を行うの
は、それが「功徳(ご利益)」をもたらすと信じているからだ。度し難いほど愚昧で、民
主主義の理念から逸脱した態度である。

 活動熱心な学会員になると、自分の地元だけでなく、他の選挙区の応援にも出向く。
 昨年の沖縄県知事選で、自民党・公明党から推薦を受けるも落選した佐喜眞淳氏を応援
するために、各地から5千人もの学会員活動家が結集したと報道されたことは、記憶に新
しい。

 創価学会では、東京都議会議員選挙を重視しているため、その際にも各地から学会員が
応援に駆けつけるという。

 こうした場合の交通費・宿泊費は、各学会員の自腹である。
 学生時代の同級生等、旧知の学会員から投票依頼の電話を受けた経験がある方も多いだ
ろうが、電話料金も当然、本人の負担である。

 選挙では多くのマンパワーが必要になる。公明党以外の政党からの立候補者は、アルバ
イト等でそれを賄っているが、公明党の場合は、創価学会員が無償で奉仕している。

 創価学会員であるということは、本来、自由であるべき投票に制約を課され、選挙運動
でタダ働き――しかも旅費等の経費は持ち出し――までしなければならない、ということ
でもあるのだ。

 彼らは、公明党の候補者は池田先生のお眼鏡にかなった人物であり、そういう人を応援
することは仏道修行になり、平和にも貢献することなのだと本気で信じている。

 しかし、当ブログで論じてきたように、池田大作が本心からの平和主義者とは信じがた
い。池田は、そのように振る舞う方が何かと都合がいいから、平和主義者のフリをしてき
ただけに過ぎない。

 国際社会には対立する様々な利害が錯綜しており、各地の紛争にも、それぞれに複雑な
背景がある。世界平和のために、どのように振る舞うことが日本にとって最適なのかは、
簡単に答えが出せる問題ではない。

 だから私は、憲法9条の擁護を主張し、集団的自衛権や軍事基地には絶対に反対という
人々について、理想を掲げることの意義は認めるものの、本当にそれだけで平和が実現す
るほど、現実は甘くはないだろうとの懐疑的な見方も持っている。

 だが、創価学会員という連中は、「池田大作を崇めることが平和主義だ」と信じている
のと同じであり、その愚劣さには嫌悪しか感じない。

 何も考えずに「創価学会・公明党は絶対に正しい」と信じ続けられる人は、ある意味で
幸せなのかもしれないが、そういう連中が国政選挙の結果まで左右してしまう現状は、日
本にとって、たいへん不幸なことだと思う。


補足 

 池田大作が行ってきた「平和運動」の内容は、金を積んで各国の著名人と会談し、ゴー
ストライターを使って美辞麗句を連ねた本を書かせてきたというだけである。

 また彼は、軍事独裁者で麻薬ビジネスを営んでいたノリエガ将軍と親交を結んでいた。
 そんな人物が、本心からの平和主義者かどうかなど、考えるまでもないことであろう。

  池田センセイの「ご友人」

  池田大作は本当に平和主義者か?

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