2018年12月23日日曜日

ふたたび「財務」について

 創価学会では、年末に「財務」と称して金を集めることが定例行事になっている。財務
は「広宣流布のためのご供養」とされ、学会員たちは「広宣流布の指導者」である池田セ
ンセイに使っていただくために金をさし出せば、ご利益を得られると信じ、指定された銀
行口座に一口一万円からの金を振り込むのである。

 このように、すっかり「金のかかる宗教」になりおおせてしまった現在の創価学会だが、
かつては「金のかからない宗教」を標榜し、他の宗教を「金取り宗教」などと批判してい
た時期もあった。

 特に批判の矛先を向けられたのは、天理教と立正佼成会だった。創価学会は、これらの
教団が会費を集めていることを口を極めて非難する一方で、「学会は会費を取らない」と
宣伝し、こうした新興宗教の信者に対して折伏を行ったのである。

 確かに創価学会は現在に至るまで、「会費」という名目では金を集めてはいない。だが、
創価学会に入信した者は、もれなく聖教新聞を購読させられる。「新聞購読料」という名
目で、事実上の会費を集めているのと変わらない。

 こうした欺瞞に疑問を感じない人が、騙されて創価学会に入信したしたのであろう。詐
欺同然ではないかと思うのは、私一人ではないはずである。

 さて、聖教新聞に掲載された池田センセイのご指導にも、「創価学会は金集めをしない」
との趣旨の発言が一度ならずあった。その一例を以下に挙げる。

『聖教新聞』昭和37年(1962)年6月16日付

 ※ 「寺院・神社は魔縁のすみか」とある。かつての聖教新聞には、日本の伝統宗教
  を邪宗呼ばわりする記事が頻繁に掲載されていた。


 この講義の中で、池田センセイは創価学会における「ご供養」のあり方について、以下
のような見解を述べられている。


>  邪宗などは、みんなうまいことをいって金を巻き上げて、教祖のために、それから
> 教団の勢力のために、それも、本当に人々が救えるならば許せるけれども、ぜんぶが
> 地獄に落ち、民衆は教祖にだまされて、そして、教祖はりっぱな家ばかりつくり、
> 民衆は最後には、コジキみたいになってしまう。これが邪宗教団の姿です。
>  日蓮正宗創価学会においては、日蓮正宗を守っていくことは私どもの役目です。
> 「御供養してはいけない」ということは、御書に照らして、私は申し上げることはで
> きませんが、日蓮正宗総本山に、日達猊下に対したてまつる一切のご奉公、御供養に
> 対しては、皆さん方を代表して、いっさいご奉公申し上げますから、安心していただ
> きたいと思うのであります。(拍手)
>  その功徳はぜんぶ皆さん方に回向(えこう)されます。これを私は確信しておりま
> す。したがって、創価学会としては、永久に皆さん方から、ただの一銭も寄付を願っ
> たり、供養願うようなことはいたしません。


 池田センセイは、学会員の代わりに会長であるご自身が供養し、しかもその功徳はすべ
て学会員に回向してくださるのだという。
 
 たいへんご立派なことをおっしゃっているようだが、創価学会は、この前年(昭和36年)
に大石寺に大客殿を建立するためと称して、金集めをしたばかりである。

 また、三年後の昭和40年(1965年)には、正本堂建立のためという名目で、数百億円も
の巨額を学会員から集めている(「創価学会の金集め①」参照)。

 どうやら創価学会の信心には、若くして健忘症になるという「現証」があるらしい。誤
った信仰の恐ろしさと言うべきであろうか。

 ただ、当時の聖教新聞を読むと、大客殿建立を名目として寄付金を募った時は、現在よ
りもずっと良心的だったようである。

『聖教新聞』昭和36年(1961)年6月14日付

 上の紙面は「大客殿の御供養をめぐって」と題した座談会。出席者は原島宏治、柏原ヤ
ス、秋谷城栄(栄之助)、藤井富雄など。興味深い発言があるので、一部引用する。


> 藤井 それから実際の取り扱いの点ですが「だれそれさんは十万円御供養するそうよ」
>  って話したらしいのです。片方は五百円しようと思っていたのですよ。それを聞い
>  たとたんに恐れをなしちゃって、うっかり持っていけないというわけですよ。です
>  から幹部は不注意なことばには気をつけなければなりませんね。
> 柏原 言わないのがあたりまえだわね。
> 田中 必ず、班長からお宅は一万円やりなさいといわれたと憤慨する声があるのです
>  ね。
> 秋谷 金額ではなくて、何人参加させられたかということが問題なのじゃないですか。
 (中略)
> 司会 一円玉や五円玉をためてやったという人もいますね。
> 中村 自炊している青年などこまかい釣り銭をためているのがありますね。
> 柏原 ためたお金の持って行き方ですよね。ためたバラ銭を千円札に替えるのが惜し
>  いのですね。なにか、一円玉の一つ一つに功徳があるような。(笑い)


 柏原氏は、後に創価学会が狂ったように高額財務を煽るようになってから、「百万出せ」
と絶叫する指導をして物議をかもした(「創価学会仏の金口直説」参照)。同じ人間とは
思えない変わり様である。

 昨今の創価学会でも、「最低でも一万円以上」との学会本部の指導に反して、財務の振
り込みを一円とか十円とかの小額ですます向きもおられるそうである。

 私個人としては、創価学会のようなカルト教団には一円たりとも貢ぎたくはないが、か
つては学会幹部たちも「一円玉の一つ一つに功徳がある」と述べていたのだから、学会員
の皆さんがそうしたいのなら、一円財務をするのもありなのかもしれない。

 それに池田センセイも、御供養は会長自らがするので、学会員の皆さんからは「永久に
一銭も寄付を願ったりしない」と確言しておられたのだから、広宣流布に必要な費用は、
原田会長や年収一千万円以上も多数いるという本部職員に捻出してもらえばよいのではな
いだろうか。

 池田センセイとの「師弟不二」の忠実な実践者である彼らならば、それに異議を唱える
こともあるまいと思うのだが、いかがだろうか。