昭和31年(1956年)の参議院選挙で、創価学会から6人が立候補し、うち3名が当選した。
創価学会が国政選挙に候補を立てたのは、この時が初めてだった。
この時、大阪府選挙区から立候補した白木義一郎氏(『人間革命』では「春木征一郎」)
の選挙参謀を務めたのは池田大作であった。この選挙では、創価学会員の中から多数の選
挙違反者が出た。当時についての記述を以下に引用する。
> ここで「参議院議員当選」という三つの「金星」のうちの一つを池田が手にしたこ
> とで、次期会長へ向けた足場を固めることになるのだが、このときやった戸別訪問の
> すさまじさは学会内部では語り草になっている。
> 「〝折伏〟ということで、信者獲得と合わせて池田はローラー作戦をかけたんだが、
> 運動員が有権者の自宅に乗り込んでいって、まくし立てるということをやった。だが、
> こういう派手な活躍があって実際に会員数はものすごい勢いで増えていった。大阪で
> の地盤を切り開いたのは池田だ」(元側近)
(古川利明著『システムとしての創価学会=公明党』)
この選挙については、『人間革命』では第十巻において言及されており、学会員の中か
ら選挙違反での逮捕者が多数出たことについて、率直に認めている。
一方で、池田(作中では「山本伸一」)が「法律に違反するような行動は、けっしてあ
ってはなりません」と誡めたにも関わらず、「当局の創価学会に対する無知と、会員の法
律知識の欠如による無知とが輪をかけて一つになり、重なる無知が非常識な事件の続発を
もたらした」としている。
『人間革命』には、選挙違反を引き起こしたのは、あくまでも法律に疎い一部の学会員
であり、幹部からの指示はなかったと述べられているのだが、実際には布教活動に偽装し
た戸別訪問を組織的に行っていたのである。
その翌年、昭和32年(1957年)同じ大阪府選挙区で、参議院補欠選挙が実施された。こ
の選挙でも創価学会は、候補者を擁立した。結果は落選だったが、今回も戸別訪問および
買収の容疑で多数の学会員が逮捕された。
それだけでなく、選挙後、選挙違反を指示した容疑で、当時理事長だった小泉隆と渉外
部長だった池田大作も逮捕起訴された。これが「大阪事件」である。
この事件の端緒は、タバコの箱に現金を入れて職業安定所などでばら撒くという、悪質
な買収行為が発覚したことだった。この現金ばら撒きについては、池田の指示はなかった
という説と、逆に指示があったという説、両方がある。
戸別訪問については池田の指示によるものと疑われ、池田自身、拘留中に全面自供し、
調書にサインしていた。
池田大作が黙秘を通さず全面自供したことについて、『人間革命』第十一巻には、検事
から「君が容疑を認めなければ、戸田会長を逮捕する」と脅され、「身に覚えのないこと
であっても、罪を一身に被るべき」と考えてのことだったとされている。
しかし、元公明党都議の藤原行正氏は、別の見解を述べている。
> 学会絡みの事件で真相を明かせば、逆に会長に責任が及ぶ。これはわかりきったこ
> とである。それを承知で大阪事件での池田はペラペラ全面自供した。刑事が怖くてた
> まらず、早く勘弁してもらいたい。池田の頭にはその一念しかなかったのだろう。し
> かも大阪事件の場合、池田自身が大阪でしでかした選挙違反行為だった。常識的に考
> えて、東京にいた戸田先生とは無関係だった。池田は戸田先生の名前を語ることで追
> 及をかわしたわけである。
> このウソがバレるのを恐れて、池田は学会内部でいろいろ手を打った。最初は弁解
> がましく「戸田先生へ責任が及ばないため」といっていたのが、戸田会長が亡くなり、
> 自分の代になると「私は戸田先生の身代わりで罪を被った」と脚色した。そのウソを
> 何年もかけてそれこそ百遍以上繰り返したため、それが「真実」で通るようになった。
(藤原行正著『池田大作の素顔』より引用)
どちらを真実と思うかは立場によって違うであろうが、この逮捕拘留が池田大作に権力
への恐怖を植え付けたことは事実であろう。
その後の池田が、国会への証人喚問を免れるために、公明党の政治力を浪費してきたの
は、権力を持つ者に屈服し、全面自供するまでに追い詰められたことがトラウマになって
いるからではないか。また、「総体革命」と称する浸透工作を、警察・検察に対して進め
る大きな動機にもなっていると思われる。
大阪事件の裁判では、昭和33年(1958年)に小泉隆が無罪となり、昭和37年(1962年)
には池田大作にも無罪判決が出た。池田が無罪になったのは、検察の調書が裁判長から却
下され、戸別訪問の指示があったと立証できなかったからである。
『人間革命』十一巻には、この無罪判決について、「遠く、険しい道のりであった。し
かし、学会の正義は、伸一の無実は、ここに証明され、欺瞞の策謀に真実が打ち勝ったの
だ」と述べられ、池田大作は無実であったにもかかわらず、権力によって罪を着せられた
かのように描いている。
だが、この点についても、当時を知る元学会幹部は、異なる意見を述べている。
元公明党都議・龍年光氏の著書から、当該部分を引用する。
> 原島宏治氏が心配していた大阪事件の裁判は、判決を言い渡す前に、田中裁判長が
> 弁護団を呼んで一枚の紙を渡した。
> その紙は、「拘置所の中で、検事が三人がかりで、池田に手錠をかけたまま、夜十
> 一時まで、食事も与えず調べた事、従って検事調書はすべて却下する」とあった。田
> 中裁判長が一人で拘置所に赴き職権で調査し、検事の行き過ぎを発見したお陰である。
> 後でわかったことだが、この事件の前年、昭和三十一年の参議院選挙で池田は大阪地
> 方区で白木義一郎を当選させた。そのやり方があまりにもヒドいので、大阪地検は激
> 怒していたという。その翌年、無責任にも池田は、またまた無差別戸別訪問の指令を
> 出していた。この事実を知った弁護団は全員、池田の有罪を確信していた。
(中略)
> 田中裁判長が渡した一枚の紙は、当時の弁護団の一人であった松井弁護士(故・北
> 条浩会長と海軍兵学校の同期生)が持っていたので、私がコピーして故・北條浩会長
> に渡し、『人間革命』に大阪事件の裁判を書くときにはきちんとこの事実を載せろと
> 言ったのであるが、この事実をひた隠しにして、あたかも池田の無実の罪が晴れたか
> のように書いてある。これは大ウソである。
(龍年光氏著『池田大作・創価学会の脱税を糾弾する』より引用)
※ 原島宏治氏は創価学会理事として、池田大作が第三代会長に就任できるよう尽力し
た。後に公明党初代委員長に就任するも急死。造反した原島嵩氏の実父。
刑事訴訟法 第319条は「強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁され
た後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができ
ない」と規定している。池田大作は、この規定に救われたのである。
また当時、創価学会理事(小岩支部長兼任)だった石田次男氏も、著書『内外一致の妙
法 この在るべからざるもの』で、検察への裏工作があったことを暴露している。
> だが、正義のはずの法廷闘争から約二十人の有罪者が出たことは、ちっとも正義な
> どではなかったことを物語る。池田氏は自分の連帯の罪をこれら各個人の単発罪であ
> るかのように、偽証で形を整えて、無罪判決を貰っただけだ。
> この事件で『戸田先生を引っ張る』と言った地検が戸田先生を引っ張らなかったの
> は何故か? 少く共、事情聴取位は有っても不思議は無さそうだが、それも無かった
> のは、決して池田が言うように「自分(池田)が泥を被った』からではない。このこ
> とは今明らかにして置く必要が在る。戸田先生に迄地検の手が伸びなかったのは、事
> 件を担当した清原次席検事(地検ナンバー2)が断念したからに過ぎない。昔のこと
> で、もう迷惑が及ぶことも無いであろうから真相を此処に明らかにして置く。
> 敗戦の昭和二十年夏、清原氏は満州(今の中国東北部)に居て、真正面からソ連軍
> に追い回された。文字通り命からがら逃げ回った。その時、椎名晴雄――今は故人―
> ─という人に命を助けられた。清原氏は椎名氏を〈生涯の命の恩人〉として重く買っ
> た。二人共何とか帰国丈は果し、それぞれの道を歩み、昭和三十二年当時、清原氏は
> 大阪で検事を務め、電源開発社員である椎名氏――第四代小岩支部長――は東京で学
> 会の小岩支部幹事をしていた。この時の小岩支部長は石田であった。
> 椎名氏は大阪事件の時、清原氏との関係を戸田先生に話し、清原氏へ〈石田紹介状〉
> という名目の親書を認め、石田がそれを持参して(十三日頃)地検へ清原氏を訪問し
> た。
> 『清原氏に弁護士を紹介して下さるよう申し人れよ』と戸田先生に言われた通り、こ
> のことだけ三十分位粘って言い張った。この日から二日後、まず田代富士男(後の砂
> 利船汚職参議院議員)氏が釈放され、次いで池田氏も拘置所から出て来た。
> 有体に言えば、清原氏は椎名氏の親書――内容は違法な懇願である――に依って、
> 満州での命の恩に報いたのである。大阪事件の搜査段階が、急にバタバタと締めくく
> られたのはこのせいであつた。戸田先生に地検の手が伸びなかつたのもこの為であっ
> た。清原検事が一切合財目を瞑って幕を引いてくれたからであった。従って、断じて、
> 池田氏が一切合財を被ったからではない。池田氏は、当時、誰からもこの事情が漏れ
> る気遣いが無いことを良いことに、萬事、自分の功績にして、学会員を総騙しにした
> 丈だ。
(原島嵩著『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実』より孫引き)
検察への裏工作が功を奏し、捜査が中途半端になったことと、担当検事の前のめりな取
り調べが裏目に出たこととにより、池田大作は無罪になったが、戸別訪問の実動部隊を務
めた学会員20名は罰金刑となり、うち17名は公民権停止も科されたという(溝口敦著『池
田大作「権力者」の構造』による)。
大阪事件について『人間革命』は、「この選挙で、買収と戸別訪問が行われたことは、
残念ながら明らかな事実である」と記述するなど、日蓮正宗に対する謀略や戸田城聖のビ
ジネスについての記述などと較べると欺瞞は少ない。これは、検察を刺激することを避け
るための配慮であろう。
だがそれでも、池田大作を美化するために、大きく事実をゆがめていることは否定でき
ない。選挙違反で逮捕されたことを、あたかも法難であるかのごとく描く姿勢は、無反省
そのものである。
創価学会は、その後も替え玉投票事件や投票所襲撃事件を引き起こすなど、悪質な選挙
違反を重ねてきた。その際にも裏工作によって、事を収めてきたと言われる。
創価学会では、その地域組織を選挙の区割りに合致するように編成していることに典型
的に見られるように、選挙と信仰とを一体化させている。これは戸田城聖の〝選挙は信心
を引き締めるのに使える〟という発案を、池田大作が引き継ぎ、洗練させてきたものであ
る。
学会員による戸別訪問等の選挙違反の背景には、信仰は法律に優先するという創価学会
の教義があるのではないかと疑われる。
学会員が公明党候補を応援する理由も、大抵の場合、政策や人柄ではなく、「功徳にな
るから」である。
現世利益を求める呪術的なご利益信仰と、選挙での投票を一体化させる創価学会のF取
りが、民主主義への愚弄でなくて何であろうか。
投票は、有権者が自らの政治的意思を政治に反映させることができる、貴重な機会であ
る。学会員のF取りに協力することは、それを放棄することに等しい。
有権者のうちの一部に過ぎない創価学会が、キャスティングボートを握ることで、その
意見が過剰に代表されている現状は、決して好ましい状態ではない。
まして創価学会は、組織的に人権蹂躙を行う悪質なカルトである。そのカルトに政治を
ほしいままにさせるべきではない。これは政治的な左右以前の良識の問題である。
政治の質は、有権者により大きく左右される。ふだん政治について考えない方も、せめ
て選挙の時だけは、投票率がいくらか上がるだけでカルトの票読みを狂わせ、その悪しき
影響力を削ぐことができることを思い起こしていただきたい。