2018年2月25日日曜日

池田大作 唱題伝説

 当ブログでは、これまでに池田大作の艶福家、著述家、ピアノ演奏家、写真家等として
の姿を取り上げてきたが、彼は他の何よりもまず「南無妙法蓮華経」という、お題目を唱
える宗教団体の指導者である。そこで今回は、宗教家としての池田について述べる。

 創価学会では、日々の信仰の実践として、朝夕に御本尊に向かい、題目を上げ、法華経
の方便品・如来寿量品の自我偈を読誦することが求められる。池田センセイも、次のよう
にご指導されている。


>  題目を百遍、二百遍でもよい。何かやることである。ともかく、まず御本尊の前に
> 座ることだ。
>  大事なことは、朝晩、御本尊を拝そう、題目をあげようという「心」である。その
> 「心」があれば福運は消えない。その心で「実践」すれば、福運はいや増していく。
>  だれが見ていなくとも、御本尊が全部、見ておられる。
 (中略)
>  題目をあげるということが、どれほど、すごいことか。すべての仏・菩薩、諸天が
> 味方になるのである。
>  だから人類を救う力がある。救う使命がある。
 (『新会員の友のために―創価学会入門』より引用)


 では、「人類を救う」ほどの題目の力で、池田センセイはどれほどのことを成し遂げら
れてきたのだろうか。

 昭和40年(1965年)、創価学会は日蓮正宗総本山大石寺に正本堂を寄進するため、とい
う名目で、最初の大規模な金集めを実施した(「創価学会の金集め①」参照)。

 この時、創価学会は短期間で355億円もの巨額を集め、世間を驚かせた(実際には、そ
れより100億円ほど多かったといわれる)。当時、副理事長だった辻武寿氏が、この件に
ついて、以下のように述べている。


>  かくして、全国から集まった真心の浄財は、三百五十五億円余であり、政界、財界
> に大きな話題となっている。この不況下に、いかに信仰とはいえ、創価学会にして、
> はじめて実現できる離れわざであるとは、ひとしく内外の讃嘆するところである。
>  池田会長は、「みんなが団結して実践したたまものにちがいはないが、これだけ成
> 功できたのは私の福運である」と言われた。地涌の菩薩の総帥たる、池田会長が発願
> された御供養であればこそ、また広宣流布の大使命を背負って出現された池田会長を
> 建設委員長に仰ぐ御供養なればこそ、この喜ばしい御供養が大成功を収めたのである。
>  御供養の参加人員が七百七十七万人ということも広布の瑞相としか思われない。さ
> らに池田会長が御供養のために題目をあげられたその数と金額が、ほぼ一致されたと
> いうことを聞くに及んで、いよいよ先生の偉大さと、王仏冥合実現の不思議なリズム
> を感ずるのは私一人ではあるまい。
 (『大白蓮華』昭和41年1月号)


 355億円という集金額は、「これが最後の御供養」「この機会に金を出せば、絶大なご
利益がある」などと幹部に煽られて、末端学会員たちが保険を解約したり、預貯金を全額
拠出したり、という無理を重ねて実現したものであった。

 それを「私の福運」と言ってのける池田の厚顔ぶりはひどいものだが、諫めるでも取り
繕うでもなく、「先生の偉大さ」などと持ち上げる辻氏にも呆れるしかない。

 今も昔も、口を開けば「民衆のため」等々の綺麗ごとを抜かす学会幹部だが、その実、
末端の貧しい会員よりも、金と権力を牛耳る池田大作の顔色を窺うことしか頭にない、浅
ましい本性が如実に表れている。

 さて、本題の池田センセイの唱題についてだが、辻氏は池田が唱えた題目の数と、集金
額がほぼ一致したと述べている。つまり池田は、355億回も唱題したというのである。

 仮に「南無妙法蓮華経」と一回唱えるのに、1秒を要したとする。一日に十時間の唱題
を行えば、3万6千回になる。このペースで続けると、355億回に達するのに986,111日余り
かかる。これは、ほぼ2,700年に相当する。

 創価学会会長として、それなりに忙しい毎日を送っていたはずの池田に、一日に何時間
も題目を唱える時間などなかったであろうし、無理して時間を作ったとしても、355億回
という膨大な回数は、達成不可能である。

 法華経には、釈尊が神通力で時間を縮めたという話があるが、〝御本仏〟であるらしい
池田センセイも、そのような摩訶不思議な力を用いられた、とでもいうのだろうか。

 常識的に考えてあり得ないことだが、当時の創価学会では「池田会長の信心のすごさ」
を示すものとして、この逸話はまことしやかに語られていたのである。

 実際の池田大作の信仰生活は、どのようなものだったのだろうか。
 折伏を受けた時は、「南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対した」(「日蓮
と真言宗と池田大作」参照)という池田が、その後、どう変わったかについての証言をい
くつか引用する。


>  太作とかねの結婚は五二年五月三日だったが、その二か月ほどあと。かねが戸田の
> 指導を受けるため、当時、国鉄中央線市ヶ谷駅のそばにあった戸田の経営する金融会
> 社「大蔵商事」へやってきて、こう訴えたと元学会幹部は話す。
> 「じつはウチの主人は朝夕の勤行をやりません。五座三座(日蓮正宗信者としての必
> 須の読経)もやりません。いつもお題目三唱で済ましてしまいます。私がそのことを
> いうと、『おれは特別だからやらなくてもいいんだ』と答えます。ウチの主人は本当
> に特別なんでしょうか」
>  戸田は「何?」といって絶句したという。
 (野田峯雄著『池田大作 金脈の研究』より引用)

 ※ 以前も述べたが、池田大作は改名前「太作」だった。
   「五座三座」とは日蓮正宗の勤行の決まり事で、法華経を朝5回、夕3回読誦する
  こと。かつては創価学会もこれを実践していたが、現在では、朝夕1回ずつに変更さ
  れている。


 ただ、これは池田が会長に就任する以前のことである。第三代会長として、信仰の指導
者となった後については、どうだったのだろうか。

 創価学会の元中堅幹部・小多仁伯氏は、学会幹部の信仰姿勢について、次のように述べ
ている(小多仁氏は学会傘下のシナノ企画で、学会員啓蒙用の映像資料等の作成に携わっ
ていた)。


>  あまりにも各種勤行会での勤行や御題目が不唱和なので、経文の正しい読み方を録
> 音してテープで学会員を教育することになりました。
>  その正しい経文の録音候補者を何人かの最高幹部から選んで録音したのです。
>  結果は、各自ともあまりにもひどい経文の発声内容であったので、ボツにしました。
>  ここにも、七百年以上、化儀を培ってきた日蓮正宗に対し、軽視してきた側面が如
> 実にでたのです。勿論、池田大作の勤行の中での発音も調べましたが、問題外なので
> す。
 (小多仁伯著『池田大作の品格』より引用)


 小多仁氏は「創価学会の中で、池田大作をはじめ最高幹部の一人として、正確な勤行の
出来る者はいない」と結論している。

 また同書には、池田の私邸の家政婦を務めた元学会員の話として、池田家の仏壇はホコ
リまみれで、家族の誰も勤行をしている気配がなかったことに大変ショックを受け、創価
学会から脱会したとの逸話も紹介されている。

 本部幹部会に出席していた頃の池田大作は、人一倍大きな声で「南無妙法蓮華経」と唱
えていたそうだが、それはパフォーマンスであり、普段はロクに勤行はしていなかったの
である。

 池田大作の代表作ということになっている『人間革命』には、池田が恩師と呼ぶ第二代
会長・戸田城聖が、「仕事の都合で、朝、勤行が十分にできない」と訴える学会員に対し
て、次のように指導したと書かれている。


>  勤行は、たとえ十五分でも、真剣勝負の意気でやれば、功徳はあります。あなたの
> ように、本当に仕事が忙しかったら、仕事の合い間をみて、また電車の中にいても、
> 小さい声で勤行し、お題目を唱えなさい。ただし、奇異な感じを人に与えてはいけな
> い。
>  これは読誦の題目のうちの誦の題目といい、御本尊の前で勤行したのと同じことに
> もなるのです。そのようにして、真剣にやっていれば、自然のうちに、あなた自身が、
> 朝は、いつもより三十分早く起きて、勤行を完全にやろうという気が起きてくるはず
> です。
>  それを、誦の題目とは、いいことを聞いたと思って、普段の勤行を怠けてもよいと
> 考えるようでは、功徳がないのは当然です。
 (『人間革命』第六巻より引用)


 池田大作は朝に弱く、10時頃に起き出してきて朝風呂にゆっくり入るといった、怠惰な
日常を送り、「普段の勤行を怠け」て題目三遍ですますという、いい加減な信心を続けて
いた。「功徳がないのは当然」ではないのだろうか。

 学会員の皆さんの中には、「外部のジャーナリストや、反逆退転者の言うことなど信じ
られない。池田先生は、毎日の勤行をきちんとされたに決まっている」と思う方もいらっ
しゃるかもしれない。

 そのような方には、池田センセイの「福運」により建立されたという、「本門戒壇」こ
と大石寺正本堂が、日蓮正宗の手によりとうの昔に解体され、現在は存在していないのは
何故なのか、と訊きたい。

 「朝晩、御本尊を拝そう、題目をあげようという『心』があれば福運は消えない」ので
はなかったのか。池田の信心に、真に「偉大な力」があったなら、「千年はもつ」という
ふれこみだった正本堂が、わずか二十数年で取り壊しの憂き目を見ることなど、なかった
であろう。

 また、創価学会では、それまでの信心の「功徳」により、「死ぬ前の数年間が一番いい
時期」になると言ってきたが、池田大作は平成22年(2010年)に倒れ、もう8年も衆目に
姿をさらせない状態が続いている。これのどこが「一番いい時期」なのだろうか。

 創価学会は「唯一の正統な仏法」を自称しているが、池田大作をはじめとする学会幹部
たちは、信心をダシにして愚かな学会員たちから金を巻き上げているようにしか、私には
見えない。

 こんなインチキ宗教に金や時間を費やして、本当に幸せになれるのだろうか。ありもし
ない「福運」や「功徳」に期待して人生を無駄にするより、自分の財産や時間をもっと有
意義に使う方法を、自分自身で考えた方がよい。

 その方が創価学会のようなカルトに縛られるよりも、よほど幸せな人生を送れるのでは
ないだろうか。


補足 釈尊が起こした時間を縮める奇跡について

 本文中でふれたように、法華経の従地涌出品第十五には、釈尊が神通力で時間を縮める
場面が描かれている。参考までに、当該箇所を引用する。


> 是諸菩薩摩訶薩。従地涌出。以諸菩薩。種種讃法。
> 而讃於仏。如是時間。経五十小劫。
> 是時釈迦牟尼仏。黙然而坐。
> 及諸四衆。亦皆黙然。五十小劫。
> 仏神力故。令諸大衆。謂如半日。

 (書き下し文)
> この諸の菩薩・摩訶薩は、地より湧出して、諸の菩薩の種種の讃法をもって、
> 仏を讃めたてまつるに、かくの如くする時の間に、五十小劫を経たり。
> この時、釈迦牟尼仏は、黙然として座したまい、
> 及び諸の四衆も亦、皆、黙然たること五十小劫なり。
> 仏の神力の故に、諸の大衆をして半日の如しと謂わしむ。

 (現代語訳)
>  そのとき、大地から躍り出た求法者たちが如来たちに礼拝をし、種々様々な讃歎の
> 言葉で称揚している間に、満五十小劫が過ぎた。そして、この五十小劫の間、尊きシ
> ャーキヤ=ムニ如来は沈黙していた。また、四衆の会衆も、この五十小劫の間、沈黙
> を続けていた。世尊がこのように神通力を発揮したので、そのために四衆の会衆はこ
> の満五十小劫という長い時間を僅かに午後だけの半日のことと感じた。
 (岩波文庫『法華経』(中)より引用)


 「劫」とは、仏教用語で人間の思惟が及ばないほど長い時間を意味する言葉である。一
劫は、八十小劫に相当するとされる。

 この場面は、釈尊入滅後に法華経を広める使命を帯びた無量千万憶の「地涌の菩薩」が、
釈尊が十方から招来した無数の如来たちに対して、礼拝する様子を描いている。礼拝する
側、される側の双方が膨大な数だったので、長大な時間を要したのである。

 当ブログをご覧になっている創価学会員もいらっしゃるようだが、「地涌の菩薩」の再
誕であらせられるという学会員の皆さんには、上記のような解説は文字通り「釈迦に説法」
なのかもしれない……。

2018年2月18日日曜日

池田センセイの話術

 池田大作は、創価学会という巨大組織に、昭和35年(1960年)の会長就任以来、平成22
年(2010年)、病に伏すまでの50年間も君臨し続けてきた。その動静がさだかではない現
在も、「永遠の師匠」として、信仰上重要な役割を担っている。

 池田のカリスマ性を組織に浸透させるにあたって、聖教新聞をはじめとする出版物と並
んで大きな役割を果たしてきたのが、本部幹部会の衛星中継である。

 健康な頃の池田は、本部幹部会で毎回演説をし、学会員たちはそれに聞き入っていた。
池田の演説の一例を、以下に引用する。


>  SGI(創価学会インタナショナル)の各国リーダーも出席しての、全国の青年部
> 幹部会、おめでとう!(拍手)
 (中略)
>  ご存知のように、明年は「創価ルネサンスの年」と決まった。「ルネサンス(人間
> 復興)」という言葉は、不思議な魅力をもっている。心を揺り動かす新鮮な響きがあ
> る。歴史。芸術。哲学。世界。ロマン。あらゆる〝人間的〟な要素をあわせもった、
> 精神の華をイメージさせる。
 (中略)
>  一説には、今から約六百年前、十四世紀に活発になったとされるルネサンスの運動。
> それは、「停滞」から「躍動」へ、「束縛」から「自由」への大転換であった、と一
> 般的には見られている。
 (中略)
>  暗黒時代ともいわれる中世。宗教の権威は人々を縛り上げ、搾取し、自由を奪い去
> っていた。そこでは、一人の人間である前に、どの党派、団体に属しているのかが重
> んじられた。人は、個性をもった主体的な存在ではなく、いわば匿名――名前のない
> 存在であった、と。
>  ルネサンスは、そうした権威の鎖を断ち切った。迷妄の覆いを取り去った。人間に
> 自由の〝翼〟をあたえ、望みさえすれば、自分で自分の精神を高められることを教え
> た。そして、解放された「ルネサンス人」は、自由に歩き、自由に考え、自由に語り
> 始めた。世界の広さと、人間の尊厳を発見した。それが画期的な人間復興、文芸復興
> の波となり、潮流となっていった。
 (中略)
>  そして今、人間の尊厳と、世界の多様さを見つめつつ、「人間主義」の世紀を切り
> 開いていく――その新しい時代の出発点に立っているのが、学会である。(以下略)
 (『池田大作全集』第79巻より引用)


 教養を感じさせ、それなりに格調のある演説である。「自由に考え」る人間がこれを聞
けば、「宗教の権威で人々を縛り上げて搾取しているのは、いったいどの教団か」と、思
わずにはいられないであろう。

 引用の演説は、平成3年(1991年)10月27日に開催された全国青年部幹部会でなされた、
ということになっている。

 この時期、創価学会は日蓮正宗との関係が悪化していた。直接の原因は、池田大作が創
価学会の集会で、総本山大石寺の法主・阿部日顕氏を侮辱したことが、日蓮正宗側に漏れ
伝わったことだった。引用した演説から約1か月後、同年11月28日には破門に至っている。

 この危機に際して、学会幹部は「創価ルネサンス」を呼号して組織の引き締めを図った。
 演説で述べられているように、ルネサンスは教会の権威から人々の精神が解放され、よ
り自由に考えらるようになった契機とみなされている。

 言い方を変えれば、神の御心にかなう生き方から、それぞれの個人が自由に人生の目的
を追及することができるように、意識の在り方が変わったのである。ヨーロッパの歴史に
おいて、中世と近代とを分かつ分節点、それがルネサンスである。

 日蓮正宗から破門される以前、創価学会員は、創価学会と日蓮正宗の両方に所属してい
た。創価学会の幹部たちは、日蓮正宗を中世のキリスト教会になぞらえ、そこからの精神
の解放を訴えることで、学会員たちの心をつなぎ止めようとしたことが、引用からは読み
取れる。

 もちろん、いくらご立派な言葉で飾り立てようとも、この池田演説の本質は、日蓮正宗
との対立のきっかけは池田の暴言であったという事実から目を背け、ただのカルト間の抗
争をルネサンスに擬すという針小棒大のたわ言により、あたかも創価学会側につくことが
歴史的使命であるかのように、末端学会員や部外者に印象づけようとの目的を持った、欺
瞞に満ちた妄説であることは言うまでもない。

 さて、演説というものは話し手だけでは成り立たない。当然、もう一方の当事者である
聴衆がどのように受け取ったかも、見過ごすべきではないだろう。

 実のところ、この演説の聴き手であった創価学会員の大部分は、ルネサンスの歴史的意
義になど、まったく興味を持たなかったと思われる。

 典型的な学会員という人たちは、学会幹部から「公明党に投票する人を増やせば功徳が
ある」と言われれば、F取りと称する選挙運動に奔走し、「財務をすれば何倍にもなって
福をもたらす」と言われれば、生活を切り詰めてでも金を差し出す、そういう連中である。

 要するに、あまり頭がいいとは言い難い人たちである。そんな連中に対して「ルネサン
ス云々」のご高説をぶっても、猫に小判である。

 上述のような話をしたところで、「自分たちには歴史的使命があるのだ」という、夜郎
自大な妄想を吹き込むことで、聴衆を鼓舞つつ創価学会の求心力を高めようというもくろ
みは、その場で聞いていた学会員の多くに対しては、さしたる効果を上げなかったであろ
う。

 そしてそのことを、学会幹部の中で他の誰よりもよく理解していたのが、池田大作であ
った。実は、先に引用した演説は、学会本部で「特別書籍」と呼ばれる部署に所属するゴ
ーストライターが執筆した原稿に過ぎない。つまり池田大作は、全集等に収録されている
とおりに話したわけではないのだ。

 では、実際の池田の話しぶりはどうだったのだろうか。元公明党委員長・矢野絢也氏の
著書から、池田の演説について述べた一節を引用する。


>  演説原稿は事前に、専門スタッフによって用意されている。だがそんなもの、ろく
> に読みもしない。
>  私もあれだけ毎回出席していたが、宗教的な説話を聞いた記憶はあまりない。せい
> ぜいが、「やっぱり大御本尊に祈るんだ」とか「一念の力が大事だ」といったような
> 短い言葉、キャッチフレーズを口にするくらいである。日蓮大聖人の仏法の意味がど
> うの、というような教学的に立ち入った話は、まず聞いた覚えはない。
 (中略)
>  小難しい話など一切ない。翌日の「聖教新聞」を見ると、「キリスト教の教義は」
> とか、「キルケゴールが言ったことによれば」といったような話をしたという記事が
> 載るが、それは事前に用意されていた演説原稿だ。実際、少しはそういうことも読み
> 上げていたかもしれないが、実感としてほとんど記憶には残っていない。
 (矢野絢也著『私が愛した池田大作』より引用)


 矢野氏が述べていることは、先の演説についてもあてはまる。平成3年(1991年)10月27
日、実際に池田が語ったことを収録している書籍があるので、そこから引用する。


> 「とくに、とくに、えー、女子部。バンザイ!(笑い) バンザイさせていただきま
> す(拍手と笑い)。SGI(創価学会インターナショナル)、そしてとくに女子部。
> 大好きな女子部(笑い)。バンザイ! バンザイ! バンザイ!」
>  九一年十月二十七日。池田大作は全国青年部会に出席し、何度もバンザイを叫んだ。
> おびただしい拍手と笑いとバンザイの唱和に包まれた。
>  彼はこう続けた。
> 「情けない。日本人ちゅうのは。ま、お金儲けはうまいけども。哲学がないんです。
> 思想が、浅い。みえっぱりで、何の自分自身ももたない。これで、カナダ人のほうが
> よっぽどいい。だからもう、海外の、日本人くるとやんなっちゃうもんね。すぐに悪
> 口いって、スッパヤネ(意味不明)、批判して、これは日本人だ。日本人がいるとこ
> ろ、事故起きんの。いないところは、ガッーチリとね、深まっていく。そいで、いま
> から約六百年前、十四世紀に始まるルネッサンスの時代。こういうふうに話はいかな
> くちゃなんない。……そいで、いまから六百年前、六百円じゃないよ。ライスカレー。
> 帰り食べよ。……諸君もいいことば使ってね。あのー、ビデオ撮ってんのは、うまい
> けどさ、しゃべんのが下手じゃダメだよ。ね。だから、目先のことは、こらー、出て
> けっ。何だ、そんなちっちゃいこと。人間がつく、リラッタ(意味不明)ことだよっ
> て、魂てことは消せないよ。信心は消せませんよ。大聖人は消せませんよ。どうです
> か(ハイッ)
>  ……宇宙は大きいですよ。そんなちっぽけな考え方はもう目もくれないでいきなさ
> いよ(ハイッ)」
>  これは、当日のスピーチを正確に再現した記録からの抜粋である。池田大作は終始、
> 大きな拍手と笑いに包まれていた。
 (野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)


 上記を読んで、池田大作が何を訴えようとしてるのか、お分かりになった方がいるだろ
うか。池田は創価学会の女子部が大好きなこと、普通の日本人が嫌いなことは、私にも理
解できたのだが、その他は脈絡のないことを口走っているだけとしか思えないのだが……。

 「いまから約六百年前、十四世紀に始まるルネッサンスの時代」に言及している点だけ
は、全集に収録された原稿と一致しているが、その部分にしても前後の文脈とつながらず、
何を言いたいのかまったく意味が分からない。

 矢野氏は前掲書で、「脱線こそ池田演説の真骨頂」と評している。おそらく池田は、ル
ネサンス云々に言及した際、聴衆に中につまらなそうな顔をした者がいたのをみてとり、
すかさず話題を転じて、「六百円じゃないよ。ライスカレー。帰り食べよ」と言ったので
あろう。

 平均的な学会員の水準に合わせて、痴的な話をできる人間は、そう多くないと思われる。
このような話を、衆人環視の状況で臆面もなくできるという点では、池田大作は稀有な人
物といえるだろう。

 いずれも東大卒である現会長・原田稔氏や、ひところ次期会長候補の筆頭と言われてい
た事務総長・谷川佳樹氏などの高学歴な学会幹部には、池田のような話で学会員たちの心
をつかむことなど、できそうもない(最初に引用したような文章ならば書けるだろうが)。

 池田センセイの話術に魅力を感じる人にとっては、創価学会は居心地のいい環境なのか
もしれない。

 しかしながら、創価学会の中でも教育のない者が多かった第一世代は退場しつつあり、
今や二世、三世が中核となっている。四世の学会員も少なくない。社会全体の教育水準向
上を反映して、中年や若者世代には高学歴の者も、それなりの数いるはずである。

 そうした教養を身につけた者が、いくら福子として幼少から洗脳を受けてきたとはいえ、
上記のようなバカげた話をする人間を、いつまでも生き仏のように崇め続けることができ
るものだろうか。

 創価学会においても少子高齢化が進んでいるそうだが、座談会や本部幹部会の中継――
昨今では、昔の池田演説の録画を放映することもあるらしい――には、若い世代の学会員
は出たがらないので、実際の割合よりも若者の出席者は少なく、さしずめ敬老会の如き様
相を呈しているとも聞く。

 池田大作は、高学歴のゴーストライターを利用することで、自らを優れた知識人である
かの如く演出してきたが、そうした見せかけに騙される人間は、インターネットが普及し、
彼の真実の姿について情報発信する人が増えた現在、学会員の中からも減りつつあるのか
もしれない。


補足 キンマンコ発言

 池田大作の脱線発言のなかでも、とくに有名なものといえば、キンマンコ発言であろう。
矢野絢也氏も前掲書で、平成5年(1993年)に細川連立政権が発足した際の「デエジン発
言」――公明党の石田幸四郎委員長らが大臣に就任することを、創価学会幹部会において、
池田が事前に口にしてしまった事件――と並ぶ不適切発言として挙げている。


>  他にも沖縄糸満市に糸満平和会館が完成した直後の本部幹部会(一九九三年七月七
> 日)で、「糸満平和会館って、これ名前変えた方がいいんじゃないかな。(略)もっ
> といいね、いいのは、キンマン、いや、イトマン、キン〇ン〇だよ!」と下ネタを口
> にしたこともある。
>  こうしたことが続いたため、今では幹部会の模様は録画され、編集されてから全国
> の会館に送られるようになったようだ。
 (矢野絢也著『私が愛した池田大作』より引用)


 今や「キンマンコ」は、ネット上では池田大作の代名詞となっている。そうなったのは、
この発言が、強引な金集めと女性関係の醜聞で世間を騒がせてきた池田の品性にピタリと
一致しており、池田大作という男の人となりを的確に表していると、多くの人が感じたか
らであろう。

 学会員の皆さんにも、創価学会のマインドコントロールを受けていない一般人の評価は、
こんなものだということを、ご理解いただきたいものである。

2018年2月11日日曜日

ピアノと写真、そして執筆活動

 当ブログでは以前、池田大作がピアノをたびたび演奏し、聴衆であった学会員たちを感
激させてきたが、実はそれは電子ピアノによる自動演奏だったという、噴飯ものの逸話を
紹介した(「池田大作への個人崇拝の実態」参照)。

 宗教団体の指導者である池田が、なぜ信者の前でピアノの腕前を披露する必要があった
のか、訝しく思っていたのだが、先日、図書館で古い雑誌記事を閲覧していて、その疑問
への答がみつかった。


>  ある日、海外の信者を集め、お山(大本山大石寺)で勤行をしたときのこと、G・
> ウィリアムズ氏(アメリカ創価学会理事長、日本名・貞永昌靖)がピアノを巧みに弾
> いた。聴いていた信者の間から、
> 「つぎは池田先生お願いします」
>  という声があがった。見事なウィリアムズ氏のピアノのあとに下手な池田名誉会長
> のピアノを聴いて笑ってやろう、などという意地の悪い声ではない。本心から池田名
> 誉会長もピアノが上手と信じ切っている信者たちの頼みである。結局、このときは電
> 気ピアノを持ってきて、池田名誉会長は弾く真似をしてつじつまをあわせた。
 (「週刊文春」1980年6月19日号より引用)

 ※ G・ウィリアムズ(貞永昌靖)氏は、日系人ではなく日本人。昭和32年(1957年)
  頃、留学のために渡米し、その後、創価学会の米国布教に功績をあげた。


 創価学会では「師弟不二」ということがいわれる。ウィリアムズ氏が達者にピアノを演
奏したのを聴いて、学会員たちは「その師である池田先生も、ウィリアムズ氏と同等もし
くはそれ以上のピアノの腕前なのは当然」と、思ったのであろう。

 池田大作は、東京都大田区の貧しい海苔養殖業者の家に生まれ育ち、幼少時から家業の
手伝いをしなければならなかった。当然、ピアノを習い覚える機会などなかった。

 それに、そもそも宗教指導者である池田が、ピアノの演奏などする必要などどこにもな
い。だから正直に、「私はピアノは弾けません」と言えばすんだことだと思われる。

 しかし、実際に彼がとった行動は、電子ピアノの自動演奏を利用して弾けるフリをする
という、子供だましの詐術だった。しかも、それがうまくいったことに味をしめ、その後
も同じことを繰り返したというのだから、呆れかえるよりほかない。

 池田大作という御仁は、一事が万事この調子である。「仏法は勝負」が口ぐせというだ
けあって、「オレは本当はすごいんだぞ。オレをバカにするな!」という思いを、行動で
示さずにはいられない性分と見受けられる。

 負けん気の強さを克己心という形で発揮し、努力研鑽して技能を身につけたり、成果を
上げたりする人物であれば、称賛されることもあるだろうが、池田大作のやってきたこと
は、他人にしてもらったことを自分の手柄として公表するというペテンばかりだから、池
田本人も、その池田を「永遠の師匠」と呼ぶ創価学会も、世間から認められないのである。


 池田センセイには、ピアノ演奏以外にもプロ級の腕前の趣味として、写真撮影が知られ
ている。センセイが撮影された写真の展覧会を「ガンジー・キング・イケダ展」と称して、
国内外で開催されるほどである。

 その撮影の技量は超人的である。はた目から池田センセイが撮影される様子を見ている
と、センセイはカメラのファインダーを覗くこともなく、適当にシャッターを切っている
だけのようにしか見えない。

 それでいて、現像された池田センセイの作品は、手ブレもピンボケもなく、構図を計算
し、シャッターチャンスを狙って撮ったかの如く、見事な出来映えなのだという。人呼ん
で「心眼写真」というのも納得である。

 当たり前のことだが、「ガンジー・キング・イケダ展」などで展示される写真は、池田
大作が撮影したものではない。池田に随行している聖教新聞のカメラマンが撮影したもの
を、池田の作品として展示しているのだ。本当にプロが撮った写真なのだから、プロ級の
出来映えなのは当然である。

 池田のやり方は、「趣味」であるピアノやカメラだけでなく、「本業」である執筆活動
も同様である。創価学会本部には「特別書籍」というセクションがあり、そこに所属する
ゴーストライターが、池田大作の名義で発表される文章のほとんどを執筆している。


>  昭和四十年、池田大作は富士短期大学に入学し、二年間在学したことになっている。
> だが、受講もせず、卒業試験も受けず、卒業論文を提出するだけで卒業の資格を与え
> られた。こんなことを許した大学側もいい加減なものだが、金の力でこんなインチキ
> をして〝短大卒〟の経歴を買った池田大作も、ペテン師といわれても仕方あるまい。
> そして、その卒業論文も、池田大作が自分で書いたものではなく、すべて、桐村泰次
> 氏(東大卒。原島嵩氏とともに池田大作のゴーストライターを務める。副会長)が代
> 作したものである。太作が大作になり、大作が代作で大学卒の資格を取るなんて、こ
> れまた下手なシャレのような話である。
>  池田大作は、『小説人間革命』をはじめ、おびただしい著作をこなし、また、数々
> の講演を行なってきた。全部、代作だが、彼はそれを、あくまで自分が自ら書いたよ
> うに見せるため、原稿用紙に書き、そのコピーを幹部に配った。
>  だが、『小説人間革命』は、篠原善太郎氏(東大卒。戦前、河田清のペンネームで
> 小説を書いたことがある。学会総務、外郭会社・東西哲学書院社長。同社は、東京信
> 濃町近辺や全国の学会会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開して
> いる学会外郭の最大手の一つ)の完全代筆であり、その他の書物、講演も、すべて
> 〝特別書籍〟とよばれるゴーストライター群の代作である。特別書籍は、原島嵩氏を
> キャップに、上田雅一(慶大卒、副会長)、桐村泰次(前出)、野崎勲(京大卒、同)、
> 石黒東洋(東工大卒)、細谷昭(一橋大卒、副会長)らで編成され、文字通り「池田
> 大作著作工房」であった。その後、原島嵩氏は造反したし、人の出入りはあったが、
> 代作師団は今も健在である。
 (山崎正友著『懺悔の告発』より引用)

 ※ 池田大作が出生時に付けられた名は「太作」だった。昭和28年(1953年)、25歳の
  時に「大作」に改名している。


 池田大作という男は、何もかもがウソで塗り固めたような人間である。これほどまでに
虚像と実像の乖離がはなはだしい人物は、そうザラにいるものではない。

 しかも、そのことごとくが何十年も前に暴露されているにもかかわらず、失脚すること
もなく、創価学会の内部ではいまだに絶対的な権威であり続けている。池田大作の存在が、
創価学会がいかに世間の常識から逸脱した、特異な集団であるかを証明しているといえる。

 池田の如きインチキ野郎を、生き仏のように崇める学会員の心理は、一般人にはとうて
い理解できないであろう。

 また、創価学会員の多くが「さすがあの池田大作を師匠と仰いでいるだけのことはある」
と、言わざるを得ないような方々であるのも、残念ながら事実である。

 学会員だけで閉鎖的なコミュニティーをつくり、外部との関わりを断ってくれれば、害
はないかも知れないが、連中はいたるところで強引な勧誘を繰り返して軋轢を生み、それ
のみならず「総体革命」と称して権力に浸透し、その私物化をもくろんでいる。

 池田大作のバカげた逸話の数々を、ただ笑ってばかりいるわけにはいかない、深刻な社
会問題が、創価学会というカルトには付随しているのである。

 一人でも多くの学会員が、「偉大な指導者」としての池田大作の虚像は、捏造されたも
のに過ぎないことに気づき、マインドコントロールから解放されてほしい。そして、創価
学会が行ってきた、反社会行為の数々を直視してほしいものである。


補足

 池田大作が電子ピアノの自動演奏で、ピアノ演奏ができるフリをして学会員を感動させ
たという逸話は、週刊誌等で取り上げられたこともあって一般にも知られるようになり、
この愚行は世間のもの笑いとなった。

 これにはさしもの池田も堪えたのか、その後、ピアノを練習したという話もある。だが
その腕前たるや、小学生低学年レベルらしい。
 しかもそのひどい演奏を、信濃町の学会本部でBGMとして流すこともあるという。

 どういうつもりか理解に苦しむが、そのような醜態をさらして世間体を取り繕うくらい
ならば、本文でも述べたように、最初から「ピアノは弾けません」と言っていた方が、よ
ほどマシだったのではないか。

 池田大作にしろ、創価学会にしろ、ドロナワ式の拙い対応で、かえって傷口を広げた例
が多い。創価学会のこうした体質は、池田亡き後、変わってゆくのだろうか。

2018年2月4日日曜日

日蓮と真言宗と池田大作

 ※ 今回は日蓮遺文(古文)からの引用多め。

 池田大作は、19歳の時に折伏を受け、創価学会に入信した。その出来事についての池田
の述懐を、以下に引用する。


>  終戦の反動でなにかやりたいという気持があって、学校時代の友人にさそわれて創
> 価学会の本部へいきました。その友だちは哲学のいい話があるあるがこないか、とさ
> そったのです。私は友人と二人で行ったのですが、三、四〇人もいたでしょうか。五
> 時間くらいもそこで締めあげられたのです。南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずい
> ぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけないということになってし
> まったのです。
 (小口偉一 他著『宗教と信仰の心理学』より引用)


 この「学校時代の友人」というのは女性で、池田は彼女に好意を寄せていた。池田を五
時間も締め上げて入信させたのは、当時の教学部長・小平芳平氏である。

 『人間革命』には、池田(がモデルの山本伸一)が、戸田城聖による『立正安国論』の
講義を聴いた後、即座に入信を決め、即興で自作の詩を詠じたと書いてあるが、それは作
り話である。

 若い女性で釣って折伏座談会に呼び出し、何時間も締め上げて入信を迫るというのは、
今でもありそうな話である。若き日の池田も、よくある手口に引っかかってしまったのだ
ろう。女好きの池田らしい逸話である。

 さて、創価学会では、新規に入信した者は自分の家族を折伏し、学会に引き入れること
が求められる。だが池田は、真言宗の信者であった父・子之吉氏から勘当され、親族の折
伏に失敗した(子之吉氏が死去した際の葬儀も、真言宗僧侶を招いて行われた)。

 この点について、山崎正友氏や福本潤一氏などの脱会者は、批判的な意見を述べている。
 しかし、私はこの一点についてだけは、池田を擁護したい。

 なぜなら、この件に関して池田は、創価学会の教義である「御書根本」に基づいた行動
を取っているからである。訝しまれる方もいると思われるので、関係する日蓮遺文『撰時
抄』から一部引用する。

 ※ 『撰時抄』は建治元年(1275年)、つまり文永の役(1274年)の翌年、弘安の役
  (1281年)の六年前に執筆された文書で、真言宗の妥当性についての日蓮の見解や、
  元寇に関しての予言などが述べられている。


>  提婆達多は仏を打ちたてまつりしかば、大地揺動して火炎いでにき。檀弥羅王は師
> 子尊者の頭を切りしかば、右の手刀とともに落ちぬ。徽宗皇帝は法道が面にかなやき
> をやきて江南にながせしかば、半年が内にえびすの手にかかり給ひき。蒙古のせめも
> 又かくのごとくなるべし。設ひ五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともか
> なうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値ふべし。されば日蓮が法華経の行者に
> てあるなきかはこれにて見るべし。
 (中略)
>  今現証あるべし。日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行なひ候へば、日
> 本かちて候ならば真言はいみじかりけりとをもひ候ひなん。
 (中略)
>  いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下
> 万民にいたるまで一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて南無妙
> 法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ、掌を合はせてたすけ給へ日蓮の御房、日蓮の御房
> とさけび候はんずるにや。
 (中略)
>  殊に真言宗が此の国土の大なるわざわひにては候なり。大蒙古を調伏せん事真言師
> には仰せ付けらるべからず。若し大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此
> の国ほろぶべし


 私事で恐縮だが、「たすけ給へ日蓮の御房」の一節を読んだ時、私は微苦笑を禁じえな
かった。謹厳で排他的な宗教家と思われがちな日蓮だが、このようにユーモラスな一面も
持ち合わせていたのだ。

 さて、当時の朝廷や幕府が、全国の寺院に敵国調伏の加持祈祷を依頼したこと――当然
のことながら、加持祈祷をもっぱらにするのは真言僧である――を日本史で習った方も多
いと思う。

 弘安の役の結末を知る現代の我々は、「日蓮が法華経の行者にてあるなきか」を判断で
きるし、無論、どちらが勝ったかも知っている(真言師による加持祈祷の結果か否かはと
もかくとして)。

 これで池田大作が、真言宗の父親を折伏できなかったのは、「御書根本」を実践した結
果だとご理解いただけたことと思う。彼は「真言はいみじかりけり」との、大聖人の御金
言に信服していたのである。

 この『撰時抄』には、日蓮の真筆が現存している(玉沢妙法華寺蔵)。創価学会版『日
蓮大聖人御書全集』にも収録されている(P-256~292)。

 創価学会では「御書根本」以上に、「師弟不二」が重視されていると聞く。学会員の皆
さんが、池田センセイを師匠と仰ぐのならば、上述したセンセイの姿勢を見習われて、強
引な折伏などやめられた方がよいのではないだろうか。

 参考文献:溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』


補足1

 上記は、以前2ch(現5ch)に書き込んだ文章に、若干の手を加えたものである。
 引用した『撰時抄』には、他にも興味深い記述がある。例えば次の一節である。


>  二つには去にし文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向かって云はく、日蓮は
> 日本国の棟梁なり。予を失ふは日本国の柱橦を倒すなり。只今に自界反逆難とてどし
> うちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打ち殺さるるのみならず、多くいけど
> りにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等
> が寺塔をばやきはらいて、彼等が頸をゆひのはまにて切らずば、日本国必ずほろぶべ
> しと申し候ひ了んぬ。

 ※ 文中の「平左衛門尉」は、日蓮と直接やり取りした鎌倉幕府の官吏。


 日蓮は「一切の念仏者・禅僧等の寺塔を焼き払い、彼らの頸を由比の浜で切れ」と、幕
吏に向かって言ったと述べているのである。

 文永8年(1271年)9月12日は、日蓮が『立正安国論』を鎌倉幕府に再提出した日である
(一度目は文応元年(1260年)に提出)。文書提出とほぼ時を同じくして、日蓮は捕縛さ
れ、その夜、斬首されそうになっている(竜の口の法難)。

 日蓮は、処刑を免れたものの、伊豆への流罪に続く二度目の流刑となり、佐渡島に流さ
れた。過激な言動が難を招いたのであろう。

 日蓮は二度の流罪の他にも、念仏者から一度ならず迫害を受け、重傷を負ったこともあ
った。何度も辛い思いをしたことが、彼に激越な言葉を吐かせたのかもしれない。そう考
えれば、日蓮の主張に賛成はできないものの、心情に共感することならばできなくもない。

 私自身、創価学会員から何度も煮え湯を飲まされ、「学会員は全員この世から消えた方
がいい」と思ったことがあるので、日蓮を批判する資格はないと思う。

 それでも、宗教者・仏教者として、日蓮の発言はいかがなものかと、思わずにはいられ
ないが……。


補足2

 日蓮系伝統宗派の関係者の中には、本稿を読まれて、不愉快になった方もいらっしゃる
ことと思う。

 誤解のないよう申し上げるが、私は日蓮宗をはじめとする日蓮系宗派も、伝統宗教とし
て社会的意義を有するものと考えており、その信仰を否定するつもりはない(日蓮正宗は
カルトなので、有意義だとは思わないが)。

 上記のような文章を書いたのは、相応の理由があってのことである。
 創価学会は、現在もなお強引な勧誘を続け、多くの人を苦しめている。

 不幸にして標的となった人を言葉巧みにおびき寄せ、大勢で取り囲み、その人が真言宗
の信徒であれば、「大日如来の存在を証明できるのか。存在を証明できないものを信仰す
るのは間違っている」などという屁理屈で言い負かし、入信を強要している(浄土系宗派
の信徒に対しては、「阿弥陀如来の(以下略)」とやる)。

 言い負かされて新規入会者となった人には、創価学会版『日蓮大聖人御書全集』を買わ
せ、「創価学会の信仰が気にいらないのであれば、この御書の間違いなり、矛盾なりを指
摘しろ」とやる。こうしたやり口に泣き寝入りしている被害者は少なくない。

 先祖代々その宗旨だったというだけで、熱心に信心しているわけでも教義に詳しいわけ
でもない普通の人達を、創価学会は無体なやり方で折伏しているのである。

 悪質な人権侵害であることは明白だが、各所に浸透した創価学会員による隠蔽工作が功
を奏しているのか、マスコミが報じることはない。
 本稿が、邪悪なカルト・創価学会から被害を受けた方の一助になることを願っている。