2017年5月22日月曜日

紙を飲む宗教③

 ※ 承前 紙を飲む宗教

 前回、『人間革命』における護秘符の使用例について概説したが、実は『聖教新聞』で
の連載時には言及されていたものの、単行本には掲載されなかった使用例も存在する。当
該の一節を以下に示す。


>  小西理事長は病院に飛んだ。……浅田は内臓の苦しさのからの苦悶と、呼吸の困難
> さから断末魔の表情さえ浮かべていた。小西は早速、……唱題しつつ御秘符を飲ませ
> たのである。暫くして浅田の顔から苦悶の表情がみるみる消えはじめた。
 (七里和乗著『池田大作・幻想の野望』より引用〔孫引き〕
     初出『聖教新聞』』昭和55年(1980年)10月11日付)


 ここでは「護秘符」ではなく「御秘符」という正式名称で記されている。このことは、
この文章が聖教紙上に掲載された昭和55年の前年、池田大作が創価学会会長を辞任した
ことと関係している。

 池田大作は昭和52年(1977年)、日蓮正宗に反旗を翻し、元々は正宗傘下の信徒団体に
過ぎなかった創価学会を、逆に主導的な立場とし、宗門を従わせようと画策したものの、
教義や本尊を握る日蓮正宗の宗教的権威の前に屈服を余儀なくされ、昭和54年(1979年)
には会長辞任に追い込まれた。

 創価学会はそれまで、日蓮正宗の秘法である「御秘符」のマガイモノを、「護符」と称
して勝手につくり、それを学会員に飲ませるなどやりたい放題やってきたが、それも改め
ざるを得なくなった。

 そのため『人間革命』における記述も、「護秘符」から「御秘符」に変わったのである。
 もっとも、日蓮正宗に対して恭順して見せたのは、表面上だけに過ぎず、その後も学会
内部で「護符」は使われ続けたという。

 話は飛ぶようだが、上記引用が『聖教新聞』に掲載された5ヶ月前の1980年5月8日、W
HOは天然痘の根絶を宣言した。有史以来、多くの人命を奪ってきた感染症の一つが、地
球上から消滅したのである。

 創価学会は、医学の進歩が歴史的な偉業を達成したのとほぼ同じ時期に、相も変わらず
非科学的なマジナイの宣揚に努めていたのだ。

 さて、上記の『聖教新聞』の文章は、順当にいけば『人間革命』第十一巻に含まれてい
たはずだが、実際にはそうなっていない。

 その理由は、『人間革命』の連載が昭和55年(1980年)11月20日付の掲載以降、十年以
上にわたって中断したことによる。

 連載が再開されたのは平成3年(1991年)5月3日、『人間革命』第十一巻が刊行された
のは、その翌年の1月26日であり、その間に創価学会は日蓮正宗から破門された。

 日蓮正宗との関係が敵対的なものとなってしまった以上、その日蓮正宗の秘法である御
秘符を宣揚する文章を、『人間革命』の単行本に載せる訳にはいかなかったのであろう。

 日蓮正宗とは完全に袂を分かった創価学会だが、ネット上には、現在でも護符を学会員
に飲ませることがあるらしいとの情報も存在する。

 Yahoo!知恵袋に「創価学会第一庶務で病に伏した幹部に渡される『護符』について教え
てください」(2013年2月3日付)との質問があり、質問者がパーキンソン病の母親ととも
に信濃町の学会本部第一庶務に出むいた際に、面会した学会副会長から護符を渡されたと
の記述がある。

 その際には「先生が毎日御祈念申し上げられている御本尊様をお拭きした『御秘符』で
す。どうか、これを呑んで平癒祈念をなさってください」との説明があったのだとか。

 この質問者は、かつては創価学会員だったが、質問した時点では日蓮正宗の講員となっ
ており、書き込まれている内容には相応のバイアスがかかっているであろうことは考慮す
べきだが、もし事実であれば、創価学会は21世紀になってからも、病気治しのために紙切
れを飲むというマジナイ療法を行っていることになる。

 私はこれまでに、学会員の非常識さをさんざん見てきた。その経験に基づいて言うなら
ば、彼らがそういうバカげたことを続けていたとしても、驚くには値しない。

 学会員というのは、論理的に破綻した主張をして、それを「創価学会が正しい証拠だ」
と言い張るような、頭がおかしい連中ばかりだからだ。

 学会員のほとんどは、〝他の宗教は科学的な根拠がない間違った宗教で、創価学会だけ
が科学と調和する唯一の正しい宗教〟と本気で思い込んでおり、しかも連中の頭の中では、
彼らの言うところの〝科学〟と、護符のようなインチキなマジナイが矛盾することなく同
居しているのである。

 いや、深遠な仏法の哲理を究めた学会員からすれば、浅学非才の私などには創価学会の
素晴らしさを理解できず、そのために程度の低い批判しかできないのだと、おっしゃられ
るかもしれない。そんな学会員がもしいらっしゃるのであれば、次の質問にお答えいただ
きたい。

 護秘符や護符の効果に再現性はあるのか、食紅や紙切れを飲むことと病気平癒との因果
関係を合理的に説明できるのか、転重軽受という教義は反証可能なのか、そして創価学会
員の中に、本来の意味での科学的・合理的な思考ができる者がどれだけいるのか。

 答えられるものなら、是非とも御教示いただきたいものである。


 ※ 池田大作が創価学会会長を辞任せざるを得なくなった経緯や、『人間革命』の長期
  休載の理由は、いずれ稿を改めて論じる予定である。



蛇足

 個人的な見解というか、ほとんどの常識人から同意いただけるものと思うが、そもそも
宗教は科学ではない。

 科学的な仮説には、それを反証する手段が存在することが求められ、仮説を検証する際
には実証性・再現性が重視される。

 それに対し、宗教の核心である信仰は、反証も実証も不可能な教義を、「正しい」と思
い込むことだからである。

 この点は創価学会も、それ以外の宗教も同じであろう。
 だが創価学会の場合、ほかの宗教と比べても、特に論理性の欠如がはなはだしい。

 まともな宗教家は、信仰が本質的に科学とは異質なものであり、信仰の正統性を、科学
的な方法で実証することなどできないことを理解しているので、「科学と調和した唯一の
宗教」などと僭称したりはしない。

 それにもし、科学と宗教の調和があり得るとすれば、適切なすみ分け以外にあり得ない
だろう。

 創価学会が、プラシーボ効果以上のことは何も期待できないインチキなマジナイを、万
病が治るものであるかのごとく主張し、しかもそれでいながら「科学との調和」を謳って
きたことは、彼らには科学的な医療と、非科学的な呪術との区別ができないという、知性
の欠如を証明するものでしかない。

 ただ、創価学会が科学との調和を謳ったり、池田大作が外国の政府や自治体から与えら
れる名誉称号や、大学の学位などを求める理由については、一考の価値があると思う。

 「唯一正しい」存在である創価学会が、なぜ外部の権威からの承認を得る必要があるの
だろうか。そのような行動を取ることに、学会員は疑問を感じないのだろうか。つくづく
解せない集団である。