2017年4月10日月曜日

そもそも『人間革命』とは

 今回は、題名だけならほとんどの人が聞いたことがあるであろうが、実際に読んだこと
のある人は少ない、『人間革命』について解説する。

 『人間革命』は、戦時中、当局の弾圧を受けてほぼ壊滅していた創価学会を、当時の理
事長・戸田城聖が立て直し、その後会長に就任して、大教団に発展させる過程を描いた小
説で、表向きの著者は戸田門下生の代表を自称する池田大作である。

 初代会長・牧口常三郎、第二代会長・戸田城聖、日蓮正宗法主は実名で描かれるが、そ
れ以外の人物は仮名である。池田大作は、「山本伸一」として登場する。

 描かれている時期は、昭和20年7月、治安維持法違反で逮捕され、獄中にあった戸田城
聖が出獄するところから、昭和35年5月、山本伸一が第三代会長に就任するまである。
 『新・人間革命』には、それ以降が描かれている。

 『人間革命』には、小説の舞台である昭和20年代の、経済情勢、国際情勢などの世相に
ついて、かなり正確に描かれており、あたかもノンフィクションのような趣もある、と言
えなくもない。

 疑う余地のない事実の中に織り込むことで、ウソやデタラメにも信憑性を持たせようと
いう魂胆で、当時の社会情勢を詳述しているのではないかと思われる。

 第一巻のまえがきには、ゲーテの自伝について言及した後「私もまた、先生の真実の姿
を永遠に伝えるために、心をくだかねばならぬ」と述べられ、最終巻である第十二巻のあ
とがきにも「恩師の真実を伝える伝記」と記されているが、実際は、『人間革命』には多
くの欺瞞やごまかしが含まれている。

 例えば、著者は池田大作ということになっているが、実際の執筆者は、学会の外郭企業
の一つ、東西哲学書院の社長であった篠原善太郎氏である。執筆者からしてウソなのだか
ら、どれだけの虚偽が含まれているかは推して知るべしであろう。

 創価学会にとって、都合のいい事実は述べるが、都合の悪いことはいっさい書かない。
場合によっては、白々しい綺麗事でごまかす。これが『人間革命』の特徴である。
 創価学会における『人間革命』の主要な役割としては、以下の三つが考えられる。

1、戸田城聖や池田大作の神格化
2、創価学会は唯一正しい宗教と学会員を洗脳
3、他の宗教を論破するためのマニュアル(折伏のマニュアル)

 つまり『人間革命』とは、『聖教新聞』等とならんで、学会員をマインドコントロール
し、組織の手駒として働かせるための手段の一つなのだ。

 今後、『人間革命』の問題点を当ブログで取り上げていく予定だが、今回はそのさわり
として、数ある欺瞞の中の一部を取り上げる。

 『人間革命』第二巻に、昭和21年(1946年)11月17日に営まれた、学会の初代会長・牧口
常三郎の三回忌法要に際して、日蓮正宗僧侶が行なった法話について述べられている。そ
こから一部引用する。


>  つぎに細井尊師が、張りのある朗々とした声で、話しはじめた。
>  近代神道が、本居宣長、平田篤胤等によって、仏法を仇敵と見なして、天台や日蓮
> 大聖人の悪口をいう邪見からはじまった。その由来を述べ、いらい多くの学者の邪見
> は悪見を生み、今日の日本の運命を招いたと断じ、つぎのように結んだ。
> 「日本は、まさに邪見の宗教によって敗れ、しかもなお、邪見の学者によって堕落し
> ている今日、牧口先生の志を継いで、われわれ同志は、立宗の教義を深め、ますます
> 広く流布し、正しいものは正しく認識するような研究が行われんことを、希望する次
> 第であります」
>  一年まえの一周忌といい、また今回の法要といい、後の猊座に上られた二人の尊師
> が、多数の御僧侶のなかからとくに臨席され、亡き牧口会長の追善を祈られたことは、
> 宗門と学会とが深い宿縁で結ばれているものと感ぜられた。堀米尊師とは、後の第六
> 十五世日淳猊下であり、細井尊師とは、現在の第六十六世日達御法主上人猊下のこと
> である。


 わずか十数行の引用であるが、この中には、いくつもの欺瞞が含まれている。
 まず、本居宣長、平田篤胤が仏教を批判したのは事実であるが、彼らは何の根拠もなく
批判したのではない。引用では、ただ悪口を言っただけのように書かれているが、それは
史実と異なる。

 江戸時代の学者に富永仲基という人物がいる。富永は、大乗仏教の経典を精読し、大乗
経典は釈尊が一代で説いたものではなく、実際に釈尊が説いた初期経典に、後世、次第に
新たな教説が付け加えられていったことで成立したとする「加上説」を主張した。

 この説が正しければ、「法華経こそが、釈尊がその人生の最後の段階で説いた最も優れ
た経典である」と説く、天台大師の五時八教の教判や、それに依拠して他宗を批判した日
蓮の主張からは、根拠が失われることになる。

 本居宣長、平田篤胤は、この富永仲基の論証に基いて仏教批判を行った。現在の仏教学
でも、富永の主張は大筋で正しいと考えられている。

 『人間革命』第八巻にも、戸田城聖が、大乗経典が非仏説であることを学問的に明らか
にした、近代の仏教学について、イギリスがインドの植民地経営の必要上から発展させ、
ロンドンで確立した「ロンドン仏教」であると揶揄し、「非常に片端な釈迦仏法」と断定
する場面が描かれている。

 富永仲基という、仏教学の偉大な先駆者が本邦にいたことには、いっさい触れられてい
ない。

 このように『人間革命』は、一応は事実に即して記述されているが、一方で不都合な事
実を隠蔽している。都合の悪いことを隠さなければ、正統性を主張できない創価学会が、
「唯一正しい宗教」であるはずがない。

 富永仲基の名とその功績は、広く知られている。池田大作はともかく、『人間革命』の
本当の執筆者、東大文学部卒の篠原善太郎が知らなかったはずはない。知っていて意図的
に書かなかったのである。

 ある程度の知識がある人間にとっては、『人間革命』のインチキは一目瞭然である。
 こんなものを疑うことなく信じ込んでる学会員は、低能の集団と言わざるを得ない。

 また、「宗門と学会とが深い宿縁で結ばれている」というのは、今となっては噴飯もの
であろう。特に細井日達氏と池田大作の不仲は有名である。池田大作は、公衆の面前で時
の法主であった細井氏を面罵したことが何度もあった。

 日蓮正宗では、大石寺法主の地位は教義上特別のもので、単に一宗の管長というだけに
とどまらない。池田大作の不遜な振る舞いは、後に多くの造反者を生む遠因となった。

 『人間革命』のデタラメは、挙げていけばキリがないので、今回はここで一端、筆をお
くが、前述のとおり、次回以降も引き続きこの問題を取り上げていく。



補足 大乗非仏説論についての私見

 日本の伝統仏教各派が依拠している大乗経典、すなわち華厳経、法華経、般若経、大日
経、金剛頂経、無量寿経、阿弥陀経等の大乗経典は、上述のように、実際に釈尊が説いた
ものではないことが、今日では明らかになっている。

 しかし、それらの大乗経典もまた、真摯な仏道修行の成果として生み出されたことは事
実であろう。加えて、古代インドにおける社会や仏教教団の発展・変遷が、時代に即した
教えを必要としたことも汲むべきである。

 また、風土、言語、文化、風習、政治・経済の体制などが異なる社会に、仏教が伝搬す
るに際して、その社会で受け入れられるためには、一定の変容はやむを得なかったと考え
られる。

 そして、各宗派の祖師方の宗教的確信や省察に、魅力や説得力を感じた人々が多くいた
からこそ、それらの宗派は現在まで受け継がれてきたのであり、今や日本の伝統文化の一
部にまでなっているのだ。

 こうしたことから、大乗経典が釈尊が説いたものでないからと言って、伝統宗派を否定
しようとは、私は思わない。

 だが、特定の経典を「唯一絶対の教え」と称して、信教の自由のを侵害するような強引
な勧誘を行う宗教を容認することはできない。

 現状では、そのような教団は、創価学会などの日蓮正宗系カルトだけのようだが。