2019年12月15日日曜日

どのような人々が創価学会に引き寄せられたのか?

 退潮傾向にあるとはいえ、創価学会は現在でも日本最大の新興宗教である。それのみな
らず、公明党の支持母体として、多くの票を集める力を持っている。

 創価学会がこれほど発展できた理由は、宗教学・社会学の研究対象となっており、戦後
の高度経済成長と関係づけて論じられることが多い。

 宗教学者・島田裕巳氏は、「なぜ創価学会が高度経済成長の時代に成長したのかという
謎を解く鍵」となるとして、昭和37年(1962年)に福岡市在住の創価学会員を対象として
実施された調査研究を参照し、以下のように述べている。


>  調査によれば、福岡市の学会員は、学歴が低く、高卒以上は全体の三割を占めるに
> すぎない。多くは小学校や中学校しか出ていない。職業の面では、「零細商業・サー
> ビス業の業主・従業員と、零細工場・建設業の工員・単純労働者など」が中心である。
> つかり、創価学会はたんに都市型組織であるというだけでなく、論文の副題にもあっ
> たように、都市下層のための宗教組織なのである。
 (中略)
>  つまり、学会員となった人間たちは、福岡市に生まれ育ったわけではなく、最近に
> なって、農村や漁村、山村から福岡市に出てきたばかりの人間たちであった。彼らは、
> 学歴が低く、そのため、大企業に就職することもできない。労働者ではあっても、労
> 働組合の恩恵にあずかることができず、未組織の労働者として不安定な生活を送らざ
> るを得ない境遇にあった。
 (島田裕巳著『創価学会』)

 ※ 島田氏は社会学者・鈴木広氏の論文「都市下層の宗教集団――福岡市における創価
  学会」に準拠している。


 戦後の日本での都市部への人口集中が、創価学会発展の下地となった。都市は新たな産
業の労働力を求めていた。一方で地方においては、重要な産業が衰退しつつあった。

 近代以前の日本社会では、燃料と言えば木炭であった。山村において炭焼きは、現金収
入を得られる重要な産業だった。

 しかし、昭和30年代になると電気や化石燃料が普及したことにより、燃料としての木炭
需要は急速に減少していった。

 地方では収入を得られる仕事が失われていく一方、都市部では製造業やサービス業での
労働需要が急速に伸びていたのだから、地方の過疎化、都市部の過密化が同時並行して進
むことになったのは当然である。

 創価学会は、こうして新たに都市住民となった人々を信者として取り込んでいった。
 これらの人々の多くは、誇るべき家柄も学歴もなく、専門的な技能を身につけていたわ
けでもなかった。

 故郷にいても家計の足しになる収入を得ることは難しく、生家にとどまったところで、
厄介者あつかいされかねない者も少なくなかっただろう。

 故郷から離れ、頼るべきものも心の支えも持たなかった人々が、創価学会の信仰に拠り
所を見出したのはなぜだろうか。

 その理由としては、創価学会が相互扶助的で密度の濃い人間関係を構築していたこと、
御書講義などの教学重視の在り方に、教育を補完する作用があったこと等が挙げられるだ
ろうが、創価学会の教義にも、ある種の人々を引き付ける要素があったと考えられる。

 創価学会の教義の特色は、その極端な独善性・排他性にある。


>  実際に、神道にはなんら教えらしいものはなく、神主の家など、決して幸福な生活
> をしていない。代々、浄土宗、浄土真宗、禅宗、真言宗の家の檀家総代をしている家
> は、家族に病人が絶えなかったり、不幸が続いたり、どんな財産家も三、四代すると
> つぶれるのが多い。仏教各派が釈尊の教えと違ったことを教えていることや、いわゆ
> る日蓮宗が日蓮大聖人の教義と違反していることは、別の項で説き尽くされているか
> ら、ここでは、教義のことは省略するが、俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に
> 不具者ができたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては発狂する者ができたり
> して、四代法華、五代法華と誇っている家ほど悲惨な生活をしているのである。この
> ようにして、先祖代々の宗教は皆、人を不幸にする力をもっているゆえに捨てなけれ
> ばならないのである。
 (創価学会教学部 編『折伏経典』改訂29版)

 ※ 「いわゆる日蓮宗が日蓮大聖人の教義と違反していること」とは、日蓮宗が日蓮正
  宗総本山大石寺の大御本尊の権威を認めていないこと等を指す(「大御本尊と池田大
  作」参照)。


 常軌を逸していると言っていいほど、一方的で差別的な記述である。
 世の中の大部分の人は、その信仰心の程度によらず、先祖代々のやり方で葬式等を行う
が、創価学会はそれを「人を不幸にする力をもっているゆえに捨てなければならない」と
いうのだ。

 もちろん『折伏教典』の独善的な主張のほとんどは、根拠がなかったり矛盾していたり
するたわ言ばかりである(「創価学会の信心の現証について」参照。)

 人間は誰しも、自分の存在を肯定できる根拠を求めるものだ。創価学会の荒っぽい主張
が一部の人の心をつかんだのは、粗雑ながらも心をひかれる要素があったからだろう。

 「自分には何もない」と感じざるを得なかった人にとっては、「自分たち以外は間違っ
ている」という根拠のない独善性が、心地よかったのではないか。

 世間の成功している人、権威ある家柄の人、それ以外の平凡ではあってもそれなりに幸
福な生活を送っている人、そうした人々の信仰はすべて間違っているのであり、正しいの
は自分たちだけなのだ、という創価学会の主張が、渇いた土地が水を吸い込むように劣等
感に苛まれた心にしみ入ったのである。

 私はこれまでに何回も折伏を受けたことがあるが、現在でも学会員の中には、「創価学
会は絶対に正しい。これは決まっていることだ」と言い張るだけで、その根拠など示せな
い者が少なくない。

 根拠がないことを信じることに不安を感じないのかという疑問を、かつては私も抱いた
ものだが、実は彼らは根拠など必要としていないのだ。

 正当性の根拠を追求することは、それなりの知的能力を必要とする。知性が欠如した者
は、そんな面倒なことなど御免蒙りたいのである(「狂信者の心理」参照)。

 つまるところ、おツムの出来があまりいいとは言い難い人々が創価学会に入り、その後、
強引な勧誘や悪質な選挙違反等を行って、社会に迷惑をかけたのである。

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2019年12月8日日曜日

川邊メモ・教学部レポート・遠藤文書

 「川邊メモ」とは、日蓮正宗の高僧だった川邊慈篤氏がつけていたメモである。
 川邊氏は阿部日顕氏と親しく、法主に就任する以前からの阿部氏の言動について、詳細
なメモを残していた。

 このメモが流出し、阿部氏が大石寺の大御本尊を偽物だと断定していたことが判明した。
 それを日蓮正宗から離脱した僧侶たち――「憂宗護法同盟」と称した――が発行してい
た『同盟通信』(平成11年〔1999年〕7月7日付)が報じたことから騒動が起こった。
 問題のメモの内容は、以下のようなものである。


> S53・2・7、A面談 帝国H
> 一、戒旦之御本尊之件
>   戒旦の御本尊のは偽物である。
>   種々方法の筆跡鑑定の結果解った。(字画判定)
>   多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の
>   題目と花押を模写し、その他は時師か有師の
>   頃の筆だ。
>   日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている
> 一、Gは話にならない
>   人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の
>   事ではGでは不可能だ。
> 一、Gは学会と手を切っても又二三年したら元に戻
>   るだらうと云う安易な考へを持っている
>   ※日禅授与の本尊は、初めは北山にあったが北山の
>   誰かが売に出し、それを応師が何処で発見して
>   購入したもの。(弘安三年の御本尊)
 (憂宗護法同盟 著『法主詐称』)

 ※ Aとは阿部氏、Gとは猊下(当時の法主・細井日達氏)を指す。


 日蓮正宗にとって、大石寺の大御本尊は教義の根幹である。法主に就任する1年前、当
時、教学部長だった阿部氏がこれを偽物呼ばわりしていたことが事実であれば、宗教とし
ての正統性が根本から崩れることになる。

 当然のことながら、阿部氏と川邊氏は釈明の必要に迫られた。
 時を置かずして、同年7月9日付の宗務院通達に、阿部氏の言い分が掲載された。


>  この度、御法主上人猊下には、川辺メモ中の記載事項と、実際の面談とには、内容
> に大きな差異がある旨を仰せになられました。
>  即ち、二十年以上も以前のことであり、その発言内容の全てを正確に御記憶されて
> いるわけではありませんが、当時は裁判も含め、以前より外部からの「戒壇の大御本
> 尊」に対する疑難が多く来ていたこともあり、御法主上人猊下におかれては、教学部
> 長として、それらの疑難について川辺師に対して説明されたものであります。
 (平成11年7月9日付 日蓮正宗宗務院通達)


 次いで翌7月10日付の通達に、川邊氏による「お詫びと証言」が掲載された。川邊氏も
当時、阿部氏から「外部から大御本尊について、こういった批判がある」との説明を受け、
それをメモに書き記したのであり、阿部氏が自らの意見として「大御本尊は偽物」と述べ
たわけではないという旨の弁解している。

 大石寺の大御本尊については、古くから偽作説があった。
 昭和53年(1978年)の時点でも、元民音職員の松本勝弥氏らが「大御本尊は偽物なので、
正本堂建立にあたっての寄付金の返還を求める」と訴え、裁判で係争中だったのも事実で
ある。

 しかし、松本氏らは「大御本尊を筆跡鑑定して偽物と判明した」などと、主張していた
わけではない。

 また、「大御本尊は、弘安三年に日蓮が弟子の日禅に与えた本尊の模刻である」と主張
する者が、当時いたわけでもない(犀角独歩氏がこのような主張をしておられるが、彼が
大御本尊を検証したのは、川邊メモが明らかになった後のことである)。

 阿部氏と川邊氏の弁解には、難があると言わざるを得ない。
 阿部氏は、日蓮正宗の内部では本尊鑑定の専門家と見られていたという。

 大御本尊と日禅授与本尊を比較して筆跡鑑定することも、大石寺の教学部長だった阿部
氏ならば、その機会はいくらでもあっただろう。

 川邊メモの内容は、大御本尊が偽物だということも、阿部日顕氏がそれを承知していた
ということも、両方ともが事実だったと考えてよさそうである。

 創価学会はこの件について、聖教新聞や創価新報で「日顕の発言は宗旨破壊の大謗法で
あり、そのような人物に法主の資格はない」といった旨の批判を繰り返し行った。
 その一例として、聖教新聞から秋谷会長(当時)の談話を引く。


>  一、極悪・日顕が、“大御本尊偽物”という大邪説を唱えていたことが“川辺メモ”に
> よって七月に発覚し、宗内に大激震が走ったことは、すでにご承知の通りであります。
 (中略)
>  一、宗旨(しゅうし)の根幹である戒壇の大御本尊を、一宗の法主が「偽物である」
> と断じたなどは、前代未聞の出来事であります。この大謗法は、未来永劫(えいごう)
> の歴史に残る大汚点であり、滅亡の因となることは、疑う余地がありません。
 (『聖教新聞』1999年〔平成11年〕9月12日付)


 大御本尊は偽物だという事実を指摘したことが、日蓮正宗の「滅亡の因」となるのなら、
「受持の対象にしない」と宣言した創価学会はどうなるのだろうか……。


 さて、前回述べた通り、この騒動から15年後の平成26年(2014年)、創価学会は会則を
改正し、大石寺の大御本尊を信仰の対象から外した。

 この教義変更については、推進派の首脳部――原田会長、秋谷前会長、八尋顧問弁護士、
谷川事務総長――と、反対派の教学部との間で確執があった。

 結果は見えていたであろうが、教学部側が敗北し教義変更は強行された。
 反対を主張し続けた遠藤総合教学部長は更迭されたが、彼らも一矢報いたかったのか、
教義変更に関する内部事情を記した文書を2回にわたって流出させた。

 それが、「教学部レポート」と「遠藤文書」である。
 既にご覧になった方も多いと思われるが、両文書を読んで私が関心を持った箇所につい
て要約を記す。

・ 「戒壇の大御本尊は、謗法の宗門の本尊であり、学会とは何の関わりもない」と教義
 を変更し、それを池田が存命中に池田の意志として発表するという方針は、首脳部が決
 定しており、教学部にはそれを正当化する役割が求められた。

> この一連の計画を主導しているのは、A議長、H会長、T事務総長、Y弁護士の4人です。
> 信仰の根本の問題なのだから、もっと皆の意見を聞いて、もっと時間をかけて、慎重
> に進めるべきだ」と心配の声が上がっています。
> にもかかわらず、A、H、T、Yの4人は、
> 「池田先生の強い意向」と「教義の裁定権は会長にあるという会則」
> を盾に、独断専行に近い状態で強行突破を企てています。
 (教学部レポート)

 ※ A、H、T、Yとは、それぞれ秋谷前会長、原田会長、谷川事務総長、八尋顧問弁護
  士のことである。


・ 上記の方針が本当に池田の了承を得たものか疑問に感じた遠藤氏らが、第一庶務室長
 に確認したところ、「池田先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそうした
 指導は受けていない」との回答だった。

> 「先生のご意向のもと、大御本尊との決別を今この時に宣言する」
> という、先生のご指導は、全くの作り話だったのです。
 (教学部レポート)


・ 教学部としては、創価学会の本尊はすべて大御本尊を書写したもので「之を書写し奉
 る」と明記されていることから、大御本尊を否定すれば信仰の根拠が不安定となり、学
 会員が動揺することになると懸念していた。


・ 教義変更に必要な調査に、女性問題で失脚した弓谷元男子部長が従事していた。

>  先月、宮地の方から、弓谷の言動に関してお伝えいたしました。弓谷は、前代未聞
> の女性問題を起こして男子部長を頚になった人間です。池田先生が、弓谷の不祥事で、
> 大変に苦しまれたとうかがっています。先生御自身、「あいつは将来、絶対に叛逆す
> る。絶対に使うな」と断じられたと聞き及んでおります。その弓谷が、大御本尊とい
> う学会にとって最重要の事項について、どういう資格、どういう立場で調査に当たっ
> たのでしょうか。
 (遠藤文書)


 また、教学部レポートに記された幹部の発言からは、外部の人間には容易にはうかがい
知れない学会本部の体質を垣間見ることができ、興味深く感じた。

> 教学部以外の5人は、論理として完全に破綻していました。率直に申せば、素人談義
> の域を出ず、これが学会の最高首脳の教義理解かと別の意味で衝撃を受けました。
> 例えば、A議長は
> 「弘安二年の御本尊については、南無妙法蓮華経の法体を文字曼荼羅に図顕された御
> 本尊であるが、唯一絶対の御本尊と大聖人が定められた証拠はない。 
> 日寛上人より『究竟中の究竟』等宗派の確立のために確立されたとも推察される」
> 「弘安二年の御本尊も何の徳用も働かない。・‥
> 他宗の身延派や、中山系、京都系が保持している真筆の御本尊と同じ事になる」
> と主張していました。
 (教学部レポート)

 秋谷前会長が述べているとおり、現在の日蓮正宗の教義は、第26世法主・日寛が自派の
正当性を訴えるためにデッチ上げたものだというのは史実である。
 だが、これを一般の学会員の前で言うことができるのだろうか。


> また聖人御難事の「余は二十七年なり」という大聖人の「出世の本懐」の表明につい
> ても、T総長は
> 「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えて
> もいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいい
> んじゃないか」
> と述べていました。
 (中略)
> 「過去との整合性などどうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
> 完全に独立した教団として出発するんだから。
> 結論は決まっているんだ。
> 教義なんて、それを後付けすればいいんだ」
> と、T総長は何度も繰り返していました。
> “何でも自分たちで決められる”という全能感がにじみ出ていて、何を言っても取り
> 付く島がありません。支離滅裂な不毛な会議となりました。
 (教学部レポート)

 『聖人御難事』にある「出世の本懐」という言葉の意味を、「特別な本尊として大御本
尊を作ったこと」と解釈する日蓮正宗の教義は、確かにこじつけでしかないので、それを
「変えてもいい」という谷川氏の主張は理解できなくもない。

 だからといって「過去との整合性などどうでもいい」「教義なんて後付けでいい」とい
うのは、宗教団体の幹部としてがいかがなものであろうか。

 秋谷氏・谷川氏の発言は現実主義的ではある。その一方で、誠実な信仰者というよりは、
信者を操る権力者としての相貌が色濃く表れてもいる。

 ご両名とも選挙の指揮において実績を積んで来られたとのことなので、教義のことなど
本音ではあまり関心を持っておられないのだろう。

 創価学会の幹部にとっては、教義など学会員を操るためのツールに過ぎないのである。
 失脚した遠藤氏は、実直に信仰し、池田センセイを尊敬していたのかもしれない。だが、
彼をセンセイとの「師弟不二」の実践者と呼ぶわけにはいかない。

 池田センセイは金と権力、そして女性が大好きな方だった。秋谷氏や谷川氏、弓谷氏の
方こそが、真の「師弟不二」の実践者ではないかと思うのは私だけだろうか。

 大石寺の大御本尊を中核とする日蓮正宗の教義は、第67世法主・阿部日顕上人がいみじ
くもご指摘なされたとおりデタラメだし、その日蓮正宗から破門されて都合が悪くなった
点について取り繕った、創価学会の現在の教義もインチキである。

 所詮、どちらもカルトに過ぎないのだ。


追記

 秋谷氏や谷川氏をはじめとする学会幹部が、「日蓮正宗の教義は誤りだった」と気づい
たのならば、それは大いに結構なことである。

 しかし、「だから教義を変更するのだ」というのであれば、まず、その誤った教義を広
めるために強引な折伏を行い、多く人を傷つけ苦しめてきたことについて反省し、謝罪す
るべきではなかったのか。

 実際には、創価学会は平成28年(2016年)、会則前文に「創価学会仏」なる言葉を加
え、自己神格化を進めることを選んだ。つくづく度し難い連中である。


補足

 創価学会の教義変更と、教学部レポート・遠藤文書の関係については、以下のサイトの
解説が分かりやすい。

 よくわかる創価学会

 また、教学部レポートのほぼ全文が、樋田昌志氏が開設されているサイトで閲覧できる。

 樋田氏のサイト・toyoda.tv

 ※ 「創価教学部からの流出資料か」と題されたファイル

 遠藤文書については以下のサイトで閲覧できる。

 顕正会の崩壊は近い

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2019年12月1日日曜日

大御本尊と池田大作

 創価学会は元々、富士大石寺を総本山とする日蓮正宗の在家信者団体として発足した。
 そして、その信仰の核心にあったのは、まぎれもなく大石寺の大御本尊だった。

 創価学会が教義書として出版していた『折伏教典』には、大石寺の大御本尊だけが正し
い信仰の対象である旨が、繰り返し説かれている。


 P-89
>  しかして根本の本尊たる一閻浮提総与の大御本尊に向かって、南無妙法蓮華経と唱
> 題することによって、末法の一切衆生は救われるのである。この一閻浮提総与の大御
> 本尊は弘安二年十月十二日に顕わされ、この大御本尊を拝む以外に末法の衆生は根本
> 的に幸福にはなれないのである。
 (中略)
>  日蓮大聖人の出世のご本懐は、末法の一切衆生に一閻浮提総与の御本尊をお与えく
> ださることであり、この御本尊が、すなわち弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本
> 尊であり、今日、厳然として日蓮正宗富士大石寺に厳護され、学会員は登山して御開
> 扉をうけ、拝することができるのである。

 P-238
>  日蓮大聖人のご本懐は一閻浮提総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあることに間
> 違いなく、日蓮正宗はこれを本尊として日蓮大聖人のご遺志を継ぎ、一切民衆を救わ
> んとするものである。したがってこれは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にし
> て唯一の宗教である。

 P-339
>  御本尊が大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もない
> のである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。

 P-340
>  また信仰の対象として一切をささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山
> においてはご相伝により、代々の御法主猊下お一人が、おしたためあそばされるもの
> であり、三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊
> を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。

 ※ 創価学会教学部 編『折伏経典』改訂29版(昭和43年発行)から引用。『折伏教典』
  は何度も改訂されており、それぞれ内容が少しずつ異なっている。


 日蓮正宗の教義では、大御本尊は「末法の御本仏」である日蓮と「南無妙法蓮華経」と
を合わせた存在とされている(これを「人法一箇」という)。

 「大御本尊を拝まないものはすべて謗法」とされ、一方ではどんな願いでも叶える力が
あるとも宣伝されたことから、かつての創価学会では「登山会」と称して、大石寺の大御
本尊を参拝することが定例行事となっていた。往時は、そのために特別列車が仕立てられ
るほどの盛況だったという。

 創価学会は日蓮正宗の信徒団体でありながらも別の宗教法人でもあり、ある程度、独立
した行動を取り得る立場にあったが、絶対的な信仰の対象である大御本尊が富士大石寺に
あり、学会員たちの心がそちらを向いている以上、教義の解釈等については日蓮正宗に従
うしかなかったし、幹部であっても好き勝手なことはしにくかった。

 これが面白くなかった池田大作は、『人間革命』等を通じて「創価学会の会長は『御本
仏』と同等の存在である」という会長本仏論・池田本仏論を創価学会内に定着させること
で、学会員たちに対して日蓮正宗以上の影響力・支配力を持とうと画策した。

 また、出版物だけでなく、創価学会の会合でも幹部の指導により、池田に対する個人崇
拝が教えられた。元婦人部員が以下のような証言をしている。


>  私が結婚して、あるヤングミセスの集まりでのことです。「ご本尊様と池田先生と
> は、どちらが上か」という話になりました。手を挙げさせられたんです。ご本尊様と
> 思う人――ほとんどの人が「はい!」って手を挙げます。ところが、それは違う――
> 私たちは池田門下生だから、池田先生を通じてご本尊様の偉大さを教えていただくわ
> けだから、池田先生の方が上だ、ということを学会最高幹部が言うわけです。昭和四
> 十九、五十年ぐらいの幹部指導での話です。
 (創価学会・公明党を糾すOB有志の会 編著『サヨナラ私の池田大作』)


 こんなことを幹部が一般信者に指導していたのだから、日蓮正宗が創価学会を破門した
のは当然ではないかと思われる。

 学会幹部たちの指導が成果を上げたためか、婦人部員を中心に熱狂的に池田を崇拝する
学会員も増えていった(「婦人部と『無冠の友』」参照)。

 こうして創価学会には信仰上の求心力を持つ存在として、大石寺の大御本尊と池田大作
とが並立する状況が生じた。

 創価学会が破門を受けた平成3年(1991年)の時点で、学会員たちはどちらかを選ぶこ
とを突きつけられた訳だが、創価学会は破門を決定した大石寺法主の阿部日顕氏を非難す
る一方で、大御本尊の権威は尊重するという対応を取った。

 脱会者を増やさないためにも、学会員の動揺をできるだけ避けたかったのであろう。
 もっとも、当の池田センセイは破門されてからさほど時を置かずして、次のようにのた
まわれている。


> 「本門戒壇、板御本尊、何だ。ただの物です。一応の機械です。幸福製造機だから」
>  九三年九月七日の創価学会幹部会。池田は唯物論者顔負けのスピーチをしている。
 (野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』)


 御大は早々に「覚醒」されたようだが、こと信仰に関することだけに、普通の人間はそ
う急に頭を切り換えることはできない。創価学会もすぐには教義を変更しなかった。
 創価学会の会則では、教義について以下のように規定していた。


>  この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗
> 総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本と
> する。


 創価学会がこの教義を変更したのは、破門されて11年後の平成14年(2002年)のことで
ある。この時、日蓮正宗に関する記述が削られ、以下のように会則が変更された。


>  この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊
> を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流
> 布を実現することを大願とする。


 創価学会はさらに11年後の平成25年(2013年)、彼らが「精神の正史」と呼び、池田セ
ンセイが「恩師の真実の伝記」と自賛されるところの『人間革命』から、「教義を変更す
るのは誤った宗教」(第二巻)等の不都合な記述を削除したり、「大御本尊」という記述
をただの「御本尊」に変更したりといった改変を加えた第二版を発行するという小細工を
弄した後、翌平成26年(2014年)、ついに大御本尊を信仰の対象から外す教義改正を行っ
た。現在の会則は以下のとおり。


>  この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具
> 現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人
> が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願
> とする。


 新たな会則が規定する「御本尊」が具体的にどのようなものかは、聖教新聞に掲載され
た原田会長の談話で明らかにされた。


>  末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを
> 書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等し
> く「本門の本尊」であります。
 (中略)
>  したがって、会則の教義条項にいう「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認
> 定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしま
> せん。
 (『聖教新聞』平成26年11月8日付)


 過去に「大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もない。富
士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法」と主張してきたことと、まったく整合
しない教義の変更である。

 さらに平成27年(2015年)には、初代牧口常三郎、第二代戸田城聖、第三代池田大作の
三代の会長を「永遠の師匠」とする会則変更がなされた(それ以前は「永遠の指導者」と
規定されていた)。

 平成28年(2016年)、三代会長の規定に第2項が加えられ、「『三代会長』の敬称は、
『先生』とする」とされた。これにより、創価学会内において「先生」という敬称で呼ば
れるのは、牧口、戸田、池田の三代会長のみに限られることになった。

 こうした教義改正がなされた背景には、創価学会がいつまでも大石寺の大御本尊に執着
する姿勢を見せていることが、脱会して日蓮正宗の信徒になる者が出る一因となっている
ことや、池田大作への個人崇拝をより強固なものとする以外に、組織への忠誠心を維持す
る術がなくなったことがあると考えられる。

 聖教新聞では、毎日のように池田センセイの偉大さを称える記事が掲載されて続けてい
るが、9年前に病に倒れ人前に姿を見せなくなった池田が、カリスマ性を維持し続けるの
は難しいだろう。

 創価学会が創立記念日に合わせて打ち出した来年の方針では、『人間革命』『新・人間
革命』の熟読に取り組むことを学会員に求めている。

 『人間革命』には池田センセイが恩師・戸田センセイにいかに忠実に仕えたかが描かれ、
『新・人間革命』では創価学会会長に就任した池田センセイがいかに偉大だったかが自賛
されている。どちらもセンセイの代表作である(実際はゴーストライターが書いた)。

 一方で、創価学会から脱会して日蓮正宗に移る者も、毎年、それなりにいるらしい。
 大御本尊と池田大作という2つの求心力の間での綱引きは、現在も続いているのだ。両
方ともインチキの塊なので、私には度し難いとしか言いようがないが……。

 池田に残された時間は長くはないし、大御本尊もいずれは腐朽するであろうが、どちら
が長持ちするかと言えば、それは大御本尊の方であろう。

 日蓮正宗もカルトなのであまり肩入れしたくはなくないが、創価学会よりはマシなので、
法華講の皆さんには学会員相手に折伏に励んでいただきたいと思う(個人的には、一般人
を巻き込まずに、カルト同士で潰しあってほしいと強く希望したい)。

参考文献
柿田睦夫著『創価学会の“変貌”』


補足1 創価学会の来年の活動方針

 本文に記した創価学会の活動方針では、その第1に「折伏・弘教」が掲げられ、第2は
「励ましの拡大」と題し、内部での活動家育成を訴えている。

 そして第3には「前進・人材の要諦は小説『新・人間革命』」と銘打って、次のように
主張している。

>  ◇小説『人間革命』(全12巻)『新・人間革命』(全30巻)の研さん・熟読に取り
> 組もう。「聖教電子版」や「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」なども
> 活用し、師弟の道を学び、自ら実践しながら、自分自身の人間革命に挑戦していこう。
 (『聖教新聞』2019〔令和元年〕11月19日付)

 『人間革命』『新・人間革命』の学習を通じて、池田大作に対する個人崇拝を強化する
狙いがあると考えられる。


補足2 日蓮正宗に供養する学会員

 前回引用した聖教新聞の教学特集には、日蓮正宗への供養を戒める記述もあった。

>  人々を間違った方向に導いてしまう日顕宗などに供養することは、利益するどころ
> か、かえって衆生を悪道に導いてしまうことにほかなりません。
 (『聖教新聞』2019年〔令和元年〕11月12日付)

 ※ 創価学会は破門されて以来、日蓮正宗を「日顕宗」と呼び続けている。

 学会員の中にも、葬儀等に際して日蓮正宗の僧侶に導師を依頼し、その際にお布施する
者がそれなりにいることから、こうして釘を刺す必要があるのだろう。

 池田大作が高齢のために姿を見せなくなり、求心力も低下しつつあることが、学会員の
日蓮正宗への回帰を促しているのかもしれない。

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2019年11月24日日曜日

三たび「財務」について

 創価学会の毎年恒例の金集め、財務が今月末から始まる。すでに多く学会員が振込用紙
を兼ねた広布部員証を受け取っていることであろう。

 学会員の財務への意欲を盛り上げるため、聖教新聞でもその意義が強調されている。今
月12日付には「御書に学ぶ御供養の精神」と題された、教学の特集記事が掲載された。


 〈一部抜粋〉
>  広宣流布のために供養する真心は、必ず大きな福徳となって、自分自身だけでなく、
> 三世にわたって一家一族をも包み込んでいくことは間違いありません。
>  世界広布が進む今、一閻浮提広宣流布を現実のものとする学会への真心の供養は、
> 平和と幸福の光を世界に広げていくことになるのです。
 (『聖教新聞』2019年〔令和元年〕11月12日付)


 この記事には「池田先生の指導から」として、『新・人間革命』第四巻から、供養の意
義を説いた箇所が引用されていた。


>  学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のための
> ものである。大聖人の立てられた大願を成就するために行う供養は、御本仏への供養
> に通じよう。ならば、これに勝る供養もなければ、大善もない。ゆえに、これに勝る
> 大功徳もないはずである。


 創価学会の財務を、唯一の正法である日蓮仏法を世界に広めるためのものと純真に信じ
ている学会員も、もちろんいるのであろう。

 しかし、多額の金が動くこの機会に乗じて、良からぬことを企てる輩もいるようである。
 今月20日付に掲載された原田会長の指導の一部に、過去に問題があったことを示唆する
記述があった。当該箇所を以下に引く。


>  一、いよいよ今月28日からは、財務納金が始まります。御聖訓に「供養し給ういづ
> れも・いづれも功徳に・ならざるはなし」(御書1098ページ)と仰せの通り、総本部
> が着々と整備され、創立90周年、さらには100周年へと、世界広布が勢いを増す中で、
> それを支える財務の功徳は計り知れません。
>  世間では、架空請求のハガキやSNS・メールが届くなど、年々、詐欺事件が巧妙
> になっています。改めて確認すれば、振込用紙に記載された振込先が変わることはあ
> りませんし、財務を誰かが預かるようなことも決してありません。
>  絶対無事故で、福徳あふれる財務となるよう真剣に祈りながら、本年の総仕上げを
> 飾っていきたい。
 (『聖教新聞』2019年〔令和元年〕11月20日付)


 原田会長の言葉からは、「振込用紙に記載された振込先が変わった」と偽って金を騙し
取ろうとしたり、高齢者等に「代わりに振り込んでおく」などと言って金を預かり、その
まま着服しようとしたりした者が、過去にいたのであろうことが読み取れる。

 30年ほど前まで、財務は振り込みではなく現金で集められていたそうだが、その当時は
どれほどの不正がはびこっていたのだろうか……。

 仮に財務に便乗した詐欺がなかったとしても、私のような不信心者からすれば、そもそ
も創価学会の財務は職業幹部の高給やゼネコンから票を買って権力を維持することを目的
としたもので、それに崇高な宗教的意義があるように説くこと自体、インチキである。

 財務から高給を受け取っている原田会長をはじめとする本部職員には、「功徳」は間違
いなくあるのだろうが、金を貢ぐ一方の末端信者には「功徳」も「福徳」もありはしない
のだ。ただの搾取とどう違うと言うのだろう。

 財務の欺瞞については、これまでに多くの批判者が言及している。
 前回、創価学会の会館建設には、裏金作りという隠された役割があることを述べたが、
財務で集められた莫大な金も、その一部は裏金になっていたという。


>  ある現役の学会幹部が絶対匿名を条件に明かす。
>  「会員から集まった財務などは最終的には三菱銀行(現・東京三菱銀行)の学会
> 本部の口座に入るわけですが、そのうち、オモテの金となる一般会計にいくら入れ
> るかは、池田のツルの一声で決まる。で、池田の指示を受けた学会本部の経理局長
> が三菱銀行のお偉いさんのところに行って、最終的に『じゃあ、今回は○億円を一
> 般会計に入れます』と話をつけてくるわけです」
 (古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』)


 裏金にはこの他にも公明党議員からの上納金である「P献金」などがあり、その使途
は池田大作の個人的な蓄財――税務申告などしていない不正な蓄財――や、池田が海外
の要人と会ったり名誉学位等を手に入れたりするための工作費用だったという。

 池田が健在だったころは、彼が創価学会の金も人事もすべてを掌握していたというが、
現在はどうなのだろう。

 今年、原田会長の任期が満了するのにあわせて、新たな会長として谷川佳樹氏が選ば
れるのではないかとの予想もあったが、実際には全会一致で原田氏が再任された。

 ことが巨額の金と権力が関係する重要人事である以上、水面下で闘争があったのではな
いかと考えたくなるが、実情は杳として知れない。

 こうしたことは往時であれば週刊誌等の格好のネタだったはずだが、かつては薄給だ
った本部職員が高給取りになり、情報をリークする者が少なくなった事や、出版産業が
斜陽化する中で無視できないスポンサーとなった創価学会への忖度が背景となって、創
価学会の内部事情に関する報道は、以前より確実に少なくなっている。

 公明党が政権与党に入り込み、しかも自民党との政策のすり合わせは公明党の頭越し
に創価学会首脳部が行っていると言われる現在、創価学会の動向が持つ意味はかつてよ
り大きくなっているにもかかわらず……。

 創価学会のような得体の知れないカルトが、一般国民のあずかり知らないところで国
政に影響力を行使することが好ましいことのはずがない。

 このカルトの影響力の源泉は、その集票力と資金力にある。財務に疑問を持つ学会員
が増えることは、間違いなく創価学会の力を削ぎ、社会を健全化する一助になる。

 学会員の皆さんには、「真心の供養」だと信じてきた財務が、実は犯罪の温床になっ
たり裏金作りや不正蓄財に利用されたりしてきた現実を直視し、そんなものが本当に功
徳や福運をもたらすかどうか、是非とも自分の頭で考えていただきたいと思う。

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2019年11月17日日曜日

創価学会はなぜ会館建設を続けるのか?

 これまでの人生を創価学会との関わりをほとんど持たずに送ってこられたという、幸運
な方であっても、その他を圧する巨大な会館を目にして驚いた経験ならばある方は、多い
のではないだろうか。

 創価学会は全国各地に「○×会館」等の施設を建てているが、中でも地域の中心となる
施設ともなると、前述のように周囲の建造物よりもひときわ大きいことも珍しくなく、学
会員でない者にとっては、異様な存在として目に映ることだろう。

 そうした学会施設が特に密集しているのが、彼らの本部が所在する信濃町(東京都新宿
区)である。

 信濃町には先ごろ、聖教新聞社の新社屋となる「世界聖教会館」が竣工し、創立記念日
の11月18日に開館する予定となっている。

 世界聖教会館の敷地には、以前、東京電力病院があったが、東京電力が経営合理化に迫
られて手放し、創価学会が購入した。世界聖教会館は、地上5階、地下2階、延床面積1万
4500㎡の規模だという。

 創価学会はこの他にも、今年9月に牧口記念墓地公園を開園させている。これは66万㎡
の敷地に墓石2万基が並ぶという巨大墓園で、創価学会の初代会長・牧口常三郎の出生地
である新潟県柏崎市に建設された。

 創価学会がこのような巨大施設を作り続けているのは、学会員たちに対して目に見える
成果を示す必要があるからだという。

 このことについて、ジャーナリスト・野田峯雄氏が創価学会の元最高幹部の述懐を著書
に記している。


> 「こんなサイクルを描いています――学会員数の増加と彼らの心の吸引→より豪華な
> 施設づくり→大量の建設活動資金の確保→新学会員の獲得もしくは現学会員に対する
> 献金とか布施(財務や広布基金)の要求→より豪華な施設づくり。そうしたサイクル
> のどこかがひとつでも崩れるとたちまち組織は危殆に瀕してしまう。けっしておおげ
> さにいっているわけじゃありません。施設づくりが学会の死命を制しているのです。
> 最高の『売り』になっている。ややこしい抽象的な用語、観念用語で金の集まる時代
> じゃない。『心』なんて、目にみえない。施設づくりは一般学会員たちを結集させ金
> を出させるまさに具体的な、目にみえる材料。じつにわかりやすい材料です。だから、
> それは見栄えのするものであればあるほどいい。利用価値があるのかどうかはたいし
> て重要ではない。同じようなものがいくつあったってかまわない、『そこに私たちの
> 会館がある』『いま私たちの会館をつくっている』、それで十分なのです。彼らにと
> っては施設をつくること自体が目的なのです。たとえば信濃町の異常膨張は、このコ
> ンテクストでみないと理解することができません。彼らは施設づくりを目的化してし
> まっている。いや、『彼らは』というより『彼は』といったほうが正確ですね」
>  このような組織経営による利益を最大限享受している「彼」こそ、そのしくみをも
> っともよく知っていると元最高幹部の一人はつけ加えた。
 (野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』)

 ※ 「彼」とは、言うまでもなく池田大作のことである。


 本書は平成9年(1997年)に原著が出版され、その後、平成12年(2000年)に増補版が
出ている。

 引用中の「学会員数の増加」は、現状では「学会員数の維持」もしくは「減少に歯止め
をかけること」に変わっていると言うべきだが、それ以外の学会員の心理についての考察
は、現在でもおおむね妥当だと見てよいだろう。

 加えて、学会員活動家の高齢化と減少が進んだ昨今では、選挙で公明党候補を当選させ
るために必要なゼネコン票の重みが増しているため、学会施設を作り続けることの意味は
より大きくなっているものと考えられる。

 また、学会施設の建設は、もっと直接的な利益をも池田大作にもたらしていた。
 それは、キックバックによる裏金づくりである。ジャーナリスト・古川利明氏が著書に
現役の学会幹部による証言を記している。


>  前出の現役学会幹部は言う。
>  「私が直接、間組(現・ハザマ)の幹部から聞いたことがありますが、そのキック・
> バックの額はズバリ、工事費の二〇%です」
>  仮に会館建設に五十億円がかかった場合、その五十億円は学会本部から「オモテの
> 金」としてゼネコンに支払われるわけだが、逆に、同時にその二〇%にあたる十億円
> がキック・バックとして池田の手元に「裏金」になって戻ってくるわけだ。
 (古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』)

 ※ 現在のハザマは安藤建設と合併して「安藤ハザマ」になっている。


 この本が出版されたのは平成11年(1999年)、今から20年も前の話である。
 当時は健在だった池田大作も、現在では表に姿を見せることはなくなった。

 毎年のように大規模な施設を作り続けている創価学会の建設費の20%となると、数十億
円、あるいはそれ以上あっても不自然ではない。

 巨額の裏金は、その後、どうなったのであろうか。
 利権をめぐる暗闘があったではないかと想像できるが、確たる情報はない……。

 創価学会は、今後も学会施設の建設を続けるという。
 信濃町では現在、創価宝光会館(新接遇センター)が建設中であり、来年4月には城北
池田記念講堂(東京都北区)の着工が予定されている。全国各地でも、より小規模であろ
うが、会館の新築や建替えが続けられてゆくのだろう。

 真心からの信心を形にする機会とされる「財務」が今月末から始まるが、学会員の真心
が実は「裏金」に化けていたことを知ったら、彼らはどう思うだろうか。

 真心からだろうが何だろうが、カルトに金を貢いでもロクなことに使われはしないのだ。
 一人でも多くの学会員に、一日も早く目を覚ましてもらいたいものである。

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2019年11月10日日曜日

創価批判コピペ集‐⑯(「創価学会と韓国」他)

◇◆◇ 創価学会と韓国 ◇◆◇

創価学会には在日韓国人の信者が多い。近年、創価学会は海外布教に力を入れているが、
日本以外で最も多くの信者がいる国も韓国である。そのため、韓国には気を遣ってきた。

創価学会の福岡研修道場にある「韓日友好の碑」には、日本を「小国」とし韓国を「師
恩の国」と述べる池田大作名誉会長の詩が刻まれている。また、日本と韓国の創価学会
の代表者が出席した「韓日友好代表者会議」で、池田は以下のようなスピーチを行った。

>  韓国は、日本にとって「文化大恩」の「兄の国」である。「師匠の国」なのであ
> る。その大恩を踏みにじり、貴国を侵略したのが日本であった。ゆえに私は、永遠
> に貴国に罪滅ぼしをしていく決心である。最大限の礼をもって、永遠に貴国と友情
> を結び、貴国の発展に尽くしていく決心である。(『聖教新聞』2000年5月22日付)

創価学会は言葉で韓国に媚びへつらうだけでなく、公明党を通じて在日参政権の実現を
目指しており、日本人信者に対しても、韓国を「兄の国」として敬うよう洗脳している。



◇◆◇ 創価学会員が神社を敵視する理由 ◇◆◇

創価学会の初代会長、牧口常三郎は戦時中、治安維持法違反で投獄され、栄養失調で獄死した。
現在の学会では牧口は国家神道と戦った殉教者で、「神道は初代会長のかたき」とされている。

牧口逮捕の理由は、当時、全戸に配布されていた神札の受け取りを、ある時期までは拒否して
いたことだが、捜査の端緒は学会員の強引な折伏を受けた被害者が、警察に訴えたことだった。

その後、当時の理事長、戸田城聖は「神札を粗末に扱わないように」との文書を会内に発した。
牧口も以前より靖国神社に参拝し神道と折り合いをつけており、全否定していたとは言い難い。

戦時中、創価学会が国家神道と戦い抜いたという事実でない説明が現在の学会でされる一因と
して、戦後、朝鮮戦争等を背景として、多くの人々が朝鮮半島から日本に流入したことがある。

創価学会はこうした人々を新たな信者としたが、日本の伝統に拒否感を持つ彼らが、学会員と
なるのに際して、代表的な日本文化である神道を全否定する姿勢を示したことが有利に働いた。
これが「鳥居をくぐると地獄に堕ちる」と、神社に近づかない学会員が多い背景となっている。



 ※ 「創価学会と韓国」は以前の投稿の要約。

解説

 よく知られているように、聖教新聞などの創価学会のメディアでは「日本と韓国」につ
いて言及する際、「日韓」ではなく「韓日」と略することが多かった。

 近年では、池田大作が韓国の自治体等から顕彰を受けたこと等を報じる記事で、韓国側
の発言を引用する形で「韓日」を使うことが多い(そうした文脈で用いるにしても、不自
然に「韓日」が強調されていることが少なくない)。

 現在では、こうした表現が韓国への過剰な配慮と見られないように、一応は工夫してい
るわけだが、数年ほど前までは、聖教新聞等では「韓日」という表現が普通に用いられて
いた。

 創価学会がそこまで韓国に気を遣ってきたのは、学会員の中に在日韓国人が占める割合
が大きいからだと考えられる。

 一般の日本人よりも、外国人の方を優先するかのような姿勢を見せてきた創価学会が、
公明党を介して与党に入り込んでいる現状には、もっと多くの国民が危機感を持つべきで
ないかと思うのは、私一人だけではないはずである。

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2019年11月3日日曜日

創価学会員の話術

 創価学会員の中には、折伏等に際して独特の話術を用いる者がいる。議論の旗色が悪く
なるとすぐに話題を変え、負けを認めないことなどがその特色である。

 個人的なことで恐縮だが、私が折伏を受けた際にも、創価学会の教義と法華経の教えが
矛盾していることを指摘したところ、相手の学会員がすぐさま話を反らし、「科学的根拠
を示せ」などと言い始めたことがある(「創価学会と法華経」参照)。

 このような話術は折伏のみならず、その他の機会にも用いられる。例えば、マイ聖教の
ノルマを他の学会員に押しつける時などである。

 こうした行為は、創価学会での役職が上の者が目下の立場の相手に対して行うことが多
いようである。以下に、そのおおよその特徴を記す。

 まず、どちらの立場が上かを誇示するために、あからさまに上から目線の態度を取る。
最初から気迫で呑んでかかるのである。

 次に話の内容が要領を得ず、聴いている側には何を言いたいのかさっぱり分からないこ
とが挙げられる。聴き手が「もっと分かりやすく話してほしい」と頼んだり、何か質問し
たりしても、上述のようにすぐに話を反らし、言語明瞭、意味不明を地でいく話を続ける。

 このような話し方をするのは、そもそも何かを伝えることが目的ではなく、相手を屈服
させるために長話をしているからである。

 活動家の中には、こうした無駄話を1時間以上も続けられる者も少なくない。
 そして聴き手が根負けした頃を見計らって、本題であるマイ聖教の話を切り出すのだ。

 「私がこんなにも時間をかけて話をしてあげたというのに、あなたはまったく理解でき
ていない。それはあなたの境涯が低いから。
 では、境涯を開くにはどうすればいいか……。聖教新聞をもう一部取りなさい。聖教新
聞は池田先生からのお手紙だから、間違いなく功徳があるし、境涯が開けるから」

 こうして、マイ聖教のノルマを押しつけるのだ。 
 説得や要請よりも、吊し上げに近いやり方である。

 普通の人が何か話をする際は、相手に何かを伝えたり共感を求めたりするものだが、創
価学会員は相手に理解できない話をすることで、自分の方が格上だと認めさせ、要求を飲
ませることを目的として、意味不明な長話をするのである。

 このようなやり方で目下の者に面倒なことを押しつける幹部は、創価学会では「生命力
が強い」などと言われ、信心が立派な証として高く評価されるのだという……。


 創価学会の内部でどんな話をしようと彼らの勝手であり、外部の一般人には関係のない
ことだと思われる方もいらっしゃるであろうが、学会員の中には上述の話術を一般社会で
も用いる者が時としている。

 取引先へのプレゼン、上司への報告、人事異動に際しての引き継ぎなど、説明をしなけ
ればならない機会はビジネスシーンにおいても多い。

 そのような場合に求められるのは、簡潔にして要を得た説明である。話をする目的が、
相手に必要な情報を伝達することにあることは言うまでもない。

 そのような状況で、長時間にわたって要領を得ない話をすることで、聴き手を屈服させ
ることを目的とした話術を披露することが、どれほど場違いなことかは言われなくても分
かりそうなものだが、学会員の中には「世の中で本当に価値のあることをしているのは、
私たち創価学会だけ。だから学会のやり方は、世界中どこでも通用するはず」と、信じて
いる者も少なくない。

 想像して欲しい。仕事の引き継ぎの際に要領を得ない話を長時間続け、こちらが困惑し
ているのを見て「どうだ! どっちが格上か思い知ったか!」と、言わんばかりの勝ち誇
った態度を取る前任者に遭遇したら、あなたならどう思うだろうか。

 たいていの人は「こいつは頭がおかしいんじゃないか」とか、「無能」と感じることだ
ろう。

 創価学会の教義では「学会員は正しい仏法を広める使命を帯びた菩薩であり、普通の人
より高い境涯にある」ということになっている。

 そのため、一般人は自分たちに対して敬意を払って然るべきと考え、学会員でない者を
見下す者までいる。

 しかし、当然のことながら、一般社会で創価学会員が無条件に尊敬されることなどない。
むしろ、カルト信者として胡乱な目で見られることの方が多いだろう。

 選民思想に毒された学会員がこうした認識のギャップに不満を持ち、他人に何かを説明
しなければならない状況を「自分たち学会員の境涯の高さを示してやる好機」と見なして、
上述のような履き違えた態度をとるのではないかと考えられる。

 あるいは「仏法は勝負」という、池田センセイの教えを実践する機会とでも思っている
のかもしれない。

 もちろん、すべての学会員がこのような態度をとるわけではない。時と場所をわきまえ、
創価学会での行動様式を外部には持ち出さない者も少なからずいる。

 だが、「創価学会の中で高く評価されているやり方を、境涯の低い一般の奴らが受け入
れないのなら、それは世間の方が間違っている」と言わんばかりに、創価学会流の非常識
を一般人に押しつけようとする学会員が一定数いることもまた、否定できない事実である。

 一般人に対して上述のような話術を用いる者は、学会員の中でも特に狂信的な部類であ
ろうから、そのような者に遭遇した場合、危険なカルト信者である可能性が高いと考え、
敬して遠ざけるのが無難であろう。

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