そして、その信仰の核心にあったのは、まぎれもなく大石寺の大御本尊だった。
創価学会が教義書として出版していた『折伏教典』には、大石寺の大御本尊だけが正し
い信仰の対象である旨が、繰り返し説かれている。
P-89
> しかして根本の本尊たる一閻浮提総与の大御本尊に向かって、南無妙法蓮華経と唱
> 題することによって、末法の一切衆生は救われるのである。この一閻浮提総与の大御
> 本尊は弘安二年十月十二日に顕わされ、この大御本尊を拝む以外に末法の衆生は根本
> 的に幸福にはなれないのである。
(中略)
> 日蓮大聖人の出世のご本懐は、末法の一切衆生に一閻浮提総与の御本尊をお与えく
> ださることであり、この御本尊が、すなわち弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本
> 尊であり、今日、厳然として日蓮正宗富士大石寺に厳護され、学会員は登山して御開
> 扉をうけ、拝することができるのである。
P-238
> 日蓮大聖人のご本懐は一閻浮提総与の弘安二年十月十二日の御本尊にあることに間
> 違いなく、日蓮正宗はこれを本尊として日蓮大聖人のご遺志を継ぎ、一切民衆を救わ
> んとするものである。したがってこれは世界唯一の本尊であり、日蓮正宗は最高にし
> て唯一の宗教である。
P-339
> 御本尊が大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もない
> のである。したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。
P-340
> また信仰の対象として一切をささげて南無したてまつる御本尊であるから、総本山
> においてはご相伝により、代々の御法主猊下お一人が、おしたためあそばされるもの
> であり、三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照らして拝察するならば、勝手な御本尊
> を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである。
※ 創価学会教学部 編『折伏経典』改訂29版(昭和43年発行)から引用。『折伏教典』
は何度も改訂されており、それぞれ内容が少しずつ異なっている。
日蓮正宗の教義では、大御本尊は「末法の御本仏」である日蓮と「南無妙法蓮華経」と
を合わせた存在とされている(これを「人法一箇」という)。
「大御本尊を拝まないものはすべて謗法」とされ、一方ではどんな願いでも叶える力が
あるとも宣伝されたことから、かつての創価学会では「登山会」と称して、大石寺の大御
本尊を参拝することが定例行事となっていた。往時は、そのために特別列車が仕立てられ
るほどの盛況だったという。
創価学会は日蓮正宗の信徒団体でありながらも別の宗教法人でもあり、ある程度、独立
した行動を取り得る立場にあったが、絶対的な信仰の対象である大御本尊が富士大石寺に
あり、学会員たちの心がそちらを向いている以上、教義の解釈等については日蓮正宗に従
うしかなかったし、幹部であっても好き勝手なことはしにくかった。
これが面白くなかった池田大作は、『人間革命』等を通じて「創価学会の会長は『御本
仏』と同等の存在である」という会長本仏論・池田本仏論を創価学会内に定着させること
で、学会員たちに対して日蓮正宗以上の影響力・支配力を持とうと画策した。
また、出版物だけでなく、創価学会の会合でも幹部の指導により、池田に対する個人崇
拝が教えられた。元婦人部員が以下のような証言をしている。
> 私が結婚して、あるヤングミセスの集まりでのことです。「ご本尊様と池田先生と
> は、どちらが上か」という話になりました。手を挙げさせられたんです。ご本尊様と
> 思う人――ほとんどの人が「はい!」って手を挙げます。ところが、それは違う――
> 私たちは池田門下生だから、池田先生を通じてご本尊様の偉大さを教えていただくわ
> けだから、池田先生の方が上だ、ということを学会最高幹部が言うわけです。昭和四
> 十九、五十年ぐらいの幹部指導での話です。
(創価学会・公明党を糾すOB有志の会 編著『サヨナラ私の池田大作』)
こんなことを幹部が一般信者に指導していたのだから、日蓮正宗が創価学会を破門した
のは当然ではないかと思われる。
学会幹部たちの指導が成果を上げたためか、婦人部員を中心に熱狂的に池田を崇拝する
学会員も増えていった(「婦人部と『無冠の友』」参照)。
こうして創価学会には信仰上の求心力を持つ存在として、大石寺の大御本尊と池田大作
とが並立する状況が生じた。
創価学会が破門を受けた平成3年(1991年)の時点で、学会員たちはどちらかを選ぶこ
とを突きつけられた訳だが、創価学会は破門を決定した大石寺法主の阿部日顕氏を非難す
る一方で、大御本尊の権威は尊重するという対応を取った。
脱会者を増やさないためにも、学会員の動揺をできるだけ避けたかったのであろう。
もっとも、当の池田センセイは破門されてからさほど時を置かずして、次のようにのた
まわれている。
> 「本門戒壇、板御本尊、何だ。ただの物です。一応の機械です。幸福製造機だから」
> 九三年九月七日の創価学会幹部会。池田は唯物論者顔負けのスピーチをしている。
(野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』)
御大は早々に「覚醒」されたようだが、こと信仰に関することだけに、普通の人間はそ
う急に頭を切り換えることはできない。創価学会もすぐには教義を変更しなかった。
創価学会の会則では、教義について以下のように規定していた。
> この会は、日蓮正宗の教義に基づき、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、日蓮正宗
> 総本山大石寺に安置せられている弘安二年十月十二日の本門戒壇の大御本尊を根本と
> する。
創価学会がこの教義を変更したのは、破門されて11年後の平成14年(2002年)のことで
ある。この時、日蓮正宗に関する記述が削られ、以下のように会則が変更された。
> この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊
> を信受し、日蓮大聖人の御書を根本として、日蓮大聖人の御遺命たる一閻浮提広宣流
> 布を実現することを大願とする。
創価学会はさらに11年後の平成25年(2013年)、彼らが「精神の正史」と呼び、池田セ
ンセイが「恩師の真実の伝記」と自賛されるところの『人間革命』から、「教義を変更す
るのは誤った宗教」(第二巻)等の不都合な記述を削除したり、「大御本尊」という記述
をただの「御本尊」に変更したりといった改変を加えた第二版を発行するという小細工を
弄した後、翌平成26年(2014年)、ついに大御本尊を信仰の対象から外す教義改正を行っ
た。現在の会則は以下のとおり。
> この会は、日蓮大聖人を末法の御本仏と仰ぎ、根本の法である南無妙法蓮華経を具
> 現された三大秘法を信じ、御本尊に自行化他にわたる題目を唱え、御書根本に、各人
> が人間革命を成就し、日蓮大聖人の御遺命である世界広宣流布を実現することを大願
> とする。
新たな会則が規定する「御本尊」が具体的にどのようなものかは、聖教新聞に掲載され
た原田会長の談話で明らかにされた。
> 末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを
> 書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等し
> く「本門の本尊」であります。
(中略)
> したがって、会則の教義条項にいう「御本尊」とは創価学会が受持の対象として認
> 定した御本尊であり、大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしま
> せん。
(『聖教新聞』平成26年11月8日付)
過去に「大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もない。富
士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法」と主張してきたことと、まったく整合
しない教義の変更である。
さらに平成27年(2015年)には、初代牧口常三郎、第二代戸田城聖、第三代池田大作の
三代の会長を「永遠の師匠」とする会則変更がなされた(それ以前は「永遠の指導者」と
規定されていた)。
平成28年(2016年)、三代会長の規定に第2項が加えられ、「『三代会長』の敬称は、
『先生』とする」とされた。これにより、創価学会内において「先生」という敬称で呼ば
れるのは、牧口、戸田、池田の三代会長のみに限られることになった。
こうした教義改正がなされた背景には、創価学会がいつまでも大石寺の大御本尊に執着
する姿勢を見せていることが、脱会して日蓮正宗の信徒になる者が出る一因となっている
ことや、池田大作への個人崇拝をより強固なものとする以外に、組織への忠誠心を維持す
る術がなくなったことがあると考えられる。
聖教新聞では、毎日のように池田センセイの偉大さを称える記事が掲載されて続けてい
るが、9年前に病に倒れ人前に姿を見せなくなった池田が、カリスマ性を維持し続けるの
は難しいだろう。
創価学会が創立記念日に合わせて打ち出した来年の方針では、『人間革命』『新・人間
革命』の熟読に取り組むことを学会員に求めている。
『人間革命』には池田センセイが恩師・戸田センセイにいかに忠実に仕えたかが描かれ、
『新・人間革命』では創価学会会長に就任した池田センセイがいかに偉大だったかが自賛
されている。どちらもセンセイの代表作である(実際はゴーストライターが書いた)。
一方で、創価学会から脱会して日蓮正宗に移る者も、毎年、それなりにいるらしい。
大御本尊と池田大作という2つの求心力の間での綱引きは、現在も続いているのだ。両
方ともインチキの塊なので、私には度し難いとしか言いようがないが……。
池田に残された時間は長くはないし、大御本尊もいずれは腐朽するであろうが、どちら
が長持ちするかと言えば、それは大御本尊の方であろう。
日蓮正宗もカルトなのであまり肩入れしたくはなくないが、創価学会よりはマシなので、
法華講の皆さんには学会員相手に折伏に励んでいただきたいと思う(個人的には、一般人
を巻き込まずに、カルト同士で潰しあってほしいと強く希望したい)。
参考文献
柿田睦夫著『創価学会の“変貌”』
補足1 創価学会の来年の活動方針
本文に記した創価学会の活動方針では、その第1に「折伏・弘教」が掲げられ、第2は
「励ましの拡大」と題し、内部での活動家育成を訴えている。
そして第3には「前進・人材の要諦は小説『新・人間革命』」と銘打って、次のように
主張している。
> ◇小説『人間革命』(全12巻)『新・人間革命』(全30巻)の研さん・熟読に取り
> 組もう。「聖教電子版」や「世界広布の大道 小説『新・人間革命』に学ぶ」なども
> 活用し、師弟の道を学び、自ら実践しながら、自分自身の人間革命に挑戦していこう。
(『聖教新聞』2019〔令和元年〕11月19日付)
『人間革命』『新・人間革命』の学習を通じて、池田大作に対する個人崇拝を強化する
狙いがあると考えられる。
補足2 日蓮正宗に供養する学会員
前回引用した聖教新聞の教学特集には、日蓮正宗への供養を戒める記述もあった。
> 人々を間違った方向に導いてしまう日顕宗などに供養することは、利益するどころ
> か、かえって衆生を悪道に導いてしまうことにほかなりません。
(『聖教新聞』2019年〔令和元年〕11月12日付)
※ 創価学会は破門されて以来、日蓮正宗を「日顕宗」と呼び続けている。
学会員の中にも、葬儀等に際して日蓮正宗の僧侶に導師を依頼し、その際にお布施する
者がそれなりにいることから、こうして釘を刺す必要があるのだろう。
池田大作が高齢のために姿を見せなくなり、求心力も低下しつつあることが、学会員の
日蓮正宗への回帰を促しているのかもしれない。