2017年6月24日土曜日

折伏成果の水増しについて

 現在の創価学会は、827万世帯の会員がいると公称している。
 しかし、公称発行部数550万部の『聖教新聞』を、一世帯で複数部とる学会員が多数い
たり、公明党の得票数が公称世帯数より少なかったりすることから、学会が主張する数字
は、過大なのではないかと疑われる。

 創価学会の公称世帯数は、学会が授与した本尊の数に基づくという。つまり、世帯数が
怪しいということは、折伏実績の水増しが疑われるということである。今回はこの点につ
いて論じたい。

 前回、戸田城聖が創価学会の第二代会長に就任するにあたって、折伏大行進の号令を発
したことを述べたが、その際に戸田は、以下のようにも述べている。


>  現代において、仏に等しい境涯に立ち、この世界を心から愛する道に徹するならば、
> ただ折伏以外の方法は、すべてなにものもないのであります。
>  これこそ各人の幸福への最高手段であり、世界平和への最短距離であり、一国隆昌
> の一大秘訣なのであります。故に、私は折伏行こそ、仏法の修行中、最高のものであ
> るというのです。
 (『人間革命』第五巻より引用)


 折伏のマニュアルである『折伏経典』にも、「たとえ御本尊を信じていても、折伏を行
じなければ、それは摂受であり、大利益を得ることはできない」と書かれている。

 新規会員の獲得こそが最高の仏道修行であり、現世利益につながる、逆に折伏をしなけ
れば、ご利益は得られないという教義が、創価学会の勢力拡大の原動力となったのは事実
であろう。

 しかし、その一方で、無理な折伏目標を掲げたことは、末端にしわ寄せをもたらした。
 『朝日新聞』(昭和31年〔1956年〕7月11日付)に、「酒を飲ませて布教 成績競って水
増し」と題して、創価学会の折伏についての記事が掲載されているので、一部引用する。


>  創価学会の下部組織には、信者を集めるためにこんな布教運動の事例がある。ある
> 一流土建会社の青年信者が、何も知らない大学生らの青年たちを集めて入会させ、そ
> のお礼に銀座のバーで大盤振舞をしたという話だが、この会合はこの春ごろからつい
> 最近まで二、三回行われたもので、記者は某日、何回目かの会合に大学生になりすま
> して同行してみた。
>  その日の集合は午後五時、国電中央線信濃町駅前。(中略)記者が後輩の大学生か
> らこれを聞いたのは集合日の二日前。五時を回ったころそれらしい青年が三、四人駅
> 前に集っていた。まもなく引率責任者らしい青年が現われ、われわれを駅前から小型
> タクシーでそこから程近い土建会社の独身寮へ。ここでいきなり創価学会の「御本尊
> 御下附願」と印刷した紙に住所、氏名、生年月日を書かされた。(中略)記者は偽名
> を使った。ところが同行の青年たちは引率者から「この前は本名を使ったから、きょ
> うは知人名またはデタラメな住所、氏名、年齢を書くように……」と注意されていた。

 ※ この後、記者たちは寺院に連れていかれ、題目を唱えるなどの入信の儀式を受ける。

>  七時半、再び車で出発した。(中略)そして銀座並木通りの小さなバーに入った。
> ここで八時半ごろから閉店の十一時ごろまでビールをのんだ。(中略)この間、創価
> 学会の話は一言もでない。またこの日の会合の目的も明らかにされなかった。ただ一
> 人が本名以外の名をかたって数人の仮空の信者を作ったことだけが分かった。


 この出来事の数日後、この記者が上記の架空入信の首謀者に取材したところ、「月々の
折伏成績はそのまま個人の成績に反映するので組長、班長から無言の圧迫を受け、どうし
ても信者を増やそうという競争意識にかられる」との答えが返ってきたという。

 『週刊新潮』3000号記念別冊に掲載された、特集「雨後の筍『新興宗教』裏面史」にも、
折伏実績水増しの実態が記されている。


>  入信直後の信者も折伏に駆り出される。座談会場には信者ごとの勧誘成績表が張り
> 出され、聖教新聞には支部ごとの成績が掲載された。
> 「支部内では、自己目標を達成できないと、立ったまま目上の信者から延々と罵られ、
> 座りこむと“立て!”と、さらに吊るし上げられる。保険会社が勧誘員にハッパをかけ
> る手法は、学会のやり方を真似たものと言われています」
 (中略)
>  ある地区部長の自宅は、いつも浮浪者でごったがえしていた。
> 「地区部長と地区員たちが上野の浮浪者を連れてくる。きれいな衣類を与えて床屋に
> 行かせ、寺で御本尊を受けさせて入信させる。でも窮屈な勤行をさせるので、浮浪者
> たちは2、3日もすると御本尊を置いたまま、みんないなくなっちゃう。それでまた、
> 地区部長らは上野まで浮浪者を探しに行く」

 ※ 上記引用中のコメントは、池田大作を第三代会長に押し上げた功績で、初代公明党
  委員長にまで上り詰めた、原島宏治氏の長男・原島昭氏によるものである。


 『人間革命』には、戸田城聖は会長就任時に、75万世帯という折伏目標を宣言し、それ
を実現して死去したと述べられている。


>  だが、戸田の予言的確信が的中するには、わずか七年足らずの歳月で充分であった
> のである。昭和三十二年十二月、学会の総世帯数は七十六万五千を達成するにいたっ
> た。この日から三か月後、翌三十三年四月二日、彼は安詳として逝ったのである。
 (『人間革命』第五巻より引用)


 『人間革命』で主張されている、76万5千世帯という折伏成果をそのまま信じることは
できない。『朝日新聞』や『週刊新潮』に述べられているような手口による、水増しされ
た数字と考えるべきだろう。

 池田大作が創価学会の第三代会長に就任した後も、無茶苦茶な折伏により、実態を伴わ
ない過大な数字を報告するという悪習は続いた。

 池田大作は、昭和40年代初頭に末端における折伏の実態調査を命じたことがあった。そ
の調査を担当した元学会職員・小多仁伯氏が、著書『池田大作の品格』で、調査によって
明らかになった実態を述べている。

 小多仁氏らの調査チームは、東京都内の数か所で実態を調べたが、ある駅で異様な光景
を目撃したという。


>  よく見ると、中年の女性たち二名がペアを組み、改札から次々と出てくるサラリー
> マンらしき人たちに近寄り、そのサラリーマンの両脇に手を回して何やら囁いている
> 光景があちこちで見受けられるのです。
 (中略)
>  こうして、客引きペアの大活躍が約一時間くらい続きました。客引きまがいのペア
> は折伏する寺院会場に送り届けると、すぐ戻ってくるのです。かなり組織的に訓練さ
> れており、手慣れた彼女たちは、次の獲物をとるような怪しい雰囲気でした。

 
 小多仁氏らはその後、折伏会場となっていた寺院で、連れて来られたサラリーマンたち
が、学会員に取り囲まれて折伏されている現場を目撃した。


>  その中で観念した新来者は前に進み出て、ご授戒の儀式に移る準備をしています。
 (中略)
> だが、柱の一角で揉み合っている人たちがいます。それは学会員の折伏に反抗し、押
> し問答の末、授戒を受けたくないと柱にしがみついているのです。
>  その柱にしがみついている人を、なんと十人がかりで強引に柱から離そうとして、
> その人の指を全員で一本、一本こじ開けているではありませんか。私は、いくら調査
> 隊とはいえ、その無軌道ぶりに憤りは頂点に達してしまい、「このグループの責任者
> は誰か!」と叫んでいました。


 小多仁氏は、学会の本部職員であることを明かし、即刻この暴挙を止めさせたそうだが、
寺院の軒下には、授与されたばかりの本尊が投げ捨てられていたという。つまり、形だけ
入信して難を逃れ、もらった本尊は捨てて帰った人がほとんどだったということだろう。

 小多仁氏らは、このような実態は改めるべきとの意見を添えて、調査結果を報告したも
のの、同書によれば、改善はされなかったそうである。

 現在でも、複数の学会員で一人の一般人を取り囲み、入信を迫ることは少なくない。そ
の際には、創価学会の折伏であることを隠して、別の名目で呼び出すのが通例である。

 マスコミは創価学会の問題点を報道しなくなったが、強引な折伏は決して過去の問題で
はない。創価学会員に対しては、気を許すべきではないと思う。

 創価学会員の実数は、彼らの自称よりも少ないことは、ほぼ確実である。しかしながら、
選挙の実績などをみると、決して侮れない勢力であることも事実だ。

 学会が実力以上の影響力を行使できている背景には、社会の無関心がある。創価学会の
危険性を認識している人ならば、そのようなカルトが政治的影響力を持つことを、好まし
く思うはずがないし、選挙で棄権することもないだろう。

 創価学会の政治部門に過ぎない公明党が与党になることは、国政であれ、地方自治であ
れ好ましいことではない。選挙は、カルトに“No!”をつきつける貴重な機会であること
を、一人でも多くの有権者にご理解いただき、投票に足を運んでいただきたいものである。