2018年12月30日日曜日

平成30年をふりかえって

 今年一年を振り返って見ると、池田大作というカリスマが不在となったことによる創価
学会の混迷ぶりを裏付ける出来事が二つあったと思う。

 その一つは、7月13日から16日まで実施された靖国神社の「みたままつり」で、「創価
学会」と書かれた提灯が飾られたことによる騒動である。

 この提灯は、靖国神社に所定の金額を納めると祭りの期間中に掲げられるもので、大型
のものの料金は1万2千円とのことである。

 前回も少しふれたが、かつての創価学会は「神社・仏閣は魔のすみか」などと主張し、
強い敵意を向けていた。

 しかし近年では、伝統的な祭りなどに宥和的な姿勢を示すこともあり、学会本部も「仏
法には『随方毘尼』という、風習には従うべきという考え方もあるので、他の宗教の本尊
等を拝むのでなければ祭りに参加しても差し支えない」と指導している。

 こうした変化は、選挙で公明党候補を当選させるために、外部の人間、特に連立を組む
自民党の支持者の協力が必要なことによると思われる(創価学会員であるにもかかわらず、
神社の祭りの役員まで務める者もいるそうだが、それも「F取り」の一環なのだろう)。

 自民党支持者には古くから地域に根づき、伝統的な信仰を尊重してきた人が多い。
 従って、創価学会員が地域の祭り等を邪教呼ばわりし続けていたのでは、いくら自民党
候補が「比例は公明党」と訴えても、さしたる効果は期待できない。

 創価学会にとっては、教義の一貫性よりも選挙での勝利の方が大事なのだ(とはいうも
のの、依然として寺社を敵視し、近づこうとしない学会員も少なくない。背に腹は代えら
れないので、しぶしぶ妥協したというのが実際のところなのだろう)。

 靖国神社への献灯問題はネットで大きな話題となり、学会本部には問い合わせが相次い
だという。この事態への対応として、聖教新聞に「『創価学会」の名称を騙った提灯献灯
警視庁に告訴申し立て」と題した記事が掲載された。


>  創価学会は靖国神社主催の「みたままつり」(7月13~16日)において、学会を勝
> 手に騙り、「創価学会」の名称入りの大型提灯を陳列させた氏名不詳者を23日、偽計
> 業務妨害罪及び名誉毀損罪で、警視庁(麴町警察署)に告訴の申し立てを行った。
>  提灯を献灯するためには同神社に所定の費用を支払う必要があるが、学会は献灯の
> 申し込みなど一切行っていない。にもかかわらず、「みたままつり」で学会の名称が
> 入った大型提灯が陳列されたため、これを見た関係各方面から学会に問い合わせがあ
> り、日常の法人及び宗教業務が妨害された。
>  また告訴状では、学会の名称入り提灯が陳列されることは、「謗法厳誡」を旨とす
> る学会が謗法を容認したとの印象を与えるものであり、学会の名誉毀損すると指摘。
> 悪質な犯罪行為の再発防止のため、厳重な捜査と、被告訴人に対する厳重な処罰を求
> めている。
 (『聖教新聞』平成30年〔2018年〕8月24日付)


 この記事は上記が全文である。創価学会が警視庁に対し、告訴の申し立てをしたという
事実は述べられているが、それが受理されたのか、具体的な捜査がなされたのかは一切述
べられていない。

 また、その後どうなったのかも続報も聞かない。ネット上では様々な憶測が飛びかった
が、真相は不明のままである。

 個人的には、創価学会が本気で怒り、何としてでも真犯人を厳罰に処したいと考えたの
だとしたら、顧問弁護士を押し立て、警察ではなく検察庁に告訴状を提出するというパフ
ォーマンスを行ったのではないかと思うのだが……。

 さて、先に述べたように近年の創価学会は「随方毘尼」と称して、学会員が神社の祭り
等の役員を務めることを容認してきた。だが、この件では一転して、靖国神社に提灯を献
灯することは、「謗法厳誡」に抵触するのだという。

 創価学会では初代会長・牧口常三郎を「反戦平和を唱えて国家神道と戦った殉教者」に
祭り上げてきた(これは大ウソである)。池田大作も総理大臣の靖国参拝に反対している。

 今回の件に関する聖教記事は、近年の主張と一貫性がないように見えるが、「池田平和
思想」に心酔し、内心では今でも神社を敵視している学会員たちの動揺が大きかったため、
「創価学会を騙って提灯献灯した者への厳罰を求め告訴した」と発表したのだろう。


 創価学会の混迷を示したもう一つの出来事は、沖縄知事選挙(9月30日投開票)である。
 この選挙では、死去した翁長知事の後継候補であり、名護市辺野古への米軍基地移設に
反対する玉城デニー氏と、自民党・公明党が推薦する佐喜眞淳氏の事実上の一騎打ちで争
われ、周知のように玉城氏が大差で勝利した。

 創価学会はこの選挙に本腰で取り組み、原田会長をはじめとする幹部が沖縄入りしたほ
か、本土から5千人もの学会員を動員したという。

 創価学会がそこまでしたのは、この選挙で自民党に恩を売ることで、来年の参院選での
選挙協力をより確固たるものにしたいとの思惑があったからだといわれる。

 佐喜氏の敗因の一つとして、学会本部の指示に反して玉城氏に投票した学会員が少なか
らずいたことがあるという。

 沖縄の学会員たちの造反を正当化したのも、「池田平和思想」だった。「池田先生が基
地なき沖縄を目指されていた以上、基地容認の候補に投票するのは『師敵対』にあたる」
というわけだ。

 以前も述べたが、私は池田大作が本心からの平和主義者だとは思わない(「池田大作は
本当に平和主義者か?」参照)。彼の「平和主義」は、見せかけだけだ。

 だが、池田センセイが海外で要人と面会したり、様々な顕彰を受けたり、近ごろ創価学
会が熱心に取り組んでいる対外イメージを改善したりに、たいへん便利だった「平和主義」
的なセンセイの言動は、池田センセイがご不在の現在、創価学会にとって時に「重荷」に
なっているようにも見える。

 池田センセイの過去の「名言」を金科玉条の如く振りかざし、学会本部や公明党を批判
する一部の学会員は、少数とはいえ、本部の幹部たちにとっては悩みのタネであろう。

 熱心に選挙運動を行う学会員がそうしてきたのは、「池田先生が選んだ人に投票すると、
功徳(ご利益)があるから」だった。だが、それも過去のことになりつつある。

 池田大作が8年以上も公に姿をみせなくなったことから、学会本部の解釈によらずに池
田の言葉を自分なりに理解し、行動に移す学会員まで現れている現状を見る限り、池田の
カリスマ抜きで学会本部が求心力を維持し続けられるか疑わしい。沖縄知事選の結果は、
その証左であろう。

 もちろん、創価学会のような反社会的なカルトが衰退していくことは、社会にとっては
よいことである。

 そして、日本全体を上回るスピードで少子高齢化が進んでいる創価学会には、未来など
ないのだろう。

 私としては、創価学会の瓦解を一日でも早めることに、わずかなりとも貢献できるよう、
来年もブログを続けていくつもりである。