2018年8月19日日曜日

日蓮と禅③

 ※ 今回は日蓮遺文に加えて、道元の著述も引用する。

4.道元と曹洞宗

 曹洞宗を日本に伝えた道元は、日蓮と生きていた時代が重なっており、執権・北条時頼
に招かれて一時期、鎌倉に滞在したこともある。

 その頃の日蓮は比叡山等に遊学していたので、二人が顔を合わせることはなかった。そ
のためか、日蓮の遺文には、道元について言及した箇所はない。

 直接の関わりがなかったとはいえ、道元と日蓮には共通点もある。二人とも比叡山で修
行した時期があること、法華経を重視したことなどである。道元は法華経について、以下
のように述べている。


>  法華経は、諸仏如来一大事の因縁なり。大師釈尊所説の諸経のなかには、法華経こ
> れ大王なり、大師なり。餘経・餘法は、みなこれ法華経の臣民なり、眷属なり。法華
> 経中の所説これまことなり、餘経中の所説みな方便を帯せり、ほとけの本意にあらず。
> 餘経中の説をきたして法華に比校したてまつらん、これ逆なるべし。法華の功徳力を
> かうぶらざれば餘経あるべからず、餘経はみな法華に帰投したてつまらんことをまつ
> なり。
 (岩波文庫『正法眼蔵(四)』より引用)


 日蓮が書いたと言われても違和感がない程に、法華経を賛美した文章である。
 だが、道元と日蓮とでは、法華経の教えの実践においては違いがあった。

 先に述べたとおり、道元は北条時頼の招きで鎌倉に滞在したことがあった。その際、時
頼は領地の寄進や寺院の建立を打診したらしいが、道元は固辞して永平寺に帰ったという。

 道元の言行を弟子たちがまとめた『永平広録』には、道元が仏道修行の在り方について
「聚落を経歴せず、国王に親近せず、山に入りて道を求むるなり」と述べたとある。

 法華経の安楽行品には「菩薩・摩訶薩は、国王・王子・大臣・官長に親近せざれ」「常
に坐禅を好み、閑(しずか)なる処に在りて、その心を摂(おさ)むることを修え」との
記述がある。

 道元は、北条時頼からの教えを説いてほしいとの要請には応えたが、必要以上に権力と
関わりを持とうとはしなかった。
 道元の行動や弟子たちへの指導は、法華経の教えを踏まえたものだったのである。

 それに対して、日蓮はどうだっただろうか。
 日蓮は文永5年(1268年)に蒙古からの使者が到来したことを、『立正安国論』での予
言が的中したものと考え、次のようなことを述べている。


>  去ぬる文永五年後の正月十八日、西戎大蒙古国より日本国ををそうべきよし牒状を
> わたす。日蓮が去ぬる文応元年に勘へたりし立正安国論すこしもたがわず符合しぬ。
> 此の書は白楽天が楽府にも越へ、仏の未来記にもをとらず、末代の不思議なに事かこ
> れにすぎん。賢王聖主の御世ならば、日本第一の権状にもをこなわれ、現身に大師号
> もあるべし。定んで御たずねありて、いくさの僉議をもいゐあわせ、調伏なんども申
> しつけられぬらんとをもひしに、其の義なかりしかば、其の年の末十月に十一通の状
> をかきてかたがたへをどろかし申す。
 (『種々御振舞御書』〔真蹟 身延曾存〕より引用)


 日蓮は、自身の予言的中について「仏の未来記にも劣らず」と自賛し、「賢王聖主の御
世ならば、日本第一と顕彰され、存命中に大師号が贈られてもいいほどだ」と自負し、さ
らに「戦の詮議に参加したり、敵国調伏の祈祷を申し付けられてもいいはずだと思った」
と述べている。

 日蓮の言葉からは、権力に近づくことを躊躇する姿勢は読み取れない。
 この点に関していえば、日蓮よりも道元の方がはるかに法華経の教えに忠実である。

 日蓮は、佐渡島への流罪から許されて、鎌倉に戻った後、三度目の諌暁を幕府に対して
行い、その後は身延に隠棲した。

 だから、日蓮については、まだ擁護の余地はあるともいえる。
 しかし、公明党から大臣が出ている事実がある以上、その公明党と事実上、一体の組織
である創価学会が、法華経の教えに違背していることは明白である。

 創価学会は「広宣流布」を目指しているそうだが、この言葉は法華経の薬王菩薩本事品
に由来するものである。

 法華経に何が書いてあるかも知らず、権力を私物化することばかり考えている創価学会
員に、法華経の教えを広宣流布できる道理など、あろうはずがない。

 話が脇へそれてしまったが、曹洞宗は現在も法華経を読誦し、「南無釈迦牟尼仏」と唱
える宗派である(以前も述べたが、法華経には「南無釈迦牟尼仏」という言葉はあるが、
「南無妙法蓮華経」という記述はない)。

 日蓮が禅宗を批判した理由の一つは、法華経を軽視しているからというものだったが、
これは曹洞宗にはまったく当てはまらないと思う(日蓮は曹洞宗のことを知らなかったよ
うだから、これは仕方ないことではあるが)。

 創価学会員には「唯一の正しい仏法」を僭称し、伝統仏教など頭からバカにしている者
が多いが、他の宗教について知ろうともせず否定してかかる姿勢は、増上慢としか言いよ
うがない。

 創価学会の強引かつ悪質な布教活動のせいで、法華経にまで悪いイメージを持っている
日本人は少なくないのだ。

 法華経の教えが広宣流布することを妨げる存在を「魔」というのであれば、創価学会こ
そが魔であろう。



補足 「曹洞宗」という呼称について

 本文中で「曹洞宗」という呼び名を用いたが、道元自身は「曹洞宗」とか「禅宗」とい
う言い方を否定している。

 しかし、道元の死後、弟子たちが「曹洞宗」を称するようになった。宗派の存続のため
には、やむを得なかったのであろう。