当ブログでは以前、池田大作がピアノをたびたび演奏し、聴衆であった学会員たちを感
激させてきたが、実はそれは電子ピアノによる自動演奏だったという、噴飯ものの逸話を
紹介した(「池田大作への個人崇拝の実態」参照)。
宗教団体の指導者である池田が、なぜ信者の前でピアノの腕前を披露する必要があった
のか、訝しく思っていたのだが、先日、図書館で古い雑誌記事を閲覧していて、その疑問
への答がみつかった。
> ある日、海外の信者を集め、お山(大本山大石寺)で勤行をしたときのこと、G・
> ウィリアムズ氏(アメリカ創価学会理事長、日本名・貞永昌靖)がピアノを巧みに弾
> いた。聴いていた信者の間から、
> 「つぎは池田先生お願いします」
> という声があがった。見事なウィリアムズ氏のピアノのあとに下手な池田名誉会長
> のピアノを聴いて笑ってやろう、などという意地の悪い声ではない。本心から池田名
> 誉会長もピアノが上手と信じ切っている信者たちの頼みである。結局、このときは電
> 気ピアノを持ってきて、池田名誉会長は弾く真似をしてつじつまをあわせた。
(「週刊文春」1980年6月19日号より引用)
※ G・ウィリアムズ(貞永昌靖)氏は、日系人ではなく日本人。昭和32年(1957年)
頃、留学のために渡米し、その後、創価学会の米国布教に功績をあげた。
創価学会では「師弟不二」ということがいわれる。ウィリアムズ氏が達者にピアノを演
奏したのを聴いて、学会員たちは「その師である池田先生も、ウィリアムズ氏と同等もし
くはそれ以上のピアノの腕前なのは当然」と、思ったのであろう。
池田大作は、東京都大田区の貧しい海苔養殖業者の家に生まれ育ち、幼少時から家業の
手伝いをしなければならなかった。当然、ピアノを習い覚える機会などなかった。
それに、そもそも宗教指導者である池田が、ピアノの演奏などする必要などどこにもな
い。だから正直に、「私はピアノは弾けません」と言えばすんだことだと思われる。
しかし、実際に彼がとった行動は、電子ピアノの自動演奏を利用して弾けるフリをする
という、子供だましの詐術だった。しかも、それがうまくいったことに味をしめ、その後
も同じことを繰り返したというのだから、呆れかえるよりほかない。
池田大作という御仁は、一事が万事この調子である。「仏法は勝負」が口ぐせというだ
けあって、「オレは本当はすごいんだぞ。オレをバカにするな!」という思いを、行動で
示さずにはいられない性分と見受けられる。
負けん気の強さを克己心という形で発揮し、努力研鑽して技能を身につけたり、成果を
上げたりする人物であれば、称賛されることもあるだろうが、池田大作のやってきたこと
は、他人にしてもらったことを自分の手柄として公表するというペテンばかりだから、池
田本人も、その池田を「永遠の師匠」と呼ぶ創価学会も、世間から認められないのである。
池田センセイには、ピアノ演奏以外にもプロ級の腕前の趣味として、写真撮影が知られ
ている。センセイが撮影された写真の展覧会を「ガンジー・キング・イケダ展」と称して、
国内外で開催されるほどである。
その撮影の技量は超人的である。はた目から池田センセイが撮影される様子を見ている
と、センセイはカメラのファインダーを覗くこともなく、適当にシャッターを切っている
だけのようにしか見えない。
それでいて、現像された池田センセイの作品は、手ブレもピンボケもなく、構図を計算
し、シャッターチャンスを狙って撮ったかの如く、見事な出来映えなのだという。人呼ん
で「心眼写真」というのも納得である。
当たり前のことだが、「ガンジー・キング・イケダ展」などで展示される写真は、池田
大作が撮影したものではない。池田に随行している聖教新聞のカメラマンが撮影したもの
を、池田の作品として展示しているのだ。本当にプロが撮った写真なのだから、プロ級の
出来映えなのは当然である。
池田のやり方は、「趣味」であるピアノやカメラだけでなく、「本業」である執筆活動
も同様である。創価学会本部には「特別書籍」というセクションがあり、そこに所属する
ゴーストライターが、池田大作の名義で発表される文章のほとんどを執筆している。
> 昭和四十年、池田大作は富士短期大学に入学し、二年間在学したことになっている。
> だが、受講もせず、卒業試験も受けず、卒業論文を提出するだけで卒業の資格を与え
> られた。こんなことを許した大学側もいい加減なものだが、金の力でこんなインチキ
> をして〝短大卒〟の経歴を買った池田大作も、ペテン師といわれても仕方あるまい。
> そして、その卒業論文も、池田大作が自分で書いたものではなく、すべて、桐村泰次
> 氏(東大卒。原島嵩氏とともに池田大作のゴーストライターを務める。副会長)が代
> 作したものである。太作が大作になり、大作が代作で大学卒の資格を取るなんて、こ
> れまた下手なシャレのような話である。
> 池田大作は、『小説人間革命』をはじめ、おびただしい著作をこなし、また、数々
> の講演を行なってきた。全部、代作だが、彼はそれを、あくまで自分が自ら書いたよ
> うに見せるため、原稿用紙に書き、そのコピーを幹部に配った。
> だが、『小説人間革命』は、篠原善太郎氏(東大卒。戦前、河田清のペンネームで
> 小説を書いたことがある。学会総務、外郭会社・東西哲学書院社長。同社は、東京信
> 濃町近辺や全国の学会会館近くにレストラン、寿司屋、書店のチェーン店を展開して
> いる学会外郭の最大手の一つ)の完全代筆であり、その他の書物、講演も、すべて
> 〝特別書籍〟とよばれるゴーストライター群の代作である。特別書籍は、原島嵩氏を
> キャップに、上田雅一(慶大卒、副会長)、桐村泰次(前出)、野崎勲(京大卒、同)、
> 石黒東洋(東工大卒)、細谷昭(一橋大卒、副会長)らで編成され、文字通り「池田
> 大作著作工房」であった。その後、原島嵩氏は造反したし、人の出入りはあったが、
> 代作師団は今も健在である。
(山崎正友著『懺悔の告発』より引用)
※ 池田大作が出生時に付けられた名は「太作」だった。昭和28年(1953年)、25歳の
時に「大作」に改名している。
池田大作という男は、何もかもがウソで塗り固めたような人間である。これほどまでに
虚像と実像の乖離がはなはだしい人物は、そうザラにいるものではない。
しかも、そのことごとくが何十年も前に暴露されているにもかかわらず、失脚すること
もなく、創価学会の内部ではいまだに絶対的な権威であり続けている。池田大作の存在が、
創価学会がいかに世間の常識から逸脱した、特異な集団であるかを証明しているといえる。
池田の如きインチキ野郎を、生き仏のように崇める学会員の心理は、一般人にはとうて
い理解できないであろう。
また、創価学会員の多くが「さすがあの池田大作を師匠と仰いでいるだけのことはある」
と、言わざるを得ないような方々であるのも、残念ながら事実である。
学会員だけで閉鎖的なコミュニティーをつくり、外部との関わりを断ってくれれば、害
はないかも知れないが、連中はいたるところで強引な勧誘を繰り返して軋轢を生み、それ
のみならず「総体革命」と称して権力に浸透し、その私物化をもくろんでいる。
池田大作のバカげた逸話の数々を、ただ笑ってばかりいるわけにはいかない、深刻な社
会問題が、創価学会というカルトには付随しているのである。
一人でも多くの学会員が、「偉大な指導者」としての池田大作の虚像は、捏造されたも
のに過ぎないことに気づき、マインドコントロールから解放されてほしい。そして、創価
学会が行ってきた、反社会行為の数々を直視してほしいものである。
補足
池田大作が電子ピアノの自動演奏で、ピアノ演奏ができるフリをして学会員を感動させ
たという逸話は、週刊誌等で取り上げられたこともあって一般にも知られるようになり、
この愚行は世間のもの笑いとなった。
これにはさしもの池田も堪えたのか、その後、ピアノを練習したという話もある。だが
その腕前たるや、小学生低学年レベルらしい。
しかもそのひどい演奏を、信濃町の学会本部でBGMとして流すこともあるという。
どういうつもりか理解に苦しむが、そのような醜態をさらして世間体を取り繕うくらい
ならば、本文でも述べたように、最初から「ピアノは弾けません」と言っていた方が、よ
ほどマシだったのではないか。
池田大作にしろ、創価学会にしろ、ドロナワ式の拙い対応で、かえって傷口を広げた例
が多い。創価学会のこうした体質は、池田亡き後、変わってゆくのだろうか。