2019年12月29日日曜日

令和元年をふりかえって

 創価学会・公明党をめぐっては、今年一年の間にも様々な出来事があった。
 4月の統一地方選、7月の参議院選という大きな選挙もあり、多くの学会員がF取りに
励んだことだろう(獲得議席だけを見れば、公明党はおおむね健闘した)。

 9月には創価学会を破門した日蓮正宗の先代法主・阿部日顕氏が逝去した。
 11月には、原田会長の再任が決まった(下馬評では次期会長との噂もあった、谷川氏が
任命されることはなかった)。

 こうした出来事の中で、私が最も重要だと考えるのは、参議院選挙の比例区で公明党の
獲得票数が約654万票と、前回より100万以上も減少したことである。創価学会の組織力の
低下を、議論の余地なく示した結果である。

 この選挙にはもう一点、関心をひかれたことがある。それは選挙前の6月5日、公明党が
東京ドームで決起集会を開催し、昼夜2回で10万人を集めたことだ。

 「公明フォーラム」と称するこの集会は、ネット上では事前に何の情報もなかった。
 にもかかわらず、1日で10万人を集め、最寄り駅は大根混雑となり、事情を知らない多
くの利用客を困惑させたのである。

 そして、東京選挙区から立候補した公明党の山口代表は、前回よりも得票を増やして当
選した。

 この事実を見ると、創価学会は全体としては退潮傾向にあるものの、大都市部では依然
として侮れない組織力を保っていると言わざるを得ない。

 どう受け止めるかは人それぞれだろうが、私にとっては、創価学会の反社会性を訴え続
けることの意義を再確認させられた出来事だった(一個人の影響力など微々たるもの過ぎ
ないことは、百も承知しているが)。

 閑話休題。

 話は飛ぶが、当ブログの方針についても併せて述べさせていただく。
 このブログでは、『人間革命』などの創価学会による出版物や、創価学会ウォッチャー
と称される批判的なジャーナリストの書籍に依拠することが多い。

 それらの出版物の多くは20年以上も前に世に出たものであり、もっと新しい情報や、現
在の創価学会について取り上げるべきではないか、という方も少なくないかと思う。

 私もできることなら、そうしたいと思うのだが、それは困難だというのが正直なところ
である。

 私は過去に学会員であったことがないので、自分の経験を参照することができない。
 情報提供してくれる親しい学会員がいるわけでもない(まさか、過去に私を折伏しよう
とした学会員に「創価学会を批判するために必要なので、内情を教えてくれ」と頼むわけ
にもいかない)。

 もちろん、元学会員による批判ブログの中には、近年の創価学会の実情を物語る内容の
ものもあるが、人様のブログの引き写しばかりの記事を投稿するのは、流石に躊躇われる。

 ブログ以外にも、ネット上には興味深い情報もあるにはある。
 例えば、先日、5chの創価・公明板を閲覧していて、以下の書き込みを見つけた。


> 財務は強要「と感じる」のではなく、現場では完全に「強要している」のは、活動家
> 2世3世や元活動家なら知ってるはずだよ。

> 広布部員の申し込み書が提出されていなければ、昼夜問わず訪問攻撃、訪問者も一人
> が2人、3人と増え、来る人の役職が上がっていき、長時間一方的に説得、その場で書
> かせ、書くまで居座る。

> 申し込み書を出して振り込まないと、また訪問攻撃で、銀行まで同行される。
> 居留守なんてしようものなら、近所で待ち伏せされる。

> これは「強要」だよ。嫌ならしない選択肢はなく、この嫌がらせに屈して渋々財務が、
> ずいぶんたくさんいるよ。
 (5ch 創価・公明板「創価学会員の皆さん、今年の「財務」どうしますか?」)


 具体的な記述であり、それなりの信憑性があるように思える。
 近年は財務の総額もかつてよりは減っていると伝えられてはいるが、依然として強制を
伴う搾取的な実態が、創価学会にはあるのだと思いたくなる。

 だが、匿名掲示板の書き込みを、信用できる確たる証言というわけにはいかない。
 裏を取るべきだが、私は残念ながらジャーナリストとしての訓練を受けたことはない。

 私にできることは、図書館で文献をあさることくらいだ。
 なので、忸怩たる思いはあるが、これからも現在の創価学会がなかったことにしようと
している、後ろ暗い過去に光をあて続けたいと思う。


お知らせ

 本文でも書いた通り、当ブログでは今後も創価学会の過去を取り上げるつもりです。
 次々回からは、言論出版妨害事件について書く予定です。

 そして、その後は思うところがあり、しばらくブログを休もうと考えています。
 活動を止めるわけではなく、あり方を検討する必要があると考えたからです。

 悪しからず、ご了承ください。

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2019年12月22日日曜日

創価学会と軍国主義

 創価学会が急速に拡大できた理由の一つとして多くの論者が指摘していることに、第二
代会長・戸田城聖が軍隊式の組織運営を導入した点が挙げられる。

 入信してさほど日を経ずして聖教新聞の編集主幹に抜擢されるなど、戸田から何かと目
を掛けられてきた石田次男氏を押しのけて、池田大作が第三代会長に就任できたのも、池
田が「参謀室長」という役職についており、青年部を掌握していたことが大きかった。

 参謀室長に就任した際、池田は以下のように語っている。


>(前略)参謀室の任務はあくまでも広宣流布成就の青年部の立法機関であり、十五部隊
> は行政機関である、又参謀室は大本営であり、各部隊長は武将であり将軍である。新
> しき闘争は民衆を相手とするものであり、広宣流布遂行途上に起る大衆性の問題政治
> 経済等あらゆる一切の源泉の命令は参謀室より発せられる。

(『聖教新聞』昭和29年4月11日付)

 また、創価学会は昭和30年代まで、軍歌を学会歌として用いていた。昭和32年(1957年)、
10歳の時に母親と同時に入信した女性の証言を引く。


>  そのころ夜には座談会に一時間位歩いて会場に行き、ついたら寝て学会歌が始まる
> と起きるという子供時代でした。今では覚えている人も少ないですが、当時の学会歌
> は軍歌で、“貴様と俺とは同期の桜”で壮年部が扇子を振って指揮を執るものでした。
 (創価学会・公明党を糾すOB有志の会 編著『サヨナラ私の池田大作』)


 それだけでなく、創価学会が多数の青年部員を「部隊」と称する組織に編成し、大挙し
て大石寺に結集して閲兵式もどきの大集会を行ったりしたことから、当時のマスコミから
も「新手の右翼団体か?」と警戒された。

 『週刊読売』(昭和30年10月30日号)に掲載された「“軍旗”のある新興宗教」という特
集記事は、創価学会の強引な折伏の事例とともに、その組織が軍隊と酷似していることや、
「部隊旗」と称して軍旗に似た旗を用いていることなどを伝えている。

 創価学会のこうした体質については、前述のように多くの方が論じているが、それらの
中で私がもっとも的確だと感じたのは、哲学者・鶴見俊輔氏の以下の論考である。


>  敗戦によって日本の文化に欠落が生じた。軍隊がない。天皇が人間宣言を出したの
> で、戦前の現人神信仰を、もはや支えとすることができない。教育勅語がなくなって、
> それまでの倫理的背骨とされたものが失われた。子供のしつけをどうするか。親が年
> 老いてから子供をたよりにできるか。あふれるエネルギーを持つ少年少女を、どのよ
> うに調教できるか。金の価値がなくなったり、たのみにしていた会社がつぶれたり、
> そういう不安定な状況の中で、しかも、戦争中まで残っていた親類や隣近所の助け合
> いの慣習が薄れた。こうした不安に悩む人びとのあいだに、創価学会は急速にのびて
> いった。それは仲間の助け合いの習慣をつくり、青少年を訓練する道場をつくった。
> 天皇が戦前スタイルの観兵式をやめているその時期に、戸田城聖は白馬にまたがって、
> 青年団男女の観兵式をおこなった。そこにあったのは、自衛隊にも増して戦力なき軍
> 隊であった。目標は平和日本の建設であるとされたが、この団体訓練でとられた方式
> は、旧軍隊でとられたものと瓜ふたつである。軍人勅諭のかわりに、与えられたお経
> のテキストの暗誦。そのテキストの文句についての問答。たえず要求される集団への
> 参加。規則的な昇進。かつて軍隊において身分や学歴にかかわらず、軍務そのものに
> よる公平な競争をとおして昇進がおこなわれたとおなじように、ここでも、身分や富
> や学歴にかかわらず、努力と才能に対して公平な昇進が約束された。まさにおなじ時
> に、外の社会においては資本の独占化が進み、会社は系列化され、学歴なく一流会社
> から外れた人びとにとっては公平な昇進の希望は失われつつあった。
>  独占資本主義下に安定した社会において、不安的な状態にさらされるのは、中小企
> 業、農業、炭鉱労働に属する人びとである。それらの階層が、創価学会信者の急速に
> 膨張する部分だった。
>  今日の創価学会は、戦前日本の軍隊、在郷軍人会、青年団、少年団、さらにそれら
> を最終的に一本に編みあげた体制翼賛運動の思想から多くのものをゆずり受けた。そ
> の共同体信仰。行動力。論争形式。それらは、戦後直後、誰もゆずり受けて住もうと
> しない廃屋として、誰も利用しようとはしないが、しかし依然として存在する国民的
> 慣性としてそこにあった。その国民的遺産をそっくりそのまま、創価学会がゆずり受
> けたのである。
 (『鶴見俊輔著作集』第三巻所収 「牧口常三郎と戸田城聖」)

 ※ 引用にある「戸田城聖は白馬にまたがって、青年団男女の観兵式をおこなった」と
  は、昭和29年(1954年)10月31日、創価学会が1万人を結集して、大石寺への登山を
  行った時のことを指す(この出来事は『人間革命』第八巻にも描かれている)。


 現在でも大半の人は軍国主義には反対だろうが、 昭和20年代から30年代にかけての日
本では、戦争の傷跡がまだ生々しかったことや、新憲法のもとで民主的な社会を築こうと
いう機運が強かったことから、軍国主義との決別はより切実な問題だった(軍閥の復活を
策動する者もいたという)。

 こうした時勢にあったにもかかわらず、創価学会は軍隊式の組織運営を行い、大規模な
集会でそれを誇示しさえしたのだ。

 世間の反感を買った面もあるにせよ、それを意に介さず創価学会に入信した者が多数い
たこともまた事実である。軍隊方式の何が人を惹きつけたのだろうか。

 軍隊には厳しい規律があり、上官の命令には絶対に服従しなければならない。窮屈な組
織なのは確かである。

 一方で軍隊においては、何が正しいか、いかに生きるべきかを自分で考える必要はない。
上官の指示に従い、敵と戦うことが正しいのだ(士官には作戦立案能力が求められるが、
一兵卒にはそんな能力は必要ない)。

 戦後の日本は自由な社会になった。
 しかし、何が正しいか、いかに生きるべきかを各人が自己責任で考え、実践しなければ
ならなくなった。

 この自由を重荷に感じる人にとって、「絶対に正しい」生きる指針や、同じ目標を共有
する同志を与えてくれる創価学会は、魅力的に見えたのかもしれない。

 軍隊からの復員者の中には、従うべき命令が何もない状況で、与えられた自由を前にし
て途方に暮れていた人もいただろう。そんな人にとっては、なおさらのことそうだったの
ではないか。

 自分から進んで自由を投げ出し、盲信を選ぶ人はいつの時代にもいた。
 そして、「自分には大衆を導く使命がある」と自称する、ペテン師のような連中も……。

 多くの学会員にとって、そして日本にとって不幸だったことは、長年にわたって創価学
会の意思を担ってきたのが、池田大作という邪悪な俗物だったことである。

 公明党の政策に異を唱える学会員を軍法会議さながらの査問にかけ、恭順しない者には
除名処分を下していることから明らかなように、池田が表舞台から去った現在も、創価学
会の体質は変わっていない。自分の頭で考えることは、末端の学会員には期待されていな
いのだ。

 今でも学会員の大部分は、何も考えずに上意下達に従い、「自分たちは地涌の菩薩で、
学会員でない人より格上の存在なのだ」という選民思想に酔い痴れて、満足しているのだ
ろう。

 そのような学会員たちによる組織的な投票が、現在でも日本の国政に小さくない影響を
与えているのである(良識あるマスコミはなぜ問題視しないのだろう)。

 学会員から折伏などで迷惑をかけられた経験のある人なら、こうしたことは許しがたい
と思うだろうし、そうでない人でもおかしいと感じている方は少なくないはずである。

 そうした人々が一斉に声を上げれば、現状を少しでも変えられるのではないかと私は考
えるのだが、いかがだろうか……。


補足 『週刊読売』(昭和30年10月30日号)の創価学会特集記事について

 本文でも触れたとおり、週刊読売はこの号で創価学会についての特集記事を掲載した。
その概略を述べる。

 まず冒頭で、強引な勧誘の事例として、静岡県沼津市に住む仏立宗――日蓮系宗派の一
つ――の信者である女性のもとに、二人組の学会員が折伏に訪れ、女性が創価学会への入
信を拒んだところ、学会員たちが仏壇に祭られていた日蓮像を奪い去り、ドブ川に投げ捨
てたという事件が報じられている。

 また、別の事例として、福島県相馬郡で地元の人から信仰されていた観音堂を複数の学
会員が打ちこわし、安置されていた観音菩薩像を焼き払ったことも伝えられている。

 創価学会の実態にも言及されており、「会費を取らない」と言いながら新聞購読料や書
籍の購入代金などで、かなり稼いでいるとも述べられている。

 その後、青年部の組織と軍隊との類似性が論じられ、各部隊が「部隊歌」と称して軍歌
の替え歌を用いていることを述べ、そのことについて後に第五代会長となる秋谷城栄(栄
之助)が記者の質問に答えている。

>  部隊長クラスになると戦後、大学を出た若いインテリが主だが、第五部隊長秋谷城
> 栄君(二五)(早大仏文卒)はこういう。
>  「私どもの教えの中に“依義判文”というのがある。例えば戦陣訓の歌でも、日本男
> 子と生れきて戦の場にたつならば――とあるのは、邪宗との戦いの場と解釈する。散
> るべきとき清く散れ――は、弾圧にひるむなであれ、御国にかおれ桜花――は日蓮正
> 宗はサクラのようにかおれであると解釈するから、少しも右翼とは思わない」
>  教義のためには、宗教戦争も辞せずといった表情である。

 現在の創価学会は、外面を取り繕う知恵を身につけはしたものの、実態としてはこの記
事で述べられている折伏大行進の頃と、そう変わらない体質を少なからず残していると見
てもよいのではないかと思われる。


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2019年12月15日日曜日

どのような人々が創価学会に引き寄せられたのか?

 退潮傾向にあるとはいえ、創価学会は現在でも日本最大の新興宗教である。それのみな
らず、公明党の支持母体として、多くの票を集める力を持っている。

 創価学会がこれほど発展できた理由は、宗教学・社会学の研究対象となっており、戦後
の高度経済成長と関係づけて論じられることが多い。

 宗教学者・島田裕巳氏は、「なぜ創価学会が高度経済成長の時代に成長したのかという
謎を解く鍵」となるとして、昭和37年(1962年)に福岡市在住の創価学会員を対象として
実施された調査研究を参照し、以下のように述べている。


>  調査によれば、福岡市の学会員は、学歴が低く、高卒以上は全体の三割を占めるに
> すぎない。多くは小学校や中学校しか出ていない。職業の面では、「零細商業・サー
> ビス業の業主・従業員と、零細工場・建設業の工員・単純労働者など」が中心である。
> つかり、創価学会はたんに都市型組織であるというだけでなく、論文の副題にもあっ
> たように、都市下層のための宗教組織なのである。
 (中略)
>  つまり、学会員となった人間たちは、福岡市に生まれ育ったわけではなく、最近に
> なって、農村や漁村、山村から福岡市に出てきたばかりの人間たちであった。彼らは、
> 学歴が低く、そのため、大企業に就職することもできない。労働者ではあっても、労
> 働組合の恩恵にあずかることができず、未組織の労働者として不安定な生活を送らざ
> るを得ない境遇にあった。
 (島田裕巳著『創価学会』)

 ※ 島田氏は社会学者・鈴木広氏の論文「都市下層の宗教集団――福岡市における創価
  学会」に準拠している。


 戦後の日本での都市部への人口集中が、創価学会発展の下地となった。都市は新たな産
業の労働力を求めていた。一方で地方においては、重要な産業が衰退しつつあった。

 近代以前の日本社会では、燃料と言えば木炭であった。山村において炭焼きは、現金収
入を得られる重要な産業だった。

 しかし、昭和30年代になると電気や化石燃料が普及したことにより、燃料としての木炭
需要は急速に減少していった。

 地方では収入を得られる仕事が失われていく一方、都市部では製造業やサービス業での
労働需要が急速に伸びていたのだから、地方の過疎化、都市部の過密化が同時並行して進
むことになったのは当然である。

 創価学会は、こうして新たに都市住民となった人々を信者として取り込んでいった。
 これらの人々の多くは、誇るべき家柄も学歴もなく、専門的な技能を身につけていたわ
けでもなかった。

 故郷にいても家計の足しになる収入を得ることは難しく、生家にとどまったところで、
厄介者あつかいされかねない者も少なくなかっただろう。

 故郷から離れ、頼るべきものも心の支えも持たなかった人々が、創価学会の信仰に拠り
所を見出したのはなぜだろうか。

 その理由としては、創価学会が相互扶助的で密度の濃い人間関係を構築していたこと、
御書講義などの教学重視の在り方に、教育を補完する作用があったこと等が挙げられるだ
ろうが、創価学会の教義にも、ある種の人々を引き付ける要素があったと考えられる。

 創価学会の教義の特色は、その極端な独善性・排他性にある。


>  実際に、神道にはなんら教えらしいものはなく、神主の家など、決して幸福な生活
> をしていない。代々、浄土宗、浄土真宗、禅宗、真言宗の家の檀家総代をしている家
> は、家族に病人が絶えなかったり、不幸が続いたり、どんな財産家も三、四代すると
> つぶれるのが多い。仏教各派が釈尊の教えと違ったことを教えていることや、いわゆ
> る日蓮宗が日蓮大聖人の教義と違反していることは、別の項で説き尽くされているか
> ら、ここでは、教義のことは省略するが、俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に
> 不具者ができたり、知能の足りない子供が生まれたり、はては発狂する者ができたり
> して、四代法華、五代法華と誇っている家ほど悲惨な生活をしているのである。この
> ようにして、先祖代々の宗教は皆、人を不幸にする力をもっているゆえに捨てなけれ
> ばならないのである。
 (創価学会教学部 編『折伏経典』改訂29版)

 ※ 「いわゆる日蓮宗が日蓮大聖人の教義と違反していること」とは、日蓮宗が日蓮正
  宗総本山大石寺の大御本尊の権威を認めていないこと等を指す(「大御本尊と池田大
  作」参照)。


 常軌を逸していると言っていいほど、一方的で差別的な記述である。
 世の中の大部分の人は、その信仰心の程度によらず、先祖代々のやり方で葬式等を行う
が、創価学会はそれを「人を不幸にする力をもっているゆえに捨てなければならない」と
いうのだ。

 もちろん『折伏教典』の独善的な主張のほとんどは、根拠がなかったり矛盾していたり
するたわ言ばかりである(「創価学会の信心の現証について」参照。)

 人間は誰しも、自分の存在を肯定できる根拠を求めるものだ。創価学会の荒っぽい主張
が一部の人の心をつかんだのは、粗雑ながらも心をひかれる要素があったからだろう。

 「自分には何もない」と感じざるを得なかった人にとっては、「自分たち以外は間違っ
ている」という根拠のない独善性が、心地よかったのではないか。

 世間の成功している人、権威ある家柄の人、それ以外の平凡ではあってもそれなりに幸
福な生活を送っている人、そうした人々の信仰はすべて間違っているのであり、正しいの
は自分たちだけなのだ、という創価学会の主張が、渇いた土地が水を吸い込むように劣等
感に苛まれた心にしみ入ったのである。

 私はこれまでに何回も折伏を受けたことがあるが、現在でも学会員の中には、「創価学
会は絶対に正しい。これは決まっていることだ」と言い張るだけで、その根拠など示せな
い者が少なくない。

 根拠がないことを信じることに不安を感じないのかという疑問を、かつては私も抱いた
ものだが、実は彼らは根拠など必要としていないのだ。

 正当性の根拠を追求することは、それなりの知的能力を必要とする。知性が欠如した者
は、そんな面倒なことなど御免蒙りたいのである(「狂信者の心理」参照)。

 つまるところ、おツムの出来があまりいいとは言い難い人々が創価学会に入り、その後、
強引な勧誘や悪質な選挙違反等を行って、社会に迷惑をかけたのである。

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2019年12月8日日曜日

川邊メモ・教学部レポート・遠藤文書

 「川邊メモ」とは、日蓮正宗の高僧だった川邊慈篤氏がつけていたメモである。
 川邊氏は阿部日顕氏と親しく、法主に就任する以前からの阿部氏の言動について、詳細
なメモを残していた。

 このメモが流出し、阿部氏が大石寺の大御本尊を偽物だと断定していたことが判明した。
 それを日蓮正宗から離脱した僧侶たち――「憂宗護法同盟」と称した――が発行してい
た『同盟通信』(平成11年〔1999年〕7月7日付)が報じたことから騒動が起こった。
 問題のメモの内容は、以下のようなものである。


> S53・2・7、A面談 帝国H
> 一、戒旦之御本尊之件
>   戒旦の御本尊のは偽物である。
>   種々方法の筆跡鑑定の結果解った。(字画判定)
>   多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の
>   題目と花押を模写し、その他は時師か有師の
>   頃の筆だ。
>   日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている
> 一、Gは話にならない
>   人材登用、秩序回復等全て今後の宗門の
>   事ではGでは不可能だ。
> 一、Gは学会と手を切っても又二三年したら元に戻
>   るだらうと云う安易な考へを持っている
>   ※日禅授与の本尊は、初めは北山にあったが北山の
>   誰かが売に出し、それを応師が何処で発見して
>   購入したもの。(弘安三年の御本尊)
 (憂宗護法同盟 著『法主詐称』)

 ※ Aとは阿部氏、Gとは猊下(当時の法主・細井日達氏)を指す。


 日蓮正宗にとって、大石寺の大御本尊は教義の根幹である。法主に就任する1年前、当
時、教学部長だった阿部氏がこれを偽物呼ばわりしていたことが事実であれば、宗教とし
ての正統性が根本から崩れることになる。

 当然のことながら、阿部氏と川邊氏は釈明の必要に迫られた。
 時を置かずして、同年7月9日付の宗務院通達に、阿部氏の言い分が掲載された。


>  この度、御法主上人猊下には、川辺メモ中の記載事項と、実際の面談とには、内容
> に大きな差異がある旨を仰せになられました。
>  即ち、二十年以上も以前のことであり、その発言内容の全てを正確に御記憶されて
> いるわけではありませんが、当時は裁判も含め、以前より外部からの「戒壇の大御本
> 尊」に対する疑難が多く来ていたこともあり、御法主上人猊下におかれては、教学部
> 長として、それらの疑難について川辺師に対して説明されたものであります。
 (平成11年7月9日付 日蓮正宗宗務院通達)


 次いで翌7月10日付の通達に、川邊氏による「お詫びと証言」が掲載された。川邊氏も
当時、阿部氏から「外部から大御本尊について、こういった批判がある」との説明を受け、
それをメモに書き記したのであり、阿部氏が自らの意見として「大御本尊は偽物」と述べ
たわけではないという旨の弁解している。

 大石寺の大御本尊については、古くから偽作説があった。
 昭和53年(1978年)の時点でも、元民音職員の松本勝弥氏らが「大御本尊は偽物なので、
正本堂建立にあたっての寄付金の返還を求める」と訴え、裁判で係争中だったのも事実で
ある。

 しかし、松本氏らは「大御本尊を筆跡鑑定して偽物と判明した」などと、主張していた
わけではない。

 また、「大御本尊は、弘安三年に日蓮が弟子の日禅に与えた本尊の模刻である」と主張
する者が、当時いたわけでもない(犀角独歩氏がこのような主張をしておられるが、彼が
大御本尊を検証したのは、川邊メモが明らかになった後のことである)。

 阿部氏と川邊氏の弁解には、難があると言わざるを得ない。
 阿部氏は、日蓮正宗の内部では本尊鑑定の専門家と見られていたという。

 大御本尊と日禅授与本尊を比較して筆跡鑑定することも、大石寺の教学部長だった阿部
氏ならば、その機会はいくらでもあっただろう。

 川邊メモの内容は、大御本尊が偽物だということも、阿部日顕氏がそれを承知していた
ということも、両方ともが事実だったと考えてよさそうである。

 創価学会はこの件について、聖教新聞や創価新報で「日顕の発言は宗旨破壊の大謗法で
あり、そのような人物に法主の資格はない」といった旨の批判を繰り返し行った。
 その一例として、聖教新聞から秋谷会長(当時)の談話を引く。


>  一、極悪・日顕が、“大御本尊偽物”という大邪説を唱えていたことが“川辺メモ”に
> よって七月に発覚し、宗内に大激震が走ったことは、すでにご承知の通りであります。
 (中略)
>  一、宗旨(しゅうし)の根幹である戒壇の大御本尊を、一宗の法主が「偽物である」
> と断じたなどは、前代未聞の出来事であります。この大謗法は、未来永劫(えいごう)
> の歴史に残る大汚点であり、滅亡の因となることは、疑う余地がありません。
 (『聖教新聞』1999年〔平成11年〕9月12日付)


 大御本尊は偽物だという事実を指摘したことが、日蓮正宗の「滅亡の因」となるのなら、
「受持の対象にしない」と宣言した創価学会はどうなるのだろうか……。


 さて、前回述べた通り、この騒動から15年後の平成26年(2014年)、創価学会は会則を
改正し、大石寺の大御本尊を信仰の対象から外した。

 この教義変更については、推進派の首脳部――原田会長、秋谷前会長、八尋顧問弁護士、
谷川事務総長――と、反対派の教学部との間で確執があった。

 結果は見えていたであろうが、教学部側が敗北し教義変更は強行された。
 反対を主張し続けた遠藤総合教学部長は更迭されたが、彼らも一矢報いたかったのか、
教義変更に関する内部事情を記した文書を2回にわたって流出させた。

 それが、「教学部レポート」と「遠藤文書」である。
 既にご覧になった方も多いと思われるが、両文書を読んで私が関心を持った箇所につい
て要約を記す。

・ 「戒壇の大御本尊は、謗法の宗門の本尊であり、学会とは何の関わりもない」と教義
 を変更し、それを池田が存命中に池田の意志として発表するという方針は、首脳部が決
 定しており、教学部にはそれを正当化する役割が求められた。

> この一連の計画を主導しているのは、A議長、H会長、T事務総長、Y弁護士の4人です。
> 信仰の根本の問題なのだから、もっと皆の意見を聞いて、もっと時間をかけて、慎重
> に進めるべきだ」と心配の声が上がっています。
> にもかかわらず、A、H、T、Yの4人は、
> 「池田先生の強い意向」と「教義の裁定権は会長にあるという会則」
> を盾に、独断専行に近い状態で強行突破を企てています。
 (教学部レポート)

 ※ A、H、T、Yとは、それぞれ秋谷前会長、原田会長、谷川事務総長、八尋顧問弁護
  士のことである。


・ 上記の方針が本当に池田の了承を得たものか疑問に感じた遠藤氏らが、第一庶務室長
 に確認したところ、「池田先生は全くそんなことを言われていない」「会長もそうした
 指導は受けていない」との回答だった。

> 「先生のご意向のもと、大御本尊との決別を今この時に宣言する」
> という、先生のご指導は、全くの作り話だったのです。
 (教学部レポート)


・ 教学部としては、創価学会の本尊はすべて大御本尊を書写したもので「之を書写し奉
 る」と明記されていることから、大御本尊を否定すれば信仰の根拠が不安定となり、学
 会員が動揺することになると懸念していた。


・ 教義変更に必要な調査に、女性問題で失脚した弓谷元男子部長が従事していた。

>  先月、宮地の方から、弓谷の言動に関してお伝えいたしました。弓谷は、前代未聞
> の女性問題を起こして男子部長を頚になった人間です。池田先生が、弓谷の不祥事で、
> 大変に苦しまれたとうかがっています。先生御自身、「あいつは将来、絶対に叛逆す
> る。絶対に使うな」と断じられたと聞き及んでおります。その弓谷が、大御本尊とい
> う学会にとって最重要の事項について、どういう資格、どういう立場で調査に当たっ
> たのでしょうか。
 (遠藤文書)


 また、教学部レポートに記された幹部の発言からは、外部の人間には容易にはうかがい
知れない学会本部の体質を垣間見ることができ、興味深く感じた。

> 教学部以外の5人は、論理として完全に破綻していました。率直に申せば、素人談義
> の域を出ず、これが学会の最高首脳の教義理解かと別の意味で衝撃を受けました。
> 例えば、A議長は
> 「弘安二年の御本尊については、南無妙法蓮華経の法体を文字曼荼羅に図顕された御
> 本尊であるが、唯一絶対の御本尊と大聖人が定められた証拠はない。 
> 日寛上人より『究竟中の究竟』等宗派の確立のために確立されたとも推察される」
> 「弘安二年の御本尊も何の徳用も働かない。・‥
> 他宗の身延派や、中山系、京都系が保持している真筆の御本尊と同じ事になる」
> と主張していました。
 (教学部レポート)

 秋谷前会長が述べているとおり、現在の日蓮正宗の教義は、第26世法主・日寛が自派の
正当性を訴えるためにデッチ上げたものだというのは史実である。
 だが、これを一般の学会員の前で言うことができるのだろうか。


> また聖人御難事の「余は二十七年なり」という大聖人の「出世の本懐」の表明につい
> ても、T総長は
> 「『出世の本懐』の意味だって変えればいいんだ。独立した教団なんだから、変えて
> もいいんだし、変えられるんだ。南無妙法蓮華経の御本尊を顕したことにすればいい
> んじゃないか」
> と述べていました。
 (中略)
> 「過去との整合性などどうでもいい。自語相違と批判されてもかまわない。
> 完全に独立した教団として出発するんだから。
> 結論は決まっているんだ。
> 教義なんて、それを後付けすればいいんだ」
> と、T総長は何度も繰り返していました。
> “何でも自分たちで決められる”という全能感がにじみ出ていて、何を言っても取り
> 付く島がありません。支離滅裂な不毛な会議となりました。
 (教学部レポート)

 『聖人御難事』にある「出世の本懐」という言葉の意味を、「特別な本尊として大御本
尊を作ったこと」と解釈する日蓮正宗の教義は、確かにこじつけでしかないので、それを
「変えてもいい」という谷川氏の主張は理解できなくもない。

 だからといって「過去との整合性などどうでもいい」「教義なんて後付けでいい」とい
うのは、宗教団体の幹部としてがいかがなものであろうか。

 秋谷氏・谷川氏の発言は現実主義的ではある。その一方で、誠実な信仰者というよりは、
信者を操る権力者としての相貌が色濃く表れてもいる。

 ご両名とも選挙の指揮において実績を積んで来られたとのことなので、教義のことなど
本音ではあまり関心を持っておられないのだろう。

 創価学会の幹部にとっては、教義など学会員を操るためのツールに過ぎないのである。
 失脚した遠藤氏は、実直に信仰し、池田センセイを尊敬していたのかもしれない。だが、
彼をセンセイとの「師弟不二」の実践者と呼ぶわけにはいかない。

 池田センセイは金と権力、そして女性が大好きな方だった。秋谷氏や谷川氏、弓谷氏の
方こそが、真の「師弟不二」の実践者ではないかと思うのは私だけだろうか。

 大石寺の大御本尊を中核とする日蓮正宗の教義は、第67世法主・阿部日顕上人がいみじ
くもご指摘なされたとおりデタラメだし、その日蓮正宗から破門されて都合が悪くなった
点について取り繕った、創価学会の現在の教義もインチキである。

 所詮、どちらもカルトに過ぎないのだ。


追記

 秋谷氏や谷川氏をはじめとする学会幹部が、「日蓮正宗の教義は誤りだった」と気づい
たのならば、それは大いに結構なことである。

 しかし、「だから教義を変更するのだ」というのであれば、まず、その誤った教義を広
めるために強引な折伏を行い、多く人を傷つけ苦しめてきたことについて反省し、謝罪す
るべきではなかったのか。

 実際には、創価学会は平成28年(2016年)、会則前文に「創価学会仏」なる言葉を加
え、自己神格化を進めることを選んだ。つくづく度し難い連中である。


補足

 創価学会の教義変更と、教学部レポート・遠藤文書の関係については、以下のサイトの
解説が分かりやすい。

 よくわかる創価学会

 また、教学部レポートのほぼ全文が、樋田昌志氏が開設されているサイトで閲覧できる。

 樋田氏のサイト・toyoda.tv

 ※ 「創価教学部からの流出資料か」と題されたファイル

 遠藤文書については以下のサイトで閲覧できる。

 顕正会の崩壊は近い

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2019年12月1日日曜日

大御本尊と池田大作

 創価学会は元々、富士大石寺を総本山とする日蓮正宗の在家信者団体として発足した。
 そして、その信仰の核心にあったのは、まぎれもなく大石寺の大御本尊だった。

 創価学会が教義書として出版していた『折伏教典』には、大石寺の大御本尊だけが正し
い信仰の対象である旨が、繰り返し説かれている。


 P-89
>  しかして根本の本尊たる一閻浮提総与の大御本尊に向かって、南無妙法蓮華経と唱
> 題することによって、末法の一切衆生は救われるのである。この一閻浮提総与の大御
> 本尊は弘安二年十月十二日に顕わされ、この大御本尊を拝む以外に末法の衆生は根本
> 的に幸福にはなれないのである。
 (中略)
>  日蓮大聖人の出世のご本懐は、末法の一切衆生に一閻浮提総与の御本尊をお与えく
> ださることであり、この御本尊が、すなわち弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本
> 尊であり、今日、厳然として日蓮正宗富士大石寺に厳護され、学会員は登山して御開
> 扉をうけ、拝することができるのである。

 P-238
>  日蓮大聖人のご本懐は一閻浮提総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあることに間
> 違いなく、日蓮正宗はこれを本尊として日蓮大聖人のご遺志を継ぎ、一切民衆を救わ
> んとするものである。したがってこれは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にし
> て唯一の宗教である。

 P-339
>  御本尊が大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もない
> のである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。

 P-340
>  また信仰の対象として一切をささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山
> においてはご相伝により、代々の御法主猊下お一人が、おしたためあそばされるもの
> であり、三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊
> を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。

 ※ 創価学会教学部 編『折伏経典』改訂29版(昭和43年発行)から引用。『折伏教典』
  は何度も改訂されており、それぞれ内容が少しずつ異なっている。


 日蓮正宗の教義では、大御本尊は「末法の御本仏」である日蓮と「南無妙法蓮華経」と
を合わせた存在とされている(これを「人法一箇」という)。

 「大御本尊を拝まないものはすべて謗法」とされ、一方ではどんな願いでも叶える力が
あるとも宣伝されたことから、かつての創価学会では「登山会」と称して、大石寺の大御
本尊を参拝することが定例行事となっていた。往時は、そのために特別列車が仕立てられ
るほどの盛況だったという。

 創価学会は日蓮正宗の信徒団体でありながらも別の宗教法人でもあり、ある程度、独立
した行動を取り得る立場にあったが、絶対的な信仰の対象である大御本尊が富士大石寺に
あり、学会員たちの心がそちらを向いている以上、教義の解釈等については日蓮正宗に従
うしかなかったし、幹部であっても好き勝手なことはしにくかった。

 これが面白くなかった池田大作は、『人間革命』等を通じて「創価学会の会長は『御本
仏』と同等の存在である」という会長本仏論・池田本仏論を創価学会内に定着させること
で、学会員たちに対して日蓮正宗以上の影響力・支配力を持とうと画策した。

 また、出版物だけでなく、創価学会の会合でも幹部の指導により、池田に対する個人崇
拝が教えられた。元婦人部員が以下のような証言をしている。


>  私が結婚して、あるヤングミセスの集まりでのことです。「ご本尊様と池田先生と
> は、どちらが上か」という話になりました。手を挙げさせられたんです。ご本尊様と
> 思う人――ほとんどの人が「はい!」って手を挙げます。ところが、それは違う――
> 私たちは池田門下生だから、池田先生を通じてご本尊様の偉大さを教えていただくわ
> けだから、池田先生の方が上だ、ということを学会最高幹部が言うわけです。昭和四
> 十九、五十年ぐらいの幹部指導での話です。
 (創価学会・公明党を糾すOB有志の会 編著『サヨナラ私の池田大作』)


 こんなことを幹部が一般信者に指導していたのだから、日蓮正宗が創価学会を破門した
のは当然ではないかと思われる。

 学会幹部たちの指導が成果を上げたためか、婦人部員を中心に熱狂的に池田を崇拝する
学会員も増えていった(「婦人部と『無冠の友』」参照)。

 こうして創価学会には信仰上の求心力を持つ存在として、大石寺の大御本尊と池田大作
とが並立する状況が生じた。

 創価学会が破門を受けた平成3年(1991年)の時点で、学会員たちはどちらかを選ぶこ
とを突きつけられた訳だが、創価学会は破門を決定した大石寺法主の阿部日顕氏を非難す
る一方で、大御本尊の権威は尊重するという対応を取った。

 脱会者を増やさないためにも、学会員の動揺をできるだけ避けたかったのであろう。
 もっとも、当の池田センセイは破門されてからさほど時を置かずして、次のようにのた
まわれている。


> 「本門戒壇、板御本尊、何だ。ただの物です。一応の機械です。幸福製造機だから」
>  九三年九月七日の創価学会幹部会。池田は唯物論者顔負けのスピーチをしている。
 (野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』)


 御大は早々に「覚醒」されたようだが、こと信仰に関することだけに、普通の人間はそ
う急に頭を切り換えることはできない。創価学会もすぐには教義を変更しなかった。
 創価学会の会則では、教義について以下のように規定していた。


>  この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗
> 総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本と
> する。


 創価学会がこの教義を変更したのは、破門されて11年後の平成14年(2002年)のことで
ある。この時、日蓮正宗に関する記述が削られ、以下のように会則が変更された。


>  この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊
> を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流
> 布を実現することを大願とする。


 創価学会はさらに11年後の平成25年(2013年)、彼らが「精神の正史」と呼び、池田セ
ンセイが「恩師の真実の伝記」と自賛されるところの『人間革命』から、「教義を変更す
るのは誤った宗教」(第二巻)等の不都合な記述を削除したり、「大御本尊」という記述
をただの「御本尊」に変更したりといった改変を加えた第二版を発行するという小細工を
弄した後、翌平成26年(2014年)、ついに大御本尊を信仰の対象から外す教義改正を行っ
た。現在の会則は以下のとおり。


>  この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具
> 現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人
> が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願
> とする。


 新たな会則が規定する「御本尊」が具体的にどのようなものかは、聖教新聞に掲載され
た原田会長の談話で明らかにされた。


>  末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを
> 書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等し
> く「本門の本尊」であります。
 (中略)
>  したがって、会則の教義条項にいう「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認
> 定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしま
> せん。
 (『聖教新聞』平成26年11月8日付)


 過去に「大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もない。富
士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法」と主張してきたことと、まったく整合
しない教義の変更である。

 さらに平成27年(2015年)には、初代牧口常三郎、第二代戸田城聖、第三代池田大作の
三代の会長を「永遠の師匠」とする会則変更がなされた(それ以前は「永遠の指導者」と
規定されていた)。

 平成28年(2016年)、三代会長の規定に第2項が加えられ、「『三代会長』の敬称は、
『先生』とする」とされた。これにより、創価学会内において「先生」という敬称で呼ば
れるのは、牧口、戸田、池田の三代会長のみに限られることになった。

 こうした教義改正がなされた背景には、創価学会がいつまでも大石寺の大御本尊に執着
する姿勢を見せていることが、脱会して日蓮正宗の信徒になる者が出る一因となっている
ことや、池田大作への個人崇拝をより強固なものとする以外に、組織への忠誠心を維持す
る術がなくなったことがあると考えられる。

 聖教新聞では、毎日のように池田センセイの偉大さを称える記事が掲載されて続けてい
るが、9年前に病に倒れ人前に姿を見せなくなった池田が、カリスマ性を維持し続けるの
は難しいだろう。

 創価学会が創立記念日に合わせて打ち出した来年の方針では、『人間革命』『新・人間
革命』の熟読に取り組むことを学会員に求めている。

 『人間革命』には池田センセイが恩師・戸田センセイにいかに忠実に仕えたかが描かれ、
『新・人間革命』では創価学会会長に就任した池田センセイがいかに偉大だったかが自賛
されている。どちらもセンセイの代表作である(実際はゴーストライターが書いた)。

 一方で、創価学会から脱会して日蓮正宗に移る者も、毎年、それなりにいるらしい。
 大御本尊と池田大作という2つの求心力の間での綱引きは、現在も続いているのだ。両
方ともインチキの塊なので、私には度し難いとしか言いようがないが……。

 池田に残された時間は長くはないし、大御本尊もいずれは腐朽するであろうが、どちら
が長持ちするかと言えば、それは大御本尊の方であろう。

 日蓮正宗もカルトなのであまり肩入れしたくはなくないが、創価学会よりはマシなので、
法華講の皆さんには学会員相手に折伏に励んでいただきたいと思う(個人的には、一般人
を巻き込まずに、カルト同士で潰しあってほしいと強く希望したい)。

参考文献
柿田睦夫著『創価学会の“変貌”』


補足1 創価学会の来年の活動方針

 本文に記した創価学会の活動方針では、その第1に「折伏・弘教」が掲げられ、第2は
「励ましの拡大」と題し、内部での活動家育成を訴えている。

 そして第3には「前進・人材の要諦は小説『新・人間革命』」と銘打って、次のように
主張している。

>  ◇小説『人間革命』(全12巻)『新・人間革命』(全30巻)の研さん・熟読に取り
> 組もう。「聖教電子版」や「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」なども
> 活用し、師弟の道を学び、自ら実践しながら、自分自身の人間革命に挑戦していこう。
 (『聖教新聞』2019〔令和元年〕11月19日付)

 『人間革命』『新・人間革命』の学習を通じて、池田大作に対する個人崇拝を強化する
狙いがあると考えられる。


補足2 日蓮正宗に供養する学会員

 前回引用した聖教新聞の教学特集には、日蓮正宗への供養を戒める記述もあった。

>  人々を間違った方向に導いてしまう日顕宗などに供養することは、利益するどころ
> か、かえって衆生を悪道に導いてしまうことにほかなりません。
 (『聖教新聞』2019年〔令和元年〕11月12日付)

 ※ 創価学会は破門されて以来、日蓮正宗を「日顕宗」と呼び続けている。

 学会員の中にも、葬儀等に際して日蓮正宗の僧侶に導師を依頼し、その際にお布施する
者がそれなりにいることから、こうして釘を刺す必要があるのだろう。

 池田大作が高齢のために姿を見せなくなり、求心力も低下しつつあることが、学会員の
日蓮正宗への回帰を促しているのかもしれない。

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