今回は、創価学会の嫌がらせ実行部隊、教宣部創設の経緯を述べる。この組織は当初、
日蓮正宗対策を目的としていたので、そこから説明したい。
創価学会は元々、法華講(単に「講」ともいう)と呼ばれる、日蓮正宗の在家信者団体
の一つだった。余談だが、学会と双璧を為す正宗系のカルト・顕正会も、元は妙信講とい
う日蓮正宗の傘下の講だった。
しかし、創価学会の教勢拡大に慢心した池田大作は、上部団体である日蓮正宗を、逆に
自らの傘下におこうと画策した他、本尊模刻などの教義上の逸脱を繰り返し、遂に平成3
年(1991年)に破門された。
ただ、この際に破門されたのは、創価学会という団体であり、個々の学会員の日蓮正宗
信徒としての資格が、即座にはく奪されたわけではない。つまり、学会を通さずに直接、
日蓮正宗寺院に法事での読経などを依頼することは引き続き可能だった。
両者の対立関係が続いていた以上、このどっちつかずの状況は、いずれ改めなければな
らなかった。そこで日蓮正宗は、平成9年(1997年)10月に、同年12月1日以降、創価学
会員は日蓮正宗信徒としての資格を消失するとの通知を送った。正宗の信徒であり続けた
いなら、学会をやめるようにと迫ったのである。
創価学会は、日蓮正宗の総本山大石寺の大御本尊は、「幸福製造機である」と現世利益
を説きながら、一方では「大御本尊を拝まない者は地獄に落ちる」と脅して、会員を増や
してきた団体である。
この通知を受けて、日蓮正宗との関係が完全に切れ、大石寺の大御本尊に参拝できなく
なることに不安を感じ、創価学会をやめて正宗信徒になる学会員が、相当数でると予想さ
れた。
この事態に対応することを目的として、教宣部は創設された。実は、創価学会は正宗が
発した上記通知の内容を、事前に把握していた。教宣部が旗上げされたのも、通知が出さ
れる以前、平成9年夏である。
ジャーナリスト・野田峯雄氏の著書に、教宣部創設に際して、第五代秋谷会長(当時)
が檄を飛ばしている内部文書が転載されているので、その一部を引用する。
> 「今回、新たに『教宣部』が設置された。方面、県、そして末寺ごとに。21世紀を前
> にして、本格的な日顕宗(対策)を進めていく。その『攻撃班』、急先鋒として、悪
> を攻め、退治するのが教宣部である。先生(池田大作さん)もこうおっしゃっている。
> 『広宣流布には、いろいろな戦いがある。世法の戦いもあれば、仏法の戦いもある。
> 最も大事な戦いは日顕宗を攻める。極悪を攻める戦い。これが仏法の戦い。この戦い
> が根本である』と。第二、第三の戦いと考えると、大きい誤りである。そこに教宣部
> のもつ使命がある。仏法上、しっかり受け止めていく。日顕宗こそが、そこが一凶で
> ある。一凶を禁ずる戦い。そこに教宣部の使命がある。広宣流布の為に、絶対に打ち
> 遂げなければならない。日顕宗との戦いである」
(中略)
> 「だから中途半端な戦いはないのだ。源を塞ぎ、根を断つ戦いでなければならない。
> 今こそ先制攻撃をするときだ。手厳しくやろう。相手は狡猾である。創価学会に手を
> 出したらとんでもないことになる。それを骨身に染ます(染みてわからせる)までや
> る戦いである。徹底して戦えば功徳がある。やる気がない幹部がいれば排除すべきだ。
> 本部に教宣部委員会を設置し、委員長に竹入副会長、事務局に岡部学生部長……」
(野田峯雄著『わが池田大作バッシング』より引用)
※ 「日顕宗」とは創価学会側が日蓮正宗を呼ぶ蔑称。創価学会を破門した日蓮正宗管
長・阿部日顕氏にちなむ。
秋谷会長は、創価学会と対立する日蓮正宗と、「徹底して戦えば功徳がある」と言って
いる。およそ、人を精神的に救うことを目的とする宗教団体とは思えない、好戦的な文言
である。
現在、この好戦性の矛先は日蓮正宗のみならず、彼らが「仏敵」認定した一般人にも向
けられている。また、教宣部の具体的な活動についても、同書には記されている。
> さて、池田大作さんたちが九七年夏に気合を入れて新設した「教宣部」は具体的に
> どのような活動をするのか。九七年九月十日付の学会・内部通達文書「日顕宗対策」
> がこう説明していた。
> (1)寺院への徹底した攻撃
> ①寺・住職の詳細な状況把握(過去と最近の様子)
> ②寺の定例行事の掌握
> ③活動家の動きの掌握
> ④寺の機関紙の定期的な入手
> ⑤寺のデータの管理
> (2)法華講救済運動の推進 明年3月 新客殿落慶10万登山の粉砕
> ①脱会者の追跡調査 今どうなっているのか。
> ②古くからの法華講の掌握
> ③脱講の推進 登山、供養どめの推進 *青年僧侶への依頼
> ④脱講数の報告 月2回 *月に数回、脱講デーを設けて、取り組む。
> (3)組織への啓蒙
> ①脱会者を絶対に出さない。
> ②日顕宗への戦いの感覚を磨き、組織への啓発をする。
> ③武器の活用 創価新報など
創価学会は、こうした密偵のような活動を、教宣部に所属させた末端学会員にさせてい
たのである。日蓮正宗対策として実施された上記活動を通して、社会的には歓迎されない
ノウハウを身につけた学会員は多いであろう。そしてそれが、現在の外部への嫌がらせに
も活かされているのではないか。
特に気になるのは、(3)の②「日顕宗への戦いの感覚を磨き、組織への啓発をする」
という記述である。創価学会は、破門された直後に「脱会者は自殺するまで追い込め」と
扇動していた。
こうした経緯をもとに考えると、「組織への啓発」とは、脱会者を嫌がらせで不幸にす
る――場合によっては自殺に追い込む――ことで見せしめにする、という含意があるので
はないかと思われる。
教宣部は、各都道府県の学会組織に設けられた。しかも、学会が日蓮正宗から破門され
て、四半世紀が過ぎた現在も存続している。
このような人権侵害を目的とした部門を組織内に設けている宗教組織は、一部のカルト
だけであろう。そして、その規模からいえば、創価学会こそが日本最大の反人権団体であ
るといっても過言ではない。
創価学会は、警察やマスコミにも浸透し、このような問題が表面化することを防いでき
た。だが、インターネットが普及した現在、不都合な情報すべてを隠蔽することは、もは
や不可能である。
教宣部の実態を知り、嫌気がさして脱会したり、活動をやめた学会員も一部にはいるら
しい。創価学会の真実を世間一般に周知させることにより、このカルトの衰退に拍車をか
けなければならない。
補足1 「一凶を禁ずる」とは
引用中に「一凶を禁ずる」という文言があるが、この言葉は日蓮の代表的な著述、『立
正安国論』が出典である。当該部分を引用する。
> 而るを法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、付嘱を抛ちて東
> 方の如来を閣き、唯四巻三部の経典を専らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。是を
> 以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐ひを忘
> る。故に仏堂は零落して瓦松の煙老い、僧房は荒廃して庭草の露深し。然りと雖も各
> 護惜の心を捨てゝ、並びに建立の思ひを廃す。是を以て住持の聖僧行きて帰らず、守
> 護の善神去りて来たること無し。是偏に法然の選択に依るなり。悲しいかな数十年の
> 間、百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷へり。謗を好んで正を忘る、善神怒り
> を成さゞらんや。円を捨てゝ偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。如かず彼の万祈を修
> せんよりは此の一凶を禁ぜんには。
読めばわかる通り、日蓮がこの文章で否定しているのは、法然の『選択本願念仏集』に
よる念仏信仰であるが、「彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」の言い回しが
印象的だからか、創価学会員や日蓮正宗の信者は、気に入らない主張を批判する際に、し
ばしばこの表現を引用して、自説のハクづけに使う。
補足2 オウム事件の余波
平成3年(1991年)に、創価学会が日蓮正宗から破門された直後、学会をやめて日蓮正
宗の門徒になる者が少なからずいた。この時も、創価学会は池田大作の指示により、脱会
者に悪質な嫌がらせを行った。
しかし、平成7年(1995年)地下鉄サリン事件が起こり、警察の捜査により、松本サリ
ン事件、坂本弁護士一家殺害事件とともにオウム真理教の犯行と断定され、社会のカルト
に対する見方が厳しくなると、創価学会による脱会者への嫌がらせも沈静化した。
その後、嫌がらせが再開されたことは、本文のとおりである。批判を受けないように、
より組織的に、そしてより巧妙に脱会者への嫌がらせを遂行することも、教宣部が設置さ
れた理由だったと考えられる。
このように、社会から批判的な眼差しを向けられると一時的におとなしくするが、ほと
ぼりがさめた頃に、同様の悪事をより巧妙な形で再開すると言うのが、創価学会の行動パ
ターンのようである。
つまり、奴らはバレないように上手くやりさえすれば、何をやっても構わないと考えて
いるのだ。カルトならではの無反省・無道徳といえよう。
なお、創価学会が破門された直後の脱会者への嫌がらせについても、いずれ稿を改めて
論じる予定である。
2017年3月31日金曜日
2017年3月30日木曜日
広宣部・教宣部が連携した嫌がらせの手口
前回、創価学会が「仏敵」に対して陰湿な嫌がらせを行っているとのべたが、その手段
として、動かぬ証拠が残るような明白な犯罪行為がなされることは少ない。ほとんどは、
法に触れない程度の行為を執拗に繰り返し、標的を精神的に追い込むというものである。
だが、標的の個人情報を収集するにあたっては、非合法な手段をとることもある。
例えば、平成14年(2002年)、創価学会員でもある関連会社社員の手により、NTTド
コモの通話記録が盗み出されるという事件がおきたが、その実行犯は学会の広宣部に所属
していた。
この事件は表向き、一部の学会員が勝手にやったこととされたが、学会の組織的関与を
疑う声は、当時から少なくなかった。真相は今も闇の中である。
こうした、表に出た数少ない事例から推測すると、教宣部による軽微な嫌がらせを実行
する前に事前調査として、標的に気付かれないように個人情報を収集し、その際、法に触
れる可能性があるものは、広宣部員が関与しているのではないかと考えられる。
集めた個人情報をもとに、標的と面識がない教宣部員も動員して、嫌がらせを行うので
あろう。以下にその実態についての推測を述べる。
人間のコミュニケーションの手段は言語だけではない。図書館や映画館などで、騒がし
い人に注意を促す意味で咳払いをしたり、目上の人とすれ違った際に目礼するなどの、非
言語コミュニケーションにも重要な役割がある。
創価学会の嫌がらせは、このような非言語コミュニケーションを、不適切な状況で行う
ことで心理的な威圧として用いるというものが多い。
街を歩いていて、まったく面識のない人から、すれ違いざまに咳払いや目礼をされると、
大抵の人は違和感を感じると思う。もちろん、それが1、2回であれば、気のせいだと思
えばすむかもしれない。
だが、ある日を境に、それまでに人生経験では考えられないような頻度で、このような
ことがあれば、少なからぬ人が、不審に思うはずである。不特定多数から、尾行・監視さ
れているのではないか、という不安を感じる人もいるかもしれない。
中には、これ以外の嫌がらせ被害も相まって、疑心暗鬼が高じ、たまたま上空を通り過
ぎただけのヘリや、緊急車両のサイレンまでも自分を監視するためのものではないかとい
う、被害妄想に陥る者までいる。そして、標的をこのような状態に追い込むことこそが、
創価学会の狙いなのだ。
実際の嫌がらせの実態は、標的の通勤・通学や買い物などの経路、生活時間を把握し、
偶然を装ってすれ違った学会員が、咳払い等で威圧するものが多い。その他にも悪口を言
いふらすなども行われる。
このように見つかっても罪に問われにくい手法で、標的を精神的に追い詰めるのが創価
学会の手口である。
上記に加えて、その他の陰湿な嫌がらせでも苦しめられ、疑心暗鬼に陥った被害者が、
「監視されている」と訴えても、事情を知らない人からは「心を病んでいるのではないか」
としか思われないだろう。
現在、被害を受けている人は、気を強く持ち、理性的な判断を失わないようにしてほし
い。標的を精神病患者にしたて孤立させること、そして「学会を批判しているのは心を病
んだ人たち」と、世間に思わせることこそが、創価学会の狙いだということを忘れてはな
らない。
嫌がらせの標的になるのは、創価学会の勧誘を断った人や、彼らの非常識なふるまいを
批判した人である場合が多い。創価学会員には常識などいっさい通用しないし、人権尊重
という観念もない。
こうした軽微な嫌がらせの実行部隊は、創価学会内部で、〝教宣部〟と呼ばれる組織が
主である。教宣部の嫌がらせ実行者には、日中暇な専業主婦や、高齢者、生活保護の受給
者も少なくないが、彼らの風体だけを見て、創価学会を侮ってはならない。
先に述べたように、創価学会には〝広宣部〟という、さらに違法性の高い行為を行う実
行部隊もある。そこに所属するのは専従の職員だけでなく、普段は不動産会社や電話会社
などに勤務している学会員などもおり、必要に応じて、職権で入手できる個人情報を学会
に提供し、嫌がらせなどに役立てているものと考えられる。
創価学会の嫌がらせは、上述のような軽微なものだけにとどまらないが、彼らは長年の
経験から警察沙汰にならないように標的を苦しめるノウハウを確立しており、その実態の
解明は困難である。
明白な証拠がない被害については、訴えても警察も動いてはくれないことが多い。被害
を受けている方は、短慮は創価学会を利するだけだということを心に留め、慎重に行動し
てほしい。
また、現在被害を受けていない方も、いつ被害者になるかわからない。創価学会は身近
に存在する、危険で反社会的なカルトだということを忘れないでいただきたい。
として、動かぬ証拠が残るような明白な犯罪行為がなされることは少ない。ほとんどは、
法に触れない程度の行為を執拗に繰り返し、標的を精神的に追い込むというものである。
だが、標的の個人情報を収集するにあたっては、非合法な手段をとることもある。
例えば、平成14年(2002年)、創価学会員でもある関連会社社員の手により、NTTド
コモの通話記録が盗み出されるという事件がおきたが、その実行犯は学会の広宣部に所属
していた。
この事件は表向き、一部の学会員が勝手にやったこととされたが、学会の組織的関与を
疑う声は、当時から少なくなかった。真相は今も闇の中である。
こうした、表に出た数少ない事例から推測すると、教宣部による軽微な嫌がらせを実行
する前に事前調査として、標的に気付かれないように個人情報を収集し、その際、法に触
れる可能性があるものは、広宣部員が関与しているのではないかと考えられる。
集めた個人情報をもとに、標的と面識がない教宣部員も動員して、嫌がらせを行うので
あろう。以下にその実態についての推測を述べる。
人間のコミュニケーションの手段は言語だけではない。図書館や映画館などで、騒がし
い人に注意を促す意味で咳払いをしたり、目上の人とすれ違った際に目礼するなどの、非
言語コミュニケーションにも重要な役割がある。
創価学会の嫌がらせは、このような非言語コミュニケーションを、不適切な状況で行う
ことで心理的な威圧として用いるというものが多い。
街を歩いていて、まったく面識のない人から、すれ違いざまに咳払いや目礼をされると、
大抵の人は違和感を感じると思う。もちろん、それが1、2回であれば、気のせいだと思
えばすむかもしれない。
だが、ある日を境に、それまでに人生経験では考えられないような頻度で、このような
ことがあれば、少なからぬ人が、不審に思うはずである。不特定多数から、尾行・監視さ
れているのではないか、という不安を感じる人もいるかもしれない。
中には、これ以外の嫌がらせ被害も相まって、疑心暗鬼が高じ、たまたま上空を通り過
ぎただけのヘリや、緊急車両のサイレンまでも自分を監視するためのものではないかとい
う、被害妄想に陥る者までいる。そして、標的をこのような状態に追い込むことこそが、
創価学会の狙いなのだ。
実際の嫌がらせの実態は、標的の通勤・通学や買い物などの経路、生活時間を把握し、
偶然を装ってすれ違った学会員が、咳払い等で威圧するものが多い。その他にも悪口を言
いふらすなども行われる。
このように見つかっても罪に問われにくい手法で、標的を精神的に追い詰めるのが創価
学会の手口である。
上記に加えて、その他の陰湿な嫌がらせでも苦しめられ、疑心暗鬼に陥った被害者が、
「監視されている」と訴えても、事情を知らない人からは「心を病んでいるのではないか」
としか思われないだろう。
現在、被害を受けている人は、気を強く持ち、理性的な判断を失わないようにしてほし
い。標的を精神病患者にしたて孤立させること、そして「学会を批判しているのは心を病
んだ人たち」と、世間に思わせることこそが、創価学会の狙いだということを忘れてはな
らない。
嫌がらせの標的になるのは、創価学会の勧誘を断った人や、彼らの非常識なふるまいを
批判した人である場合が多い。創価学会員には常識などいっさい通用しないし、人権尊重
という観念もない。
こうした軽微な嫌がらせの実行部隊は、創価学会内部で、〝教宣部〟と呼ばれる組織が
主である。教宣部の嫌がらせ実行者には、日中暇な専業主婦や、高齢者、生活保護の受給
者も少なくないが、彼らの風体だけを見て、創価学会を侮ってはならない。
先に述べたように、創価学会には〝広宣部〟という、さらに違法性の高い行為を行う実
行部隊もある。そこに所属するのは専従の職員だけでなく、普段は不動産会社や電話会社
などに勤務している学会員などもおり、必要に応じて、職権で入手できる個人情報を学会
に提供し、嫌がらせなどに役立てているものと考えられる。
創価学会の嫌がらせは、上述のような軽微なものだけにとどまらないが、彼らは長年の
経験から警察沙汰にならないように標的を苦しめるノウハウを確立しており、その実態の
解明は困難である。
明白な証拠がない被害については、訴えても警察も動いてはくれないことが多い。被害
を受けている方は、短慮は創価学会を利するだけだということを心に留め、慎重に行動し
てほしい。
また、現在被害を受けていない方も、いつ被害者になるかわからない。創価学会は身近
に存在する、危険で反社会的なカルトだということを忘れないでいただきたい。
2017年3月29日水曜日
広宣部と教宣部
創価学会は、批判的なジャーナリストや、脱会者、彼らの強引な勧誘や公明党への投票
依頼を拒んだ者、そうした学会員の非常識な行為を批判した者等を、「仏敵」と認定し、
陰湿な嫌がらせを行っている。
このような卑劣な人権侵害の実行部隊といわれているのが、〝広宣部〟と〝教宣部〟で
ある。今回は、これらの部隊の概略について述べる。
創価学会が、嫌がらせなどの問題行動を始めたのは、広宣部・教宣部の創設よりも、ず
っと以前のことである。昭和20年代頃から創価学会は、暴力的な折伏、買収や替え玉投票
などの選挙違反、投票所襲撃事件、批判者への嫌がらせ、批判本に対する出版妨害、盗聴
など、数限りない違法行為を行ってきた。
しかし、広宣部・教宣部という組織を全国的に設けたことにより、嫌がらせのために、
より多くの人員を投入できるようになり、被害者の数が増えたのも事実と思われる。
とはいえ、現状では広宣部・教宣部について、十分な情報が得られているとは言えない。
現時点で書けることは限られているが、被害にあっている方、創価学会の邪悪なカルトと
しての本性を知りたい方の、参考にしていただければ幸甚である。
○設立時期と当初の目的
広宣部・・・昭和63年(1988年) 顕正会の実態調査を目的として設立
教宣部・・・平成9年(1997年) 脱会者が日蓮正宗に移ることを防ぐために設立
○表向きの役割
広宣部・・・顕正会や日蓮正宗との議論
※ 顕正会・日蓮正宗は、創価学会と教義が似ているので、学会員はそれらの教団の勧
誘の標的になりやすい。大半の学会員は、それらの教団と議論しても勝てないので、
広宣部員が対応する。
教宣部・・・脱会を希望する学会員や、脱会して日蓮正宗へ移った元学会員への説得
※ 「説得」といっても、連日のように自宅に押しかけて来るなど、かなり迷惑な手段
をとることもあるらしい。
○構成員
広宣部・・・主として男子部創価班から選抜される。
教宣部・・・男女を問わず成年会員から選抜される。
(広宣部と教宣部、両方に所属する者もいる)
※ 創価班は、学会施設でイベントがある際、会場の整理・警備を行なうグループ。
男子部(学生を除く、40歳未満の男性)から選ばれる。
○活動の実態(表向きの役割を除く)
広宣部
・日蓮正宗、顕正会、共産党など対立する団体の会合などに潜入するなどの情報収集
・対立する団体を批判するビラの配布
・「仏敵」認定した標的の個人情報収集(尾行、盗撮、その他の違法な手段も含む)
・「仏敵」への嫌がらせ(違法性が強いもの)
教宣部
・日蓮正宗寺院の偵察・情報収集(法に触れない程度のもの)
・「仏敵」への軽微な嫌がらせ(法に触れない程度のもの)
補足
創価学会・顕正会は、元は日蓮正宗の「講」と呼ばれる在家信者団体だった。顕正会は
昭和49年(1974年)、創価学会は平成3年(1991年)に、それぞれ日蓮正宗から破門されて
いる。
現在は両教団とも、日蓮正宗は本来の教義から逸脱したと批判し、自分たちだけが日蓮
の教えを正しく継承していると主張している。
とはいえ、創価学会も顕正会も、日蓮を「末法の御本仏」とする教義を日蓮正宗から受
け継ぎ、日蓮正宗の法主が書写した本尊やその複製を、信仰の対象としていることに変わ
りはない。
依頼を拒んだ者、そうした学会員の非常識な行為を批判した者等を、「仏敵」と認定し、
陰湿な嫌がらせを行っている。
このような卑劣な人権侵害の実行部隊といわれているのが、〝広宣部〟と〝教宣部〟で
ある。今回は、これらの部隊の概略について述べる。
創価学会が、嫌がらせなどの問題行動を始めたのは、広宣部・教宣部の創設よりも、ず
っと以前のことである。昭和20年代頃から創価学会は、暴力的な折伏、買収や替え玉投票
などの選挙違反、投票所襲撃事件、批判者への嫌がらせ、批判本に対する出版妨害、盗聴
など、数限りない違法行為を行ってきた。
しかし、広宣部・教宣部という組織を全国的に設けたことにより、嫌がらせのために、
より多くの人員を投入できるようになり、被害者の数が増えたのも事実と思われる。
とはいえ、現状では広宣部・教宣部について、十分な情報が得られているとは言えない。
現時点で書けることは限られているが、被害にあっている方、創価学会の邪悪なカルトと
しての本性を知りたい方の、参考にしていただければ幸甚である。
○設立時期と当初の目的
広宣部・・・昭和63年(1988年) 顕正会の実態調査を目的として設立
教宣部・・・平成9年(1997年) 脱会者が日蓮正宗に移ることを防ぐために設立
○表向きの役割
広宣部・・・顕正会や日蓮正宗との議論
※ 顕正会・日蓮正宗は、創価学会と教義が似ているので、学会員はそれらの教団の勧
誘の標的になりやすい。大半の学会員は、それらの教団と議論しても勝てないので、
広宣部員が対応する。
教宣部・・・脱会を希望する学会員や、脱会して日蓮正宗へ移った元学会員への説得
※ 「説得」といっても、連日のように自宅に押しかけて来るなど、かなり迷惑な手段
をとることもあるらしい。
○構成員
広宣部・・・主として男子部創価班から選抜される。
教宣部・・・男女を問わず成年会員から選抜される。
(広宣部と教宣部、両方に所属する者もいる)
※ 創価班は、学会施設でイベントがある際、会場の整理・警備を行なうグループ。
男子部(学生を除く、40歳未満の男性)から選ばれる。
○活動の実態(表向きの役割を除く)
広宣部
・日蓮正宗、顕正会、共産党など対立する団体の会合などに潜入するなどの情報収集
・対立する団体を批判するビラの配布
・「仏敵」認定した標的の個人情報収集(尾行、盗撮、その他の違法な手段も含む)
・「仏敵」への嫌がらせ(違法性が強いもの)
教宣部
・日蓮正宗寺院の偵察・情報収集(法に触れない程度のもの)
・「仏敵」への軽微な嫌がらせ(法に触れない程度のもの)
補足
創価学会・顕正会は、元は日蓮正宗の「講」と呼ばれる在家信者団体だった。顕正会は
昭和49年(1974年)、創価学会は平成3年(1991年)に、それぞれ日蓮正宗から破門されて
いる。
現在は両教団とも、日蓮正宗は本来の教義から逸脱したと批判し、自分たちだけが日蓮
の教えを正しく継承していると主張している。
とはいえ、創価学会も顕正会も、日蓮を「末法の御本仏」とする教義を日蓮正宗から受
け継ぎ、日蓮正宗の法主が書写した本尊やその複製を、信仰の対象としていることに変わ
りはない。
2017年3月28日火曜日
創価学会とオウム真理教
前回、創価学会が他のカルト宗教に小さからぬ影響を与えていることをのべた。今回は、
サリン事件などのテロを引き起こしたオウム真理教と、創価学会の類似点について述べる。
オウムが引き起こした凶悪事件の数々については、ほとんどの方がご存知なので詳述は
しない。しかし、オウムの疑惑がマスコミを賑わせていた当時、そのスポークスマンであ
った上祐史浩は、「拉致やサリンなど、一連の事件を起こした真犯人は創価学会」などと
主張していた。
上祐の主張は言いがかりであるが、麻原彰晃は池田大作を「仏敵」認定し、オウム信者
にサリンで暗殺させようとした。オウム真理教が創価学会を強く意識していたことは事実
である。
麻原彰晃と池田大作の言動には、少なからず似ている点がある。麻原はかつて、「私は
信仰的独裁者に、世界の独裁者になろうと考えている」と述べていた。
池田も「今、世の中は個人主義、自由主義になっているが、本当は全体主義は一番理想
の形態だ」とか、「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想
文化一切の指導者・最高権力者である」などと妄言している。
また、麻原は「最終解脱者」を自称しながら、複数の女性信者と関係を持っていた。こ
の点も、自らを「末法の御本仏」として崇拝させながら、女性信者に手をつけまくった池
田大作そっくりである。
オウム真理教と創価学会の共通点は、教祖の言動の外形的類似だけではない。信者に多
額の金をお布施させたり、教祖への絶対服従を求める教義も共通している。
これらは、私の個人的な思い込みではない。学会ウォッチャーとしても知られるジャー
ナリスト・内藤国夫氏のレポート「オウムは創価学会に似ている」(文藝春秋編『「オウ
ム事件」をどう考えるか』所収)から、元学会員がオウムと創価学会の類似点について指
摘している箇所を、以下に引用する。
> 「やることは同じなんだねえ」と、創価学会脱会者の多くがこもごもに感想を寄せる。
> 「池田サンは〝師匠の私に呼吸を合わせるのが大切〟とか〝師匠とは感応妙で〟と、
> 口をすっぱくして説いた。脳波体験の大作版と言っていいでしょう」
> 「自分が口をつけたものをお下げ渡しする。北条浩会長(当時・故人)なんかも、池
> 田氏食べ残しのカレーライスやうどんを〝先生の福運をいただく〟と言ってよく食べ
> させられた。血までは飲まされなかったけれどもね」
> 「マインドコントロールのために、信者を集団催眠にかける点でも、似たものを感じ
> させられる。もっとも、創価学会は音楽祭や文化祭などで集団催眠を施すにとどまり、
> オウムのように、クスリや注射を使ったりすることはなかったが……」
> 「似ているという点では、高学歴の青年をかき集め、手駒として使う人材起用も、よ
> く似てますね。オウムでは大学院修了の物理・化学の専門家、研究者が目立つけど、
> 池田サンも早い段階で東大に法華経研究会を作らせたりして、東大卒業の若手を幹部
> に登用するのが好きだった。低学歴の自分が東大卒のエリートをあごで使うと悦に入
> っていたのが思い出されます」
だからといって、創価学会がオウム真理教のように暴発し、クーデターを実行しようと
するなどということはさすがにありそうもない、と私も思う。だが、絶対にないとまでは
言い切れない。批判本の中から、創価学会の武装蜂起の可能性が述べられた記述を、以下
に引用する。
> 池田氏は「内部はどこまでも革命児でなければならない」という考え方の持ち主で
> ある。(中略)いざというときには、日本占領のためにクーデターもやりかねない怖
> さがある。
> 実際、一九七一(昭和四六)年頃、青年部の最高幹部の間で過激なクーデター計画
> が話し合われていたという証言もある。学会の人材を密かに送り込んで、自衛隊と放
> 送局、電波を全部押さえ、クーデターを決行するという内容だったらしい。
(矢野絢也著『黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録』より引用)
> ある元学会幹部が言う。
> 「天下を取ってどうしても歴史に名を残したい池田は、最終的には〝平成法華の乱〟
> を考えていると思う。あのオウムですら、ロシアから武器を調達して武装蜂起に走っ
> たわけですよ。これが学会だったら、『池田先生のために死ぬ』という戦闘要員が、
> 男子部だけでも二十‐三十万人はいますし、(中略)池田がひとこと『武器を持って
> 立ち上がれ、日本を制圧しろ』と言えば、いつでもクーデターが起こせますよ。
(中略)
> そこで、『ノーベル平和賞』が重要な意味を持ってくるんです。まあ、武装蜂起ま
> でいかなくても、仮に将来的に国家権力から弾圧を受けて、外国に亡命する場合、ノ
> ーベル平和賞受賞者の受け入れを拒否する国がありますか。彼にとっては、ノーベル
> 平和賞も個人の名誉欲だけではなく、天下取りの、そして、自分が生きのびるための
> 〝道具〟でしかないんですよ」
(古川利明著『カルトとしての創価学会=池田大作』より引用)
> 日本列島には池田大作さんほどの武闘熱望的日和見症候群にかかっている人(要す
> るに突発戦争好き)は存在しないのではないだろうか。麻原彰晃なんかとは金力や体
> 力がずいぶん違う。
> 彼らはかつて東京都新宿区信濃町に銃や日本刀やドスの武器庫を隠しもっていたこ
> とがあるという(内部証言)。今日、学会員たちが発砲事件などをあちこちで起こし
> ている点も脅威だ。また、彼らは日常的かつ組織的に一般市民をどんどん尾行し、監
> 視し、脅しまくる。
(野田峯雄著『わが池田大作バッシング』より引用)
現在の〝死に体〟の池田氏に、クーデターを起こすことなどできないだろうし――私個
人としては是非ともそうあってほしい――現在、学会の実権を掌握している原田会長や谷
川副会長らには、学会員に命を賭けさせるようなカリスマ性はない。
だが、創価学会員の「日常的かつ組織的に一般市民をどんどん尾行し、監視し、脅しま
くる」という反社会的体質は健在である。今被害を受けていない人も他人事だと思わず、
警戒を忘れないでほしい。
創価学会の元中堅幹部、小多仁伯氏は、著書『池田大作の品格 PARTⅡ』で、こうした
学会の反社会性の元凶は「池田イズム」にあるとし、「池田大作が死んでも、一度マイン
ドコントロールの呪縛にあった人間は、簡単に解放されないため、『池田イズム』を己が
使命として邁進する人生を選択する」と警鐘を鳴らしている。
池田大作の存在感が低下していくとともに、彼らの反社会性も鳴りをひそめてくれれば
と期待していても事態は変わらない。邪悪なカルトには屈しないという意思を持って、立
ち向かい続けなければならない。
サリン事件などのテロを引き起こしたオウム真理教と、創価学会の類似点について述べる。
オウムが引き起こした凶悪事件の数々については、ほとんどの方がご存知なので詳述は
しない。しかし、オウムの疑惑がマスコミを賑わせていた当時、そのスポークスマンであ
った上祐史浩は、「拉致やサリンなど、一連の事件を起こした真犯人は創価学会」などと
主張していた。
上祐の主張は言いがかりであるが、麻原彰晃は池田大作を「仏敵」認定し、オウム信者
にサリンで暗殺させようとした。オウム真理教が創価学会を強く意識していたことは事実
である。
麻原彰晃と池田大作の言動には、少なからず似ている点がある。麻原はかつて、「私は
信仰的独裁者に、世界の独裁者になろうと考えている」と述べていた。
池田も「今、世の中は個人主義、自由主義になっているが、本当は全体主義は一番理想
の形態だ」とか、「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想
文化一切の指導者・最高権力者である」などと妄言している。
また、麻原は「最終解脱者」を自称しながら、複数の女性信者と関係を持っていた。こ
の点も、自らを「末法の御本仏」として崇拝させながら、女性信者に手をつけまくった池
田大作そっくりである。
オウム真理教と創価学会の共通点は、教祖の言動の外形的類似だけではない。信者に多
額の金をお布施させたり、教祖への絶対服従を求める教義も共通している。
これらは、私の個人的な思い込みではない。学会ウォッチャーとしても知られるジャー
ナリスト・内藤国夫氏のレポート「オウムは創価学会に似ている」(文藝春秋編『「オウ
ム事件」をどう考えるか』所収)から、元学会員がオウムと創価学会の類似点について指
摘している箇所を、以下に引用する。
> 「やることは同じなんだねえ」と、創価学会脱会者の多くがこもごもに感想を寄せる。
> 「池田サンは〝師匠の私に呼吸を合わせるのが大切〟とか〝師匠とは感応妙で〟と、
> 口をすっぱくして説いた。脳波体験の大作版と言っていいでしょう」
> 「自分が口をつけたものをお下げ渡しする。北条浩会長(当時・故人)なんかも、池
> 田氏食べ残しのカレーライスやうどんを〝先生の福運をいただく〟と言ってよく食べ
> させられた。血までは飲まされなかったけれどもね」
> 「マインドコントロールのために、信者を集団催眠にかける点でも、似たものを感じ
> させられる。もっとも、創価学会は音楽祭や文化祭などで集団催眠を施すにとどまり、
> オウムのように、クスリや注射を使ったりすることはなかったが……」
> 「似ているという点では、高学歴の青年をかき集め、手駒として使う人材起用も、よ
> く似てますね。オウムでは大学院修了の物理・化学の専門家、研究者が目立つけど、
> 池田サンも早い段階で東大に法華経研究会を作らせたりして、東大卒業の若手を幹部
> に登用するのが好きだった。低学歴の自分が東大卒のエリートをあごで使うと悦に入
> っていたのが思い出されます」
だからといって、創価学会がオウム真理教のように暴発し、クーデターを実行しようと
するなどということはさすがにありそうもない、と私も思う。だが、絶対にないとまでは
言い切れない。批判本の中から、創価学会の武装蜂起の可能性が述べられた記述を、以下
に引用する。
> 池田氏は「内部はどこまでも革命児でなければならない」という考え方の持ち主で
> ある。(中略)いざというときには、日本占領のためにクーデターもやりかねない怖
> さがある。
> 実際、一九七一(昭和四六)年頃、青年部の最高幹部の間で過激なクーデター計画
> が話し合われていたという証言もある。学会の人材を密かに送り込んで、自衛隊と放
> 送局、電波を全部押さえ、クーデターを決行するという内容だったらしい。
(矢野絢也著『黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録』より引用)
> ある元学会幹部が言う。
> 「天下を取ってどうしても歴史に名を残したい池田は、最終的には〝平成法華の乱〟
> を考えていると思う。あのオウムですら、ロシアから武器を調達して武装蜂起に走っ
> たわけですよ。これが学会だったら、『池田先生のために死ぬ』という戦闘要員が、
> 男子部だけでも二十‐三十万人はいますし、(中略)池田がひとこと『武器を持って
> 立ち上がれ、日本を制圧しろ』と言えば、いつでもクーデターが起こせますよ。
(中略)
> そこで、『ノーベル平和賞』が重要な意味を持ってくるんです。まあ、武装蜂起ま
> でいかなくても、仮に将来的に国家権力から弾圧を受けて、外国に亡命する場合、ノ
> ーベル平和賞受賞者の受け入れを拒否する国がありますか。彼にとっては、ノーベル
> 平和賞も個人の名誉欲だけではなく、天下取りの、そして、自分が生きのびるための
> 〝道具〟でしかないんですよ」
(古川利明著『カルトとしての創価学会=池田大作』より引用)
> 日本列島には池田大作さんほどの武闘熱望的日和見症候群にかかっている人(要す
> るに突発戦争好き)は存在しないのではないだろうか。麻原彰晃なんかとは金力や体
> 力がずいぶん違う。
> 彼らはかつて東京都新宿区信濃町に銃や日本刀やドスの武器庫を隠しもっていたこ
> とがあるという(内部証言)。今日、学会員たちが発砲事件などをあちこちで起こし
> ている点も脅威だ。また、彼らは日常的かつ組織的に一般市民をどんどん尾行し、監
> 視し、脅しまくる。
(野田峯雄著『わが池田大作バッシング』より引用)
現在の〝死に体〟の池田氏に、クーデターを起こすことなどできないだろうし――私個
人としては是非ともそうあってほしい――現在、学会の実権を掌握している原田会長や谷
川副会長らには、学会員に命を賭けさせるようなカリスマ性はない。
だが、創価学会員の「日常的かつ組織的に一般市民をどんどん尾行し、監視し、脅しま
くる」という反社会的体質は健在である。今被害を受けていない人も他人事だと思わず、
警戒を忘れないでほしい。
創価学会の元中堅幹部、小多仁伯氏は、著書『池田大作の品格 PARTⅡ』で、こうした
学会の反社会性の元凶は「池田イズム」にあるとし、「池田大作が死んでも、一度マイン
ドコントロールの呪縛にあった人間は、簡単に解放されないため、『池田イズム』を己が
使命として邁進する人生を選択する」と警鐘を鳴らしている。
池田大作の存在感が低下していくとともに、彼らの反社会性も鳴りをひそめてくれれば
と期待していても事態は変わらない。邪悪なカルトには屈しないという意思を持って、立
ち向かい続けなければならない。
憧れの池田センセイ
創価学会は日本最大の新興宗教であり、池田大作はその事実上の教祖だが、排他的・独
善的と思われがちな創価学会や池田の影響力は、意外にも宗教界においては広範なもので
あるらしい。
宗教学者・島田裕巳氏の著書『創価学会の実力』によると、創価学会を脱会した元学会
員の中には、他の新興宗教に潜り込み、幹部になりおおせている者や、自ら教祖として新
教団を立ち上げた者までおり、学会の影響力を受けた新興宗教は少なくないという。
島田氏はそのような宗教団体の例として、千乃正法(別名:パナウェーブ研究所)が用
いる「正法」という宗教用語の起源が、創価学会にあると述べている。
> 千乃正法の場合には、高橋信次を創立者とするGLA(God Light Association)の
> 影響を強く受けており、その宗教世界はほとんどがGLAの真似である。正法という
> ことばも、高橋が強調したものである。高橋には全部で一〇人の兄弟姉妹がいたが、
> その多くは創価学会の会員だった。高橋は、そうした家族の影響で、正法ということ
> ばを使うようになったものと思われるが、それが千乃正法にも受け継がれたわけであ
> る。
※ 千乃正法(別名:パナウェーブ研究所)は、平成15年(2003年)「スカラー電磁波
を防ぐため」と称し、白づくめの格好をして集団でたむろするなどして、世間を騒が
せた。
同書には別の例として、次世紀ファーム研究所というカルトも挙げられている。この団
体の代表、堀洋八郎氏は元創価学会員で、宗教団体を立ち上げるにあたり、創価学会で学
んだことを大いに役立てたようである。
> 最近の例では、その施設のなかで中学一年生の少女が死亡したことから注目を集め
> た、堀洋八郎という人物が代表をつとめる次世紀ファーム研究所の例がある。
(中略)
> 研究所の元信者は、堀には創価学会で活動していた経験があり、池田のようになり
> たいと述べていたと証言している。堀自身も学会員であったことは認めている。
(中略)
> ところが、堀が三十五歳のとき、彼の恩師である原島嵩・元創価学会教学部長が池
> 田に反旗を翻し、学会を辞めると、堀自身も学会を辞めた。それでも堀は、自分の現
> 在の活動のルーツは学会にあったとし、「宗教(団体)としての運営方法やカネの集
> め方、信者勧誘などの基礎は学会で学んだ経験が生きており、宗教家としてのルーツ
> は学会にあるといえます。池田センセイのカリスマ性、講演などは本当に勉強になっ
> た。いまは主張が違いますが、池田センセイは一つの目標。憧れです」と語っている
> (『フライデー』二〇〇五年八月十九・二十六日合併号)。
また、2ch等、ネット上では創価学会とよく比較されるカルト、幸福の科学も、実は創
価学会の影響を受けているらしい。大川隆法が池田大作の守護霊とやらを呼び出したのも、
故あってのことなのかも知れない。
> 私は、一九九一年にテレビのワイドショーで、幸福の科学の幹部と幾度か論争をし
> たことがあるが、当時、幸福の科学のナンバー2と言われた人物は、創価学会の元会
> 員だった。その幹部は、私との論争のなかで、「文証、理証、現証」ということばを
> 頻繁に使った。その時点で、私はまだ創価学会について詳しいことを知らなかったの
> で、即座には理解できなかったが、やがてそれが創価学会で頻繁に使われることばで
> あることを知った。こうした例は決して珍しいことではない。
※ 「文証、理証、現証」とは、創価学会員がしばしば口にする言葉である。学会員は、
特に「現証」という言葉をよく使うが、これは「現世利益または罰があったという確
証」といった意味である。
このように、創価学会は他の多くの新興宗教、カルトにとっての「お手本」となってい
るのであり、中でも池田大作は、他のカルトの教祖からも「目標。憧れです」と言われる
ほど、尊敬されているのである。さすが、マハトマ・ガンジー、キング牧師と並び称され
る、偉大な宗教家と敬服せざるを得ない。
学会の第一庶務にお気に入りの女性を集めたハーレムをつくり、「広宣流布のため」と
の名目で学会員から搾り取った金で、自分専用の豪華別荘をいくつも建てるなど、欲望の
赴くまま、やりたい放題やってきた池田大作は、ある種の人たちにとっては見習うべき模
範なのだ。
さまざま悪影響を広く及ぼし、社会に害悪をまき散らし続ける創価学会の反社会性は、
想像以上に悪質なもののようである。日本社会には不要の存在と言わざるを得ない。さっ
さと滅んでほしい。
補足 島田裕巳氏について
著名な宗教学者であり、創価学会についての著作も少なくない。島田氏の学会について
の著書は、ジャーナリストの書いた本と比べると、どぎつい暴露などの刺激に欠ける一面
もあるが、それは学者である氏がセンセーショナリズムに流されることなく、学問的誠意
と慎重さをもって執筆していることの表れでもあるのだろう。
島田氏の学会についての著作だけでなく、その他の宗教に関する著作からも、私は多く
のことを学ぶことができたと思う。
島田氏の学会に関する著書の中で、私が特にお勧めしたいのは、『民族化する創価学会』
である。この本には、学会がかつて属していた日蓮正宗の総本山大石寺の大御本尊が贋作
ではないか、という疑惑についてもかなり詳しい解説が述べられており、興味深い内容だ
った。
善的と思われがちな創価学会や池田の影響力は、意外にも宗教界においては広範なもので
あるらしい。
宗教学者・島田裕巳氏の著書『創価学会の実力』によると、創価学会を脱会した元学会
員の中には、他の新興宗教に潜り込み、幹部になりおおせている者や、自ら教祖として新
教団を立ち上げた者までおり、学会の影響力を受けた新興宗教は少なくないという。
島田氏はそのような宗教団体の例として、千乃正法(別名:パナウェーブ研究所)が用
いる「正法」という宗教用語の起源が、創価学会にあると述べている。
> 千乃正法の場合には、高橋信次を創立者とするGLA(God Light Association)の
> 影響を強く受けており、その宗教世界はほとんどがGLAの真似である。正法という
> ことばも、高橋が強調したものである。高橋には全部で一〇人の兄弟姉妹がいたが、
> その多くは創価学会の会員だった。高橋は、そうした家族の影響で、正法ということ
> ばを使うようになったものと思われるが、それが千乃正法にも受け継がれたわけであ
> る。
※ 千乃正法(別名:パナウェーブ研究所)は、平成15年(2003年)「スカラー電磁波
を防ぐため」と称し、白づくめの格好をして集団でたむろするなどして、世間を騒が
せた。
同書には別の例として、次世紀ファーム研究所というカルトも挙げられている。この団
体の代表、堀洋八郎氏は元創価学会員で、宗教団体を立ち上げるにあたり、創価学会で学
んだことを大いに役立てたようである。
> 最近の例では、その施設のなかで中学一年生の少女が死亡したことから注目を集め
> た、堀洋八郎という人物が代表をつとめる次世紀ファーム研究所の例がある。
(中略)
> 研究所の元信者は、堀には創価学会で活動していた経験があり、池田のようになり
> たいと述べていたと証言している。堀自身も学会員であったことは認めている。
(中略)
> ところが、堀が三十五歳のとき、彼の恩師である原島嵩・元創価学会教学部長が池
> 田に反旗を翻し、学会を辞めると、堀自身も学会を辞めた。それでも堀は、自分の現
> 在の活動のルーツは学会にあったとし、「宗教(団体)としての運営方法やカネの集
> め方、信者勧誘などの基礎は学会で学んだ経験が生きており、宗教家としてのルーツ
> は学会にあるといえます。池田センセイのカリスマ性、講演などは本当に勉強になっ
> た。いまは主張が違いますが、池田センセイは一つの目標。憧れです」と語っている
> (『フライデー』二〇〇五年八月十九・二十六日合併号)。
また、2ch等、ネット上では創価学会とよく比較されるカルト、幸福の科学も、実は創
価学会の影響を受けているらしい。大川隆法が池田大作の守護霊とやらを呼び出したのも、
故あってのことなのかも知れない。
> 私は、一九九一年にテレビのワイドショーで、幸福の科学の幹部と幾度か論争をし
> たことがあるが、当時、幸福の科学のナンバー2と言われた人物は、創価学会の元会
> 員だった。その幹部は、私との論争のなかで、「文証、理証、現証」ということばを
> 頻繁に使った。その時点で、私はまだ創価学会について詳しいことを知らなかったの
> で、即座には理解できなかったが、やがてそれが創価学会で頻繁に使われることばで
> あることを知った。こうした例は決して珍しいことではない。
※ 「文証、理証、現証」とは、創価学会員がしばしば口にする言葉である。学会員は、
特に「現証」という言葉をよく使うが、これは「現世利益または罰があったという確
証」といった意味である。
このように、創価学会は他の多くの新興宗教、カルトにとっての「お手本」となってい
るのであり、中でも池田大作は、他のカルトの教祖からも「目標。憧れです」と言われる
ほど、尊敬されているのである。さすが、マハトマ・ガンジー、キング牧師と並び称され
る、偉大な宗教家と敬服せざるを得ない。
学会の第一庶務にお気に入りの女性を集めたハーレムをつくり、「広宣流布のため」と
の名目で学会員から搾り取った金で、自分専用の豪華別荘をいくつも建てるなど、欲望の
赴くまま、やりたい放題やってきた池田大作は、ある種の人たちにとっては見習うべき模
範なのだ。
さまざま悪影響を広く及ぼし、社会に害悪をまき散らし続ける創価学会の反社会性は、
想像以上に悪質なもののようである。日本社会には不要の存在と言わざるを得ない。さっ
さと滅んでほしい。
補足 島田裕巳氏について
著名な宗教学者であり、創価学会についての著作も少なくない。島田氏の学会について
の著書は、ジャーナリストの書いた本と比べると、どぎつい暴露などの刺激に欠ける一面
もあるが、それは学者である氏がセンセーショナリズムに流されることなく、学問的誠意
と慎重さをもって執筆していることの表れでもあるのだろう。
島田氏の学会についての著作だけでなく、その他の宗教に関する著作からも、私は多く
のことを学ぶことができたと思う。
島田氏の学会に関する著書の中で、私が特にお勧めしたいのは、『民族化する創価学会』
である。この本には、学会がかつて属していた日蓮正宗の総本山大石寺の大御本尊が贋作
ではないか、という疑惑についてもかなり詳しい解説が述べられており、興味深い内容だ
った。
2017年3月27日月曜日
『週刊金曜日』の創価批判記事について
遅まきながら、『週刊金曜日』2017年3月17日号の創価学会批判記事を読んだ。この記
事の執筆者は、創価大学の元非常勤講師で、現在も創価学会員だという氏家法雄氏、内容
は公明党が「共謀罪」を容認しようとしていることへの批判である。
氏家氏は、現在国会で審議中の「共謀罪」は、内心の自由を奪うものであり、戦時中、
治安維持法で弾圧された経験を持つ、創価学会・公明党は反対するべきだと主張している。
公明党の政策に異議を唱える氏家氏は、創価学会内部における反体制派と呼べるかもし
れない。しかし、その彼も学会において、「永遠の師匠」とされる、牧口常三郎、戸田城
聖、池田大作の初代から三代までの会長については、学会によって捏造された虚像を無批
判に受け入れており、骨の髄までマインドコントロールされているようである。
その事を示すために、記事の一部を引用する。
> 過酷な獄中闘争でも節を曲げることなく、牧口は73歳で獄死。日本の宗教界の多くが、
> 聖戦遂行の精神的支柱たる国家神道に翼賛していく中で、思想・信教の自由の蹂躙に
> 憤然と反対し、平和実現への宗教的信念を断固として曲げなかった牧口・戸田の崇高
> な精神は、日本宗教史においては、稀有なる軌跡となっている。
牧口常三郎が、治安維持法違反で逮捕され、転向することなく獄死したのは事実であり、
彼が日蓮正宗への信仰に殉じたことは疑いない。
だが、「思想・信教の自由の蹂躙に憤然と反対し、平和実現への宗教的信念を断固とし
て曲げなかった牧口・戸田の崇高な精神」というのは、ただの世迷言である。
牧口・戸田が逮捕されたのは、反戦平和を唱えたからではない。
そもそも、戦時中の創価教育学会の座談会は、宮城遥拝、戦勝祈願から始められていた。
また、靖国神社に参拝していた牧口が、国家神道への反対を貫いたというのは無理のある
主張である。
牧口・戸田が治安維持法違反に問われたのは、「国をあげて日蓮正宗に帰依しなければ、
戦争には勝てない」と主張し、当時、全戸に配布されていた神札の受け取りを拒否したた
めだったが、捜査を受けるに至った直接のきっかけは、学会員による強引な折伏を受けた
被害者が、警察に届け出たからだった。
「思想・信教の自由の蹂躙」そのものである強引な折伏は、牧口以来、現在の創価学会
に至るまで、連綿と受け継がれている。
引用を続ける。
> 牧口らの戦時下抵抗の意義は二つある。一つは、権力によって信仰そのものが歪め
> られてしまうことへの内在的抵抗である。そしてもう一つは、信仰が生命の尊厳を説
> く以上、信仰を受容しているしていないにかかわらず、生命を破壊しようという権力
> の魔性への必然的な外在的抵抗となっていることである。二つはともに信仰を源とす
> るが、人権という普遍的な視座を含んでいることに留意したい。戸田の地球民族主義
> や池田の平和思想も、これを原点としている。
〝人権という普遍的な視座を含む信仰を原点とする池田大作の平和思想〟とは、いったい
何を指すのであろうか。よもや「仏敵は野たれ死ぬまで攻め抜け」とか、「脱会者は自殺
に追い込め」といったアジテーションのことではあるまい。
かつて、池田大作が創価学会の顧問に任じた、塚本素山という人物がいる。この人物は、
児玉誉士夫とも親交がある右翼の大物だったが、実はベトナム戦争当時、南ベトナムに軍
需工場を作って弾薬を供給していた〝死の商人〟でもあった。
〝死の商人〟を顧問に任命する平和思想家など、ブラックジョークでしかない。池田大作
の平和主義は、ノーベル平和賞受賞工作の一環としての偽装に過ぎないのだ。
氏家氏や、『実名告発 創価学会』を出した三人組などは、〈今の学会は本来のあり方か
ら逸脱しているだけで、池田大作を師と仰ぐ、本来の姿に立ち返れば健全に団体になる〉
と考えているようだが、私に言わせれば、創価学会の本来の姿は、一貫した反人権団体、
エセ平和団体であり、邪教カルト以外の何ものでもない。
学会内にも、現在の公明党・創価学会に批判的なグループもあるようだが、その連中に
しても、池田大作を崇め奉り、信教の自由という基本的人権を侵害する強引な折伏を正し
いことだと信じ込んでいることには変わりなく、こうした組織内の反体制グループが学会
を健全化させる自浄作用を担いうる存在になることは、まったく期待できない。
そもそも創価学会には、かつて「健全な宗教団体」であった過去など、一度もないのだ
から、言わずもがなのことではあるが。
やはり外部の人間が、「創価学会は異常で、反社会的なカルトだ」と、訴え続ける必要
があるのだ。そのことを再確認したこと以外に、この記事から得た収穫はなかった。
読んでいない方のために助言するが、はっきり言ってこの『週刊金曜日』の記事は、お
金や時間を費やしてまで読む価値のある文章ではない。
補足 共謀罪等についての私見
私自身は、共謀罪に反対しているわけではない。
もちろん、人権を制約する可能性がある立法については、国会で慎重に審議されるべき
だが、〝犯罪の謀議を行う自由〟が擁護に値する人権だとは、私は思わない。
また、戦時中、戦勝を祈った人々を、そのことだけで非難するつもりもない。
先の大戦において、日本に疑う余地のない正義があったとまでは思わないが、一人の日
本人として祖国の勝利を祈ることは、ごく自然な感情として理解できるし、それ自体、目
くじら立てて批判するほどの問題ではない。
だが、池田大作のように、創価学会が戦時中、戦勝祈願を行っていた事実を隠蔽して、
一貫して反戦団体であったかのように嘘をつき、自らの平和運動家としての声望を高めよ
うと画策するような輩は、詐話師と断ずるべきである。
事の執筆者は、創価大学の元非常勤講師で、現在も創価学会員だという氏家法雄氏、内容
は公明党が「共謀罪」を容認しようとしていることへの批判である。
氏家氏は、現在国会で審議中の「共謀罪」は、内心の自由を奪うものであり、戦時中、
治安維持法で弾圧された経験を持つ、創価学会・公明党は反対するべきだと主張している。
公明党の政策に異議を唱える氏家氏は、創価学会内部における反体制派と呼べるかもし
れない。しかし、その彼も学会において、「永遠の師匠」とされる、牧口常三郎、戸田城
聖、池田大作の初代から三代までの会長については、学会によって捏造された虚像を無批
判に受け入れており、骨の髄までマインドコントロールされているようである。
その事を示すために、記事の一部を引用する。
> 過酷な獄中闘争でも節を曲げることなく、牧口は73歳で獄死。日本の宗教界の多くが、
> 聖戦遂行の精神的支柱たる国家神道に翼賛していく中で、思想・信教の自由の蹂躙に
> 憤然と反対し、平和実現への宗教的信念を断固として曲げなかった牧口・戸田の崇高
> な精神は、日本宗教史においては、稀有なる軌跡となっている。
牧口常三郎が、治安維持法違反で逮捕され、転向することなく獄死したのは事実であり、
彼が日蓮正宗への信仰に殉じたことは疑いない。
だが、「思想・信教の自由の蹂躙に憤然と反対し、平和実現への宗教的信念を断固とし
て曲げなかった牧口・戸田の崇高な精神」というのは、ただの世迷言である。
牧口・戸田が逮捕されたのは、反戦平和を唱えたからではない。
そもそも、戦時中の創価教育学会の座談会は、宮城遥拝、戦勝祈願から始められていた。
また、靖国神社に参拝していた牧口が、国家神道への反対を貫いたというのは無理のある
主張である。
牧口・戸田が治安維持法違反に問われたのは、「国をあげて日蓮正宗に帰依しなければ、
戦争には勝てない」と主張し、当時、全戸に配布されていた神札の受け取りを拒否したた
めだったが、捜査を受けるに至った直接のきっかけは、学会員による強引な折伏を受けた
被害者が、警察に届け出たからだった。
「思想・信教の自由の蹂躙」そのものである強引な折伏は、牧口以来、現在の創価学会
に至るまで、連綿と受け継がれている。
引用を続ける。
> 牧口らの戦時下抵抗の意義は二つある。一つは、権力によって信仰そのものが歪め
> られてしまうことへの内在的抵抗である。そしてもう一つは、信仰が生命の尊厳を説
> く以上、信仰を受容しているしていないにかかわらず、生命を破壊しようという権力
> の魔性への必然的な外在的抵抗となっていることである。二つはともに信仰を源とす
> るが、人権という普遍的な視座を含んでいることに留意したい。戸田の地球民族主義
> や池田の平和思想も、これを原点としている。
〝人権という普遍的な視座を含む信仰を原点とする池田大作の平和思想〟とは、いったい
何を指すのであろうか。よもや「仏敵は野たれ死ぬまで攻め抜け」とか、「脱会者は自殺
に追い込め」といったアジテーションのことではあるまい。
かつて、池田大作が創価学会の顧問に任じた、塚本素山という人物がいる。この人物は、
児玉誉士夫とも親交がある右翼の大物だったが、実はベトナム戦争当時、南ベトナムに軍
需工場を作って弾薬を供給していた〝死の商人〟でもあった。
〝死の商人〟を顧問に任命する平和思想家など、ブラックジョークでしかない。池田大作
の平和主義は、ノーベル平和賞受賞工作の一環としての偽装に過ぎないのだ。
氏家氏や、『実名告発 創価学会』を出した三人組などは、〈今の学会は本来のあり方か
ら逸脱しているだけで、池田大作を師と仰ぐ、本来の姿に立ち返れば健全に団体になる〉
と考えているようだが、私に言わせれば、創価学会の本来の姿は、一貫した反人権団体、
エセ平和団体であり、邪教カルト以外の何ものでもない。
学会内にも、現在の公明党・創価学会に批判的なグループもあるようだが、その連中に
しても、池田大作を崇め奉り、信教の自由という基本的人権を侵害する強引な折伏を正し
いことだと信じ込んでいることには変わりなく、こうした組織内の反体制グループが学会
を健全化させる自浄作用を担いうる存在になることは、まったく期待できない。
そもそも創価学会には、かつて「健全な宗教団体」であった過去など、一度もないのだ
から、言わずもがなのことではあるが。
やはり外部の人間が、「創価学会は異常で、反社会的なカルトだ」と、訴え続ける必要
があるのだ。そのことを再確認したこと以外に、この記事から得た収穫はなかった。
読んでいない方のために助言するが、はっきり言ってこの『週刊金曜日』の記事は、お
金や時間を費やしてまで読む価値のある文章ではない。
補足 共謀罪等についての私見
私自身は、共謀罪に反対しているわけではない。
もちろん、人権を制約する可能性がある立法については、国会で慎重に審議されるべき
だが、〝犯罪の謀議を行う自由〟が擁護に値する人権だとは、私は思わない。
また、戦時中、戦勝を祈った人々を、そのことだけで非難するつもりもない。
先の大戦において、日本に疑う余地のない正義があったとまでは思わないが、一人の日
本人として祖国の勝利を祈ることは、ごく自然な感情として理解できるし、それ自体、目
くじら立てて批判するほどの問題ではない。
だが、池田大作のように、創価学会が戦時中、戦勝祈願を行っていた事実を隠蔽して、
一貫して反戦団体であったかのように嘘をつき、自らの平和運動家としての声望を高めよ
うと画策するような輩は、詐話師と断ずるべきである。
2017年3月26日日曜日
公明党による口利きの代価
前回、公明党議員による創価学会員への生活保護受給等に関する、口利きによる不正な
利益誘導について述べたが、こうした実態を知ると、中には創価学会に入って生活保護を
もらおうという、不心得な者も出てくるかもしれない。だが、それは賢明な選択ではない。
なぜなら、学会の世話になると、財務や聖教新聞の購読等での貢献を求められることに
なるからである。『創価学会財務部の内幕』には、「会員たちが集会で聞かされた幹部の
話」として以下の記述がある。
> 世界広布にはお金がかかるが、財務や新聞(注=「聖教新聞」のこと)などでは全然
> 足りず、全部、池田先生がお金を出してくださり、申し訳ないことです。
> 私たちも精いっぱい頑張って出しましょう、と常々聞かされました。
> ①地区幹部以上は一人二けた以上するように。
> ②小児、学生といえどもお年玉の預金、バイトのお金を出して福運を積ませて上げる
> ように。
> ③生活保護を受けている人には、しっかり財務をさせて宿命転換をさせるように。
子供のお年玉や生活保護まで毟り取ろうとするとは、呆れた銭ゲバぶりである。
また、公明党で地方議員・衆院議員を歴任した大橋敏雄氏も、著書でこう述べでいる。
> 創価学会のなかには、貧しい困った人たちが少なくありません。公明党議員の日常
> 活動は、こうした学会員の面倒を見ることに大きな労力をさかれます。とくに、生活
> 保護、医療扶助、母子家庭など、生活困窮者に対する国の保護の斡旋は、公明党議員
> の場合、他党の議員に比べて圧倒的に多いのです。
>
> 財務のためのサラ金地獄へ
>
> 創価学会は、こういう家庭からも容赦なく収奪します。「聖教新聞」や「大白蓮華」
> 等を多部数購入させ、財務も目いっぱい出させるよう幹部が指導します。さからえば
> 生活保護を止められるかも知れない、との懸念から、苦しい生活の中から血の出るよ
> うな思いで、財務を出した多くの家庭の例があります。
> 東京都杉並区に住む一老婆は、毎年数十万円の財務を、「仏様への御供養だから」と
> 幹部にいわれて、続けてきました。今年は百万円を予約していましたが、直前に病院
> に入院しました。この老婆の百万円はまさにトラの子の、最後の残された唯一の財産
> だったのです。
> ところが創価学会の幹部は、なんと入院先の病院にまで押しかけてきて、「約束の
> 財務百万円は必ず出すように」と強要したのです。恐るべき集金体質ではありません
> か。
(中略)
> どうしてもカネが工面できない人の行きつくところは、サラ金などの高利のカネを
> 借りるところです。サラ金で借りてまで財務に応じるなど、一般の人々は信じがたい
> でしょうが、まぎれもない事実です。
> 最近は、サラ金で借金をしてクビが回らなくなる末端学会員が非常に多く、たとえ
> ば京都のある機関に、サラ金地獄の悩みを訴えてきた人の七割が創価学会員であった、
> という事実があります。
(大橋敏雄著『〝吹けば飛ぶ男〟の奮戦記』より引用)
学会員は、「創価学会は助け合いの組織」とのたまう。それが事実ならば麗しいことで
ある。しかし、実際には創価学会の「助け合い」には高くつく代価が求められるのだ。
貧しく困窮している人々のために、便宜を図るように見せかけながら、裏では金銭を搾
り取る。これほど悪質な行為が許されていいのかと、憤るのが真っ当な人間であろう。
話は変わるようだが、日蓮遺文の一つに『三大秘法抄』というものがある。この遺文は、
日蓮が末法にふさわしい信仰のあり方として考えた三つの「秘法」、すなわち本門の本尊、
本門の戒壇、本門の題目について述べたものである。創価学会はかつて、日蓮正宗の信徒
団体だった頃に、その「秘法」の一つである「本門の戒壇」の具現化として、大石寺の正
本堂を建立した。
そのような重要教義である「三大秘法」だが、昨今の創価学会では、学会員にとって重
い負担となっている以下の慣行が、それにちなんで「三大悲法」と呼ばれているという。
1、財務
2、聖教新聞の販促活動・多部数購入(マイ聖教)
3、公明党の選挙運動(いわゆるF取り)
聖教新聞の販促活動は、新聞販売店のみならず、活動家と呼ばれる一般学会員も貢献を
求められるが、信者でもない外部の者が聖教新聞など、金を出してまで取るはずもなく、
学会員が自腹を切ることも少なくないという。世間一般でいう「自爆営業」だが、創価学
会においては「マイ聖教」と呼ばれている。
F取りにも、交通費や通信費など少なくない経費が必要だが、当然、これらも学会員の
自腹である。「三大悲法」という言葉には、末端学会員の悲嘆が凝縮されているようだ。
以上で見てきたように、創価学会や公明党は弱者の味方を装っているが、その実態は、
「搾取的」と言うほかない。このようなロクでもないカルトには、一刻も早く滅びてほし
いものである。
補足1
引用中に「全部、池田先生がお金を出してくださり、申し訳ない」との記述があるが、
池田大作が私財を投げ打って、学会の布教活動をまかなっているというのは、学会内では
よく知られ、信じられている伝説の一つである。
この伝説の内容は、おおむね次のようなものである。
〝池田先生は、たくさんの本を執筆されているので多額の印税収入があるが、その全額を
広宣流布――布教活動のこと――のために寄付し、聖教新聞社の給料、25万円だけで、妻
と三人の息子の家族の生活をまかなっている。しかも借家住まいなので、実質の生活費は
10万円ほどしかない〟
確かに、池田の代表作である『人間革命』第二巻のあとがきには、「印税を、広宣流布
のために寄付させて頂いたことを御報告しておく」と、述べられている。
この美談がすべて事実なら、まさに模範的な清貧の指導者だが、この伝説は、池田大作
の他の多くの虚飾と同じく、まったくの作りごとである。
そもそも『人間革命』を実際に執筆したのは、篠原善太郎氏である。ゴーストライター
に書いてもらった本の印税を、自分の名義で実際に寄付したのだとしたら、それはただの
売名行為であろう。
今までこのブログで述べてきたように、池田大作は貧しい学会員から、財務等で搾り取
った金で、自分専用の豪華施設を数多く建設させていた。
また健在だった頃は、毎年のように海外へ出かけていたが、その際には、専属の料理人
や美人の女性通訳など、大勢の取り巻きを引き連れていた。大名旅行そのものである。
〝清貧の指導者〟という池田大作の化けの皮は、多くの元学会幹部の暴露により、とっ
くの昔に剥がれ落ちているのだが、学会員はそうした暴露はすべてウソと洗脳され、今も
少なくない者が上記の伝説を信じている。
補足2
『三大秘法抄』は正しくは『三大秘法稟承事』という。実はこの遺文には、日蓮の真筆
が現存せず、真贋論争に決着がついていない。
ただ「三大秘法」に類する考え方は、『報恩抄』(真蹟曽存)という別の日蓮遺文にも
記されているので、「三大秘法」がまったく出鱈目の教義というわけではない。
だが「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき」と、具体的な記述があ
るのは、『三大秘法抄』だけである。
「霊山浄土に似たらん最勝の地」とは、富士山麓のことと解されていたので、創価学会
は静岡県富士宮市にある大石寺に、三大秘法の戒壇として正本堂を建立した(昭和47年竣
工)。
つまり創価学会は、本当に日蓮の真意が記されたものか否か、断定できない文書の記述
に基いて、「正本堂建設のため」と称し、学会員から多額の金を集めたのである。
しかもその正本堂は、建立された当時は「千年はもつ」などと喧伝されていたのに、創
価学会が破門された後に、日蓮正宗により取り壊され、現在は存在していない。いかにも
インチキ宗教らしい話である。
利益誘導について述べたが、こうした実態を知ると、中には創価学会に入って生活保護を
もらおうという、不心得な者も出てくるかもしれない。だが、それは賢明な選択ではない。
なぜなら、学会の世話になると、財務や聖教新聞の購読等での貢献を求められることに
なるからである。『創価学会財務部の内幕』には、「会員たちが集会で聞かされた幹部の
話」として以下の記述がある。
> 世界広布にはお金がかかるが、財務や新聞(注=「聖教新聞」のこと)などでは全然
> 足りず、全部、池田先生がお金を出してくださり、申し訳ないことです。
> 私たちも精いっぱい頑張って出しましょう、と常々聞かされました。
> ①地区幹部以上は一人二けた以上するように。
> ②小児、学生といえどもお年玉の預金、バイトのお金を出して福運を積ませて上げる
> ように。
> ③生活保護を受けている人には、しっかり財務をさせて宿命転換をさせるように。
子供のお年玉や生活保護まで毟り取ろうとするとは、呆れた銭ゲバぶりである。
また、公明党で地方議員・衆院議員を歴任した大橋敏雄氏も、著書でこう述べでいる。
> 創価学会のなかには、貧しい困った人たちが少なくありません。公明党議員の日常
> 活動は、こうした学会員の面倒を見ることに大きな労力をさかれます。とくに、生活
> 保護、医療扶助、母子家庭など、生活困窮者に対する国の保護の斡旋は、公明党議員
> の場合、他党の議員に比べて圧倒的に多いのです。
>
> 財務のためのサラ金地獄へ
>
> 創価学会は、こういう家庭からも容赦なく収奪します。「聖教新聞」や「大白蓮華」
> 等を多部数購入させ、財務も目いっぱい出させるよう幹部が指導します。さからえば
> 生活保護を止められるかも知れない、との懸念から、苦しい生活の中から血の出るよ
> うな思いで、財務を出した多くの家庭の例があります。
> 東京都杉並区に住む一老婆は、毎年数十万円の財務を、「仏様への御供養だから」と
> 幹部にいわれて、続けてきました。今年は百万円を予約していましたが、直前に病院
> に入院しました。この老婆の百万円はまさにトラの子の、最後の残された唯一の財産
> だったのです。
> ところが創価学会の幹部は、なんと入院先の病院にまで押しかけてきて、「約束の
> 財務百万円は必ず出すように」と強要したのです。恐るべき集金体質ではありません
> か。
(中略)
> どうしてもカネが工面できない人の行きつくところは、サラ金などの高利のカネを
> 借りるところです。サラ金で借りてまで財務に応じるなど、一般の人々は信じがたい
> でしょうが、まぎれもない事実です。
> 最近は、サラ金で借金をしてクビが回らなくなる末端学会員が非常に多く、たとえ
> ば京都のある機関に、サラ金地獄の悩みを訴えてきた人の七割が創価学会員であった、
> という事実があります。
(大橋敏雄著『〝吹けば飛ぶ男〟の奮戦記』より引用)
学会員は、「創価学会は助け合いの組織」とのたまう。それが事実ならば麗しいことで
ある。しかし、実際には創価学会の「助け合い」には高くつく代価が求められるのだ。
貧しく困窮している人々のために、便宜を図るように見せかけながら、裏では金銭を搾
り取る。これほど悪質な行為が許されていいのかと、憤るのが真っ当な人間であろう。
話は変わるようだが、日蓮遺文の一つに『三大秘法抄』というものがある。この遺文は、
日蓮が末法にふさわしい信仰のあり方として考えた三つの「秘法」、すなわち本門の本尊、
本門の戒壇、本門の題目について述べたものである。創価学会はかつて、日蓮正宗の信徒
団体だった頃に、その「秘法」の一つである「本門の戒壇」の具現化として、大石寺の正
本堂を建立した。
そのような重要教義である「三大秘法」だが、昨今の創価学会では、学会員にとって重
い負担となっている以下の慣行が、それにちなんで「三大悲法」と呼ばれているという。
1、財務
2、聖教新聞の販促活動・多部数購入(マイ聖教)
3、公明党の選挙運動(いわゆるF取り)
聖教新聞の販促活動は、新聞販売店のみならず、活動家と呼ばれる一般学会員も貢献を
求められるが、信者でもない外部の者が聖教新聞など、金を出してまで取るはずもなく、
学会員が自腹を切ることも少なくないという。世間一般でいう「自爆営業」だが、創価学
会においては「マイ聖教」と呼ばれている。
F取りにも、交通費や通信費など少なくない経費が必要だが、当然、これらも学会員の
自腹である。「三大悲法」という言葉には、末端学会員の悲嘆が凝縮されているようだ。
以上で見てきたように、創価学会や公明党は弱者の味方を装っているが、その実態は、
「搾取的」と言うほかない。このようなロクでもないカルトには、一刻も早く滅びてほし
いものである。
補足1
引用中に「全部、池田先生がお金を出してくださり、申し訳ない」との記述があるが、
池田大作が私財を投げ打って、学会の布教活動をまかなっているというのは、学会内では
よく知られ、信じられている伝説の一つである。
この伝説の内容は、おおむね次のようなものである。
〝池田先生は、たくさんの本を執筆されているので多額の印税収入があるが、その全額を
広宣流布――布教活動のこと――のために寄付し、聖教新聞社の給料、25万円だけで、妻
と三人の息子の家族の生活をまかなっている。しかも借家住まいなので、実質の生活費は
10万円ほどしかない〟
確かに、池田の代表作である『人間革命』第二巻のあとがきには、「印税を、広宣流布
のために寄付させて頂いたことを御報告しておく」と、述べられている。
この美談がすべて事実なら、まさに模範的な清貧の指導者だが、この伝説は、池田大作
の他の多くの虚飾と同じく、まったくの作りごとである。
そもそも『人間革命』を実際に執筆したのは、篠原善太郎氏である。ゴーストライター
に書いてもらった本の印税を、自分の名義で実際に寄付したのだとしたら、それはただの
売名行為であろう。
今までこのブログで述べてきたように、池田大作は貧しい学会員から、財務等で搾り取
った金で、自分専用の豪華施設を数多く建設させていた。
また健在だった頃は、毎年のように海外へ出かけていたが、その際には、専属の料理人
や美人の女性通訳など、大勢の取り巻きを引き連れていた。大名旅行そのものである。
〝清貧の指導者〟という池田大作の化けの皮は、多くの元学会幹部の暴露により、とっ
くの昔に剥がれ落ちているのだが、学会員はそうした暴露はすべてウソと洗脳され、今も
少なくない者が上記の伝説を信じている。
補足2
『三大秘法抄』は正しくは『三大秘法稟承事』という。実はこの遺文には、日蓮の真筆
が現存せず、真贋論争に決着がついていない。
ただ「三大秘法」に類する考え方は、『報恩抄』(真蹟曽存)という別の日蓮遺文にも
記されているので、「三大秘法」がまったく出鱈目の教義というわけではない。
だが「霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立すべき」と、具体的な記述があ
るのは、『三大秘法抄』だけである。
「霊山浄土に似たらん最勝の地」とは、富士山麓のことと解されていたので、創価学会
は静岡県富士宮市にある大石寺に、三大秘法の戒壇として正本堂を建立した(昭和47年竣
工)。
つまり創価学会は、本当に日蓮の真意が記されたものか否か、断定できない文書の記述
に基いて、「正本堂建設のため」と称し、学会員から多額の金を集めたのである。
しかもその正本堂は、建立された当時は「千年はもつ」などと喧伝されていたのに、創
価学会が破門された後に、日蓮正宗により取り壊され、現在は存在していない。いかにも
インチキ宗教らしい話である。
2017年3月24日金曜日
創価学会・公明党と生活保護
創価学会の政治部門である公明党は、共産党と並び、生活保護の口利きを地方自治体に
対して行っていると、かねてから指摘されている。
私がこれまで読んだことのある暴露本にも、そうした記述があった。元公明党参議院議
員・福本潤一氏の著書『創価学会・公明党「金と品位」』に以下の記述がある。
> また、地方議員は、生活保護申請や公営住宅への入居斡旋など、実に微に入り細に
> わたった陳情を受けていました。私は参議院議員でしたので、地方議員ほど陳情処理
> に難渋したことはありませんが、中央省庁への要望は多くありました。
また、孫引きになるが、ジャーナリスト・古川利明氏の『システムとしての創価学会=
公明党』にも同様の記述が、『週刊新潮』から引用されている。
> また、公明党の高田明・板橋区議(当時)は『週刊新潮』のインタビュー(一九九
> 六年二月十八日号)で、次のように述べている。
> 〈創価学会は議員を単なる部下としか扱っていません。人事も思いのままあやつり、
> 自分たちの思いどおりの政策を要求していきます。例えば、まだ宗門と蜜月だった頃、
> 板橋区にある日蓮正宗の寺院を建て替えなければならないことがありました。しかし、
> その地域の建ぺい率が低かったため、学会はさっそく私たち公明党の議員を使って区
> 役所に圧力をかけ、建ぺい率を変えさせました。(中略)学会に言われたことは私た
> ち公明議員にとっては絶対で、生活保護の受給や保育園の入所、公営住宅入居への口
> 利き、そして警察からの貰い下げに至るまで、すべて彼らに命令されることを実行し
> なければなりませんでした。〉
話はやや変わるが、創価学会員はこうした口利きによる利益誘導を、〝福運〟だと考え
ているらしい。創価大卒の芸人、長井秀和氏が匿名で執筆した『創価学会あるある』には
次のように述べられている。
> 体験発表でみんなに、「生活保護を受給できた」
> と告げて会合が盛り上がっているのは正直ひく。
>
> 会合で、信心したことで生じた体験や成果を、みんなの前で報告することがある。そ
> のときに、生活保護の受給申請をして役所から受諾されたことを発表する人がいて、
> 聞いていた婦人部が、「諸天善神が守ってくれたわね」「福運だね」「これで広布に、
> 池田先生と戦っていけるね」とリアクションしているのを見ていると、とても自分の
> 友人をつれてこられないなと士気が下がるが、ちょっと面白い光景だなと内心笑って
> しまう。
生活保護のような社会保障を議員の口利き行為により利権化し、仲間内で分配すること
が宗教的救済だと言うのなら、かつての道路利権全盛の頃の族議員は、さしずめ生き仏で
あろう。やはり、学会員の感覚は、世間とズレていると言わざるを得ない。
生活保護の審査は、行政の担当職員により公正に行われるべきであり、議員の口利き行
為により、一部の者が優先的に受給を認められるなど、本来あってはならないことである。
憲法20条は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使して
はならない」と規定している。
特定の宗教の信者が、その宗教の支援を受けて当選した議員の口利きにより、生活保護
を優先的に受給できるのであれば、それは「特権的」と言うべき実態であり、憲法20条に
違反していると考えられる。
残念ながら、現状では政治力を濫用した、行政・税金の私物化がまかり通ってしまって
いる。こうした不公正な実態は、広く国民が認識し、是正を求めるべきであろう。
少なくとも、公明党に投票することは、こうした不公正を助長することにしかならない
という認識を、深く考えずに学会員のF取り(公明党への投票依頼)に協力している人た
ちにも、持ってもらいたいものである。
対して行っていると、かねてから指摘されている。
私がこれまで読んだことのある暴露本にも、そうした記述があった。元公明党参議院議
員・福本潤一氏の著書『創価学会・公明党「金と品位」』に以下の記述がある。
> また、地方議員は、生活保護申請や公営住宅への入居斡旋など、実に微に入り細に
> わたった陳情を受けていました。私は参議院議員でしたので、地方議員ほど陳情処理
> に難渋したことはありませんが、中央省庁への要望は多くありました。
また、孫引きになるが、ジャーナリスト・古川利明氏の『システムとしての創価学会=
公明党』にも同様の記述が、『週刊新潮』から引用されている。
> また、公明党の高田明・板橋区議(当時)は『週刊新潮』のインタビュー(一九九
> 六年二月十八日号)で、次のように述べている。
> 〈創価学会は議員を単なる部下としか扱っていません。人事も思いのままあやつり、
> 自分たちの思いどおりの政策を要求していきます。例えば、まだ宗門と蜜月だった頃、
> 板橋区にある日蓮正宗の寺院を建て替えなければならないことがありました。しかし、
> その地域の建ぺい率が低かったため、学会はさっそく私たち公明党の議員を使って区
> 役所に圧力をかけ、建ぺい率を変えさせました。(中略)学会に言われたことは私た
> ち公明議員にとっては絶対で、生活保護の受給や保育園の入所、公営住宅入居への口
> 利き、そして警察からの貰い下げに至るまで、すべて彼らに命令されることを実行し
> なければなりませんでした。〉
話はやや変わるが、創価学会員はこうした口利きによる利益誘導を、〝福運〟だと考え
ているらしい。創価大卒の芸人、長井秀和氏が匿名で執筆した『創価学会あるある』には
次のように述べられている。
> 体験発表でみんなに、「生活保護を受給できた」
> と告げて会合が盛り上がっているのは正直ひく。
>
> 会合で、信心したことで生じた体験や成果を、みんなの前で報告することがある。そ
> のときに、生活保護の受給申請をして役所から受諾されたことを発表する人がいて、
> 聞いていた婦人部が、「諸天善神が守ってくれたわね」「福運だね」「これで広布に、
> 池田先生と戦っていけるね」とリアクションしているのを見ていると、とても自分の
> 友人をつれてこられないなと士気が下がるが、ちょっと面白い光景だなと内心笑って
> しまう。
生活保護のような社会保障を議員の口利き行為により利権化し、仲間内で分配すること
が宗教的救済だと言うのなら、かつての道路利権全盛の頃の族議員は、さしずめ生き仏で
あろう。やはり、学会員の感覚は、世間とズレていると言わざるを得ない。
生活保護の審査は、行政の担当職員により公正に行われるべきであり、議員の口利き行
為により、一部の者が優先的に受給を認められるなど、本来あってはならないことである。
憲法20条は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使して
はならない」と規定している。
特定の宗教の信者が、その宗教の支援を受けて当選した議員の口利きにより、生活保護
を優先的に受給できるのであれば、それは「特権的」と言うべき実態であり、憲法20条に
違反していると考えられる。
残念ながら、現状では政治力を濫用した、行政・税金の私物化がまかり通ってしまって
いる。こうした不公正な実態は、広く国民が認識し、是正を求めるべきであろう。
少なくとも、公明党に投票することは、こうした不公正を助長することにしかならない
という認識を、深く考えずに学会員のF取り(公明党への投票依頼)に協力している人た
ちにも、持ってもらいたいものである。
2017年3月22日水曜日
学会幹部に良心はないのか?
今回も財務に関する記事を投稿する。似たような話が続き、食傷気味の方もいらっしゃ
るかと思うが、創価学会について調べると、その銭ゲバぶりのひどさを物語る話が、次か
ら次へと出てくるので、もうしばしお付き合い願いたい。
前々回、女優の杉田かおる氏の著書から、貧しい学会員に無理をしてでも財務をさせよ
うとする、創価学会の実態を目にした彼女の感想を引用した。「なけなしのお金を募金さ
せられた人が、どうして幸せだっていうの……」という杉田氏の言葉には、血の通った人
間ならば誰しも共感を感じることだろう。
創価学会は、人間関係の密度の濃い、ムラ社会的な共同体である。当然、各地域の幹部
は、経済的に苦しい立場の学会員が少なくないことをよく知っている。
それなのにどうして、自分の仲間であり、しかも金に困っているような人、生活苦の人
から搾取するようなむごい仕打ちができるのか、疑問に思われる方もいらっしゃるであろ
う。
そこで今回は、学会幹部の心理や考え方に焦点を当てたいと思う。
以前2chに「池田大作名誉会長の手腕」と題する文章を書き込んだが、その中でも述べた
元学会の顧問弁護士・山崎正友氏の述懐を再度引用する。
> 財務の集り具合を地域ごとにチェックし、良いところの幹部は優遇し、悪いところの
> 幹部はイビリ抜く。信じられない向きもあろうが、池田大作は〝金〟と〝人事〟だけ
> は、絶対に人任せにしないのだ。幹部も職員も、池田大作の眼鏡にかなわなければ昇
> 給も昇進も覚束ないことを、骨の髄まで身にしみて知らされる。それが、池田大作の
> 支配の手段なのだ。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
池田大作による支配が、創価学会を末端信者を搾取する、過酷な組織に仕立て上げた一
因であることは否定できないだろう。その実態は、どのようなものだったのだろうか。
創価学会では、毎年正月に各地域の学会施設で「新年勤行会」を開催するが、その際に
も「広布基金」と称し金を集めている。
年末の財務は一口一万円からだが、広布基金には金額の規定はない。実際には千円から
一万円の間が多いようである。
元公明党都議・龍年光氏が、この「新年勤行会」による金集めに際し、池田大作の指揮
監督の下、競い合って働く学会幹部の姿を述懐しているので以下に引用する。
> しかもその際、「広布基金」と称する金が強制的に集められるようになった。前も
> って封筒が配られ、これに金を入れて持参し受付に差し出さないと、中に入れないよ
> うな仕組だ。
> 池田は、新年に集まった人数を、地区ごと、会館ごとに競争させるようになった。
> この競争に自分の地位がかかってくる幹部は必死である。「今年はこういう方法で人
> を集めよう」といったノウハウを競うようになっていった。
> 本山の「雪山坊」は、学会および公明党幹部の専用宿泊施設である。私も年始登山
> の際に何度かここに泊まったが、北条が死んだ翌年の大晦日から二日にかけて泊まっ
> た時に目にした光景には、ほとほと呆れてしまった。
> 坊の奥には池田の専用室があるが、明け方にここに各方面の最高幹部が集まり、協
> 議をする。協議が終わると、皆がバーッと出てきて、電話機に飛びつく。各地の会館
> に電話して、「何人集まった!?」と聞く。集まった人数が、即ち金の額なのだ。その
> 結果を持って、奥にいる池田に一秒でも早くと報告に走る。山崎尚見(現副会長)も
> その一人だった。
> この競争に負ければ学会内出世レースから脱落するから、みな必死の形相だ。
> 池田は、それを集計して分析している。まるで餓鬼の集まりのような、おぞましい
> 光景ではないか。
(龍年光著『池田創価学会を解散させよ』より引用)
※ 引用中の本山とは、日蓮正宗総本山大石寺のことである。ここで描かれている出来
事の時期は、昭和57年(1982年)正月で、創価学会が日蓮正宗から破門される以前で
ある。
学会幹部もまた、熾烈な競争により追い立てられていることが、この記述からわかる。
なお、同様の出来事を元公明党委員長・矢野絢也氏も、『私が愛した池田大作』で述べて
いる。池田大作が健在だった頃は、こうした醜い忠誠心競争が常態だったのだろう。
しかし、いかに幹部同士の競争が激しいものであったとしても、それだけでこれまでに
述べてきたような、過酷な金集めで末端信者たちを苦しめる、血も涙もない仕打ちができ
るものだろうか。
私は学会幹部が、まるで時代劇の悪代官のような悪辣な振る舞いをするもう一つの原因
として、創価学会の教義があると思う。自分のために、他人を蹴落とすことを当然視する
考え方が、学会にはあるのだ。
> 次に述べるのは、戸田が敗戦後間もなく全国を遊説してまわっていたとき、当時は
> 別の宗教団体に属していた女性が、戸田をかこむ座談会(学会でいうところの集会)
> に出席したときのエピソードである。
> 「その頃、属していた団体の〝先生〟は、座談会の壇上にのぼると、それまで先生の
> ほうを向いていた扇風機を聴衆に向けて、皆さんもどうぞ涼んで下さいとおっしゃる
> のです。
> しかし、戸田先生の集会に出ると、先生は扇風機を自分のほうに向けて、『見まし
> たか。皆さんひとりひとりが、こうならなくっちゃいけないんですよ』とおっしゃる。
> そのとき思いました。これは戸田先生の勝ちだ」
(佐高信・テリー伊藤 編著『お笑い創価学会 信じる者は救われない』所収
井田真木子著「池田大作 欲望と被虐の中で」より引用)
上記引用中の「戸田先生」とは、いうまでもなく学会の第二代会長・戸田城聖のことで
ある。戸田は、〝自分がいい思いをするために、他人に不快な思いを強いることができる
ような地位・立場にならなくてはならない〟と説き、それに惹かれた人々が、創価学会に
入会したのである。
この戸田の主張は、宗教の教義や思想というよりも、むき出しのエゴイズムそのものと
言った方がより適切と思える。このような身勝手な考え方を、正しい宗教の教えと信じる
学会幹部が、自分の出世のために末端会員を虐げるのは、当然の成り行きなのだ。
ナマのエゴイズムを、そのまま肯定するこの戸田思想の、最も忠実な実践者は、池田大
作その人であろう。まったく大した〝師弟不二〟である。
表題の「学会幹部に良心はないのか?」について、私なりの答えを述べるならば「社会
通念でいう良心とは異質な、学会流の〝良心〟ならばある。だがそれは、弱者への思いや
りだとか、優しさだとかの利他心を麻痺させ、学会組織への貢献の大きさのみを善悪の基
準とする、極めて歪で偏ったものである」といったところだろうか。
そんなものは良心とは呼べない、と感じられる方も多いだろう。実際、創価学会員には
一見すると人当たりはいいが、裏では人を利用したり、陥れたりといった振る舞いを平気
でする人間のクズのような輩が多い。これは私の実体験から断言できる。
創価学会は、利己主義を正当化する教義を持ち、自分のために他人を苦しめて平然とし
ていられる人格破綻者を量産する異常なカルトである。学会員が利己的でない動機のため
に行動すること、つまり彼らなりの利他心を発揮するのは、創価学会という組織のために
行動する時だけではないかと思われる。
学会員にとっては、創価学会と自分さえよければ、社会全体がどうなろうが知ったこと
ではないのだろう。このような邪教が、はたして社会にとって必要な存在だろうか。
普通の人なら「邪悪なカルトなど不要の存在」と、答えるはずである。学会員の皆さん
にも、本当に創価学会が社会から必要とされているか、よくよく考えて頂きたい。
るかと思うが、創価学会について調べると、その銭ゲバぶりのひどさを物語る話が、次か
ら次へと出てくるので、もうしばしお付き合い願いたい。
前々回、女優の杉田かおる氏の著書から、貧しい学会員に無理をしてでも財務をさせよ
うとする、創価学会の実態を目にした彼女の感想を引用した。「なけなしのお金を募金さ
せられた人が、どうして幸せだっていうの……」という杉田氏の言葉には、血の通った人
間ならば誰しも共感を感じることだろう。
創価学会は、人間関係の密度の濃い、ムラ社会的な共同体である。当然、各地域の幹部
は、経済的に苦しい立場の学会員が少なくないことをよく知っている。
それなのにどうして、自分の仲間であり、しかも金に困っているような人、生活苦の人
から搾取するようなむごい仕打ちができるのか、疑問に思われる方もいらっしゃるであろ
う。
そこで今回は、学会幹部の心理や考え方に焦点を当てたいと思う。
以前2chに「池田大作名誉会長の手腕」と題する文章を書き込んだが、その中でも述べた
元学会の顧問弁護士・山崎正友氏の述懐を再度引用する。
> 財務の集り具合を地域ごとにチェックし、良いところの幹部は優遇し、悪いところの
> 幹部はイビリ抜く。信じられない向きもあろうが、池田大作は〝金〟と〝人事〟だけ
> は、絶対に人任せにしないのだ。幹部も職員も、池田大作の眼鏡にかなわなければ昇
> 給も昇進も覚束ないことを、骨の髄まで身にしみて知らされる。それが、池田大作の
> 支配の手段なのだ。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
池田大作による支配が、創価学会を末端信者を搾取する、過酷な組織に仕立て上げた一
因であることは否定できないだろう。その実態は、どのようなものだったのだろうか。
創価学会では、毎年正月に各地域の学会施設で「新年勤行会」を開催するが、その際に
も「広布基金」と称し金を集めている。
年末の財務は一口一万円からだが、広布基金には金額の規定はない。実際には千円から
一万円の間が多いようである。
元公明党都議・龍年光氏が、この「新年勤行会」による金集めに際し、池田大作の指揮
監督の下、競い合って働く学会幹部の姿を述懐しているので以下に引用する。
> しかもその際、「広布基金」と称する金が強制的に集められるようになった。前も
> って封筒が配られ、これに金を入れて持参し受付に差し出さないと、中に入れないよ
> うな仕組だ。
> 池田は、新年に集まった人数を、地区ごと、会館ごとに競争させるようになった。
> この競争に自分の地位がかかってくる幹部は必死である。「今年はこういう方法で人
> を集めよう」といったノウハウを競うようになっていった。
> 本山の「雪山坊」は、学会および公明党幹部の専用宿泊施設である。私も年始登山
> の際に何度かここに泊まったが、北条が死んだ翌年の大晦日から二日にかけて泊まっ
> た時に目にした光景には、ほとほと呆れてしまった。
> 坊の奥には池田の専用室があるが、明け方にここに各方面の最高幹部が集まり、協
> 議をする。協議が終わると、皆がバーッと出てきて、電話機に飛びつく。各地の会館
> に電話して、「何人集まった!?」と聞く。集まった人数が、即ち金の額なのだ。その
> 結果を持って、奥にいる池田に一秒でも早くと報告に走る。山崎尚見(現副会長)も
> その一人だった。
> この競争に負ければ学会内出世レースから脱落するから、みな必死の形相だ。
> 池田は、それを集計して分析している。まるで餓鬼の集まりのような、おぞましい
> 光景ではないか。
(龍年光著『池田創価学会を解散させよ』より引用)
※ 引用中の本山とは、日蓮正宗総本山大石寺のことである。ここで描かれている出来
事の時期は、昭和57年(1982年)正月で、創価学会が日蓮正宗から破門される以前で
ある。
学会幹部もまた、熾烈な競争により追い立てられていることが、この記述からわかる。
なお、同様の出来事を元公明党委員長・矢野絢也氏も、『私が愛した池田大作』で述べて
いる。池田大作が健在だった頃は、こうした醜い忠誠心競争が常態だったのだろう。
しかし、いかに幹部同士の競争が激しいものであったとしても、それだけでこれまでに
述べてきたような、過酷な金集めで末端信者たちを苦しめる、血も涙もない仕打ちができ
るものだろうか。
私は学会幹部が、まるで時代劇の悪代官のような悪辣な振る舞いをするもう一つの原因
として、創価学会の教義があると思う。自分のために、他人を蹴落とすことを当然視する
考え方が、学会にはあるのだ。
> 次に述べるのは、戸田が敗戦後間もなく全国を遊説してまわっていたとき、当時は
> 別の宗教団体に属していた女性が、戸田をかこむ座談会(学会でいうところの集会)
> に出席したときのエピソードである。
> 「その頃、属していた団体の〝先生〟は、座談会の壇上にのぼると、それまで先生の
> ほうを向いていた扇風機を聴衆に向けて、皆さんもどうぞ涼んで下さいとおっしゃる
> のです。
> しかし、戸田先生の集会に出ると、先生は扇風機を自分のほうに向けて、『見まし
> たか。皆さんひとりひとりが、こうならなくっちゃいけないんですよ』とおっしゃる。
> そのとき思いました。これは戸田先生の勝ちだ」
(佐高信・テリー伊藤 編著『お笑い創価学会 信じる者は救われない』所収
井田真木子著「池田大作 欲望と被虐の中で」より引用)
上記引用中の「戸田先生」とは、いうまでもなく学会の第二代会長・戸田城聖のことで
ある。戸田は、〝自分がいい思いをするために、他人に不快な思いを強いることができる
ような地位・立場にならなくてはならない〟と説き、それに惹かれた人々が、創価学会に
入会したのである。
この戸田の主張は、宗教の教義や思想というよりも、むき出しのエゴイズムそのものと
言った方がより適切と思える。このような身勝手な考え方を、正しい宗教の教えと信じる
学会幹部が、自分の出世のために末端会員を虐げるのは、当然の成り行きなのだ。
ナマのエゴイズムを、そのまま肯定するこの戸田思想の、最も忠実な実践者は、池田大
作その人であろう。まったく大した〝師弟不二〟である。
表題の「学会幹部に良心はないのか?」について、私なりの答えを述べるならば「社会
通念でいう良心とは異質な、学会流の〝良心〟ならばある。だがそれは、弱者への思いや
りだとか、優しさだとかの利他心を麻痺させ、学会組織への貢献の大きさのみを善悪の基
準とする、極めて歪で偏ったものである」といったところだろうか。
そんなものは良心とは呼べない、と感じられる方も多いだろう。実際、創価学会員には
一見すると人当たりはいいが、裏では人を利用したり、陥れたりといった振る舞いを平気
でする人間のクズのような輩が多い。これは私の実体験から断言できる。
創価学会は、利己主義を正当化する教義を持ち、自分のために他人を苦しめて平然とし
ていられる人格破綻者を量産する異常なカルトである。学会員が利己的でない動機のため
に行動すること、つまり彼らなりの利他心を発揮するのは、創価学会という組織のために
行動する時だけではないかと思われる。
学会員にとっては、創価学会と自分さえよければ、社会全体がどうなろうが知ったこと
ではないのだろう。このような邪教が、はたして社会にとって必要な存在だろうか。
普通の人なら「邪悪なカルトなど不要の存在」と、答えるはずである。学会員の皆さん
にも、本当に創価学会が社会から必要とされているか、よくよく考えて頂きたい。
2017年3月20日月曜日
財務に苦しめられる末端学会員
前回、財務督促に際して、学会幹部がどのような発言をしているか紹介したが、今回は、
財務に苦しめられる末端信者の実態を紹介する。
元公明党都議・龍年光氏は、著書『池田創価学会を解散させよ』で、自分の所に寄せら
れた学会員の声を紹介している。その一部を引用する。
> 「私は病気でご供養ができません、と言ったら、婦人部長が玄関のドアに足をはさん
> で閉まらないようにして、ご供養を出すまで帰りませんと、何時間も粘るのです。と
> うとう、根負けして一万円出しました」
財務は強制ではないと言う学会員もいるが、これでは事実上、強制と変わらない。実際、
サラ金などから借金して、多額の財務をする学会員も少なくないという。
借金に追い詰められて、夜逃げする者、自殺する者までいると言われている。ここまで
くると生き地獄としか言いようがない。
末端学会員の窮状を見かねた龍氏は、当時の創価学会理事長・森田一哉氏と直談判し、
実態のひどさを以下のように訴えたという。
> 続いて、北条亡き後、池田のもとでの金集めの異常さを次々に指摘した。
> 「乳ガンで昭和医大に入院していて、もう二週間ももたないといわれていた女性の所
> に、『お見舞い』と称して地区幹部が押しかけてきて、『今、財務が始まっている。
> ここで金を出せばガンは治る』といって、前回は十万円だったところを、二十万円巻
> き上げて帰って行ったことがある。患者は一週間後に死んだが、その息子さんは泣い
> て憤慨していた」
> すると森田は、「それはひどい話だ。しかし、それは例外だろう。他には、そんな
> ことはないはずだ」というので、私は、とんでもない、と次々に例をあげてやった。
> 森田は息をのんで、「信じられない。こんな例がたくさんあっては、学会は崩壊だ」
> といった。
※ 文中の「北条」とは、北条浩第4代会長のことである。
森田氏は学会幹部として、年収数千万円という高額の報酬を得ており、高額納税者(い
わゆる長者番付)が公表されていた頃は、例年、他の学会幹部とともに名前を連ねていた
が、本当に自分の高額報酬の原資が、どのようにして集められているか知らなかったので
あろうか。
ジャーナリスト・野田峯雄氏も、財務で苦しめられてきた元学会員の証言を、著書で紹
介している。
> 「とにかく丸裸、身ぐるみはいで、がスローガンやった。質屋へ着物をもってったり、
> あんた、ご本尊様を疑うのんかといわれて保険を解約したり、小学生の子供の豚の子
> 貯金まで取り上げたり、主人が信心してへんので隠れて財務したら、バレてしもうて
> 一家離散の大騒ぎにもなりましてん」
> 電話でそう話しながら、二年前に学会から離れたという大阪市の四十代の主婦は泣
> き出してしまった。ほんま、長い間ジゴクやったよ、と彼女はいった。
(野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)
創成期の創価学会は、「金のかからない宗教」を標榜し、信者から高額のお布施を取る
他の新興宗教を「カネ取り宗教」「インチキ宗教」と厳しく批判していた。
今の創価学会のあり方に疑問を感じるような人は、もう全員、脱会したのだろうか。
現在の会員が、納得して財務を納金しているというのなら、それは当人の自由である。
カルトに金を貢いで「絶対幸福の境涯」とのたまう連中がどうなろうが、私の知ったこ
とではない。しかし、搾取されていることに気づいた方には、勇気をもって脱会すること
をお勧めしたい。
財務に苦しめられる末端信者の実態を紹介する。
元公明党都議・龍年光氏は、著書『池田創価学会を解散させよ』で、自分の所に寄せら
れた学会員の声を紹介している。その一部を引用する。
> 「私は病気でご供養ができません、と言ったら、婦人部長が玄関のドアに足をはさん
> で閉まらないようにして、ご供養を出すまで帰りませんと、何時間も粘るのです。と
> うとう、根負けして一万円出しました」
財務は強制ではないと言う学会員もいるが、これでは事実上、強制と変わらない。実際、
サラ金などから借金して、多額の財務をする学会員も少なくないという。
借金に追い詰められて、夜逃げする者、自殺する者までいると言われている。ここまで
くると生き地獄としか言いようがない。
末端学会員の窮状を見かねた龍氏は、当時の創価学会理事長・森田一哉氏と直談判し、
実態のひどさを以下のように訴えたという。
> 続いて、北条亡き後、池田のもとでの金集めの異常さを次々に指摘した。
> 「乳ガンで昭和医大に入院していて、もう二週間ももたないといわれていた女性の所
> に、『お見舞い』と称して地区幹部が押しかけてきて、『今、財務が始まっている。
> ここで金を出せばガンは治る』といって、前回は十万円だったところを、二十万円巻
> き上げて帰って行ったことがある。患者は一週間後に死んだが、その息子さんは泣い
> て憤慨していた」
> すると森田は、「それはひどい話だ。しかし、それは例外だろう。他には、そんな
> ことはないはずだ」というので、私は、とんでもない、と次々に例をあげてやった。
> 森田は息をのんで、「信じられない。こんな例がたくさんあっては、学会は崩壊だ」
> といった。
※ 文中の「北条」とは、北条浩第4代会長のことである。
森田氏は学会幹部として、年収数千万円という高額の報酬を得ており、高額納税者(い
わゆる長者番付)が公表されていた頃は、例年、他の学会幹部とともに名前を連ねていた
が、本当に自分の高額報酬の原資が、どのようにして集められているか知らなかったので
あろうか。
ジャーナリスト・野田峯雄氏も、財務で苦しめられてきた元学会員の証言を、著書で紹
介している。
> 「とにかく丸裸、身ぐるみはいで、がスローガンやった。質屋へ着物をもってったり、
> あんた、ご本尊様を疑うのんかといわれて保険を解約したり、小学生の子供の豚の子
> 貯金まで取り上げたり、主人が信心してへんので隠れて財務したら、バレてしもうて
> 一家離散の大騒ぎにもなりましてん」
> 電話でそう話しながら、二年前に学会から離れたという大阪市の四十代の主婦は泣
> き出してしまった。ほんま、長い間ジゴクやったよ、と彼女はいった。
(野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)
創成期の創価学会は、「金のかからない宗教」を標榜し、信者から高額のお布施を取る
他の新興宗教を「カネ取り宗教」「インチキ宗教」と厳しく批判していた。
今の創価学会のあり方に疑問を感じるような人は、もう全員、脱会したのだろうか。
現在の会員が、納得して財務を納金しているというのなら、それは当人の自由である。
カルトに金を貢いで「絶対幸福の境涯」とのたまう連中がどうなろうが、私の知ったこ
とではない。しかし、搾取されていることに気づいた方には、勇気をもって脱会すること
をお勧めしたい。
2017年3月18日土曜日
財務をすれば万札が降ってくる?
創価学会では、広布部員会という、財務に向けた決起集会が開かれるが、そこでは財務
をすれば現世利益を得られる、と幹部が説き、末端学会員を煽り立てていた。その模様に
ついての記述を、元学会員とジャーナリスト、それぞれの著書から引用する。
> そんななかでも、いちばんヘンだと思ったのは、一年に一回はめぐってくる「献金
> の日」だった。
> その日に向けて、あの手この手で集金に励むのだが、そのときに士気を高めるため
> に集会でみんなが読む手記があった。その手記の内容というのは、だいたい似たりよ
> ったりで、こんなものだった。
> 「私は年金暮らしの一人暮らしの老婆です。寄付をする余裕はまったくなかったので
> すが、一年に一回のことだから、なんとか頑張りなさいと幹部に励まされて、わずか
> ですが、献金することができました。すると、どうでしょう、それからというもの、
> いいことばかり続くのです。病気も治りました。いまはとても幸せです」
> 朗読が終わると同時に、拍手と歓声があがる。
> 「すごいですね。みなさんも、負けないで頑張ってください」
> と、その場は熱気に包まれる。
> しかし、わたしは思っていた。うそでしょ、こんな不幸なことってないんじゃない。
> 年金暮らしをしている人や、生活保護を受けている、食うや食わずの人から献金を受
> け取るなんて、これって、ものすごい不幸なことじゃないか。なけなしのお金を募金
> させられた人が、どうして幸せだっていうの……。これって、まるで借金取りのする
> ことじゃないの……。
(杉田かおる著『杉田』より引用)
※ 『杉田』は、著者が学会員として、創価学会で経験した出来事や、それらの経験の
感想についての記述が、全体の約半分ほどを占めるが、明確に「創価学会」と書いて
あるわけではない。
上記のように、財務は「献金」、創価学会は「教団」、池田大作は「最高指導者」
などと、ぼかして記述している。
だが「教団」は、日蓮正宗の信徒団体だったが破門されたこと、選挙に力を入れて
おり、議員を当選させるために著者を含めた会員が、懸命に活動したことなどが記さ
れている。そのような「教団」に該当する団体は、言うまでもなく、創価学会しかあ
りえない。
貧しい会員に、無理してでも財務をするようにしむけ、なけなしの金を搾り取ろうとす
る、学会のやり口を、「まるで借金取りのすることじゃないの」という杉田氏の意見には、
誰しもがうなずくことだろう。
付け加えるならば、学会員たちは、別に学会から借金をしたわけではないので、タチの
悪い闇金より、なお一層悪質だと言った方が、より正確だろう。
そもそも、このような人の道に反する金集めは、池田大作の発案によるものである。池
田は若い頃、学会の第二代会長・戸田城聖が設立した高利貸し、大蔵商事の社員として、
辣腕をふるっていた。
池田の借金取り立ては、「病人が寝ている布団をはぐ」ような厳しいものだっという。
こうした高利貸しの金集めのノウハウを、教団運営にも適用した結果が、現在の創価学会
の姿なのだ。
> 「財務をすれば必ず天から万札が降ってきます」
> と、B支部長は断言した。創価学会の、東京都南西部にある文化会館での集まりの
> ときだった。約三十年間の学会歴をもつM・T(六十代女性)は、そっと隣の者たち
> の顔をみた。みんながしきりにうなずいている。間抜けめ!
> M・Tは心のなかでいった。
> 「空から万札が降ってくるわけがないじゃないか。大聖人様は日銀じゃないよ」
> 彼女の頭に浮かんだのは、友達のA子の姿だった。七十代の一人暮らし。区から四
> か月に一回、十万八千円をもらい、一食・約三百円でほそぼそと生活していた。そん
> な彼女のところにも、B支部長がやってきた。
> 「一口=一万円です。何口でもいいんですよ、多いほどすばらしい。お金のない人ほ
> ど、貧乏を断ち切るために全部出さなくっては。身ぐるみはいでね」
> 「……葬式代もありません」
> と、A子はこぼした。すると、B支部長はアッケラカンとこう答えた。
> 「心配しなくていいのよ、死んでしまえば何もないんだからさ。貯金、少しはあんで
> しょ。財務は信心の証よ」
> A子には貯金がまったくなかった。そこで、やむなく、十一日間の食費のすべて、
> 一万円を創価学会の指定銀行口座に振り込んだ。娘に米とミソをもらってしのいでい
> こうと思いつつ。間抜けめ、間抜けめ、間抜けめ……と、M・Tは心の中で叫んだ。
> あのパーマ屋のC子さんだってそうだよ。近くの信用金庫から五十万円も借りて財務
> をした。一生懸命働いているのに、いつもピーピーしているんだ、C子さんは。いっ
> たい、この金は、だれがどこでどう使っているのさ。
(野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)
創価学会に金を貢いだところで、「天から万札が降ってくる」などという、バカげたこ
となど起きるわけがないことは言うまでもない。
蛇足だが、上記引用のB支部長は、ヘリコプターマネーと呼ばれる金融政策を知ってい
て、比喩的に言ったのではないか、という好意的な解釈もできるかもしれない。
例えば、公明党の支持基盤である創価学会の財務基盤が強固になれば、それが公明党の
党勢拡大にも寄与し、党の政府への発現力が増せば、金融政策・財政政策にも影響力を行
使でき、ヘリコプターマネー的な政策を実現して、結果として貧しい学会員もいくらかは
潤うという、〝風が吹けば桶屋が儲かる〟的な論法を、端的に述べたとのでないか、とい
う穿った見方も、かなり無理があるができなくもない。
が、実際の創価学会の地方幹部には、金融政策について理解している者など、まずいな
いだろう。ヘリコプターマネーの提唱者である、ミルトン・フリードマンの名前を知る者
が、どれだけいるだろうか。
だいたい、学会員の憧れの大学、創価大学の経済学部の偏差値は45程度である。学会の
地方幹部に、経済についてまともな知識のある者など、ほとんどいないはずである。
つまりB支部長は、純粋に現世利益への欲を煽り、学会員に財務をさせるために、「万
札が降ってくる」などという、たわけたことを言ったわけである。
もし本当に財務をして、「万札が降ってくる」ほどの経済的な御利益があったり、病気
が治ったりするのであれば、喜んで創価学会に入る人間は大勢いるだろうが、当然のこと
ながら現実はそんなに甘くない。
「『ガンが治る』と言われて、創価学会に多額の財務をしたのに治らなかった」といっ
た恨み事を、ネット上で見たことがある方も多いだろうが、創価のようなインチキ宗教に
金をいくら貢いだところで、現世利益などあるわけがない。
財務で潤っているのは、池田大作をはじめとする学会幹部、言うなれば宗教貴族とも言
うべき特権階級であり、彼らは貧しい学会員が、功徳になると信じて苦労して納めた金か
ら高額報酬を受けとり、自分の贅沢な暮らしの原資にしているのである。
貧しく教育がない人たちに、あるはずもない御利益(学会員は「福運」と言うが)への
欲望を植えつけて搾取する創価学会のやり方は、悪辣そのものである。このような邪悪な
カルトは、一日も早く消滅した方が、世のため人のためであろう。
をすれば現世利益を得られる、と幹部が説き、末端学会員を煽り立てていた。その模様に
ついての記述を、元学会員とジャーナリスト、それぞれの著書から引用する。
> そんななかでも、いちばんヘンだと思ったのは、一年に一回はめぐってくる「献金
> の日」だった。
> その日に向けて、あの手この手で集金に励むのだが、そのときに士気を高めるため
> に集会でみんなが読む手記があった。その手記の内容というのは、だいたい似たりよ
> ったりで、こんなものだった。
> 「私は年金暮らしの一人暮らしの老婆です。寄付をする余裕はまったくなかったので
> すが、一年に一回のことだから、なんとか頑張りなさいと幹部に励まされて、わずか
> ですが、献金することができました。すると、どうでしょう、それからというもの、
> いいことばかり続くのです。病気も治りました。いまはとても幸せです」
> 朗読が終わると同時に、拍手と歓声があがる。
> 「すごいですね。みなさんも、負けないで頑張ってください」
> と、その場は熱気に包まれる。
> しかし、わたしは思っていた。うそでしょ、こんな不幸なことってないんじゃない。
> 年金暮らしをしている人や、生活保護を受けている、食うや食わずの人から献金を受
> け取るなんて、これって、ものすごい不幸なことじゃないか。なけなしのお金を募金
> させられた人が、どうして幸せだっていうの……。これって、まるで借金取りのする
> ことじゃないの……。
(杉田かおる著『杉田』より引用)
※ 『杉田』は、著者が学会員として、創価学会で経験した出来事や、それらの経験の
感想についての記述が、全体の約半分ほどを占めるが、明確に「創価学会」と書いて
あるわけではない。
上記のように、財務は「献金」、創価学会は「教団」、池田大作は「最高指導者」
などと、ぼかして記述している。
だが「教団」は、日蓮正宗の信徒団体だったが破門されたこと、選挙に力を入れて
おり、議員を当選させるために著者を含めた会員が、懸命に活動したことなどが記さ
れている。そのような「教団」に該当する団体は、言うまでもなく、創価学会しかあ
りえない。
貧しい会員に、無理してでも財務をするようにしむけ、なけなしの金を搾り取ろうとす
る、学会のやり口を、「まるで借金取りのすることじゃないの」という杉田氏の意見には、
誰しもがうなずくことだろう。
付け加えるならば、学会員たちは、別に学会から借金をしたわけではないので、タチの
悪い闇金より、なお一層悪質だと言った方が、より正確だろう。
そもそも、このような人の道に反する金集めは、池田大作の発案によるものである。池
田は若い頃、学会の第二代会長・戸田城聖が設立した高利貸し、大蔵商事の社員として、
辣腕をふるっていた。
池田の借金取り立ては、「病人が寝ている布団をはぐ」ような厳しいものだっという。
こうした高利貸しの金集めのノウハウを、教団運営にも適用した結果が、現在の創価学会
の姿なのだ。
> 「財務をすれば必ず天から万札が降ってきます」
> と、B支部長は断言した。創価学会の、東京都南西部にある文化会館での集まりの
> ときだった。約三十年間の学会歴をもつM・T(六十代女性)は、そっと隣の者たち
> の顔をみた。みんながしきりにうなずいている。間抜けめ!
> M・Tは心のなかでいった。
> 「空から万札が降ってくるわけがないじゃないか。大聖人様は日銀じゃないよ」
> 彼女の頭に浮かんだのは、友達のA子の姿だった。七十代の一人暮らし。区から四
> か月に一回、十万八千円をもらい、一食・約三百円でほそぼそと生活していた。そん
> な彼女のところにも、B支部長がやってきた。
> 「一口=一万円です。何口でもいいんですよ、多いほどすばらしい。お金のない人ほ
> ど、貧乏を断ち切るために全部出さなくっては。身ぐるみはいでね」
> 「……葬式代もありません」
> と、A子はこぼした。すると、B支部長はアッケラカンとこう答えた。
> 「心配しなくていいのよ、死んでしまえば何もないんだからさ。貯金、少しはあんで
> しょ。財務は信心の証よ」
> A子には貯金がまったくなかった。そこで、やむなく、十一日間の食費のすべて、
> 一万円を創価学会の指定銀行口座に振り込んだ。娘に米とミソをもらってしのいでい
> こうと思いつつ。間抜けめ、間抜けめ、間抜けめ……と、M・Tは心の中で叫んだ。
> あのパーマ屋のC子さんだってそうだよ。近くの信用金庫から五十万円も借りて財務
> をした。一生懸命働いているのに、いつもピーピーしているんだ、C子さんは。いっ
> たい、この金は、だれがどこでどう使っているのさ。
(野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)
創価学会に金を貢いだところで、「天から万札が降ってくる」などという、バカげたこ
となど起きるわけがないことは言うまでもない。
蛇足だが、上記引用のB支部長は、ヘリコプターマネーと呼ばれる金融政策を知ってい
て、比喩的に言ったのではないか、という好意的な解釈もできるかもしれない。
例えば、公明党の支持基盤である創価学会の財務基盤が強固になれば、それが公明党の
党勢拡大にも寄与し、党の政府への発現力が増せば、金融政策・財政政策にも影響力を行
使でき、ヘリコプターマネー的な政策を実現して、結果として貧しい学会員もいくらかは
潤うという、〝風が吹けば桶屋が儲かる〟的な論法を、端的に述べたとのでないか、とい
う穿った見方も、かなり無理があるができなくもない。
が、実際の創価学会の地方幹部には、金融政策について理解している者など、まずいな
いだろう。ヘリコプターマネーの提唱者である、ミルトン・フリードマンの名前を知る者
が、どれだけいるだろうか。
だいたい、学会員の憧れの大学、創価大学の経済学部の偏差値は45程度である。学会の
地方幹部に、経済についてまともな知識のある者など、ほとんどいないはずである。
つまりB支部長は、純粋に現世利益への欲を煽り、学会員に財務をさせるために、「万
札が降ってくる」などという、たわけたことを言ったわけである。
もし本当に財務をして、「万札が降ってくる」ほどの経済的な御利益があったり、病気
が治ったりするのであれば、喜んで創価学会に入る人間は大勢いるだろうが、当然のこと
ながら現実はそんなに甘くない。
「『ガンが治る』と言われて、創価学会に多額の財務をしたのに治らなかった」といっ
た恨み事を、ネット上で見たことがある方も多いだろうが、創価のようなインチキ宗教に
金をいくら貢いだところで、現世利益などあるわけがない。
財務で潤っているのは、池田大作をはじめとする学会幹部、言うなれば宗教貴族とも言
うべき特権階級であり、彼らは貧しい学会員が、功徳になると信じて苦労して納めた金か
ら高額報酬を受けとり、自分の贅沢な暮らしの原資にしているのである。
貧しく教育がない人たちに、あるはずもない御利益(学会員は「福運」と言うが)への
欲望を植えつけて搾取する創価学会のやり方は、悪辣そのものである。このような邪悪な
カルトは、一日も早く消滅した方が、世のため人のためであろう。
2017年3月15日水曜日
財務督促あるいは「創価学会仏」の金口直説
今回は、私がこれまでに読んだことのある創価学会に関する文献から、財務や広布基金
の督促に際しての、学会幹部の発言を紹介する。
創価学会は昨年11月、会則を変更し、「創価学会仏」なる言葉を会則前文に書き入れた。
この言葉は〝創価学会という組織そのものが仏である〟という意味らしい。
してみると以下に引用する学会員の発言は、在俗にありながらも仏界を顕現した方々が、
その境地を述べたものと言える。
現代の維摩居士とも呼ばれるべき方々による有難い説法であり、本来なら「如是我聞」
の枕詞が冠せられるべき御金言である。刮目して御覧いただきたい。
> 「これが最後(の財務)だ!」(東京都の幹部。毎年、同じセリフ)
> 「財務すれば合格する」(東京都の地区幹部。息子の大学進学費がなくなってしまう
> と訴える一般学会員に対して)
> 「自分は全財産を二度、財務に出した。三度、全財産を財務すると、どんな宿命転換
> もできる」(山口県の支部婦人部長)
> 「池田先生が海外へいくには莫大な金が必要。とくに各国の大物と会うためには手ぶ
> らではいけない。そのための財務をしましょう。これは何倍にもなって返ってくる」
> (山口県の県長)
> 「あの人の貯金通帳にはお金が入っているのに、それを財務に出しきらんちゃね。か
> わいそうに」(福岡県の地区幹部)
> 「みなさーん、一万円もっている人が一万円出せば功徳をもらえます。三万円もって
> いる人が一万円だと罰を受けます」(福岡県の婦人部長)
(野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)
> ところで私の手元に、あるところから録音テープが届いた。元参議院議員・柏原ヤ
> スが青森県で闘われた会合の席で会員に広布基金の醵出を呼びかけたのであるが、中
> 身は、「池田先生の世界広布には金がかかる。だから金を出せ、というのです。出せ、
> 出せ。三ケタ、百万円出しなさい……」と絶叫しているものである。折から、創価学
> 会は〝広布基金〟と称する金集めに必死である。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
> 今度は、
> 「4ケタ財務だ!」
> と言うのです。4ケタとは、1000万円のことです。
> 集める口実はこうです。
> 「財務をすると倍になって福をもたらす」
> 「会食の席では、池田先生と同じメーンテーブルに座れる」
> 「池田先生と会うと人生が変わるのよ。それがエポックになるかどうかはあなたの信
> 心よ」
> など、甘言を弄するわけです。挙げ句は、座談会などで財務経験者が、
> 「私は30万円の財務をしたら、ビジネスで300万円も儲かりました」
> とやるわけです。
> こういう話を聞けば、カネのない人ほど、やってみようかなと思うでしょう。実際、
> 「カネのないものほど財務すべきだ」という幹部もいたほどです。
(福本潤一著『創価学会公明党「金と品位」』より引用)
以上をお読みになって、皆さんはどのような感想を持たれただろうか。
一介の凡夫に過ぎぬ私ごときには、言うべきことは何もないので、今回はここで擱筆さ
せていただく。
補足1
参議院議員を務めた柏原ヤス氏は、古参の学会幹部である。
『人間革命』にも「清原かつ」として登場し、若く溌溂とした女性会員として描かれる。
『人間革命』におけるヒロイン的な存在とも言えるが、実は学会の第二代会長、戸田城聖
の愛人の一人だった。参院議員であったことから叙勲されたが、そのことで池田大作から
妬まれ、晩年はしばしば罵倒されていたという。
補足2
文中の「維摩居士」とは、大乗経典の一つ『維摩経』の登場人物で、理想的な在家信者
とされる。『維摩経』は、在家信者が仏教教団における存在感を増してきたことを反映し
て成立した経典と考えられる。『維摩経』のサンスクリット原典は、長らく見つかってい
なかったが、20世紀末になってチベットのポタラ宮で発見された。
蛇足
大乗仏教の経典は、元は古代インドの言葉であるサンスクリット語で記述されていた。
般若心経、法華経、無量寿経、大日経などの日本に伝わった漢訳経典も、元はサンスクリ
ット語で書かれていたものが翻訳されたものである。ちなみに般若心経の最古のサンスク
リット写本は日本にある。サンスクリット原典が存在しない漢訳経典、つまり、中国でで
っち上げられた経典を一般に「偽経」という。
法華経の開教とされる無量義経、浄土三部経の一つ観無量寿経、お盆の起源を説いたと
される盂蘭盆経などが偽経と言われている。
の督促に際しての、学会幹部の発言を紹介する。
創価学会は昨年11月、会則を変更し、「創価学会仏」なる言葉を会則前文に書き入れた。
この言葉は〝創価学会という組織そのものが仏である〟という意味らしい。
してみると以下に引用する学会員の発言は、在俗にありながらも仏界を顕現した方々が、
その境地を述べたものと言える。
現代の維摩居士とも呼ばれるべき方々による有難い説法であり、本来なら「如是我聞」
の枕詞が冠せられるべき御金言である。刮目して御覧いただきたい。
> 「これが最後(の財務)だ!」(東京都の幹部。毎年、同じセリフ)
> 「財務すれば合格する」(東京都の地区幹部。息子の大学進学費がなくなってしまう
> と訴える一般学会員に対して)
> 「自分は全財産を二度、財務に出した。三度、全財産を財務すると、どんな宿命転換
> もできる」(山口県の支部婦人部長)
> 「池田先生が海外へいくには莫大な金が必要。とくに各国の大物と会うためには手ぶ
> らではいけない。そのための財務をしましょう。これは何倍にもなって返ってくる」
> (山口県の県長)
> 「あの人の貯金通帳にはお金が入っているのに、それを財務に出しきらんちゃね。か
> わいそうに」(福岡県の地区幹部)
> 「みなさーん、一万円もっている人が一万円出せば功徳をもらえます。三万円もって
> いる人が一万円だと罰を受けます」(福岡県の婦人部長)
(野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)
> ところで私の手元に、あるところから録音テープが届いた。元参議院議員・柏原ヤ
> スが青森県で闘われた会合の席で会員に広布基金の醵出を呼びかけたのであるが、中
> 身は、「池田先生の世界広布には金がかかる。だから金を出せ、というのです。出せ、
> 出せ。三ケタ、百万円出しなさい……」と絶叫しているものである。折から、創価学
> 会は〝広布基金〟と称する金集めに必死である。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
> 今度は、
> 「4ケタ財務だ!」
> と言うのです。4ケタとは、1000万円のことです。
> 集める口実はこうです。
> 「財務をすると倍になって福をもたらす」
> 「会食の席では、池田先生と同じメーンテーブルに座れる」
> 「池田先生と会うと人生が変わるのよ。それがエポックになるかどうかはあなたの信
> 心よ」
> など、甘言を弄するわけです。挙げ句は、座談会などで財務経験者が、
> 「私は30万円の財務をしたら、ビジネスで300万円も儲かりました」
> とやるわけです。
> こういう話を聞けば、カネのない人ほど、やってみようかなと思うでしょう。実際、
> 「カネのないものほど財務すべきだ」という幹部もいたほどです。
(福本潤一著『創価学会公明党「金と品位」』より引用)
以上をお読みになって、皆さんはどのような感想を持たれただろうか。
一介の凡夫に過ぎぬ私ごときには、言うべきことは何もないので、今回はここで擱筆さ
せていただく。
補足1
参議院議員を務めた柏原ヤス氏は、古参の学会幹部である。
『人間革命』にも「清原かつ」として登場し、若く溌溂とした女性会員として描かれる。
『人間革命』におけるヒロイン的な存在とも言えるが、実は学会の第二代会長、戸田城聖
の愛人の一人だった。参院議員であったことから叙勲されたが、そのことで池田大作から
妬まれ、晩年はしばしば罵倒されていたという。
補足2
文中の「維摩居士」とは、大乗経典の一つ『維摩経』の登場人物で、理想的な在家信者
とされる。『維摩経』は、在家信者が仏教教団における存在感を増してきたことを反映し
て成立した経典と考えられる。『維摩経』のサンスクリット原典は、長らく見つかってい
なかったが、20世紀末になってチベットのポタラ宮で発見された。
蛇足
大乗仏教の経典は、元は古代インドの言葉であるサンスクリット語で記述されていた。
般若心経、法華経、無量寿経、大日経などの日本に伝わった漢訳経典も、元はサンスクリ
ット語で書かれていたものが翻訳されたものである。ちなみに般若心経の最古のサンスク
リット写本は日本にある。サンスクリット原典が存在しない漢訳経典、つまり、中国でで
っち上げられた経典を一般に「偽経」という。
法華経の開教とされる無量義経、浄土三部経の一つ観無量寿経、お盆の起源を説いたと
される盂蘭盆経などが偽経と言われている。
2017年3月12日日曜日
福島源次郎氏について
過去に、創価学会に反旗を翻した元幹部は何人もいるが、その中で、学会本部での地位
がもっとも高かったのは、副会長を務めた福島源次郎氏だと思われる。
福島氏は池田大作の意を受けて、創価学会内に「師への帰命論」を広めた立役者だった。
その追従ぶりは、他の学会幹部からも白眼視され「ゴマ源」などと陰口を叩かれたほどだ
った。
この「師への帰命論」が、池田本仏論の論拠の一つとなったと言われる。池田本仏論は、
日蓮を本仏とする日蓮正宗の教義とは相容れないものであり、池田大作は当時の大石寺法
主・細井日達氏から、本尊模彫の件とあわせて叱責されることになった。
池田は「福島氏が勝手にやったこと」と責任を転嫁、福島氏は悩みぬいた末に学会職員
を辞した。その後福島氏は学会内の反体制派「蘇生の集い」を指導し、平成2年11月16日の
本部幹部会での池田大作の暴言を録音し、日蓮正宗へ提出した。
これが、その後の創価学会破門に至るきっかけとなったのである(創価学会・公明党を
糺すOB有志の会 編著『サヨナラ私の池田大作』による)。
さらに福島氏は、日蓮正宗の講(在家信者組織)を新たに結成、約3万人の学会員が福
島氏の後を追ったという(福本潤一著『創価学会公明党「金と品位」』による)。
これは余談だが、現在、創価学会には約300人もの副会長がいるが、通常の組織であれば
多くても数人程度しか置かれない副会長職が量産されたきっかけは、福島氏の造反だった
という。
副会長まで務めた福島氏の造反が、一般会員を動揺させることを恐れて副会長を量産し、
「副会長はたいした役職ではない」という印象を与えようとしたらしい。
自分のために尽くした功労者を敵にし、痛手を受けるという愚行を繰り返すのが、池田
大作という人物の特徴のようである(この点については、山崎正友氏、原島嵩氏、矢野絢
也氏などの場合も、福島氏と同様と言える)。
創価学会による土地取得等に関する裏工作に協力してきた、暴力団組長・後藤忠政氏は、
池田大作について、著書『憚りながら』で次のように評している。
> 俺が今回、初めて創価学会との経緯を話したのには、2つほど理由がある。ひとつ
> は、あいつら(学会)のやっていることが、俺が付き合っていた30年前と同じ、いや
> それ以上に悪くなっているからだ。学会、いや、池田大作のために、それまで散々働
> いてきた連中や、俺みたいに協力してきた人間を、用済みになったと思ったら、簡単
> に切り捨てるようなやり方が許せんのだよ。
(中略)
> 逆に言えば、自分の手下に次から次へと居直られるような池田大作という男は、た
> いした人物じゃないってことだ。他人様から到底、褒められるような人物じゃないか
> ら、自分で自分を褒める本をせっせと作っては、学会の信者に買わせてな。ああいう
> 見苦しい生き方もないもんだ。
(中略)
> それともうひとつ、創価学会、いや「池田教」が、この日本という国家を乗っ取ろ
> うとしていることが見過ごせないんだよ。
(中略)
> どんな宗教信じるかは勝手だ。しかし、その宗教のために国会や官僚組織に入り込
> むというのは、筋が違うんじゃねえか。特定の宗教の利益を目的とする人間が、国家
> 権力の中枢にいるのはまずいよ。
暴力団には感心できないが、後藤氏が述べていることは正しいと思う。任侠の世界に長
く身を置いてきた後藤氏には、その世界で生き抜くための筋論が身についているのだろう
が、そうした世界の感覚でも、創価学会はやはりおかしいのだ。
末端の学会員も、財務やF取り等で搾取され、幹部の権力維持のために利用されている
だけだと、そろそろ気づいてもよいのではないだろうか。
参考
福島源次郎氏の著書『蘇生への選択』は、現在入手困難となっている。だが、『蘇生へ
の選択』の肝ともいえる「誠諫の書」は、以下のサイトに転載されているので、興味のあ
る方は、読んでみられてはいかがだろうか。創価学会に興味をもつ方にとっては、一読の
価値はあると思う。
誠諫(せいかん)の書 福島源次郎
二、自己宣揚について
三、独善、慢について
がもっとも高かったのは、副会長を務めた福島源次郎氏だと思われる。
福島氏は池田大作の意を受けて、創価学会内に「師への帰命論」を広めた立役者だった。
その追従ぶりは、他の学会幹部からも白眼視され「ゴマ源」などと陰口を叩かれたほどだ
った。
この「師への帰命論」が、池田本仏論の論拠の一つとなったと言われる。池田本仏論は、
日蓮を本仏とする日蓮正宗の教義とは相容れないものであり、池田大作は当時の大石寺法
主・細井日達氏から、本尊模彫の件とあわせて叱責されることになった。
池田は「福島氏が勝手にやったこと」と責任を転嫁、福島氏は悩みぬいた末に学会職員
を辞した。その後福島氏は学会内の反体制派「蘇生の集い」を指導し、平成2年11月16日の
本部幹部会での池田大作の暴言を録音し、日蓮正宗へ提出した。
これが、その後の創価学会破門に至るきっかけとなったのである(創価学会・公明党を
糺すOB有志の会 編著『サヨナラ私の池田大作』による)。
さらに福島氏は、日蓮正宗の講(在家信者組織)を新たに結成、約3万人の学会員が福
島氏の後を追ったという(福本潤一著『創価学会公明党「金と品位」』による)。
これは余談だが、現在、創価学会には約300人もの副会長がいるが、通常の組織であれば
多くても数人程度しか置かれない副会長職が量産されたきっかけは、福島氏の造反だった
という。
副会長まで務めた福島氏の造反が、一般会員を動揺させることを恐れて副会長を量産し、
「副会長はたいした役職ではない」という印象を与えようとしたらしい。
自分のために尽くした功労者を敵にし、痛手を受けるという愚行を繰り返すのが、池田
大作という人物の特徴のようである(この点については、山崎正友氏、原島嵩氏、矢野絢
也氏などの場合も、福島氏と同様と言える)。
創価学会による土地取得等に関する裏工作に協力してきた、暴力団組長・後藤忠政氏は、
池田大作について、著書『憚りながら』で次のように評している。
> 俺が今回、初めて創価学会との経緯を話したのには、2つほど理由がある。ひとつ
> は、あいつら(学会)のやっていることが、俺が付き合っていた30年前と同じ、いや
> それ以上に悪くなっているからだ。学会、いや、池田大作のために、それまで散々働
> いてきた連中や、俺みたいに協力してきた人間を、用済みになったと思ったら、簡単
> に切り捨てるようなやり方が許せんのだよ。
(中略)
> 逆に言えば、自分の手下に次から次へと居直られるような池田大作という男は、た
> いした人物じゃないってことだ。他人様から到底、褒められるような人物じゃないか
> ら、自分で自分を褒める本をせっせと作っては、学会の信者に買わせてな。ああいう
> 見苦しい生き方もないもんだ。
(中略)
> それともうひとつ、創価学会、いや「池田教」が、この日本という国家を乗っ取ろ
> うとしていることが見過ごせないんだよ。
(中略)
> どんな宗教信じるかは勝手だ。しかし、その宗教のために国会や官僚組織に入り込
> むというのは、筋が違うんじゃねえか。特定の宗教の利益を目的とする人間が、国家
> 権力の中枢にいるのはまずいよ。
暴力団には感心できないが、後藤氏が述べていることは正しいと思う。任侠の世界に長
く身を置いてきた後藤氏には、その世界で生き抜くための筋論が身についているのだろう
が、そうした世界の感覚でも、創価学会はやはりおかしいのだ。
末端の学会員も、財務やF取り等で搾取され、幹部の権力維持のために利用されている
だけだと、そろそろ気づいてもよいのではないだろうか。
参考
福島源次郎氏の著書『蘇生への選択』は、現在入手困難となっている。だが、『蘇生へ
の選択』の肝ともいえる「誠諫の書」は、以下のサイトに転載されているので、興味のあ
る方は、読んでみられてはいかがだろうか。創価学会に興味をもつ方にとっては、一読の
価値はあると思う。
誠諫(せいかん)の書 福島源次郎
二、自己宣揚について
三、独善、慢について
2017年3月8日水曜日
創価学会の財力
巨額の資金力を有するといわれる創価学会であるが、実際に毎年どれくらいの金を集め
ているのであろうか。推計を試みてみたい。
まず、確実性の高い、機関紙の売り上げから考察する。
創価学会は『聖教新聞』をはじめ、いくつかの機関紙・機関誌を発行している。
・聖教新聞(1,934 円/月・550万部)
・大白蓮華(205 円/月・280万部)
・グラフSGI(398 円/月・120万部)
・創価新報(108 円/月・150万部)
月々の購読料に発行部数を乗じて、年間の売り上げを算出すると、以下のようになる。
・聖教新聞・・・・・127,644,000,000(円)
・大白蓮華・・・・・・6,888,000,000(円)
・グラフSGI・・・・5,731,200,000(円)
・創価新報・・・・・・1,944,000,000(円)
計 ・・・・・142,207,200,000(円)
つまり、機関紙等の売り上げだけで、年間1,420億円以上もの収入があるわけである。
これ以外にも、広告収入も数十億円はあると考えられる。
これらの出版物は、聖教新聞社が発行しているが、聖教新聞社は独立した法人ではなく、
創価学会の一部門であり、創価学会が法人税を納税している(軽減税率が適用される)。
創価学会は、827万世帯の会員がいると公称しているが、発行部数550万部の『聖教新聞』
を、一世帯で複数部とる学会員も少なくなく、827万世帯は明らかに過大な数字である。
『大白蓮華』の発行部数は280万部であるが、『大白蓮華』には、教学試験の出題範囲が
掲載されることから、熱心な学会員は必ず目を通すといわれ、その発行部数は、実際の学
会員の世帯数に近いといわれている。そこでこの「280万」に着目してみる。
創価学会では、新年勤行会などに際して、各地の会館で「広布基金」が集められる。
280万世帯が、一回千円、年五回、学会に納めたとすると、それだけで140億円である。
280万世帯が、年末の財務に、平均10万円を納めれば、2,800億円になる。
この数字は当て推量でしかないが、あたらずとも遠からずではないかと思う。
平成12年(2000年)、小学館から出版された『創価学会財務部の内幕』という本がある。
この本の著者は、匿名の記者9名とされるが、うち一人は学会ウォッチャーとして知られ
る段勲氏である。その中に、以下の記述がある。
> では、大手都市銀行の宗教法人担当部は、創価学会の年間収入がどれぐらいあると
> 見ているのだろうか。
> 上位都市銀行の宗教法人担当者は、
> 「自行の預金残高や取引状況から勘案すると、収益事業で一〇〇〇億円から一二〇〇
> 億円。財務は三〇〇〇億円前後で、計四二〇〇億円前後と見ている」
> と言う。
> また、別の大手都市銀行によれば、
> 「収益事業と財務で年間四五〇〇億円の収入があると計算している」
> と話す。
> これら複数の証言から、創価学会の年間収入は少なく見積もっても四〇〇〇億円。
> 上限は四五〇〇億円ということになる。
『聖教新聞』などの機関紙の発行には、それなりの経費もかかるであろうが、財務や広
布基金には、コストはほとんどかからない。収入がほぼそのまま純利益となるとみてよい。
この巨額の金は、いったい何に使われているのであろうか。各地に建設された巨大な学
会施設にも、相当額がつぎ込まれているであろうが、それは一部に過ぎないだろう。
三千人近くいるとされる、学会職員の人件費に、社会保険等も込みで一人年間一千万円
かけても、300億円である。
300人いる副会長は、少なくて年収一千万円といわれるので、実際の人件費はもっと多
いだろうが、4,000億円の使い道を説明するには、とうてい足りない。
脱会して批判者に転じた、元学会幹部の山崎正友氏や原島嵩氏は、兆単位の巨額の資金
が国内や海外の金融機関にプールされていると、述べていた。
創価学会の巨額の資金は、現代日本の最大の闇といってもいいかもしれない。得体のし
れないカルトが、巨額の資金を毎年のように集めることに不気味さを感じるのは、私だけ
ではないはずである。
このような金満教団に、自分の生活に支障が出るほどの無理をして金を貢ぐ、創価学会
員の気が知れないと思う。カルトにマインドコントロールされると判断力がなくなってし
まうという好例だろう。
ているのであろうか。推計を試みてみたい。
まず、確実性の高い、機関紙の売り上げから考察する。
創価学会は『聖教新聞』をはじめ、いくつかの機関紙・機関誌を発行している。
・聖教新聞(1,934 円/月・550万部)
・大白蓮華(205 円/月・280万部)
・グラフSGI(398 円/月・120万部)
・創価新報(108 円/月・150万部)
月々の購読料に発行部数を乗じて、年間の売り上げを算出すると、以下のようになる。
・聖教新聞・・・・・127,644,000,000(円)
・大白蓮華・・・・・・6,888,000,000(円)
・グラフSGI・・・・5,731,200,000(円)
・創価新報・・・・・・1,944,000,000(円)
計 ・・・・・142,207,200,000(円)
つまり、機関紙等の売り上げだけで、年間1,420億円以上もの収入があるわけである。
これ以外にも、広告収入も数十億円はあると考えられる。
これらの出版物は、聖教新聞社が発行しているが、聖教新聞社は独立した法人ではなく、
創価学会の一部門であり、創価学会が法人税を納税している(軽減税率が適用される)。
創価学会は、827万世帯の会員がいると公称しているが、発行部数550万部の『聖教新聞』
を、一世帯で複数部とる学会員も少なくなく、827万世帯は明らかに過大な数字である。
『大白蓮華』の発行部数は280万部であるが、『大白蓮華』には、教学試験の出題範囲が
掲載されることから、熱心な学会員は必ず目を通すといわれ、その発行部数は、実際の学
会員の世帯数に近いといわれている。そこでこの「280万」に着目してみる。
創価学会では、新年勤行会などに際して、各地の会館で「広布基金」が集められる。
280万世帯が、一回千円、年五回、学会に納めたとすると、それだけで140億円である。
280万世帯が、年末の財務に、平均10万円を納めれば、2,800億円になる。
この数字は当て推量でしかないが、あたらずとも遠からずではないかと思う。
平成12年(2000年)、小学館から出版された『創価学会財務部の内幕』という本がある。
この本の著者は、匿名の記者9名とされるが、うち一人は学会ウォッチャーとして知られ
る段勲氏である。その中に、以下の記述がある。
> では、大手都市銀行の宗教法人担当部は、創価学会の年間収入がどれぐらいあると
> 見ているのだろうか。
> 上位都市銀行の宗教法人担当者は、
> 「自行の預金残高や取引状況から勘案すると、収益事業で一〇〇〇億円から一二〇〇
> 億円。財務は三〇〇〇億円前後で、計四二〇〇億円前後と見ている」
> と言う。
> また、別の大手都市銀行によれば、
> 「収益事業と財務で年間四五〇〇億円の収入があると計算している」
> と話す。
> これら複数の証言から、創価学会の年間収入は少なく見積もっても四〇〇〇億円。
> 上限は四五〇〇億円ということになる。
『聖教新聞』などの機関紙の発行には、それなりの経費もかかるであろうが、財務や広
布基金には、コストはほとんどかからない。収入がほぼそのまま純利益となるとみてよい。
この巨額の金は、いったい何に使われているのであろうか。各地に建設された巨大な学
会施設にも、相当額がつぎ込まれているであろうが、それは一部に過ぎないだろう。
三千人近くいるとされる、学会職員の人件費に、社会保険等も込みで一人年間一千万円
かけても、300億円である。
300人いる副会長は、少なくて年収一千万円といわれるので、実際の人件費はもっと多
いだろうが、4,000億円の使い道を説明するには、とうてい足りない。
脱会して批判者に転じた、元学会幹部の山崎正友氏や原島嵩氏は、兆単位の巨額の資金
が国内や海外の金融機関にプールされていると、述べていた。
創価学会の巨額の資金は、現代日本の最大の闇といってもいいかもしれない。得体のし
れないカルトが、巨額の資金を毎年のように集めることに不気味さを感じるのは、私だけ
ではないはずである。
このような金満教団に、自分の生活に支障が出るほどの無理をして金を貢ぐ、創価学会
員の気が知れないと思う。カルトにマインドコントロールされると判断力がなくなってし
まうという好例だろう。
2017年3月5日日曜日
創価学会の金集め③
※ 承前(①、①-補足、②、②-補足)
前回までに、創価学会が例年の「財務」とは別の特例的な金集めで、巨額を集めてきた
ことをみた。創価学会は昭和57年(1982年)頃から、通常の財務でも莫大な金を集めるよう
になっていった。
> この二度の宗門戦争を契機に、学会は日蓮正宗からの独立を模索し、カネは力とば
> かり、「財務」に力を注ぐようになった。第一次宗門戦争の直後の一九八〇(昭和五
> 五)年頃から、学会は、三ケタ財務、すなわち年間一〇〇万円の寄付を学会員に呼び
> かける。
> 当時の大卒サラリーマンの初任給は、一二万円ほどで、一〇〇万円は一般庶民には
> とても払える額ではなかった。それでも、財務は信心の証と指導されている学会員は、
> 爪に火を灯すように生活を切り詰め、財務に励んだ。
> 一〇〇万円財務は、戸田第二代会長の言葉を借りれば、学会が決して手を染めては
> ならない「邪宗教」への第一歩を踏み出した瞬間だった。
> 一九九〇年代に入り、学会が総本山大石寺から破門されると一層、財務主義は強化
> され、「狂乱財務」に拍車がかかる。四ケタ財務と称して、なんと年間一〇〇〇万円
> の寄付を目標としたという。
(矢野絢也著『黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録』)
矢野氏の記述とは、微妙に食い違うが、山崎正友氏も以下のように述べている。
> 通常財務は昭和五十六年までは一五〇億円ほどであった。昭和五十二年、三年頃の
> 副会長会議では、財務一五〇億円でも、会員への相当の負担になることが報告されて
> いた。
> ところが、昭和五十七年には一気に倍加し三〇〇億円に達し、五十八年には四五〇
> 億円、五十九年には一五〇〇億円、六十年、六十一年、六十二年にも同じく一五〇〇
> 億円、六十三年にはなんと二〇〇〇億円が集められたのである(平成元年は長年の過
> 酷な財務がたたり、一〇〇〇億円を割ったと伝えられる)。
(山崎正友著『懺悔の告発』)
※ 批判本を読み比べると「百万円財務」の呼びかけは、昭和55年(1980年)ころから始
まったようだが、それが成果を挙げて、集金額が目に見えて増加したのは、昭和57年
(1982年)だったのかもしれない。
第四代会長の北条浩氏が昭和56年に死去しているが、その後、名誉会長に退いていた
池田氏が再び実権を掌握したことが、57年以降の財務暴走につながったとの指摘もある。
創価学会は平成3年(1992年)に破門されるまでは、日蓮正宗の信徒団体であったので、
財務を集める大義名分にも「日蓮正宗の寺院を建立するため」ということが含まれていた。
しかし、山崎氏の前掲書によれば、実際に日蓮正宗に渡されていたのは、集まったうち
のごく一部で、一例をあげれば昭和57年には、300億円を集めたのに対し、日蓮正宗には
3億円しか渡さなかったという。
また、このような巨額の金集めには、横領等の問題も多かった。昭和63年(1988年)まで
は、財務を各地域の幹部が現金で集めていたこともその一因である。
若い頃に学会の広告塔を務めており、その後、脱会して内情を著書『杉田』で暴露した、
女優の杉田かおる氏は、同書で教団の裏に通じていた「黒幕」と懇意にしていたと明かし、
その「黒幕」の不審な金集めについても述べている。
> だけど、わたしは見てしまったのだ。黒幕が中心になって、善良な教団員からお金
> を集めはじめたのを。その金はお寺に納めるものだと人々を説得していた。だが、本
> 当にお寺に納めるものなら、お寺の名で集めたり、あるいはきちんとした担当者を立
> てて集金し、納めさせればいい。個人的にそういう集金があるって変じゃないか。一
> つおかしいと思うと、次々にいくつかの疑惑が湧いてきて、それはついにぬぐいさる
> ことができなかった。
※ 杉田氏はこの「黒幕」の名は明かしていない。杉田氏は「黒幕」から庇護を受けたと
述べる一方で「彼も詐欺師であり、会のお金を騙し取ったり、ほかの会員からもお金を
取っていた。わたしにもすごく高価な仏壇を売りつけて、ピンハネをしていた」という。
多額の現金を手渡しで集めていたのでは、このような不正が起こるのは防ぎがたい。そ
こで平成元年(1989年)から翌年にかけて、振り込みに改められた。しかし、これでも不正
がなくなったわけでないらしい。
> もっとも銀行振り込みになって学会財務が明朗化したかというと、「必ずしもそう
> でないらしい」と関西本部の幹部職員が声をひそめて話してくれた。この幹部による
> と「大口寄付者に対して別口座への入金、あるいは現金での持参が内々で指導されて
> いる」という。私は驚いて「その口座のことを学会本部は承知しているのか」と聞く
> と、幹部は「それは言えない」と言葉を濁した。「もし学会本部も知らない口座や入
> 金があれば横領になるではないか」と私が指摘すると幹部は黙ってしまった。まさか
> そんなことがあったとは思いたくないが、そういう話が流れていたのは事実だ。
(矢野絢也著『乱脈経理』)
創価学会の金集めには、年一回の財務の他にも、新年勤行会などの機会に行われる「広
布基金」や学会施設の建設資金を名目として、地域限定で行われる「特別財務」もある。
広布基金でも、一回で数十憶円は集まるのではないかと推定されている。
しかも、これらの金集めは、宗教法人の「公益事業」とされており、非課税である。
創価学会の資金源には、他にも墓苑事業や、聖教新聞社による新聞事業・出版事業など
の収益事業もある。これらは課税対象になるが、一般企業とは税率が異なる軽減税率が適
用される。
こうして毎年集められる数千億もの金の使い道について、創価学会は非公表を貫いてい
る。全国各地の学会施設の、建設・運営資金に充てられているのは、一部に過ぎないと考
えられる。
創価学会のような危険なカルトが、巨額の資金力を背景に社会的影響力を行使している
現状には憂慮を禁じ得ない。私がネット上で何を訴えたところで、蛙の面に小便なのは、
百も承知だが、今後も声を上げ続けたいと思う。
前回までに、創価学会が例年の「財務」とは別の特例的な金集めで、巨額を集めてきた
ことをみた。創価学会は昭和57年(1982年)頃から、通常の財務でも莫大な金を集めるよう
になっていった。
> この二度の宗門戦争を契機に、学会は日蓮正宗からの独立を模索し、カネは力とば
> かり、「財務」に力を注ぐようになった。第一次宗門戦争の直後の一九八〇(昭和五
> 五)年頃から、学会は、三ケタ財務、すなわち年間一〇〇万円の寄付を学会員に呼び
> かける。
> 当時の大卒サラリーマンの初任給は、一二万円ほどで、一〇〇万円は一般庶民には
> とても払える額ではなかった。それでも、財務は信心の証と指導されている学会員は、
> 爪に火を灯すように生活を切り詰め、財務に励んだ。
> 一〇〇万円財務は、戸田第二代会長の言葉を借りれば、学会が決して手を染めては
> ならない「邪宗教」への第一歩を踏み出した瞬間だった。
> 一九九〇年代に入り、学会が総本山大石寺から破門されると一層、財務主義は強化
> され、「狂乱財務」に拍車がかかる。四ケタ財務と称して、なんと年間一〇〇〇万円
> の寄付を目標としたという。
(矢野絢也著『黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録』)
矢野氏の記述とは、微妙に食い違うが、山崎正友氏も以下のように述べている。
> 通常財務は昭和五十六年までは一五〇億円ほどであった。昭和五十二年、三年頃の
> 副会長会議では、財務一五〇億円でも、会員への相当の負担になることが報告されて
> いた。
> ところが、昭和五十七年には一気に倍加し三〇〇億円に達し、五十八年には四五〇
> 億円、五十九年には一五〇〇億円、六十年、六十一年、六十二年にも同じく一五〇〇
> 億円、六十三年にはなんと二〇〇〇億円が集められたのである(平成元年は長年の過
> 酷な財務がたたり、一〇〇〇億円を割ったと伝えられる)。
(山崎正友著『懺悔の告発』)
※ 批判本を読み比べると「百万円財務」の呼びかけは、昭和55年(1980年)ころから始
まったようだが、それが成果を挙げて、集金額が目に見えて増加したのは、昭和57年
(1982年)だったのかもしれない。
第四代会長の北条浩氏が昭和56年に死去しているが、その後、名誉会長に退いていた
池田氏が再び実権を掌握したことが、57年以降の財務暴走につながったとの指摘もある。
創価学会は平成3年(1992年)に破門されるまでは、日蓮正宗の信徒団体であったので、
財務を集める大義名分にも「日蓮正宗の寺院を建立するため」ということが含まれていた。
しかし、山崎氏の前掲書によれば、実際に日蓮正宗に渡されていたのは、集まったうち
のごく一部で、一例をあげれば昭和57年には、300億円を集めたのに対し、日蓮正宗には
3億円しか渡さなかったという。
また、このような巨額の金集めには、横領等の問題も多かった。昭和63年(1988年)まで
は、財務を各地域の幹部が現金で集めていたこともその一因である。
若い頃に学会の広告塔を務めており、その後、脱会して内情を著書『杉田』で暴露した、
女優の杉田かおる氏は、同書で教団の裏に通じていた「黒幕」と懇意にしていたと明かし、
その「黒幕」の不審な金集めについても述べている。
> だけど、わたしは見てしまったのだ。黒幕が中心になって、善良な教団員からお金
> を集めはじめたのを。その金はお寺に納めるものだと人々を説得していた。だが、本
> 当にお寺に納めるものなら、お寺の名で集めたり、あるいはきちんとした担当者を立
> てて集金し、納めさせればいい。個人的にそういう集金があるって変じゃないか。一
> つおかしいと思うと、次々にいくつかの疑惑が湧いてきて、それはついにぬぐいさる
> ことができなかった。
※ 杉田氏はこの「黒幕」の名は明かしていない。杉田氏は「黒幕」から庇護を受けたと
述べる一方で「彼も詐欺師であり、会のお金を騙し取ったり、ほかの会員からもお金を
取っていた。わたしにもすごく高価な仏壇を売りつけて、ピンハネをしていた」という。
多額の現金を手渡しで集めていたのでは、このような不正が起こるのは防ぎがたい。そ
こで平成元年(1989年)から翌年にかけて、振り込みに改められた。しかし、これでも不正
がなくなったわけでないらしい。
> もっとも銀行振り込みになって学会財務が明朗化したかというと、「必ずしもそう
> でないらしい」と関西本部の幹部職員が声をひそめて話してくれた。この幹部による
> と「大口寄付者に対して別口座への入金、あるいは現金での持参が内々で指導されて
> いる」という。私は驚いて「その口座のことを学会本部は承知しているのか」と聞く
> と、幹部は「それは言えない」と言葉を濁した。「もし学会本部も知らない口座や入
> 金があれば横領になるではないか」と私が指摘すると幹部は黙ってしまった。まさか
> そんなことがあったとは思いたくないが、そういう話が流れていたのは事実だ。
(矢野絢也著『乱脈経理』)
創価学会の金集めには、年一回の財務の他にも、新年勤行会などの機会に行われる「広
布基金」や学会施設の建設資金を名目として、地域限定で行われる「特別財務」もある。
広布基金でも、一回で数十憶円は集まるのではないかと推定されている。
しかも、これらの金集めは、宗教法人の「公益事業」とされており、非課税である。
創価学会の資金源には、他にも墓苑事業や、聖教新聞社による新聞事業・出版事業など
の収益事業もある。これらは課税対象になるが、一般企業とは税率が異なる軽減税率が適
用される。
こうして毎年集められる数千億もの金の使い道について、創価学会は非公表を貫いてい
る。全国各地の学会施設の、建設・運営資金に充てられているのは、一部に過ぎないと考
えられる。
創価学会のような危険なカルトが、巨額の資金力を背景に社会的影響力を行使している
現状には憂慮を禁じ得ない。私がネット上で何を訴えたところで、蛙の面に小便なのは、
百も承知だが、今後も声を上げ続けたいと思う。
「牛乳ビンの念珠」とは?(金集め②-補足)
「牛乳ビンの念珠」とは?(金集め②-補足)
※ 本稿は前回(創価学会の金集め②)の補足です。
池田大作著『人間革命』第一巻に、戸田氏が治安維持法違反で投獄された際の逸話とし
て、以下の記述がある(『人間革命』の本当の著者は、篠原善太郎氏)。
> 独房には、もちろん御本尊はなかった。ロウソクも線香もあるはずがない。彼は、
> 差し入れの牛乳の蓋をためて、それを糸で通し、数珠をつくった。それは、獄中での
> 壮絶無比のたたかいであった。
牛乳の差し入れを受けて、その蓋で小学生でもできる程度の工作をした程度で、「壮絶
無比のたたかい」とは、大げさすぎではないだろうか。
IRAの闘士が、獄中闘争のハンガーストライキで餓死したことがあるが、それと比べ
れば、何ほどのこともない。そもそも、この話の真偽もはっきりしない。
一読して受けた印象だが、『人間革命』には、これ以外にも突っ込みどころが多い。
『人間革命』についても、いずれより詳しい考察をしたい。
※ 創価学会のサイトには、この「牛乳ビンのフタの念珠」の写真が掲載されている。
「恩師記念室」のその後
池田大作専用の豪華施設を、〝宗教施設〟に偽装するために急造された「恩師記念室」
だが、その後、十年を経ずして、元に戻ったようである。
元副会長・福島源次郎氏の「続・誠諫之書」(『蘇生への選択』所収)には、次の記述
がある。
> 十年前、各会館にあった会長室を、当時の外部批判を避けるためとはいえ、牧口先
> 生・戸田先生の遺徳を偲ぶ恩師記念室に改装し、意義ある日に、人数制限ながらも、
> 会員の参観に供していました。当時、私は師恩を忘れぬ先生の措置として感銘を深く
> しました。その恩師記念室は、今、いったいどうなっているのでしょうか。牧口・戸
> 田両先生の遺品も取り除かれ、参観も中止になっていると聞きました。
> それのみか、各会館にあった牧口先生・戸田先生の揮毫も、昨秋の事務局長通達で、
> 全国の会館から撤去され、代りに池田先生の揮毫や先生撮影の写真のみが掲げられま
> した。今年になって、「私が見守ってあげる」との意義で、等身大の胸上写真が掲げ
> られていることを知り唖然としました。このように両先生の処遇の仕方が一貫するこ
> となく、その時、その折りにより、くるくると変化していきます。
※ 「続・誠諫之書」は昭和61年(1986年)に池田氏宛てに提出された。
池田氏はことあるごとに、自分がいかに師である戸田城聖氏に、誠心誠意を尽くして仕
えたかを述べてきたそうだが、実のところそれは、「お前らも俺を見習って、師である俺
に忠誠を尽くせ」と刷り込むことが目的だったのであろう。
上記引用の〝喉元過ぎれば熱さを忘れる〟を地でいく対応には、外部の傍観者である私
でも、さずがに鼻白まざるを得ない。
学会内部で「師弟の道」をさかんに説き、ゴマ源と陰口を叩かれた福島氏をして、唖然
とさせる池田氏の自己宣揚ぶりと、師の軽視には、だれしもが呆れることであろう。
創価学会では「師弟不二」が最重視されているそうだが、その提唱者の池田氏にして、
この体たらくなのだ。このような人物を「師匠」と呼び忠誠を尽くすよりも、自分自身の
人生について、自分の頭で考えて行動した方が、より実り多い人生を送れるのではないだ
ろうか。
※ 本稿は前回(創価学会の金集め②)の補足です。
池田大作著『人間革命』第一巻に、戸田氏が治安維持法違反で投獄された際の逸話とし
て、以下の記述がある(『人間革命』の本当の著者は、篠原善太郎氏)。
> 独房には、もちろん御本尊はなかった。ロウソクも線香もあるはずがない。彼は、
> 差し入れの牛乳の蓋をためて、それを糸で通し、数珠をつくった。それは、獄中での
> 壮絶無比のたたかいであった。
牛乳の差し入れを受けて、その蓋で小学生でもできる程度の工作をした程度で、「壮絶
無比のたたかい」とは、大げさすぎではないだろうか。
IRAの闘士が、獄中闘争のハンガーストライキで餓死したことがあるが、それと比べ
れば、何ほどのこともない。そもそも、この話の真偽もはっきりしない。
一読して受けた印象だが、『人間革命』には、これ以外にも突っ込みどころが多い。
『人間革命』についても、いずれより詳しい考察をしたい。
※ 創価学会のサイトには、この「牛乳ビンのフタの念珠」の写真が掲載されている。
「恩師記念室」のその後
池田大作専用の豪華施設を、〝宗教施設〟に偽装するために急造された「恩師記念室」
だが、その後、十年を経ずして、元に戻ったようである。
元副会長・福島源次郎氏の「続・誠諫之書」(『蘇生への選択』所収)には、次の記述
がある。
> 十年前、各会館にあった会長室を、当時の外部批判を避けるためとはいえ、牧口先
> 生・戸田先生の遺徳を偲ぶ恩師記念室に改装し、意義ある日に、人数制限ながらも、
> 会員の参観に供していました。当時、私は師恩を忘れぬ先生の措置として感銘を深く
> しました。その恩師記念室は、今、いったいどうなっているのでしょうか。牧口・戸
> 田両先生の遺品も取り除かれ、参観も中止になっていると聞きました。
> それのみか、各会館にあった牧口先生・戸田先生の揮毫も、昨秋の事務局長通達で、
> 全国の会館から撤去され、代りに池田先生の揮毫や先生撮影の写真のみが掲げられま
> した。今年になって、「私が見守ってあげる」との意義で、等身大の胸上写真が掲げ
> られていることを知り唖然としました。このように両先生の処遇の仕方が一貫するこ
> となく、その時、その折りにより、くるくると変化していきます。
※ 「続・誠諫之書」は昭和61年(1986年)に池田氏宛てに提出された。
池田氏はことあるごとに、自分がいかに師である戸田城聖氏に、誠心誠意を尽くして仕
えたかを述べてきたそうだが、実のところそれは、「お前らも俺を見習って、師である俺
に忠誠を尽くせ」と刷り込むことが目的だったのであろう。
上記引用の〝喉元過ぎれば熱さを忘れる〟を地でいく対応には、外部の傍観者である私
でも、さずがに鼻白まざるを得ない。
学会内部で「師弟の道」をさかんに説き、ゴマ源と陰口を叩かれた福島氏をして、唖然
とさせる池田氏の自己宣揚ぶりと、師の軽視には、だれしもが呆れることであろう。
創価学会では「師弟不二」が最重視されているそうだが、その提唱者の池田氏にして、
この体たらくなのだ。このような人物を「師匠」と呼び忠誠を尽くすよりも、自分自身の
人生について、自分の頭で考えて行動した方が、より実り多い人生を送れるのではないだ
ろうか。
創価学会の金集め②
※ 承前(①、①-補足)
大石寺正本堂建立の次の大規模な金集めは、昭和50年(1975年)から52年(1977年)にかけ
ての〝特別財務〟だった。これについて、山崎正友氏は『懺悔の告発』でこう述べている。
> 口火は、九州担当の副会長であった福島源次郎氏が切った。九州で「池田先生に帰
> 命しよう」と唱え、「特別財務で会館や研修道場を作り、御本仏・池田大作先生に御
> 供養しよう」と檄を飛ばし、信じられないほどの大金を集めた。これに味をしめた池
> 田大作は、全国に〝特別財務〟という名目で金集めを指示した。早速、昭和五十年か
> ら五十二年にかけて千三百億円を集め、全国に豪華な施設を作る計画が立てられた。
> この〝特別財務〟によって全国に作られた施設に、池田大作の〝超豪華専用施設〟
> が設けられた。それは、池田大作の要求と、ゴマスリ競争に駆り立てられた地域幹部
> との相乗効果によって、止まるところを知らずエスカレートした。建設予算の半分以
> 上が、豪華専用施設のために費やされたが、その結果、桧風呂や大理石風呂、プール
> やトレーニングルーム付き、サービス係の女性部屋、絨毯張りのトイレ等々、信じら
> れないような施設が全国各地に出来上った。
福島源次郎氏は「誠諫の書」(『蘇生への選択』所収)で、この九州での特別財務につ
いて、「私も、かつて学会初めての特別財務を、先生の指示で九州が行った際、慎重にと
心掛けたにも拘らず、行き過ぎの事例が生じ、当時の最高責任者として忸怩たるものがご
ざいます」と、池田氏の指示によるものだったと、明確に述べている。
※ 「誠諫の書」は福島氏が池田氏を諫めるために書いた手紙で、文中の「先生」とは
「池田先生」のことである。
また、昭和50年から52年にかけての特別財務で実際に集まったのは、以下に述べる民社
党の横槍で中断したこともあり、670億円程度だったという。
『懺悔の告発』によれば上記〝超豪華専用施設〟とは、「ラブホテルまがいの構造の、
悪趣味で金ばかりかかった」代物で、「池田大作は、これらの施設に、学会幹部の妻とな
っている女性や第一庶務の女性とともに泊まり歩いた」という。
これが信者から「御本仏」と崇拝されている教祖の行状なのだから恐れ入る。
だが、こんなものを〝宗教施設〟というのはさすがに無理があり、国会で問題にされか
けたという。
昭和52年(1977年)、民社党が上記の実態を国会で取り上げると公明党に通告した。
実態として宗教施設でないものが、非課税になっているのはおかしいというのが、その
趣旨である。
しかしこれは、創価学会から選挙協力を引き出すためのブラフだったらしく、この年の
参院選以降、選挙協力を行うことで折り合い、同党は実際には国会での質問はしなかった。
一方で、今後のことを考えて、こうした施設について偽装工作も行なわれた。
以下、矢野絢也氏、山崎正友氏の著作から引用する。
> 結局、こうした施設に牧口初代会長や戸田第二代会長の遺品など、記念物を大慌て
> で運び込み、「池田氏専用施設ではない。これは記念館だ。資料室だ」という説明を
> 後から付けた。会館の部屋も「恩師記念室」「資料室」へと名前を変えた。要は国税
> 対策である。せっかく造った庭園はつぶされ、松などの植栽は掘り返され、立派な庭
> 石は捨てられた。プール付きの施設もあったが、学会系列の建設会社がトラックで土
> を運んで、埋めてしまった。
(矢野絢也著『私が愛した池田大作』より引用)
しかし、こうした偽装を目的とした「恩師記念室」はかなりいい加減なものだったよう
である。
> 急造の〝恩師記念室〟では、戸田城聖二代会長が獄中で使用したとされる、牛乳ビ
> ンのフタを糸で綴った念珠などが置かれ、参拝した会員を感動させる仕組になってい
> たが、ある会員が目を近づけて見ると、牛乳ビンのフタの日付けがなんと昭和五十二
> 年五月となっていたので不信を抱き、やがてこれがきっかけで退会してしまった。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
※ 戸田第二代会長が獄中にいたのは戦時中のことで、戸田氏は昭和33年に死去している。
その他にも宗教施設にふさわしくないものを取り壊したり、埋めたりと、かなりの金額
をかけて隠蔽工作・偽装工作を行なったという。
しかし、これらの〝池田専用施設〟は、その後、さらに豪華になって復活しているとい
う。今度は最初から「恩師記念館」と偽装されているが、実態は池田氏専用であることに
変わりない。
> 軽井沢の研修道場など、全国にある池田氏専用施設も豪華さでは引けを取らない。
> 軽井沢の研修道場の奥には池田氏と限られた人しか入ることが許されていない池田氏
> の専用施設がある。柱や壁、障子、襖などすべてに最高級品を使用。風呂場には池田
> 氏のために檜づくりの大きな浴槽がしつらえてある。この池田氏の専用施設は、建て
> 前上は「恩師記念館」と呼ばれている。国税対策のカモフラージュのためだ。「御自
> 分の贅沢に恩師の名を僭称するとは、冒瀆ではないか」と、ある公明党議員は毒づい
> ていた。
(矢野絢也著『乱脈経理』より引用)
引用のように、実態を知って批判する人もいるようだが、末端の学会員のほとんどは、
このようなことは知らされておらず、財務についても「自分は納得して払っており、搾取
ではない」と言う者も少なくない。
だが、「広宣流布のため」と集められた金が、上記のように使われていると知っても納
得できるのだろうか。
(次回に続く)
参考
池田大作の乱脈な女性関係については、以前2chに書き込んだ。
興味のある方は、以下をお読みいただければと思う。
『月刊ペン』事件について(1)事件の概要
『月刊ペン』事件について(2)一審差し戻しを決定した最高裁判決
『月刊ペン』事件について(3)元創価学会教学部長・原島嵩氏の証言
『月刊ペン』事件について(4)内弁慶・池田大作
『月刊ペン』事件について(5)後日談
池田大作氏の放縦の犠牲者
隠し子疑惑
大石寺正本堂建立の次の大規模な金集めは、昭和50年(1975年)から52年(1977年)にかけ
ての〝特別財務〟だった。これについて、山崎正友氏は『懺悔の告発』でこう述べている。
> 口火は、九州担当の副会長であった福島源次郎氏が切った。九州で「池田先生に帰
> 命しよう」と唱え、「特別財務で会館や研修道場を作り、御本仏・池田大作先生に御
> 供養しよう」と檄を飛ばし、信じられないほどの大金を集めた。これに味をしめた池
> 田大作は、全国に〝特別財務〟という名目で金集めを指示した。早速、昭和五十年か
> ら五十二年にかけて千三百億円を集め、全国に豪華な施設を作る計画が立てられた。
> この〝特別財務〟によって全国に作られた施設に、池田大作の〝超豪華専用施設〟
> が設けられた。それは、池田大作の要求と、ゴマスリ競争に駆り立てられた地域幹部
> との相乗効果によって、止まるところを知らずエスカレートした。建設予算の半分以
> 上が、豪華専用施設のために費やされたが、その結果、桧風呂や大理石風呂、プール
> やトレーニングルーム付き、サービス係の女性部屋、絨毯張りのトイレ等々、信じら
> れないような施設が全国各地に出来上った。
福島源次郎氏は「誠諫の書」(『蘇生への選択』所収)で、この九州での特別財務につ
いて、「私も、かつて学会初めての特別財務を、先生の指示で九州が行った際、慎重にと
心掛けたにも拘らず、行き過ぎの事例が生じ、当時の最高責任者として忸怩たるものがご
ざいます」と、池田氏の指示によるものだったと、明確に述べている。
※ 「誠諫の書」は福島氏が池田氏を諫めるために書いた手紙で、文中の「先生」とは
「池田先生」のことである。
また、昭和50年から52年にかけての特別財務で実際に集まったのは、以下に述べる民社
党の横槍で中断したこともあり、670億円程度だったという。
『懺悔の告発』によれば上記〝超豪華専用施設〟とは、「ラブホテルまがいの構造の、
悪趣味で金ばかりかかった」代物で、「池田大作は、これらの施設に、学会幹部の妻とな
っている女性や第一庶務の女性とともに泊まり歩いた」という。
これが信者から「御本仏」と崇拝されている教祖の行状なのだから恐れ入る。
だが、こんなものを〝宗教施設〟というのはさすがに無理があり、国会で問題にされか
けたという。
昭和52年(1977年)、民社党が上記の実態を国会で取り上げると公明党に通告した。
実態として宗教施設でないものが、非課税になっているのはおかしいというのが、その
趣旨である。
しかしこれは、創価学会から選挙協力を引き出すためのブラフだったらしく、この年の
参院選以降、選挙協力を行うことで折り合い、同党は実際には国会での質問はしなかった。
一方で、今後のことを考えて、こうした施設について偽装工作も行なわれた。
以下、矢野絢也氏、山崎正友氏の著作から引用する。
> 結局、こうした施設に牧口初代会長や戸田第二代会長の遺品など、記念物を大慌て
> で運び込み、「池田氏専用施設ではない。これは記念館だ。資料室だ」という説明を
> 後から付けた。会館の部屋も「恩師記念室」「資料室」へと名前を変えた。要は国税
> 対策である。せっかく造った庭園はつぶされ、松などの植栽は掘り返され、立派な庭
> 石は捨てられた。プール付きの施設もあったが、学会系列の建設会社がトラックで土
> を運んで、埋めてしまった。
(矢野絢也著『私が愛した池田大作』より引用)
しかし、こうした偽装を目的とした「恩師記念室」はかなりいい加減なものだったよう
である。
> 急造の〝恩師記念室〟では、戸田城聖二代会長が獄中で使用したとされる、牛乳ビ
> ンのフタを糸で綴った念珠などが置かれ、参拝した会員を感動させる仕組になってい
> たが、ある会員が目を近づけて見ると、牛乳ビンのフタの日付けがなんと昭和五十二
> 年五月となっていたので不信を抱き、やがてこれがきっかけで退会してしまった。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
※ 戸田第二代会長が獄中にいたのは戦時中のことで、戸田氏は昭和33年に死去している。
その他にも宗教施設にふさわしくないものを取り壊したり、埋めたりと、かなりの金額
をかけて隠蔽工作・偽装工作を行なったという。
しかし、これらの〝池田専用施設〟は、その後、さらに豪華になって復活しているとい
う。今度は最初から「恩師記念館」と偽装されているが、実態は池田氏専用であることに
変わりない。
> 軽井沢の研修道場など、全国にある池田氏専用施設も豪華さでは引けを取らない。
> 軽井沢の研修道場の奥には池田氏と限られた人しか入ることが許されていない池田氏
> の専用施設がある。柱や壁、障子、襖などすべてに最高級品を使用。風呂場には池田
> 氏のために檜づくりの大きな浴槽がしつらえてある。この池田氏の専用施設は、建て
> 前上は「恩師記念館」と呼ばれている。国税対策のカモフラージュのためだ。「御自
> 分の贅沢に恩師の名を僭称するとは、冒瀆ではないか」と、ある公明党議員は毒づい
> ていた。
(矢野絢也著『乱脈経理』より引用)
引用のように、実態を知って批判する人もいるようだが、末端の学会員のほとんどは、
このようなことは知らされておらず、財務についても「自分は納得して払っており、搾取
ではない」と言う者も少なくない。
だが、「広宣流布のため」と集められた金が、上記のように使われていると知っても納
得できるのだろうか。
(次回に続く)
参考
池田大作の乱脈な女性関係については、以前2chに書き込んだ。
興味のある方は、以下をお読みいただければと思う。
『月刊ペン』事件について(1)事件の概要
『月刊ペン』事件について(2)一審差し戻しを決定した最高裁判決
『月刊ペン』事件について(3)元創価学会教学部長・原島嵩氏の証言
『月刊ペン』事件について(4)内弁慶・池田大作
『月刊ペン』事件について(5)後日談
池田大作氏の放縦の犠牲者
隠し子疑惑
金庫事件(金集め①-補足)
※ 本稿は前回(創価学会の金集め①)の補足です。
前回引用した一節にある「海外会員からの約八億円の金」が、その後どうなったかにつ
いて補足する(重複するが、以下に再度引用する)。
> また、海外会員からの約八億円の金も、正本堂関係に全く使われていない。現地の銀
> 行から先はその行方も不明である。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
平成元年(1989年)6月30日、横浜市のゴミ処分場に捨てられてた古金庫から、一億七千
万円の現金が見つかった。この事件は、各紙が一面で報道し、大きな話題となった。
翌日の聖教新聞も、「寸鉄」というコラム欄で、「今度は廃品金庫から一億七〇〇〇万
円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画か縮図か」などと批判的に取り上げた。
しかし、この金庫の出所は、創価学会の関連企業、日本図書輸送であることが早々と特
定され、7月3日には、日本図書輸送の社長とともに、学会幹部、中西治雄氏が記者会見を
開いた。
中西氏は、自分が副業で土産物屋を経営し、儲けを脱税した金だと説明した。だが、中
西氏は〝創価学会の金庫番〟といわれた人物であり、この説明は当初から疑問視されてい
た。
中西氏は、古くから池田大作名誉会長の側近であり、当時の学会では、金に関すること
では、会長(当時)の秋谷氏以上の実権を持つとみられていた。
当然、金庫から見つかった一億七千万円も、池田氏の裏金でないか、中西氏がかばって
ウソの証言をしたのではないかと取り沙汰された。
その後も、真相は明らかにならず、この事件の報道も次第に減っていった。だが、信憑
性にいくぶん難のある匿名での証言ではあるが、この金の出所が述べられた本がある。ジ
ャーナリスト、永島雪夫氏の著書『創価学会 池田王国の崩壊』である。
この本は平成4年(1992年)に出版され、学会副会長を名乗る人物の証言が掲載されてい
る。それによると、事件の金は正本堂建立を名目として、アメリカで集められた金が出所
だという。アメリカからの金は、一時期、沖縄(当時アメリカ施政下)に、ドルで貯めら
れていた。
池田氏は、この金を自分の海外旅行の費用に使いこんでいたが、沖縄の経理部長は、正
本堂の建立のために集めた金を、池田氏が使うのはおかしいと申し立てたという。
しかし、学会内で池田氏に立てつく者の例に漏れず、この経理部長もクビになり、池田
氏の資金流用が表沙汰になることはなかった。
とはいうものの、問題が大きくなることを恐れて、残りの金は日本に移すことになった
という。日本に持ち込むに際には、不正な送金手段がとられ、国内で日本円に両替された。
この金を、中西氏が金庫に入れたまま、それを失念し、学会関連企業の日本図書輸送が
中味を知らずに廃棄して、騒動になったわけである。
中西氏は日頃から、〝創価学会の金庫番〟として、あまりに巨額の金を動かしていたの
で、この金のことは事件になるまで、すっかり忘れてしまっていたらしい。
これが事実なら、裏金説が正しかったことになる。繰り返すが、この証言はあくまで匿
名でなされたものなので、どこまで信頼すべきか、判断に難しい。
私個人としては、当事者でなければ知り得ないことを、詳しく述べているので、説得力
があると感じた。少なくとも中西氏が副業で儲けた金という説明よりは、信憑性があると
思う。
中西氏はその後、創価学会を離れ、日蓮正宗の信者になったという。もし彼が暴露本を
書けば、大変な内容になると思われるが、彼自身、裏金を扱う過程で、池田氏の容認のも
と、巨利を得ていたらしいので、それは難しいようである。
前回引用した一節にある「海外会員からの約八億円の金」が、その後どうなったかにつ
いて補足する(重複するが、以下に再度引用する)。
> また、海外会員からの約八億円の金も、正本堂関係に全く使われていない。現地の銀
> 行から先はその行方も不明である。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
平成元年(1989年)6月30日、横浜市のゴミ処分場に捨てられてた古金庫から、一億七千
万円の現金が見つかった。この事件は、各紙が一面で報道し、大きな話題となった。
翌日の聖教新聞も、「寸鉄」というコラム欄で、「今度は廃品金庫から一億七〇〇〇万
円。ゴミの中から。欲ボケ社会の戯画か縮図か」などと批判的に取り上げた。
しかし、この金庫の出所は、創価学会の関連企業、日本図書輸送であることが早々と特
定され、7月3日には、日本図書輸送の社長とともに、学会幹部、中西治雄氏が記者会見を
開いた。
中西氏は、自分が副業で土産物屋を経営し、儲けを脱税した金だと説明した。だが、中
西氏は〝創価学会の金庫番〟といわれた人物であり、この説明は当初から疑問視されてい
た。
中西氏は、古くから池田大作名誉会長の側近であり、当時の学会では、金に関すること
では、会長(当時)の秋谷氏以上の実権を持つとみられていた。
当然、金庫から見つかった一億七千万円も、池田氏の裏金でないか、中西氏がかばって
ウソの証言をしたのではないかと取り沙汰された。
その後も、真相は明らかにならず、この事件の報道も次第に減っていった。だが、信憑
性にいくぶん難のある匿名での証言ではあるが、この金の出所が述べられた本がある。ジ
ャーナリスト、永島雪夫氏の著書『創価学会 池田王国の崩壊』である。
この本は平成4年(1992年)に出版され、学会副会長を名乗る人物の証言が掲載されてい
る。それによると、事件の金は正本堂建立を名目として、アメリカで集められた金が出所
だという。アメリカからの金は、一時期、沖縄(当時アメリカ施政下)に、ドルで貯めら
れていた。
池田氏は、この金を自分の海外旅行の費用に使いこんでいたが、沖縄の経理部長は、正
本堂の建立のために集めた金を、池田氏が使うのはおかしいと申し立てたという。
しかし、学会内で池田氏に立てつく者の例に漏れず、この経理部長もクビになり、池田
氏の資金流用が表沙汰になることはなかった。
とはいうものの、問題が大きくなることを恐れて、残りの金は日本に移すことになった
という。日本に持ち込むに際には、不正な送金手段がとられ、国内で日本円に両替された。
この金を、中西氏が金庫に入れたまま、それを失念し、学会関連企業の日本図書輸送が
中味を知らずに廃棄して、騒動になったわけである。
中西氏は日頃から、〝創価学会の金庫番〟として、あまりに巨額の金を動かしていたの
で、この金のことは事件になるまで、すっかり忘れてしまっていたらしい。
これが事実なら、裏金説が正しかったことになる。繰り返すが、この証言はあくまで匿
名でなされたものなので、どこまで信頼すべきか、判断に難しい。
私個人としては、当事者でなければ知り得ないことを、詳しく述べているので、説得力
があると感じた。少なくとも中西氏が副業で儲けた金という説明よりは、信憑性があると
思う。
中西氏はその後、創価学会を離れ、日蓮正宗の信者になったという。もし彼が暴露本を
書けば、大変な内容になると思われるが、彼自身、裏金を扱う過程で、池田氏の容認のも
と、巨利を得ていたらしいので、それは難しいようである。
創価学会の金集め①
創価学会は毎年、「財務」と称して学会員から寄付金を集めているが、この財務につい
て、創価学会はほとんど情報を公開していない。いくら集まり、何に使ったか、一切非公
表である。
一口一万円からで上限はなく、多い者は一千万円以上も出すことや、毎年、数千億円に
も達すること、強制ではないと言いながら、事実上、半強制であること、不祥事が多いこ
となどは、以前2chで書いた。
このえげつない金集めには、ほとんどの人が眉を顰めることであろう。だが、創価学会
が自称する「金のかからない宗教」が、おおむねその通りであった時期も、かつてはあっ
たのである。
財務という制度は、昭和26年(1951年)、戸田城聖氏が第二代会長に就任した直後に導入
された。経済的に余裕がある者だけが財務部員となり、当初その割合は学会員のごく一部
に過ぎなかった。
昭和40年代の財務は、一回千円ずつ年四回、合計で四千円という定額制だった。もっと
も、当時の四千円は、現在とはだいぶ価値が違うが。
財務部員は次第に増え、昭和45年(1970年)の財務集金額は、約30億円だった。
昭和53年(1978年)、財務は年一回、一口一万円からに変更、「財務部員」の名称も
「広布部員」に改められ、大半の世帯が財務をするようになった。これにより、毎年150
億円程度集まるようになった。
それが、現在の創価学会は、かつてより大幅に多い、毎年数千億円の金を集めていると
いわれる。この金満教団は、一朝一夕にしてなったのではない。その過程を述べたい。
創価学会の最初の大規模な金集めは、昭和40年(1965年)、日蓮正宗総本山大石寺の正本
堂を建立するためとの名目で行われた。これについて、元公明党委員長・矢野絢也氏は、
以下のように述べている。
> この建設資金を募るため、一九六五(昭和四〇)年、学会ではすさまじい勢いで浄
> 財が集められた。「将来の広宣流布達成の象徴」と信仰的意義を煽られ、学会員たち
> は金額を競うようにして、ご供養作戦を展開した。生命保険を解約する者。家財道具
> から車まで売り払う者。借金して生活が破綻する者も相次いだ。そうしてたったの四
> 日間で、三五五億円もの献金が集められたのである。池田氏が目標として掲げていた
> のが「三〇億円」だったから、実に一〇倍以上という成果だった。
> ラーメン一杯七〇円の時代である。今の金額に換算すれば三〇〇〇億円にはなるだ
> ろう。
(『私が愛した池田大作』より引用)
この正本堂建立資金については、元公明党国会議員・福本潤一氏も以下のように述べて
いる。
> これは「最後のご供養」と言われていまして、「以降、一切おカネを払う必要はな
> い」と言われていました。この機会にめぐり逢えたのは今生の幸せと触れ回り、家を
> 売ったり、保険を解約したりして、寄付をした創価学会員もいました。
(『創価学会公明党「金と品位」』より引用)
この正本堂は昭和47年(1972年)に完成し、「千年はもつ」などと喧伝されたが、創価
学会が日蓮正宗から破門された後、平成11年(1999年)、日蓮正宗により取り壊されてい
る。また、この時集まった金は、実は355億円よりずっと多かったとの証言もある。
> 昭和四十年に、正本堂建立の御供養が三五五億円集まった。後にこれについて池田
> は、「発表以外に百億はやった、また稼ぐよ」と発言したことは有名である。
> 某有力銀行の調査として、昭和四十四年時の学会の銀行預金高が公表されている。
> それによると、三菱銀行=二二〇億円、三菱信託銀行=五〇億円、富士銀行=六〇億
> 円など総額五五三億円にのぼるという。当時、正本堂の募財以外に学会にはほとんど
> 金がなく(大客殿、学会本部の建設等に使った)この五五三億円のほとんどは正本堂
> 御供養金が銀行に預けられたと推定される。とすれば「公表以外の百億」だと、利息
> を含めて数字が符号する。つまり、三五五億円ではなく、四六〇億円くらい集められ
> た可能性が強い。その差額一〇〇億円はどこかに消えた。また、海外会員からの約八
> 億円の金も、正本堂関係に全く使われていない。現地の銀行から先はその行方も不明
> である。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
100億円もの使途不明金があるとは驚きであるが、創価学会が多額の金を集め、本来の目
的とは違う用途に流用するのは、これに限ったことではない。山崎氏は前掲書で上記に続
けて、以下のようにも述べている。
> 全国都道府県に「広宣流布の碑」を建てて名前を刻印する時もそうだった。県単位
> で、一〇億から二〇億の金を集めたが、たかだか五〇〇万円から一〇〇〇万円の石碑
> で会員をだまし、巻き上げた金はそのままプールされていく。
上記の大石寺正本堂建立にかかる金集めで、当初の予定を大幅に上回る金額が集まった
ことがエポックメイキングとなり、創価学会の金権体質はそれ以降、加速していく。
「最後のご供養」どころか、現在の創価学会では巨額の金集めが、毎年恒例になってし
まっている。
「カネのかからない宗教」を標榜し、他の新興宗教を「カネ取り宗教」と批判していた、
当初の志はどこへ行ったのだろう。古参の学会員は疑問に思わないのであろうか。
※ 「創価学会の金集めについて」は書くべきことが多いので、数回に分けて書きます。
なお、上記の山崎氏の著書からの引用にある「海外会員からの約八億円の金」につい
ては、次回詳述します。
て、創価学会はほとんど情報を公開していない。いくら集まり、何に使ったか、一切非公
表である。
一口一万円からで上限はなく、多い者は一千万円以上も出すことや、毎年、数千億円に
も達すること、強制ではないと言いながら、事実上、半強制であること、不祥事が多いこ
となどは、以前2chで書いた。
このえげつない金集めには、ほとんどの人が眉を顰めることであろう。だが、創価学会
が自称する「金のかからない宗教」が、おおむねその通りであった時期も、かつてはあっ
たのである。
財務という制度は、昭和26年(1951年)、戸田城聖氏が第二代会長に就任した直後に導入
された。経済的に余裕がある者だけが財務部員となり、当初その割合は学会員のごく一部
に過ぎなかった。
昭和40年代の財務は、一回千円ずつ年四回、合計で四千円という定額制だった。もっと
も、当時の四千円は、現在とはだいぶ価値が違うが。
財務部員は次第に増え、昭和45年(1970年)の財務集金額は、約30億円だった。
昭和53年(1978年)、財務は年一回、一口一万円からに変更、「財務部員」の名称も
「広布部員」に改められ、大半の世帯が財務をするようになった。これにより、毎年150
億円程度集まるようになった。
それが、現在の創価学会は、かつてより大幅に多い、毎年数千億円の金を集めていると
いわれる。この金満教団は、一朝一夕にしてなったのではない。その過程を述べたい。
創価学会の最初の大規模な金集めは、昭和40年(1965年)、日蓮正宗総本山大石寺の正本
堂を建立するためとの名目で行われた。これについて、元公明党委員長・矢野絢也氏は、
以下のように述べている。
> この建設資金を募るため、一九六五(昭和四〇)年、学会ではすさまじい勢いで浄
> 財が集められた。「将来の広宣流布達成の象徴」と信仰的意義を煽られ、学会員たち
> は金額を競うようにして、ご供養作戦を展開した。生命保険を解約する者。家財道具
> から車まで売り払う者。借金して生活が破綻する者も相次いだ。そうしてたったの四
> 日間で、三五五億円もの献金が集められたのである。池田氏が目標として掲げていた
> のが「三〇億円」だったから、実に一〇倍以上という成果だった。
> ラーメン一杯七〇円の時代である。今の金額に換算すれば三〇〇〇億円にはなるだ
> ろう。
(『私が愛した池田大作』より引用)
この正本堂建立資金については、元公明党国会議員・福本潤一氏も以下のように述べて
いる。
> これは「最後のご供養」と言われていまして、「以降、一切おカネを払う必要はな
> い」と言われていました。この機会にめぐり逢えたのは今生の幸せと触れ回り、家を
> 売ったり、保険を解約したりして、寄付をした創価学会員もいました。
(『創価学会公明党「金と品位」』より引用)
この正本堂は昭和47年(1972年)に完成し、「千年はもつ」などと喧伝されたが、創価
学会が日蓮正宗から破門された後、平成11年(1999年)、日蓮正宗により取り壊されてい
る。また、この時集まった金は、実は355億円よりずっと多かったとの証言もある。
> 昭和四十年に、正本堂建立の御供養が三五五億円集まった。後にこれについて池田
> は、「発表以外に百億はやった、また稼ぐよ」と発言したことは有名である。
> 某有力銀行の調査として、昭和四十四年時の学会の銀行預金高が公表されている。
> それによると、三菱銀行=二二〇億円、三菱信託銀行=五〇億円、富士銀行=六〇億
> 円など総額五五三億円にのぼるという。当時、正本堂の募財以外に学会にはほとんど
> 金がなく(大客殿、学会本部の建設等に使った)この五五三億円のほとんどは正本堂
> 御供養金が銀行に預けられたと推定される。とすれば「公表以外の百億」だと、利息
> を含めて数字が符号する。つまり、三五五億円ではなく、四六〇億円くらい集められ
> た可能性が強い。その差額一〇〇億円はどこかに消えた。また、海外会員からの約八
> 億円の金も、正本堂関係に全く使われていない。現地の銀行から先はその行方も不明
> である。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
100億円もの使途不明金があるとは驚きであるが、創価学会が多額の金を集め、本来の目
的とは違う用途に流用するのは、これに限ったことではない。山崎氏は前掲書で上記に続
けて、以下のようにも述べている。
> 全国都道府県に「広宣流布の碑」を建てて名前を刻印する時もそうだった。県単位
> で、一〇億から二〇億の金を集めたが、たかだか五〇〇万円から一〇〇〇万円の石碑
> で会員をだまし、巻き上げた金はそのままプールされていく。
上記の大石寺正本堂建立にかかる金集めで、当初の予定を大幅に上回る金額が集まった
ことがエポックメイキングとなり、創価学会の金権体質はそれ以降、加速していく。
「最後のご供養」どころか、現在の創価学会では巨額の金集めが、毎年恒例になってし
まっている。
「カネのかからない宗教」を標榜し、他の新興宗教を「カネ取り宗教」と批判していた、
当初の志はどこへ行ったのだろう。古参の学会員は疑問に思わないのであろうか。
※ 「創価学会の金集めについて」は書くべきことが多いので、数回に分けて書きます。
なお、上記の山崎氏の著書からの引用にある「海外会員からの約八億円の金」につい
ては、次回詳述します。
2017年3月4日土曜日
2chスレ立て用テンプレ6~9
創価学会がカルトである理由 その6 支離滅裂な教義(1)
創価学会は、法華経が唯一の正しい経典で、日蓮は一切衆生を救済する「末法の本仏」
であり、自派のみがその教えを正しく受け継いでいると主張し、「南無妙法蓮華経」の題
目を唱えるが、実のところ、創価学会の教義は、法華経や日蓮の教えとは大きく異なって
いる(法華経の正式名称が「妙法蓮華経」である)。
・ 創価学会の本尊は、日蓮が考案した十界曼荼羅というものがもとになっている。
創価学会が日蓮正宗の檀徒であった頃は、日蓮正宗総本山、大石寺(静岡県富士宮市)
大御本尊のみが日蓮の残した中で唯一正統であるとし、大石寺法主がそれを書写した
ものの複製を仏壇に安置していた。
日蓮正宗から破門された現在は、日蓮正宗寺院でありながら、創価学会側についた
浄圓寺(栃木県小山市)が所蔵していた江戸時代の大石寺法主、日寛が書写した本尊
を画像化し、さらに画像処理ソフトで加工後、複製した大量生産品を信仰の対象とし
ている(安っぽいので「カラーコピー」と揶揄されている)。
また、日蓮直筆の本尊が、120あまり現存しているにもかかわらず、創価学会はそれ
らを否定している。
大石寺の本尊自体、日禅授与本尊を模刻した贋作といわれており、日蓮直筆本尊を
否定して、贋作のさらに模造品を崇めておきながら、「唯一の正しい宗教」を僭称して
いるのが創価学会である。
・ 日蓮は仏教の開祖である釈尊を深く敬っており、自らが釈尊にとってかわる「末法
の本仏」であるなどという不遜なことは言っていない。
創価学会がカルトである理由 その6 支離滅裂な教義(2)
・ 創価学会員は「鳥居をくぐると地獄に堕ちる」と主張するが、日蓮はそんなことは
言っていない。
日蓮は、天照大神は「此国の一切衆生の慈父悲母なり」と述べており、伊勢神宮に
参拝したとの伝承もある。
・ 法華経は観音信仰を説いた経典であるが、創価学会は観音信仰を否定している。
観音菩薩は、観世音菩薩・観自在菩薩ともいわれ、法華経の観世音菩薩普門品には、
観音菩薩に帰依することで、様々な功徳が得られると説かれている(観世音菩薩普門
品の通称が「観音経」である)。
※ 天台宗や真言宗では、観音菩薩の様々な化身が六観音として信仰されている。
臨済宗・曹洞宗では朝夕の勤行で、法華経の観世音菩薩普門品が読誦されている。
浄土宗では阿弥陀如来・勢至菩薩・観音菩薩の阿弥陀三尊が本尊とされている。
浄土真宗の宗祖、親鸞は観音菩薩を信仰しており、観音菩薩から何度も夢告を受
けたと伝えられる。
そして、日蓮宗でも観音菩薩は信仰の対象になっている。
このように、多くの伝統仏教宗派で観音菩薩が信仰されているが、その根拠は法
華経である。
◎創価学会こそが、法華経や日蓮の教えを否定する謗法団体である。
創価学会がカルトである理由 その7 信者に対する洗脳
創価学会の教義は上記のように支離滅裂であるにもかかわらず、自分たちだけが正しい
宗教で、他の宗教はすべて間違いであると主張し、信者に対しては、創価を少しでも疑え
ば地獄に堕ちると教え込んでいる。
そのため、学会員は神社や寺院のお守り等には科学的な根拠がないとして否定する一方
で、創価学会の工業的に量産された本尊には、あらゆる願いを叶える人知を超えた超自然
的な力があると信じている。
その他にも、「創価学会のための使ったお金は全部もどってくる」「財務をすると何倍
にもなって返ってくる」と座談会などで刷り込んでおり、特に生まれながらの創価信者
(学会では「福子」という)は、何かよいことがあれば信心の功徳、悪いことがあれば信
心が足りないせいと考えるように、子供のころから洗脳されている。
創価学会は、創価以外の宗教を罵倒するのがあたり前だと考え、幹部の指示に盲従する
人間を量産しており、創価学会員のほとんどは、「信教の自由」を基本的人権として尊重
しようとする姿勢を微塵も持っていない。
これが学会員が、学会から都合のいいように利用され、搾取されながらも、創価学会を
まったく疑わずに、人権侵害そのものとも言える強引な勧誘を行い、組織的な嫌がらせ等
の問題を惹き起してきた背景である。
また、学会員の中には、他の会員より多くの折伏やF取りを達成すると、より多くの福
運(現世利益)が得られると信じている者もいる。その心理は、ノルマを超過達成する
と、その分所得が増える営業マンの心理に近い。
特にしつこい勧誘や投票依頼をする学会員には、このタイプが多い(この手合いを「学
会屋」という)。
創価学会がカルトである理由 その8 学会員の独善的な言動
学会員には「創価学会は唯一の正しい宗教であり、その信者である自分は、学会員では
ない一般人より高みにある」という、根拠のない優越感を持った者が多い。この思い込み
が彼らを自信過剰にし、時に傲慢な態度をとらせる。
それが、一番はっきりと表れるのは、彼らの強引な布教活動、すなわち折伏の時である。
例えば、学会員は折伏の際、他の宗教を否定する理由として、「科学的根拠がない」と
よく口にする。
確かに、神や仏といった超自然的存在を科学的に証明した例はないし、信仰による現世
利益にも科学的根拠などないだろう(もしあるとしてもプラシーボ効果くらいか)。
だが、この点は創価学会についても、まったく同じである。
「日蓮は末法の本仏である」、「池田大作は日蓮の生まれ変わり」、「創価のカラーコ
ピー本尊に題目を唱えると願いがかなう」、「財務をすると何倍にもなって返ってくる」
といった、彼らの主張にはまったく科学的根拠などない。
しかも、学会員のほとんど全員が、この明白なダブルスタンダードについて、完全に無
自覚である。
外部からみれば、このような臆面のないダブルスタンダードは、学会員が洗脳されてい
る証拠以外の何物でもない。
さらに学会員は、矛盾を指摘されたり、創価学会の反社会性を批判されりすると、「自
分たちが正しい仏法を広めようとしているので、三障四魔が起こった。このような法難を
受けることこそ、学会の正しさの証明だ」と考える。
このような無反省で、独善的な態度を押し通そうとするから嫌われるのであるが、彼ら
は意に介さない。洗脳され切った学会員は、他人の迷惑を顧みず、折伏や投票依頼を行お
うとするが、創価学会の支離滅裂ぶりを知っていれば、彼らの根拠のない自信に気おされ
て、屈する事はないはずである。
創価学会がカルトである理由 その9 学会員が反社会的行動をとる原因
1、創価学会のみが唯一の正統な仏法であるという独善性
2、仏法(=創価学会)は、国法(法律)や世法(常識)に優越するという社会規範の軽視
3、折伏という強引な布教により教勢拡大を図る戦闘性
4、即物的な現世利益に極端に偏った、精神性が欠如した信仰
5、選挙運動という政治活動と、宗教活動とを一体化させる政教一致
6、公権力の私物化により、創価学会員への利益誘導を図る公共意識の欠如
7、最高指導者(池田名誉会長)が、ルサンチマン(特に報復感情)に動機づけられていること
8、その池田名誉会長への絶対服従を求める個人崇拝
9、直面する問題を、密室での談合や相手への嫌がらせなどで解決しようとする謀略体質
10、会員に対して、社会常識から逸脱した過大な金銭的貢献を求める金権体質
11、上記(1~10)に疑いをもたないように、会員をマインドコントロールしていること
12、過重な学会活動や金銭負担が信者の家庭崩壊を招き、学会員子弟の非行の原因となること
13、上記すべてに起因する、他者への思いやりや人権意識、遵法精神の欠如
創価学会は、法華経が唯一の正しい経典で、日蓮は一切衆生を救済する「末法の本仏」
であり、自派のみがその教えを正しく受け継いでいると主張し、「南無妙法蓮華経」の題
目を唱えるが、実のところ、創価学会の教義は、法華経や日蓮の教えとは大きく異なって
いる(法華経の正式名称が「妙法蓮華経」である)。
・ 創価学会の本尊は、日蓮が考案した十界曼荼羅というものがもとになっている。
創価学会が日蓮正宗の檀徒であった頃は、日蓮正宗総本山、大石寺(静岡県富士宮市)
大御本尊のみが日蓮の残した中で唯一正統であるとし、大石寺法主がそれを書写した
ものの複製を仏壇に安置していた。
日蓮正宗から破門された現在は、日蓮正宗寺院でありながら、創価学会側についた
浄圓寺(栃木県小山市)が所蔵していた江戸時代の大石寺法主、日寛が書写した本尊
を画像化し、さらに画像処理ソフトで加工後、複製した大量生産品を信仰の対象とし
ている(安っぽいので「カラーコピー」と揶揄されている)。
また、日蓮直筆の本尊が、120あまり現存しているにもかかわらず、創価学会はそれ
らを否定している。
大石寺の本尊自体、日禅授与本尊を模刻した贋作といわれており、日蓮直筆本尊を
否定して、贋作のさらに模造品を崇めておきながら、「唯一の正しい宗教」を僭称して
いるのが創価学会である。
・ 日蓮は仏教の開祖である釈尊を深く敬っており、自らが釈尊にとってかわる「末法
の本仏」であるなどという不遜なことは言っていない。
創価学会がカルトである理由 その6 支離滅裂な教義(2)
・ 創価学会員は「鳥居をくぐると地獄に堕ちる」と主張するが、日蓮はそんなことは
言っていない。
日蓮は、天照大神は「此国の一切衆生の慈父悲母なり」と述べており、伊勢神宮に
参拝したとの伝承もある。
・ 法華経は観音信仰を説いた経典であるが、創価学会は観音信仰を否定している。
観音菩薩は、観世音菩薩・観自在菩薩ともいわれ、法華経の観世音菩薩普門品には、
観音菩薩に帰依することで、様々な功徳が得られると説かれている(観世音菩薩普門
品の通称が「観音経」である)。
※ 天台宗や真言宗では、観音菩薩の様々な化身が六観音として信仰されている。
臨済宗・曹洞宗では朝夕の勤行で、法華経の観世音菩薩普門品が読誦されている。
浄土宗では阿弥陀如来・勢至菩薩・観音菩薩の阿弥陀三尊が本尊とされている。
浄土真宗の宗祖、親鸞は観音菩薩を信仰しており、観音菩薩から何度も夢告を受
けたと伝えられる。
そして、日蓮宗でも観音菩薩は信仰の対象になっている。
このように、多くの伝統仏教宗派で観音菩薩が信仰されているが、その根拠は法
華経である。
◎創価学会こそが、法華経や日蓮の教えを否定する謗法団体である。
創価学会がカルトである理由 その7 信者に対する洗脳
創価学会の教義は上記のように支離滅裂であるにもかかわらず、自分たちだけが正しい
宗教で、他の宗教はすべて間違いであると主張し、信者に対しては、創価を少しでも疑え
ば地獄に堕ちると教え込んでいる。
そのため、学会員は神社や寺院のお守り等には科学的な根拠がないとして否定する一方
で、創価学会の工業的に量産された本尊には、あらゆる願いを叶える人知を超えた超自然
的な力があると信じている。
その他にも、「創価学会のための使ったお金は全部もどってくる」「財務をすると何倍
にもなって返ってくる」と座談会などで刷り込んでおり、特に生まれながらの創価信者
(学会では「福子」という)は、何かよいことがあれば信心の功徳、悪いことがあれば信
心が足りないせいと考えるように、子供のころから洗脳されている。
創価学会は、創価以外の宗教を罵倒するのがあたり前だと考え、幹部の指示に盲従する
人間を量産しており、創価学会員のほとんどは、「信教の自由」を基本的人権として尊重
しようとする姿勢を微塵も持っていない。
これが学会員が、学会から都合のいいように利用され、搾取されながらも、創価学会を
まったく疑わずに、人権侵害そのものとも言える強引な勧誘を行い、組織的な嫌がらせ等
の問題を惹き起してきた背景である。
また、学会員の中には、他の会員より多くの折伏やF取りを達成すると、より多くの福
運(現世利益)が得られると信じている者もいる。その心理は、ノルマを超過達成する
と、その分所得が増える営業マンの心理に近い。
特にしつこい勧誘や投票依頼をする学会員には、このタイプが多い(この手合いを「学
会屋」という)。
創価学会がカルトである理由 その8 学会員の独善的な言動
学会員には「創価学会は唯一の正しい宗教であり、その信者である自分は、学会員では
ない一般人より高みにある」という、根拠のない優越感を持った者が多い。この思い込み
が彼らを自信過剰にし、時に傲慢な態度をとらせる。
それが、一番はっきりと表れるのは、彼らの強引な布教活動、すなわち折伏の時である。
例えば、学会員は折伏の際、他の宗教を否定する理由として、「科学的根拠がない」と
よく口にする。
確かに、神や仏といった超自然的存在を科学的に証明した例はないし、信仰による現世
利益にも科学的根拠などないだろう(もしあるとしてもプラシーボ効果くらいか)。
だが、この点は創価学会についても、まったく同じである。
「日蓮は末法の本仏である」、「池田大作は日蓮の生まれ変わり」、「創価のカラーコ
ピー本尊に題目を唱えると願いがかなう」、「財務をすると何倍にもなって返ってくる」
といった、彼らの主張にはまったく科学的根拠などない。
しかも、学会員のほとんど全員が、この明白なダブルスタンダードについて、完全に無
自覚である。
外部からみれば、このような臆面のないダブルスタンダードは、学会員が洗脳されてい
る証拠以外の何物でもない。
さらに学会員は、矛盾を指摘されたり、創価学会の反社会性を批判されりすると、「自
分たちが正しい仏法を広めようとしているので、三障四魔が起こった。このような法難を
受けることこそ、学会の正しさの証明だ」と考える。
このような無反省で、独善的な態度を押し通そうとするから嫌われるのであるが、彼ら
は意に介さない。洗脳され切った学会員は、他人の迷惑を顧みず、折伏や投票依頼を行お
うとするが、創価学会の支離滅裂ぶりを知っていれば、彼らの根拠のない自信に気おされ
て、屈する事はないはずである。
創価学会がカルトである理由 その9 学会員が反社会的行動をとる原因
1、創価学会のみが唯一の正統な仏法であるという独善性
2、仏法(=創価学会)は、国法(法律)や世法(常識)に優越するという社会規範の軽視
3、折伏という強引な布教により教勢拡大を図る戦闘性
4、即物的な現世利益に極端に偏った、精神性が欠如した信仰
5、選挙運動という政治活動と、宗教活動とを一体化させる政教一致
6、公権力の私物化により、創価学会員への利益誘導を図る公共意識の欠如
7、最高指導者(池田名誉会長)が、ルサンチマン(特に報復感情)に動機づけられていること
8、その池田名誉会長への絶対服従を求める個人崇拝
9、直面する問題を、密室での談合や相手への嫌がらせなどで解決しようとする謀略体質
10、会員に対して、社会常識から逸脱した過大な金銭的貢献を求める金権体質
11、上記(1~10)に疑いをもたないように、会員をマインドコントロールしていること
12、過重な学会活動や金銭負担が信者の家庭崩壊を招き、学会員子弟の非行の原因となること
13、上記すべてに起因する、他者への思いやりや人権意識、遵法精神の欠如
2chスレ立て用テンプレ1~5
創価学会がカルトである理由 その1 信者に対する搾取
創価学会は、信者から、金銭、時間、労働力、言いかえれば人生すべてを搾取している。
・ 「財務」と称するお布施(毎年、数千億円を集めるという)
・ 聖教新聞の複数部購読(「マイ聖教」という)
・ 選挙運動(「F取り」という)
・ 様々なイベント運営のための無償での動員
多くの創価学会員が、自分の生活を切り詰めてでも、毎年高額の財務をするのは、座談
会という小規模の集会の役割が大きい。
座談会では、「誰それは、3ケタ(百万円単位)財務をした」といった話が飛び交い、
高額の財務をした学会員は称賛される。また、「財務をしたら、福運(現世利益)がつい
た」という体験談の発表もなされる。
外部の人間から見ると異様で、カルト以外の何物でもないが、創価学会員のみが集ま
り、疑問を口にする者がいない状況で、巧みに信者間の競争意識や、現世利益への欲を煽
るやり方は効果的で、中には一回で一千万円以上の財務をする学会員もいるという。
創価学会がカルトである理由 その2 組織的な嫌がらせ
創価学会は、外部の批判者や脱会者に対して組織的な嫌がらせを行っている。学会は、
長年の経験から警察沙汰にならないように嫌がらせをするノウハウを確立しており、報道
されていないだけで多くの被害者がいる。
創価学会には、顕正会や共産党といった対立する組織や、批判的なジャーナリストを監
視するために、昭和63年頃、〝広宣部〟を設けたが、平成3年に日蓮正宗から破門されて
以降、脱会して正宗に移る信者が相次いだため、会員が脱会しないように監視したり、脱
会者への嫌がらせを行うための組織として、平成9年に〝教宣部〟を新設した。
数百万人もの学会員を組織内部から監視する秘密警察めいた部署は、破門の余波が落ち
着いた後も存続し、脱会者だけでなく、勧誘に応じない者や創価学会を批判した一般人に
もその矛先を向けるようになっている。
現世利益を重視する創価学会にとって、学会に逆らった者が幸せになっては不都合なの
で、何としても不幸にする必要があり、内部の結束と信仰を維持するための「見せしめ」
として、嫌がらせを行っているのである。
嫌がらせの対象は「仏敵」とよばれ、創価学会では仏敵を懲らしめることは「功徳」に
なると信者に教えている。
その手口は陰湿・巧妙で、犯罪にならない程度の嫌がらせを執拗に繰り返したり、法に
触れる嫌がらせについては証拠を残さず、実行犯を特定されないようにしているため、多
くの場合、被害者は泣き寝入りを強いられている。
創価学会がカルトである理由 その3 教祖に対する盲目的崇拝
創価学会では、名誉会長の池田大作を「永遠の師匠」として崇拝している。
創価学会は元々、日蓮正宗の在家の信者団体だった(日蓮正宗は日蓮宗とは別の独立し
た宗派、教義も大きく異なり、例えば日蓮宗では釈尊を信仰し仏像を拝むが、日蓮正宗は
そのどちらも信仰の対象としない)。
日蓮正宗では、日蓮を「末法の本仏」として信仰の対象としているが、創価学会は非公
式な形ではあるが、「現在においては、日蓮大聖人の生まれ変わりである池田先生が本仏
であり、その著書である『人間革命』は現代の御書である」と主張して、日蓮正宗との関
係が悪化、ついに破門されるに到った。
※ 御書とは日蓮の遺文をまとめた書物で、日蓮正宗や創価学会では聖典とされている。
『人間革命』は、池田大作が創価学会会長になるまでを描いた自伝的小説である。
〝池田本仏論〟が学会内部に定着するに至ったのは、《正しい仏法の信者(=学会員)
たる者、仏に帰依するのと同様に師(=池田大作)に帰依するべきである》との思想が、
『人間革命』を通じて広められたことが大きい。
池田がダライ・ラマのような高徳の宗教者であったならば、世間からそこまで批判され
ることもなかったであろうが、実際には女性スキャンダル等の問題の多い人物である。
また、上述の『人間革命』も、実際にはゴーストライターの手によるものである。
創価学会がカルトである理由 その4 強引な勧誘
創価学会では、折伏(しゃくぶく)と称する非常に強引な勧誘を行っている。
これは、相手の信仰、思想、信条、価値観等を全否定し、創価学会のみが正しいとゴリ
押しするもので、憲法が保障する信教の自由、思想の自由といった基本的人権を侵害する
行為である。
かつては、他人の住居に押しかけ、謗法払い(ほうぼうばらい)と称して神棚や仏壇を
焼き払うといった暴挙を頻繁に行い、大きな社会問題になった。
マスコミ等からの批判を受けて、表面的には大人しくなったように見えるが、実際には
折伏に応じない者に対して、陰湿な嫌がらせをするといった、目立たない手法を取るよう
になっただけで、本質は変わっていない。
現在でも言葉巧みにおびき寄せて、集団で取り囲み、半ば強制的に入信させる等のやり
方を行っている。
大学では、東洋哲学研究会・第三文明研究会などと称して、サークル活動を装って勧誘
することもある。
後述するように創価の教義は破綻しているので、折伏を受けても、知識さえあれば逆に
論破することも可能だが、そうした場合、逆恨みされて、組織的な嫌がらせのターゲット
になる危険性がある。
創価学会員には、信仰を口実に他人に嫌がらせをすることを生きがいにしている輩も多
いので、要注意。
創価学会がカルトである理由 その5 数々の社会問題
創価学会は、上述の強引な勧誘以外にも、数々の社会問題を引き起こしている。
・ 創価学会を批判する本の出版に対する言論妨害
・ 脱会者、批判者に対する尾行、誹謗中傷等の嫌がらせ
・ 電話盗聴、通信記録窃盗
・ 暴力団との癒着
・ 選挙違反や、学会施設の選挙運動拠点化
創価学会は「総体革命」と称する権力への浸透工作を進め、上記のような問題の隠蔽工
作や、学会員への利益誘導を行っている。特に法曹界や警察への、学会員子弟の就職に熱
心だと言われる。
また、財務で集めた潤沢な資金を、聖教新聞の印刷を有力新聞社に委託する、新聞広告
やテレビCMを積極的に打つ、といったやり方でマスコミ各社にばらまき、影響力を強め
ている。
創価学会は、信者から、金銭、時間、労働力、言いかえれば人生すべてを搾取している。
・ 「財務」と称するお布施(毎年、数千億円を集めるという)
・ 聖教新聞の複数部購読(「マイ聖教」という)
・ 選挙運動(「F取り」という)
・ 様々なイベント運営のための無償での動員
多くの創価学会員が、自分の生活を切り詰めてでも、毎年高額の財務をするのは、座談
会という小規模の集会の役割が大きい。
座談会では、「誰それは、3ケタ(百万円単位)財務をした」といった話が飛び交い、
高額の財務をした学会員は称賛される。また、「財務をしたら、福運(現世利益)がつい
た」という体験談の発表もなされる。
外部の人間から見ると異様で、カルト以外の何物でもないが、創価学会員のみが集ま
り、疑問を口にする者がいない状況で、巧みに信者間の競争意識や、現世利益への欲を煽
るやり方は効果的で、中には一回で一千万円以上の財務をする学会員もいるという。
創価学会がカルトである理由 その2 組織的な嫌がらせ
創価学会は、外部の批判者や脱会者に対して組織的な嫌がらせを行っている。学会は、
長年の経験から警察沙汰にならないように嫌がらせをするノウハウを確立しており、報道
されていないだけで多くの被害者がいる。
創価学会には、顕正会や共産党といった対立する組織や、批判的なジャーナリストを監
視するために、昭和63年頃、〝広宣部〟を設けたが、平成3年に日蓮正宗から破門されて
以降、脱会して正宗に移る信者が相次いだため、会員が脱会しないように監視したり、脱
会者への嫌がらせを行うための組織として、平成9年に〝教宣部〟を新設した。
数百万人もの学会員を組織内部から監視する秘密警察めいた部署は、破門の余波が落ち
着いた後も存続し、脱会者だけでなく、勧誘に応じない者や創価学会を批判した一般人に
もその矛先を向けるようになっている。
現世利益を重視する創価学会にとって、学会に逆らった者が幸せになっては不都合なの
で、何としても不幸にする必要があり、内部の結束と信仰を維持するための「見せしめ」
として、嫌がらせを行っているのである。
嫌がらせの対象は「仏敵」とよばれ、創価学会では仏敵を懲らしめることは「功徳」に
なると信者に教えている。
その手口は陰湿・巧妙で、犯罪にならない程度の嫌がらせを執拗に繰り返したり、法に
触れる嫌がらせについては証拠を残さず、実行犯を特定されないようにしているため、多
くの場合、被害者は泣き寝入りを強いられている。
創価学会がカルトである理由 その3 教祖に対する盲目的崇拝
創価学会では、名誉会長の池田大作を「永遠の師匠」として崇拝している。
創価学会は元々、日蓮正宗の在家の信者団体だった(日蓮正宗は日蓮宗とは別の独立し
た宗派、教義も大きく異なり、例えば日蓮宗では釈尊を信仰し仏像を拝むが、日蓮正宗は
そのどちらも信仰の対象としない)。
日蓮正宗では、日蓮を「末法の本仏」として信仰の対象としているが、創価学会は非公
式な形ではあるが、「現在においては、日蓮大聖人の生まれ変わりである池田先生が本仏
であり、その著書である『人間革命』は現代の御書である」と主張して、日蓮正宗との関
係が悪化、ついに破門されるに到った。
※ 御書とは日蓮の遺文をまとめた書物で、日蓮正宗や創価学会では聖典とされている。
『人間革命』は、池田大作が創価学会会長になるまでを描いた自伝的小説である。
〝池田本仏論〟が学会内部に定着するに至ったのは、《正しい仏法の信者(=学会員)
たる者、仏に帰依するのと同様に師(=池田大作)に帰依するべきである》との思想が、
『人間革命』を通じて広められたことが大きい。
池田がダライ・ラマのような高徳の宗教者であったならば、世間からそこまで批判され
ることもなかったであろうが、実際には女性スキャンダル等の問題の多い人物である。
また、上述の『人間革命』も、実際にはゴーストライターの手によるものである。
創価学会がカルトである理由 その4 強引な勧誘
創価学会では、折伏(しゃくぶく)と称する非常に強引な勧誘を行っている。
これは、相手の信仰、思想、信条、価値観等を全否定し、創価学会のみが正しいとゴリ
押しするもので、憲法が保障する信教の自由、思想の自由といった基本的人権を侵害する
行為である。
かつては、他人の住居に押しかけ、謗法払い(ほうぼうばらい)と称して神棚や仏壇を
焼き払うといった暴挙を頻繁に行い、大きな社会問題になった。
マスコミ等からの批判を受けて、表面的には大人しくなったように見えるが、実際には
折伏に応じない者に対して、陰湿な嫌がらせをするといった、目立たない手法を取るよう
になっただけで、本質は変わっていない。
現在でも言葉巧みにおびき寄せて、集団で取り囲み、半ば強制的に入信させる等のやり
方を行っている。
大学では、東洋哲学研究会・第三文明研究会などと称して、サークル活動を装って勧誘
することもある。
後述するように創価の教義は破綻しているので、折伏を受けても、知識さえあれば逆に
論破することも可能だが、そうした場合、逆恨みされて、組織的な嫌がらせのターゲット
になる危険性がある。
創価学会員には、信仰を口実に他人に嫌がらせをすることを生きがいにしている輩も多
いので、要注意。
創価学会がカルトである理由 その5 数々の社会問題
創価学会は、上述の強引な勧誘以外にも、数々の社会問題を引き起こしている。
・ 創価学会を批判する本の出版に対する言論妨害
・ 脱会者、批判者に対する尾行、誹謗中傷等の嫌がらせ
・ 電話盗聴、通信記録窃盗
・ 暴力団との癒着
・ 選挙違反や、学会施設の選挙運動拠点化
創価学会は「総体革命」と称する権力への浸透工作を進め、上記のような問題の隠蔽工
作や、学会員への利益誘導を行っている。特に法曹界や警察への、学会員子弟の就職に熱
心だと言われる。
また、財務で集めた潤沢な資金を、聖教新聞の印刷を有力新聞社に委託する、新聞広告
やテレビCMを積極的に打つ、といったやり方でマスコミ各社にばらまき、影響力を強め
ている。
「はじめに」および5ch(旧2ch)過去スレ
このブログは、日本最大のカルト教団、創価学会の実態をあばき、批判することを目的
としています。
私はこれまで2chで「こんまんき」という固定ハンドルを名乗り、創価批判を行ってい
ました。
簡単に自己紹介をしますが、私自身は、かつて学会員であったことはありません。
しかし、これまで何度も創価学会員からしつこい折伏を受けたほか、理不尽な嫌がらせ
を散々されて、沈黙を続けても状況は悪化する一方であり、立ち向かう以外にないと考え、
批判活動を開始しました。
活動の場として、2chを選んだ理由は、不特定多数の目に触れること、創価批判を目的
としたブログは既に数多くあり、私が新たなブログを立ち上げても、埋没してしまうので
はないかと危惧されたこと、2chの創価・公明板には、外部の一般人の視点で、創価批判
を行うスレが少なかったことなどです。
2chでは「創価学会はカルトです」というスレを立てて、まとまった量の文章を、随時
書き込んでいたのですが、平成29年(2017年)2月下旬ころから、「創価学会」というフ
レーズを含む文章を書き込むことが、規制されるようになりました。
そこで、新たにブログを立ち上げることにした次第です。
先に述べたように、私自身は学会員であったことはないので、創価学会についての情報
は、主に書籍から得ています。ブログの内容も、公刊された書籍からの引用に多く基づく
ことになると思います。
一人でも多くの日本人に、創価学会が、いかに邪悪で危険なカルトかを知ってもらいた
いと思います。
自らの微力はよく承知していますが、創価学会の被害者は、私だけではありません。
多くの人が声をあげることが、社会をよりよい方向に変える力になると信じて戦い続ける
つもりです。
このブログで、はじめて私の文章を読んでくれる方もいらっしゃるかと思いますので、
2chの最近の書き込みと重複しますが、「創価学会の金集めについて」から書き始めたい
と思います。
なお今後も、5chのスレにも、適宜書き込むつもりです。
もし質問などがあれば、そちらに書いていただければと思います。
2ch(現5ch)過去スレ
創価学会はカルト宗教です
【搾取】創価学会はカルトです2【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです3【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです4【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです5【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです6【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです7【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです8【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです9【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです10【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです11【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです12【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです13【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです14【人権侵害】
(現行スレ ※2020年8月現在)
としています。
私はこれまで2chで「こんまんき」という固定ハンドルを名乗り、創価批判を行ってい
ました。
簡単に自己紹介をしますが、私自身は、かつて学会員であったことはありません。
しかし、これまで何度も創価学会員からしつこい折伏を受けたほか、理不尽な嫌がらせ
を散々されて、沈黙を続けても状況は悪化する一方であり、立ち向かう以外にないと考え、
批判活動を開始しました。
活動の場として、2chを選んだ理由は、不特定多数の目に触れること、創価批判を目的
としたブログは既に数多くあり、私が新たなブログを立ち上げても、埋没してしまうので
はないかと危惧されたこと、2chの創価・公明板には、外部の一般人の視点で、創価批判
を行うスレが少なかったことなどです。
2chでは「創価学会はカルトです」というスレを立てて、まとまった量の文章を、随時
書き込んでいたのですが、平成29年(2017年)2月下旬ころから、「創価学会」というフ
レーズを含む文章を書き込むことが、規制されるようになりました。
そこで、新たにブログを立ち上げることにした次第です。
先に述べたように、私自身は学会員であったことはないので、創価学会についての情報
は、主に書籍から得ています。ブログの内容も、公刊された書籍からの引用に多く基づく
ことになると思います。
一人でも多くの日本人に、創価学会が、いかに邪悪で危険なカルトかを知ってもらいた
いと思います。
自らの微力はよく承知していますが、創価学会の被害者は、私だけではありません。
多くの人が声をあげることが、社会をよりよい方向に変える力になると信じて戦い続ける
つもりです。
このブログで、はじめて私の文章を読んでくれる方もいらっしゃるかと思いますので、
2chの最近の書き込みと重複しますが、「創価学会の金集めについて」から書き始めたい
と思います。
なお今後も、5chのスレにも、適宜書き込むつもりです。
もし質問などがあれば、そちらに書いていただければと思います。
2ch(現5ch)過去スレ
創価学会はカルト宗教です
【搾取】創価学会はカルトです2【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです3【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです4【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです5【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです6【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです7【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです8【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです9【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです10【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです11【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです12【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです13【人権侵害】
【搾取】創価学会はカルトです14【人権侵害】
(現行スレ ※2020年8月現在)
登録:
投稿 (Atom)