2018年1月7日日曜日

池田大作への個人崇拝の実態

 これまで述べてきたように、創価学会では池田大作名誉会長が〝末法の御本仏〟として
神格化され、信仰の対象に近い存在となっている。

 池田大作は、末端の学会員の前では理想的な指導者を演じてきた。創価学会の公式の教
義では、日蓮が〝末法の御本仏〟だが、実際に学会員たちが信奉しているのは、池田大作
というフィルターを通した日蓮の教えである。

 彼が外国の政府や大学から勲章や名誉学位を授与されると、聖教新聞では一面トップで
報じ、それを見た学会員たちはわが事のように喜び、誇らしく感じる。

 多くの学会員は池田大作の言葉を日蓮の言葉と同じように信じ、自らの理想像を彼に投
影し、心酔しきっているのだ。

 我が子が生まれた際に、男の子であれば「大作」や「伸一」、女の子であれば「伸子」
と名づける学会員も多い(池田大作が『人間革命』『新・人間革命』に「山本伸一」とし
て登場することから)。

 公明党の選挙運動を熱心にする創価学会員は多いが、それは政策への賛同や候補者の人
柄が信頼できるからというような一般的な理由からではなく、公明党が「池田先生が創設
した党」であり、その候補者は「池田先生が選んだ人」なので、投票すると「功徳になる
から」という者が大半である。

 このように創価学会員たちを熱狂させる池田大作への個人崇拝の実態について、関係者
が述懐している例をいくつが引用する。

 創価大卒の芸人、長井秀和氏の匿名での著作『創価学会あるある』には、学会員の信仰
姿勢が詳述されている。その中から折伏等の成果が上がらない時、学会員がどう振る舞う
か述べられた箇所を引用する。


> 第3代会長で名誉会長である池田先生が学会行事やイベントにくることは、学会では
> この上ない誉れである。そのため、日夜学会員が集まり、唱題をあげまくったり、折
> 伏に勤しんで通常より多くの成果を上げて、学会本部に報告するということをやる。
> 成果が上がらないときは、「先生と心が合っていないから、唱題もあがらないし、折
> 伏もできないんだよ。先生を求める気持ちが足りないんだ」とハッパをかけられ、鬼
> 気迫る勢いで活動をするというのが、学会員の思考、行動パターンである。現実的に
> は、地元の支部総会などに池田先生がくることはなかなかない。当日に池田先生のメ
> ッセージが届き、それを聞いて、会員はさらに活動に邁進するのである。


また、同書の別の箇所では、以下のように述べられている。


> 学会員は基本的な姿勢として、池田先生と心を合わせて、祈り、行動しようとする。
> 創価学会では、池田先生が大先輩であり、大先生であるので、先生の心と合わせて人
> 生全般に当たっていこうとするのだ。たとえば、女子部は子作りのときでさえ、「先
> 生のため、広布のために人材を産ませてください」と祈りながら営む……というのが
> 理想なのである。しかし、つい情愛に流されて学会内で不倫なんてこともある。宗教
> 者とはいえ、そこは人間。普通に楽しんでいる場合もあったりする。


 お笑い芸人が書いた本ということもあり、冗談めかして書かれている。だから、いくら
か割り引いて考える必要もあるかもしれないが、それにしてもキチガイじみている。こう
いう頭がおかしいカルト信者が日本中に数百万人もいると思うと、暗澹たる気分にさせら
れる。

 ジャーナリスト・山田直樹氏の著書『創価学会とは何か』にも、池田大作への個人崇拝
に関する逸話が紹介されている。創価学会の元幹部に取材したという、その内容を以下に
引用する。

>  池田氏はよく会員の前でピアノを弾くが、これも鍵盤を叩くだけで、実際には自動
> 演奏のピアノだったり、うしろからメロディーを流しているのだそうだ。それでも女
> 子部員たちは感激で、涙、涙なのだという。
> 「池田が訪れる会場周辺の花を咲かせるという古典的な演出もあります。期日に合わ
> せ、地元の人が何週間も前からドライヤーで花の蕾を温めるのです。多くの会員が梯
> 子を持ち出して延々とその作業を行い、見事、満開の桜を咲かせたこともあります。
> 先生のお陰で一夜にして桜が咲いた、というわけです。池田は〝見事だ。よくやった
> ね〟と満足げに言い、それを聞いて会員達はまた涙を流すのです。魚など一匹もいな
> いドブ池に事前に鯉を放流して池田に餌を撒かせ、〝ここには魚はいないのに、先生
> が餌付けすると鯉まで現れてしまった〟と会員達を感激させた例もあります」


 私は創価学会について書かれた本を何冊も読んだが、それらの中に「創価学会にも評価
すべき点もある」という肯定的な印象を受けたものは、ただ一つとしてなかった。先に引
用したように「頭がおかしい」と思うようなエピソードばかりだった。

 学会員はなぜ、おかしいと思わないのだろうか。こうしたバカげた実態を、当事者とし
て目にして来たにも関わらず、「創価学会は唯一の正しい宗教」と信じていられるのか、
本当に理解に苦しむ。洗脳の恐ろしさの実例とも言える。

 注意していただきたいが、滑稽な話が多いからといって、創価学会を甘く見てはならな
い。彼らの狂信やそこからくる反社会性は、尋常なものではない。しかも、彼らは日本中
いたるところにいる。

 洗脳されて、常識的な判断力を失ったカルト信者は、気に入らない相手には卑劣な嫌が
らせを平気で行なう。創価学会に「仏敵」認定されたために、苦しめられている被害者は
相当数いると思われる。

 ほとんどの創価学会員は、常識とは相容れない異常な個人崇拝に疑問を感じず、反社会
行為も厭わない連中である。表面的には「いい人」を演じていたとしても、彼らの本質は
危険なカルト信者であることを、心していただきたい。