NHKの番組と民放各社のそれとの大きな違いの一つとして、『NHKスペシャル』に
代表される硬派ドキュメンタリーの存在が挙げられる。
NHKのドキュメンタリー番組の嚆矢は、昭和32年(1957年)11月から放送された『日
本の素顔』と題されたシリーズだった。
その第一回「新興宗教をみる」では創価学会も取り上げられ、大石寺で行われた戸田城
聖の法華経講義の模様が放送された。
その撮影当日、控室の戸田のもとに挨拶に出むいた同番組のディレクター・吉田直哉氏
が、会見の模様を著書に記している。
> 幕あきは教祖であった。
> 飛ぶ鳥も落とさんばかりに強勢を拡大している新宗教の会長が、森羅万象を映像化
> しようと志した私の、最初の対象だったのである。
> そして、想像もしなかったことばかりが起きた。
> 「グイッとあけな。グイッと」
> 「……いえ、これから撮影……。仕事中ですから」
> 「なにィ? それを言うなら、こっちだって仕事中だぞ」
> 黒ぶちの眼鏡の奥からにらまれ、これはからまれる、と確信したがコップを手にす
> るのも勇気が要った。尋常ならぬ量のウィスキーなのだ。
> こんなに荒っぽい飲みかたは見たことがない。角ビンのウィスキーを大ぶりのコッ
> プのふちまでドクドク注いで、申し訳のようにほんの少しのビールを垂らして割って、
> 机の上に溢れさせるのだ。その濡れた机の上を、波を立てるようにさらにコップを押
> してよこして、飲め! とこんどは大声の命令である。
> 縁側の籐椅子にただひとり坐って、親の仇のように矢つぎばやに酒をあおっている
> のは、創価学会第二代会長となって六年目の戸田城聖氏。
(中略)
> そうこうするうちに屈強な若い人が呼びにきて、戸田氏は立ちあがった。ネクタイ
> は右の肩の上にはね上がり、ズボンは下がってシャツの裾が半分以上出て、みるから
> に酔漢の姿である。
> 何によらず、この姿を克明に捉えることが肝要だと、先まわりするため私は講堂へ
> 走った。
(中略)
> 気になったのは、ひっきりなしに病人が運び出されていることであった。担架もあ
> ったが足りないらしく、戸板が使われていた。その上に乗せられ、身をよじったり痙
> 攣したりしている人を、青年たちが運び出すのと次つぎにすれちがった。もともと病
> 人なのか、薄暗い会場の異様な熱気で気分がわるくなるのか、舞踏病のような症状の
> 人が続出しているのである。
(中略)
> もっと演台ちかくにカメラを据えさせてくれ、いや絶対駄目だ、と押し問答をして
> 何の対策も立てられないでいるうち、左手から戸田会長が登場してしまった。
(中略)
> そして、演台にたどり着いて両手を突くなり、いきなり「説法」ははじまったので
> ある。
> 「おろかものが!」
> 開口一番の獅子吼が、この言葉であった。
(中略)
> しかも、戸田会長はそれきり口をつぐんで虚空をにらみ、一言も発しない。
> 気まずい沈黙の時間が流れてゆく。きこえるのは、いやにかん高いカメラの回転音
> だけ。このカメラはゼンマイが動力で、十五秒ごとにネジを巻かなければならないの
> である。
> 身動きもせず何も語らない人を写して、十五秒が過ぎた。カメラが停止したから、
> あかりを消す。とたんに、
> 「このオレが、病気もなおらん信心をすすめると思うとるのか!」
> 大音声である。病人が続々と戸板で運ばれた。その姿を見て、功徳を疑う心が胸を
> よぎったのではないか? おろかものが! という論旨であった。
(吉田直哉著『映像とは何だろうか』より引用)
『人間革命』などの創価学会の出版物では語られることはないが、外部のジャーナリス
トや学者が戸田城聖について論じた書物では、ほぼ必ず言及されているのが、その常軌を
逸したアルコール中毒ぶりである。
戸田は常に酒を手放さず、治安維持法違反で入獄していた期間をのぞいて、29歳から毎
日欠かさず酒を飲み続けた。『人間革命』にも、戸田が酒を飲む場面は何度も描かれてい
る(さすがに酔って醜態をさらす場面は、書かれてはいないが)。
講義や座談会の際も、酒を飲みながら行うことがしばしばであった。上記引用に見られ
るように、酩酊して言葉につまったり、時には完全にへべれけになって、何を言っている
のかわからないこともあったという。
しかも『人間革命』第八巻によると、戸田は青年部に対して禁酒令を出していたという。
理由は酒のために「月給をつかいはたして、生活に困る」かららしい。
アル中から「酒を飲むな」と言われても、まったく説得力がないし、戸田の酔態をたび
たび目にしていた学会員たちが、この禁令を真に受けたかどうかもあやしいものである。
このような言動不一致もはなはだしい禁酒令は、自らの権威を失墜させただけではない
のだろうか。実際、『人間革命』第七巻に、水滸会という男子部の会合に出席した大学生
が、戸田を侮るかのように酒についての蘊蓄を話し続け、激怒させたとの記述もある。
戸田城聖は、昭和33年(1958年)4月2日、日大病院で死去した。死因は肝硬変による心
臓衰弱だった。酒が戸田の寿命を縮めたことは明白である。
創価学会は、「金が儲かる」「病気が治る」という現世利益を打ち出して、信者を獲得
してきた。『人間革命』第五巻には、昭和27年4月7日の立宗七百年記念春季総会において、
「大酒飲みが入信によってとまった」という体験発表があったと記述されている。
しかし、創価学会の会長である戸田城聖のアルコール中毒は治らなかった。そもそも創
価学会の信心には、酒飲みを治す功徳などないのか、それとも戸田には信心がなかったの
であろうか。
創価学会は強引な勧誘により、多くの信者を獲得してきたが、一方では退転者も少なく
ない。『人間革命』にも、学会に入信し御本尊を受けとったものの、後に幹部が様子を見
に行ってみると、本尊を焼いてしまっている例もあったと記されている。
本尊を焼いたのは、学会による謗法払いに対する意趣返しという意味合いもあろうが、
生き仏のように言われている戸田会長を、学会の集会等で目にし、その戸田は実際には昼
間から酒を飲んで講演するようなアル中であること知って、幻滅のあまり信仰心を無くし
た者も、相当数いたのではないかと思われる。
非難がましいことばり書き連ね、公平性を欠くことになるのも好ましくないので、戸田
が酒をたしなんでいたことが、役に立った事例も書き記しておく。
彼自身、酒飲みだけのことはあって、酔っ払いの扱いについてはよく心得ていたようで
ある。『人間革命』第四巻によると、座談会に闖入した酔っ払いと喧嘩になり、負傷した
幹部に対して、戸田は次のように指導したという。
> 君、まず座談会に酔っぱらいなぞ決して入れないことだ。
何をかいわんや、である。
補足1 創価学会の教義におけるアルコール中毒の位置づけ
創価学会の教義では、人間の境涯を一番上の「仏界」から一番下の「地獄界」までの十
段階に分類している。『折伏教典』の初版では、そのうち下から二番目の「餓鬼界」に、
アルコール中毒患者を含め、以下のように説明している。
> 餓鬼界―下級労働者、衣服住居等まではとても手が廻らず毎日毎日の生活が食を得る
> 為に働いて居るという様な人々。アルコール中毒になって酒が無ければ生きて行か
> れぬといった人間、金をもうける為には手段を選ばぬという拝金主義者、其他何ん
> でも目についたものが欲しくてならぬという様な性格異常者。
戸田城聖はかつて、「キリスト教によって救われたとしても、せいぜい天界までが限度
で、稀に菩薩界になる」(『人間革命』第七巻)と語ったことがあるという。
それに習って言うならば、「創価学会によって救われたとしても餓鬼界までが限度」と
いったところであろうか。
池田センセイは、「師が、例え地獄にゆこうと、勇んで、地獄にゆくことこそ、真の師
弟だ」と、かつて語っておられた。池田センセイが強引な金集めに励まれたのは、師と同
じ餓鬼界の境涯であろうとする、師弟不二の実践だったのではあるまいか。
また、熱心な学会員の中には、高額の財務やマイ聖教のために生活を切り詰めるという、
餓鬼界の境涯に自ら堕ちている方もおられるが、それも「永遠の師匠」との師弟不二の実
践なのだろう。まことに麗しい師弟愛である。
補足2 『映像とは何だろうか』について
誤解のないよう申し添えるが、この本は創価学会を批判するものではない。著者の長年
にわたるNHKでのドキュメンタリー制作や、大河ドラマの演出の経験を踏まえて、「映
像とは何か」について考察したものである。
創価学会や戸田城聖について触れられているのは、冒頭のごく一部だけである。著者が
戸田の逸話を記した理由は、ドキュメンタリーの撮影では予想外のことが起こることがま
まあり、現場で〝これを視聴者に伝えるべきだ〟と思ったことを、必ずしも映像化できる
とは限らないと訴えたいがためのようである。
また、初めてのドキュメンタリー撮影で、仰天するような事実を目にしながら、それを
映像で視聴者に伝えられなかったことへの悔恨から、せめて活字で伝えたかったのかもし
れない。
同書は岩波新書として刊行されている。一読の価値はある本だと思う。だが、繰り返す
が創価批判本ではないので、本稿を読んで購入を思い立たれた方は、ご留意いただきたい。