2018年6月24日日曜日

おすすめの本

 創価学会について書かれた本は数多い。今回は私が読んだことがあり、かつ比較的入手
しやすいと思われるものの中から、おすすめの本を紹介したい。

 入手しやすさの判断基準は、私の独断と偏見なので、あまり当てにならないかもしれな
いが、その点についてはご容赦いただきたい。


・『池田大作「権力者」の構造』
 著者:溝口敦
  出版社:講談社(+α文庫)

  初期の創価学会がいかにして飛躍的な発展をとげ、池田大作がどのようにして学会内
 部での権力基盤を固め、第三代会長になりおおせたかが描かれている。
  内容の大部分は戦後間もない時期のことなので、近年の事情については触れられては
 いないが、批判本の中でも古典と言える良作。『人間革命』の内容をより深く理解した
 い学会員にもおすすめ。


・『創価学会秘史』
 著者:高橋篤史
 出版社:講談社

  戦前・戦中の創価学会(当時は創価教育学会)の実態が丹念に描かれている。
  現在の創価学会が「なかったこと」として、封印した歴史を暴いた作品。


・『黒い手帳 創価学会「日本占領計画」の全記録』
 著者:矢野絢也
 出版社:講談社

  元公明党委員長でありながら、創価学会から「仏敵」に認定されて不当な迫害を受け、
 やむなく脱会した著者が、創価学会の反社会的実態を暴いた好著。広宣部や池田本仏論
 など、創価学会が隠してきた恥部についても言及されている。
  矢野氏は、他にも『「黒い手帳」裁判全記録』『私が愛した池田大作』『乱脈経理』
 を著している。


・『創価学会とは何か』
 著者:山田直樹
 出版社:新潮社

  『週刊新潮』に連載された特集記事を単行本化したもの。創価学会によるメディア支
 配、NTTドコモ関連会社に勤務する学会員による通話記録窃盗事件、異様な選挙運動
 の実態などについて書かれている。
  この本を読めば、創価学会が危険なカルトであることがよくわかる。


・『システムとしての創価学会=公明党』
・『シンジケートとしての創価学会=公明党』
・『カルトとしての創価学会=池田大作』
 著者:古川利明
 出版社:第三書館

  三部作ということもあって、その情報量はかなりのもの。創価学会が過去に起こして
 きた事件の数々(悪質な選挙違反等)、公明党と警察との癒着、一般的な学会員の人間
 像など、その内容は多岐にわたる。


・『創価学会あるある』
 著者:創価学会ルール研究所
 出版社:ビジネス社

  本書の著者は「創価学会ルール研究所」なる団体ということになっているが、実際は
 創価大卒のお笑い芸人・長井秀和氏が執筆したらしい。
  創価批判を前面に出しているわけではないが、世間の常識からかけ離れた創価学会の
 実態が描かれており、興味深い内容となっている。


・『創価学会』
 著者:島田裕巳
 出版社:新潮社(新潮新書)

  創価学会に入りたいわけではないが、その実態を知りたい人に向けた入門書といった
 内容。それほど批判的ではないが、戸田城聖が酒を飲みながら講演していたことや、創
 価学会員があまりにも独善的なために、宗教学者にとってもつき合いづらい人々である
 ことなどが書かれている。


・『創価学会と共産党』
 編者:週刊ダイヤモンド編集部
 出版社:ダイヤモンド社

  『週刊ダイヤモンド』(2016年6月25日号)の特集に加筆修正して書籍化したもの。
 全体の4分の3程が創価学会についての記述である(残りは共産党について)。
  さほど批判的ではないが、創価学会の概要について詳しく述べられている。
 

・『旭日の創価学会70年』1~4
 編者:秋谷栄之助
 出版社:第三文明社

  創価学会の創立70周年を記念して、聖教新聞紙上に連載された幹部による座談会を書
 籍化したもの。
  内容の大部分は、山崎正友氏、竹入義勝氏、阿部日顕氏らに対する悪口雑言であり、
 通常の意味では読む価値などない。
  このような内容の本に「旭日の~」と冠して出版するところに、創価学会の体質が如
 実に表れており、その点では興味深いと言えないこともない。
  創価学会がカルト以外の何ものでもないことを証明している迷著。
 
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 今回挙げた中から敢えてどれかを選ぶとすれば、『黒い手帳 創価学会「日本占領計画」
の全記録』か、『創価学会とは何か』を推したい。いずれも創価学会の反社会的実態がよ
く描かれており、個人的には学校教育の教材にしてほしいくらいだと思う。
 
 創価学会の真の姿を知るためには、山崎正友氏や原島嵩氏の著書も読むべきだが、「入
手しやすい」とは言い難いことから、今回は紹介の対象から外した。

 創価学会については、この他にも興味深い本は多い。別の機会に「おすすめの本」第二
弾を書きたいと思う。

2018年6月17日日曜日

池田大作はバカではない

 当ブログでは池田大作について、散々その破廉恥な言動や笑止な逸話をあげつらってき
たが、池田という男は決してただのバカではない。

 創価学会の教義は支離滅裂で、どのような巧言を弄したところで取り繕い様がない程に
破綻しており、知的水準を疑いたくなる連中なのも確かだが、だからといって決して侮っ
ていい組織ではない。

 池田に関するバカげた話だけに目を奪われ、創価学会を甘くみると痛い目に遭うことに
なりかねないのである。

 当ブログをお読みになった方が、創価学会の危険性、狡猾さ、邪悪さを過小評価するこ
とのないように、今回は警戒を促したい。

 創価学会の表も裏も知り尽くしていた元顧問弁護士・山崎正友氏は、造反後の人生を創
価学会と戦うために費やすことを強いられた。山崎氏は次のように述べている。


>  池田大作のことを〝バカ殿〟扱いして嘲笑する風潮が、一部マスコミにあった。
>  池田大作は、決してバカ殿なんかではない。現在の自民党の首脳など、束になって
> もかなわぬほど〝やり手〟であり、凄みを持った怪物なのだ。東大出身のエリートが、
> 赤子の手をひねるようにあしらわれ魂を喰らわれてしまう〝魔力〟の持ち主なのだ。
> 創価学会は、決してただの宗教団体ではない。
>  政治の世界で、経済の世界で、その他あらゆる面に手をのばし、世界に類を見ない
> 巨大で強力なコングロマリットなのだ。
>  強大な権力と、ずばぬけた財力を持ち、又東大、京大等の卒業者等で固めたエリー
> トの官僚機構を持っているのだ。
>  その上、自前の情報機関を持ち、更に、合法、非合法にわたって〝特殊活動〟を任
> 務とする師団をかかえているのだ。
>  百名をこえる弁護団を擁し、その多くは、小・中・高校生の頃から、「ハイル池田」
> を骨のずいまでたたき込まれ、英才教育を受けて法曹界に入ったメンバーである。
>  彼らは、国法の秩序より、創価学会の利益を優先させる。
>  とりわけ、池田大作を守る、ということになれば、自分の生命をも捨ててこれに当
> たる。
 (山崎正友著『信平裁判の攻防―続々・「月刊ペン」事件』より引用)


 上記引用は、信平レイプ裁判において、原告側(信平夫妻)の訴えが裁判で退けられた
理由を分析した記述の一部である。山崎氏は、信平氏側の弁護士が池田大作と創価学会を
侮り、十分な訴訟準備を怠ったことが敗因であるとし、警鐘を鳴らしているのである。

 創価学会が頭がおかしいとしか思えない妙な集団なのは事実だが、山崎氏が指摘するよ
うに他に類を見ないほど、危険で反社会的なカルトであることも忘れるべきではない。

 そして、創価学会をそのような集団として作り上げたのは、池田大作である。創価学会
は設立当初から、宗教を金集めに利用する組織だったが、信仰を追求しようとする人々が
皆無だったわけではない。

 現在の創価学会の基礎を築いたのは第二代会長の戸田城聖だが、戸田は日蓮正宗の信仰
を金儲けに利用する一方で、狂信的な信仰も持っていた。ノンフィクション作家・溝口敦
氏は、彼を「投機的強信者」と評している(『池田大作「権力者」の構造』による)。

 創価学会の教義は、極端なまでに現世利益を肯定するものなので、彼らの内面では信仰
と金儲けは相克するものではないが、敢えて言うならば、戸田の信仰面での後継者は石田
次男氏、事業面での後継者が池田大作であったと言えるだろう。

 創価学会が宗教団体として健全とまではいかないまでも、よりマシな方向に発展するた
めには、石田氏の方が後継者として適任だっただろうが、池田は石田氏を追い落として第
三代会長におさまり、その後、長きにわたり権力を保ち続けた。

 池田大作の独裁支配は、日蓮正宗との抗争や数々のスキャンダルなど、多くの問題を引
き起こしたので、学会内部でも比較的良識的な人々が池田独裁に抗おうとしたり、権力に
制約を課そうと試みたりしたが、池田は病魔に倒れるまでそのすべてを退け続けた。

 自分名義で世に出した書籍のほとんどをゴーストライターに書かせていた池田に、そん
な能力があるのかと訝る向きもあろうかと思う。側近の一人として池田に長年仕えた元副
会長・福島源次郎氏は、池田の能力について以下のように評している。


>  名誉会長の能力は、いったい何なのでありましょうか。私達有志の結論は次の二つ
> です。
>  一つは、ずば抜けた人心収攬術です。恐らく当代随一かもしれません。歴史的にも
> 有数の部類に入るでしょう。各人の機微を知り、弱点・性癖・嗜好を察知し、その人・
> その時に応じて、その人の心をとらえていく能力と技は、他の追随を許さぬもので、
> 天才的ともいえます(勿論この術が通用しない人もいます。反感や軽べつで接してく
> る人には、当初から修羅界の気分で、下し軽しめる行為に出るため)。理想を求め憧
> れる青年や女性に対しては特にこの収攬術は威力を発揮します。
>  もう一つは、自らを偉大に見せていく演出力と演技力が抜群です。修羅界の強い人
> は、誰しもそれなりにこの能力を持ち合わせていますが、名誉会長のこの能力は、こ
> れも天才的といえるほどみごとであります。これを巧まずして生地のように行なう迫
> 真の演技力がすばらしいのです。私も心からすばらしいと感激したことが数知れぬほ
> どありました。相当の目利きのジャーナリストやわが国有数の一流経営者さえ、生地
> そのものと信用するくらいですから、やはりたいしたものです。
 (福島源次郎著『蘇生への選択』より引用)


 池田の人心掌握と自己演出の見事さを、福島氏は称賛している。それらについての具体
的なエピソードを、別の書籍から引く。


>  池田が主宰する会食会で池田と同席したことがある非学会員の創価大OBは「これ
> だけ神格化された存在の人からプレゼントされたり、『お母さんを大事にね』と気さ
> くに声を掛けられたりすれば、コロッと落ちてしまう。希代の人たらしだ」と話す。
>  慶應義塾大学名誉教授の小林節は20年ほど前に池田を訪問した際、出迎えた池田か
> ら「あなたは戦っている男の顔をしています。私も戦っている男なんです」と声を掛
> けられ、「ハートをつかまれた気持ちになった」と振り返る。
 (週刊ダイヤモンド編集部編『創価学会と共産党』より引用)


 こうした能力に加えて、権力への飽くなき野望を持ち続け、そのためには労を惜しまず、
策を弄し続けたことが、池田が影響力を維持し続けられた理由であろう。

 以前述べたように、池田は『聖教新聞』の記事、とくに自分に関する記事には必ず目を
通し、手を入れていた。また、金や人事については絶対に部下まかせにはしなかった。


>  組織権力の最たるものは、人事権(特に首脳人事)・資金運用権・最高戦略決定権
> の三つです。この三権、特に人事権を握っている人が、その組織体の権力者であり、
> 最高実力者であって、名目や役職とは無関係です。
>  名誉会長はこの三つをがっちりと握り続けてきました。「名誉会長」に退いても、
> この点はいささかも変わらず、むしろ北條会長逝去後は、「会長」時代よりも権力行
> 使は格段と強化されました。
 (福島源次郎著『蘇生への選択』より引用)


 それだけでなく、部下が結束して自分に刃向かうことがないように、お互いに忠誠心を
競わせ、出世競争をさせていがみ合うように仕向けることで、トップである池田が調停者・
裁定者として、常に存在感を示せる状況を維持し続けた。

 元公明党代表・太田昭宏氏は、池田大作について「信仰心はゼロだけど政治家の資質は
百パーセント」と評したことがあるという。

 山崎正友氏も、月刊誌で連載していた『昨日の師・池田大作への手紙』の中で、「どん
なすぐれた弁護士よりも貴方(注:池田)の方が事件処理は上手だと思ったことが、何回
もあります」(『諸君』1982年11月号)と述べている。
 池田大作の権謀術数の手腕は、学会幹部の他の誰よりも抜きんでていたのである。

 権力への強い執念と優れた手腕を抜きにして、池田大作が絶対的な指導者として創価学
会に君臨し続ることなどなかったであろうし、その池田がトップであり続けたからこそ、
一介の新興宗教でしかない創価学会が、宗教法人の中でも段違いに多い信者数を誇り、公
明党を擁して国政を動かすまでになったのである。

 池田大作に「金と権力の亡者」として、抜きんでた資質があったのは事実であるが、彼
が普通の団体であれば――それが仮に企業であれ、政治団体であれ、宗教法人であれ――
とうの昔に失脚して当然のスキャンダルに何度も見舞われたこともまた事実である。

 池田が権力を維持し続けられたもう一つの理由として、末端の創価学会員たちの性質を
見逃すことはできない。

 創価学会員という連中は、「財務をすれば倍になって福をもたらす」「創価学会のため
につかったお金は、必ず戻ってくる」という何の根拠もない煽り文句に乗せられて、無理
してでも金を出し、「公明党に投票する人を増やせばご利益になる」と信じて、「F取り」
と称する選挙運動に邁進する人々である。

 どう考えても、あまり頭の良い人たちではない。創価学会員の大半が愚昧な連中ばかり
だったからこそ、何人もの造反者によって醜聞が暴かれ、週刊誌等であれだけ叩かれたに
もかかわらず、池田大作は創価学会に君臨し続けられたのである。

 池田大作は権力亡者ではあっても、決してバカではない。彼が欲望のおもむくままに愚
劣な騒動をひき起こし続けたのは、大半の創価学会員が愚かな連中だと見抜き、『聖教新
聞』等でのプロパガンダで容易に操ることができると見切っていたからであろう。そして、
これまでは池田の思惑通りだった。

 だが、インターネットの普及は、情報の収集を格段に容易なものとした。限られた情報
源に依存するように仕向けることで、無知な連中を操作できる時代は、もう終わりを告げ
るべきなのだ。

 何度でもいうが、学会員の皆さんもそろそろ目を覚ましてもいいのではないか。創価学
会のような異常なカルトのために人生を浪費するのは、もう止めにすべきだ。



お知らせ

 池田大作を焦点とした記事は、本稿をもって一区切りとします。
 もちろん、創価学会の実態が池田大作を崇める「池田教」である以上、今後も池田の人
となりについては言及せざるを得ないでしょうが、当面は別のテーマで書くつもりです。

2018年6月10日日曜日

幹部の役得

 これまで当ブログで取り上げてきたように、創価学会については何人もの脱会した元幹
部が、金にまつわる問題や、池田大作のスキャンダルなどの内情を暴いてきたが、学会側
もそれらの告発に対して『聖教新聞』などで反論を行ってきた。その一例を以下に示す。

(『聖教新聞』平成19年〔2007年〕1月22日付)

 この記事は原田稔会長らが出席した座談会を収録したもので、山崎正友氏、原島嵩氏、
竹入義勝氏、竜年光氏、大橋敏雄氏、藤原行正氏らを「忘恩の退転者」と呼び、金・酒・
異性に狂って転落したと一方的に決めつけ、断罪している。一部引用する。


>  正木 退転し、清浄な学会にいられなくなった連中は、必ず「金」と「酒」と「異
> 性」で狂う。「転落の方程式」だ。
>  西口 まったくだ。坊主を誑しこんで金儲けを狙った山崎。その山崎に、まんまと
> 金漬け、酒漬けにされて、ますます狂った原島。
>  竹内 それにまた忘恩の悪党議員ども! 竹入、竜、藤原、大橋等々。全部が全部、
> 金、酒、女で破滅じゃないか。
>  原田 学会は清浄無比の団体だ。戸田先生が「戸田の命よりも大事な学会の組織」
> とまでおっしゃった、仏意仏勅の広宣流布の団体だ。
>  正木 その尊い、偉大な学会の組織を利用して遊ぶ! 儲ける!
>  異性問題を起こす!
>  言語道断中の道断だ。そんなやつは見つけ次第、手厳しく断罪する。断固、追放す
> る!


 「学会の組織を利用して儲けるやつは、断固、追放する!」と息巻いておられるのは、
先年、理事長職を解かれ、参議会副議長に降格された正木正明氏である。

 降格の本当の理由は何だったのかも気になるところだが、それよりも「広宣流布のため」
といって集めた財務により、莫大な資産を築いたと噂される某センセイは追放しなくてよ
いのだろうか。いろいろとツッコミどころの多い座談会である。

 さて、原田会長らは池田センセイが乱脈の限りを尽くしてきた創価学会を、「清浄無比
の団体」だと主張しておられるが、この言葉は何らかの実質を伴うものなのであろうか。

 前回に引き続き『聖教新聞』記者による内部告発、『小説 聖教新聞』から学会幹部の行
状を描いた一節を引用する。

 ※ 前回も述べたとおり『小説 聖教新聞』の内容は実話がもとになっており、池田大作
  が「沼田太作」として描かれるように、実在の幹部たちが本名とそう違わない仮名で
  描かれている。


>  原本実は、沼田のおぼえがよく、そのため若くして出世したエリート中のエリート
> なのだが、虚栄心が強く、沼田と同じように下の者にいばりちらす。そのため職員に
> も一般会員にも人気がなかった。
>  こんな男だから、原本には職権や地位を利用しての女性関係も少なくなかった。
>  七、八年前に北海道担当の責任者だったときの話だが、原本は、東京の港区に住む
> 元宝石商と手を組んで、学会関係の利権をあさり、大いにうまい汁を吸っていた。そ
> して、その宝石商から利権の見返りとして女性を世話され、札幌のすすきのに囲った。
> また、函館でも、学会員の女性と深い仲になり、その女性との間で子どもを「堕ろせ」
> 「生む」の大騒ぎになったことがあった。
 (中略)
>  「結局、あの連中はみんな、みごとにPのコピーなんだ。小型の沼田太作……いや、
> 小作ってわけさ。考えてみれば、Pの側近はみんなそうだよ。いまや沼田、夏目に次
> ぐナンバー3にのしあがった広報担当副会長の川崎久美、北海道担当の丸山一郎副会
> 長、野川勇総合青年部長、関西の西目昭蔵副会長、日蓮正宗国際センターの市村直平
> 国際局長……。われわれ職員の間で、とかく後ろ指をさされながら、Pの側近として
> 大手をふっている連中は、そろいもそろってP好みの〝沼田コピー〟だもんな」

 ※ 「P」とはプレジデントの略で、池田大作のことである。


 創価学会の幹部におさまっているお歴々は、池田大作を矮小化したコピーのような連中
ばかりであるらしい。

 引用中の「原本実」が誰のことを指すかは推して知るべしだが、原田会長が池田名誉会
長との「師弟不二」の忠実な実践者であったのは事実なのであろう。

 「広宣流布のため」と称して貧しい者が少なくない末端信者から集めた金で、自分専用
の豪華施設をつくらせ、数多くの女性と関係を持つなどの乱脈を重ねていた池田大作の行
状を間近で見聞きし、しかも、その彼を師と仰いできた連中が、同じように教団組織を私
物化し、私腹を肥やしたり女性問題を起こしたりしたのは、当然の成り行きと言えよう。

 以前述べたように、創価学会の成り立ちには戸田城聖が経営していた高利貸し・大蔵商
事が大きく関係している(「戸田城聖のビジネス(戦後編‐③)」参照)。

 池田大作が第三代会長に就任できたのも、大蔵商事で営業部長として辣腕を振るい、創
価学会の金の流れを掌握していたからだと言われる。

 創価学会幹部に金にまつわる醜聞が多いのは、彼らの行動原理が信仰者のものというよ
り、高利貸しのものに近いからではないか。


>  例えば、金融業にとっては、未回収金の取り立てが生命線であるが、その際にカネ
> の取り分というのは、取り立てた人間がその一部を、その割合が7対3か、6対4か、
> 5対5か、比率はそのときどきによってまちまちであろうが、回収したカネの一部を
> フトコロに入れるというのは、よくある話である。
>  つまり、現場の人間は、取り立てたカネすべてを会社に入れるわけではない。一部
> をマージンとしてこっそりピンハネできるわけである。それゆえ、多くの金額を回収
> し、営業実績のある社員に対しては、こうしたピンハネを大目に見る。このピンハネ
> のシステムをそのまま学会内部でのカネの流れにも応用したのが、池田だった。
 (古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』より引用)


 『小説 聖教新聞』にも、金にまつわる不始末を雑誌記者にかぎつけられた幹部に対して、
池田大作が激怒したという話が出ているが、池田の怒りは不祥事を起こしたことではなく、
雑誌記者にそれをつかまれたことに対して向けられたのだという。

 池田は側近幹部たちが、地位を利用してピンハネをするのを大目に見ていたのである。
もっとも、池田の表に出せない悪事の共犯者である彼らに対しては、裏切られないように
相応の見返りを与える必要があったのであろうが。

 創価学会は、信仰を利用して金儲けをする組織として戸田城聖がつくり、池田大作がそ
れをさらに阿漕なものとし、集金ビジネスを拡大してきた。

 そのような汚濁に塗れた体質に骨の髄まで染まり、しかもそれを恬然として、「清浄無
比」と言ってのけられる人々が、幹部として創価学会を動かしているのである。

 池田大作と比べれば小物ぞろいには見えるが、それでも彼らの厚顔無恥さ腹黒さは、冒
頭で引用した『聖教新聞』を読めば明らかなように、相当なものである。

 池田大作がいなくなれば、創価学会の悪しき体質も少しはマシになるのではないか、な
どと楽観するわけにはいかない。

 学会幹部の良心・良識にはまったく期待できない以上、創価学会という巨大なカルトが、
国政をも左右する力を持っているという現状を変えるためには、一人でも多くの学会員に
目を覚ましてもらうよりほかに道はない。

 本稿をお読みなった学会員がいらっしゃるのであれば、財務、特別財務、広布基金の他
にも、マイ聖教、民音のチケット、『新・人間革命』などの池田本購入など、何かにつけ
て金がかかる創価学会が、本当に「清浄無比」と言えるかどうか、是非ご自分の頭で考え
ていただきたいと思う。

2018年6月3日日曜日

懲りない男・池田大作

 創価学会の幹部だった山崎正友氏・原島嵩氏が造反し、告発を開始した昭和55年(1980
年)からの数年間は、池田大作にとって守勢を余儀なくされた期間だった。

 搾取的な金集めや教団組織を私物化して贅沢三昧の生活を送っていること、異常な個人
崇拝などについて、山崎氏や原島氏らが週刊誌や月刊誌に書き立てたので、創価学会に対
しては、それまで以上に冷笑的な好奇の目が世間から向けられることになった。

 山崎氏らの告発は以上にとどまらず、共産党への盗聴や集団替え玉投票などの旧悪の暴
露にまで及び、池田大作の国会への証人喚問を求める署名運動まで展開された(残念なが
ら、この喚問は実現しなかったが)。

 週刊誌等での暴露が一通り出尽くし、創価学会に対する世間の注目が薄らぎ始めていた
昭和59年(1984年)、『週刊サンケイ』に「内部告発実録ノベル 小説 聖教新聞」と題し
た連載が開始された。執筆者は「グループS」を名乗る匿名の聖教新聞記者複数名で、連
載終了後に単行本化された。

 この連載は小説の体裁をとってはいたが、その内容はほぼ事実であり、登場人物にも実
在のモデルが存在している。例えば池田大作は「沼田太作」として登場する。

 この内部告発により、あきれた事実が明らかになった。池田大作がまたしても、という
だけでなく、それまで以上に豪華な専用施設をつくらせたというのである。当該箇所を単
行本から引用する。


>  学会本部とともに、この〝学会村〟の中核をなす聖教ビルの最上階七階が、聖教新
> 聞社社主でもある沼田太作専用の〝貴賓室〟として生まれ変わったのは五十八年八月
> のことだった。
 (中略)
>  わざわざイタリアから取り寄せて、壁一面に張りめぐらした大理石は、重厚な光沢
> をたたえている。
>  欧風の執務室と大会議室には、壮大なシャンデリア。フロア全体には、思わず体が
> 沈みこんでしまうような感触をおぼえる、ぶ厚いペルシャ製のシャギーとジュウタン
> がしきつめられている。
>  特注のテーブル、椅子、サイドボード、記帳台……すべてが〝一流〟好みの沼田の
> 趣向によるものばかりだ。
>  記帳台ひとつとってみても、皇居で天皇がお使いになっているものを「はるかにし
> のぐもの」というふれこみの、一千万円もしたという高価なものだ。
 (中略)
>  当初、この改装工事の見積もりは七億一千六百万円だったが、沼田好みの贅をつく
> すうちに、追加追加で二億円もオーバーし、たった一フロアを改装するために総額九
> 億円が投じられたのである。
>  いつか、週刊誌が、全国各地の学会の会館にあった沼田太作専用室のことを、「ラ
> ブホテルのようだ」と表現したことがあったが、此のフロアの威容を週刊誌記者が見
> たら、いったいなんと表現するだろうか。「迎賓館なみ」とでもいうのだろうか。


 池田大作は、あれだけ痛烈な批判を加えられたにもかかわらず、まったく懲りていなか
ったのである。

 また、実際に記事の執筆や編集に携わっている記者が執筆しただけあって、この小説に
は、聖教の記事がどのようにつくられているかも述べられている。

 それによると池田大作は、自分に関する記事の原稿には必ず目を通し、手を入れるのだ
という。

 『小説 聖教新聞』には、その具体例として、聖教新聞に掲載された婦人部座談会の一
部が挙げられている。当該記事は以下のとおり。


>  原田 そうでしたね。この数年間、山崎や原島や、御法主上人猊下に逆らう正信会
> やそれにつながる週刊誌の影響で、何が何だかさっぱり分からなかった(笑い)。魔
> 力というものが、こんなに恐ろしいものかを、これほど痛感したことはありません。
>  田口 その皆が、なんとなく心の奥でモヤモヤしていた時に、決然と名誉会長が疾
> 風のごとく来てくださり、それから全国に飛んでくださった。そして、御法主上人猊
> 下の御もとに、宗門も学会も、大きく信心と広宣流布の目的が明確になり、力強く転
> 換されていきましたね。
>  柴田 先生に、また私達を、学会を守ってもらったわけです。私達が先生を守るな
> どと大それたことをいってきたがとんでもない。大事な時はつねに、先生お一人が、
> 犠牲となって私達一人一人を守ってくださっていますね。
 (『聖教新聞』昭和57年〔1982年〕11月11日付より引用)

 ※ 上記引用中の「御法主上人猊下」とは、現在の創価学会が「天魔」「ニセ法主」と
  呼んで罵倒し続けている阿部日顕氏のことである。


 『小説 聖教新聞』でこの記事を示した一節には婦人部担当記者が登場し、以下のよう
な池田批判を繰り広げる。


> 「僕も婦人部担当ですから、この座談会にも出ていましたがね。これなんかも、やっ
> ぱり先生が自分で全面的に書きかえた部分ですよ。よく自分で自分のことをこういう
> ふうに表現できますよね。恥ずかしいという感情が先生にはないのかなぁ。〝決然と
> 疾風のごとく来てくださり〟なんて、まるで鞍馬天狗か月光仮面みたいだ」
> 「……」
> 「それに、〝信心と広宣流布の目的が明確になり〟とはどういうことですか。裏を返
> せば、それまでは明確じゃなかったということじゃないですか。要するに先生は〝自
> 分が表舞台からひっこんでいた間は、学会は目的を見失っていた。自分が復権して目
> 的も明確になり、学会員を守った〟といいたいわけでしょうけど、これじゃ東條さん
> は浮かばれませんよ。それに、山村弁護士らの批判から必死に先生のことを守ってき
> たわれわれのことだって全否定してることになる」

 ※ 「東條さん」とは北条浩氏、「山村弁護士」とは山崎正友氏のことである。


 この批判は、『小説 聖教新聞』を執筆した聖教記者の心の叫びでもあるのだろう。
 『聖教新聞』紙上にたびたび掲載される池田名誉会長礼賛記事が、実際には池田本人に
よる自画自賛であることをバラされた上、子飼いの部下からこれほど辛辣な言葉を投げつ
けられたのでは、さしもの池田センセイといえども赤面し、以後、同様の愚行は自重され
たのではないかと思われる方もおられるかもしれない。

 だが、池田大作という男は、この程度のことを気に病むような神経など持ち合わせてい
ない。「心臓に毛が生えている」とか「厚顔無恥」といった言葉は、彼のためにあるよう
なものである。

 『小説 聖教新聞』の出版から15年後にあたる平成11年、聖教新聞に「旭日の創立70周
年を迎えて 創価学会の歴史と展望を語る」と銘打った幹部座談会が連載された。その第
一回の冒頭を引用する。


>  和泉最高指導会議議長 わが創価学会も、ついに来年は、創立七十周年を迎えるこ
> とになったね。
>  辻参議会議長 今日の大発展は、牧口先生の当時は、まったく考えもつかなかった。
>  牧口先生も、戸田先生も、心から喜んでおられるでしょう。
>  秋谷会長 何といっても、池田先生の大功績は、我々は感謝しても感謝しきれませ
> ん。ただ一人、嵐の中、陣頭に立って、あらゆる三障四魔、三類の強敵、敢然と戦い、
> 私たちを守り、大道を開いてくださった。
>  谷川総合青年部長 池田先生の弟子として、私たちは立派に後継の退任を果たした
> い。
>  池田先生こそ、御聖訓のままに「死身弘法」「不惜身命」の方であられた。
 (『聖教新聞』平成11年〔1999年〕10月7日付より引用)


 和泉氏や辻氏は初代牧口会長以来の重鎮幹部でありながら、池田大作に屈従を強いられ、
本部幹部会で童謡に合わせてタコ踊りをさせられるなどの屈辱的な扱いを受けていた。

 秋谷氏も、池田が引き起こす騒動の尻拭いをさせられてきた。「池田には早く死んでほ
しい」という本音を漏らしていたことは以前述べた(「幹部の本音」参照)。

 その彼らが、本心から上記のようなことを言うとは思えない。ありがちな賛辞から推測
するに、この座談会の記事も池田本人の意向によるものであろう。

 創価学会という組織は、池田大作が何かやらかす度に幹部が造反して告発し、世間が注
目する騒動になるというパターンを繰り返してきたように見える。

 元公明党委員長・矢野絢也氏が、池田の脱税などの創価学会の不正を暴いた『乱脈経理』
を世に出したのは、池田大作が脳梗塞で倒れたとされる平成22年(2010年)の翌年だった。

 池田は病に倒れるまで、学ぶことなく同じような失敗を繰り返し続けた。愚昧な学会員
たちの信仰心を利用して自身の天下取りを実現するという池田の野望は、彼自身の愚かさ
によって潰えたのである。

 池田大作が最高権力者になるという悪夢が実現することはないであろうが、彼が野望実
現のために作り上げた反社会組織――創価学会――は当面の間は惰性で動き続け、罪なき
人々を苦しめ続けるだろう。

 だから、私も繰り返し主張し続けなければならない、池田大作は邪悪な俗物であり、彼
のような人物を「永遠の師匠」として仰ぐことは間違ったことなのだと。