2017年9月11日月曜日

「会長先生はお父様のような存在」

 創価学会内部に池田本仏論が定着する上で、『人間革命』が大きな役割を果たしたこと
をこれまでに述べたが、今回は創価学会員が池田本仏論を盲信していたことを示す資料を
紹介する。

 前回に述べたように、昭和40年代に『人間革命』を通して「師への帰命論」なる考え方
が、創価学会内部で広められた。

 「師への帰命論」とは、「〝師〟つまり初代から三代までの創価学会会長は、御本仏と
同等の存在として帰命すべき対象である」という思想である。

 そして、この思想が広まった時点での会長は、第三代の池田大作であった。会長本仏論
が池田本仏論の母体だったのである。

 内藤国夫著『公明党の素顔』(昭和44年〔1969年〕刊行)に、昭和40年代の学会内の雰
囲気がうかがえる一節があるので引用する。


>  公明党の控室でわれわれはよくお菓子をごちそうになる。「これは会長先生がわざ
> わざ買って、いま届けてくださったものです。食べませんか」といってセンベイやま
> んじゅうなどを差し出される。彼らはこれをほんとうにありがたそうに、そしておい
> しそうに頬張る。いい年をした男たちがニコニコとセンベイやまんじゅうを食べ、食
> べ終わるといっせいに「ああおいしかった」「もう一ついただいてもいいですか」な
> どと声をあげる。
> (中略)そして池田会長賛辞が競争するようにして続く。
> 「会長先生はわれわれのお父さんのような方です」「会長のご指示に従っていれば絶
> 対にまちがいはない。先生のご判断はいつも的確です。あとになってみると、いつも、
> なるほどなと感心してしまうのです」
>  ちなみに、池田会長は現在、ようやく四十一歳、賛美し続ける議員のほうがおおむ
> ね年長者だ。時には会長の父親のような年齢の議員から「会長先生はお父様のような
> 存在」ということばを聞くこともある。
>  これだけ無条件に一人の人間を尊敬し、あがめたてることのできる人たちは幸福で
> ある。うらやましいとも思う。そしてこれが宗教の場に限られているなら、われわれ
> ヨソモノが何も外から文句をいったり、注文をつけることことはない。しかし、そう
> いうオールマイティな一人の人間に率いられた人々が政治の場に登場し、ある程度の
> 力を持ち、われわれの生活を左右するようにさえなった以上は、われわれ部外者とし
> てもいろいろ注文をつけたくなる。疑問もぶつけたくなる。

 ※ 引用中の「公明党の控室」とは、都議会公明党の控室のことである。内藤氏は当時、
  毎日新聞の記者として、東京都政の取材を担当していた。


 民意の信任を得て議席を得たはずの人達が、選挙の洗礼を受けておらず、有権者のうち
の一人に過ぎない池田大作を無条件に崇め奉り、判断を委ねている異様さを、内藤氏は指
摘している。そして、この異様さは現在の公明党・創価学会にも引き継がれている。

 それはさておき――創価学会が政治権力に介入しているという問題は、詳細に論ずべき
重要なことだが、今回の主題ではないのでこの件については別の機会に譲りたい――引用
中にある「会長先生はお父様のような存在」という表現にどのような含意があるかを、考
えたい。

 この点について、著者である内藤氏は特に論考を加えていないが、前回までに論じたよ
うに、「本仏」とは「主・師・親」の三徳を備えている存在である。
 つまり「会長先生はお父様のような存在」という表現には、以下の意味がある。

 「会長」である。 → 〝主〟である。
 「先生」である。 → 〝師〟である。
 「お父様」である。 → 〝親〟である。

 公明党の議員、特に国会議員や都議会議員は、ほぼすべて熱心な創価学会員である。
 当然のことながら、教義にも精通しており、主・師・親の三徳を具備していることが、
「本仏」の特性であることは承知している。

 上記引用中に「池田会長は御本仏」という表現はないが、それと同じ意味のことを、当
時の公明党議員たちは、口を揃えて述べていたのである。
 「池田本仏論」は、昭和40年代前半には学会内部に定着していたのだ。

 実は、上述の公明党議員の言動を彷彿とさせる記述が『人間革命』にもある。
 昭和23年(1948年)元旦、学会本部に集まった学会員たちが、戸田城聖を囲んで乾杯す
る場面の一部を以下に引用する。


>  一同は乾杯した。そして、なんとうまい酒だろうと思った。カストリ焼酎より、う
> まいというのではない。彼らはこの時、戸田の愛情を飲む思いがしたのである。彼ら
> にとって、戸田はつねに師であったが、ひとたび彼に会うと、いつか彼らは子となり、
> 戸田は父となった。そしてこの間柄は、年齢にはなんの関係もなかったのである。
 (『人間革命』第三巻より引用)


 この記述も、「本仏」が「主・師・親」の三徳を備えていることを踏まえてのものでる。
 『人間革命』第三巻は、昭和42年(1967年)3月に刊行されたが、上記引用部分が聖教
新聞に掲載されたのは、その前年の昭和41年(1966年)だったと思われる。

 また、内藤国夫氏が毎日新聞記者として、東京都政を担当していたのは昭和39年~43年
(1964年~1968年)だったとのことなので、『公明党の素顔』にある「会長先生はお父様
のような存在」という都議会公明党議員の異様な言動は、『人間革命』の記述を範とした
ものだったのだろう。

 池田大作は表向きは「私などを絶対視してはならない」など述べて、創価学会には会長
への個人崇拝など存在していないかのように世間体を取り繕っていたが、その実、『人間
革命』を通じて、創価学会内部に会長本仏論=池田本仏論を定着させるように仕組んでき
たのは、池田本人だったことに疑う余地はない。

 そして、その池田を生き仏のように敬う創価学会・公明党が、政治に小さからぬ影響力
を持つ以上、池田の人となりに世間の関心が集まったのは当然であろう。

 池田大作は、平成22年(2010年)に病に伏したために、社会からも学会からもフェード
アウトしつつある。

 しかし、創価学会が池田を「永遠の師匠」と規定している以上、学会員たちは池田の生
死にかかわらず、今後ともその言動や思想を規範とし続けるものと考えられる。

 創価学会と直接かかわりを持たない人であっても、政治や権力を介してその影響を受け
ることになる以上、池田大作がどのような人物であったかを知ることには意義がある。

 そこで当ブログでは、今後、池田大作について、より詳しく論じていく予定である。