※ 今回も日蓮遺文(古文)の引用あり。
創価学会や日蓮正宗の教義では、日蓮は末法の御本仏とされている。以前も述べたが、
本仏とは「あらゆる神仏の本体である根源の仏」と言うべき存在とされている(「池田本
仏論について①」参照)。
「日蓮本仏論」の根拠は、日蓮本人が自身がそのような存在だと宣言したからだという
ことになっているが、日蓮の真蹟遺文中にはっきりと「オレが本仏だ」と主張しているも
のはない。あくまでも、創価学会や日蓮正宗がそのような解釈をしている、というだけで
ある。
とは言え、日蓮が強烈な自負心の持ち主だったのも事実だ。
『撰時抄』では「法華経の行者である自分に国を挙げて帰依しなければ、亡国の憂き目
にあう」とまで主張している(「日蓮と真言宗と池田大作」参照 )。
他の遺文にも自らを「上行菩薩の垂迹」等と称しているものもある。
> 又仰せ下さるる状に云く極楽寺の長老は世尊の出世と仰ぎ奉ると此の条難かむの次
> 第に覚え候、其の故は日蓮聖人は御経にとかれてましますが如くば久成如来の御使・
> 上行菩薩の垂迹・法華本門の行者・五五百歳の大導師にて御座候聖人を頸をはねらる
> べき由の申し状を書きて殺罪に申し行はれ候しが、いかが候けむ死罪を止て佐渡の島
> まで遠流せられ候しは良観上人の所行に候はずや
(『頼基陳状』〔日興写本 北山本門寺〕より引用)
> 教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き
> 散して散散に蹋たりし大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ
(『下山御消息』〔真蹟断片 小湊誕生寺外、日法写本 岡宮光長寺〕より引用)
※ 日蓮の弟子の中には、日蓮に帰依したために主君等から胡乱な目で見られるように
なり、自らの信仰上の立場を弁明する必要に迫られた者もいた。
引用した遺文は、両方ともそうした弟子のために日蓮が代筆した手紙である。
『頼基陳状』『下山御消息』は、どちらとも建治3年(1277年)に書かれてる。
当時の日蓮は、文永の役(1274年)により『立正安国論』で予言した「他国侵逼難」が
実現した形になり、意気軒昂としていた。また、自らこそが法華経の行者であるとの確信
も深めていたのであろう。
創価学会は日蓮が「教主釈尊より大事なる行者」と自称したことを、日蓮本仏論の根拠
の一つとしているが、私はこの見解には同意できない。
鎌倉時代の日本では、古来より信仰されてきた本邦の神々を仏や菩薩(本地)が応現し
た存在(垂迹)だとする「本地垂迹説」が信じられていた。
また、神々のみならず聖徳太子や弘法大師などの傑出した人物も、仏や菩薩の垂迹とさ
れていた。
仏や菩薩が姿を変えて現れると信じられていたことには、次のような背景があったのだ
という。
> 日本は釈迦の生まれた天竺からはるか東北にある、粟粒のごとき辺境の小島(粟散
> 辺土)にすぎない。――「大日本国は神国である」という有名な言葉で始まる『神皇
> 正統記』すら、他方ではこうした仏教的世界観を受け入れていたのである。
> このように中世では、同時代の日本を末法の辺土とみる見方が一般化していた。そ
> こは救いから見放された悪人たちが充満する「五濁悪世」だった。これらの劣悪な衆
> 生を導くことは、慈悲深い本地仏では不可能だった。生々しい身体性を具え、激しい
> 賞罰を行使する垂迹こそがそれにふさわしい。――中世の本地垂迹の論理は、こうし
> た世界観を背景に生み出されたものだったのである。
(佐藤弘夫著『偽書の精神史』より引用)
本地である仏の方が、その垂迹よりも当然に格上ではあるが、五濁悪世の末法において
は、垂迹の方が人々を救済する存在としてふさわしいと信じられていたのである。
日蓮は法華経の行者を自称し、「上行菩薩の垂迹」を自認するまでに自己評価を高めて
いたわけだが、「教主釈尊より大事なる行者」を称したのは、「自分の方が教主釈尊より
格上の本仏なのだ」と訴えたかったわけではないと思う。
「自分は教主釈尊の使いだが、末法の衆生にとっては、その使いの方が救済者としてふ
さわしいのだ」と言いたかったのではないだろうか。つまり、あくまで教主釈尊の方が格
上との認識を、日蓮も持っていたと考えられる。
それに日蓮の遺文には、彼の人間としての生々しい姿を描いたものもある。
過剰なまでの自信家だった日蓮だが、いくらなんでも「自分こそが本仏だ」と思い込ん
でいたとは信じがたい。
> この十余日はすでに食もほとをととどまりて候上、ゆきはかさなりかんはせめ候、
> 身のひゆる事石のごとし胸のつめたき事氷のごとし、しかるにこのさけはたたかにさ
> しわかして、かつかうをはたとくい切りて一度のみて候へば火を胸にたくがごとし、
> ゆに入るににたり、あせにあかあらいしづくに足をすすぐ
(『上野殿母御前御返事』〔真蹟 富士大石寺〕より引用)
この遺文は、最晩年の日蓮が身延から出した手紙である。
日蓮が身延の冬の厳しい寒さをしのぐため、酒を温めて飲んでいたことがわかる。
「末法無戒」が信条だった日蓮が酒を飲んでも不自然ではないのかもしれないが、これ
が「御本仏のふるまいだ」と言われても納得しかねるものがある。
創価学会員の皆さんなら、以上の私の主張を読んでも「そんなものは不信心者の我見に
過ぎない。日蓮大聖人が、ご自身で本仏であると述べられているのだから、疑うべきでは
ない」とおっしゃるのかもしれない。
繰返しになるが、私は日蓮が自ら本仏を自称したという解釈には同意できない。
だが一歩譲って、日蓮がそう宣言したのだとしても、日蓮が本仏、すなわち「あらゆる
神仏の本体である根源の仏」だということになるだろうか。
話は現代に飛ぶが、「唯一神」を自称して国政選挙に立候補、対立候補に対し「腹を切
って死ぬべき」とか「地獄の火に投げ込む」だとか罵倒する、奇天烈な選挙演説を行った
故又吉イエス氏や、「エル・カンターレ」――至高の神を意味するらしい――を自称する
幸福の科学の大川隆法総裁についてご存知の方も多いであろうが、そう自称したからとい
って、彼らがそのような存在だということにはならないはずである。
「日蓮大聖人が御本仏を自称したからそうなのだ」という主張は、日蓮を又吉イエスや
大川隆法と同程度の人物と見なすのと、変わらないのではないだろうか。
これまで当ブログで論じてきたように、日蓮の主張は鎌倉時代には権威があった天台教
学に依拠していたし、唱題は易行でありながらも念仏と違って現世利益もあると説いたこ
とも、当時の人々のニーズに応える面があった。
また、先祖伝来の宗教として、日蓮系伝統宗派の信仰を受け継いできた人々が、そうし
た信仰を続けたいと思うのは自然なことだし、尊重すべきだとも思う。
しかしながら、日蓮の教えが唯一絶対の真理を開示したものだというのは無理があるし、
その主張のすべてを現代社会でそのまま実践しようとすれば問題が起こりかねない。
創価学会は彼らが自称しているような、日蓮の教えを唯一正統に継承する教団だとはと
ても言えないが、独善的・排他的で現代では受け入れられ難い面は、しっかり受け継いで
いる。
そして、独善性に由来する選民思想で学会員たちをマインドコントロールし、陶酔させ
ることで、金銭や労働力を供出しなければならないことに疑問を持たせないようする「ア
メ」と、「末法の御本仏」という至高の存在である日蓮大聖人の御遺命に反すると地獄に
堕ちるなどと脅す「ムチ」とで、搾取し続けている。
日蓮本仏論を唱え始めた人々は、他の日蓮系の門流に対する自派の優位性を訴えるため
にそうしたのかもしれないが、宗祖に対する畏敬の念からという面もあったことだろう。
だが現状を見る限り、今の日本において日蓮本仏論は、創価学会や顕正会のようなカル
トが、信者をマインドコントロールし搾取するためのツールになっているという、負の意
義しか有しないように見える。
お知らせ
日蓮の思想に関する記事は、本稿をもって一区切りとします。
来週は軽めの内容にする予定ですが、再来週からは「創価学会員とはいかなる人々か」
をテーマに論じたいと思います。
私は学会員であったことはないので、創価学会の内情を実体験として知っているわけで
はありません。従って学会員・元学会員の方から見て、あまりにも一面的だとか、偏見だ
とか思われる内容になるかもしれません。
ですが、そんな場合でも「自分たちの見方とは違うが、外部からはそう見えているのか」
と受け止めていただけばと思います。
今後ともよろしくお願いします。
2019年2月24日日曜日
2019年2月17日日曜日
佐前・佐後
※ 今回も日蓮遺文(古文)の引用あり。
日蓮は文永8年(1271年)佐渡島に流罪となり、文永11年(1274年)に幕府から赦免
されるまで、その地に留まった。
佐渡への配流は日蓮にとって、大きな転機となった。日蓮系宗教で教義上、特に重視さ
れている『開目抄』『観心本尊抄』は、佐渡島で執筆されている。
また、現在も日蓮系宗教で本尊として用いられている法華経に基づいた曼荼羅――「十
界曼荼羅」「文字曼荼羅」等と呼称される――を、日蓮が図顕するようになったのも、佐
渡島でのことだった。
日蓮自身、「法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門はただ仏の爾前の経とを
ぼしめせ」(『三澤抄』日興写本 北山本門寺)と述べている。
「爾前の経」とは、天台教学において法華経より前に釈尊が説いたとされる、方便の教
えが説かれた経典のことである。
つまり、日蓮は「佐渡流罪以降に説いたことが、本当の自分の教えなのだ」と主張して
いるのである。
こうしたことから、日蓮系宗派では佐渡以降の日蓮の著述を、それ以前のものよりも信
仰上、重要な意義があると認め、「佐前・佐後」という区分を設けている。創価学会であ
れ、日蓮宗であれ、この点は同じである。
しかしながら、創価学会と日蓮宗とは、大きく教義が異なっている。
仏像を信仰の対象として認めるか否かも、教義の違いの一つである。
日蓮宗は仏像を曼荼羅本尊と同じく信仰の対象として認めるが、創価学会は彼らが用い
ている曼荼羅本尊だけが正しい信仰の対象だと主張し、仏像を礼拝することはない(仏像
を否定する教義は、日蓮正宗から受け継いだものである)。
この信仰上の立場の違いが、日蓮宗が刊行した『昭和定本日蓮聖人遺文』と、創価学会
が刊行した『日蓮大聖人御書全集』の内容にも影響を与えている。
日蓮遺文に『木絵二像開眼事』(真蹟 身延曾存)というものがある。日蓮はこの著述で
「仏像や仏画の開眼供養は法華経でなければならない」と主張している。一部を示す。
> 法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏な
> り、草木成仏といへるは是なり
(中略)
> 法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死
> するに其の身に鬼神入るが如し、今真言を以て日本の仏を供養すれば鬼入つて人の命
> をうばふ
この遺文では、日蓮は法華経で開眼供養した仏像・仏画について、それを信仰すること
を否定してはいない。問題はこの遺文が、日蓮の生涯のどの時期に書かれたかである。
『昭和定本日蓮聖人遺文』では、この遺文の書かれた時期を文永10年(1273年)として
いる。つまり、佐渡流罪中に書かれたということである。
創価学会版『日蓮大聖人御書全集』にも、この遺文は『木絵二像開眼之事』として収録
されているが、執筆された時期は文永元年(1264年)ということになっている。
『木絵二像開眼事』には日付が記されていない。だから、いつ書かれたかについて、見
解の相違があっても不自然ではないのかもしれない。
しかし、日蓮が「佐後」に仏像を信仰の対象として認める文章を書いていたとあっては、
創価学会にとって都合が悪いのも確かである……。
仏像の開眼供養について言及した日蓮遺文は他にもある。建治2年(1276年)に弟子の
四条金吾へ書き送った手紙には、以下の記述がある。
> されば画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。其の上一念三千
> の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間、二に
> は五陰世間、三には国土世間なり。前の二は且く之を置く、第三の国土世間と申すは
> 草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり。画像これより起こる。木
> と申すは木像是より出来す。此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり。
(中略)
> 此の仏こそ生身の仏にておはしまし候へ。優塡大王の木像と影顕王の木像と一分も
> たがうべからず。梵帝・日月・四天等必定して影の身に随ふが如く貴辺をばまぼらせ
> 給ふべし。
(『四条金吾釈迦仏供養事』〔真蹟 身延曾存〕より引用)
日蓮は手紙には日付を記していたので、『四条金吾釈迦仏供養事』が建治2年(1276年)
つまり「佐後」に書かれたものであることは間違いない。
創価学会の本尊に関する主張は、日蓮正宗から破門されて、その総本山大石寺に安置の
「一閻浮提総与の大御本尊」を礼拝できなくなってから、支離滅裂としか言いようがない
ほど混乱したものとなっているが、実は、日蓮正宗の本尊についての教義からして、日蓮
の教えに忠実だったとは言い難いのである。
創価学会は「本尊の正邪をわきまえないと必ず不幸になる」(『折伏教典』)などと主
張し、謗法払いと称して入信者には仏像等、それまで信仰してきた本尊を捨てさせてきた。
法華経は多くの伝統宗派で読誦される大乗仏教の重要教典である。創価学会が謗法払い
させてきた仏像の中にも、法華経により開眼供養されたものもあったのではないだろうか。
その一方で創価学会は「御書根本」を掲げ、日蓮遺文に忠実な信仰を行っているのは自
分たちだけだとも誇ってきた。
私はブログ執筆の題材とするために、少しばかり日蓮遺文を読んだだけだが、創価学会
に「御書根本」を自称する資格があるとは、とうてい思えない。
創価学会によると「仏法に背くと仏罰があたる」そうである。「仏罰」なるものが本当
にあるものならば、それを受けるべきなのは、無体な謗法払いをやってきた学会員の方で
あろう。
日蓮は文永8年(1271年)佐渡島に流罪となり、文永11年(1274年)に幕府から赦免
されるまで、その地に留まった。
佐渡への配流は日蓮にとって、大きな転機となった。日蓮系宗教で教義上、特に重視さ
れている『開目抄』『観心本尊抄』は、佐渡島で執筆されている。
また、現在も日蓮系宗教で本尊として用いられている法華経に基づいた曼荼羅――「十
界曼荼羅」「文字曼荼羅」等と呼称される――を、日蓮が図顕するようになったのも、佐
渡島でのことだった。
日蓮自身、「法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門はただ仏の爾前の経とを
ぼしめせ」(『三澤抄』日興写本 北山本門寺)と述べている。
「爾前の経」とは、天台教学において法華経より前に釈尊が説いたとされる、方便の教
えが説かれた経典のことである。
つまり、日蓮は「佐渡流罪以降に説いたことが、本当の自分の教えなのだ」と主張して
いるのである。
こうしたことから、日蓮系宗派では佐渡以降の日蓮の著述を、それ以前のものよりも信
仰上、重要な意義があると認め、「佐前・佐後」という区分を設けている。創価学会であ
れ、日蓮宗であれ、この点は同じである。
しかしながら、創価学会と日蓮宗とは、大きく教義が異なっている。
仏像を信仰の対象として認めるか否かも、教義の違いの一つである。
日蓮宗は仏像を曼荼羅本尊と同じく信仰の対象として認めるが、創価学会は彼らが用い
ている曼荼羅本尊だけが正しい信仰の対象だと主張し、仏像を礼拝することはない(仏像
を否定する教義は、日蓮正宗から受け継いだものである)。
この信仰上の立場の違いが、日蓮宗が刊行した『昭和定本日蓮聖人遺文』と、創価学会
が刊行した『日蓮大聖人御書全集』の内容にも影響を与えている。
日蓮遺文に『木絵二像開眼事』(真蹟 身延曾存)というものがある。日蓮はこの著述で
「仏像や仏画の開眼供養は法華経でなければならない」と主張している。一部を示す。
> 法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏な
> り、草木成仏といへるは是なり
(中略)
> 法華を心得たる人・木絵二像を開眼供養せざれば家に主のなきに盗人が入り人の死
> するに其の身に鬼神入るが如し、今真言を以て日本の仏を供養すれば鬼入つて人の命
> をうばふ
この遺文では、日蓮は法華経で開眼供養した仏像・仏画について、それを信仰すること
を否定してはいない。問題はこの遺文が、日蓮の生涯のどの時期に書かれたかである。
『昭和定本日蓮聖人遺文』では、この遺文の書かれた時期を文永10年(1273年)として
いる。つまり、佐渡流罪中に書かれたということである。
創価学会版『日蓮大聖人御書全集』にも、この遺文は『木絵二像開眼之事』として収録
されているが、執筆された時期は文永元年(1264年)ということになっている。
『木絵二像開眼事』には日付が記されていない。だから、いつ書かれたかについて、見
解の相違があっても不自然ではないのかもしれない。
しかし、日蓮が「佐後」に仏像を信仰の対象として認める文章を書いていたとあっては、
創価学会にとって都合が悪いのも確かである……。
仏像の開眼供養について言及した日蓮遺文は他にもある。建治2年(1276年)に弟子の
四条金吾へ書き送った手紙には、以下の記述がある。
> されば画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。其の上一念三千
> の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申すは一には衆生世間、二に
> は五陰世間、三には国土世間なり。前の二は且く之を置く、第三の国土世間と申すは
> 草木世間なり。草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり。画像これより起こる。木
> と申すは木像是より出来す。此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり。
(中略)
> 此の仏こそ生身の仏にておはしまし候へ。優塡大王の木像と影顕王の木像と一分も
> たがうべからず。梵帝・日月・四天等必定して影の身に随ふが如く貴辺をばまぼらせ
> 給ふべし。
(『四条金吾釈迦仏供養事』〔真蹟 身延曾存〕より引用)
日蓮は手紙には日付を記していたので、『四条金吾釈迦仏供養事』が建治2年(1276年)
つまり「佐後」に書かれたものであることは間違いない。
創価学会の本尊に関する主張は、日蓮正宗から破門されて、その総本山大石寺に安置の
「一閻浮提総与の大御本尊」を礼拝できなくなってから、支離滅裂としか言いようがない
ほど混乱したものとなっているが、実は、日蓮正宗の本尊についての教義からして、日蓮
の教えに忠実だったとは言い難いのである。
創価学会は「本尊の正邪をわきまえないと必ず不幸になる」(『折伏教典』)などと主
張し、謗法払いと称して入信者には仏像等、それまで信仰してきた本尊を捨てさせてきた。
法華経は多くの伝統宗派で読誦される大乗仏教の重要教典である。創価学会が謗法払い
させてきた仏像の中にも、法華経により開眼供養されたものもあったのではないだろうか。
その一方で創価学会は「御書根本」を掲げ、日蓮遺文に忠実な信仰を行っているのは自
分たちだけだとも誇ってきた。
私はブログ執筆の題材とするために、少しばかり日蓮遺文を読んだだけだが、創価学会
に「御書根本」を自称する資格があるとは、とうてい思えない。
創価学会によると「仏法に背くと仏罰があたる」そうである。「仏罰」なるものが本当
にあるものならば、それを受けるべきなのは、無体な謗法払いをやってきた学会員の方で
あろう。
2019年2月10日日曜日
日蓮遺文の真偽問題
佐渡島に配流中の日蓮が、信者に向けて送ったとされる手紙に『弥源太殿御返事』とい
うものがある。
この手紙で日蓮は、自らの出生地である安房の国に伊勢神宮の御厨――神社に寄進され
た荘園――があることを誇り、そこに生れたのは「第一の果報」と言っている。また、天
照大神は「此の国の一切衆生の慈父悲母なり」とも述べている(当該箇所は補足で引用)。
この記述を読む限り、日蓮が神祇信仰を否定していたとは、とうてい思われない。
だが、この遺文には日蓮の真蹟も古写本も現存していない。確実に日蓮が書いたとは、
断定できないのである(偽書だと断定されているわけでもない)。
日蓮は、伝統宗派の祖師の中で最も多くの文書を残しているが、日蓮遺文とされてきた
古文書の中には、偽書であることが明らかになったもの、その疑いが強いものが多数含ま
れている。
日蓮の遺文集の中で最も権威があるのは、日蓮宗が刊行した『昭和定本日蓮聖人遺文』
である(日蓮の真蹟遺文を最も多く保有しているのも、日蓮宗の中山法華経寺)。
『昭和定本日蓮聖人遺文』では、正編に「真蹟現存するもの、真蹟現存せざるも真撰確
実なるもの、真偽確定せざるも宗義上・信仰上・伝統的に重要視さるるもの」が、続編に
「真偽の問題の存するもの」が収められている。
「真蹟現存せざるも真撰確実なるもの」とは、かつて身延山久遠寺に保管されていたが、
明治8年(1875年)の大火で焼失したもの――「真蹟曾存」と呼ばれる――と、日蓮在世
中に直接その教えを受けた弟子(日興・日進・日目など)による古写本が現存しているも
のとをいう。
続編に収められている「真偽の問題の存するもの」は、実際にはそのほとんどが偽書と
見られているそうである。
真偽が議論になるのは、正編に含まれている「真偽確定せざるも宗義上・信仰上・伝統
的に重要視さるるもの」である。このカテゴリーに属する遺文の中には、現在では偽書の
疑いが強いとされている『三大秘法稟承事(三大秘法抄)』も含まれている。
日蓮遺文の真偽について学術的な研究を行っている学者の中には、日蓮系宗派の僧侶も
兼ねている方も少なくないという。当然、その主張にはそれぞれの信仰上の立場が反映さ
れることになる。
こうした問題を回避するために、真蹟遺文のみを参照して日蓮の思想を論じようとした
り、後世の写本しか現存しない遺文の中にも日蓮によるものが含まれている可能性がある
と考え、文体や語彙の厳密な分析を試みたりと、学者の中にも様々な立場があるという。
私は宗教学にも文献学にも、まったくの素人にすぎない。だから学術的なことに関して
は、専門家の研究に敬意を表することくらいしかできない。
しかし、信仰上のことについてなら、一個人として物申すことくらいは許されると思う。
日蓮は他の祖師たちと同様に、信仰の対象となっている人物である。語り伝えられてき
たその事績は、多くの伝説で彩られている。
そうした伝説はほとんどの場合、史実とは言い難い。また、日蓮系宗派の教義の中には、
日蓮の真蹟遺文に根拠があるとは言い難いものもある(日蓮正宗や創価学会が掲げる「日
蓮本仏論」は、その典型である)。
※ 日蓮正宗や創価学会が「日蓮本仏論」の根拠としてきた『百六箇抄』『本因妙抄』
『産湯相承事』は偽書である。
一個人の信仰として、あるいは信仰を共にする集団の内部でなら、史実の裏付けのない
こと、実際の宗祖の教えと異なることを信じるのも自由である(当然だが、「本当の宗祖
の教えは何か」を探求したり、信仰をやめたりするのも自由である)。
例えば、カトリックの信者が聖人の加護を祈ったり、四国の霊場巡りをする人が、「同
行二人」――弘法大師空海が巡礼者に付き添ってくださるという信仰――を信じたりした
からと言って、それを批判するのはどうかと思う。
「日蓮本仏論」だって、個人で信じるだけなら当人の勝手である。
だが、個人での信仰の範囲を超え、他者の内面の自由にまで立ち入ってくるとなると、
話は別である。
思想や信仰を異にする者をも納得させるには、客観的に検証しうる事実や学問的な裏付
けを提示することが必要である。
しかるに創価学会は、何の根拠もない思い込みを「唯一絶対に正しい」と主張して、強
引な折伏を繰り返してきた(昨年11月18日の創立記念日に合わせて打ち出した方針でも、
今後とも折伏を重視するとしている)。
創価学会が「末法の御本仏・日蓮大聖人が説き明かされた世界最高の仏法哲学」だと言
い張ってきた言説の中には、偽書に基づいているものもある。
池田大作がしばしば引用してきた「色心不二なるを一極と云う」という言葉がある。こ
の文言の出典は『御義口伝』である。
『御義口伝』は日蓮による法華経講義を弟子の日興が書き記したもの、ということにな
っているが、日興筆の原本も古い時代の写本も現存しない。それどころか、現代では偽書
と見なされている。
また、日蓮真蹟に由来する言葉であっても、それだけで普遍的真理であることには、当
然ならない。日蓮もまた一人の人間であり、人間であるが故の不完全さや、彼が生きた時
代の制約を免れることはできないのだから(「『南無妙法蓮華経』の根拠」参照)。
創価学会は、日蓮の思想を成立せしめた歴史的背景や当時の社会事情等の文脈をまった
く無視したり、あるいはご都合主義的な解釈を施したりし、それどころか本当に日蓮の教
えかどうかの検討さえも怠って、自分たちの根拠薄弱で矛盾だらけの教義を「御本仏大聖
人が開示した真理」だとか、「創価学会に入らないと地獄に堕ちる」だとか強弁し、他人
にゴリ押ししてきた。
こうした姿勢は、根拠のある説明を欠いているという点で、彼らの折伏の標的とされた
人々に対して不誠実であるというだけでなく、日蓮の思想を真摯に探求しようという姿勢
を欠いているという意味では、日蓮に対しても不誠実である。
ほとんどの創価学会員は、「唯一絶対に正しい自分」に陶酔しているだけで、他人の迷
惑に対する斟酌や、「本当に正しいと言い切れるのか」を突き詰めようとする知的誠実さ
が欠如した、どうしようもない連中なのだと言わざるを得ない。
補足 『弥源太殿御返事』からの引用(末尾部分)
> 其の上日蓮は日本国の中には安州のものなり。総じて彼の国は天照太神のすみそめ
> 給ひし国なりといへり。かしこにして日本国をさぐり出だし給ふ。あはの国御くりや
> なり。しかも此の国の一切衆生の慈父悲母なり。かかるいみじき国ならん。日蓮又彼
> の国に生まれたり、第一の果報なるなり。此の消息の詮にあらざれば委しくはかかず、
> 但おしはかり給ふべし。
> 能く能く諸天にいのり申すべし。信心にあかなくして所願を成就し給へ。女房にも
> よくよくかたらせ給へ。恐々謹言。
※ 本文で述べたとおり、この遺文には真蹟も古写本も現存しないが、信仰上重視され
てきた。創価学会版『日蓮大聖人御書全集』にも収録されている。
また、真偽は定かではないものの、日蓮には比叡山や高野山等に遊学していた頃に、
伊勢神宮に参拝したとの伝承もある。
うものがある。
この手紙で日蓮は、自らの出生地である安房の国に伊勢神宮の御厨――神社に寄進され
た荘園――があることを誇り、そこに生れたのは「第一の果報」と言っている。また、天
照大神は「此の国の一切衆生の慈父悲母なり」とも述べている(当該箇所は補足で引用)。
この記述を読む限り、日蓮が神祇信仰を否定していたとは、とうてい思われない。
だが、この遺文には日蓮の真蹟も古写本も現存していない。確実に日蓮が書いたとは、
断定できないのである(偽書だと断定されているわけでもない)。
日蓮は、伝統宗派の祖師の中で最も多くの文書を残しているが、日蓮遺文とされてきた
古文書の中には、偽書であることが明らかになったもの、その疑いが強いものが多数含ま
れている。
日蓮の遺文集の中で最も権威があるのは、日蓮宗が刊行した『昭和定本日蓮聖人遺文』
である(日蓮の真蹟遺文を最も多く保有しているのも、日蓮宗の中山法華経寺)。
『昭和定本日蓮聖人遺文』では、正編に「真蹟現存するもの、真蹟現存せざるも真撰確
実なるもの、真偽確定せざるも宗義上・信仰上・伝統的に重要視さるるもの」が、続編に
「真偽の問題の存するもの」が収められている。
「真蹟現存せざるも真撰確実なるもの」とは、かつて身延山久遠寺に保管されていたが、
明治8年(1875年)の大火で焼失したもの――「真蹟曾存」と呼ばれる――と、日蓮在世
中に直接その教えを受けた弟子(日興・日進・日目など)による古写本が現存しているも
のとをいう。
続編に収められている「真偽の問題の存するもの」は、実際にはそのほとんどが偽書と
見られているそうである。
真偽が議論になるのは、正編に含まれている「真偽確定せざるも宗義上・信仰上・伝統
的に重要視さるるもの」である。このカテゴリーに属する遺文の中には、現在では偽書の
疑いが強いとされている『三大秘法稟承事(三大秘法抄)』も含まれている。
日蓮遺文の真偽について学術的な研究を行っている学者の中には、日蓮系宗派の僧侶も
兼ねている方も少なくないという。当然、その主張にはそれぞれの信仰上の立場が反映さ
れることになる。
こうした問題を回避するために、真蹟遺文のみを参照して日蓮の思想を論じようとした
り、後世の写本しか現存しない遺文の中にも日蓮によるものが含まれている可能性がある
と考え、文体や語彙の厳密な分析を試みたりと、学者の中にも様々な立場があるという。
私は宗教学にも文献学にも、まったくの素人にすぎない。だから学術的なことに関して
は、専門家の研究に敬意を表することくらいしかできない。
しかし、信仰上のことについてなら、一個人として物申すことくらいは許されると思う。
日蓮は他の祖師たちと同様に、信仰の対象となっている人物である。語り伝えられてき
たその事績は、多くの伝説で彩られている。
そうした伝説はほとんどの場合、史実とは言い難い。また、日蓮系宗派の教義の中には、
日蓮の真蹟遺文に根拠があるとは言い難いものもある(日蓮正宗や創価学会が掲げる「日
蓮本仏論」は、その典型である)。
※ 日蓮正宗や創価学会が「日蓮本仏論」の根拠としてきた『百六箇抄』『本因妙抄』
『産湯相承事』は偽書である。
一個人の信仰として、あるいは信仰を共にする集団の内部でなら、史実の裏付けのない
こと、実際の宗祖の教えと異なることを信じるのも自由である(当然だが、「本当の宗祖
の教えは何か」を探求したり、信仰をやめたりするのも自由である)。
例えば、カトリックの信者が聖人の加護を祈ったり、四国の霊場巡りをする人が、「同
行二人」――弘法大師空海が巡礼者に付き添ってくださるという信仰――を信じたりした
からと言って、それを批判するのはどうかと思う。
「日蓮本仏論」だって、個人で信じるだけなら当人の勝手である。
だが、個人での信仰の範囲を超え、他者の内面の自由にまで立ち入ってくるとなると、
話は別である。
思想や信仰を異にする者をも納得させるには、客観的に検証しうる事実や学問的な裏付
けを提示することが必要である。
しかるに創価学会は、何の根拠もない思い込みを「唯一絶対に正しい」と主張して、強
引な折伏を繰り返してきた(昨年11月18日の創立記念日に合わせて打ち出した方針でも、
今後とも折伏を重視するとしている)。
創価学会が「末法の御本仏・日蓮大聖人が説き明かされた世界最高の仏法哲学」だと言
い張ってきた言説の中には、偽書に基づいているものもある。
池田大作がしばしば引用してきた「色心不二なるを一極と云う」という言葉がある。こ
の文言の出典は『御義口伝』である。
『御義口伝』は日蓮による法華経講義を弟子の日興が書き記したもの、ということにな
っているが、日興筆の原本も古い時代の写本も現存しない。それどころか、現代では偽書
と見なされている。
また、日蓮真蹟に由来する言葉であっても、それだけで普遍的真理であることには、当
然ならない。日蓮もまた一人の人間であり、人間であるが故の不完全さや、彼が生きた時
代の制約を免れることはできないのだから(「『南無妙法蓮華経』の根拠」参照)。
創価学会は、日蓮の思想を成立せしめた歴史的背景や当時の社会事情等の文脈をまった
く無視したり、あるいはご都合主義的な解釈を施したりし、それどころか本当に日蓮の教
えかどうかの検討さえも怠って、自分たちの根拠薄弱で矛盾だらけの教義を「御本仏大聖
人が開示した真理」だとか、「創価学会に入らないと地獄に堕ちる」だとか強弁し、他人
にゴリ押ししてきた。
こうした姿勢は、根拠のある説明を欠いているという点で、彼らの折伏の標的とされた
人々に対して不誠実であるというだけでなく、日蓮の思想を真摯に探求しようという姿勢
を欠いているという意味では、日蓮に対しても不誠実である。
ほとんどの創価学会員は、「唯一絶対に正しい自分」に陶酔しているだけで、他人の迷
惑に対する斟酌や、「本当に正しいと言い切れるのか」を突き詰めようとする知的誠実さ
が欠如した、どうしようもない連中なのだと言わざるを得ない。
補足 『弥源太殿御返事』からの引用(末尾部分)
> 其の上日蓮は日本国の中には安州のものなり。総じて彼の国は天照太神のすみそめ
> 給ひし国なりといへり。かしこにして日本国をさぐり出だし給ふ。あはの国御くりや
> なり。しかも此の国の一切衆生の慈父悲母なり。かかるいみじき国ならん。日蓮又彼
> の国に生まれたり、第一の果報なるなり。此の消息の詮にあらざれば委しくはかかず、
> 但おしはかり給ふべし。
> 能く能く諸天にいのり申すべし。信心にあかなくして所願を成就し給へ。女房にも
> よくよくかたらせ給へ。恐々謹言。
※ 本文で述べたとおり、この遺文には真蹟も古写本も現存しないが、信仰上重視され
てきた。創価学会版『日蓮大聖人御書全集』にも収録されている。
また、真偽は定かではないものの、日蓮には比叡山や高野山等に遊学していた頃に、
伊勢神宮に参拝したとの伝承もある。
2019年2月3日日曜日
日蓮と神祇信仰
※ 今回も日蓮遺文(古文)の引用あり。
創価学会員が信仰上の理由から神社に参拝しないことは、よく知られている(逆に脱会
した元学会員には、神社にお参りするようになる方が少なからずいるようである)。
学会員が神社を避けるのは、「神天上の法門」という教義によっている。この教義は日
蓮の代表的著述である『立正安国論』が根拠となっている。
> 夫四経の文朗らかなり、万人誰か疑はん。而るに盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説
> を信じて正教を弁へず。故に天下世上諸仏衆経に於て、捨離の心を生じて擁護の志無
> し。仍って善神聖人国を捨て所を去る。是を以て悪鬼外道災を成し難を致すなり。
(『立正安国論』〔真蹟 中山法華経寺〕より引用)
※ 「四経」とは金光明経・仁王経・薬師経・大集経の四つの経典のこと。この一節の
直前に引用されている。
日蓮は『立正安国論』において、人々が邪説――法然の念仏信仰――を信じて「正教」
である法華経をないがしろにしたために、善神が国を去り、「悪鬼外道災を成し難を致す
なり」と主張した。
「神天上の法門」は元々は日蓮正宗の教義だが、創価学会は破門された現在も、これを
受け継いでいる。創価学会の教学書から「神天上の法門」についての説明を引く。
> 日蓮大聖人は主著「立正安国論」で、緒経典に基づいて「神天上の法門」を説き示
> されています。
> 国土を守護する善神は、正法の功徳を栄養として、威光・勢力を持ち国土を守護し
> ます。国土に誤った思想・宗教を根本とする風潮が広がって正法が失われてしまうと
> 善神たちは法味に飢えて、守護すべき国土を見捨てて天井に去ってしまい、そのあと
> に悪鬼・魔神が侵入して種々の災難が起こるという考えです。
(創価学会教学部編『教学入門』より引用)
創価学会員はこの教義に基づき、「神社は魔の棲み処」などと主張し、神社に参拝する
と魔の働きで災難が訪れると信じてきたのである。
だが、『立正安国論』には「神社は魔の棲み処」とまでは書かかれてはいない。
「神社に参拝するな」というのが、日蓮の教えだというのは、創価学会や日蓮正宗によ
る解釈でしかないのである。そしてこの解釈は、日蓮の真意に合致したものとは信じがた
い。
文永8年(1271年)、日蓮は幕吏に捕らえられ、竜の口の刑場において斬首されそうに
なっている。
その事件を記述した『種々御振舞御書』(真蹟 身延曾存)には、刑場にいたる途中、
日蓮が八幡宮の前で「八幡大菩薩はまことの神か」と呼びかけ、法華経の行者である自分
を守護するよう訴えた、との記述がある(当該箇所は補足で引用)。
日蓮が「神社は魔の棲み処」と考えていたならば、神社の前で救いを訴えるはずがない
ことは、考えるまでもないことである。
法華経の序品には、釈尊に説法を聞くために、仏教に護法神として取り入れられたイン
ドの神々も集まっていたと記述されている。日蓮はその場に、日本の神々もいたと考えて
いた。
> 此の御経を開き見まいらせ候へば明かなる鏡をもつて我が面を見るがごとし、日出
> でて草木の色を弁えるににたり、序分の無量義経を見まいらせ候へば「四十余年未だ
> 真実を顕わさず」と申す経文あり、法華経の第一の巻・方便品の始めに「世尊の法は
> 久しき後に要らず当に真実を説きたもうべし」と申す経文あり、第四の巻の宝塔品に
> は「妙法華経・皆是真実」と申す明文あり、第七の巻には「舌相梵天に至る」と申す
> 経文赫赫たり、(中略)此の語は私の言には有らず皆如来の金言なり・十方の諸仏の
> 御評定の御言なり、一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈・今の天に懸りて明鏡のごとくに
> まします、日月も見給いき聞き給いき其の日月の御語も此の経にのせられて候、月氏・
> 漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなり給いし神神なり、天照太神・八幡
> 大菩薩・熊野・すずか等の日本国の神神もあらそひ給うべからず
(『千日尼御前御返事』真蹟 佐渡妙宣寺)
日蓮はこの遺文で、法華経の説法の場には「日本国のふるき神たちも皆其の座につらな
り給いし」と述べ、法華経が最も優れた経典であることについては、「日本国の神神もあ
らそひ給うべからず」としている。
日蓮が日本の神祇も、法華経を守護する存在と考えていたことは明白である。
だからこそ、彼が図顕した十界曼荼羅には、天照大神や八幡神も勧請されているのであ
る(創価学会の本尊も十界曼荼羅が基になっており、天照太神・八幡大菩薩の名も記され
ている)。
法華経の法味に飢えて善神が去り、災いが起こるというならば、逆に法華経の法味を奉
ることで善神の加護を願うという考え方も、あってよさそうなものである。
事実、日蓮宗の寺院には、境内に神社が併設されているところも少なくない。当然だが、
日蓮宗には神社への参拝を禁じる教義はない。
私には、日蓮宗の方が創価学会よりも日蓮の思想に忠実なように思えるのだが……。
また、日蓮正宗の古くからの檀信徒も、実際には神社への参拝を拒否する風潮はないそ
うである。
創価学会が神社を敵視してきたのは、それが日蓮の教えだからというよりも、一部の学
会員が抱く、日本の伝統への強い敵意に基づいているのかもしれない。
補足 『種々御振舞御書』の記述
> さては十二日の夜、武蔵守殿のあづかりにて、夜半に及び頸を切らんがために鎌倉
> をいでしに、わかみやこうぢにうち出で四方に兵のうちつつみてありしかども、日蓮
> 云はく、各々さわがせ給ふな、べちの事はなし、八幡大菩薩に最後に申すべき事あり
> とて、馬よりさしをりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か、和気清
> 丸が頸を刎ねられんとせし時は長一丈の月と顕はれさせ給ひ、伝教大師の法華経をか
> うぜさせ給ひし時はむらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給ひき。今日蓮は日本第一
> の法華経の行者なり。其の上身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を
> 謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり。又大蒙古国よりこの国
> をせむるならば、天照太神・正八幡とても安穏におはすべきか。其の上釈迦仏、法華
> 経を説き給ひしかば、多宝仏・十方の諸仏・菩薩あつまりて、日と日と、月と月と、
> 星と星と、鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並びに天竺・漢土・
> 日本国等の善神聖人あつまりたりし時、各々法華経の行者にをろかなるまじき由の誓
> 状まいらせよとせめられしかば、一々に御誓状を立てられしぞかし。さるにては日蓮
> が申すまでもなし、いそぎいそぎこそ誓状の宿願をとげさせ給ふべきに、いかに此の
> 処にはをちあわせ給はぬぞとたかだかと申す。さて最後には日蓮今夜頸切られて霊山
> 浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請用ひぬかみにて候ひけれ
> と、さしきりて教主釈尊に申し上げ候はんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ
> 御計らひあるべしとて又馬にのりぬ。
創価学会員が信仰上の理由から神社に参拝しないことは、よく知られている(逆に脱会
した元学会員には、神社にお参りするようになる方が少なからずいるようである)。
学会員が神社を避けるのは、「神天上の法門」という教義によっている。この教義は日
蓮の代表的著述である『立正安国論』が根拠となっている。
> 夫四経の文朗らかなり、万人誰か疑はん。而るに盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説
> を信じて正教を弁へず。故に天下世上諸仏衆経に於て、捨離の心を生じて擁護の志無
> し。仍って善神聖人国を捨て所を去る。是を以て悪鬼外道災を成し難を致すなり。
(『立正安国論』〔真蹟 中山法華経寺〕より引用)
※ 「四経」とは金光明経・仁王経・薬師経・大集経の四つの経典のこと。この一節の
直前に引用されている。
日蓮は『立正安国論』において、人々が邪説――法然の念仏信仰――を信じて「正教」
である法華経をないがしろにしたために、善神が国を去り、「悪鬼外道災を成し難を致す
なり」と主張した。
「神天上の法門」は元々は日蓮正宗の教義だが、創価学会は破門された現在も、これを
受け継いでいる。創価学会の教学書から「神天上の法門」についての説明を引く。
> 日蓮大聖人は主著「立正安国論」で、緒経典に基づいて「神天上の法門」を説き示
> されています。
> 国土を守護する善神は、正法の功徳を栄養として、威光・勢力を持ち国土を守護し
> ます。国土に誤った思想・宗教を根本とする風潮が広がって正法が失われてしまうと
> 善神たちは法味に飢えて、守護すべき国土を見捨てて天井に去ってしまい、そのあと
> に悪鬼・魔神が侵入して種々の災難が起こるという考えです。
(創価学会教学部編『教学入門』より引用)
創価学会員はこの教義に基づき、「神社は魔の棲み処」などと主張し、神社に参拝する
と魔の働きで災難が訪れると信じてきたのである。
だが、『立正安国論』には「神社は魔の棲み処」とまでは書かかれてはいない。
「神社に参拝するな」というのが、日蓮の教えだというのは、創価学会や日蓮正宗によ
る解釈でしかないのである。そしてこの解釈は、日蓮の真意に合致したものとは信じがた
い。
文永8年(1271年)、日蓮は幕吏に捕らえられ、竜の口の刑場において斬首されそうに
なっている。
その事件を記述した『種々御振舞御書』(真蹟 身延曾存)には、刑場にいたる途中、
日蓮が八幡宮の前で「八幡大菩薩はまことの神か」と呼びかけ、法華経の行者である自分
を守護するよう訴えた、との記述がある(当該箇所は補足で引用)。
日蓮が「神社は魔の棲み処」と考えていたならば、神社の前で救いを訴えるはずがない
ことは、考えるまでもないことである。
法華経の序品には、釈尊に説法を聞くために、仏教に護法神として取り入れられたイン
ドの神々も集まっていたと記述されている。日蓮はその場に、日本の神々もいたと考えて
いた。
> 此の御経を開き見まいらせ候へば明かなる鏡をもつて我が面を見るがごとし、日出
> でて草木の色を弁えるににたり、序分の無量義経を見まいらせ候へば「四十余年未だ
> 真実を顕わさず」と申す経文あり、法華経の第一の巻・方便品の始めに「世尊の法は
> 久しき後に要らず当に真実を説きたもうべし」と申す経文あり、第四の巻の宝塔品に
> は「妙法華経・皆是真実」と申す明文あり、第七の巻には「舌相梵天に至る」と申す
> 経文赫赫たり、(中略)此の語は私の言には有らず皆如来の金言なり・十方の諸仏の
> 御評定の御言なり、一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈・今の天に懸りて明鏡のごとくに
> まします、日月も見給いき聞き給いき其の日月の御語も此の経にのせられて候、月氏・
> 漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなり給いし神神なり、天照太神・八幡
> 大菩薩・熊野・すずか等の日本国の神神もあらそひ給うべからず
(『千日尼御前御返事』真蹟 佐渡妙宣寺)
日蓮はこの遺文で、法華経の説法の場には「日本国のふるき神たちも皆其の座につらな
り給いし」と述べ、法華経が最も優れた経典であることについては、「日本国の神神もあ
らそひ給うべからず」としている。
日蓮が日本の神祇も、法華経を守護する存在と考えていたことは明白である。
だからこそ、彼が図顕した十界曼荼羅には、天照大神や八幡神も勧請されているのであ
る(創価学会の本尊も十界曼荼羅が基になっており、天照太神・八幡大菩薩の名も記され
ている)。
法華経の法味に飢えて善神が去り、災いが起こるというならば、逆に法華経の法味を奉
ることで善神の加護を願うという考え方も、あってよさそうなものである。
事実、日蓮宗の寺院には、境内に神社が併設されているところも少なくない。当然だが、
日蓮宗には神社への参拝を禁じる教義はない。
私には、日蓮宗の方が創価学会よりも日蓮の思想に忠実なように思えるのだが……。
また、日蓮正宗の古くからの檀信徒も、実際には神社への参拝を拒否する風潮はないそ
うである。
創価学会が神社を敵視してきたのは、それが日蓮の教えだからというよりも、一部の学
会員が抱く、日本の伝統への強い敵意に基づいているのかもしれない。
補足 『種々御振舞御書』の記述
> さては十二日の夜、武蔵守殿のあづかりにて、夜半に及び頸を切らんがために鎌倉
> をいでしに、わかみやこうぢにうち出で四方に兵のうちつつみてありしかども、日蓮
> 云はく、各々さわがせ給ふな、べちの事はなし、八幡大菩薩に最後に申すべき事あり
> とて、馬よりさしをりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か、和気清
> 丸が頸を刎ねられんとせし時は長一丈の月と顕はれさせ給ひ、伝教大師の法華経をか
> うぜさせ給ひし時はむらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給ひき。今日蓮は日本第一
> の法華経の行者なり。其の上身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を
> 謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり。又大蒙古国よりこの国
> をせむるならば、天照太神・正八幡とても安穏におはすべきか。其の上釈迦仏、法華
> 経を説き給ひしかば、多宝仏・十方の諸仏・菩薩あつまりて、日と日と、月と月と、
> 星と星と、鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並びに天竺・漢土・
> 日本国等の善神聖人あつまりたりし時、各々法華経の行者にをろかなるまじき由の誓
> 状まいらせよとせめられしかば、一々に御誓状を立てられしぞかし。さるにては日蓮
> が申すまでもなし、いそぎいそぎこそ誓状の宿願をとげさせ給ふべきに、いかに此の
> 処にはをちあわせ給はぬぞとたかだかと申す。さて最後には日蓮今夜頸切られて霊山
> 浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請用ひぬかみにて候ひけれ
> と、さしきりて教主釈尊に申し上げ候はんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ
> 御計らひあるべしとて又馬にのりぬ。
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