2018年2月4日日曜日

日蓮と真言宗と池田大作

 ※ 今回は日蓮遺文(古文)からの引用多め。

 池田大作は、19歳の時に折伏を受け、創価学会に入信した。その出来事についての池田
の述懐を、以下に引用する。


>  終戦の反動でなにかやりたいという気持があって、学校時代の友人にさそわれて創
> 価学会の本部へいきました。その友だちは哲学のいい話があるあるがこないか、とさ
> そったのです。私は友人と二人で行ったのですが、三、四〇人もいたでしょうか。五
> 時間くらいもそこで締めあげられたのです。南無妙法蓮華経は嫌いだったので、ずい
> ぶん反対したのですが、理論で破れて信仰しなければいけないということになってし
> まったのです。
 (小口偉一 他著『宗教と信仰の心理学』より引用)


 この「学校時代の友人」というのは女性で、池田は彼女に好意を寄せていた。池田を五
時間も締め上げて入信させたのは、当時の教学部長・小平芳平氏である。

 『人間革命』には、池田(がモデルの山本伸一)が、戸田城聖による『立正安国論』の
講義を聴いた後、即座に入信を決め、即興で自作の詩を詠じたと書いてあるが、それは作
り話である。

 若い女性で釣って折伏座談会に呼び出し、何時間も締め上げて入信を迫るというのは、
今でもありそうな話である。若き日の池田も、よくある手口に引っかかってしまったのだ
ろう。女好きの池田らしい逸話である。

 さて、創価学会では、新規に入信した者は自分の家族を折伏し、学会に引き入れること
が求められる。だが池田は、真言宗の信者であった父・子之吉氏から勘当され、親族の折
伏に失敗した(子之吉氏が死去した際の葬儀も、真言宗僧侶を招いて行われた)。

 この点について、山崎正友氏や福本潤一氏などの脱会者は、批判的な意見を述べている。
 しかし、私はこの一点についてだけは、池田を擁護したい。

 なぜなら、この件に関して池田は、創価学会の教義である「御書根本」に基づいた行動
を取っているからである。訝しまれる方もいると思われるので、関係する日蓮遺文『撰時
抄』から一部引用する。

 ※ 『撰時抄』は建治元年(1275年)、つまり文永の役(1274年)の翌年、弘安の役
  (1281年)の六年前に執筆された文書で、真言宗の妥当性についての日蓮の見解や、
  元寇に関しての予言などが述べられている。


>  提婆達多は仏を打ちたてまつりしかば、大地揺動して火炎いでにき。檀弥羅王は師
> 子尊者の頭を切りしかば、右の手刀とともに落ちぬ。徽宗皇帝は法道が面にかなやき
> をやきて江南にながせしかば、半年が内にえびすの手にかかり給ひき。蒙古のせめも
> 又かくのごとくなるべし。設ひ五天のつわものをあつめて、鉄囲山を城とせりともか
> なうべからず。必ず日本国の一切衆生兵難に値ふべし。されば日蓮が法華経の行者に
> てあるなきかはこれにて見るべし。
 (中略)
>  今現証あるべし。日本国と蒙古との合戦に一切の真言師の調伏を行なひ候へば、日
> 本かちて候ならば真言はいみじかりけりとをもひ候ひなん。
 (中略)
>  いまにしもみよ。大蒙古国数万艘の兵船をうかべて日本国をせめば、上一人より下
> 万民にいたるまで一切の仏寺・一切の神寺をばなげすてて、各々声をつるべて南無妙
> 法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱へ、掌を合はせてたすけ給へ日蓮の御房、日蓮の御房
> とさけび候はんずるにや。
 (中略)
>  殊に真言宗が此の国土の大なるわざわひにては候なり。大蒙古を調伏せん事真言師
> には仰せ付けらるべからず。若し大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此
> の国ほろぶべし


 私事で恐縮だが、「たすけ給へ日蓮の御房」の一節を読んだ時、私は微苦笑を禁じえな
かった。謹厳で排他的な宗教家と思われがちな日蓮だが、このようにユーモラスな一面も
持ち合わせていたのだ。

 さて、当時の朝廷や幕府が、全国の寺院に敵国調伏の加持祈祷を依頼したこと――当然
のことながら、加持祈祷をもっぱらにするのは真言僧である――を日本史で習った方も多
いと思う。

 弘安の役の結末を知る現代の我々は、「日蓮が法華経の行者にてあるなきか」を判断で
きるし、無論、どちらが勝ったかも知っている(真言師による加持祈祷の結果か否かはと
もかくとして)。

 これで池田大作が、真言宗の父親を折伏できなかったのは、「御書根本」を実践した結
果だとご理解いただけたことと思う。彼は「真言はいみじかりけり」との、大聖人の御金
言に信服していたのである。

 この『撰時抄』には、日蓮の真筆が現存している(玉沢妙法華寺蔵)。創価学会版『日
蓮大聖人御書全集』にも収録されている(P-256~292)。

 創価学会では「御書根本」以上に、「師弟不二」が重視されていると聞く。学会員の皆
さんが、池田センセイを師匠と仰ぐのならば、上述したセンセイの姿勢を見習われて、強
引な折伏などやめられた方がよいのではないだろうか。

 参考文献:溝口敦著『池田大作「権力者」の構造』


補足1

 上記は、以前2ch(現5ch)に書き込んだ文章に、若干の手を加えたものである。
 引用した『撰時抄』には、他にも興味深い記述がある。例えば次の一節である。


>  二つには去にし文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向かって云はく、日蓮は
> 日本国の棟梁なり。予を失ふは日本国の柱橦を倒すなり。只今に自界反逆難とてどし
> うちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打ち殺さるるのみならず、多くいけど
> りにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等
> が寺塔をばやきはらいて、彼等が頸をゆひのはまにて切らずば、日本国必ずほろぶべ
> しと申し候ひ了んぬ。

 ※ 文中の「平左衛門尉」は、日蓮と直接やり取りした鎌倉幕府の下級官吏。


 日蓮は「一切の念仏者・禅僧等の寺塔を焼き払い、彼らの頸を由比の浜で切れ」と、幕
吏に向かって言ったと述べているのである。

 文永8年(1271年)9月12日は、日蓮が『立正安国論』を鎌倉幕府に再提出した日である
(一度目は文応元年(1260年)に提出)。文書提出とほぼ時を同じくして、日蓮は捕縛さ
れ、その夜、斬首されそうになっている(竜の口の法難)。

 日蓮は、処刑を免れたものの、伊豆への流罪に続く二度目の流刑となり、佐渡島に流さ
れた。過激な言動が難を招いたのであろう。

 日蓮は二度の流罪の他にも、念仏者から一度ならず迫害を受け、重傷を負ったこともあ
った。何度も辛い思いをしたことが、彼に激越な言葉を吐かせたのかもしれない。そう考
えれば、日蓮の主張に賛成はできないものの、心情に共感することならばできなくもない。

 私自身、創価学会員から何度も煮え湯を飲まされ、「学会員は全員この世から消えた方
がいい」と思ったことがあるので、日蓮を批判する資格はないと思う。

 それでも、宗教者・仏教者として、日蓮の発言はいかがなものかと、思わずにはいられ
ないが……。


補足2

 日蓮系伝統宗派の関係者の中には、本稿を読まれて、不愉快になった方もいらっしゃる
ことと思う。

 誤解のないよう申し上げるが、私は日蓮宗をはじめとする日蓮系宗派も、伝統宗教とし
て社会的意義を有するものと考えており、その信仰を否定するつもりはない(日蓮正宗は
カルトなので、有意義だとは思わないが)。

 上記のような文章を書いたのは、相応の理由があってのことである。
 創価学会は、現在もなお強引な勧誘を続け、多くの人を苦しめている。

 不幸にして標的となった人を言葉巧みにおびき寄せ、大勢で取り囲み、その人が真言宗
の信徒であれば、「大日如来の存在を証明できるのか。存在を証明できないものを信仰す
るのは間違っている」などという屁理屈で言い負かし、入信を強要している(浄土系宗派
の信徒に対しては、「阿弥陀如来の(以下略)」とやる)。

 言い負かされて新規入会者となった人には、創価学会版『日蓮大聖人御書全集』を買わ
せ、「創価学会の信仰が気にいらないのであれば、この御書の間違いなり、矛盾なりを指
摘しろ」とやる。こうしたやり口に泣き寝入りしている被害者は少なくない。

 先祖代々その宗旨だったというだけで、熱心に信心しているわけでも教義に詳しいわけ
でもない普通の人達を、創価学会は無体なやり方で折伏しているのである。

 悪質な人権侵害であることは明白だが、各所に浸透した創価学会員による隠蔽工作が功
を奏しているのか、マスコミが報じることはない。
 本稿が、邪悪なカルト・創価学会から被害を受けた方の一助になることを願っている。