2018年7月8日日曜日

「念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊」

 ※ 今回は日蓮遺文を引用するが、読みにくいものには大意を記すので古文が煩雑な方
  は読み飛ばしても可。


 日蓮の主張の中で最もよく知られているものといえば、「念仏無間、禅天魔、真言亡国、
律国賊」という「四箇格言」であろう。

 『人間革命』第六巻には、日蓮の幼少時から、諸国での遊学を経て故郷の清澄寺に戻り、
そこで念仏を批判する説法をしたため、地元の地頭に追われることなるまでの略伝が記さ
れている。

 その記述では、建長五年(1253年)、日蓮が32歳で立教開宗した際に、この「四箇格言」
を主張したことになっていた。過去形で記したのは、現在市販されている『人間革命』第
二版には、「念仏無間」は書かれているが、その他については削除されているからである。

 『人間革命』第二版における記述変更の理由は、第一巻の巻頭にある「文庫版発刊にあ
たって」に記されている。


>  『人間革命』は、創価学会の精神の正史である。文庫版発刊に先立ち、『池田大作
> 全集』への収録・発刊にあたって、全集刊行委員会から問題提起がなされた。
>  ――それは、この二十年ほどの間で宗開両祖に違背し、腐敗・堕落してしまった宗
> 門が、仏意仏勅の創価学会の崩壊を企て、仏法破壊の元凶となり果てた今、『人間革
> 命』を全集に収録する際にも、その点を考慮すべきではないか、ということであった。
>  そうした経緯から全集刊行委員会が名誉会長に宗門関係の記述について再考を願い
> 出たところ、名誉会長は熟慮の末に、「皆の要請ならば」と、その意見を尊重し、推
> 敲を承諾してくれた。
>  また、歴史の記述についても、原稿執筆後にあらたな資料が発見、公開されている
> ことなどから、再度、精察し、「五十年後の若い読者が読んでもよくわかるように、
> 表現や表記等も、一部改めたい」との意向であった。そして、それが、小説『人間革
> 命』第二版として、『池田大作全集』(第144巻~第149巻)に収録、刊行の運びとな
> ったのである。
>  聖教ワイド文庫には、この第二版を収め、新たな装丁で、順次、全十二巻が発刊さ
> れることになった。
 (聖教ワイド文庫『人間革命』第一巻より引用)


 第二版で歴史の記述が変更されたのは「原稿執筆後にあらたな資料が発見、公開されて
いることなどから」だそうだが、本当だろうか。

 検証するために、日蓮の著述の中でも最も有名なものである『立正安国論』の一部を引
用する。


>  旅客来たりて嘆いて曰く、近年より近日に至るまで、天変・地夭・飢饉・疫癘遍く
> 天下に満ち、広く地上に迸る。牛馬巷に斃れ、骸骨路に充てり。死を招くの輩既に大
> 半に超え、之を悲しまざるの族敢へて一人も無し。然る間、或は利剣即是の文を専ら
> にして西土教主の名を唱へ、或は衆病悉除の願を恃みて東方如来の経を誦し、或は病
> 即消滅不老不死の詞を仰いで法華真実の妙文を崇め、或は七難即滅七福即生の句を信
> じて百座百講の儀を調へ、有るは秘密真言の教に因って五瓶の水を灑ぎ、有るは坐禅
> 入定の儀を全うして空観の月を澄まし、若しくは七鬼神の号を書して千門に押し、若
> しくは五大力の形を図して万戸に懸け、若しくは天神地祇を拝して四角四堺の祭祀を
> 企て、若しくは万民百姓を哀れみて国主国宰の徳政を行なふ。然りと雖も唯肝胆を摧
> くのみにして弥飢疫に逼り、乞客目に溢れ死人眼に満てり。臥せる屍を観と為し、並
> べる尸を橋と作す。観れば夫二離璧を合はせ、五緯珠を連ぬ。三宝世に在し、百王未
> だ窮まらざるに、此の世早く衰へ、其の法何ぞ廃れたるや。是何なる禍に依り、是何
> なる誤りに由るや。


 『立正安国論』は、旅客と主人との問答という形式をとっている。上記は冒頭の一節だ
が、その大意を記すと「『西土教主の名を唱へ(南無阿弥陀仏を唱え)』たり、『東方如
来(薬師如来)の経を誦し』たり、『法華真実の妙文を崇め』たり、『秘密真言の教に』
よったり、『坐禅入定の儀を全う』したり、等々と仏道修行をする者は多いのに、なぜ疫
病などの災いが絶えないのだろうか、いかなる誤りが原因なのだろうか」と、旅客が主人
に問うている。


>  主人の曰く、御鳥羽院の御宇に法然といふもの有り、選択集を作る。則ち一代の聖
> 教を破し遍く十方の衆生を迷はす。
 (中略)
>  而るを法然の選択に依って、則ち教主を忘れて西土の仏駄を貴び、付嘱を抛ちて東
> 方の如来を閣き、唯四巻三部の経典を専らにして空しく一代五時の妙典を抛つ。是を
> 以て弥陀の堂に非ざれば皆供仏の志を止め、念仏の者に非ざれば早く施僧の懐ひを忘
> る。故に仏堂は零落して瓦松の煙老い、僧房は荒廃して庭草の露深し。然りと雖も各
> 護惜の心を捨てて、並びに建立の思ひを廃す。是を以て住持の聖僧行きて帰らず、守
> 護の善神去りて来たること無し。是偏に法然の選択に依るなり。悲しいかな数十年の
> 間、百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷へり。謗を好んで正を忘る、善神怒り
> を成さざらんや。円を捨てて偏を好む、悪鬼便りを得ざらんや。如かず彼の万祈を修
> せんよりは此の一凶を禁ぜんには。


 旅客の質問に対する主人の答えは、「法然の『選択本願念仏集』に迷わされた人々が正
しい教えを捨てたために、守護の善神が去り、悪鬼にとっては都合がよくなった。『彼の
万祈』を修行するよりも、『此の一凶(法然の専修念仏)』を禁じるべきである」という
ものだった。以上が『立正安国論』における日蓮の主張の概略である。

 『立正安国論』は、日蓮が39歳の時に著された。その中では真言密教や禅にも言及され
ているが、それらについて批判的な記述はない。日蓮が『立正安国論』において批判して
いるのは、法然の専修念仏だけである。

 『立正安国論』の記述から推すと、32歳の時点での日蓮が、「念仏無間」はともかく、
「禅天魔、真言亡国」などと主張したとは考えにくい。

 また『守護国家論』――『立正安国論』の前年の著述――には、「大乗に就いて又四十
余年の諸経は不了義経、法華・涅槃・大日経等は了義経なり」とあり、代表的な密教経典
である大日経を、法華経・涅槃経と並んで、了義経――真実の教えが解き明かされた経典
――とする見解が示されており、それ以前の日蓮が真言密教を批判したとは考えられない。

 もっとも『清澄寺大衆中』――日蓮が身延隠棲後に故郷へ送った手紙――には、以下の
記述があるので、禅宗への批判は行ったのかもしれない。


>  禅宗・浄土宗なんどと申すは又いうばかりなき僻見の者なり、此れを申さば必ず日
> 蓮が命と成るべしと存知せしかども虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために建長五年四
> 月二十八日安房の国東条の郷清澄寺道善の房持仏堂の南面にして浄円房と申す者並び
> に少少の大衆にこれを申しはじめて其の後二十余年が間・退転なく申す


 『人間革命』第六巻の初版は、昭和46年(1971年)2月11日である。「四箇格言」につ
いての記述が変更された第二版の方の『人間革命』第六巻は、平成25年(2013年)6月6日
に刊行されている。

 つまり、『人間革命』は日蓮の最も代表的な主張である「四箇格言」について、史実と
異なる説明をし、しかもそれを四十年以上も訂正することなく放置していたのである。

 『立正安国論』は、近年になって新発見された歴史資料ではない。日蓮が在家の弟子で
あった富木常忍に委ね、日蓮没後に出家した彼が開山した中山法華経寺に、今にいたるま
で保管されてきた。現在は国宝に指定されている。

 『守護国家論』や『清澄寺大衆中』(双方とも真蹟は身延曾存)にしても、古くから重
視されてきた遺文であり、新たに見出されたものではない。

 「原稿執筆後にあらたな資料が発見、公開されていることなどから」歴史についての記
述を改めたというのは、ウソ八百である。

 創価学会がのたまう「日蓮大聖人直結」とか「御書根本」というのは、所詮はこの程度
なのである。まあ、インチキ宗教なのだから、言っても詮無きことだが。

 『人間革命』の欺瞞を見ても明らかなように、創価学会の出版物を読んでも、日蓮の思
想を正しく理解することなどできない。

 もちろん浅学非才の私にも、日蓮の教えを正しく伝える能力などないが、それでも創価
学会のウソや、過剰な神格化等の欺瞞を暴くことならばできるつもりである。

 今回から数回にわたって、日蓮を含めた鎌倉仏教の祖師たちの思想を紹介し、創価学会
がエセ仏教に過ぎないことを示したいと思う。

 日蓮の主張は、彼が様々な経験をし、思索を重ねることによって変遷していった。『立
正安国論』についても、真言宗等への批判を加筆した「広本」を後に著わしている(ちな
みに創価学会版『日蓮大聖人御書全集』には、広本の方の『立正安国論』は収録されてい
ない)。

 晩年の著述である『諌暁八幡抄』(真蹟 富士大石寺)には、「四箇格言」についての
記述もある。


>  我が弟子等が愚案にをもわく、我が師は法華経を弘通し給ふとてひろまらざる上、
> 大難の来たれるは、真言は国をほろぼす、念仏は無間地獄、禅は天魔の所為、律僧は
> 国賊との給ふゆへなり。例せば道理有る問注に悪口のまじわれるがごとしと云云。


 日蓮は、なかなか良い弟子に恵まれていたようである。
 日蓮のこうした主張については、5ch(旧2ch)で以下のアスキーアートを目にしたこと
がある方も多いと思う。



 分かりやすく、なかなかよくできているが、いくつか不正確というか、誤解を招く部分
があるので、その点について解説したい。

 まず、時代背景として、当時の仏教勢力は単に幕府から、庇護や統制を受けるだけの存
在ではなかったことを理解する必要がある。延暦寺や興福寺などの旧仏教勢力は、広大な
寺領と僧兵団を擁しており、幕府から一方的に支配されていたわけではない。

 また、真言宗と天台宗を密教としているのは正しいが、鎌倉幕府が臨済宗を庇護した理
由も、臨済宗が相当に密教的だったからである。

 臨済宗を伝えた栄西は密教僧でもあった。栄西には「千光法師」という尊称があるが、
それは彼が請雨の祈祷をした際に、全身から光を放って祈祷を成功させたとの伝説がある
ことに由来する。

 真言宗・天台宗は、貴族との関係が深かった。それに対して臨済宗は、新興の武士階級
のために加持祈祷をしてくれる宗派として、幕府から歓迎されたのである。

 加えて、この図の中に浄土真宗が入っているのは正確とは言い難い。浄土真宗の宗祖・
親鸞は、日蓮と同時代人であるが、浄土真宗が独立した宗派として成立したのは、室町時
代の蓮如の代になってからである。

 最後に日蓮についてだが、上述したように彼が他宗を批判したのは事実である。しかし、
道元・栄西・親鸞・一遍について名指しで批判したことはない。

 日蓮が名指しで攻撃したのは、先述した法然の他に、蘭渓道隆と大日房能忍――現存し
ない禅宗の一派「達磨宗」の祖――と、真言律宗の良観房忍性などである。

 日蓮は何の根拠もなく、独善的な主張をしたわけではなかった。法華経を最高の経典と
する天台教学と末法思想――いずれも当時は権威があった――に基づいていた。

 だが、他の宗派の祖師にも、信仰の正当性を主張する根拠はあったのだし、法華経を重
視したのも日蓮だけではない。道元は主著である『正法眼蔵』で、何回も法華経について
言及している。

 次回以降、日蓮の思想を他の祖師と比較しながら論じていく予定である。



補足1 『人間革命』第二版における変更点

 旧『人間革命』第六巻には、「四箇格言」についての解説も記されていた。その記述も
欺瞞に満ちたものだったが、第二版では削除されている(「創価学会は本当に『御書根本』
か?①」参照)。

 また、旧『人間革命』には、日蓮がそう名乗る前、「是生房」と呼ばれていたとの誤っ
た記述があったが、それも第二版では改められている(「『日蓮』を名乗る前の日蓮」参
照)。

 新旧の『人間革命』を読み比べ、精査すれば、他にもウソやゴマカシはたくさん出てき
そうだが、それは別の機会に論じたい。


補足2 旧『人間革命』第六巻の典拠

 旧『人間革命』第六巻において、日蓮が立教開宗と同時に「四箇格言」を主張したとの
記述は、日蓮遺文とされてきた『本門宗要抄』によっている。

 だが、この遺文は古くから偽書と見なされており、創価学会版『日蓮大聖人御書全集』
にも収録されていない。

 日蓮遺文の中でも、『立正安国論』は三大部、『守護国家論』は十大部の一つに位置づ
けられ、特に重視されてきた。学会版『御書』にも収録されている。

 旧『人間革命』が、なぜそれらの真蹟遺文ではなく、偽書とされる『本門宗要抄』に基
づいて日蓮について記述したのかはよくわからないが、「偽書根本」といわれる創価学会
の体質の一端が表れたのだと解してよいのではないかと思う。