※ 今回は法華経(漢文)、日蓮遺文(古文)からの引用多め。
創価学会による強引な勧誘(彼らの言葉でいえば「折伏」)に遭い、難渋している人、
迷惑している人は多い。そこで今回は、折伏の被害者の一助になることを期して、創価学
会の教義の矛盾のうち、もっとも明白なものを取り上げる。
創価学会は、彼らが工業的に量産しているビニールシート製の本尊を、唯一の正しい信
仰の対象であると主張し、日蓮宗を含めた伝統宗派で信仰の対象とされる仏像等を拝むこ
とは謗法(ほうぼう)だとしている。
しかし、この主張は、日蓮の教えや、彼らが朝夕に勤行している法華経方便品の内容と、
明白に矛盾している。
妙法蓮華経 方便品第二 には、以下の記述がある。
> 若人為仏故 (若し人、仏のための故に)
> 建立諸形像 (諸の形像を建立し)
> 刻彫成衆相 (刻彫して衆相を成せば)
> 皆已成仏道 (皆已に仏道を成じたり)
(中略)
> 綵画作仏像 (綵画して仏像の)
> 百福荘厳相 (百福荘厳の相を作るに)
> 自作若使人 (自ら作り、若しくは人をもせしめば)
> 皆已成仏道 (皆、已に仏道を成じたり)
(中略)
> 或有人礼拜 (或は人ありて礼拝し)
> 或復但合掌 (或はまた但、合掌のみし)
> 乃至挙一手 (乃至、一手を挙げ)
> 或復小低頭 (或はまた小く頭を低れて)
> 以此供養像 (これを以て像に供養せば)
(中略)
> 入無余涅槃 (無余涅槃に入ること)
> 如薪尽火滅 (薪の尽きて火の滅するが如し)
(岩波文庫『法華経(上)』より引用)
要するに、仏像を作って拝めば、仏道を成じ涅槃に至ることができると、法華経には説
かれている。
次に、日蓮が信仰の対象として、何が適当と考えていたかを、日蓮遺文からの引用によ
り示す。
> 其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟
> 尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座
> に居し、迹化・他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く、十
> 方の諸仏は大地の上に処したまふ。
(中略)
> 此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏
> 像出現せしむべきか。
(『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』より引用)
> 問うて云はく、天台伝教の弘通し給はざる正法ありや。答ふ、有り。求めて云はく、
> 何物ぞや。答へて云はく、三つあり、末法のために仏留め置き給ふ。迦葉・阿難等、
> 馬鳴・竜樹等、天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり。求めて云はく、其の形
> 貌如何。答へて云はく、一つには日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とす
> べし。所謂宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに上行等の四菩薩脇士となるべし。
(『報恩抄』より引用)
「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」との記述からも明らかなように、
日蓮は、末法においては、上行等の四菩薩を脇士とする「本門の教主釈尊を本尊」とす
べきと主張している。
仏像や釈尊を信仰の対象とすることを否定する創価学会は、法華経や日蓮の教えを誹
謗する謗法団体であることは明白である。日蓮は、このような謗法者の末路について、
以下のように述べている。
> 法華経第二に云はく「若し人信ぜずして此の経を毀謗せば、乃至其の人命終して
> 阿鼻獄に入らん」と。又同第七巻不軽品に云はく「千劫阿鼻地獄に於て大苦悩を受
> く」と。
(『立正安国論』より引用)
補足
今回引用した日蓮遺文は、いずれも日蓮系の教団において、教義上重要とされている
ものである。創価学会も例外ではない。
『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』『立正安国論』は、中山法華経寺に真蹟が現存し
ている。『報恩抄』については、池上本門寺等に真蹟断片が伝わっている。
仏像を信仰の対象とすることを肯定した日蓮遺文は、今回引用したものだけではない。
ほとんどの創価学会員は、日蓮遺文などほとんど読んでいないし、読む学力もないので、
このような明白な矛盾にも気づかないのであろう。