創価学会の活動において、中核的な役割を担っているのが婦人部である。
婦人部の活動家は、座談会などの頻繁に開かれる創価学会の会合に参加し、会合がない
日も未活・非活――活動家ではない学会員――への家庭訪問や、聖教新聞の拡販活動など
に飛び回っている(「学会活動できるじゃない!」参照)。
彼女たちは、敬愛する池田センセイの著書は必ず購入するが、学会活動があまりにも忙
しいため、それらの本を読む暇もないほどだという(婦人部に限らず、創価学会の活動家
の大部分には読書をする習慣はない)。
学会員の中には、聖教新聞を一家で何部も取っているにもかかわらず、その紙面にはほ
とんど目を通さない者までいる。そんな人でも、数日に一度、必ず一面トップで掲載され
る、池田大作が海外から顕彰を受けたという記事は、ほぼ確実に目にしているはずである。
聖教新聞しか購読していない学会員は、「池田先生は世界中から称賛されている。それ
は新聞でもよく取り上げられている、間違いのない事実」信じるようになるのだ。
また、創価学会の会合でも、幹部は「池田先生は素晴しい方」「池田先生は学会員の幸
せのために、毎日、祈ってくださっている」と話す。学会員はそれを聞いて、「責任ある
立場の人も池田先生を称えている。先生はやっぱりすごい! そんな先生からご指導いた
だける私たちは幸せだ」などと、ますます思い込む。
このようなマインドコントロールの結果、少なくない数の学会員が「池田先生は世界的
な偉人であり、その指導に従うことが正しい生き方だ」と盲信するようになっている。
特に婦人部には、池田への崇拝がはなはだしい者が多く、創価学会の教義では表向きは
日蓮が「本仏」とされているものの、「現在では、日蓮大聖人の生まれ変わりである、池
田先生が末法の御本仏」とまで信じている者も少なくない(男性の学会員だと、そこまで
池田を崇める者は、婦人部と比較すると少ないようである)。
池田センセイが健在だった頃は、彼と「特別な関係になりたい」と願う婦人部員も多か
ったそうである。
> 元青年部(男子部)の学会員は言う。
> 「そもそも創価学会という組織が内側で閉じているので、世界が狭いのだが、それ
> に輪をかけるように婦人部のメンバーは専業主婦が多い。まあ、学会サイドとしては、
> 毎日、会合だ何だって動き回るわけだから、もちろん外で仕事をしていない方が都合
> がいいわけだが、そういう女性たちは、現実の社会を知らないから、さらにもっと世
> 界が狭い。そんなんで『池田先生のためなら……』と邁進している人たちだからね。
> そういう人たちに、もし、『池田先生だって、間違うことだってある』なんて言った
> 日には、総スカンですよ。まあ、婦人部の十人中九人は池田の“お手つき”になりたい
> と思っている連中ですから」
> ちなみに、この「十人中九人」という割合について、別の元学会幹部にぶつけたと
> ころ、「ちょっとその数字はオーバーですが、まあ、そういう女性が婦人部には多い
> ことは間違いありません」とのことだった。
(古川利明 著『システムとしての創価学会=公明党』)
> その一方で女性会員の中には、池田崇拝が高じて、池田と握手をすればその手を洗
> わないとか、池田が死んだら自分の命もないんだと思い込んでいる人さえ実際にいる
> のである。婦人部幹部などでも、とくに、創価学会が絶頂期へ向かっていた昭和四十
> 年前後は滅茶苦茶だった。池田大作を宗教上の師匠として尊敬すると同時に魅力あふ
> れる男という視線で凝視し心ときめかせるタイプが少なくなかったのである。
> 彼女たちは池田の目にとまりたいと願い、池田との親しさを競いあい誇示する。
> 「お手付きになりたい」との声まで出る始末だった。あげくに、その念願をはたした
> 当人たちは池田会長との特別の関係をほのめかして他に威張り、周りは「いいですね
> え」と羨ましがった。いってみれば人気スターと熱狂的ファンの関係、世間流にいう
> とそうなる。
(藤原行正 著『池田大作の素顔』)
池田センセイは身長160センチ足らずで、贅沢三昧の結果として、でっぷりと肥え太っ
ていた。お世辞にも女性からモテそうではないが、文字どおりの狂信で目が曇っていた婦
人部員にとっては、魅力的だったのである。
当ブログでも何度も取り上げてきたように、池田大作は週刊誌等で何度も女性スキャン
ダルを報じられたが、池田と直に接する機会のない、末端の婦人部員たちは「池田先生が
ふしだらなことをするはずがない。週刊詩に書いてあることは全部デマ」として、一顧だ
にしなかった。
「池田先生のお手つきになりたい」と願いながら、同時に「池田先生がふしだらなこと
をするはずがない」と信じるのは矛盾しているようだが、藤原氏が述べているように、婦
人部員にとって池田センセイは偶像(アイドル)だったのだろう。
聖教新聞の配達員を創価学会では「無冠の友」と呼ぶが、その多くは婦人部員である。
池田を崇拝する彼女たちは、「池田先生のお手紙」である聖教新聞を配達することこそ、
何よりも功徳になると信じているのだ。
> 「私はずっと無給で聖教新聞の配達をしてきました。会長先生の御手紙を配達させて
> いただいているんだ、むしろ感謝しなさい、朝日新聞を撲滅しようといわれ、すっか
> りその気になっていました」
> 聖教新聞の配達員を十五年間余り続け、地区幹部でもあった東京都内の元学会員M・
> Eさんはそう話し始めた。
> 「でも、妊娠したので辞めさせてくれと申し出たら、当時の販売店主に『とんでもな
> い、そんなことしたら功徳がなくなる、続けることがたいせつだ』といわれ、ついに
> 流産してしまったときはつらかった。罰があたったといわれました。何かまずいこと
> があると、それは全部こちらの罰。いいことは全部、池田先生のおかげ……集金でき
> ない場合は、不信心扱いされるので自腹を切るのがあたりまえ。引っ越す人が出たら、
> そのぶんを、広宣流布に役立つと思い自分が引き受けます。だから、トータルの販売
> 部数も収益も絶対に減らない、そんなしくみになっているんです。
> 配達料が出ても、みんな広布(広布基金)へまわしてしまう。みんなもっていかれ
> てしまう。以前は新聞を廃品回収に出せばいくらかの金をくれましたが、その金すら
> カンパへまわします。また、選挙になればF闘争(賛同者の獲得運動、Fはフレンド
> の略)の費用は自分持ち、おまけに候補者へもカンパ。いつも金、金、金の世界です、
> あそこは。私は聖教新聞を三~五部とっていたし、それに公明新聞、創価新報(隔週
> 刊)、大白蓮華(月刊)聖教グラフ(現・グラフSGI)なども随時とっていたので、
> 一か月の持ち出し金額は万単位にのぼっていました。私は幸せになりたかった、でも、
> 逆にどんどん吸収されてしまい、池田だけ幸せになった……いまでもにえくり返る思
> いがしますが、脱会して本当の心底からの喜びを知りました」
(野田峯雄 著『増補新版 池田大作 金脈の研究』)
引用した実態を表現するのに、「搾取」以上に適切な言葉を私は思い浮かべることがで
きない。妊娠した女性に対して「やめたら功徳がなくなる」と脅して働き続けさせ、それ
で流産すれば、今度は「罰があたった」と貶す。あまりにもひど過ぎる話である。
女子高生を妊娠させたりレイプ事件を起こしたりと、下劣なスキャンダルに事欠かない
池田大作を、「末法の御本仏」として崇拝する創価学会の信仰は、滑稽としか言いようが
ない(「個人崇拝の実態」参照)。
だが、愚劣な個人崇拝を利用して「無冠の友」と称する搾取的な労働を押しつけ、さら
にわずかばかりの配達料までも広布基金等で吸い上げるという創価学会のやり方は、あま
りにも悪辣であり、先の引用のような目に遭った人までいる事実を笑うわけにはいかない。
池田大作がいなくなれば、マインドコントロールから覚醒する学会員も増えるであろう
が、創価学会側もそれを阻止しようと池田の神格化を図ると予想される。
バカげたカルトの被害者を減らすためにも、創価学会の悪質な実態を広め続けることに
は意義がある。私としても、今後とも微力ながら社会貢献できるよう努めたいと思う。