創価学会の毎年恒例の金集め、財務が今月末から始まる。すでに多く学会員が振込用紙
を兼ねた広布部員証を受け取っていることであろう。
学会員の財務への意欲を盛り上げるため、聖教新聞でもその意義が強調されている。今
月12日付には「御書に学ぶ御供養の精神」と題された、教学の特集記事が掲載された。
〈一部抜粋〉
> 広宣流布のために供養する真心は、必ず大きな福徳となって、自分自身だけでなく、
> 三世にわたって一家一族をも包み込んでいくことは間違いありません。
> 世界広布が進む今、一閻浮提広宣流布を現実のものとする学会への真心の供養は、
> 平和と幸福の光を世界に広げていくことになるのです。
(『聖教新聞』2019年〔令和元年〕11月12日付)
この記事には「池田先生の指導から」として、『新・人間革命』第四巻から、供養の意
義を説いた箇所が引用されていた。
> 学会が推進する供養、財務は、すべて日蓮大聖人の御遺命である広宣流布のための
> ものである。大聖人の立てられた大願を成就するために行う供養は、御本仏への供養
> に通じよう。ならば、これに勝る供養もなければ、大善もない。ゆえに、これに勝る
> 大功徳もないはずである。
創価学会の財務を、唯一の正法である日蓮仏法を世界に広めるためのものと純真に信じ
ている学会員も、もちろんいるのであろう。
しかし、多額の金が動くこの機会に乗じて、良からぬことを企てる輩もいるようである。
今月20日付に掲載された原田会長の指導の一部に、過去に問題があったことを示唆する
記述があった。当該箇所を以下に引く。
> 一、いよいよ今月28日からは、財務納金が始まります。御聖訓に「供養し給ういづ
> れも・いづれも功徳に・ならざるはなし」(御書1098ページ)と仰せの通り、総本部
> が着々と整備され、創立90周年、さらには100周年へと、世界広布が勢いを増す中で、
> それを支える財務の功徳は計り知れません。
> 世間では、架空請求のハガキやSNS・メールが届くなど、年々、詐欺事件が巧妙
> になっています。改めて確認すれば、振込用紙に記載された振込先が変わることはあ
> りませんし、財務を誰かが預かるようなことも決してありません。
> 絶対無事故で、福徳あふれる財務となるよう真剣に祈りながら、本年の総仕上げを
> 飾っていきたい。
(『聖教新聞』2019年〔令和元年〕11月20日付)
原田会長の言葉からは、「振込用紙に記載された振込先が変わった」と偽って金を騙し
取ろうとしたり、高齢者等に「代わりに振り込んでおく」などと言って金を預かり、その
まま着服しようとしたりした者が、過去にいたのであろうことが読み取れる。
30年ほど前まで、財務は振り込みではなく現金で集められていたそうだが、その当時は
どれほどの不正がはびこっていたのだろうか……。
仮に財務に便乗した詐欺がなかったとしても、私のような不信心者からすれば、そもそ
も創価学会の財務は職業幹部の高給やゼネコンから票を買って権力を維持することを目的
としたもので、それに崇高な宗教的意義があるように説くこと自体、インチキである。
財務から高給を受け取っている原田会長をはじめとする本部職員には、「功徳」は間違
いなくあるのだろうが、金を貢ぐ一方の末端信者には「功徳」も「福徳」もありはしない
のだ。ただの搾取とどう違うと言うのだろう。
財務の欺瞞については、これまでに多くの批判者が言及している。
前回、創価学会の会館建設には、裏金作りという隠された役割があることを述べたが、
財務で集められた莫大な金も、その一部は裏金になっていたという。
> ある現役の学会幹部が絶対匿名を条件に明かす。
> 「会員から集まった財務などは最終的には三菱銀行(現・東京三菱銀行)の学会
> 本部の口座に入るわけですが、そのうち、オモテの金となる一般会計にいくら入れ
> るかは、池田のツルの一声で決まる。で、池田の指示を受けた学会本部の経理局長
> が三菱銀行のお偉いさんのところに行って、最終的に『じゃあ、今回は○億円を一
> 般会計に入れます』と話をつけてくるわけです」
(古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』)
裏金にはこの他にも公明党議員からの上納金である「P献金」などがあり、その使途
は池田大作の個人的な蓄財――税務申告などしていない不正な蓄財――や、池田が海外
の要人と会ったり名誉学位等を手に入れたりするための工作費用だったという。
池田が健在だったころは、彼が創価学会の金も人事もすべてを掌握していたというが、
現在はどうなのだろう。
今年、原田会長の任期が満了するのにあわせて、新たな会長として谷川佳樹氏が選ば
れるのではないかとの予想もあったが、実際には全会一致で原田氏が再任された。
ことが巨額の金と権力が関係する重要人事である以上、水面下で闘争があったのではな
いかと考えたくなるが、実情は杳として知れない。
こうしたことは往時であれば週刊誌等の格好のネタだったはずだが、かつては薄給だ
った本部職員が高給取りになり、情報をリークする者が少なくなった事や、出版産業が
斜陽化する中で無視できないスポンサーとなった創価学会への忖度が背景となって、創
価学会の内部事情に関する報道は、以前より確実に少なくなっている。
公明党が政権与党に入り込み、しかも自民党との政策のすり合わせは公明党の頭越し
に創価学会首脳部が行っていると言われる現在、創価学会の動向が持つ意味はかつてよ
り大きくなっているにもかかわらず……。
創価学会のような得体の知れないカルトが、一般国民のあずかり知らないところで国
政に影響力を行使することが好ましいことのはずがない。
このカルトの影響力の源泉は、その集票力と資金力にある。財務に疑問を持つ学会員
が増えることは、間違いなく創価学会の力を削ぎ、社会を健全化する一助になる。
学会員の皆さんには、「真心の供養」だと信じてきた財務が、実は犯罪の温床になっ
たり裏金作りや不正蓄財に利用されたりしてきた現実を直視し、そんなものが本当に功
徳や福運をもたらすかどうか、是非とも自分の頭で考えていただきたいと思う。
2019年11月24日日曜日
2019年11月17日日曜日
創価学会はなぜ会館建設を続けるのか?
これまでの人生を創価学会との関わりをほとんど持たずに送ってこられたという、幸運
な方であっても、その他を圧する巨大な会館を目にして驚いた経験ならばある方は、多い
のではないだろうか。
創価学会は全国各地に「○×会館」等の施設を建てているが、中でも地域の中心となる
施設ともなると、前述のように周囲の建造物よりもひときわ大きいことも珍しくなく、学
会員でない者にとっては、異様な存在として目に映ることだろう。
そうした学会施設が特に密集しているのが、彼らの本部が所在する信濃町(東京都新宿
区)である。
信濃町には先ごろ、聖教新聞社の新社屋となる「世界聖教会館」が竣工し、創立記念日
の11月18日に開館する予定となっている。
世界聖教会館の敷地には、以前、東京電力病院があったが、東京電力が経営合理化に迫
られて手放し、創価学会が購入した。世界聖教会館は、地上5階、地下2階、延床面積1万
4500㎡の規模だという。
創価学会はこの他にも、今年9月に牧口記念墓地公園を開園させている。これは66万㎡
の敷地に墓石2万基が並ぶという巨大墓園で、創価学会の初代会長・牧口常三郎の出生地
である新潟県柏崎市に建設された。
創価学会がこのような巨大施設を作り続けているのは、学会員たちに対して目に見える
成果を示す必要があるからだという。
このことについて、ジャーナリスト・野田峯雄氏が創価学会の元最高幹部の述懐を著書
に記している。
> 「こんなサイクルを描いています――学会員数の増加と彼らの心の吸引→より豪華な
> 施設づくり→大量の建設活動資金の確保→新学会員の獲得もしくは現学会員に対する
> 献金とか布施(財務や広布基金)の要求→より豪華な施設づくり。そうしたサイクル
> のどこかがひとつでも崩れるとたちまち組織は危殆に瀕してしまう。けっしておおげ
> さにいっているわけじゃありません。施設づくりが学会の死命を制しているのです。
> 最高の『売り』になっている。ややこしい抽象的な用語、観念用語で金の集まる時代
> じゃない。『心』なんて、目にみえない。施設づくりは一般学会員たちを結集させ金
> を出させるまさに具体的な、目にみえる材料。じつにわかりやすい材料です。だから、
> それは見栄えのするものであればあるほどいい。利用価値があるのかどうかはたいし
> て重要ではない。同じようなものがいくつあったってかまわない、『そこに私たちの
> 会館がある』『いま私たちの会館をつくっている』、それで十分なのです。彼らにと
> っては施設をつくること自体が目的なのです。たとえば信濃町の異常膨張は、このコ
> ンテクストでみないと理解することができません。彼らは施設づくりを目的化してし
> まっている。いや、『彼らは』というより『彼は』といったほうが正確ですね」
> このような組織経営による利益を最大限享受している「彼」こそ、そのしくみをも
> っともよく知っていると元最高幹部の一人はつけ加えた。
(野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』)
※ 「彼」とは、言うまでもなく池田大作のことである。
本書は平成9年(1997年)に原著が出版され、その後、平成12年(2000年)に増補版が
出ている。
引用中の「学会員数の増加」は、現状では「学会員数の維持」もしくは「減少に歯止め
をかけること」に変わっていると言うべきだが、それ以外の学会員の心理についての考察
は、現在でもおおむね妥当だと見てよいだろう。
加えて、学会員活動家の高齢化と減少が進んだ昨今では、選挙で公明党候補を当選させ
るために必要なゼネコン票の重みが増しているため、学会施設を作り続けることの意味は
より大きくなっているものと考えられる。
また、学会施設の建設は、もっと直接的な利益をも池田大作にもたらしていた。
それは、キックバックによる裏金づくりである。ジャーナリスト・古川利明氏が著書に
現役の学会幹部による証言を記している。
> 前出の現役学会幹部は言う。
> 「私が直接、間組(現・ハザマ)の幹部から聞いたことがありますが、そのキック・
> バックの額はズバリ、工事費の二〇%です」
> 仮に会館建設に五十億円がかかった場合、その五十億円は学会本部から「オモテの
> 金」としてゼネコンに支払われるわけだが、逆に、同時にその二〇%にあたる十億円
> がキック・バックとして池田の手元に「裏金」になって戻ってくるわけだ。
(古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』)
※ 現在のハザマは安藤建設と合併して「安藤ハザマ」になっている。
この本が出版されたのは平成11年(1999年)、今から20年も前の話である。
当時は健在だった池田大作も、現在では表に姿を見せることはなくなった。
毎年のように大規模な施設を作り続けている創価学会の建設費の20%となると、数十億
円、あるいはそれ以上あっても不自然ではない。
巨額の裏金は、その後、どうなったのであろうか。
利権をめぐる暗闘があったではないかと想像できるが、確たる情報はない……。
創価学会は、今後も学会施設の建設を続けるという。
信濃町では現在、創価宝光会館(新接遇センター)が建設中であり、来年4月には城北
池田記念講堂(東京都北区)の着工が予定されている。全国各地でも、より小規模であろ
うが、会館の新築や建替えが続けられてゆくのだろう。
真心からの信心を形にする機会とされる「財務」が今月末から始まるが、学会員の真心
が実は「裏金」に化けていたことを知ったら、彼らはどう思うだろうか。
真心からだろうが何だろうが、カルトに金を貢いでもロクなことに使われはしないのだ。
一人でも多くの学会員に、一日も早く目を覚ましてもらいたいものである。
な方であっても、その他を圧する巨大な会館を目にして驚いた経験ならばある方は、多い
のではないだろうか。
創価学会は全国各地に「○×会館」等の施設を建てているが、中でも地域の中心となる
施設ともなると、前述のように周囲の建造物よりもひときわ大きいことも珍しくなく、学
会員でない者にとっては、異様な存在として目に映ることだろう。
そうした学会施設が特に密集しているのが、彼らの本部が所在する信濃町(東京都新宿
区)である。
信濃町には先ごろ、聖教新聞社の新社屋となる「世界聖教会館」が竣工し、創立記念日
の11月18日に開館する予定となっている。
世界聖教会館の敷地には、以前、東京電力病院があったが、東京電力が経営合理化に迫
られて手放し、創価学会が購入した。世界聖教会館は、地上5階、地下2階、延床面積1万
4500㎡の規模だという。
創価学会はこの他にも、今年9月に牧口記念墓地公園を開園させている。これは66万㎡
の敷地に墓石2万基が並ぶという巨大墓園で、創価学会の初代会長・牧口常三郎の出生地
である新潟県柏崎市に建設された。
創価学会がこのような巨大施設を作り続けているのは、学会員たちに対して目に見える
成果を示す必要があるからだという。
このことについて、ジャーナリスト・野田峯雄氏が創価学会の元最高幹部の述懐を著書
に記している。
> 「こんなサイクルを描いています――学会員数の増加と彼らの心の吸引→より豪華な
> 施設づくり→大量の建設活動資金の確保→新学会員の獲得もしくは現学会員に対する
> 献金とか布施(財務や広布基金)の要求→より豪華な施設づくり。そうしたサイクル
> のどこかがひとつでも崩れるとたちまち組織は危殆に瀕してしまう。けっしておおげ
> さにいっているわけじゃありません。施設づくりが学会の死命を制しているのです。
> 最高の『売り』になっている。ややこしい抽象的な用語、観念用語で金の集まる時代
> じゃない。『心』なんて、目にみえない。施設づくりは一般学会員たちを結集させ金
> を出させるまさに具体的な、目にみえる材料。じつにわかりやすい材料です。だから、
> それは見栄えのするものであればあるほどいい。利用価値があるのかどうかはたいし
> て重要ではない。同じようなものがいくつあったってかまわない、『そこに私たちの
> 会館がある』『いま私たちの会館をつくっている』、それで十分なのです。彼らにと
> っては施設をつくること自体が目的なのです。たとえば信濃町の異常膨張は、このコ
> ンテクストでみないと理解することができません。彼らは施設づくりを目的化してし
> まっている。いや、『彼らは』というより『彼は』といったほうが正確ですね」
> このような組織経営による利益を最大限享受している「彼」こそ、そのしくみをも
> っともよく知っていると元最高幹部の一人はつけ加えた。
(野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』)
※ 「彼」とは、言うまでもなく池田大作のことである。
本書は平成9年(1997年)に原著が出版され、その後、平成12年(2000年)に増補版が
出ている。
引用中の「学会員数の増加」は、現状では「学会員数の維持」もしくは「減少に歯止め
をかけること」に変わっていると言うべきだが、それ以外の学会員の心理についての考察
は、現在でもおおむね妥当だと見てよいだろう。
加えて、学会員活動家の高齢化と減少が進んだ昨今では、選挙で公明党候補を当選させ
るために必要なゼネコン票の重みが増しているため、学会施設を作り続けることの意味は
より大きくなっているものと考えられる。
また、学会施設の建設は、もっと直接的な利益をも池田大作にもたらしていた。
それは、キックバックによる裏金づくりである。ジャーナリスト・古川利明氏が著書に
現役の学会幹部による証言を記している。
> 前出の現役学会幹部は言う。
> 「私が直接、間組(現・ハザマ)の幹部から聞いたことがありますが、そのキック・
> バックの額はズバリ、工事費の二〇%です」
> 仮に会館建設に五十億円がかかった場合、その五十億円は学会本部から「オモテの
> 金」としてゼネコンに支払われるわけだが、逆に、同時にその二〇%にあたる十億円
> がキック・バックとして池田の手元に「裏金」になって戻ってくるわけだ。
(古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』)
※ 現在のハザマは安藤建設と合併して「安藤ハザマ」になっている。
この本が出版されたのは平成11年(1999年)、今から20年も前の話である。
当時は健在だった池田大作も、現在では表に姿を見せることはなくなった。
毎年のように大規模な施設を作り続けている創価学会の建設費の20%となると、数十億
円、あるいはそれ以上あっても不自然ではない。
巨額の裏金は、その後、どうなったのであろうか。
利権をめぐる暗闘があったではないかと想像できるが、確たる情報はない……。
創価学会は、今後も学会施設の建設を続けるという。
信濃町では現在、創価宝光会館(新接遇センター)が建設中であり、来年4月には城北
池田記念講堂(東京都北区)の着工が予定されている。全国各地でも、より小規模であろ
うが、会館の新築や建替えが続けられてゆくのだろう。
真心からの信心を形にする機会とされる「財務」が今月末から始まるが、学会員の真心
が実は「裏金」に化けていたことを知ったら、彼らはどう思うだろうか。
真心からだろうが何だろうが、カルトに金を貢いでもロクなことに使われはしないのだ。
一人でも多くの学会員に、一日も早く目を覚ましてもらいたいものである。
2019年11月10日日曜日
創価批判コピペ集‐⑯(「創価学会と韓国」他)
◇◆◇ 創価学会と韓国 ◇◆◇
創価学会には在日韓国人の信者が多い。近年、創価学会は海外布教に力を入れているが、
日本以外で最も多くの信者がいる国も韓国である。そのため、韓国には気を遣ってきた。
創価学会の福岡研修道場にある「韓日友好の碑」には、日本を「小国」とし韓国を「師
恩の国」と述べる池田大作名誉会長の詩が刻まれている。また、日本と韓国の創価学会
の代表者が出席した「韓日友好代表者会議」で、池田は以下のようなスピーチを行った。
> 韓国は、日本にとって「文化大恩」の「兄の国」である。「師匠の国」なのであ
> る。その大恩を踏みにじり、貴国を侵略したのが日本であった。ゆえに私は、永遠
> に貴国に罪滅ぼしをしていく決心である。最大限の礼をもって、永遠に貴国と友情
> を結び、貴国の発展に尽くしていく決心である。(『聖教新聞』2000年5月22日付)
創価学会は言葉で韓国に媚びへつらうだけでなく、公明党を通じて在日参政権の実現を
目指しており、日本人信者に対しても、韓国を「兄の国」として敬うよう洗脳している。
◇◆◇ 創価学会員が神社を敵視する理由 ◇◆◇
創価学会の初代会長、牧口常三郎は戦時中、治安維持法違反で投獄され、栄養失調で獄死した。
現在の学会では牧口は国家神道と戦った殉教者で、「神道は初代会長のかたき」とされている。
牧口逮捕の理由は、当時、全戸に配布されていた神札の受け取りを、ある時期までは拒否して
いたことだが、捜査の端緒は学会員の強引な折伏を受けた被害者が、警察に訴えたことだった。
その後、当時の理事長、戸田城聖は「神札を粗末に扱わないように」との文書を会内に発した。
牧口も以前より靖国神社に参拝し神道と折り合いをつけており、全否定していたとは言い難い。
戦時中、創価学会が国家神道と戦い抜いたという事実でない説明が現在の学会でされる一因と
して、戦後、朝鮮戦争等を背景として、多くの人々が朝鮮半島から日本に流入したことがある。
創価学会はこうした人々を新たな信者としたが、日本の伝統に拒否感を持つ彼らが、学会員と
なるのに際して、代表的な日本文化である神道を全否定する姿勢を示したことが有利に働いた。
これが「鳥居をくぐると地獄に堕ちる」と、神社に近づかない学会員が多い背景となっている。
※ 「創価学会と韓国」は以前の投稿の要約。
解説
よく知られているように、聖教新聞などの創価学会のメディアでは「日本と韓国」につ
いて言及する際、「日韓」ではなく「韓日」と略することが多かった。
近年では、池田大作が韓国の自治体等から顕彰を受けたこと等を報じる記事で、韓国側
の発言を引用する形で「韓日」を使うことが多い(そうした文脈で用いるにしても、不自
然に「韓日」が強調されていることが少なくない)。
現在では、こうした表現が韓国への過剰な配慮と見られないように、一応は工夫してい
るわけだが、数年ほど前までは、聖教新聞等では「韓日」という表現が普通に用いられて
いた。
創価学会がそこまで韓国に気を遣ってきたのは、学会員の中に在日韓国人が占める割合
が大きいからだと考えられる。
一般の日本人よりも、外国人の方を優先するかのような姿勢を見せてきた創価学会が、
公明党を介して与党に入り込んでいる現状には、もっと多くの国民が危機感を持つべきで
ないかと思うのは、私一人だけではないはずである。
創価学会には在日韓国人の信者が多い。近年、創価学会は海外布教に力を入れているが、
日本以外で最も多くの信者がいる国も韓国である。そのため、韓国には気を遣ってきた。
創価学会の福岡研修道場にある「韓日友好の碑」には、日本を「小国」とし韓国を「師
恩の国」と述べる池田大作名誉会長の詩が刻まれている。また、日本と韓国の創価学会
の代表者が出席した「韓日友好代表者会議」で、池田は以下のようなスピーチを行った。
> 韓国は、日本にとって「文化大恩」の「兄の国」である。「師匠の国」なのであ
> る。その大恩を踏みにじり、貴国を侵略したのが日本であった。ゆえに私は、永遠
> に貴国に罪滅ぼしをしていく決心である。最大限の礼をもって、永遠に貴国と友情
> を結び、貴国の発展に尽くしていく決心である。(『聖教新聞』2000年5月22日付)
創価学会は言葉で韓国に媚びへつらうだけでなく、公明党を通じて在日参政権の実現を
目指しており、日本人信者に対しても、韓国を「兄の国」として敬うよう洗脳している。
◇◆◇ 創価学会員が神社を敵視する理由 ◇◆◇
創価学会の初代会長、牧口常三郎は戦時中、治安維持法違反で投獄され、栄養失調で獄死した。
現在の学会では牧口は国家神道と戦った殉教者で、「神道は初代会長のかたき」とされている。
牧口逮捕の理由は、当時、全戸に配布されていた神札の受け取りを、ある時期までは拒否して
いたことだが、捜査の端緒は学会員の強引な折伏を受けた被害者が、警察に訴えたことだった。
その後、当時の理事長、戸田城聖は「神札を粗末に扱わないように」との文書を会内に発した。
牧口も以前より靖国神社に参拝し神道と折り合いをつけており、全否定していたとは言い難い。
戦時中、創価学会が国家神道と戦い抜いたという事実でない説明が現在の学会でされる一因と
して、戦後、朝鮮戦争等を背景として、多くの人々が朝鮮半島から日本に流入したことがある。
創価学会はこうした人々を新たな信者としたが、日本の伝統に拒否感を持つ彼らが、学会員と
なるのに際して、代表的な日本文化である神道を全否定する姿勢を示したことが有利に働いた。
これが「鳥居をくぐると地獄に堕ちる」と、神社に近づかない学会員が多い背景となっている。
※ 「創価学会と韓国」は以前の投稿の要約。
解説
よく知られているように、聖教新聞などの創価学会のメディアでは「日本と韓国」につ
いて言及する際、「日韓」ではなく「韓日」と略することが多かった。
近年では、池田大作が韓国の自治体等から顕彰を受けたこと等を報じる記事で、韓国側
の発言を引用する形で「韓日」を使うことが多い(そうした文脈で用いるにしても、不自
然に「韓日」が強調されていることが少なくない)。
現在では、こうした表現が韓国への過剰な配慮と見られないように、一応は工夫してい
るわけだが、数年ほど前までは、聖教新聞等では「韓日」という表現が普通に用いられて
いた。
創価学会がそこまで韓国に気を遣ってきたのは、学会員の中に在日韓国人が占める割合
が大きいからだと考えられる。
一般の日本人よりも、外国人の方を優先するかのような姿勢を見せてきた創価学会が、
公明党を介して与党に入り込んでいる現状には、もっと多くの国民が危機感を持つべきで
ないかと思うのは、私一人だけではないはずである。
2019年11月3日日曜日
創価学会員の話術
創価学会員の中には、折伏等に際して独特の話術を用いる者がいる。議論の旗色が悪く
なるとすぐに話題を変え、負けを認めないことなどがその特色である。
個人的なことで恐縮だが、私が折伏を受けた際にも、創価学会の教義と法華経の教えが
矛盾していることを指摘したところ、相手の学会員がすぐさま話を反らし、「科学的根拠
を示せ」などと言い始めたことがある(「創価学会と法華経」参照)。
このような話術は折伏のみならず、その他の機会にも用いられる。例えば、マイ聖教の
ノルマを他の学会員に押しつける時などである。
こうした行為は、創価学会での役職が上の者が目下の立場の相手に対して行うことが多
いようである。以下に、そのおおよその特徴を記す。
まず、どちらの立場が上かを誇示するために、あからさまに上から目線の態度を取る。
最初から気迫で呑んでかかるのである。
次に話の内容が要領を得ず、聴いている側には何を言いたいのかさっぱり分からないこ
とが挙げられる。聴き手が「もっと分かりやすく話してほしい」と頼んだり、何か質問し
たりしても、上述のようにすぐに話を反らし、言語明瞭、意味不明を地でいく話を続ける。
このような話し方をするのは、そもそも何かを伝えることが目的ではなく、相手を屈服
させるために長話をしているからである。
活動家の中には、こうした無駄話を1時間以上も続けられる者も少なくない。
そして聴き手が根負けした頃を見計らって、本題であるマイ聖教の話を切り出すのだ。
「私がこんなにも時間をかけて話をしてあげたというのに、あなたはまったく理解でき
ていない。それはあなたの境涯が低いから。
では、境涯を開くにはどうすればいいか……。聖教新聞をもう一部取りなさい。聖教新
聞は池田先生からのお手紙だから、間違いなく功徳があるし、境涯が開けるから」
こうして、マイ聖教のノルマを押しつけるのだ。
説得や要請よりも、吊し上げに近いやり方である。
普通の人が何か話をする際は、相手に何かを伝えたり共感を求めたりするものだが、創
価学会員は相手に理解できない話をすることで、自分の方が格上だと認めさせ、要求を飲
ませることを目的として、意味不明な長話をするのである。
このようなやり方で目下の者に面倒なことを押しつける幹部は、創価学会では「生命力
が強い」などと言われ、信心が立派な証として高く評価されるのだという……。
創価学会の内部でどんな話をしようと彼らの勝手であり、外部の一般人には関係のない
ことだと思われる方もいらっしゃるであろうが、学会員の中には上述の話術を一般社会で
も用いる者が時としている。
取引先へのプレゼン、上司への報告、人事異動に際しての引き継ぎなど、説明をしなけ
ればならない機会はビジネスシーンにおいても多い。
そのような場合に求められるのは、簡潔にして要を得た説明である。話をする目的が、
相手に必要な情報を伝達することにあることは言うまでもない。
そのような状況で、長時間にわたって要領を得ない話をすることで、聴き手を屈服させ
ることを目的とした話術を披露することが、どれほど場違いなことかは言われなくても分
かりそうなものだが、学会員の中には「世の中で本当に価値のあることをしているのは、
私たち創価学会だけ。だから学会のやり方は、世界中どこでも通用するはず」と、信じて
いる者も少なくない。
想像して欲しい。仕事の引き継ぎの際に要領を得ない話を長時間続け、こちらが困惑し
ているのを見て「どうだ! どっちが格上か思い知ったか!」と、言わんばかりの勝ち誇
った態度を取る前任者に遭遇したら、あなたならどう思うだろうか。
たいていの人は「こいつは頭がおかしいんじゃないか」とか、「無能」と感じることだ
ろう。
創価学会の教義では「学会員は正しい仏法を広める使命を帯びた菩薩であり、普通の人
より高い境涯にある」ということになっている。
そのため、一般人は自分たちに対して敬意を払って然るべきと考え、学会員でない者を
見下す者までいる。
しかし、当然のことながら、一般社会で創価学会員が無条件に尊敬されることなどない。
むしろ、カルト信者として胡乱な目で見られることの方が多いだろう。
選民思想に毒された学会員がこうした認識のギャップに不満を持ち、他人に何かを説明
しなければならない状況を「自分たち学会員の境涯の高さを示してやる好機」と見なして、
上述のような履き違えた態度をとるのではないかと考えられる。
あるいは「仏法は勝負」という、池田センセイの教えを実践する機会とでも思っている
のかもしれない。
もちろん、すべての学会員がこのような態度をとるわけではない。時と場所をわきまえ、
創価学会での行動様式を外部には持ち出さない者も少なからずいる。
だが、「創価学会の中で高く評価されているやり方を、境涯の低い一般の奴らが受け入
れないのなら、それは世間の方が間違っている」と言わんばかりに、創価学会流の非常識
を一般人に押しつけようとする学会員が一定数いることもまた、否定できない事実である。
一般人に対して上述のような話術を用いる者は、学会員の中でも特に狂信的な部類であ
ろうから、そのような者に遭遇した場合、危険なカルト信者である可能性が高いと考え、
敬して遠ざけるのが無難であろう。
なるとすぐに話題を変え、負けを認めないことなどがその特色である。
個人的なことで恐縮だが、私が折伏を受けた際にも、創価学会の教義と法華経の教えが
矛盾していることを指摘したところ、相手の学会員がすぐさま話を反らし、「科学的根拠
を示せ」などと言い始めたことがある(「創価学会と法華経」参照)。
このような話術は折伏のみならず、その他の機会にも用いられる。例えば、マイ聖教の
ノルマを他の学会員に押しつける時などである。
こうした行為は、創価学会での役職が上の者が目下の立場の相手に対して行うことが多
いようである。以下に、そのおおよその特徴を記す。
まず、どちらの立場が上かを誇示するために、あからさまに上から目線の態度を取る。
最初から気迫で呑んでかかるのである。
次に話の内容が要領を得ず、聴いている側には何を言いたいのかさっぱり分からないこ
とが挙げられる。聴き手が「もっと分かりやすく話してほしい」と頼んだり、何か質問し
たりしても、上述のようにすぐに話を反らし、言語明瞭、意味不明を地でいく話を続ける。
このような話し方をするのは、そもそも何かを伝えることが目的ではなく、相手を屈服
させるために長話をしているからである。
活動家の中には、こうした無駄話を1時間以上も続けられる者も少なくない。
そして聴き手が根負けした頃を見計らって、本題であるマイ聖教の話を切り出すのだ。
「私がこんなにも時間をかけて話をしてあげたというのに、あなたはまったく理解でき
ていない。それはあなたの境涯が低いから。
では、境涯を開くにはどうすればいいか……。聖教新聞をもう一部取りなさい。聖教新
聞は池田先生からのお手紙だから、間違いなく功徳があるし、境涯が開けるから」
こうして、マイ聖教のノルマを押しつけるのだ。
説得や要請よりも、吊し上げに近いやり方である。
普通の人が何か話をする際は、相手に何かを伝えたり共感を求めたりするものだが、創
価学会員は相手に理解できない話をすることで、自分の方が格上だと認めさせ、要求を飲
ませることを目的として、意味不明な長話をするのである。
このようなやり方で目下の者に面倒なことを押しつける幹部は、創価学会では「生命力
が強い」などと言われ、信心が立派な証として高く評価されるのだという……。
創価学会の内部でどんな話をしようと彼らの勝手であり、外部の一般人には関係のない
ことだと思われる方もいらっしゃるであろうが、学会員の中には上述の話術を一般社会で
も用いる者が時としている。
取引先へのプレゼン、上司への報告、人事異動に際しての引き継ぎなど、説明をしなけ
ればならない機会はビジネスシーンにおいても多い。
そのような場合に求められるのは、簡潔にして要を得た説明である。話をする目的が、
相手に必要な情報を伝達することにあることは言うまでもない。
そのような状況で、長時間にわたって要領を得ない話をすることで、聴き手を屈服させ
ることを目的とした話術を披露することが、どれほど場違いなことかは言われなくても分
かりそうなものだが、学会員の中には「世の中で本当に価値のあることをしているのは、
私たち創価学会だけ。だから学会のやり方は、世界中どこでも通用するはず」と、信じて
いる者も少なくない。
想像して欲しい。仕事の引き継ぎの際に要領を得ない話を長時間続け、こちらが困惑し
ているのを見て「どうだ! どっちが格上か思い知ったか!」と、言わんばかりの勝ち誇
った態度を取る前任者に遭遇したら、あなたならどう思うだろうか。
たいていの人は「こいつは頭がおかしいんじゃないか」とか、「無能」と感じることだ
ろう。
創価学会の教義では「学会員は正しい仏法を広める使命を帯びた菩薩であり、普通の人
より高い境涯にある」ということになっている。
そのため、一般人は自分たちに対して敬意を払って然るべきと考え、学会員でない者を
見下す者までいる。
しかし、当然のことながら、一般社会で創価学会員が無条件に尊敬されることなどない。
むしろ、カルト信者として胡乱な目で見られることの方が多いだろう。
選民思想に毒された学会員がこうした認識のギャップに不満を持ち、他人に何かを説明
しなければならない状況を「自分たち学会員の境涯の高さを示してやる好機」と見なして、
上述のような履き違えた態度をとるのではないかと考えられる。
あるいは「仏法は勝負」という、池田センセイの教えを実践する機会とでも思っている
のかもしれない。
もちろん、すべての学会員がこのような態度をとるわけではない。時と場所をわきまえ、
創価学会での行動様式を外部には持ち出さない者も少なからずいる。
だが、「創価学会の中で高く評価されているやり方を、境涯の低い一般の奴らが受け入
れないのなら、それは世間の方が間違っている」と言わんばかりに、創価学会流の非常識
を一般人に押しつけようとする学会員が一定数いることもまた、否定できない事実である。
一般人に対して上述のような話術を用いる者は、学会員の中でも特に狂信的な部類であ
ろうから、そのような者に遭遇した場合、危険なカルト信者である可能性が高いと考え、
敬して遠ざけるのが無難であろう。
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