当ブログでは、これまでに池田大作の艶福家、著述家、ピアノ演奏家、写真家等として
の姿を取り上げてきたが、彼は他の何よりもまず「南無妙法蓮華経」という、お題目を唱
える宗教団体の指導者である。そこで今回は、宗教家としての池田について述べる。
創価学会では、日々の信仰の実践として、朝夕に御本尊に向かい、題目を上げ、法華経
の方便品・如来寿量品の自我偈を読誦することが求められる。池田センセイも、次のよう
にご指導されている。
> 題目を百遍、二百遍でもよい。何かやることである。ともかく、まず御本尊の前に
> 座ることだ。
> 大事なことは、朝晩、御本尊を拝そう、題目をあげようという「心」である。その
> 「心」があれば福運は消えない。その心で「実践」すれば、福運はいや増していく。
> だれが見ていなくとも、御本尊が全部、見ておられる。
(中略)
> 題目をあげるということが、どれほど、すごいことか。すべての仏・菩薩、諸天が
> 味方になるのである。
> だから人類を救う力がある。救う使命がある。
(『新会員の友のために―創価学会入門』より引用)
では、「人類を救う」ほどの題目の力で、池田センセイはどれほどのことを成し遂げら
れてきたのだろうか。
昭和40年(1965年)、創価学会は日蓮正宗総本山大石寺に正本堂を寄進するため、とい
う名目で、最初の大規模な金集めを実施した(「創価学会の金集め①」参照)。
この時、創価学会は短期間で355億円もの巨額を集め、世間を驚かせた(実際には、そ
れより100億円ほど多かったといわれる)。当時、副理事長だった辻武寿氏が、この件に
ついて、以下のように述べている。
> かくして、全国から集まった真心の浄財は、三百五十五億円余であり、政界、財界
> に大きな話題となっている。この不況下に、いかに信仰とはいえ、創価学会にして、
> はじめて実現できる離れわざであるとは、ひとしく内外の讃嘆するところである。
> 池田会長は、「みんなが団結して実践したたまものにちがいはないが、これだけ成
> 功できたのは私の福運である」と言われた。地涌の菩薩の総帥たる、池田会長が発願
> された御供養であればこそ、また広宣流布の大使命を背負って出現された池田会長を
> 建設委員長に仰ぐ御供養なればこそ、この喜ばしい御供養が大成功を収めたのである。
> 御供養の参加人員が七百七十七万人ということも広布の瑞相としか思われない。さ
> らに池田会長が御供養のために題目をあげられたその数と金額が、ほぼ一致されたと
> いうことを聞くに及んで、いよいよ先生の偉大さと、王仏冥合実現の不思議なリズム
> を感ずるのは私一人ではあるまい。
(『大白蓮華』昭和41年1月号)
355億円という集金額は、「これが最後の御供養」「この機会に金を出せば、絶大なご
利益がある」などと幹部に煽られて、末端学会員たちが保険を解約したり、預貯金を全額
拠出したり、という無理を重ねて実現したものであった。
それを「私の福運」と言ってのける池田の厚顔ぶりはひどいものだが、諫めるでも取り
繕うでもなく、「先生の偉大さ」などと持ち上げる辻氏にも呆れるしかない。
今も昔も、口を開けば「民衆のため」等々の綺麗ごとを抜かす学会幹部だが、その実、
末端の貧しい会員よりも、金と権力を牛耳る池田大作の顔色を窺うことしか頭にない、浅
ましい本性が如実に表れている。
さて、本題の池田センセイの唱題についてだが、辻氏は池田が唱えた題目の数と、集金
額がほぼ一致したと述べている。つまり池田は、355億回も唱題したというのである。
仮に「南無妙法蓮華経」と一回唱えるのに、1秒を要したとする。一日に十時間の唱題
を行えば、3万6千回になる。このペースで続けると、355億回に達するのに986,111日余り
かかる。これは、ほぼ2,700年に相当する。
創価学会会長として、それなりに忙しい毎日を送っていたはずの池田に、一日に何時間
も題目を唱える時間などなかったであろうし、無理して時間を作ったとしても、355億回
という膨大な回数は、達成不可能である。
法華経には、釈尊が神通力で時間を縮めたという話があるが、〝御本仏〟であるらしい
池田センセイも、そのような摩訶不思議な力を用いられた、とでもいうのだろうか。
常識的に考えてあり得ないことだが、当時の創価学会では「池田会長の信心のすごさ」
を示すものとして、この逸話はまことしやかに語られていたのである。
実際の池田大作の信仰生活は、どのようなものだったのだろうか。
折伏を受けた時は、「南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずいぶん反対した」(「日蓮
と真言宗と池田大作」参照)という池田が、その後、どう変わったかについての証言をい
くつか引用する。
> 太作とかねの結婚は五二年五月三日だったが、その二か月ほどあと。かねが戸田の
> 指導を受けるため、当時、国鉄中央線市ヶ谷駅のそばにあった戸田の経営する金融会
> 社「大蔵商事」へやってきて、こう訴えたと元学会幹部は話す。
> 「じつはウチの主人は朝夕の勤行をやりません。五座三座(日蓮正宗信者としての必
> 須の読経)もやりません。いつもお題目三唱で済ましてしまいます。私がそのことを
> いうと、『おれは特別だからやらなくてもいいんだ』と答えます。ウチの主人は本当
> に特別なんでしょうか」
> 戸田は「何?」といって絶句したという。
(野田峯雄著『池田大作 金脈の研究』より引用)
※ 以前も述べたが、池田大作は改名前「太作」だった。
「五座三座」とは日蓮正宗の勤行の決まり事で、法華経を朝5回、夕3回読誦する
こと。かつては創価学会もこれを実践していたが、現在では、朝夕1回ずつに変更さ
れている。
ただ、これは池田が会長に就任する以前のことである。第三代会長として、信仰の指導
者となった後については、どうだったのだろうか。
創価学会の元中堅幹部・小多仁伯氏は、学会幹部の信仰姿勢について、次のように述べ
ている(小多仁氏は学会傘下のシナノ企画で、学会員啓蒙用の映像資料等の作成に携わっ
ていた)。
> あまりにも各種勤行会での勤行や御題目が不唱和なので、経文の正しい読み方を録
> 音してテープで学会員を教育することになりました。
> その正しい経文の録音候補者を何人かの最高幹部から選んで録音したのです。
> 結果は、各自ともあまりにもひどい経文の発声内容であったので、ボツにしました。
> ここにも、七百年以上、化儀を培ってきた日蓮正宗に対し、軽視してきた側面が如
> 実にでたのです。勿論、池田大作の勤行の中での発音も調べましたが、問題外なので
> す。
(小多仁伯著『池田大作の品格』より引用)
小多仁氏は「創価学会の中で、池田大作をはじめ最高幹部の一人として、正確な勤行の
出来る者はいない」と結論している。
また同書には、池田の私邸の家政婦を務めた元学会員の話として、池田家の仏壇はホコ
リまみれで、家族の誰も勤行をしている気配がなかったことに大変ショックを受け、創価
学会から脱会したとの逸話も紹介されている。
本部幹部会に出席していた頃の池田大作は、人一倍大きな声で「南無妙法蓮華経」と唱
えていたそうだが、それはパフォーマンスであり、普段はロクに勤行はしていなかったの
である。
池田大作の代表作ということになっている『人間革命』には、池田が恩師と呼ぶ第二代
会長・戸田城聖が、「仕事の都合で、朝、勤行が十分にできない」と訴える学会員に対し
て、次のように指導したと書かれている。
> 勤行は、たとえ十五分でも、真剣勝負の意気でやれば、功徳はあります。あなたの
> ように、本当に仕事が忙しかったら、仕事の合い間をみて、また電車の中にいても、
> 小さい声で勤行し、お題目を唱えなさい。ただし、奇異な感じを人に与えてはいけな
> い。
> これは読誦の題目のうちの誦の題目といい、御本尊の前で勤行したのと同じことに
> もなるのです。そのようにして、真剣にやっていれば、自然のうちに、あなた自身が、
> 朝は、いつもより三十分早く起きて、勤行を完全にやろうという気が起きてくるはず
> です。
> それを、誦の題目とは、いいことを聞いたと思って、普段の勤行を怠けてもよいと
> 考えるようでは、功徳がないのは当然です。
(『人間革命』第六巻より引用)
池田大作は朝に弱く、10時頃に起き出してきて朝風呂にゆっくり入るといった、怠惰な
日常を送り、「普段の勤行を怠け」て題目三遍ですますという、いい加減な信心を続けて
いた。「功徳がないのは当然」ではないのだろうか。
学会員の皆さんの中には、「外部のジャーナリストや、反逆退転者の言うことなど信じ
られない。池田先生は、毎日の勤行をきちんとされたに決まっている」と思う方もいらっ
しゃるかもしれない。
そのような方には、池田センセイの「福運」により建立されたという、「本門戒壇」こ
と大石寺正本堂が、日蓮正宗の手によりとうの昔に解体され、現在は存在していないのは
何故なのか、と訊きたい。
「朝晩、御本尊を拝そう、題目をあげようという『心』があれば福運は消えない」ので
はなかったのか。池田の信心に、真に「偉大な力」があったなら、「千年はもつ」という
ふれこみだった正本堂が、わずか二十数年で取り壊しの憂き目を見ることなど、なかった
であろう。
また、創価学会では、それまでの信心の「功徳」により、「死ぬ前の数年間が一番いい
時期」になると言ってきたが、池田大作は平成22年(2010年)に倒れ、もう8年も衆目に
姿をさらせない状態が続いている。これのどこが「一番いい時期」なのだろうか。
創価学会は「唯一の正統な仏法」を自称しているが、池田大作をはじめとする学会幹部
たちは、信心をダシにして愚かな学会員たちから金を巻き上げているようにしか、私には
見えない。
こんなインチキ宗教に金や時間を費やして、本当に幸せになれるのだろうか。ありもし
ない「福運」や「功徳」に期待して人生を無駄にするより、自分の財産や時間をもっと有
意義に使う方法を、自分自身で考えた方がよい。
その方が創価学会のようなカルトに縛られるよりも、よほど幸せな人生を送れるのでは
ないだろうか。
補足 釈尊が起こした時間を縮める奇跡について
本文中でふれたように、法華経の従地涌出品第十五には、釈尊が神通力で時間を縮める
場面が描かれている。参考までに、当該箇所を引用する。
> 是諸菩薩摩訶薩。従地涌出。以諸菩薩。種種讃法。
> 而讃於仏。如是時間。経五十小劫。
> 是時釈迦牟尼仏。黙然而坐。
> 及諸四衆。亦皆黙然。五十小劫。
> 仏神力故。令諸大衆。謂如半日。
(書き下し文)
> この諸の菩薩・摩訶薩は、地より湧出して、諸の菩薩の種種の讃法をもって、
> 仏を讃めたてまつるに、かくの如くする時の間に、五十小劫を経たり。
> この時、釈迦牟尼仏は、黙然として座したまい、
> 及び諸の四衆も亦、皆、黙然たること五十小劫なり。
> 仏の神力の故に、諸の大衆をして半日の如しと謂わしむ。
(現代語訳)
> そのとき、大地から躍り出た求法者たちが如来たちに礼拝をし、種々様々な讃歎の
> 言葉で称揚している間に、満五十小劫が過ぎた。そして、この五十小劫の間、尊きシ
> ャーキヤ=ムニ如来は沈黙していた。また、四衆の会衆も、この五十小劫の間、沈黙
> を続けていた。世尊がこのように神通力を発揮したので、そのために四衆の会衆はこ
> の満五十小劫という長い時間を僅かに午後だけの半日のことと感じた。
(岩波文庫『法華経』(中)より引用)
「劫」とは、仏教用語で人間の思惟が及ばないほど長い時間を意味する言葉である。一
劫は、八十小劫に相当するとされる。
この場面は、釈尊入滅後に法華経を広める使命を帯びた無量千万憶の「地涌の菩薩」が、
釈尊が十方から招来した無数の如来たちに対して、礼拝する様子を描いている。礼拝する
側、される側の双方が膨大な数だったので、長大な時間を要したのである。
当ブログをご覧になっている創価学会員もいらっしゃるようだが、「地涌の菩薩」の再
誕であらせられるという学会員の皆さんには、上記のような解説は文字通り「釈迦に説法」
なのかもしれない……。