2019年2月3日日曜日

日蓮と神祇信仰

※ 今回も日蓮遺文(古文)の引用あり。

 創価学会員が信仰上の理由から神社に参拝しないことは、よく知られている(逆に脱会
した元学会員には、神社にお参りするようになる方が少なからずいるようである)。

 学会員が神社を避けるのは、「神天上の法門」という教義によっている。この教義は日
蓮の代表的著述である『立正安国論』が根拠となっている。


>  夫四経の文朗らかなり、万人誰か疑はん。而るに盲瞽の輩、迷惑の人、妄りに邪説
> を信じて正教を弁へず。故に天下世上諸仏衆経に於て、捨離の心を生じて擁護の志無
> し。仍って善神聖人国を捨て所を去る。是を以て悪鬼外道災を成し難を致すなり。
 (『立正安国論』〔真蹟 中山法華経寺〕より引用)

 ※ 「四経」とは金光明経・仁王経・薬師経・大集経の四つの経典のこと。この一節の
  直前に引用されている。


 日蓮は『立正安国論』において、人々が邪説――法然の念仏信仰――を信じて「正教」
である法華経をないがしろにしたために、善神が国を去り、「悪鬼外道災を成し難を致す
なり」と主張した。

 「神天上の法門」は元々は日蓮正宗の教義だが、創価学会は破門された現在も、これを
受け継いでいる。創価学会の教学書から「神天上の法門」についての説明を引く。


>  日蓮大聖人は主著「立正安国論」で、緒経典に基づいて「神天上の法門」を説き示
> されています。
>  国土を守護する善神は、正法の功徳を栄養として、威光・勢力を持ち国土を守護し
> ます。国土に誤った思想・宗教を根本とする風潮が広がって正法が失われてしまうと
> 善神たちは法味に飢えて、守護すべき国土を見捨てて天井に去ってしまい、そのあと
> に悪鬼・魔神が侵入して種々の災難が起こるという考えです。
 (創価学会教学部編『教学入門』より引用)


 創価学会員はこの教義に基づき、「神社は魔の棲み処」などと主張し、神社に参拝する
と魔の働きで災難が訪れると信じてきたのである。

 だが、『立正安国論』には「神社は魔の棲み処」とまでは書かかれてはいない。
 「神社に参拝するな」というのが、日蓮の教えだというのは、創価学会や日蓮正宗によ
る解釈でしかないのである。そしてこの解釈は、日蓮の真意に合致したものとは信じがた
い。

 文永8年(1271年)、日蓮は幕吏に捕らえられ、竜の口の刑場において斬首されそうに
なっている。

 その事件を記述した『種々御振舞御書』(真蹟 身延曾存)には、刑場にいたる途中、
日蓮が八幡宮の前で「八幡大菩薩はまことの神か」と呼びかけ、法華経の行者である自分
を守護するよう訴えた、との記述がある(当該箇所は補足で引用)。

 日蓮が「神社は魔の棲み処」と考えていたならば、神社の前で救いを訴えるはずがない
ことは、考えるまでもないことである。

 法華経の序品には、釈尊に説法を聞くために、仏教に護法神として取り入れられたイン
ドの神々も集まっていたと記述されている。日蓮はその場に、日本の神々もいたと考えて
いた。


>  此の御経を開き見まいらせ候へば明かなる鏡をもつて我が面を見るがごとし、日出
> でて草木の色を弁えるににたり、序分の無量義経を見まいらせ候へば「四十余年未だ
> 真実を顕わさず」と申す経文あり、法華経の第一の巻・方便品の始めに「世尊の法は
> 久しき後に要らず当に真実を説きたもうべし」と申す経文あり、第四の巻の宝塔品に
> は「妙法華経・皆是真実」と申す明文あり、第七の巻には「舌相梵天に至る」と申す
> 経文赫赫たり、(中略)此の語は私の言には有らず皆如来の金言なり・十方の諸仏の
> 御評定の御言なり、一切の菩薩・二乗・梵天・帝釈・今の天に懸りて明鏡のごとくに
> まします、日月も見給いき聞き給いき其の日月の御語も此の経にのせられて候、月氏・
> 漢土・日本国のふるき神たちも皆其の座につらなり給いし神神なり、天照太神・八幡
> 大菩薩・熊野・すずか等の日本国の神神もあらそひ給うべからず
 (『千日尼御前御返事』真蹟 佐渡妙宣寺)


 日蓮はこの遺文で、法華経の説法の場には「日本国のふるき神たちも皆其の座につらな
り給いし」と述べ、法華経が最も優れた経典であることについては、「日本国の神神もあ
らそひ給うべからず」としている。

 日蓮が日本の神祇も、法華経を守護する存在と考えていたことは明白である。
 だからこそ、彼が図顕した十界曼荼羅には、天照大神や八幡神も勧請されているのであ
る(創価学会の本尊も十界曼荼羅が基になっており、天照太神・八幡大菩薩の名も記され
ている)。

 法華経の法味に飢えて善神が去り、災いが起こるというならば、逆に法華経の法味を奉
ることで善神の加護を願うという考え方も、あってよさそうなものである。

 事実、日蓮宗の寺院には、境内に神社が併設されているところも少なくない。当然だが、
日蓮宗には神社への参拝を禁じる教義はない。

 私には、日蓮宗の方が創価学会よりも日蓮の思想に忠実なように思えるのだが……。
 また、日蓮正宗の古くからの檀信徒も、実際には神社への参拝を拒否する風潮はないそ
うである。

 創価学会が神社を敵視してきたのは、それが日蓮の教えだからというよりも、一部の学
会員が抱く、日本の伝統への強い敵意に基づいているのかもしれない。



補足 『種々御振舞御書』の記述

>  さては十二日の夜、武蔵守殿のあづかりにて、夜半に及び頸を切らんがために鎌倉
> をいでしに、わかみやこうぢにうち出で四方に兵のうちつつみてありしかども、日蓮
> 云はく、各々さわがせ給ふな、べちの事はなし、八幡大菩薩に最後に申すべき事あり
> とて、馬よりさしをりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か、和気清
> 丸が頸を刎ねられんとせし時は長一丈の月と顕はれさせ給ひ、伝教大師の法華経をか
> うぜさせ給ひし時はむらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給ひき。今日蓮は日本第一
> の法華経の行者なり。其の上身に一分のあやまちなし。日本国の一切衆生の法華経を
> 謗じて無間大城におつべきをたすけんがために申す法門なり。又大蒙古国よりこの国
> をせむるならば、天照太神・正八幡とても安穏におはすべきか。其の上釈迦仏、法華
> 経を説き給ひしかば、多宝仏・十方の諸仏・菩薩あつまりて、日と日と、月と月と、
> 星と星と、鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並びに天竺・漢土・
> 日本国等の善神聖人あつまりたりし時、各々法華経の行者にをろかなるまじき由の誓
> 状まいらせよとせめられしかば、一々に御誓状を立てられしぞかし。さるにては日蓮
> が申すまでもなし、いそぎいそぎこそ誓状の宿願をとげさせ給ふべきに、いかに此の
> 処にはをちあわせ給はぬぞとたかだかと申す。さて最後には日蓮今夜頸切られて霊山
> 浄土へまいりてあらん時は、まづ天照太神・正八幡こそ起請用ひぬかみにて候ひけれ
> と、さしきりて教主釈尊に申し上げ候はんずるぞ。いたしとおぼさば、いそぎいそぎ
> 御計らひあるべしとて又馬にのりぬ。