2017年6月7日水曜日

『人間革命』の執筆体制と長期休載

 『人間革命』は、「聖教新聞」に連載されていたが、たびたび休載していた。中でも最
も長期の休載は、第十一巻分の連載を中断した時である。

 『人間革命』第十一巻は昭和55年(1980年)8月10日から連載開始されたが、同年11月
20日の掲載を最後に休載し、再開されたのは10年半後の平成3年(1991年)5月3日だった。
 長期休載の理由について、同書の「あとがき」には、以下のように記されている。


>  長い道程であった。十年一昔というが、昭和五十五年八月に、第十一巻の連載を開
> 始してから、出版にいたるまでに、実に十一年余を費やしてしまった。その間、諸般
> の事情から、「転機」「波瀾」「夕張」の三章を終えたあとは、十年半にわたる長期
> 休載を余儀なくされた。連載を楽しみにしてくださっていた読者の皆さまに、まず、
> 心よりお詫び申し上げたい。
>  私にとって、この十一年間は、まさに激動の歳月であった。学会へのさまざまな策
> 謀がめぐらされ、真実を証明するために、法廷にも立った。また、ある時は病魔に襲
> われ、病床に伏しもした。しかし、新しき希望の世紀を開くために、世界広宣流布の
> 旅路を広げ、世界の各界の有識者との対話も重ねてきた。
>  そのなかで、寸暇を惜しんで、言葉を紡ぎ出す念いで書きつづった本書の完成だけ
> に、私にとっても喜ばしい限りである。


 この文章を書いたのは、『人間革命』の表向きの著者・池田大作ということになってい
るが、極めて欺瞞的な文章であると言わざるを得ない。

 「私にとって、この十一年間は、まさに激動の歳月であった」とし、法廷での証言など
を挙げているが、日蓮正宗との間の抗争により、会長を辞任せざるを得なかったことや、
第十一巻が刊行された平成4年(1992年)の前年には、破門までされたことについては、
まったく言及されていない。

 不都合なことは、たとえそれが周知の事実であっても、なかったことにするというのが、
創価学会および池田大作のやり方なのである。

 『人間革命』の本当の著者は、創価学会の外郭会社・東西哲学書院の社長だった篠原善
太郎氏である。

 創価学会には〝特別書籍〟という部署があり、池田大作名義の著作の大部分は、そこに
所属するゴーストライターによって書かれていた。かつては、表向きは教学部長だった原
島嵩氏が、特別書籍のキャップを務めていた。

 池田大作は、その特別書籍に所属する原島氏らに対しても、『人間革命』だけは自分で
書いているように見せかけようと、さまざまな小細工を弄していた。

 池田が口述したものを、妻のかねが筆記しているのだと言って、『人間革命』の原稿を
録音したテープを聞かされたこともあったと、原島氏は述べている。
 だが原島氏は、『人間革命』は実際には篠原氏が書いたものだと知っていた。


>  私たちは、当時、すでに『人間革命』は、篠原善太郎が書いていたことを知ってい
> ました。それをいかにも池田が書いたように演出し、篠原の書いたものを池田が自筆
> で書き直し、その原稿やコピーを「生涯の記念」にと言って、いろいろな人に分け与
> えたりしていました。池田の字で書かれていないものは「口述筆記だ」と言い訳をし
> ていますが、私たちには口述をしているところに絶対に立ち会わせないのです。第一
> 庶務の女性や池田夫人などの人達が立ち会っています。後に、篠原善太郎が、私にこ
> っそりと「人間革命は、実は九九%、私の書いたものを池田夫人が写しているんです
> よ」と教えてくれたこともあります。池田は、私たちが、篠原が代作していることを
> 知らないと思っていたのです。
 (原島嵩著『池田大作・創価学会の真実』より引用)


 『人間革命』第十一巻のあとがきには「真実を証明するために、法廷にも立った」とあ
るが、この法廷とは「月刊ペン」事件および山崎正友氏による創価学会への恐喝事件のこ
とである。

 造反した原島嵩氏が「月刊ペン」事件の裁判で証人として出廷し、『人間革命』は篠原
善太郎氏が執筆したものであると証言しているにも関わらず、ぬけぬけとこのようなこと
を書く厚顔無恥には呆れるほかない。

 『人間革命』の執筆には、現創価学会会長の原田稔氏も、聖教新聞の記者として関与し
ていた。執筆体制についての記述を以下に引用する。


>  篠原は『人間革命』を書いたことで本部・聖教新聞社内で特別待遇を受けるに至っ
> た。伊東に別荘をもっているのも、学会幹部の中で篠原一人だけ。篠原が書く『人間
> 革命』の原稿を聖教の記者が少しでも手直ししようものなら、怒鳴りこんでそれを元
> 通りに訂正させた。『人間革命』の担当記者だった原田稔や松本和夫らは、自ら取材
> したというよりも、篠原の手伝いをしたといった方が正確だ。篠原には本部の三階に
> あった黎明図書館の脇に書斎が与えられ、そこでいつも原稿を書いていた。
> 「山崎正友裁判」の時、裁判官から「『人間革命』はあなたが書いたのですか」と尋
> ねられ、池田がいみじくも「私の直筆です」と答えた話は有名。「私が書いた」とい
> わなかったところがミソである。
 (内藤国夫著『創価学会・公明党スキャンダル・ウォッチング』より引用)


 聖教新聞での『人間革命』の休載は何度もあったが、第十一巻連載中の十年以上もの長
期休載はやはり異例である。その本当の理由は、実際に執筆していたわけではない池田大
作が「世界広宣流布の旅路を広げ」たために、忙しかったからなどではないだろう。

 その理由の一つとして、第十一巻の内容に、池田大作が選挙違反容疑で逮捕された「大
阪事件」が含まれており、不用意な記述は検察を刺激する恐れがあったために慎重な対応
をとったのではないかと言われているが、定かではない。

 別の証言として、篠原氏が池田大作と仲違いをしたというものもある。永島雪夫著『創
価学会池田王国の崩壊』に、現職の副会長とされる人物の証言が掲載されているので引用
する。


>  ところが、彼(注:篠原善太郎氏氏)が奥さんを亡くしてね、元々体の弱かった人
> だから(肺を患っていた)、青山の鍼灸員に通った。そこの女医さんと再婚すること
> になった時に、池田名誉会長は猛反対したわけです。
>  これが池田名誉会長と対立するきっかけになり「もうオレは書かない」と言って、
> 『人間革命』の執筆を断ってしまったというのです。
>  だからですよ、『人間革命』が一時中断されたのは。その理由はそういうことでし
> た。
>  その時、池田名誉会長は皆の前でこう釈明してました。
> 「最近は海外布教に忙しくて、人間革命を書いている時間がない。暫く休ませていた
> だく」なんてね。中断したまま、篠原氏は死んだんですね。それまで、彼は箱根研修
> 所にある池田名誉会長専用宅の別棟の個室で書いていたというんですが、死んだあと
> に、必ずどこかに原稿があるに違いないと言って皆で探しまわった。これは多分、金
> 庫だろう、ということになった。ところが金庫の鍵は本人がどこかへ捨ててしまって
> いたんですね。それで壊して開けたんです。そうしたら、中に原稿があったという話
> です。
>  池田名誉会長は意気揚々として皆の前でこう言うわけです。
> 「また人間革命の執筆を始めます」
>  胸を張ってね。


 篠原氏が死去したのは平成3年(1991年)なので、この証言は連載再開の時期とは整合
している。

 『人間革命』の連載は、平成5年(1993年)2月11日に第十二巻分が完結するまで続いた
(第十二巻単行本は同年4月2日付で刊行されている)。

 篠原氏が死去前に、完結までの全原稿を執筆していたかまでは不明だが、もし仮にそう
だったとしても、『人間革命』第十二巻には、日蓮正宗からの破門(平成3年〔1991年〕)
や、藤原行正氏・龍年光氏といった大物幹部の造反を受けた記述があるので、松本和夫氏
や原田現会長らが、池田大作の指示のもと大幅に手を加えたはずである。

 なお『新・人間革命』は、松本和夫氏が執筆しているという(山崎正友氏・古谷博氏に
よる)。

 これだけの証言があるにもかかわらず、ほとんどの創価学会員は、『人間革命』は〝末
法の御本仏である池田先生が執筆された「現代の御書」〟だと信じ、批判的な情報はすべ
てウソだと思い込んでいる。それだけはでなく、『人間革命』が内包する矛盾については、
思考停止に陥ってもいる。

 これまで述べてきたように、『人間革命』の内容は矛盾と欺瞞に満ちており、まともな
知性をもつ者が読めば、こんな本を聖典扱いしている宗教は頭がおかしいカルトだと、す
ぐにわかる。

 学会員は折伏の際に『人間革命』を読むように薦めたり、場合によっては『人間革命』
の一部の巻を手渡してくることもあるが、ハッキリ言って普通の人にとっては、読む価値
はない本である。

 ただ、創価学会の欺瞞を暴くための資料としては役立つ点もあるので、当ブログをご覧
の学会員がいらっしゃるのであれば、そのような視点で再読されてはいかがであろうか。
 カルトの洗脳を解き、よりよい人生に向けて歩き出す第一歩となるかもしれない。