のは、昭和5年(1930年)のことである。その後、戦時下の弾圧を経て、戦後、創価学会
と改称し、宗教法人としては昭和27年(1952年)に認可された。
それから60年以上が経過した。その間に、彼らは様々な事件を引き起こし、そのたびに
その反社会的な体質を批判されてきた。
それにもかかわらず、彼らの体質は一向に改まっていない。世間に対して、一応は取り
繕ってみせるものの、より巧妙で露見しにくい手口で同じようなことを繰り返す。
この変わらないというか、性懲りもない、しかも根深い創価学会の反社会的体質につい
て、本稿では取り上げる。
まず、今から48年前、昭和44年(1969年)に出版された『創価学会を斬る』から、「他
人を『ノロウ』ものの罪」と題された一節の一部を引く。
> 創価学会教学部編になる『日蓮正宗創価学会批判を破す』という本の中に次のよう
> に書かれている。
> 「ちょっと前のことになりますが、学会の悪口をいっていた宗教学者の佐木秋夫氏
> がお山へ行きたいというので、戸田先生から案内するようにいわれて同行することに
> なったのですが、出発の日に、東京駅で私が待っていたところ、佐木氏の方では、そ
> の前日でしたか『子どもが死んだから行けなくなった』というのですね。これは、ハ
> ッキリとした罰ですよ。そして帰ってきてからきいたのですが、佐木氏はイナカへ帰
> って、邪宗日蓮宗で葬式を出したというのです。まるっきり、なっちゃいないですね」
> 学会教学部、つまり学会のいちばん重要な頭脳にあたるところが、こんなバカバカ
> しい内容の本を堂々と出版しているのである。いったい創価学会は人間の死というも
> のをなんと心得ているのであろうか。いわゆる邪宗を批判するのは、彼等の自由であ
> る。意見発表の自由によって競争していく、これはわれわれの関知するところではな
> い。しかし創価学会を批判する人であったとはいえ、その人の子供の死を罰としてと
> らえ、しかもこれを当然視する態度はいったい何たることであろうか。これをもって
> 学会批判の当然の〝報い〟と考えて堂々と公表する真理は、まさに恐るべき精神病理
> 性と、人間性の冒瀆と、とらざるをえない。まさに〝他をノロウ罪〟これが学会の本
> 質なのである。
(藤原弘達著『創価学会を斬る』より引用)
※ この本は、いわゆる言論出版妨害事件で有名になった。出版社には「池田先生を批
判すると地獄に堕ちる」といった電話が次々にかかり、抗議の手紙も段ボール数箱分
届いたという(言論出版妨害事件の詳細は、別の機会に論じる予定である)。
かつての創価学会が公然と他人を呪い、しかも、その事を恬として恥じない集団であっ
たことは、上記引用から明らかである。
しかし、『創価学会を斬る』が出版された当時、創価学会は宗教法人となってから、ま
だ17年しか経っていない。好意的に見れば、組織としての若さ、未熟さが、社会的な逸脱
の背景にあったと見做せなくもない。
『創価学会を斬る』はミリオンセラーとなり、創価学会は出版妨害や公明党との政教一
致について批判を受け、当時会長だった池田大作は、謝罪講演を余儀なくされた。
それから幾星霜を経た。通常の組織であれば、角が取れ、老成されて、社会との融和に
より配慮するようになるのが普通である。池田大作自身、謝罪講演で「社会に迷惑をかけ
ることは大謗法」と言明した。
だが、実際にはそうはならなかった。池田大作は、自分のために忠節を尽くした功労者
――福島源次郎氏、山崎正友氏、原島嵩氏、竹入義勝氏、龍年光氏など――や、就任当初
は創価学会に対して融和的だった日蓮正宗法主・阿部日顕氏とも敵対するにいたり、泥沼
の抗争を展開した(私が見るところ、その責任はほぼすべて池田大作にある)。
そして、敵対者たちを「仏敵」とし、聖教新聞紙上で口汚い罵詈雑言を浴びせた。
それだけでなく、創価学会の施設では阿部日顕氏をはじめとする「仏敵」とされた人々
を呪詛するための唱題会まで行われた。
創価学会の体質で変わった点といえば、社会から批判されないように、より目立たない
やり方でこうした呪詛を行うようになったことくらいではないだろうか。
それにしても、創価学会員にとっては憎悪が込められた悪口雑言が載った聖教新聞を毎
朝読み、呪いの儀式のようなことまで行うのが日常だったのだから、正気の沙汰とは思え
ない。このような家庭環境で、まともな人間が育つのだろうか。
万人の幸福を願う信仰ならば、人格形成によい影響があるかもしれないが、他人を呪う
のが当たり前の創価学会では、反社会的な人格が涵養されるのではないかと危ぶまれる。しかも、彼らは数百万世帯を擁している。このような憎悪を植え付ける信仰を、絶対に
正しいものだと思い込まされて育った学会員子弟が、多数存在しているのである。そら恐
ろしさを感じるのは私だけではないと思う。
なお、この学会の総力を挙げた撲滅唱題にもかかわらず、阿部日顕氏は90歳を超えてな
お矍鑠としていたという。インチキ宗教の祈りになど、何の力もない証拠である。
実は、創価学会のこうした体質は、創価教育学会を名乗っていた、戦前・戦中から変わ
っていない。昭和18年(1943年)当時の事件を引く。
> 神札問題から間もなく、創価教育学会は弾圧を受ける。発端は、東京・東中野のク
> リーニング業・陣野某、有村某(創価教育学会理事)の二人が流言蜚語で検挙された
> ことである。近所に子供を病死させた家があり、そこへ折伏に出かけた両人が、「子
> 供が死んだのはバチがでたのだ。今の日本は、正しい宗教に入り大善生活をしなけれ
> ば、まだまだバチがでる」と説いた。悲しみのさなか、バチだと極言されたから、親
> が怒って警察に訴えでたため、陣野、有村の逮捕となった。
(藤原弘達著『創価学会をブッた斬る』より引用)
創価教育学会は治安維持法により弾圧を受けた。この法律が思想の自由・信教の自由を
制限する悪法と断罪されて久しい。私もそれに意義を唱えるつもりはないが、創価学会を
はじめとする悪質なカルトまでもが、「信教の自由」の美名の下、やりたい放題を許され
ている現状もいかがなものか、と思わずにはいられない。
さて、創価学会員による強引な折伏の被害は、現在でもよく聞かれる話である。特によ
く聞かれるのが、大学入学を機に一人暮らしを始めた人が、クラスメートやサークル活動
などで友人になった人から、宗教について議論を挑まれ、言い負かされて半ば無理やり入
信させられるケースである。
私自身、そうした経験はあるし(私は言い負かされたりはしなかったが)、知人がそう
した被害にあっているのを助けたこともある。その時は、当ブログでこれまで述べたよう
なことを論じて、相手の学会員を論破したが、帰る間際にその男はこちらを振り向いて、
「ナンミョーホ―レンゲーキョー」と憎々しげに唱えて去った。今思えば、あれは呪詛の
唱題だったのだろう。
本稿で論じたように、創価学会の反社会的な体質は、設立当初からのものであり、現在
に至っても、何も変わっていない。しかし、さすがに度重なるバッシングや、インターネ
ットでの情報拡散を懸念してか、近年はより隠微な手段をとるようになっているようだが。
逆に言えば、昔の方が現在よりも手口が杜撰で、学会も世間からどう思われるかにあま
り配慮していなかった分、古い出来事の方が情報を得やすい面もある。
そこで、次回以降、当面は『人間革命』等を題材に、創価学会の反社会性、非科学性、
前時代性などについて論じたい。