2019年11月3日日曜日

創価学会員の話術

 創価学会員の中には、折伏等に際して独特の話術を用いる者がいる。議論の旗色が悪く
なるとすぐに話題を変え、負けを認めないことなどがその特色である。

 個人的なことで恐縮だが、私が折伏を受けた際にも、創価学会の教義と法華経の教えが
矛盾していることを指摘したところ、相手の学会員がすぐさま話を反らし、「科学的根拠
を示せ」などと言い始めたことがある(「創価学会と法華経」参照)。

 このような話術は折伏のみならず、その他の機会にも用いられる。例えば、マイ聖教の
ノルマを他の学会員に押しつける時などである。

 こうした行為は、創価学会での役職が上の者が目下の立場の相手に対して行うことが多
いようである。以下に、そのおおよその特徴を記す。

 まず、どちらの立場が上かを誇示するために、あからさまに上から目線の態度を取る。
最初から気迫で呑んでかかるのである。

 次に話の内容が要領を得ず、聴いている側には何を言いたいのかさっぱり分からないこ
とが挙げられる。聴き手が「もっと分かりやすく話してほしい」と頼んだり、何か質問し
たりしても、上述のようにすぐに話を反らし、言語明瞭、意味不明を地でいく話を続ける。

 このような話し方をするのは、そもそも何かを伝えることが目的ではなく、相手を屈服
させるために長話をしているからである。

 活動家の中には、こうした無駄話を1時間以上も続けられる者も少なくない。
 そして聴き手が根負けした頃を見計らって、本題であるマイ聖教の話を切り出すのだ。

 「私がこんなにも時間をかけて話をしてあげたというのに、あなたはまったく理解でき
ていない。それはあなたの境涯が低いから。
 では、境涯を開くにはどうすればいいか……。聖教新聞をもう一部取りなさい。聖教新
聞は池田先生からのお手紙だから、間違いなく功徳があるし、境涯が開けるから」

 こうして、マイ聖教のノルマを押しつけるのだ。 
 説得や要請よりも、吊し上げに近いやり方である。

 普通の人が何か話をする際は、相手に何かを伝えたり共感を求めたりするものだが、創
価学会員は相手に理解できない話をすることで、自分の方が格上だと認めさせ、要求を飲
ませることを目的として、意味不明な長話をするのである。

 このようなやり方で目下の者に面倒なことを押しつける幹部は、創価学会では「生命力
が強い」などと言われ、信心が立派な証として高く評価されるのだという……。


 創価学会の内部でどんな話をしようと彼らの勝手であり、外部の一般人には関係のない
ことだと思われる方もいらっしゃるであろうが、学会員の中には上述の話術を一般社会で
も用いる者が時としている。

 取引先へのプレゼン、上司への報告、人事異動に際しての引き継ぎなど、説明をしなけ
ればならない機会はビジネスシーンにおいても多い。

 そのような場合に求められるのは、簡潔にして要を得た説明である。話をする目的が、
相手に必要な情報を伝達することにあることは言うまでもない。

 そのような状況で、長時間にわたって要領を得ない話をすることで、聴き手を屈服させ
ることを目的とした話術を披露することが、どれほど場違いなことかは言われなくても分
かりそうなものだが、学会員の中には「世の中で本当に価値のあることをしているのは、
私たち創価学会だけ。だから学会のやり方は、世界中どこでも通用するはず」と、信じて
いる者も少なくない。

 想像して欲しい。仕事の引き継ぎの際に要領を得ない話を長時間続け、こちらが困惑し
ているのを見て「どうだ! どっちが格上か思い知ったか!」と、言わんばかりの勝ち誇
った態度を取る前任者に遭遇したら、あなたならどう思うだろうか。

 たいていの人は「こいつは頭がおかしいんじゃないか」とか、「無能」と感じることだ
ろう。

 創価学会の教義では「学会員は正しい仏法を広める使命を帯びた菩薩であり、普通の人
より高い境涯にある」ということになっている。

 そのため、一般人は自分たちに対して敬意を払って然るべきと考え、学会員でない者を
見下す者までいる。

 しかし、当然のことながら、一般社会で創価学会員が無条件に尊敬されることなどない。
むしろ、カルト信者として胡乱な目で見られることの方が多いだろう。

 選民思想に毒された学会員がこうした認識のギャップに不満を持ち、他人に何かを説明
しなければならない状況を「自分たち学会員の境涯の高さを示してやる好機」と見なして、
上述のような履き違えた態度をとるのではないかと考えられる。

 あるいは「仏法は勝負」という、池田センセイの教えを実践する機会とでも思っている
のかもしれない。

 もちろん、すべての学会員がこのような態度をとるわけではない。時と場所をわきまえ、
創価学会での行動様式を外部には持ち出さない者も少なからずいる。

 だが、「創価学会の中で高く評価されているやり方を、境涯の低い一般の奴らが受け入
れないのなら、それは世間の方が間違っている」と言わんばかりに、創価学会流の非常識
を一般人に押しつけようとする学会員が一定数いることもまた、否定できない事実である。

 一般人に対して上述のような話術を用いる者は、学会員の中でも特に狂信的な部類であ
ろうから、そのような者に遭遇した場合、危険なカルト信者である可能性が高いと考え、
敬して遠ざけるのが無難であろう。

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